昨年、第三象限というサークルで頒布した同人誌『あたらしいサハリンの静止点』が先日、Amazon Kindleで配信開始されました。
ありがたいことに同人誌刊行時は『本の雑誌』の時評(のちに21世紀SF1000 PART2 (ハヤカワ文庫JA))に収録)で紹介されたり、『SFが読みたい』のコメント欄にて紹介してくださる方などがいらっしゃいました。
で、自作の話になるのですが、最近スマホのデータ整理をしていたら収録作「グラス・ファサード」のメモが出てきたのでそれを転載したいと思います。
すでに読んでくださった方向きなので(ネタバレがあります)、これがああなるのか、と思っていただけたら。読者への感謝サービスのようなものとお考え下さい。こんな作品未満のものしかサービスできませんが……。
読んでないよ、という方は『あたらしいサハリンの静止点』をご購入ください。ぜひ。
とはいえ書いたメモはほとんど参考になっておらず、実作に生かされている部分はすくないです(プロットを立てない書き方をしているのでメモも散漫になってしまう)。人の頭というかメモのなかがこうなっているのか、という参考例になったら幸いです。
では具体的に「グラス・ファサード」がどういう作品かというと、冒頭に入れたエピグラフでわかるようになっています。はずです。
https://twitter.com/nanamenon/status/1197876536549859328?s=20
https://twitter.com/nanamenon/status/1197876536549859328翻訳?s=20
そういうわけでして、言語といえばベンヤミンの提唱する翻訳理論および純粋言語、言葉の橋渡しをする通訳者を目指す主人公のいる『きんいろモザイク』からSFを書いてみようと思ったのが発端です(どういう発端だ)。だから最初のメモには以下のような文言が記されています。
きんいろモザイク一話
「Don't worry! Maybe we don't speak same language, but we can communicate as long as we try to listen to each other's hearts!」
「大丈夫! 言葉が通じなくても心は通じるから!」
しない、心配する、おそらく、わたしたち、しない、話す、同じ、ことば、しかし、わたしたち、できる、伝える、ほど、の限り、において、わたしたち、試みる、すること、聴く、に、それぞれ、他者の、所有する、心、
ここを出発点かつ終着点にしようと考えていました。それを一単語ずつ訳したものが後半の文言で、このような訳し方は行間逐語訳と呼ばれます。ベンヤミンもこのようなかたちでの聖書訳を理想としていたようでした。創作での例は多和田葉子「文字移植」がそれにあたります。英語はアニメをリスニングした自分のつたない能力によるものなので間違いがあるかもしれない……それも楽しんでください。
次に行きましょう。
グラス・ファサード
世界を断片化し、無限に引用する装置
パウル・クレーの同名の絵画からつけられた。
「一人の少女が消え、そして再生する」
タイトルの元ネタですね。ベンヤミンとクレーの関係は有名で、「新しい天使」という作品をベンヤミンがえらく気に入り、買い取って自分の雑誌のタイトルにまでしたというエピソードがあります。
装置、と書かれている通り、じっさいの作中にでてくる同名のアプリとはまたべつですが、結構初期の段階で「グラス・ファサード」のエピソードは引用することが決まっていました。エピソードが具体的にどういうものかは検索するか『あたサハ』をご購入ください。
主要キャラの設定も考えていました。キャラ設定は比較的終盤に書いた記憶があります。
エリカ・ラッセル
人工言語学者
言語における意味生成の空間=言語場というアイデアを発展させる
「わたしたちは言葉に共感することによって意味を受け取る」
生まれながらの母語喪失者
14歳までは英語を話していたが、ホームステイに来た紫苑の日本語に触れ、自分のほんとうのことばがどこでもない場所にあることを実感する。その後、複数の言語学習プログラムを使うことにより一年あまりで日本語を習得。のちに言語場生成プログラム〈パリンプセスト〉を開発
ベンヤミンの小論に存在する「行間逐語訳」
および、日本語における「ふりがな」からアイデアを受ける
ここもじっさいの設定から乖離していますね。アプリが〈グラス・ファサード〉ではなく〈パリンプセスト〉になっているあたり、名前は悩んだようです。〈パリンプセスト〉という名前から浮かぶイメージを当初はアプリにしようと思っていたのですが、なんとなく既視感があるので設定ごと変えたのだと思います。
