『カメレオンvol.29』の感想

文字の量に比べて字が小さくて読みにくいので、レイアウトを変えた。「naname」というらしい。せっかくなので使ってみた。


 先月末、大学の学園祭で販売されたDMSの機関誌『カメレオンvol.29』を読んだ。
 ここ数年、だんだんと漫画雑誌のように分厚くなっていっているのだが、その大半を占めるのが個人による小説の創作となっている。それもほとんどがミステリを書いているということで、これは自分がサークルに入ったころよりはだいぶ雰囲気が変わったのではないか、と思っている。比較的ミステリではないふつうの小説(一般文芸と呼ぶべきなのだろうか? よくわからない)が載ることも多かったからだ。
 サークルに入った当初、ミステリを読んだことが両手で数える程度しかなかった自分はそもそも「どう書いたらミステリとして成立するのか?」すらわからなかった状態だったと記憶しているので、こうして入って一年も経っていない会員たちが少なくない時間を割いて小説を書くという状況を目の前にすると、後生恐るべし、とでも言いたくなる気分だ。とはいえ、自分がはじめてミステリを書いてみると、思った以上に反応がうすい。ストーリーに対する感想は聞こえてくるものの、トリックそれ自体がよかったか、わるかったか、あるいはふつうなのか、といったことに対してまったく答えがない。これには正直困った。なぜなら自分はミステリの初歩に立っていたのだし、今後、いったいどのようにしてほかの小説を書いていけばよいのか、いっさいわからなかったからだ。結局、最近ツイッターで聞いたような「ひたすら読むしかない」のだと思うが、それにしてもなにか悪いなら教えてほしいものだった。だいたい、そういうのは影で言われるものだと知ったのはそれからだいぶあとのことだったが。
 なので、自分はできるだけ読んでいて疑問に思ったことを(自分のことは棚に上げて)書くことにしている。



「初恋図書館」吾猫
 ファンタジー風のミステリ。生前と死後の中間に位置する図書館を舞台にした短い三つの連作。
 不思議な世界観でありながら、ストーリーの導入部分から無駄なく、読者を納得させる演出をおこなっているので、違和感を覚えることがなく入っていけた。「高速道路のパーキングエリアみたいなもの」という喩え方も、登場人物たちの仕事場としての捉え方を表している(不特定多数の人間が通り過ぎて行く)うえに、明快でとても印象的。こういったさりげない表現がしっかり根付いており、文体のせいかもしれないが、個人創作のうちでは最も、登場人物と作者との距離がとれている気がした。小説が上手、と言うべきか。ただ、さきほど「登場人物と作者の距離がとれている」と書いたが、推理の練り、すなわち出来事と作者との距離がそれほどとれていないようにも感じてしまう点もあった。幻想的な話であるので、現実味がないオチでもたしかに構わないのだけれども、やはりミステリ仕立てであるならば、この点が重要であることは言うまでもない。つまり、お話の結末が現実的な重み(説得力)を持ちうるかどうか、という部分が疑問点として見えてくるからだ。
第一話。
 仮に推理が正しくて、ヘビースモーカーであったならば、羽川のふだんの言動に不可解な部分があって、それを和久井が好意的に解釈していた、といった描写があってもよかったのでは。たとえば、常にガムや飴を持ち歩いていたとか、落ち着きのない性格であったとか、ふたりで会っていたとき、必ず一度は別行動をとる、とか。ヘビースモーカーにありがちな行動が見え隠れしなければ、結末はただの推論でしかありえない。
 加えて、本についたにおいが気になる喫煙者は、本がある場所でタバコを吸わないのでは、と読んでいて疑問になったのだが。部屋のなかにもにおいはつくだろうし、そういった点が気になる人はたいてい、ベランダで煙草を吸うのがふつうのように思える。栞に香水をつけておく、という発想は文香(ふみこう)に近い印象を受けるが、現実的な問題を述べるのであれば、タバコのにおいが染み付いた本と香水を吹き付けた栞とでは、においが混ざるくらいで、たぶん消えはしないことも想像に難くない。
 発想それ自体はとても素敵であるぶん、どこか無理があるように思えてしまった。
第二話。
 元も子もない話をするのであれば、ネタが古い、という一言。ラスト一行でそれを言うにしても、もはや人口に膾炙したネタである以上、それだけは避けてほしかった、と思うのは贅沢か。また、ここでも現実的な点を述べるのであれば、衰弱した人間が本を食べるにしても、水がなくては厳しいだろう。たいていの本に使われている紙は、小さくちぎったとしても、硬質なものであるがゆえに「噛み砕」くことは難しいように思えるし、長時間の監禁(作中の新聞では一ヶ月、とある)では脱水症状を起こしている可能性が高い。嚥下するのも一苦労だろう。
何冊もの本を食べたかはわからないが、ひと月ぶんを食いつなぐほどはさすがに食べれないように思える。描写が少ないため、どこまで論理的であるか、という点は難しいが、「食べられそうに白く柔らかい」という表現は、あからさまに結末に合わせた表現に思える。「こんな夢の中みたいな場所でも誤魔化しきれないことはあるんだな」という台詞がよい皮肉になっていたぶん、最後まで読んだとき、誤魔化しのある結末なのではないか、と思わずにはいられなかった。
 むしろ本に関する定番のネタを扱いたいと思うのであれば、図書館にありがちな、「線を引い」たり、「ドッグイヤーをつけ」たりするような、「本の状態」がより推理の鍵になる話になっていたほうが、本と人を同等に扱う、という話の筋に合っているのでは、とも思ったり。
第三話。
 定番、といった点では、その定番の構図をうまく反転させていたこの話は文句なし。話の説得力も十分腑に落ちるようになっていて、大変よかった。
 具体的に言うのであれば、読み聞かせ、という「読書体験」をうまく誤導させた手順は見事で、「母と子」という関係性が浮かんでくることは誰が読んでもわかること。
ハッタリの利かせ方も、第一話からつながる演出としてもよいサプライズだった。

