あなたの知らない(百合)について 村松真理「ソースタインの台所」

 幻になってしまうかもしれない百合小説を紹介する。

 けれども、これをただの百合小説として紹介するのには、ためらいがある。

 村松真理「ソースタインの台所」は『文學界』2006年8月号に掲載された作品で、だからジャンルとしては純文学ということになる。ただし、このためらいがあるというのはたんに純文学の文芸誌に載ったからというわけではない。それについては後述する。

 以降、詳しいあらすじを書くので、百合小説を百合とわかってから読むのが嫌な人(もうこの時点で逃げることはできない、申し訳ない。だからとりあえず詳しい内容を知りたくない人)は上述の文學界をアマゾンで高騰した値段で買い求めるか、大きめの図書館でバックナンバーを探して読むことを推奨する。

 

 

 物語はアメリカに留学している院生秋野のもとに、教採に落ちたが一年のアルバイトののち民間企業に入った岩本(私)がふらりとやってきてくるところからはじまる。彼女たちは不味いアメリカ米を一緒に朝食として摂り、気の置けない会話をする。

「不味いだろ」

 と彼女は私に言った。

(…)

「不味いだろ。無理しなくていいから」

 私は咀嚼しながら、箸の下の白いご飯と彼女を交互に見た。それは噛むと硬いくせにあっけなくもろっと崩れ、歯ごたえもなく粉っぽいが、舌に変に癖のある後味が残る。

「ごま塩をかければまだ食える。というよりかけないと食えない」

 私と同じように、ただ白米を山盛りにした茶碗を前にした彼女はそう言うと、ごま塩の小瓶を振ってその上にばらまき、私の方に押してよこした。そうして黙々と山を崩して咀嚼している。

 瓶をつかんで振り掛ける。白黒の点々が一面に振りかかったそれを箸に乗せて口に入れ、噛む。大ざっぱな味に雑な塩と、胡麻の味が沁みこんでうまかった。

「ううん」口の中がいっぱいなので首を振った。

「嘘だ」

「嘘じゃないよ」

「じゃあ訂正するけど」と彼女は淡々と言った。頭の後ろに、寝癖でひよこのように柔らかい逆毛が立っている。

「君が嘘をつかないことは知っているが無理はしているだろう。そうだろ」

 私は何だか後ろめたいような気がした。無理はしていなかったが嘘をついたことはあるかもしれなかった。十三歳からの十一年間は決して短い時間ではない。

「いや本当に不味いとは思わない。確かに日本の米とは違うかもしれないけど、同じ米だって観念が強力にあるわけじゃないから。こういう食べものだと思えばけっこう美味しいけど? じゃあ君は不味いと思うの、そんなに」

「思う」と言って黙々と米の山を減らしている。

「じゃあ何で食べてるのよ。他にパンだってシリアルだって幾らでもあるでしょう」

「二十三年間、朝は米しか食わなかったからだめなんだ。どうしても。こんなアメリカまで来ても、こんな米しかなくても」

「ふうん。わたしは二十三年間シリアルかトーストで育ち続けたし、どっちもないときはあるものを何でも食べていたから、むしろ朝和食なんて食べたことはないわね。あんまり米という食べものに執着がないのよね。だからこれだって、米だから特別どうとか思わないから、不味いとは思わないわけよ。別に不味いものじゃないんじゃないの、これ自体は」

「親が来た時に食べさせたら哀れむ目で見られた」

「それは、君のお母さまだもの。ほら、わたしは絶対味覚というものが皆無だから。『陰翳礼讃』を読んだら羊羹食べられるようになるんだから」

「全然わからない」と秋野は口を一杯にしながら噴き出しそうになった。

 「中学の時そういうことあったでしょう」

「覚えてるよ。それがどう関係あるのさ」

「君が毎朝常食にしてると思うと、突如として親しみがわくということよ」

  最初から長い引用になってしまったが、もしこの部分を読んで彼女たちの心安い関係に好感を抱いたのであれば、その期待は裏切られないといっていい。

 物語はふたりのディアローグを中心に展開される。上記引用部の「十三歳からの十一年間」という積み重ねの感触が会話やふるまいのすきまからにじむようにあらわれ、読者をその心地よい空間に誘ってくれる。

 加えて秋野のハスキー・ヴォイスで男言葉を使うというキャラ設定には、漫画やアニメを経由してきたような軽妙さがある。ふたりの会話と並行して回想される学生時代のエピソードによると秋野は人気者で、岩本はその妹分として周囲から認知されていた。それゆえふたりはさながらカップルのようにはやし立てられることもあった。そうした部分にはフィクション的な、あえていうならば百合的なわかりやすさがある。岩本が秋野に憧れて学校に行くときの服装を彼女に寄せていくくだりも、エピソードとしてわかりやすい。

 しかし読み進むにつれ、「ソースタインの台所」はそうしたフィクション的なわかりやすさ心地よさだけではない、ふたりの微妙な心の距離も描き出していく。彼女たちは中高とおなじ場所に通っていたが、大学では別々の道に進み、物語がはじまったときは一年ぶりの再会だと記されている。だから秋野は久しぶりに会えた岩本をできるかぎりもてなそうとする。

「ねえ」と私はまだ奥のキッチンにいる彼女を呟くように腑抜けた声で呼んだ。「ねえってば」

「何」

「毎日忙しくて時間ないんでしょう」

「あるとはいえないね。圧倒的能力不足だから」

「ねえ超人的努力なんてしなくてよかったのに。わたしなのに。別に部屋がどんなだって驚いたりしなかったわよ、絶対」

「だから嫌なんだ」

 彼女は瞼をぐっと上げて、半ばひとりごとのようにそう言った。

  秋野と岩本のふたりはくだけた会話をするが、それははお互いを敬い、思いやることのできる関係だからだ。それゆえに馬鹿馬鹿しい理由で口論もする。

 秋野が岩本のためだけに手間のかかる掃除をするように、岩本は秋野のためにつくろうとしたアラビアータが辛くないだけで苛立ってしまう。「タバスコある?」としかめ面で訊くと、それに触発されるように秋野も興奮する。

「わからない」と静かに言った。

「何が」

「タバスコとか言ってさ。これで普通に美味しいのに」

「だって、」と私は彼女の抑えた、しかしいやにはっきりとした語調の重さに感情を煽られて、何も考えずに子供っぽく声を上げた。

(…)

「一体君はなんなんだ」

「何? わからない。わかるように言って」と私は言い返した。

「覚えてるか。君は昔、辛いものが大嫌いで、できることなら寿司はわさび抜きにしてもらいたい、お刺身にもいらない、でも中学生ともなれば恥ずかしくてそうも言えないって言ってたんだぞ」

 ふたりの口論は関係の破局には向かわない。むしろ彼女たちの心を、立ち位置をすり合わせていくために描かれる。何度も繰り返される明け透けな会話は、だから楽器のチューニングのようなものかもしれない。お互いの持っている記憶や思い出を声に出して確認し合うのもおなじだ。それゆえにふたりのことばは最終的にぶつかるのではなく、重なって笑い合って終わる。読者としては微笑ましくもある。

 しかし、それが終着点というわけでもない。

 むしろ大事なのはこの先ではないか、と思わせるものが「ソースタインの台所」では描かれている。口論をした彼女たちはようやくむかしの関係を取り戻しただけだ。そのようにしてどこかだしにして語られてきた学生時代のエピソードはいかにもひとつの物語らしくまとまっていて、けれどそこから時間をかけたために青春としてあったはずの熱は失われている。

 だからか、岩本(私)は次のように回想をまとめ、現在を評する。どこか一定の距離感をもって。

 思い出してみると何だか気味が悪いような哀しいような気がした。いったい私たちはあれから長い時間を進んだからいま似たようなことを言うのか、それとも少しも進んでいないからそうするのだろうか。

 学生時代、秋野に近づこうとしていたはずの岩本は卒業後、「ごく自然に彼女の格好の真似をやめていた」。だからその語りには、ただの一過性のものだったのかもしれない、という考えがちらついている。そうして現在に残っているのは、そのいっときの熱を失ってしまった、落ち着いた大人同士の関係かもしれない。

 しかしだからといって、ふたりの将来になにか特別よいものが待っている、というわけでもないことが示される。

 岩本はたまたま部屋にあったソースタイン・ヴェブレンの伝記(最後は狂人のようになってひとりで暮らす)を読んで「可哀想」という。対して秋野は「わたしもそうなるような気がするんだ」とこぼす。「そうやって味噌汁も作れなくて、計算だけし続けて年をとって、変人とか何とか言われて、足下を鼠が走り回ってて、きっとそれでもわたしはまだ、ばかみたいにコーヒー豆をがりがり挽いてて、毎朝まずい米を炊いて一人で黙々と食いつづけてるんだ。きっとそうだと思う」

 この物語を、ただの百合(を描こうとした)小説とみなして紹介することにためらいがあったのは、だからこの部分があったためだ。「ソースタインの台所」はかつて姉妹のように、フィクションのように周囲から扱われてきたふたりがいたとしても、その先が見えないことを強調しようとする。

 描かれているのはわかりやすく(あえてわるくいうならば)安全にはやし立てて消費できていた関係でも、ハッピーエンドでもない関係だ。仮に百合のようなフィクショナルな関係がふたりのはじまりにあったとしても、そのアフターストーリーがどうなるかはだれも教えてくれない。ふたりのあいだにあった特別ななにかは簡単に消えてしまうかもしれない。

 だから物語の終盤、そのわかりやすさ、フィクションらしさに自覚的な目配せをするかのように、秋野以外の友人との回想が短くはさまれる。読者がふたりの関係を好ましく思っていればいるほどに、その言葉はつめたく響く。

「あんたたちは、女同士でくっついちゃうのかと思ったけどね」

(…)

「知らないかもしれないけど、後輩なんかは結構騒いでたんだよ。あの二人はうちの学校のナントカとナントカだって」

「何それ?」

「知らない。何か少女漫画の登場人物の名前」

  そして、そのわかりやすさに反論をするように、周囲から消費されるような関係を否定するかのような岩本の独白がつづく。そこには十一年の時間をかけたぶんの諦念がある。

 私は彼女に触れたいと思ったことはない。彼女になりたいと思い、同じものを見たいと願いはしたけれども。他の誰かに対しても触れられたいという気持ちを覚えなかったと同じに。(…)驚くほど簡単な接触の先にはいつも、不毛の荒野が拾っている。(…)

 同じ服を着たところで同じものが見えるわけではないことをもう知っているのだ。

 けれど、それは絶望に終わらない。物語は最後になって熱を、力を取り戻そうと切実にもがく。

 でもだから何だ、と私はまた思った。十一年も経ったけれど、そのどんな短い刻にあっても、彼女がくれるものなら私は何でも嬉しかった。たとえ私たちが重ねることのないそれぞれの単線上にいて、鏡に映る自分の姿に斬りつけつづけているのだとしても。その結果互いに触れ合いたいとは微塵も思わなくても。

 それが何だ。

   この独白のあと、物語は岩本による決意を込めたうつくしい語りかけで終わる。それがどのようなものなのかはじっさいに読んでほしいので書かない。

 ただ、岩本の考えるふたりの在り方は、他者から一方的に消費されることや性愛、その他のなにかといった単純な関係にからめとられることを否定しようとする。そのうえで、つよい関係を取り結ぶことを目指そうとする。

 この小説が発表されたのは2006年で、だから2020年現在の価値観とは微妙に差異があるかもしれない。百合をはじめとしたフィクションで描かれる、任意の人間ふたりの形成する関係性は現在(むしろ過去においてもそうかもしれないが)単純に消費されるものばかりではないはずだ。当時(意識されていたかはわからないが)百合の枠外を希求しているようにみえた小説も、現在からすればまっとうな百合作品じゃないか、と述べることは容易かもしれない。

 だとしても、他者の手によって単純にみなされる関係に回収されないことを望み終わるこの小説は、やはり語られぬままになってほしくない。

 すくなくとも自分が一定のためらいを以て、括弧つきで(百合)を好む理由のなかには、そのようにわかりやすく回収されることをつよく否定する物語が根底にあるからだ、という気持ちがある。

 あなたにとっても(百合)がそうであるならば、この小説はきっと救いのように響くはずだ。

 

文学界 2006年 08月号 [雑誌]

文学界 2006年 08月号 [雑誌]

  • 発売日: 2006/07/07
  • メディア: 雑誌
 

 補足

村松真理の小説はほとんど書籍化されていない。ウィキペディアを参照すること*1

日本文藝家協会編『文学2009』および『文学2013』に短編がひとつずつ収録されているが、現在市場には流通していない。2009に入った「地下鉄の窓」はBLを読んでいる少女がBLで読んだことあるシチュの経験をもとに酔った語り手を介抱する話。