もうひとりの主人公(語り手)シオンの設定もありますが、設定年代といいかなり違っています。結局もっと若くなりました。
宮下紫苑
技術書の翻訳などをしている
学生時代(高校・大学)にエリカとルームシェアをしていた。
SF作家の叔父がいる。
2018年:『言語存在論』が発表される。
2029年:〈パリンプセスト〉の基本思想がうまれる。
2031年:大学卒業前。姉が殺害される。同時にふたりの計画がはじまる。
2033年:ウェアラブル携帯端末(イヤリング)普及開始。
2035年:大学院を卒業。〈パリンプセスト〉国内版運用段階へ。
2040年:〈グラス・ファサード〉現象がはじまる。
SF作家の叔父はたぶん作中冒頭に出てきた作家ですね。結局血縁関係にあるのは話に合わないと思って切ったことを憶えています。それでも落ちと含めてどうするか悩みましたが。
2018年の『言語存在論』は重要書で、これがなかったら「グラス・ファサード」は書けていませんでした。面白い本なので言語に興味ある人は読んでみると楽しいと思います。言語に対する思考の転換が得られます。
まっとうなメモはこのあたりまでで、あとはひたすら書きなぐりが続きます。時系列もシーンの順もぐちゃぐちゃなので、断片として受けとってください。断片のそのさらに断片が実作に入っているイメージです。
小説の地の文みたいななのは、イメージボードみたいなものだと思います。本編に組み込まれるかはわからないけれど、雰囲気を掴むものとして。
その物語を読み、ようやくわたしは未来の意味を知った。
追想モザイク
言語支援ソフト、グラスファサード
論文や小説を登録することで引用可能性が上がる、またリーダビリティや影響力などが数値化される?
エアメールが届く。
あなたはだれかとだれかがわかり合う瞬間を、繋がり合う瞬間を再現した。
それを共感や情動の発生とみることは容易い。わたしたちはそのような心の動きを持っている相手を自分とおなじような人間として捉 える。
人間はことばに道具としての価値しかみていないが、それ以上の親愛をじつは抱いていたのではないか。スポーツ選手にとってのシュ ーズのような。奏者にとっての楽器のような。言語に共感するシス テムを彼女は明示させた。そして、世界の人々は、 母語を失ってしまった。
アイデンティティをそう簡単に取り替えることはできない。わたしは他者の痛みを理解できない。
エリカはとあるsf作家と親交があった。そこから研究のアイデアを見つけたという。
わたしはそこを、訊ねる。
未来が見えなくなったんだ。いきなりね。
もともとはスペースオペラや冒険活劇を主軸とした作家だった。しかし、ある時期を境に人間存在の境界や、知性の有り様に興味を持 つような作品が増えていく。
ネットのレヴューサイトには、むかしは気軽に読めたのにいまでは暗くてつまらないと書かれているのが散見される。
あなた、雨、いる、わたし、わかる、ない
わたし、持つ、いた、待つこと、あなたの、ことば、ずっと、しらない、どうして
SF作家とじっさいに語らうシーンは本編にはありませんね。どうにかして登場させようか考えていた時期のものだったのでしょう。
ほかにも長い文面を書いて雰囲気を掴もうとしているものがあります。ほぼほぼ没になっていますが、こういうのを書いておくと、本編でなにをテーマにして書くかがわかってくるのであなどれないところです。
あれは小学校の道徳の授業だったはずだ。自分の意見をうまく表明
できない人には選択肢を先に用意して、それを提示することで意思 決定をスムーズに集約できるのだと、それが正しいことのように書 かれていた。
しかし精神的な直観をしりぞけるように、わたしたちは日常のあらゆる決定を理性よりも感性に頼って暮らしている。
だからこそ、そのような選択制の提示は思いやりとして成立する。その一方で誘導尋問といった言葉も成立する。
かつて人間の支配者は細胞に潜む微生物だという説が広まったことがあったね。わたしたちはいわば彼らの乗り物であり、情報を快適 に伝えていくための手段でしかない、と。
あるいはわれわれを支配しているのはある価値観念である情報遺伝子、ミームだと述べた学者もいた。
だが、どの学者も情報というパーツそのものの道具性を疑うことはなかった。あらゆる生物は常に情報を伝えることを至上命題として いるはずなのに。
差し出されなかったことばの群れ
世界の有限性を破壊して、ことばだけを守ろうとした?