 図書館を舞台にしたミステリ、だと既視感があるものの、ファンタジー風の設定があることでオリジナリティが生まれているし、いわゆる「あなただけの一冊」という考え方は、本を好んで読んでいる人ならば、だれもが経験している話であるがゆえに魅力的な話ではある。文句をいくつもつけてしまったが、舞台設定や話運びが面白かったぶん、気になった点が目立ったということで。


「少し不思議な話」妻鹿楓音
 タイトルと内容がそぐわない、という点がまず感じた悪印象。素直に読めば、過度な束縛気質の彼女から離れようとしたが、結局絡め取られてしまうというオチになるのだが、それで「少し不思議」というのは、あまりにも大ざっぱすぎやしないだろうか。現実とのちょっとしたズレを楽しむ話でもないし、また「少し不思議」という言葉を聞けば、多くの人が「すこし・ふしぎ」というSF定義を思い浮かべる以上、この話には不適なタイトルであることは作者自身もわかっていたはず。そのうえで「少し不思議」というタイトルをつける必然性が、この短い話のなかでは、あまりにも足りないように思えた。
加えてこの話の肝であるミステリ風な時間操作をおこなっているのにもかかわらず、構図の反転が一切ないように思われるのも、話が空振っている原因だろう。
 これはおそらく、ただたんに、起承転結の話の順番を入れ替えただけにすぎないからだ。結、起承転、では、話をだんだんと不穏にしていくこともできないだろうし、素直にお話の最後にピアスを吐き出させたほうが気味の悪さが残ったのではないか。
 また、文体に関して気になった点。ほぼ一行で改行するくらい文章にこだわっているのなら、より強烈なこだわりぶりがほしかった。これは、さきほど述べたタイトル同様、必然性の問題。「矢張り」や「厭」といった漢字を使うかつ、まったく漢字を開かない一人称の文章を書こうという気概は読んでいてわかるのだが、にもかかわらず「コスパ」という略語が急に出てきたときは、言いようのない脱力感が。作者のこだわりかとおもいきや、ただの雰囲気に成り下がっているように読者は感じるのではないか。