・別名義(村松茉莉)の唯一の単行本『夢想機械 (トラウムキステ)』 は近未来、カプセルのような装置に入れられて幸福な記憶とともに売買される少女とそれを管理する男のSF。百合要素は特になかったはず。詳しい内容はタニグチリウイチ氏が書いている*2

・「ソースタインの台所」的な、くだけた会話をする親友同士の関係を描いた作品はほかにもある。三田文学新人賞受賞作の「雨にぬれても」や「三十歳」など。前者は「ソースタイン」のうまくいかなかったふたりのパターンをつい想起してしまう。

・百合に近い関係を内包している小説であれば、『三田文学』2015年秋号に載った「水の中の最後の地」が傑作といえる出来。メンタルが限界になってしまった語り手のもとに学生時代ちょっと助けただけの元いじめられっ子がやってきて、世界の終わりごっこをして彼女の心を救う話。回想のなか、台風の日に自転車を無断借用して駅までふたり乗りをするシークエンスが無限によい。

・現状読める最新作は同人誌『てんでんこ』2020室井光広追悼号に掲載された「従姉の居どころ」で、語り手の女性がひとまわり歳の離れた従姉を訪れ、ふたりでパンとワインで語らいながら従姉の隠しているとある不思議な関係に気づく話。雨の夜のしっとりとした描写、海辺の潮のにおい、酔いができあがっていく過程が心地よい。

・各出版社は村松真理の作品群を書籍化するべきである。

 

 

夢想機械 トラウムキステ (T-LINEノベルス)

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三田文学 2015年 11 月号 [雑誌]

三田文学 2015年 11 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2015/10/10
  • メディア: 雑誌
 


言語SF「グラス・ファサード」創作メモ

 昨年、第三象限というサークルで頒布した同人誌『あたらしいサハリンの静止点』が先日、Amazon Kindleで配信開始されました。

 ありがたいことに同人誌刊行時は『本の雑誌』の時評(のちに21世紀SF1000 PART2 (ハヤカワ文庫JA))に収録)で紹介されたり、『SFが読みたい』のコメント欄にて紹介してくださる方などがいらっしゃいました。

 で、自作の話になるのですが、最近スマホのデータ整理をしていたら収録作「グラス・ファサード」のメモが出てきたのでそれを転載したいと思います。

 すでに読んでくださった方向きなので(ネタバレがあります)、これがああなるのか、と思っていただけたら。読者への感謝サービスのようなものとお考え下さい。こんな作品未満のものしかサービスできませんが……。

 読んでないよ、という方は『あたらしいサハリンの静止点』をご購入ください。ぜひ。

 とはいえ書いたメモはほとんど参考になっておらず、実作に生かされている部分はすくないです(プロットを立てない書き方をしているのでメモも散漫になってしまう)。人の頭というかメモのなかがこうなっているのか、という参考例になったら幸いです。

 では具体的に「グラス・ファサード」がどういう作品かというと、冒頭に入れたエピグラフでわかるようになっています。はずです。

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ベンヤミン×きんモザ

https://twitter.com/nanamenon/status/1197876536549859328?s=20

https://twitter.com/nanamenon/status/1197876536549859328翻訳?s=20

 

  そういうわけでして、言語といえばベンヤミンの提唱する翻訳理論および純粋言語、言葉の橋渡しをする通訳者を目指す主人公のいる『きんいろモザイク』からSFを書いてみようと思ったのが発端です(どういう発端だ)。だから最初のメモには以下のような文言が記されています。

きんいろモザイク一話
「Don't worry! Maybe we don't speak same language, but we can communicate as long as we try to listen to each other's hearts!」
「大丈夫! 言葉が通じなくても心は通じるから!」
 しない、心配する、おそらく、わたしたち、しない、話す、同じ、ことば、しかし、わたしたち、できる、伝える、ほど、の限り、において、わたしたち、試みる、すること、聴く、に、それぞれ、他者の、所有する、心、

 ここを出発点かつ終着点にしようと考えていました。それを一単語ずつ訳したものが後半の文言で、このような訳し方は行間逐語訳と呼ばれます。ベンヤミンもこのようなかたちでの聖書訳を理想としていたようでした。創作での例は多和田葉子「文字移植」がそれにあたります。英語はアニメをリスニングした自分のつたない能力によるものなので間違いがあるかもしれない……それも楽しんでください。

 次に行きましょう。

グラス・ファサード
世界を断片化し、無限に引用する装置
パウル・クレーの同名の絵画からつけられた。
「一人の少女が消え、そして再生する」

 タイトルの元ネタですね。ベンヤミンとクレーの関係は有名で、「新しい天使」という作品をベンヤミンがえらく気に入り、買い取って自分の雑誌のタイトルにまでしたというエピソードがあります。

 装置、と書かれている通り、じっさいの作中にでてくる同名のアプリとはまたべつですが、結構初期の段階で「グラス・ファサード」のエピソードは引用することが決まっていました。エピソードが具体的にどういうものかは検索するか『あたサハ』をご購入ください。

 主要キャラの設定も考えていました。キャラ設定は比較的終盤に書いた記憶があります。

エリカ・ラッセ
人工言語学者
言語における意味生成の空間=言語場というアイデアを発展させる
「わたしたちは言葉に共感することによって意味を受け取る」
生まれながらの母語喪失者
14歳までは英語を話していたが、ホームステイに来た紫苑の日本語に触れ、自分のほんとうのことばがどこでもない場所にあることを実感する。その後、複数の言語学習プログラムを使うことにより一年あまりで日本語を習得。

のちに言語場生成プログラム〈パリンプセスト〉を開発
ベンヤミンの小論に存在する「行間逐語訳」
および、日本語における「ふりがな」からアイデアを受ける

 ここもじっさいの設定から乖離していますね。アプリが〈グラス・ファサード〉ではなく〈パリンプセスト〉になっているあたり、名前は悩んだようです。〈パリンプセスト〉という名前から浮かぶイメージを当初はアプリにしようと思っていたのですが、なんとなく既視感があるので設定ごと変えたのだと思います。

  もうひとりの主人公(語り手)シオンの設定もありますが、設定年代といいかなり違っています。結局もっと若くなりました。

宮下紫苑
技術書の翻訳などをしている
学生時代(高校・大学)にエリカとルームシェアをしていた。
SF作家の叔父がいる。
2018年:『言語存在論』が発表される。
2029年:〈パリンプセスト〉の基本思想がうまれる。
2031年:大学卒業前。姉が殺害される。同時にふたりの計画がはじまる。
2033年ウェアラブル携帯端末(イヤリング)普及開始。
2035年:大学院を卒業。〈パリンプセスト〉国内版運用段階へ。
2040年:〈グラス・ファサード〉現象がはじまる。

  SF作家の叔父はたぶん作中冒頭に出てきた作家ですね。結局血縁関係にあるのは話に合わないと思って切ったことを憶えています。それでも落ちと含めてどうするか悩みましたが。

 2018年の『言語存在論』は重要書で、これがなかったら「グラス・ファサード」は書けていませんでした。面白い本なので言語に興味ある人は読んでみると楽しいと思います。言語に対する思考の転換が得られます。

 

 まっとうなメモはこのあたりまでで、あとはひたすら書きなぐりが続きます。時系列もシーンの順もぐちゃぐちゃなので、断片として受けとってください。断片のそのさらに断片が実作に入っているイメージです。

 小説の地の文みたいななのは、イメージボードみたいなものだと思います。本編に組み込まれるかはわからないけれど、雰囲気を掴むものとして。

その物語を読み、ようやくわたしは未来の意味を知った。


追想モザイク
言語支援ソフト、グラスファサード
論文や小説を登録することで引用可能性が上がる、またリーダビリティや影響力などが数値化される?

エアメールが届く。

あなたはだれかとだれかがわかり合う瞬間を、繋がり合う瞬間を再現した。

それを共感や情動の発生とみることは容易い。わたしたちはそのような心の動きを持っている相手を自分とおなじような人間として捉える。

人間はことばに道具としての価値しかみていないが、それ以上の親愛をじつは抱いていたのではないか。スポーツ選手にとってのシューズのような。奏者にとっての楽器のような。言語に共感するシステムを彼女は明示させた。そして、世界の人々は、母語を失ってしまった。

アイデンティティをそう簡単に取り替えることはできない。わたしは他者の痛みを理解できない。

エリカはとあるsf作家と親交があった。そこから研究のアイデアを見つけたという。
わたしはそこを、訊ねる。
未来が見えなくなったんだ。いきなりね。

もともとはスペースオペラや冒険活劇を主軸とした作家だった。しかし、ある時期を境に人間存在の境界や、知性の有り様に興味を持つような作品が増えていく。
ネットのレヴューサイトには、むかしは気軽に読めたのにいまでは暗くてつまらないと書かれているのが散見される。

あなた、雨、いる、わたし、わかる、ない

わたし、持つ、いた、待つこと、あなたの、ことば、ずっと、しらない、どうして

 SF作家とじっさいに語らうシーンは本編にはありませんね。どうにかして登場させようか考えていた時期のものだったのでしょう。

 ほかにも長い文面を書いて雰囲気を掴もうとしているものがあります。ほぼほぼ没になっていますが、こういうのを書いておくと、本編でなにをテーマにして書くかがわかってくるのであなどれないところです。

あれは小学校の道徳の授業だったはずだ。自分の意見をうまく表明できない人には選択肢を先に用意して、それを提示することで意思決定をスムーズに集約できるのだと、それが正しいことのように書かれていた。
しかし精神的な直観をしりぞけるように、わたしたちは日常のあらゆる決定を理性よりも感性に頼って暮らしている。
だからこそ、そのような選択制の提示は思いやりとして成立する。その一方で誘導尋問といった言葉も成立する。

かつて人間の支配者は細胞に潜む微生物だという説が広まったことがあったね。わたしたちはいわば彼らの乗り物であり、情報を快適に伝えていくための手段でしかない、と。
あるいはわれわれを支配しているのはある価値観念である情報遺伝子、ミームだと述べた学者もいた。
だが、どの学者も情報というパーツそのものの道具性を疑うことはなかった。あらゆる生物は常に情報を伝えることを至上命題としているはずなのに。

差し出されなかったことばの群れ
世界の有限性を破壊して、ことばだけを守ろうとした?
運命という意味を変えなくちゃいけない
わたしたちは断片に生まれたひとつの生命で、その反対には無限がある
だから世界はほんとうの母語をみつけようとするようになる

わたしたちは類似性という概念を使うことて言葉を共有する。主語述語や文法といったものは言語を客観的に示したものではなく、相対的に捉えるためだったが、その役割がいつか逆転し、共約可能性という世界観をつくりだしている。

 

いくつもの言葉が、星座のように瞬いている。
発生された瞬間を憶えているわけではない。けれどアーカイブスがそれを教えてくれる。エリカが木の枝を拾い、優雅な曲線を地面にきざみつける。難しい単語はわからなかったけれど、それがわたしの名前を記したのだと理解できた。葉陰のあいだから差し込んだ光のモザイクが揺れて、ことのはを撫でる。
わたしは嬉しくなって、同じように小枝を握った。エリカという字を、わたしはelicaと綴ったらくすくすと彼女は肩を上下させた。
それからなにかつづけて言う。聞き取れたのは、アリス、という名前だけだった。
いまならなにを言ったのかわかる。文字を組み替えるとべつの名前が浮かび上がるのだ。
エリカはふたたび枝を動かし、今度はわたしの名前を書き換えた。
シノ、と聞こえた。日本風の名前だと思った。
わたし音が向こう岸に渡り、地面に書かれたことばとなって返ってくる。たったそれだけのことに胸の奥がくらくらと熱くなった。

 いっぽうでまったく生かされていないネタもあります。

ことばの戦争
互いの世界の言語を爆弾のようにぶつけ、世界観をゆるがそうとする?