運命という意味を変えなくちゃいけない
わたしたちは断片に生まれたひとつの生命で、その反対には無限がある
だから世界はほんとうの母語をみつけようとするようになる
わたしたちは類似性という概念を使うことて言葉を共有する。主語述語や文法といったものは言語を客観的に示したものではなく、 相対的に捉えるためだったが、その役割がいつか逆転し、共約可能 性という世界観をつくりだしている。
いくつもの言葉が、星座のように瞬いている。
発生された瞬間を憶えているわけではない。けれどアーカイブスがそれを教えてくれる。エリカが木の枝を拾い、 優雅な曲線を地面にきざみつける。難しい単語はわからなかったけ れど、それがわたしの名前を記したのだと理解できた。葉陰のあい だから差し込んだ光のモザイクが揺れて、ことのはを撫でる。
わたしは嬉しくなって、同じように小枝を握った。エリカという字を、わたしはelicaと綴ったらくすくすと彼女は肩を上下させ た。
それからなにかつづけて言う。聞き取れたのは、アリス、という名前だけだった。
いまならなにを言ったのかわかる。文字を組み替えるとべつの名前が浮かび上がるのだ。
エリカはふたたび枝を動かし、今度はわたしの名前を書き換えた。
シノ、と聞こえた。日本風の名前だと思った。
わたし音が向こう岸に渡り、地面に書かれたことばとなって返ってくる。たったそれだけのことに胸の奥がくらくらと熱くなった。
いっぽうでまったく生かされていないネタもあります。
ことばの戦争
互いの世界の言語を爆弾のようにぶつけ、世界観をゆるがそうとする?
夜の遺産
大人たちは発狂したが、未就学の子供たちは生き残った。それはことばを理解できなかったからにほかならない。
断片化された歴史に生きる人々
モザイク世界
モザイクは常に完全性を希求する
そこにある人々にわれわれは侵略されている?われわれは正しいとされる世界にとってのいわばバックアップにすぎない?
ヘーゲル的な歴史は完成しない
世界は複製されることでかろうじてそのかたちを維持している。
あらゆる世界の言葉は侵略されてしまった
言葉を過去に送ることにより、世界の進歩速度を上げていく?
ドッペルとの対話データがミラーコーパスとして記録され、そこに生まれた思想やアイデアが共有されるビジョン?
その一方でドッペル同士は相互浸透し、話者に新たなアイデアを植え付ける
言語的フィードバック
たぶんイーガンの仮想世界とか「ルミナス」「暗黒整数」の言語版をやろうとしていたんだと思います。少年漫画かなにかのネタっぽい。作品に合わないので没になりました。
雰囲気を掴むための断片はまだまだありますね。
世界がコーパスだとするなら
テキストや発話を大規模に集めてデータベース化した言語資料
言葉の翻訳は単純な情報の復元ではない。翻訳は原作を補ってつくりかえる。救済する。
わたしたちはいくつもの言葉を持っているけれど、そのどれもが正しい名前を指し示すことはない。それがバベルの意味だ。
ことばは意味を伝達しない、伝達可能性を伝達する
言い間違いもまた、伝達される
ことばそれ自体は倫理的に問われない
問われるのはそれを発する主体だけだ
ことばは叫びであると同時に、呼びかけでもある。エリカは、その名において、わたしを名指している。
たとえあなたの言葉が世界を傷つけることになっても、わたしはあなたを愛するから。
メタ言語の存在しない言語
=純粋言語
=神に向けられたことば?