 とここまで書いてきて、どうやら作者は「女→男→女→男」視点で話を書いていたらしい、という話を聞いた。
 だが、そうなるといくつか疑問点が生まれてしまう。正午から呪術をおこなって、一時間ほどで女性が死んだことになっているが、一時間前に呪術をおこなうことと、依頼者の名が相手に伝えられているにも関わらず、わざわざ酒場まで行って、そのことを忘れようとするだろうか。しかも先に同じ呪術祈祷社に依頼をおこなったのは女性のほうであるし、女性側の依頼内容には「殺害」とあった以上、女性にとっては呪術というものは現実味のあるもので、むしろ忘れるどころではないだろう。
 逆に常人にない考えの持ち主なら、呪術に頼るくらいには思ってくれていた、と祝杯のひとつくらいあげるといった描写にしてしまったほうがまだ説得力のあるように思えてしまう。ほかにも具体的な文章の問題を言うのであれば、女性視点にもかかわらず「女性用ピアス」と書くことに違和感を覚えるし、男性と女性視点における文章の書き分けが徹底されていないことも問題。トイレで吐いている描写のなかに「一度流さなくちゃ。」という表現があり、作者の目論見を知らないときは、奇妙に思っていたが、そのすぐあとに「早く出さなければ。」とあったため、結局作者の書き方にブレがあった程度にしか思えなかった。もしこれが、視点の変化を表していた伏線だとするのならば、あまりにも投げやりな表現だろう。読者は作者の表現力の低さとしてしか捉えられない。結果として、読者はまずどうやっても、作者の目論見には気づけない。
 叙述トリックをちゃんと施したいのであるならば、細心の注意が必要であることくらいは、ミステリを少しでも読んでいる人間ならばその程度常識のはずだ。
中途半端にやってしまっては、作者の思考の安易さ・拙さを露呈するだけだと肝に銘じるべきだろう。


「トージ」小浜百
 生意気な女刑事を探偵役としたキャラクター小説、という印象が強く伝わった。
 コンセプトが伝わるというのは大変よい。なんでもかんでも詰め込んでしまうのが、大学生の小説には多いので、一本筋の通ったストーリーは読んでいて心地よかった。男の刑事の一人称についてもフランクな口語であるものの、基本的に読みやすい文章で、書き慣れている印象がある。ただこちらも「初恋図書館」と同様に、推理に現実味が、というより、全体の思考が甘いように思えた。特に常識的な方面において。
 語り手の亜久が刑事として優秀かどうかはわからないが、さすがにある程度の人生経験をもった刑事が「自分の家で淹れてきたコーヒーを持ち歩くなんて、やっぱり病気」扱いするのはおかしい。マイ水筒やマイボトルを仕事場に持ってくる人は多いだろうし、「寒空」という描写からして、温かいものを水筒に入れるくらいは、常人の思考回路の側にあるだろう。コーヒー中毒どころではないコーヒー狂、といったキャラクターの奇抜さを出したかったのなら、鞄の中に五、六本の水筒が入っているくらいのキャラクター描写にしてもよかったのでは。
 また、話のキーとなる被害者の着ていた「ラジェスト」というメーカーのパーカー。これに関する描写がちぐはぐである、という印象。ほとんどの登場人物がそのメーカー名を知っているということは、有名衣料メーカーやスポーツメーカーのものだと思われるが、それにしてもパーカーが一着「千五百円もする」という証言は奇妙。この金銭感覚は中高生レベルなのでは。価格帯からするイメージとしては、ユニクロといった量販店のものに思えるが、金まわりのよい登場人物が着ていた高級品の服という印象にはならない(冒頭の「ブランド」という証言とも矛盾する)。むしろ一着数万円の服(男性ファッション誌をみなくとも、そういった服があるのは通販サイトをみればわかるはず)を何着も自慢している人間が、なぜか特定の日に値段の安い量販店の服を着て出かけるといったほうが、謎を引っ張れそうなものだ。とはいえこういった量販店の服にすると、着ている人の数が増えるので、証言の正確性がなくなるし、お話に必要なお約束と考えておけばいいのだろうか。
 最後に致命的な問題として、「胸のあたりにラジェストのロゴマーク」と供述したのが、解決編まではタクシー運転手しかいなかったという点。奇妙な依頼を受けたから、服のメーカーまで見ていたというのは筋が通る。タクシー運転手の視点では、乗せる客の背中を見るタイミングは少ないし、証言としては矛盾がない。けれどもそのいっぽうで、肝心の冬沢による「胸のロゴ」の供述部分が省かれているのは致命的だ。おそらく冒頭のサラリーマンの証言が冬沢の目撃証言なのだろうが、そこにはロゴに関する証言がない。これでは伏線の欠如といわざるをえないだろう。その状態で最後になって「胸のところにロゴ」という発言をたまたま引き出して逮捕というのは、手順としては雑すぎる。「事件当時、被害者の背中のロゴを見たあとに、過去に現物を量販店で見たことを思い出して、証言を間違えた」くらいの言い訳で、その程度はくぐり抜けられてもおかしくはないからだ。推理小説において、証言は曖昧にならざるをえないので、決定的なミスでないかぎり、証拠として読者を納得させるのは難しい。今回の場合は犯人のみが知りえた情報ではないのだから、なおさらそう言える。これでは最後に出てきた人物が即犯人、というあまりにも雑なオチになりかねない。