夜の遺産
大人たちは発狂したが、未就学の子供たちは生き残った。それはことばを理解できなかったからにほかならない。

 

断片化された歴史に生きる人々
モザイク世界
モザイクは常に完全性を希求する
そこにある人々にわれわれは侵略されている?われわれは正しいとされる世界にとってのいわばバックアップにすぎない?
ヘーゲル的な歴史は完成しない
世界は複製されることでかろうじてそのかたちを維持している。
あらゆる世界の言葉は侵略されてしまった

言葉を過去に送ることにより、世界の進歩速度を上げていく?
ドッペルとの対話データがミラーコーパスとして記録され、そこに生まれた思想やアイデアが共有されるビジョン?
その一方でドッペル同士は相互浸透し、話者に新たなアイデアを植え付ける
言語的フィードバック

 たぶんイーガンの仮想世界とか「ルミナス」「暗黒整数」の言語版をやろうとしていたんだと思います。少年漫画かなにかのネタっぽい。作品に合わないので没になりました。

 雰囲気を掴むための断片はまだまだありますね。

世界がコーパスだとするなら
テキストや発話を大規模に集めてデータベース化した言語資料

言葉の翻訳は単純な情報の復元ではない。翻訳は原作を補ってつくりかえる。救済する。

わたしたちはいくつもの言葉を持っているけれど、そのどれもが正しい名前を指し示すことはない。それがバベルの意味だ。

ことばは意味を伝達しない、伝達可能性を伝達する

言い間違いもまた、伝達される

ことばそれ自体は倫理的に問われない
問われるのはそれを発する主体だけだ

ことばは叫びであると同時に、呼びかけでもある。エリカは、その名において、わたしを名指している。


たとえあなたの言葉が世界を傷つけることになっても、わたしはあなたを愛するから。

 

メタ言語の存在しない言語
=純粋言語
=神に向けられたことば?

手段の正当性と目的の正しさを決定するのは、決して理性ではなく、手段の正当性を決定するのは運命的な暴力であり、目的の正しさを決定するのは、しかし神である


翻訳者の課題=純粋言語
言語一般および人間の言語について

  上記の救済とか伝達とかバベルとかはベンヤミンの用語ですね。ベンヤミン的なSFがなんなのか探っていくイメージで小説のパーツを書いている。そこに倫理的な視点が入り「グラス・ファサード」がじっさいの作品らしくなっていくわけですが。まあそうした結果ベンヤミンからは離れていくのも事実なんですが、難しい。

 少年漫画というかSFアニメ設定はまだありました。

聖女ジャンヌの生まれ変わり
聖女は神託を聞いた
彼女を通して神の言語=天使の言語
を見つける
しかし失敗する?
あるいは悪魔の言語なら可能ではないか?と考える
聖なる存在を穢すことで、悪魔に変え、それによって地獄に触れることを可能にさせる

中動態として、彼女はことばそのものだった
それを破壊されたかなしみ

名前、つまり名付けによって世界が現出する。カバラ的?
神に向けられている証言=言語=翻訳を人間のもとに支配しようとするプロジェクト
神的暴力という記述、技術化
位相の反転

言語が狂うことによって空間認識が変わる?
異世界からものを持ち込めるようになる?

言葉は世界を壊したりしない。けれど、ことばが壊されたとき、ひとつの世界は終焉する。

人間が成長とともに文法的誤りを意識できるように、歴史の文法を用意できるならその誤りを修正できる?伊藤計劃すぎ?

主人公アリステラ?
アリステア
男性名? 親が古いスパイ小説が好きでね
あなたの名前は?
わからない
じゃあつけようか
ステラってどうかな
名前とは、認識の純粋な媒質だ。

星座的認知。ステラ。サイファ
人間の日常的、社会的コードを補うための技術。共約可能性。
告発に使われる? 言葉の真実性を求めて。裁判や政治の場ではその効力を認められなかったが、人の心象という領域において言葉の価値をはかる指標として機能する。
晩年のソシュールが目指そうとした言葉の内にある深層部。純粋な記号的処理には見えないなんらかのありよう。

 このあたりは生かされなくてよかったな、と思いますね。

 同時に悪い意味で煮詰まっていく頭も見受けられます。

わたしたちの世界観は言葉を記号として取り扱い、それらを交換することによって互いを認識するというきわめて即物的であり水平的な感覚のあり方だ。
でも、それは言葉の本質なのだろうか。言語はいっさいの垂直性を得ることはないのだろうか。
ちぎれていく雲や草木の揺らぎが風という存在を示唆させるように、言葉はそこによって名指されないものを映し出しはしないか。

言語は暴力だ。
その是非を問うことさえできない。
メキシコ先住民を宗教的に征服しえたのはカスティーリャ語の浸透がある。ここには暴力と癒着する言語がある。

無限という空間において、全体という意識は後退する

廃墟的な歴史の救済
=読者の参入によって救われるもの?
=読者こそが天使である?

 実作でできなかった部分だなあ、と感じますね。手に負えない話。

 それからまた実作に近づいていくのがわかります。あまり生かされてはいませんが、こうして断片というかソナーを打ち込まないと書けなかったんでしょう。

違う言葉として認識するのは簡単だった。そこにひそんでいる韻律構造が耳慣れていないからだ。

なら、わたしのぶんはあなたにあげるよ
パンケーキでも切り分けるみたいに、彼女はそうつぶやいた。
互いの言葉を理解できないわたしたちは、そうやって声を交わし合った。
そのときのわたしたちはほんとうに言葉を知らなかった。いまこうやって振り返ることができたのはライフログという記録が残っていて、それに触れることが可能だからだ。

わたしたちはお互いを見て、それを理解するための言葉も知らなかった。髪も肌も目も違っている相手を定義することができなかった。使用する個別言語も異なっていた。

わたしたちはお互いの言語で書かれていた本を持ち寄り、それぞれ一文ずつ声に出して読みあった。物語は絡まっているようで不思議とひとつのモザイクをかたちづくっているように思えた。

あのころのわたしたちにとって、言葉は意思という目的を伝える手段ではなかった。ただ声を、言葉を、交わし合うことによって得られるものがあると知っていた。

わたしたちの異なる言語を媒介する翻訳者はどこにもいなかった。にもかかわらず、わたしたちは心を伝え合うことができた。

言葉は不可逆的に世界の有り様を変えてしまう。言語が世界観をつくるというサピアウォーフの仮説は仮説でしかなかったけれど、その否定は言語が人間の思考様式のひとつであるという観点を崩すものではない。公理でも学説でもない。純粋な、言語という存在が世界を分断する。意味をなさない音の連なりでさえ、認識した瞬間にそれは世界を切り裂くナイフになる。

問題はサピアウォーフの仮説を証明する言語をわれわれが認識発見できないことにある。

わたしたちふたりのうちひとりが言った。
どちらが?

生成文法において、言語は学習するものではなく、環境の影響を受けながら遺伝的なプログラムに従って成長するものとされている。

人間の深層部にある言語能力を底上げした結果、闘争が生まれる?もともと互いにあったはずの冷静な距離感が奪われていく?

わたしたちが有していたはずの不可共約性はいつのまにか失われていて、そこにあった心地よい耳朶の震えはもう思い出せない。あのときあったはずの言葉のモザイクは、綺麗にならさらてしまった。

世界的なシンガーが独自言語をつくり、ゲリラ的に配信をはじめる

 ようやく最後のほうで、エリカの設定に近い断片もありました。 これをいくらか改変して本編に組み込んだみたいですね。

二歳か三歳のころから、わたしは会話が怖くて仕方なくなった。
わたしはいつもことばによっては身を分けられていた。ことばには見えないルールがあり、わたしは必死にそれを憶えようとした。
ことばが使えなければ、排除されると思った。

 言葉に対する恐怖みたいなものは書きたかったのですが、語り手の形式上書けなかった部分ですね。もっと上手いやり方があったらよかったのですが実力不足です。

 シオンの設定も同時に用意していたようです。

「あなたもまた、生まれながらの母語喪失者だった。違いますか?」


「人間はほんとうの意味で他者の痛みを理解することができない」
「だから、わたしたちは倫理を変える必要があった」
「なにを」
「わたしの姉は五年前に殺されました。高校時代から雑誌モデルをやっていて、顔を知られていたためです。病院に運ばれたあと、加害者がインターネットに殺害予告を立てていたことが発覚しました。ですがそのときにはもう加害者は飛び降り」
「物語を読むことが他者への共感能力を高めることは多くの研究で明らかになっています」
「そこには自分ではないだれかのことばがある」
「なら、世界そのものを他者の言語にしてしまえばいい」
「そう、思ったんです」


〈グラス・ファサード〉は人の知能を高めたわけではない。
ことばに対するの人の関わり方を変えただけだ。

 このあたりも基本はおなじで細部をどんどん作り込んでいくさいに変えたようです。グラス・ファサードがカッコつきになっているので、おそらく終盤のメモですね。

 なぜ推理小説っぽい会話文なのかというと自分が推理小説で育った人間だからです(”事件”後コッツウォルズに隠れた主人公たちを日本人記者が尋ねるという書き出しではじまるバージョンもあった。没にした)。

あなたたちの技術はことばを豊かにしただろう。だがそのいっぽうで、ことばを奪ってもいる。

 こうした糾弾するような文面もありました。

 そして最後です。最後に残っていた文章は祈りですね。本編に関係ない言葉。

わたしが望むのはただひとつ。
この瞬間を、永遠に。

 これあとになって気づきましたが、百合SFアンソロジー(ハヤカワ文庫)の帯文パロディになっていますね(この感情を永遠に)。百合が書きたかった、という作者のつよい思いが感じられます。百合は祈りだ。僕は祈る。

 

 以上で創作メモは終わりになります。6000字未満くらいでしょうか。

 こうして振り返るとプロットを書かない代わりに大量の脱線文章を書くことでメインとなるプロットを浮き上がらせるようにしている、という大変非効率な書き方をしていることがわかりますね。みなさんもぜひ真似して非効率な執筆ライフに役立てください。人の頭のなかはほんとうによくわかりませんね、と我ながら思います。

 それではKindle化された『あたらしいサハリンの静止点』をよろしくお願いします。感想がTwitterなどにあったら喜ぶのでそうしたいと思ったらそうしてください。もちろんしなくても結構です。

 最後までお読みいただきありがとうございました。

凪のあすからを誤読するまとめ

凪のあすからを誤読する」という全話レビューブログのまとめです。以下リンク。各話ネタバレがあります。ちゃんと見た人だけが見てね。約束。

 

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凪のあすからを誤読する19(25~26話)

 残すところ2話となりました。思えば遠くへ来たものです。もうここまでくれば筆者はただの台詞を機械的に引用するパーソンになるしかないのですが*1、気を緩めずやってやりましょう。ついに感動のフィナーレだ!

 

 

第25話 好きは、海と似ている。

 おふねひき前日。準備が進んでいます。光とまなかのもとにやってくるあかりと晃。晃はまなかに振られたことを根に持っているようです。おじょしさまにはペンダントが。「なまかの」「そうだよ。このペンダントのなかに、まなかさんの好きが詰まってる」それを奪い取る晃。しかし転んで、海に落としてしまいます。

 飛び込む美海。思いが溶けていきそうになるペンダントからは「ひーくんが好き」という声が。「やっぱりそうか」と紡。「やっぱりって、どういうこと?」5年前の回想。網にもう一度かかったとき。12~13話ですね。

「ひーくんは、海なの」

「え?」

「わたし、海から出てきて、太陽が輝く地上は楽しくて、どきどきしたけど。海がそこにあったから、だからこそ地上に憧れることもできたんだって、気づいたの。わたしは海のそばじゃないと、胞衣が乾いて、息ができなくなる」

「それって、光を好きだってこと?」

「……」

「どうして泣くんだ」

「ちーちゃんの気持ちがわかった。ひーくん好きなの言わないでって。わたしも言わないでほしい。誰にも」

「それでいいのか?」

「……うん」

  現在へ。「どうしていままで黙ってたの」と美海。対して「言わないでって言われたから」と返す紡。好きな相手からのはたらきかけはもう済んでいることになります。「きっと、好きは海と似ている」「楽しさや、愛しさだけじゃない。悲しみも苦しさも、色んなものを抱きしめて、そこから新しい思いが生まれる」それを聞いて浮かび上がる美海。「両想い、だったんだ」

(光とまなかさんは両想いだった。おふねひきで、まなかさんのだれかを好きになる思いが戻ったら。そしたら……そしたら……)

 夜。一緒の布団で横になるまなかと美海。「わたしが悪いの。わたしが好きをわからないから」と耳をふさぐまなか。「波の音が消えない」美海が手をあてると音は消えます。「すこし、このまま。いい?」

 紡の家。作業をしているちさきのところへ紡。「要から聞いた。お前の気持ち」「な、なにを?」「嘘つかなくていいんだ。もうなにも」「違う」「お前だけじゃなく、向井戸も」それから紡はまなかのほんとうの思いを教えます。

「わたし、ほんとうに最低だ。願ってた。昔から。いまもずっと願ってた。光がずっとまなかを好きでいてくれるようにって。まなかもずっと光に守られてほしいって。大好きな4人で、なにも変わりたくなかったから。光とまなかには、両想いであってほしかった。それがわたしたちの変わらない、昔からの関係だったから」

「いまはそうじゃない。4人の関係を守りたいからじゃない。お前は俺のことが好きだ。だから、ふたりには両想いであってほしかった」

  ちさきの変わりたくないという思いが、5年かけたいま変化を求めていることを紡は指摘します。そしてまなかの想い人が光である以上、紡の好意をちさきは否定できなくなったことに。このシーンの会話はこれまでの物語の状況説明に聞こえますが、じっさいは紡がちさきを説得しに≒口説きにきているシーンでもあります。最後の壁が崩されたちさきはもう拒絶の意志を見せません。ちさきを抱きしめる紡。「駄目……駄目……」といいながらもそれ以上はなにもないちさき。(わたしだけが幸せなんて……駄目……)最後のモノローグが駄目押しの状況説明になっていますね。だからここはまだハッピーエンドではない。

 胞衣を塩水で濡らす美海。偶然、外に駆けていく光を見つけます。追いつく美海。船を調べようとしていたらしい光。会話をすっとばしてまっすぐに訊ねる美海。

「まなかさん好きなんだね」

「な、なに言ってんだお前」

「好きなんだね」

「……ああ。まあな」

「もっと言って。もっと言って。まなかさんが好きだって」

「ば、馬鹿じゃねえの」

「言って。色々してあげたお礼に」

「どういう趣味だよお前……」

「言って。お願い」

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キメキメのカット。月夜にシルエットが映える。ほぼ恋愛映画でしょこんなの。

「……まなかが好きだよ」

「もっと」

「まなかが好きだ!」

「もっと……もっと!」

「おい、お前いい加減……」

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アップを先に出さず、シルエットの変化で説明するかっこよさ。

  泣いているのに気づく光。「美海……」そして逃げ出す美海。「どこ行くん」「帰るの!」

(痛い。光を好きな気持ちが痛い。もっともっと、痛くなって。光を思うのが限界になって、投げ出したくなって。そしたら、わたしは……光を諦められますか?)

