ミステリ短篇深夜徘徊その3 大山誠一郎「佳也子の屋根に雪ふりつむ」

前回の最後に書いたように、「偶然」について扱おうと思っていた。
自分が本格ミステリ(のようなもの)を読んだり、書いたりするなかで、謎の人工性とリアリティの問題を何度も耳にし、どういうものか、一度考えてみたかったからだ。特にこの短篇は、ネットではあまりよい評価を得られていない、かつそれなりの数の人に読まれていることもあったので、考えを練る材料としてはちょうどよかった。自分がそこで語られている方向にそこまで賛同できない、ということも書く動機にはあったのだと思う。「偶然」についての考え方は、比較的普遍性・妥当性のあるものだと思うので、結果として、この文章も解説に近いものになってしまった気がする。とはいえ議論の材料提供としてはこのくらいのほうがちょうどいいのだろうか。



推理小説の世界においては、偶然は必然である」
 ミステリを読むようになってから、何度か聞いた言葉だ。
 おそらく、推理小説のそこかしこに偶然という因子がはたらいていることを揶揄していったものなのだろう。不可能状況である密室が生まれた理由や、荒唐無稽な犯行を成功させてしまった犯人、探偵が証拠を発見するタイミングなどなど、いわれてみれば、たしかにいくつも例が思い浮かぶ。まさしく神の見えざる手として、ミステリ作家たちは偶然を用いているようである。
 偶然と聞いてふと頭をよぎったのが、大山誠一郎だ。『密室蒐集家』は本格ミステリ大賞を受賞したにもかかわらず、アンフェアであるとか、ご都合主義だといった不満の声もあがっている。推理の冴えをみせてくれるいっぽうで、事件にはたびたび偶然が作用している点がマイナス要因になっているというのだ。
 けれども、多くの人が口にするこの偶然という言葉。状況を示すにはあまりにも曖昧なタームであるように思える。この短篇集のなかでも、とくに多くの賛否を集めている「佳也子の屋根に雪ふりつむ」を手に、一晩、この偶然について考えてみようと思う。

■物語の概要
 元日の夕暮れ時に睡眠薬自殺を図った笹野佳也子は、香坂典子の病院で目を覚ます。典子は林の中で倒れていた佳也子を見つけ、運んできたのだという。典子の勧めで友人に電話をし、目覚めた一日をベッドで過ごした佳也子は、高坂のつくったシチューを食べたあと、眠りに落ちる。
 チャイムの音で目をさました佳也子のところにやってきたのは警察だった。聞くと、典子が殺されているという匿名の通報があったらしい。そして佳也子たちはダイニングキッチンで左胸に包丁を刺されている典子を発見する。
 事件当時、病院の周囲には典子の足跡と思われるもの以外残っていなかった。そのため犯人は佳也子でしかありえない、と警察は主張する。
 だがそこに密室蒐集家が現れ、事件の真相を推理してみせる。

■密室蒐集家という探偵
 まずここで、いったんこの短篇集に出てくる探偵役、密室蒐集家について整理しよう。この探偵、少なくとも普通の人間ではない。六十年ものあいだまったく年をとっていないようであるし、突然現れたかと思うと、推理を披露し、煙のように消えていく。超自然的な存在だ。
 にもかかわらず、この探偵役が推理に使う材料は、あくまで読者と同じ情報であるという点は注意すべきだ。フェアな推理小説であるからには超常的な解決法を用いないのは当然だろうが、こう考えると、密室蒐集家が現れ、事件を解決するということは、読者にも推理可能な事件であるという作者からのメッセージにほかならない。
 では、不満をもっている読者は、この事件の記述がアンフェアなものであると言いたいのだろうか。

■フェアプレイの基準について
 この探偵役の特性から考えるに、フェアかアンフェアの基準は、密室蒐集家の辿る推理が、読者側にも可能であるかどうか、という点だろう。ではアンフェアである場合をざっと列挙してみる(穴があるかもしれないが)。

1.読者の知りえない情報(証拠)が推理の材料に用いられている場合
2.推理の材料が足りていないのにもかかわらず推理がおこなわれている場合
3.推理の根拠として不適切なものが論理に組み込まれている場合

 1は超常的な解決と同義である。2は仮説でしかなく、論理の正しさは保証されていない。3は前提が間違っている。またこれらが複合的に起こる場合もあるだろう。ゆえに、こうした状況に当てはまらないのであれば、フェアであるといえるのではないだろうか。

■証言の矛盾から密室の謎に至るまで
 密室蒐集家がまず指摘するのは、佳也子の証言と、気象台の情報の食い違いだ。気象台は故意にまちがった情報は流さない。ゆえに、佳也子の証言がまちがっている可能性に至ることは可能だ。
 佳也子が睡眠薬を飲んだのが、元日の夕暮れで、死体を発見したのが、四日の朝。そして佳也子の見た雪が三日のものではないことから、それが二日の雪であるということは、消去法によって十分に推理できる。携帯の日付が客観的情報にならないことも二〇〇一年という年代と、細工の時間があったことを考えればクリアできる。