 キャラクター小説としてなら、伏線がやや曖昧であってもよいかもしれないが、もし今後作者がミステリをしっかり書きたいと思うのであれば、演出方法やトリックなどに対して意識的に読むようにして、その都度自分ならどんな演出にしただろうか、と考えてみたらどうだろうか。加えて、読んだうえで、説得力のあった話(面白かった話でもよい)と、そうではない話のどこに違いがあったのか、そうした点を突き詰めていけば、自分なりにどのようなトリックを作り上げていきたいか、使いたいのかが見えてくるのでは。使ったトリックがいわゆるあってないようなものであったので、自分が考えたいトリックが思いつかなかったのだろうか、と思い、いちおう提言してみる。


「狂人たちの悪意」紀能実
 冒頭のうわさ話じみた導入は、これからの何かが起こりそうな雰囲気、少年探偵団といったものを想起させて、好印象。少年たちの会話して考えていくというのも、ジュブナイルっぽさを醸しだしていたので、そのあたりはとても楽しく読めたし、作者もそのあたりを書きたかったのだろう、と想像できた。個人的には終始、こうした少年探偵団じみたワクワク感、冒険感が持続していればよかったが、作者が手当たり次第に書けそうなものを書いたがゆえに、バランスの悪い話になったように思える。具体的には、話の流れが、少年探偵団→本格ミステリ→サイコサスペンス→二時間ドラマ的オチ、という展開になっていて、終盤になるにつれて肩透かし感が増すようになっているということ。短篇で殺すような人数ではないだろう。そのおかげで、ひとつひとつの事件の扱いが雑になっているし、最後の探偵役の「いや、俺が死んだら〜」という台詞もどこか、取ってつけたような印象だ。
 また、意図するにしろしないにしろ、作者にとっての都合の良さが見え隠れするのはよくない。特に、登場人物の頭が意図的に悪く書かれているのは重大な瑕疵。論理の隙間や、疑問点がいくつも生まれてしまうし、「なぜ?」という気持ちが読み終わったあとも読者側に残ってしまうからだ。
 まず、二度目のカメラが壊されるさい、わざと中古かジャンク品の安いカメラをもうひとつ用意し、プレハブに配置しておいて、そこを別のカメラで撮影しておくくらいはできたはずなのに、なぜしなかったのだろうか、と思ってしまう。それがなかったために、最後になってあかされる、犯人を動揺させた論理もいまいちよくわからない。聖悟が言葉を濁した含みが伏線であるように書かれていたが、探偵役が一方的にメタゲーム(読み合い)に持ち込もうとしただけであって、ほかに証拠はない。犯人がそれに釣られようが釣られなかろうが、論理的な証拠(伏線)にはならないことは明白だ。なぜならその時点では、犯人は外部か内部か、判別のしようがないからだ。そのため「普通の犯人であったらカメラに電源が入っていない時点でカメラを壊すことはしない」という結論は短絡的すぎるように思える。当初あったはずの「警告」の意味合いを持たせたいのであれば前回同様に壊すのはごく自然であるし、近くにほかの人間やカメラの気配がないのなら、壊すことのほうに向かうのは当然。最初から首を切られたネズミが置いてあった以上、痕跡を残したくないといった発想には向かわないはずであるし、もし状況が変わって、痕跡を残したくなくなったのであれば、カメラを盗んで、どこか別の場所に捨てることも考えてもいい。ゆえに「壊す/壊さない」の二択に持ち込んだのは探偵役の思い込みでしかありえない。