 ついに美海も名実ともに限界になりました。いい加減にしてくれ。

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『凪あす』名物こと限界になると映える景色。この廃線はこの話にしか登場しない。

 おふねひき当日。紡のおじいさんもやってきます。造船所で準備をする女性陣。それを覗いている晃。まなかに気づかれて逃げるも、呼び止められます。「あのね、わたし、言うの忘れちゃってたことがあるの」「お手紙ありがとう」うれしそうな表情をする晃。浣腸して去っていきます。「好きは、ありがとうなんだね」そして波の音。

 いっぽうちさきと要。ちさきは要に「あの、ありがとう」と感謝を伝えます。しかしそれから要は真面目な表情に。

「ちさき、変なこと考えてないよね。今度は自分がおじょしさまの代わりになろうとかさ」

「ずっとみんな一緒だったの。わたしだけ地上でずっと……」

「駄目だよ」

「要……」

「駄目だから」

  比良平ちさきa.k.a.めんどくさこじらせヒロイン大賞の本領が25話に至っても遺憾なく発揮されています。彼女の5年間は紡といられた幸福とひとり冬眠できなかった罪悪感でできていますから、それを帳消しにできる(できるとは言ってない)おふねひきは魅力的な自殺(逃避)に見えるんですね。

 夕方。御霊火とうろこ様が到着。浜につくられた祭壇に。おじょしさまを見つめるうろこ様。「毎度のことながらまったく似とらんのう」「実際のおじょしのがずっといい女だったって?」と光は訊ねますが、うろこ様は否定します。

「ちんちくりんのそばかすだからけ。身体も弱くてのう。生贄なんて言葉を使っても、飢えた地上の人間にとって、結局は体のいい人減らしだったんじゃろうなあ」

「あんた、おじょしが好きだったんだろ?」

(…)

「おじょしのこと、地上に帰しちまって、ほんとにそれでよかったのか?」

「儂はこう、海神の肩甲骨のあたりに生えておったんじゃ」

「え?」

「右手の鱗だったなら髪を撫でてやることもできた。左手だったなら腰を抱き寄せることもできた。しかし剥がれ落ちた瞬間に海神とは別のものになってしまった。そうなればただの鱗。しかも肩甲骨の鱗じゃ。おじょしのなにを語れるか」

  おふねひきがはじまります。美海、さゆ、まなか、ちさきが御霊火を貰い受け、船が出航します。美海が直した旗を振る光。祝詞(?)とともにおじょしさまが落とされようとするとき、凪いでいたはずの海が5年まえのように荒れはじめます。そして大波が船を呑み込み、まなかとおじょしさまを海に引き摺り込みます。

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大波の様子。『凪のあすから』で最も暴力的なカット。

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13話との比較。25話のやばさがわかる。紡は二度も似たような目に合っている。

 まなかにはもう胞衣がありません。海のなかでは息ができない。すかさず飛び込む光、美海、紡、ちさき。要はさゆを助けます。まなかのモノローグ。

(海のなかがこんなに苦しいなんて。激しい。痛い。怖い。わたしをずっと守ってくれていた海が)

 まなかに追いつこうとする美海。彼女の周りにまなかの剥がれた胞衣のようなものが。それを見た紡が語ります。

「美海の気持ちに海が反応している。向井戸は光が好きだ。そして美海も。向井戸の思いと、美海の思いはよく似ている。だから、海に溶けた向井戸の思いが、輝きだしたんだ」*2

 美海がまなかを捕まえ、ふたりを思いが包み、まなかに胞衣が戻ります。

「やっぱりだ。美海ちゃんとこうしてると、とっても楽になる」

「わたしの胞衣が光を好きだって叫んでるからだよ」

「え?」

「光だけじゃない。海を、みんなを好きだって叫んでるから」

  思いの輝きが増しますが、竜巻がふたりを襲います。美海はまなかをかばい、海底へ流されていきます。追いかける光と紡。たどり着いた先はおじょしさまの墓場。その中央に倒れている美海。救い出そうとする光ですが、見えない力に阻まれます。胞衣の糸のようなものが美海を繭のように覆っていきます。

「ひーくんが好き」という声が落ちてくるおじょしさまとともに聞こえ、そこに意識を失いそうになる美海の思いが重なります。

(光。好き。わたしは光のことが、大好き。大……好き)

 叫ぶ光でエンディングです。あらゆる感情が限界になり、海に結び付けられています。好きは海に似ている。それ以上言うことはありません。心して向き合いましょう。

 

第26話 海の色。大地の色。風の色。心の色。君の色。〜Earth color of a calm

  光たちが美海を助けようとするいっぽう、海上の船は接岸し、あたりは騒然としています。「僕、もう一度行ってくるよ!」と海に飛び込む要。あかりは氷の上にまなかを引き上げるちさきを目撃します。まなかのモノローグに合わせて物語が映像で語られます。長いですが引用します。

(美海ちゃんに抱きしめられて、なくした気持ちが、すうって、呼吸するみたいに戻ってきて。そう、呼吸するみたいに。わたしだけじゃなくって、色んな気持ちが心のなかに入ってきた。美海ちゃんのお母さんは、美海ちゃんのお父さんに恋して、地上を目指した。あかりさんが、紡くんのおじいちゃんが、駄菓子屋のサツキさんが、コージ兄さんが、わたしの知らない色んな人が、誰かを愛するために、地上へ。そのなかに、おじょしさま。

 おじょしさまは泣いていた。輝く海で感じていたのは、海に溶けた物語。海神様の物語。海神様は生贄だったおじょしさまを愛するようになって、そしてつらくなっていった。おじょしさまは生贄になる前に、地上に思い人がいたこと。自分のせいでふたりの仲を引き裂いてしまったこと。おじょしさまは、それを一言も責めなかった。けれど、海神様は、彼女を愛すれば愛するほど、どんどん苦しくなっていって。思い人を忘れられず、隠れて涙するおじょしさまを地上に帰そうと決めた。

 だけど、海神様は知っていた。地上に残してきたおじょしさまを思い人は、おじょしさまを失った苦しみに耐えきれず、帰らぬ人となったこと。だからこそ、海神様はおじょしさまから、誰かを好きになる気持ちを奪った。その気持ちを持っていれば、愛する人を失った気持ちに耐え切れず、思い人と同じ道をたどってしまうかもしれない。凪いだ海はおじょしさまの心。もう激しく荒れることはない。愛を失った、平静の心)

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在りし日のおじょしさま。子供がまなかと光になっている。

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凪いだ海。好きと海は重なる。まなかはおじょしさまの感情も理解した。

 まなかとちさきのところにやってきた要。まなかは人工呼吸を施そうとしますが、胞衣があることに気づきます。目覚めるまなか。海が光りはじめます。「美海……美しい海」とまなか。涙がこぼれます。「海が語り出したか……」とおじいさん。言葉の理解は追いつきませんが、エモーションによってすべて感動できそうなシーンです。海神様の思いが美海(とおじょしさま)を生贄として取り込み、安定した状態でしょうか。

 海底では美海を救い出そうとする光ですが、弾かれてしまいます。「待て光。もうやめておけ。いま無理に連れ出せば、向井戸と同じことになる」と紡。「じゃあ黙って見てろって言うのか!」その場にうずくまる光。「美海は、ずっと海を見ていた」と回想。「光を待ってる」という小学生の美海*3。「きっと助かる方法はあるはずだ。軽率に動かないほうがいい。村のほうで、なにか異変が起きてないか見ている」と紡。社殿の前に行くとうろこ様が。

 いっぽうおじょしさまの墓場にいる光。

(まなかが俺を好きになってくれる。俺はずっとそれを望んでた。いちばん近くで、いつも笑ってたかった。まなかの笑顔を守りたいって。でも、陸に上がってきて、不安に押しつぶされそうな俺を、いちばん近くで守ってくれていたのは……。なのに、俺は、お前の気持ちに全然気づかなくて……。お前、すげえ傷つけて……)

「俺……お前、なんなんだよ。お前、アホだろ。どうして俺みてえなの好きになったんだよ。まなかと両想いだって……美海、お前がこんなになるようなら駄目なんだ!」

(お前があかりのこと好きになってくれたから、こんな幸せな眺めがある。だからあいつにも、思い出させてやりてえ)

「あんなのは違ってた。やっぱりお前の言う通りだった。好きにならなければつらくならない……」

(誰かを思えば誰かが泣く。誰かを犠牲にして傷つけて……そんなのが好きって気持ちなら……)

「人を好きになるって……最低だ……! 奪ってくれよ海神! 俺の誰かを好きになる気持ち、まるごとどっか持っててくれ! そんで! 美海を助けてくれぇ!!」

  まなかにとっての光が海だったように、5年後の世界にやってきた光にとっては美海が海だったという切り返しがここで語られています。

 光の気持ちが海に広がっていきます。それを氷上で感じ取ったのか、「大丈夫だよ、ひーくん」とまなか。「美海ちゃんの気持ちは……」

 眠っている美海、しかし意識はあるようです。

(泣いてる。ああ、光は馬鹿だなあ。海神様も馬鹿だ。海神様、どうしておじょしさまの心を奪ったの。だって、おじょしさまは……ああ、教えてあげたいな。海神様に、光に。誰かを好きになる気持ちは……)

 うろこ様のもとにあった御霊火が柱のように燃えたかと思うと、龍のように汐鹿生村を勢いよく駆け抜けていきます。海神様の意志。それぞれの家先にも火が灯ります。

(光に伝えたい。こんなふうに、わたしを思って泣いてくれる人を、好きになってよかったって)

 墓場に海神様の意志がやってきて、打ち捨てれられていたおじょしさまたちに火が移ります。助けようとする光の手に、まなかのペンダントからの輝きが。

(光が教えてくれたんだよ)

(誰かを好きになるの、駄目だって、無駄だって、思いたくねえ)

(そう。駄目じゃない。好きな気持ちは、駄目じゃない)

  輝きとともに、繭が破れます。光は美海を救い出し、脱出を試みます。火に呑まれていくおじょしさまたち。「海神様……おじょしさまの気持ち……海に……」つぶやく美海。それからあたりに「忘れたくない。忘れたくない。わたしは、あの人を忘れたくはなかった」と声が。「だけどなにより、子供たちと、あなたの日々をなくしたくなかった。わたしのなかの、愛する心」おじょしさまの声です。それを聞いた光と紡、美海。

 そして笑い出すうろこ様。

「なんて愚かなんじゃ。神が聞いて呆れる。海神よ、おじょしから愛する気持ちを奪っておきながら、その愛が誰に向けられたものかまではわからなかったと言うか。そして、いまごろになって海に溶けたおじょしの本心を知ったと言うか」

(…)

「おじょしさまの代わりにまなかを手に入れ、海に溶けた海神の感情は落ち着き、海は凪となった。傷つかなければ波が立つこともない。しかし、そこに悲しみはないが、同時に喜びもない」