手段の正当性と目的の正しさを決定するのは、決して理性ではなく、手段の正当性を決定するのは運命的な暴力であり、目的の正しさ を決定するのは、しかし神である
翻訳者の課題=純粋言語
言語一般および人間の言語について
上記の救済とか伝達とかバベルとかはベンヤミンの用語ですね。ベンヤミン的なSFがなんなのか探っていくイメージで小説のパーツを書いている。そこに倫理的な視点が入り「グラス・ファサード」がじっさいの作品らしくなっていくわけですが。まあそうした結果ベンヤミンからは離れていくのも事実なんですが、難しい。
少年漫画というかSFアニメ設定はまだありました。
聖女ジャンヌの生まれ変わり
聖女は神託を聞いた
彼女を通して神の言語=天使の言語
を見つける
しかし失敗する?
あるいは悪魔の言語なら可能ではないか?と考える
聖なる存在を穢すことで、悪魔に変え、それによって地獄に触れることを可能にさせる
中動態として、彼女はことばそのものだった
それを破壊されたかなしみ
名前、つまり名付けによって世界が現出する。カバラ的?
神に向けられている証言=言語=翻訳を人間のもとに支配しようとするプロジェクト
神的暴力という記述、技術化
位相の反転
言語が狂うことによって空間認識が変わる?
異世界からものを持ち込めるようになる?
言葉は世界を壊したりしない。けれど、ことばが壊されたとき、ひとつの世界は終焉する。
人間が成長とともに文法的誤りを意識できるように、歴史の文法を用意できるならその誤りを修正できる?伊藤計劃すぎ?
主人公アリステラ?
アリステア
男性名? 親が古いスパイ小説が好きでね
あなたの名前は?
わからない
じゃあつけようか
ステラってどうかな
名前とは、認識の純粋な媒質だ。
星座的認知。ステラ。サイファ。
人間の日常的、社会的コードを補うための技術。共約可能性。
告発に使われる? 言葉の真実性を求めて。裁判や政治の場ではその効力を認められなかったが、人の心象という領域において言葉の価値をはかる指標と して機能する。
晩年のソシュールが目指そうとした言葉の内にある深層部。純粋な記号的処理には見えないなんらかのありよう。
このあたりは生かされなくてよかったな、と思いますね。
同時に悪い意味で煮詰まっていく頭も見受けられます。
わたしたちの世界観は言葉を記号として取り扱い、それらを交換す
ることによって互いを認識するというきわめて即物的であり水平的 な感覚のあり方だ。
でも、それは言葉の本質なのだろうか。言語はいっさいの垂直性を得ることはないのだろうか。
ちぎれていく雲や草木の揺らぎが風という存在を示唆させるように、言葉はそこによって名指されないものを映し出しはしないか。
言語は暴力だ。
その是非を問うことさえできない。
メキシコ先住民を宗教的に征服しえたのはカスティーリャ語の浸透がある。ここには暴力と癒着する言語がある。
無限という空間において、全体という意識は後退する
廃墟的な歴史の救済
=読者の参入によって救われるもの?
=読者こそが天使である?
実作でできなかった部分だなあ、と感じますね。手に負えない話。
それからまた実作に近づいていくのがわかります。あまり生かされてはいませんが、こうして断片というかソナーを打ち込まないと書けなかったんでしょう。
違う言葉として認識するのは簡単だった。そこにひそんでいる韻律
構造が耳慣れていないからだ。
なら、わたしのぶんはあなたにあげるよ
パンケーキでも切り分けるみたいに、彼女はそうつぶやいた。
互いの言葉を理解できないわたしたちは、そうやって声を交わし合った。
そのときのわたしたちはほんとうに言葉を知らなかった。いまこうやって振り返ることができたのはライフログという記録が残ってい て、それに触れることが可能だからだ。
わたしたちはお互いを見て、それを理解するための言葉も知らなかった。髪も肌も目も違っている相手を定義することができなかった 。使用する個別言語も異なっていた。
わたしたちはお互いの言語で書かれていた本を持ち寄り、それぞれ一文ずつ声に出して読みあった。物語は絡まっているようで不思議 とひとつのモザイクをかたちづくっているように思えた。
あのころのわたしたちにとって、言葉は意思という目的を伝える手段ではなかった。ただ声を、言葉を、交わし合うことによって得ら れるものがあると知っていた。
わたしたちの異なる言語を媒介する翻訳者はどこにもいなかった。にもかかわらず、わたしたちは心を伝え合うことができた。
言葉は不可逆的に世界の有り様を変えてしまう。言語が世界観をつくるというサピアウォーフの仮説は仮説でしかなかったけれど、そ の否定は言語が人間の思考様式のひとつであるという観点を崩すも のではない。公理でも学説でもない。純粋な、言語という存在が世 界を分断する。意味をなさない音の連なりでさえ、認識した瞬間に それは世界を切り裂くナイフになる。
問題はサピアウォーフの仮説を証明する言語をわれわれが認識発見できないことにある。
わたしたちふたりのうちひとりが言った。
どちらが?