 もし、さきほど言ったように、複数のカメラを仕掛けておいたうえでその両方が壊されたのであれば、推理の材料にはなるかもしれない。もちろん、これだけで犯人が絞れるわけではなく「学校側からしか見えない場所に置いたはずなのに壊された」といった状況を加えるなどする必要はあるだろう。
 また、別館の殺人に関しても、ドライバーで取手をはずしたなら、血痕のつきかたが不自然になるはずで(ネジに血がついていなかったり、取手の一部分が血に濡れていないなど)警察がそこに気づかないということはありえない。わざわざ警察が持っていたのだから、本来ならこの時点で他殺であることは確定できるはずだからだ。
もちろん、スキャンダルの発覚を怖れて加賀谷の父がもみ消したというのならば、そこでエクスキューズはできていると考えてもよいか。
しかし、それでも結末は腑に落ちない。まず伏線の欠如という問題点がある。話の終わりになって急に現れた麻薬では、読者は納得できない。
また、話の焦点があからさまにズレている点も問題。いままで本格ミステリ(示された情報から犯人を指摘できるミステリ)的な記述を展開してきたはずが、結末ではサイコサスペンスに変貌してしまっているからだ。これでは肩透かしと言われても仕方ない。
 最後に、終始疑問であったのが、探偵役である聖悟の行動。なぜ、犯人が自分たちのなかにいることを、語り手である拓也だけに話したのかがよくわからない。自身が犯人でないという自覚がある以上、三分の一で殺人犯にあたるにもかかわらず、なぜ特定の相手に情報を与えたのだろうか。冒頭のカメラの不徹底さや、曾根崎の死のさいに聖悟が簡単に拓也を見失っていたことからして、探偵役の聖悟の行動はどこか間が抜けているようにすら思える。加えて、最初の殺害の動機にしても、たかがそこで菓子の袋の欠片を拾ったくらいで麻薬所持が露呈すると考えること自体、発想が飛躍しているように思えるのだが、どういうことか。ふつうの高校生が麻薬を検査できるとは思えないし、拓也は以前から身の回りの人を殺そうと思っていた、程度に考えるべきなのだろうか。しかし、だれもが出入りできる廃坑ならば、ごみのひとつやふたつ、落ちていてもおかしくはないし、そこで見つけたものを取っておくようにさせて「落としたら大変」とまで言っているのは不可解。だとするなら、聖悟は麻薬常習たちの行動を理解したうえで、なにか行動にでるよう、促したのではないか。「悪意」の持ち主は「狂人たち」であるとタイトルには示されており、複数形なのは意味があるのか。おそらくひとりは実行犯であった、拓也。そしてもうひとりはそれを影で操ろうとした聖悟、という妄想じみた解釈になるのだが、これは作者が意図したものではないだろう。素直に読めば「悪意の持ち主」はひとりだが、人格の数は複数だった、というオチを狙っていたのだと考えるべきなのだろう。

 もし作者が本格を書きたければ、短篇で複数の事件を扱うのでなく、一回の事件をしっかり書いてみたほうがいい、謎の焦点がくっきりする。それで鋭い切り口をみせればいい。ジュブナイル的なものが書きたければもっと長い話にしたほうがいい、短い部分では伝えたい話も書ききれないだろう。そうしたものを練習したうえで、もう一度、ジュブナイルふうで本格も混じったものに挑戦してみたらどうだろうか。少しは書き慣れていくのではないだろうか。