「御霊火は海神の意識、でしたね」

「ああ。御霊火はいままで自我を捨て、神としての役目を全うしてきたが、海に溶けたおじょしの心に思い出したんじゃろう」

「うろこ様……」

  崩壊していくおじょしさまの墓場。あたりにはおじょしさまの思いが光の粒として漂っています。「そう。儂は鱗。海神の鱗……」光に手を触れるうろこ様。(けれど……海神と同じく、おじょしさま……あなたを永遠に愛している……)

 そこにやってくる光の父、灯。「冬眠はどうしたんだよ!?」と訊く光。「海と地上の人間のあいだに生まれた子供は胞衣を失う。(…)しかし美海がいる。美海には胞衣がある。ならばこれから先の希望も残されている」と灯。そもそも冬眠の目的は海の人間たちだけで子孫を残せる環境になるまで待つことでした。その前提が破られたということでしょうか。そして「晃に会わせてくれ」と灯。冬眠中も意識はあったようです。「お前の声は届いていた。お前の気持ちも届いていた」

 海上では光がやわらいでいきます。まなかのモノローグ。

(永遠に、変わらない心。時の流れに変わっていく心。そのすべてが、間違いじゃない)

「おかえりなさい」

(凪いだ海が、動き出す)

  波が生まれはじめます。「あれを見ろ」とおじいさん。汐鹿生の人々が目覚めて氷上に出てきました。そこには光たちも。泣き出すあかり。船を出す地上の人々。再会を喜び合います。これまで出てきたカップリングもここで収束していきます。紡とちさき。要とさゆ。

(好きは、海から生まれる。穏やかで、優しくて、激しくて、痛くて。それでも、どこまでも優しい海。好きは、海に似ている)

 向かい合う光とまなか。しかしまなかはその横を抜けていきます。美海。

「美海ちゃん。よかった。よかったよ美海ちゃん」

「お前なあ、俺の心配は?

「ひーくんは頑丈だもん!」

「頑丈って」

「頑丈のがっちがちだもん」

「まなかさんが、まなかさんが、ちっちゃいころから知ってるまなかさんだ! おかえりなさい! まなかさん!」

  泣きながら抱きつくまなか。彼女に好きという感情が戻った証拠の涙。

(すべては、海から生まれる)

 後日。漁協の前を走っている晃。海に飛び込む音。

 人の声で賑わっている海中。朝食を摂る光と灯。

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社殿の再建もはじまっている。冬眠中にあった暗い色調もなくなっている。

 登校する光と要。まなかは忘れ物。「まなかとは相変わらず?」と要。

「デートでもすればいいのに。せっかく両想いだってわかったのに、なんの進展もなしって問題じゃない?」

 「ばっ、いいんだよそういうのは」

「いつかのちさきみたいなもの? 変わりたくないって」

「いや、変わってもいい」

「え?」

「だけど、変わらなくたっていい。自由だ」

  遅れて走っているまなか。そこに晃が。胞衣があります。海上にあがるふたり。漁船にいる紡。「今日、行くんだよね」「ちょっと、大学に戻る前に見ときたいなって、海」紙飛行機。後期エンディングで見たことある色合い。そしてふたりして、呪いの魚の真似「また会おうネ」「あた会おうネ」

 それを見ている光と要。光のモノローグ。

(まなかと紡が出会ったとき、運命の出会いだと思った。だけど……。運命なんかなにひとつない。すべては自分たちで変えてゆける)

 学校。髪型を変えるさゆ。美海のモノローグ。

(地上で暮らしていたわたしは、海の人を好きになった。その初恋で流した涙は、優しい海に溶けていった。すべてを溶かしたその海は、これからも新しい命と新しい思いを生んでいく)

 転びそうになるまなかを呼び捨てにする美海。変化の兆し。

 冬眠が終わっても、紡の家で暮らしているちさき。おじいさんは退院したようです。

 光のモノローグ。

(いつか来る地上の終わり。どうなるかなんて、まだなにもわからないけれど、思いがきっと変えていける気がする)

 サヤマート。あかりの描いたポップ。共同開発。地上と海が手を取り合っています。

 浜にできた祭壇にいるうろこ様。

「海神様。まっこと面白いですなあ人間というものは。傷ついても、答えはなくとも、それでもひたすらあがき、夢を見て、その思いが大いなる流れを変えることもあるやもしれん。ほう。ぬくみ雪がやみましたな」

 飛んでいく飛行機。

 海辺を歩くふたり。日差しが陸のほうにあるので早朝ですね。「ねえ、ひーくん覚えてる?」とまなか。あたりにはただ波の音だけが響いています。

「5年前のおふねひきのとき」

「終わったら俺に話したいことがあるってやつだろ」

「うん。覚えてた」

「忘れてたのはお前だ」

「でも、言葉にしなくても」

「もう伝わってる」

「海に溶けて、空気に溶けて。時間を越えて、伝わる気持ち」

「この世界には、たくさんの思いが輝いている」

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世界一美しいラストシーンのひとつ。エンドロールもなく、情感だけがある。

 ここでエンディングです。

 さあ、涙を拭いて。ぼくたちにはまだ仕事がある。

 このエピローグでのふたりは、それまで着ていた浜中の制服ではなく、波中の制服に戻っています。会話では「5年前」と言及してますから、時間は長く経っていないはずです。入道雲があるので気候としても夏でしょう。となるといったいふたりはいつ制服を用意したんだ、という野暮な疑問が浮かぶわけですが、この映像が5年後であるとはどこにも明言されていません。

 ですからここでは複数の可能性を考えることができます。5年前にこういう時間をふたりは過ごしたことがあって、その映像に合わせてふたりの会話が重なっていただけ、とも考えることができますし(実は回想だった)、曖昧な時間のなかに溶けた彼/彼女たちによる心象風景と捉えることもできます(回想ですらなかった)。台詞に合わせてまなかと光以外の5人は現れたり消えたりしていますし、画面そのものが思いによって構成されていると見てもいいはずです。解釈は自由だ。

 でもやっぱり答えが知りたいじゃないですか、と考えるも『凪のあすから』のファンブックも公式設定資料集も2020年現在では中古品しか出回っていらず、価格も地味に高騰しているという現状。公式の見解を現状手にする手段はなかなかない。しかしヒントはありました。美術監督東地和生氏のツイッター。2018年の投稿。

 「あったかもしれない世界。」どこまでシリアスに受け取るかによって印象は変わるかと思いますが、単純な時間軸で考えると違和感が生じるのは間違いなさそうですね。5年の時間が経って明かされるというのもエモです。そこまで考えてツイートなされているわけではないと思いますが……。

 というわけで『凪のあすからファンブック アクアテラリウム』もしくは『凪のあすから設定資料集 デトリタス』をお持ちの方、譲ってもよいという方はご一報ください。お待ちしています。あ、東地和生氏の美術背景画集『Earth Colors』もあればぜひぜひご連絡ください。

 そろそろ話すことも尽きてきましたが(というより終盤は情によるパワーで殴っていく作品なので解説することがありませんでしたが)、ここまでお付き合いいただいたみなさんに向けて、2020年に『凪のあすから』を視聴するルートだとなかなかたどり着かない情報を出して締めることにしましょう*4

 お手数ですが、以下の動画をご覧ください。


凪のあすから 電撃20周年祭 上映PV

 2012年、凪のあすからの製作発表PVですね。ナタリーによる作品製作発表の記事が同年8月*5なので、この動画は10月のイベントで上映されたようです。

 見ていただければわかる通り、作中にはほとんどでてこないシーンばかりで構成されてます。まさしく企画段階といった感じ。造船所はまんまですね。

 小さなステージでおじぎをするまなかとかどういう経緯だったのか気になりますし(ぬくみ雪はあるし魚も泳いでるし波路中でしょうか)、紡のデザインはどちらかというと女性向け漫画っぽさがあります。

 出てくる言葉も爽やか青春ものっぽさがありますね。とはいえ、この爽やか青春ものっぽさは放送前の2013年8月のPVでもしぶとく生き残っています。


「凪のあすから」PV

 PV開始15秒の「水面に揺れる、光の欠片たち。それは生まれたての、柔らかい気持ちたち。あなたに伝えたいから待って。あの海が凪ぐまで、もうすこしだけ待って」を信じて本編第1話を視聴したらさすがに温厚な人間でも吐いてしまうと思う。詐欺でしょ。いい加減にしろ。関係者は正式に謝罪しろ。すみやかに設定資料集を再版しろ。

 さて冗談は措いといて、前述の上映PVの1:28~、波の寄せる浜を俯瞰で撮った構図はそのまま本編のラストシーンに使われていますね。

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上映PV版。夕陽が差している。

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最終話。朝日が差し込む直前。浜にできた波跡は同一と視認できる。

 こうして企画段階はまなかひとりだけだったのが、光とふたりになり、美しいエンディングとなったわけです。そう思うと泣けてきますね。

 まあじっさいのところ世界の終わりが確実に避けられていたわけではなく、海神様の気持ちがようやく報われたというだけでしかありません。それに伴い海が感情の変化そのものを受け入れただけで、これからはどうなるかわからない。

 わからないけれどそれを肯定して生きていこうよ、というのがこの『凪のあすから』の結論です。そしてそのこれからをつくるのが彼/彼女たちという話でもあります。だから終わりゆく世界をどう生きるかの話。

 セカイ系的にどうなの、という部分に関しては、非人格的なルールそのものに物語によって人格性を与え、そこに感情的な救済をもたらすことで理不尽なルールそのものを失効させたのが『凪のあすから』です。セカイ系の系譜にはあると思いますが、セカイ系そのものにない手法で物語を解決に持ってきたという点で『凪のあすから』は画期的ですし、単純なセカイ系フォロワーとしてはなかなか語れない作品でしょう。構造が多層化してしまっている。

 しかし結論は単純です。海は好きに似ている。荒々しくも優しくもある。彼/彼女らは自らに生まれた海を、感情を、変化を受け入れた。だからこそ波の音で世界が包まれている。まなかはもう耳をふさぎません。凪の海は終わったのです。

凪のあすから』のタイトルの意味がようやく伝えられ、そして幕は下りていきます。

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ところでこれ森博嗣っぽくありませんか。

 オチ!!!(おしまい)

*1:最初からそうだった。

*2:さすがにこのあたりの説明は野暮ったい印象だが、思えば野暮ったい設定周りのことは紡が担当する役回りになっていた。デトリタス。

*3:以前20話のとき紡は美海の理解者だという話をしましたが、その理解者になった瞬間はこのときかもしれない。凪のあすからを誤読する15(20話) - ななめのための。

*4:筆者は2020年3月に『凪のあすから』を視聴し、5月28日に2周目を終えた。

*5:電撃大王×P.A.WORKSによるオリジナルアニメの製作決定 - コミックナタリー

凪のあすからを誤読する18(24話)

 前々回に引き続き前回も最高のエモが抽出されましたね。しかしそれも越えていくのが『凪のあすから』です。まだまだ展開は広がるぞ。今回もちさきの感情が早々に限界になり、彼女が限界になればむろん彼もダメージを受けます。では気合いを入れてやってやりましょう。

 

第24話 デトリタス

 下校中の美海、さゆ、まなか。光を見つけます。駆け寄るまなか。ウミウシの石に気づく光。顔をそらす美海。彼女の思いはまだ光にはぶつけられていません。

 汐鹿生。ちさきに語りかける紡。

「お前と一緒に過ごした5年。ずっと、隣でお前のこと見てきた。海のそばで暮らして、海のことがわかってきたみたいに、お前のこともわかるようになってきた。怒るタイミングも笑うタイミングも、泣くなってときも、感じられるようになった。そう、感じてたんだ。お前の気持ち、いまは俺にあるって。それ、俺の勘違いだったのか?」

 迷う表情のちさきを抱き寄せます。顔を赤くし、しばらくしてからはっとするちさき。

「は、離して」

「勘違いなら離す」

「紡……」

「でも、勘違いじゃないなら……」

「やめて……! わたしは紡のことなんて、好きじゃない!」

  そういって走り去っていくちさき。「気持ちが……漂ってる」とつぶやく紡でオープニングです。

 紡の家に戻ってきたちさき。高校入学のころでしょうか。おじいさんに写真を撮ってもらったさいのことを思い出します。紡を見つめる瞳が揺れています。

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惚れているやんけ、と突っ込みたくなる表情。

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おじいちゃんの入院によって忘れられているかもしれないが、14話からこうだった。