■ブーツの足跡について
 時間の誤認に気づくことができれば、残る問題は足跡になる。この点に関しては密室蒐集家がほぼ解答を指摘している。

「(…)また、被害者のブーツは新品で、足跡にそのブーツ固有の特徴がありません。だから、足跡は犯人が同じ種類のブーツを履いて残したものであってもおかしくないのです」

 少なくともこの記述から、第三者が病院内に出入りしていた可能性は示されている。かくして密室トリックを解くための材料は揃った。そして、事件に関与していた可能性のある人物のうち、故意に嘘をついていたと思われるのは被害者の高坂典子と、三沢秋穂。あやしいのは三沢秋穂ということになる。

■偶然を必然に変える推理
 また、偶然の連鎖によって事件が複雑化し、密室が構成されるに至ったことがあまりにも荒唐無稽であるという指摘がある。
 読者が意識するであろう偶然はおそらく三つだ。第一に、佳也子が典子の病院のそばの林で自殺を図ったという「きっかけ」。そして第二、第三に、二日と三日とで雪がやんだ時間が同じであることと、秋穂の典子のブーツがまったく同じだという「天の配剤」。
 けれども、予期せぬ偶然を犯行に利用するのはむしろ合理的であるし、トリックを導く論理構築が雑というわけでもない。第二の偶然は推理によって導かれているし、第三の偶然も、第三者が病院に出入り可能であったという密室トリックの看破によって導き出された可能性だ。つまり、こういい換えることができる。偶然が起こったという伏線は示されている。
 この推理では、たんなる偶然が、推理によって唯一解という必然へと変貌する。けれどもそれは多くの人がいうような、荒唐無稽な発想の飛躍やトンデモ推理といった類のものではない。密室蒐集家はこのトリックを導くために、他の密室構成の可能性を刑事とのディスカッションでひとつずつ切り捨てている。そうしたうえではじめて「偶然は必然」たりうるのだ。
 そう考えると、観測不能の偶然を推理に組み込むということと、推理によって導かれた偶然を根拠として用いるというのは、まったくの別物であるということがわかってくる。偶然をたんなる作者の都合であったり、お約束やギャグとして流してしまうのは、無批判に推理を受け入れることと変わらない。

■偶然と必然のあいだに
 けれどもじつのところ、この短篇にはひとつ問題がある。密室の謎は解くことができても、犯人を指摘する材料は不足しているのだ。
 密室蒐集家が秋穂を犯人とするおもな理由は、密室を構成することができた人物、すなわち佳也子が時間を誤認していたことを知りえた人物であるという点だ。しかし、これでは秋穂以外のだれかが典子を殺したさいに、伯父殺しのアリバイ工作に関する情報を聞いたという可能性を否定できない。
 密室を構成するブーツを偶然手に入れる可能性はだれにでもあったのだから、ブーツを履くことのできた洋子もまた容疑者として浮かび上がるはずなのだ。ゆえに、三沢秋穂だけが犯人であるという解答には辿り着けない。もし秋穂を犯人として指摘するのであれば、洋子にアリバイを与えるか、ブーツで歩けなかった理由を用意しなくてはならない。
 にもかかわらず、作者はそれをわかっていながら必要な描写を書かなかった節がある。被害者の足跡が問題となる作品において、わざわざ洋子を「小柄で華奢なからだつき」と典子と同じ描写で扱っている点がにおう。
 この短篇のアンフェアさを指摘するならば、本来はこの点であるべきだろう。意外な真相を演出するため、そして推理のアクロバティックさをみせるために、ほかの容疑者の排除という重要な手続きを、厳密ではない方法で済ませてしまっていることは言い逃れできない。
 とはいえ、こちらの神の見えざる手を指摘する人が少ないのは、決して偶然ではない。そこには一読した者を幻惑させるような、推理のつなわたりとしての魅力がある。たった一筋の推理が真相を見出すというドラマ性があるのだ。
 手順を多くして推理を強固にし、読者を納得させることは可能だ。けれども安定した足場での曲芸は、きっとつまらないものに見えるにちがいない。

■補遺というかあとがき
 フェアプレイの基準については、文字数の問題でざっくりとした分類にしてしまった。もちろん細分化したほうがよかったのだけれど、よくよく考えてみると、これはフェアプレイというよりも推理の妥当性の問題のような気もしてくる。これはたぶん、ひとつまえの「除夜を歩く」に内容を引っ張られたからで、判断の基準として「犯人当て」として成立可能か否か、ということを考えていたからだろう。大山誠一郎が京大推理研出身だった、ということも自分の頭のなかにあったのだと思う。
 この夏、こうしたことばかり考えていたせいで、つい最近まで頭が本格ミステリ一辺倒になっていたようだ。いや、SFもどきのような小説も同時進行で書いていたのだけれども、自分のなかにあるものさしとして、「本格」というものがさらに強固になったのは確か。こうした文章を書くために短篇を読み込んで分解する作業をしていくのだけれど、最終的にどこまで自分に還元できるのか、いまだに自分でもわかっていない。わからないからこそ、深めるのだし、書いている。なので、と言えるかはわからないけれど、最後の四つ目は、北村薫と「探偵」の問題について考えることにした。

密室蒐集家 (ミステリー・リーグ)

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