プルーフゲーム」八場置氏
 ハッタリの利かせ方はおそらく、今回のカメレオン創作では一番だろう。イタリアの教会から見つかった手記をもとにしたフィクションという形式を取りながら、読者が「ある著名人」の名によって誤導されてしまうようになっている手腕はとてもクール。作中の転落事故(雪で一筋の足跡)に関する登場人物たちの推理はいわば「毒チョコ」風、海外古典短篇風の根拠のない議論の応酬でありながら、そこでも物語のディティールを稼いでいる。加えて名前に誤導された読者は、序章におけるキャラクター描写とお約束の形式に否応なく引っ張られるし、読者の思考停止をその議論でうまく引き出している点も作者の狡猾さの表れだろう(情報が後出しされれば真相が変わることを暗黙のうちに読者が理解して、推理を放棄してしまうため)。
 またこれが「和訳」である点が最大の伏線かつ、アンフェアぎりぎりのトリックになっている点は注意すべきだが、
その点は作者のねらいであるし、「役者まえがき」が伏線になっていることを留意すれば、誤導した人物について、そこまで知識がなくとも真相は見抜ける(かもしれない)。少なくとも、重要人物の片方に関する知識を持っていれば、結論に至るまでそれほどの難しさはないだろう。
和訳であることがトリックとなるものは前例があったような気がするが、なにかあっただろうかと思っても思い浮かばなかった。自分の読書量の低さを感じた。言語を扱うという点で近いのは「文法の問題」だろうか。ほかに気になった点としては、タイトルの「proof」という英単語には、「証明」という意味でだけでなく、「校正」という意味があったということ。文章を直せ、というダブルミーニング的なメッセージに読めた点は好印象。
 おしむらくは、このトリックが短いページ数でしか成立しないこと(長くなればおそらく粗が出る)で、それゆえのハッタリであることか。そして、作者によるエクスキューズがすべて、まえがきに書かれた「訳者の語学力の拙さに起因」してしまうという点は、かなり黒に近いグレー。せめてまえがきにあった「ある著名人」という記述を「ある歴史的に有名な人物」に変えてより正確な記述にするか、大学の教授の生徒が、とある文献を素人訳で提出したことにして、推理小説好きの友人にそれを見せたなどにしたほうが比較的フェア性は保てるはず。とはいえそうして、文章がさらに長くなるのはトリックのデメリットを増やすことになりかねない。語りの問題である以上。
今回のカメレオンで最も完成度の高い、十分面白い短篇であることに間違いない。アイデア勝利の一編。文句なし。


「双子信仰」夏原冬樹
 沖縄のとある島を舞台にした、民俗学がテーマとなる殺人事件。材料はとてもよいものを選んでいると読んでいながら関心した。ただ基本的には王道トリックなのだが、そこにヒネリが感じられなかったのがもったいなくも感じた。こういうタイプのものは使い古されているネタであるがゆえに、状況から、確信となるネタを知っているか知っていないかで読者が驚けるかどうか左右されるので、あまりオススメできないからだ。一回きりのトリックが量産されては面白くない、というのはだれもが納得できることであるし、むしろ、使い古されたものであるがゆえに、読者がネタを思い浮かべるのを逆手に取った話を期待してしまった。新規性はなくともよいが、やはりヴァリエーションはほしいところ。
 加えて、もうひとつの核となるトリックのほうだが、犯人は「なにを使って」凶器を手に入れたのかが明示されていない点は重大な瑕疵と言える。十五年前の儀式の過程で仕込まれたのだから、簡単には手に入れられるようになっているとは思えないし、もし素手でそれをおこなったとしたというのなら、犯人は島を訪れたものたちに見つかるリスクを背負うことになるはず。しかしそれに対するエクスキューズ、そうまでするメリットが作中の描写にはないように思える。せっかく「飛行機に持ち込みが制限されている持ち物」が島に持っていけたはずはない、という限定された場所におけるロジックが働いているのだから、それをうまくこねくり回してみせてほしかった。だが仮に犯人がスコップを持ってきたとすると、それで十分人を殺せる凶器となってしまうため、論理が瓦解する可能性もある。作者はそれを回避したかったのかもしれない。
また電波状況の話に関しても、結論にあわせて推論を提出したようにしかみえず、具体的な説得力はない。それこそ主人公たちと教師の電話も、スカイプやラインかなにかを使った無料アプリでの通話にしてしまえば、それゆえの電波の粗さなどになって、比較的説得力がでるようにも思えたのだが。とはいえ、沖縄の電波状況はいまいちわからないので、なんとも言えない。

 ほかに気になった点としては、話が駆け足気味だったこと、島の見取り図が不鮮明だったこと、洞窟の奥には何が書かれていたのか、ということ。おそらく作者がそこまで書ききれなかったのだろうが、さきほども書いたように、材料はよいのだから、もっと洗練させてみてほしい。魅力的な舞台設定を活かすためには、文章量が必須であるし、犯人を指摘できるようなものに書き上げるためには根気がいる。カメレオンの創作のなかで最も本格趣味がみられたものであったがゆえに、ぜひともより満足の行く次回作を書いてほしい。短篇であろうと、長篇であろうと、切り口はたくさんあるはず。