 家に入り、何気ない日常の記憶が目に入ります。モノローグ。(たった5年。紡と過ごした時間は、たった5年。光たちとは、生まれたときからずっと一緒にいたのに……。なにに……どうしてたった5年で……!)涙を浮かべてその場にくずおれます。

 そこにやってくる要。「紡?」「え?」「昔から変わらないから。ちさきは好きな相手のことになると、普通じゃなくなる。よかったら、ちさきの気持ちを話して。それで少しでも楽になるなら。僕の気持ちはいいんだ」

 ちさきの感情に歩み寄ったかと思えば、要はあっさりと身を引きます。紡と正反対の動きですね。だから要はちさきの恋愛対象になれなかったんだよ。

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境界線。要は近づかないし(しゃがんで影が距離を取る)、近づけない。

「昔からどうしたって、蚊帳の外だったんだから。ちさきが光とうまくいかなくても、次は僕じゃなく紡だってわかってたらから」それからぼろぼろと泣き出すちさき。

「違うの! 好きじゃない! 紡のことは好きになっちゃいけない……。そう、光以外の人を好きになったりしたら、眠り続けているみんなを、時間を止めたままのみんなを裏切ることになるって思って……。わたしは、わたしは光が好きなんだって、ずっと、忘れないように、ずっと思ってて……。光が戻ってきたとき、怖かったの……わたしだけ大人になっちゃったこと……。それだけじゃなくて、見破られちゃうんじゃないかって、色んなこと。でも、光は変わらないって言ってくれた……。わたしうれしかった。わたしは光をちゃんと好きなんだって。いまでもちゃんとって……。でも……」

「もういいじゃん」

「え……?」

「僕たちはここにいるんだから。帰ってきたんだから。ちさきの気持ちをごまかすことなんてないんだ」

  そういって立ち上がる要。「まなかは紡が好きなの。まなかの好きな気持ちを目覚めさせるためには、紡の気持ちを受け入れることはできない」「まなかは関係ないでしょ」「ある!」「強情なのも変わらない」

 汐留家。波のような音を聞くまなか。そこにあかりと晃。晃が幼稚園で手紙を書いてきたそう。「まなかだいすき」逃げ出すまなか。泣きそうになる晃。

 ひとり寝室にいるまなか。「これ、なんだろう」と手紙を見ながら涙がこぼれてきます。波の音。「うるさい。うるさい。うるさい……!」

 いっぽう縁側にいる美海。(光は、自分がどんなに傷ついても、まなかさんの気持ちを取り戻そうとしている。わたしに、できること……)そこに光がやってきて、まなかのペンダントのお礼をいいます。旗や汐鹿生に行けたことについても。ガキ扱いできないことを認める光。「らしくない。まなかさんのためなら、性格まで変えられるんだ?」と美海。(まなかさんを思う光に、せめてわたしができること。光に、この気持ち、気づかれないようにすること)

 翌朝。登校する光とまなか。「ねえ、ひーくんは誰が好き?」と訊ねるまなか。「わたしね、よくわからないの。好きってどういう気持ちか。不思議なの。みんなのこと好きだと思うのに、なのに、なんだかよくわからないって感じがする」ごまかす光。

 病院。おじいさんに寮暮らしをしたい旨を伝えるちさき。紡との距離を取りたいのかもしれません。「好きにすればいい」とおじいさん。それから地上に戻ったおじょしさまの話の続きを訊ねます。

「愛する男は死んでいた」

「え?」

「消えたおじょしさまを探し、海に入って溺れ死んだと」

「そ、それで?」

「地上に戻ったおじょしさまを待っている者はだれもいなかった。それだけだ」

 説話に続きがあったことも驚きですが、あまりよい話ではありません。

 歩いている紡。そこに下校中の光、要、美海、まなか。まなかのペンダントに気づく紡。「光、要、ちょっといいか。男同士の話がある」と紡。

 祠に来た3人。「もう一回、呪ってもらえないですか」とうろこ様に頼む紡。断られます。「おふねひき。おじょしさまを捧げれば、また地上の終わりは緩やかになるんじゃないかと。それに向井戸の気持ちも、元に戻るかもしれない」

 紡は多くの思いがデトリタス(プランクトンの死骸や微細な生物の生きた跡)のように海に漂っているのを感じたと述べます。「海神だけじゃない。鹿生で暮らした人のものなのか、泳ぐ魚なのかもわからない、思いの欠片たち。名前もない、時代もない気持ちたちの中に、よく知っている気配を感じたんだ。きっとあれは向井戸の気持ち」

「向井戸が生贄になっていたことで、海神の思いの欠片と御霊火の意識が一体化し、均衡が取れていたと。だったらもう一度、生贄を捧げれば……」それからまなかのペンダントを木のおじょしさまにつけて、まなかの代わりにならないかと提案します。「向井戸が戻ってきたと海神の思いが勘違いすれば、奪われた向井戸の気持ちも元に戻るかもしれない」

 それを聞き、手を貸してくれるといううろこ様。こうして村の協力を仰いだおふねひきがまたはじまります。5年前のクラスメイトも戻ってきました。「なんか、懐かしいね。楽しいね、ひーくん!」とまなか。

 造船所の部屋で衣装を縫っているちさき。そこにやってくる紡。「まなかは、わたしが地上にいるあいだ、5年間もずっとおじょしさまになってくれたんだよね。そしたら、今度はわた」「ちさき!」その会話を部屋に入らず聞いている要。その要の視界に入らないようにしているさゆ。

 とぼとぼと帰る要。「サボり」と呼び止めるさゆ。「好きなんだ。ちさきさんのこと」「バレてた?」と笑う要。「ばっかじゃん!」「え?」

「そうやって、なんでもないふうでカッコつけてさ。ちさきさんに告白したんでしょう?」

「それも聞いてたのか」

「聞いてたよ! 振られたのかなんか知らないけど、もっとまっすぐぶつかればいいじゃん! ちゃんともっとさあ、さっきみたいにつらそうな顔、ちさきさんに見せなよ!」

「見せてどうなるの。同情されたとして、いまの僕とちさきじゃ、あかりさんに慰められる光みたいなもんだよ。それってダメージ大きすぎ。僕が冬眠しなければいまごろはって、思ったりもしたけどね。でも関係ないんだろうな。5年前からちさきは、紡のことが気になってたし、僕はずっと蚊帳の外だったからね。いつもちさきの目は僕じゃない誰かを見て、僕のこと」

「悲劇のヒロインぶるな!」

  泣きながらそう怒るさゆ。

「あんただって同じだろちさきと! ずっと、ずっと見てたよ……。わたし、あんたのことずっと見てた! ずっと待ってたんだから! あんたがいるから、だから頑張ろうって。あんたに釣り合いが取れるように、あんたに子供扱いされないように。あんたにちゃんと、女の子として見てもらえるように! あんたがいないあいだも、あんたここにいた。ちゃんとこの真ん中にいた!」

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警報が鳴るなか、遮断機を越えて叫ぶさゆ。境界を越えようとする意志。

 それから踏切を電車が通り過ぎ*1、「そうか。僕は、さゆちゃんのなかにいたんだ」と要。泣いています。

「ほんとは、寂しかった。地上に戻ってきて、光にはあかりさんの家族がいて、ちさきには紡の家族がいて。僕のことは誰も待っていてくれなかったんじゃないかって」

「なんだ。やっぱ子供じゃん」

「子供だよ。がっかりした? 憧れのお兄さんがこんなんで」

「自分で憧れとか言うな」

「返事、したほうがいい?」

「どうせ、駄目でしょ」

「僕、ちさきばっかり見てたから」

「わかってる。もういいよ」

「さゆちゃんのこと。これからちゃんと見てみる。ちっちゃな女の子じゃなくて、同じ年のひとりの女の子として。そこから、とりあえず考えてもいいかな。さゆちゃんとの今後」

「上から目線だよね」

「あのさ」

「なに?」

「ありがとう」

  お互い「子供」というフレーズを使う瞬間に涙を拭っていて画面のリズムが心地いいですね。それからふたりの視線が重なり、はじめてシンメトリカルなカットが入るのも心地いいです。「わかってる。もういいよ」で背中を向け、そのまま振り返らないも上品ですね。なにより自分を殺してる男の子が自分の思いに素直な子によって救われるというのがよいですね。『凪のあすから』にもこういう優しさがあるんだね……。

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シンメトリカルなカット。遮断機が上がって、思いが通じたという印象が強まる。

  朝の造船所。狭山の車に送ってもらう美海。残っているまなかと光。「ひーくん、ちょっと元気ない?」「ああ。あの日以来だからさ。色々変わっちまったの。なんかもう一度ってちょっと怖くて」「わたしは楽しみだな」

 それから「俺さ、好きな人いるよ」と光。誰なのか訊ねるまなか。「好きな人ってのは、そう簡単に言えるもんじゃないの」と返し、「お前にもすぐにわかる。うん。おふねひきが終わったら」「おふねひきが?」「おふねひき、成功させような。旗、めいいっぱい振るからな、俺」

 5年前のまなかを繰り返すように宣言する光で今回はエンディングです。ごんごんと感情が弾けていますね。今回は全編を通してそれぞれが自身の感情をどう扱っていくか見せていく回でした。まっすぐに滔々と語る紡。自分の思いはぶつけないで身を引く要。無理やり拒絶しようとするちさき。思いを隠そうとする美海。泣きながら自分ごとぶつかっていくさゆ。自分が傷ついても構わない光。

 いっぽうで地上に戻ったおじょしさまの話もどこか不安を誘います。恋愛のうまくいかなさは、7人の恋愛とどこかパラレルに映ります。

 しかしまだ全員の感情がぶつかったわけでも、昇華されたわけでもありません。あと残すところ2話。次回はついに二度目のおふねひきです。予告編にいっさい劇中の映像が出てこないあたり作り手側の本気を感じます。こちらも本気で取り組んでいきましょう。

 

 

 

 続く。

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*1:そうやって人類はいつも踏切越しに告白をやらせようとする。

凪のあすからを誤読する17(23話)

 前回最高のエモが抽出されて呆然状態になってしまったかと思いますが、ついにここからは岡田脚本。本気でやってやらないと命を落とします。致死量のエモが襲ってきます。やってやりましょう。

 

第23話 この気持ちは誰のもの

 汐留家の庭。晃と遊ぶまなかを見つめる光。回想。まなかを助ける方法について。「答えはわからん」とうろこ様。「光、わかったじゃろう。世の中にどうにもならんことは確実にある」回想終わり。涙を浮かべている光。美海に呼ばれてオープニングです。

 海岸沿いの道。「お前、大人ぶんなよ」と光。先ほどの美海の呼びかけは嘘によるフォローだったようです。しかし続く言葉は「ありがとな」です。だいぶ前、大人ぶったちさきに感謝したことがあったように、光もすくなからず成長しています。「近ごろの光、泣き虫だから。どうしたってこっちが大人になる」と美海。

 それから「おふねひきが終わったら」の約束について美海に話します。「あれ、紡に告白しようとしてたんじゃないかなって」と光。「なんでそうなるの!」と美海。しかし光は確信を持って「それはないから。絶対に、ないんだ」

「みんなに相談しよう。うろこ様に聞いたこと」と美海。みんなとはまなかも含めたみんな。けれど光は「それはどうしてもできない」「それも、絶対?」

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久々のキメキメのカット。ふたりの視線の向きは交差しない。

 紡の家。まなかを除いた6人で相談。しかし全員がまなかの感情について光のように飛び込むことは考えていません。紡は冷静です。「好きになる感情を失うって、どれくらいのダメージなんだろうね」と要。「まなか楽しそうに見えるし、失ったことでなにか困ってる様子もない」それに対しちさきは「わたしだったら、すこしほっとするかもしれないな」とやはりちさきです。しかし「勝手なこと言うな!」とさゆ。涙を浮かべています。

「好きな気持ちがないほうがいいとか、勝手だよ。まなかさんに聞いてもないじゃんか」

「さゆちゃん」

「なんなんだよ。知らなくてもいいとか、大人ぶんな! あんただって子供のくせに! ばっかみたい!」

  去っていくさゆ。追いかける美海。そして紡、要、ちさきの3人を見て「なんかさ、お前らおかしいぞ。気色悪りいよ、なんか」と出ていく光。造船所前。「好きは大事じゃん。好きはあったほうがいいじゃん」とさゆ。そこで解散。

 代わりにやってくるまなかと晃。まなかは海に光っているものを見つけます。光が潜って取ってくると、赤ウミウシの吐き出した石だとわかります。「そうだ、前にわたし、赤ウミウシになにかを話したなあ」とまなか。「なんて?」「ん? あれ、なんだっけ。そこまで思い出せないけど」ウミウシの言い伝え。白い石だと思いは正しい。黒だと間違っている。「これ、お前が持っておけ」と光。「大事に大事に持っておけ」