生成文法において、言語は学習するものではなく、環境の影響を受けながら遺伝的なプログラムに従って成長するものとされている。
人間の深層部にある言語能力を底上げした結果、闘争が生まれる?もともと互いにあったはずの冷静な距離感が奪われていく?
わたしたちが有していたはずの不可共約性はいつのまにか失われていて、そこにあった心地よい耳朶の震えはもう思い出せない。あの ときあったはずの言葉のモザイクは、綺麗にならさらてしまった。
世界的なシンガーが独自言語をつくり、ゲリラ的に配信をはじめる。
ようやく最後のほうで、エリカの設定に近い断片もありました。 これをいくらか改変して本編に組み込んだみたいですね。
二歳か三歳のころから、わたしは会話が怖くて仕方なくなった。
わたしはいつもことばによっては身を分けられていた。ことばには見えないルールがあり、わたしは必死にそれを憶えようとした。
ことばが使えなければ、排除されると思った。
言葉に対する恐怖みたいなものは書きたかったのですが、語り手の形式上書けなかった部分ですね。もっと上手いやり方があったらよかったのですが実力不足です。
シオンの設定も同時に用意していたようです。
「あなたもまた、生まれながらの母語喪失者だった。違いますか?」
「人間はほんとうの意味で他者の痛みを理解することができない」
「だから、わたしたちは倫理を変える必要があった」
「なにを」
「わたしの姉は五年前に殺されました。高校時代から雑誌モデルをやっていて、顔を知られていたためです。病院に運ばれたあと、加害者がインターネットに殺害予告を立てていたことが発覚しました。ですがそのときにはもう加害者は飛び降り」
「物語を読むことが他者への共感能力を高めることは多くの研究で明らかになっています」
「そこには自分ではないだれかのことばがある」
「なら、世界そのものを他者の言語にしてしまえばいい」
「そう、思ったんです」
〈グラス・ファサード〉は人の知能を高めたわけではない。
ことばに対するの人の関わり方を変えただけだ。
このあたりも基本はおなじで細部をどんどん作り込んでいくさいに変えたようです。グラス・ファサードがカッコつきになっているので、おそらく終盤のメモですね。
なぜ推理小説っぽい会話文なのかというと自分が推理小説で育った人間だからです(”事件”後コッツウォルズに隠れた主人公たちを日本人記者が尋ねるという書き出しではじまるバージョンもあった。没にした)。
あなたたちの技術はことばを豊かにしただろう。だがそのいっぽう
で、ことばを奪ってもいる。
こうした糾弾するような文面もありました。
そして最後です。最後に残っていた文章は祈りですね。本編に関係ない言葉。
わたしが望むのはただひとつ。
この瞬間を、永遠に。
これあとになって気づきましたが、百合SFアンソロジー(ハヤカワ文庫)の帯文パロディになっていますね(この感情を永遠に)。百合が書きたかった、という作者のつよい思いが感じられます。百合は祈りだ。僕は祈る。
以上で創作メモは終わりになります。6000字未満くらいでしょうか。
こうして振り返るとプロットを書かない代わりに大量の脱線文章を書くことでメインとなるプロットを浮き上がらせるようにしている、という大変非効率な書き方をしていることがわかりますね。みなさんもぜひ真似して非効率な執筆ライフに役立てください。人の頭のなかはほんとうによくわかりませんね、と我ながら思います。
それではKindle化された『あたらしいサハリンの静止点』をよろしくお願いします。感想がTwitterなどにあったら喜ぶのでそうしたいと思ったらそうしてください。もちろんしなくても結構です。
最後までお読みいただきありがとうございました。