「クローズド・サマー」さいとうななめ
 自分の書いたものなので、作品の良し悪しは判断できない。
 以前かくれおんに載せた「水たまりの町」の改題・改稿。当初の考えていた水没モノとはまったく違うものになったのは確か。
サークル内には、SF作品の話がほとんど通じないことがわかったので、モチーフとなった主な作品とその経緯くらいは羅列するべきだと思う。順不同。
「〈機械の夏〉」は、ジョン・クロウリー『エンジン・サマー』より。文明崩壊後の人類を描くSFファンタジー小説。〈しゃべる灯芯草〉の感情をクオリアとしたのは個人的な解釈。
「〈孤独の人〉」は、レイ・ブラッドベリ『たんぽぽのお酒』より。少年の、イリノイ州のひと夏を描いた作品。そこで言及される〈孤独の人〉は死のメタファー。父の口癖も主人公ダグラスの台詞から。
「ゴルディアスの結び目」はもちろん小松左京「ゴルディアスの結び目」より。言及されている「サイコ・ディテクティブ」は厳密には「サイコ・デテクティヴ」なのだが、『NOVA10』収録の瀬名秀明「ミシェル」では「サイコ・ディテクティヴ」と表記されていたので、そちらに合わせることにした。と思ったらディテクディ「ブ」と表記してしまっていることにいま気づいてしまった。やんぬるかな。
「時間はだれも待ってくれない」という言葉は、そのまま、ミハウ・ストゥドニャレク「時間はだれも待ってくれない」より。消えたはずの都市が蘇ることはもともと考えていたことだけれども、イメージとしてはこれが一番近い。
「限りない夏」という言葉もほぼそのまま、クリストファー・プリースト「限りなき夏」から。他者によって時間の流れからを切り話されてしまう不条理な話なのだが、付箋や栞を挟んで本を読み返す自分たちのようだと思っている。
「〈天気輪〉の柱」は宮沢賢治銀河鉄道の夜』より。解釈の仕方でその定義が変わってしまう言葉というのが、とても魅力的に思えた。文脈と理解という話にとても合う気がしたからだ。復興とナショナリズムはどうしても引き合うものだと思うけれども、もしある種の無文脈・可変的な存在がそのシンボルに成りうるとしたら、と考え、その言葉を使うことにした。
「歴史的な書物を模して、幻想的な都市の数々をめぐった旅を語るもの」はイタロ・カルヴィーノ『見えない都市』。主人公が言及している都市は「都市と死者2」、アデルマのこと。
「海の上に住む老人を主人公〜住居が積み木でできた塔のようになった」アニメーションは『つみきのいえ』。
集合的記憶」はモリース・アルブヴァスクという社会学者が提唱した概念。定義は作中で主人公が述べたとおり。「集合的無意識」ではない。クオリアとの結びつきに関しては、自分の妄想。
 ほかにもいくつか意識した作品はあるが、とりわけ瀬名秀明の諸作品の影響は大きいと思っている。上記の作品を読まなくても理解できるようにストーリーを書いたつもりだが、わかりにくい部分があるとすれば、それは自分の技術力のなさがそうさせているのだと。


「チェイン・テラー」才起不能
 カメレオン創作内ではかなり多い、40ページ。第三章までが都内で起きた奇怪な殺人事件を扱っていて、その後は宗教団体による武装蜂起、立てこもりと荒唐無稽な筋書きを出していく点は構わない。むしろ描き方によってはスリリングなエンターテインメントに仕上げられる材料だと思うのだが、自分が読んでいくなかでどうも温度差を感じたので、楽しむということはなかった。人が大量に殺されているような状況にも関わらず、主人公はネットでたいていネタとして用いられる言葉で物事を考えたりしているし、正直なにを考えているのかがよくわからない。またこの視点では連続した二文の内容がまったく逆のことを示していることもあるので、どうもなにが起きているのかもわかりにくい。
 加えて、事件のディティールもかなり曖昧。「全身の骨を折られ」た死体を作者がちゃんとイメージしているようには思えない。ハウの謎かと思いきや、話の後半になるとこの事件に言及されることはなくなる。次なる殺害場所を探偵が推理する場面にしても、結局、なぜ連続殺人に主人公の母親が巻き込まれたのか(こちらは骨を折られたりしたわけではない)ということに対する答えはないし、その推理の過程も連想ゲーム程度のレベルだ。結末にしても、警察が機能不全に陥ったとすることが発覚しても警察の仕事はなくならないので、組織再編になるのではないか。もちろん対テロ対策費用は増えるだろうが、作中で示されたような落とし所は取ってつけたような印象が残る。
 結局、作者が行き当たりばったりで話をでっち上げ、キャラクターを好きなように動かしただけ、としか思えない。シリアスとギャグの区別もないため、文章のリズムや緩急もつきにくい。エンターテインメントにはなっていないと感じた。