 汐留家。「あれ、まなかの石だ」と光。「まなか。ウミウシになにを話したか思い出せないって言ってたよな」「うん」「ってことは、きっとまなかがウミウシに話したのは、人を好きになる心に関係あることなんだ」

 そして「やっぱ、紡に頼むしかない」と光。「ウミウシに話すほどの強い気持ちならさ、きっと思い出せると思うんだ。好きな相手の手助けさえあれば、絶対」その感情に対し一方的に葛藤を抱く美海。しかし口にすると、こないだと言ってしまえる光。「好きにならなければ苦しくならない」は5年前に家出した美海が光に語った言葉でした。

 夜。まなかに声をかける美海。具合が悪いわけではなく、「耳の奥で波の音がすごいする感じ」がするとまなか。また「ひーくんはわたしのことで、なにか一生懸命になってくれている。でも、どうしてあんなに必死になってくれてるのかな」と気づいています。そして「黙ってるってことは、きっとひーくん、言いたくないことがあるんだと思うから。この石は綺麗だけど、見てるとなんかわからなくて、変な気分になるんだ」

(まなかさんのなかの、誰かを好きになる心が持っていかれて。好きのあった場所が、ぽっかり空いて、その場所が叫んでるんだ。寂しいって、叫んでるんだ)

 そう思い石を貸してもらうように頼む美海。「もっと大事にできるようにするから!」

 翌朝。紡の家。朝食をつくるちさき。そこにやってくる紡。「大学に戻っても、ちゃんと野菜食べなきゃ駄目だよ? 紡なにかに夢中になると、ご飯食べるの忘れるんだから」「わかってるよ」「睡眠もちゃあんと取らなきゃ駄目だからね。ソファとか床とかでごろっと寝ちゃうの禁止。疲れ取れないから」「わかってる」長年お互いを知っている言葉。ラブコメですね(そうか?)。「俺からも聞いていい?」と紡。「どうして、好きな心がなくなったらほっとするんだ?」なにも答えないちさき。

 木工室。石をペンダントにしている美海。その横にさゆ。「やっぱりわたし、好きがなくなるのは嫌だって思うんだ。それが片思いだって。やっぱり好きはあったほうがいい」「人を好きになる気持ちがなくなったら、楽だったろうけどさ、いまのわたしじゃなくなってる。きっと。だからさ」「わたしさ、要に告白する」

 完成したペンダントをまなかに渡す美海。「これならほんと、もっと大事にできるね。なくさない! ずっと一緒!」とまなか。それを聞いて泣き出す美海。「まなかさんが綺麗で……。綺麗で、優しくて、楽しくて。まなかさんは全部持ってる。そんなまなかさんがなくしものなんかしちゃいけない……」

 氷の上。テントなどの設備を畳んでいる紡。大学に戻ることを光に伝えます。光はまなかの心を取り戻すための協力を願いますが、拒否する紡。

「悪いけど、向井戸にはそういう欲求を持てない」

「そんなのフリだけでいいんだよ。嘘でもいいじゃんかよ」

「向井戸が好きなのは、本当に俺なのか?」

「そうに決まってんだろ。お前見ると顔真っ赤にしてさ、紡くん、紡くんって甘ったれた声出して」

「それが、好きな証拠になるのか?」

「まなかの気持ちを疑うのか!」

  キレて掴みかかろうとする光ですが、簡単にあしらわれます。そしてその様子を偶然バスから見つけてしまうちさき。「止めてください!」と運転手に言います。光の腕を背中にやる紡。

「だからなんでなんだよ。お前が好きって言ってやれば、まなかは元に戻るかもしれねえのに」

「好きって気持ちは、どんな理由であれ、もてあそんでいいもんじゃない。それに、俺はちさきが好きだ」

「でも、だからってよ……え?」

「俺は、ちさきが好きだ」

  それを聞いてしまうちさき。

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こんな逆光、1話でまなかと紡を目撃した光以来ではないか。やはり表情がいい。

 思わず海に飛び込むちさき。それを追って飛び込む紡。彼は溺れそうになるなか音を聞きます。美海が以前海に落ちたときのように。

(聞こえる。懐かしい、声みたいな。向井戸の胞衣が。いや、それだけじゃない。多くのいくつもの感情が、この海のなかに漂っている)

 そして紡も海中で呼吸できるように。「ああ。そうか。これが、胞衣があるって感覚なのか……! そうか……!」同時にうろこ様の呪いも解けます。そして光に「悪いけど、ここから先はひとりで行かせてくれないか」と告げます。「きちんと、ちさきと向き合いたいんだ。でないと、先に進めない」

 汐鹿生。ちさきに追いついた紡。困惑するちさきですが、紡の肌に胞衣ができたことに気づきます。そこで紡は語りはじめます。

「俺の親は、海が嫌いだった。海から離れたがらないじいさんを置いて、町へ出て、でも、俺は海が好きだった。海のそばにいたかった」

「紡……」

「覚えてるか。5年前、江川たちがおじょしさまを壊したって光が勘違いして」

「あ、うん」

「あのとき、ほんとうのことを知って、お前は光をかばおうとした。なんて……愚かだって思った。人って、誰かのために、あんなにみっともなくなれるんだって。いつもは静かで、穏やかで、なのにときに激しくて、手がつけられないくらいになる。あのとき俺……お前のこと……海みたいなやつだなって思った」

  というわけで感情の乗った言葉とともに今回はここでエンディングです。まなかの真実を知ったそれぞれの感情が動いたというか暴れることになった回でしたね。

 今回、直接の言及がされることはありませんでしたが、光の根っこの部分にはおそらく5話の「だけど、よう。誰かを好きになるの、駄目だって、無駄だって、思いたくねえ」があると思います。さゆも明らかにこの方向から物事を捉えていますね。そして自分の問題にけりをつけるため、さゆは告白を決意しています。

 そして今回のラストは紡の持つ海への憧れがそのまま恋愛感情にオーバーラップする実にエモーショナルな言葉ですが、5年前から間接的に描かれていた彼の人生とオーバーラップしているのもまたいいですね。「海が好きだった、海のそばにいたかった。」がそのままちさきのそばにいようとしていた5年間に重なります。年季の入った告白ならではの重さがあります。中学生にはなかなかできないところ。

 むろん告白以外の感情も台詞のエッジが利いている印象がありますね。「大事に大事に持っておけ」とかふつうの言い方ではしませんが、感情の乗りによってパワーが生まれていますし、まなかの前で泣き出す美海の感情の決壊は複数の言葉によってが全体のパワーを引き出しています。多くは言及はしませんでしたが、木工室で自分語りするさゆも恋愛を肯定したい感情が乗った台詞になっています。やはり岡田脚本は強い。言葉に感情の具体性がある。

 こうしてドシドシ感情に訴えかけてくるであろうアニメがあと3話も残っています。相変わらず世界がどうなるかは全然わからないというのに。彼/彼女らの恋愛もまったくわからない。いやあ『凪のあすから』ってほんとうにいいものですね。

 この先も油断せず見ていきましょう。

 

 

 続く。

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凪のあすからを誤読する16(21~22話)

  前回は美海の感情を成長させた回で、その結果(?)ついにまなかにも変化が。そろそろ終わりまでのカウントダウンが入るところですが、まだまだ話は広がります。やってやりましょう。

  

第21話 水底よりの使い

 前回の「キスして」から続きです。「ひーくん! 女の子そんなに怒っちゃ駄目だよ!」はっとして見やる光と美海。美海を見て「誰?」と訊ねるまなか。それから走ってあかりを呼びに行く美海。微笑むまなかでオープニングです。

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安心感のある笑顔。『凪のあすから』は表情がいいアニメ。

 ところで今回からオープニングに新しいカットが追加されています。冒頭、サビ、ラストのくだりですね。過去回想的なシーンでしか登場しなかったまなかが。サビでは美海と同じ衣装を着て御霊火を手にしています。またこれまでのOPのラストで飛ばされた美海の傘を掴む腕だけは描かれていましたが、その人物がようやくわかるようになってもいます。

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御霊火ということは海神様に関係があるということになる。のちの話で説明される。

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サビといい、飛ばされた傘といい、まなかと美海のふたりが強調される。

 出かける美海。遅れて出る光とまなか。晃に名前を呼ばれ続けるまなか。「ずいぶん好かれたな、お前」と光。「好かれた?」とピンと来ていないまなか。

 サヤマート。要とちさき。お菓子をくれる狭山。そこに光とまなかが合流します。「ちーちゃん、今日寒いね」とまなか。見た目が変わったことに対し衝撃を受けていません。「えー、ちーちゃんはちーちゃんじゃないの?」それから紡に会いに行くことを提案する光ですが、「それより港行こ!」とまなか。

 学校の水場。美海とさゆ。美海は乾いた胞衣を濡らしています。「光たちといればよかったのに。誘ってもらったんでしょ?」とさゆ。対して美海は「行けないよ」「なんで」「資格ないもん」俯く美海。

「なに、うれしくないの? まなかさんのこと」

「うれしいよ! やっと、やっと起きてくれたー、って思って、自分がうれしかったのがうれしかったんだけど、なんか違くて、なんか思ってたのと違うって……」

  前回の紡との会話の延長ですね。「うれしくなりたい」という気持ちの通りにいったんうれしくはなれたし、そのことに安心したようですが、まだ腑に落ちてはいないようです。

 漁協前。氷に驚くまなか。とにかくはしゃぎます。「僕らの頑張りってなんだったんだろうね」と要。それから「光はどうだった?」「ん?」「起きたばっかのとき。僕は怖かったよ。見覚えのある町だけど、微妙にずれていてさ。かたちは同じだけど、知っている人が誰もいない世界だったら、どうしようって。すごく、怖かった」光も同様に戸惑いと恐怖を覚えていました。そしてまなかを見て「なんであいつ、あんなに笑えるのかな」

「あいつさ、覚えてないんだって」と光。回想。まなかが目覚めたあと。おふねひきの前に言う約束について訊ねようとしますが、言い出せません。代わりにおふねひきのあとについて質問します。何者かの声を聞いたらしいまなか。「なにかあげるって言ったか、くれって言ったような……」それ以上のことはわからないそう。

 学校にやってきた4人。こちらでもはしゃぐまなか。「もう胞衣もないのに、海に戻れないのに……なんで」と光。対して要は「まなかはまなかだよ」「そっか。そうだよな」と一緒にはしゃぎはじめる光。よく見るとそこには美海とさゆも。テスト勉強について訊ねるまなか。勉強の話題に。

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みんなが騒がしく話すなか、ひとりだけ表情が暗いちさき。

 「わたしそろそろ病院行かなきゃ」とお菓子を渡して去っていくちさき。5個入りのシュークリーム。ぴったりになります。

 おじいさんの病室。ちさきがいるところに、紡もやってきます。まなかの話に。そして「みかん食べる?」とちさき。「コーヒーゼリーも買ってあるぞ」とおじいさん。

 デイルーム。コーヒーゼリーを食べるふたり。「おいしい。わたし、シュークリームより好きかも」とちさき。やはり中学生の感覚は合わないのかもしれません。それから「月末あたり、大学に戻ると思う」と紡。「そ。それっていつ?」「だから、月末」コーヒーゼリーで甘くなった舌がみかんを酸っぱく感じるちさき。「アパートに送るね、みかん。研究室のみんなで食べて」「うん」もう家族の会話ですね。

 みかんが鴛大師で栽培されているかについては明確ではありませんが、前回みかんジュースが好きだということが発覚した紡のことを考えると、みかんも好物なのかもしれません。それがちさきに知られているといいですよね……そうあってほしい……。

 帰り道を歩くちさきと紡。以下ラブコメ

「そんなに離れてないし」

「うん」

「なるべく早く戻ってくる」

「うん」

「電話するし」

「うん」

「なにかわかったら、すぐ知らせる」

「ふふっ、なに紡、寂しいの?」

「俺じゃなくて、ちさきが」

「なに言ってんのよ、こっちだって忙しいんだから」

  ちゃんと大学で研究するよう、紡に言うちさき。「うろこ様に聞けるといいのに」と紡。うろこ様はえっち。こうして移動シーンそのものを会話で繋ぐのは珍しいですね。基本的に移動はぶつ切りでひたすら情報を積むのが『凪のあすから』という作品の傾向な気がしますが、今回は会話のおかげでふたりの距離感がよく出ています。そしてなにかを踏んでいる紡。

 帰宅すると教授が電話口に。

 汐留家。鍋を囲んでいます。ちさきと紡は不参加。椀をこぼしてしまう晃。あかりがすぐに水で冷やします。大事はなかったことに安心する一同ですが、まなかだけ反応が薄い*1。「まなか、ちょっと来い」と光。