 読者がこれを読んで面白がるのは、話が面白いということよりも、迷走具合であったり、引用しているネタそのものの面白さではないか。だから作品そのものの内容と、こうした面白さが有機的につながっているわけではないことを作者は十分に理解しておくべき。そして、そうしたところで満足してしまってもいいのか、と個人的には疑問に思うのだが。


「三角の芽」小春
 過去のカメレオンにも載っていたシリーズキャラクターを使った、日常の謎風の作品。可もなく不可もなく、といった内容だったので、そこまで言うことはない。
 ネタに関しても使い古されたものであるし、作者としてもそれを使って驚かそうという考えもないのだろう。そのため、ミステリ、というよりは青春恋愛もの要素が強い。
 とはいえ、これにもやはり厳しいところを入れるのであれば、話としては中学生向けだろう、と思ったことくらいか。さすがに大学生を間近にした高校生がここまでの行動をとるか、と言われると微妙なところだ。


「亜風亭事件」伊吹亜門
 こちらも40ページ。なにより、これだけのページ数をもった本格モノを会員が書いてきたことが、サークルに在籍しているなかではじめてだったので、素直にうれしくある(会員たちはみな、こそこそ新人賞に応募していたのかもしれないが)。
 幕末の京都を舞台とし、尾張の公用方として架空の人物を配置した時代ミステリ。歴史に詳しくないものだから、ところどころで史実なのかどうかわからなくなってしまうことはあったが、それを差し引いても読ませる内容だったと思う。まず、幕末という時代背景を説明しつつ話を進めていくなかでも、特にもいたつくことはなく、文章それ自体が明快だったことが大きい。加えて、あの時代に密室という状況の奇妙さも、なぜ密室である必要があったのか、というエクスキューズがしっかりと書かれていたこと。このことで密室が単なるミステリ趣味ではなくなっており、事件解決時に密室の必然性がよくわからないということもなくなっている。つまり、ストーリーとミステリ要素がうまく噛み合っている。正直、密室構成トリックよりも、こうしたエクスキューズや、トリック看破後に不明瞭だった点を回収して目的をズラしてみせる手順のほうが個人的には評価したいところ。トリックそれ自体に関しては、条件が絞られれば絞られるほど、地味なものにならざるをえないので、特に言うことはないからだ。
「目張り」という点に最初から着目しておけば、最終到達地点はわかってしまうのであるから、それをいかにみせるかが問題であって、それができていたのだから十分な力作とみるべき。
こういった作品を以降ほかにも書いていくのかはわからないが、読みたいと思う。


 最後に、有栖川有栖本格ミステリの王国』に、「新しい星へ」という文章が載っている。
 『本格ミステリーワールド2009』が初出。ようは新人賞に応募しようと考えている人に対して、有栖川有栖が述べた言葉だ。短い文章だが、新人賞に応募しようとしなかろうと、それはミステリを書きたいと思う人に対しての金言となることは確かだと思う。内容と文体のマッチングについてや、叙述トリックは場合によっては「私はコント専門で小説が書けません」と宣言するようなもの、といった言葉も書いてある。なかなかに辛辣だが、それだけジャンル小説はルールの縛りがあるのだ、ということでもある。同書には有栖川有栖による推理小説の賞への選評や類別トリック集成の解説のようなものも収められているので、読んで損はないだろう。本格推理小説の書き手・読み手がどんな視点を持っているかがよくわかるからだ。

本格ミステリの王国

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