「おふねひきが終わったら話すって言ったこと、いま聞く。なんの話だったんだ?」

「怖い顔しないで」

「紡のことか?」

「え?」

「紡のことじゃないのか?」

「なんのこと? ひーくん……」

 壁ドンした光の手が震えています。それ以上は聞き出せないまま終わります。光としては告白に対する答え(のようなもの)のはずで、聞きたくてたまらないでしょうが、残念ながら消化不良。

 翌朝。走って汐留家までやってくる紡。みなが集まったところで服の袖をめくります。腕に魚が。呪いです。うろこ様の呪い。

「ってことは、いるんだ近くに。うろこのやつ!」と光が宣言したところで今回はエンディングです。

 これまでまなかが戻ってきて、目が覚めて、というかたちで話が進んできましたが、なんとなく違和感というか座りの悪い感触が出てきました。その正体はよくわかっていません。けれどまなかを見てきた光だけはすこしだけ触れつつあるのではないか、というのが今回の話です。

「なんであいつ、あんなに笑えるのかな」という部分は重要ですね。光にしろ、要にしろ、変わってしまったことにショックを受けていたわけですが、まなかは笑ってばかりです。ほかにも重要な箇所はあるのですが、それについてはのちの話で言及します。

 またいっぽうで、ちさきは相変わらずな印象です。5年の差をいまだに感じてしまうあたりが彼女が彼女たる所以ですが、だとするなら彼女の感情はどう向かうのか。

 そして世界についてもちょっとずつ変化がやってきます。まなかを救出したことで、鴛大師は寒くなっているといいますが、次回ではそれについても話が進みます。

 

 

第22話 失くしたもの

 キッチンでたけのこを炊いているまなか。彼女に上手く接することができない美海。「お風呂、先入るね」と逃げていきます。入浴。お湯のなかに顔を入れると、海の中(のようなもの)を幻視します。まなかを見つけるときに聞こえた音。剥がれた胞衣のような、もしくは鱗のようなものも。

 いっぽうで寝転がり、思案顔の光でオープニング。

 空き地。うろこ様を探す光と美海。さゆとまなかも。うろこ様用に浜で拾ったえっちな雑誌とタッパーに詰めた煮物。まなかに先日問いただしたことを思い出す光。そしてぬくみ雪が降ってきます。美海のモノローグ。

(このところぬくみ雪がよく降るようになり、テレビのニュースによれば、海から遠く離れた町や都会でも降りはじめているということでした)

 世界の寒冷化が進んでいるように思われます。

 紡の家。うろこ様捜索地図を広げる一同。村のいたるところを探しているようです。

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カットを180度反転したもの。作中の位置関係がわかる貴重な一枚。

 大学に戻る予定の紡も参加しています。呪いの魚の鳴き声を聞いて「おならみたい」とまなか。「お前のもそうだったろう」と光。「あの、まなかさんにも魚できたことあるんですか」と訊ねる美海。

「うん、びっくりしたー」

「いなくなっても嘘ついてたよな。まだいるって」

「ん?」

  はっとして、難しい顔になる光。なにかがおかしいです。それを見て表情を暗くする美海。

 風呂場で魚に餌のパンをやるさゆ。そこに大福とお茶を運ぶ要とちさきの会話が聞こえてきます。

「その豆大福、患者さんにもらったの」

「男の人かな」

「やだ、なに言ってるの?」

「モテモテだね」

「馬鹿、おじいちゃんよ」

「なんだか妬けるね。僕ももう一度、告白し直そうかな」

 「冗談」と要はいいますが、さゆはそれ以上餌をやることができません。彼女が以前から要の感情に気づいていたかは明確ではありませんでしたが、ここでフィニッシュブローが入ったかたちになります。美海といいさゆといい、なんで間接的なかたちでそれを知るようにさせるのか。久々のいたたまれないポイント。人の心がない。

 それからしばらくして、教授が大学に呼び戻されることに。天候不順により内陸では交通網が麻痺したり、停電が起きたりしているとのこと。鴛大師の村でも除雪機が活躍し、氷柱ができるほどの寒さになっていることがカットで説明されています。山は雪で覆われています。紡はもうすこし残るようです。「残るのはちさきのため?」と要。肯定する紡。「いい加減答えも出したいし」

 サヤマート。美海とさゆ。「光とまなかさん、なんか様子が変じゃない?」と訊ねる美海ですが、さゆは返事をしません。彼女も彼女で思うところがあるためですね。そこにやってくる峰岸くん。「あ……」「あ……」「あ……」天気の会話をして終了。「美海、告白されたんだよね、峰岸に」とさゆ。「え、な、なに急に」「告白、か……」やはり思うところのあるさゆ。

 空地。タッパーとえっちな本が消えています。「きっとうろこ様だよ」とまなか。「わかんねーだろ、んなもん」と光。「ぜったい見つけようね」と明るい表情のまなかに対し、やはり難しい顔になっている光。

 学校にやってきた光とまなか。やはりうろこ様はいません。プール。紡と勝負して怪我したとき、まっさきにまなかが飛び込んできてくれたことを話します。6話ですね。ですがまなかは曖昧に笑うだけです。

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曖昧に笑う感じが絶妙に出ている。『凪のあすから』は表情がいいアニメ。

「それも、覚えてねえんだな」と光。呪いの魚についても訊ねます。膝に魚ができたことは覚えていますが、嘘をついたことは覚えていません。ショックを受ける光。

「地上に、危ねーから地上に出るなって言われたとき、俺がお前のこと」

(お前のこと、抱きしめちまったことも)

「みんなが冬眠に入る前に波中に行って、俺がお前に」

(お前に、好きだって言ったことも)

「覚えて、覚えてねえのかよ」

  まなかは曖昧に笑うだけです。さらにショックを受け、逃げ出してしまう光。決死のアタックが全部なかったことにされたわけですから、仕方ないですね*2。久々のいたたまれないポイント2。そのいっぽう、まなかはよくわかっていない様子。

 美海とすれ違い、さゆを突き飛ばしても無視する光。「おいタコ助! レディを突き飛ばしてそのままかよ!」レディの巻き舌具合がいい台詞ですね。追いかける美海。

 あてもなく歩いていくうち、ふたりは見知らぬ祠へ。その屋根にはうろこ様が。美海を見て「メスのにおいがする」。当然光には意味がわかります*3。「なにか聞きたいことがあって儂を探していたのではないのか?」地上のこと、汐鹿生のことを訊ねますが、「聞きたいことはそれだけか?」とうろこ様。見抜かれています。

「まなかは、まなかはどうなっちまったんだ。あいつは、二度と海には戻れねえのかよ。それに色々眠りにつく前のこと、忘れちまってて。いったいあいつになにが起こってんだ」

「まなかはおじょしさまになっておったのじゃ」

「おじょしさまに?」

「海神様の生贄となり、子を成した娘。彼女は地上に思い人を残してきておった。いつまでもその思いを忘れることができず、ふさぎ込むようにしまった娘を見かね、海神様は彼女を地上に帰してやったのじゃ。あるものと引き換えにな」

「その話なら知ってるぜ。海神様は胞衣を奪ったんだろ。それがどうしたってんだ」

  その後、海神様は海に溶け、いまは善も悪もない、思いの欠片として漂っていることをうろこ様は伝えます。「まなかはあのとき、海神様の感情に巻き込まれ、生贄となった。かつて海神様がおじょしさまを求めていたときの感情が残っていたのじゃろう」よって世界は安定していました。

「じゃが、まなかのなかにあったとある気持ちは生贄であることをよしとせず、外に出ようとした。その気持ちは胞衣を壊し、すこしずつあふれ出し、か細い潮流を生み出した」

「汐鹿生に通じていた、あの潮の流れ」

(…)

「あの音は、まなかさんの胞衣。ううん、まなかさんの思い」

 美海はそれを聞いていたわけですね。さらにうろこ様は伝えます。

「お前たちがまなかを探しに行ったとき、おじょしさまを奪われると感じた海神様の思いの欠片は、かつてと同じようにまなかからあるものを奪い取った。そのときまなかに残っていた胞衣も、いっきに剥がれてしまったのだ。まなかが生贄だったから海は落ち着いていた。まなかを失ったせいで地上の終わりは早まるかもしれん」

「なんだよそれ。地上がおかしくなっちまったのは、まなかのせいだっていうのかよ。それじゃあまなかは、ずっと海んなかで眠ってたほうがよかったっていうのかよ! なんだよ! なんなんだよそれ!」

「慌てるな。早まるといっても、お前らが死んで、お前らの子供が死んだそのまたずうっと先のことじゃわい」

「あの、あるものを奪われて、そのとき胞衣が剥がれたって。じゃあ、まなかさんが奪われたものって胞衣じゃないんですか?」

 ここで海神様の言い伝えについてもようやく答えが出ます。うろこ様は光に訊ねます。「お前はまなかのことを好いておるのだろう」すると即座に表情が曇る美海。

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シリアスな場でも個人の感情はないがしろにされないのが『凪のあすから』。

「お前の思いは未来永劫まなかには届かんかもしれん。いや、誰の思いもな」

「まなかが失ったもの、それは……それは……人を好きになる心じゃ」

「まなかはもう、誰も愛することができんのじゃ」

  というわけで劇的な結論によって今回はエンディングです。世界の終わりと個人の感情が天秤にかけられてしまっている状況がここにきて明示化されました。

 また彼女が人を好きになる心が失われていることは前話から描かれていました。晃に懐かれていることを、「ずいぶん好かれたな、お前」と光はいっていましたがまなかは「好かれた?」とわからないふうに答えていました。じっさいはふうではなく、わかっていなかったわけですね。

 けれどなにより、もっとわかりやすい異常があったことを考えてもよいかもしれません。なぜなら第1部でノルマのように毎回泣いていたはずのまなかが、この2話ではいっさい泣いていないからです。

 前回目覚めたさい、5年間の変化に衝撃を受けるはずでしたら、泣いてしまってもおかしくないのがまなかという少女のはずでした。光ですら泣いていたのに、弱虫であるはずの彼女が泣いていない。それに気づくことができたとき、アニメを見ているわたしたちはより強烈な空虚感を味わうことができるのです。光はもしかするとそのことに違和感を覚えていたのかもしれません。

 加えて、そのうえで21話冒頭の笑顔を思い出すと無限にエモくなれますね。感じていたはずの安心がゼロになってしまう苦しさが出てきます。この22話でようやく向井戸まなかはほんとうの意味でヒロインになってしまった。ただの内気だった女の子からけったいな運命を課せられた女の子になってしまった。もうわたしたち視聴者は彼女から目が離せなくなってしまっているはずです。

 また構成面でも対比が際立っています。これまで『凪のあすから』がそれぞれのキャラクターのなにを描いてきたのかを思い出してみましょう。そう、感情です。5年の時間によって変化したなかで変わらないもの、変えたいもの、すべてが感情に集約され、バトンを受け渡すように毎回それぞれの物語が描かれてきました。しかしまなかにはその変化の軸となる感情そのものが失われている。ここでもわたしたちは空虚感を味わうことができるのです。

 ほかにも美海、さゆの年下組もだいぶシリアスになってきました。同い年になれてよかったね、というところから、好きな人に好きな人がいることの 報われなさと向き合わざるを得なくなってきています。彼女たちのそれは悲恋に終わるのか。

 世界もだんだんと終わりはじめています。内陸部や都市部でも寒冷化の影響を受け、機能しなくなっている部分もでてきています。人類が滅ぶのは遥か先とのことですが、これまで通りがまずできなくなってしまうのは間違いないところです。物語が佳境になるにつれ世界もおかしくなっていくのはいいですね。夏に雪が降ってうれしい。

 そしてこれまであった言い伝えの海神様は人格的な上位存在でしたが、思いの欠片は非人格な上位存在にシフトしています。よって思いの欠片はセカイ系的には理不尽なルールを強いてくる厳しい世界そのものなのですが、ベースが感情にあるというのがやはり特殊です。これは前にも言及しましたね。あくまでドラマが感情ベースになっています。その感情の存在ゆえにまなかの一部は失われています。

 ではどのようにしてまなかを取り戻すのか。彼女の恋愛はどこに行くのか。これが今後語られていく物語の軸となります。そして残り4話は岡田麿里脚本。油断せず戦い抜きましょう。

 

 

 

続く。

 

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*1:というか目からハイライトが消えている。

*2:ここでは任意の女の子による「やっぱり友達でいよ?」「聞かなかったことにしてもいいかな?」を想像するのがいいかもしれない。そうか?

*3:発情期。