2014年5月

(P[に]2-3)林の中の家 仁木兄妹の事件簿 (ポプラ文庫ピュアフル)

(P[に]2-3)林の中の家 仁木兄妹の事件簿 (ポプラ文庫ピュアフル)

法月綸太郎がクイーン国名シリーズを引き合いに出すくらい勧めていたというのをネットで見た。読んでみて、なるほどと思った。精読したわけではないので正確にはいえないが、いわゆるフーダニットとしては期待しすぎた印象。消去法的な推理によってひとりを導く、というものでもなかったため。ただ「なぜあのとき登場人物はこうしたのか?」という疑問が複数出てくるのに対し、それぞれのエクスキューズがべらぼうにうまい。メイン部分だけだったら中短編になるだろうプロットを錯綜かつ登場人物を増やしてわかりにくくさせる、場合によってはコスい手法もそこまで気にならなかった。どうしてだろうと考えてみたが、おそらくプロットの流れが黄金期の海外長編に近かったからではないかと思う。情報が整理されつつあるところに第二の事件が起きたり、意味不明な状況が追加されたりする、あの感じが仁木悦子の文体で再現されている。残念だったのはそれといっしょに悪い部分も再現されてて、あっさりとした解決で終わってる(熟慮の余地がない)ところか。良くも悪くもプリミティブ。

パズルシリーズ最終作。解説には「真相に至る手がかりは、はじめから大胆に配されている」とあるけれども、本格パズラーとして読むのはだいぶ厳しいのでは。伏線の配置よりも厚かましい人物の描写が面白いのであって、終盤の二転三転が際立つのもそれがあるからだと思う。それにしてもあっさりとしている印象。夫妻の危機に関しても『巡礼者パズル』を経たせいか割と冷静に対処するし、ダルースから蜘蛛扱いされるナニーも描写としてはそれほど重々しくない。誰も信じてくれないサスペンス状況は読んでて楽しいのだけれど、楽しんでいるうちに気づいたらラストになっている。パズラーからサスペンスに向かっていく過渡期(クエンティンは本作以降ひとりでの執筆になる)からなのかわからないが、シリーズをまとめるにしてもとりあえずの手探り感があってまったく重みがないのが正直拍子抜けというか。このサスペンスふうの語り口が洗練されて、『巡礼者パズル』の板挟み的重さ(テーマ・プロット)が合わさると傑作『二人の妻をもつ男』になるので、この時点ではこんなものなのか、と思う。好みの問題なのかもしれない。安心しながら読めてかつ面白い作家ではあるのだけれど。

サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)

サマー/タイム/トラベラー (1) (ハヤカワ文庫JA)

サマー/タイム/トラベラー (2) (ハヤカワ文庫JA)

サマー/タイム/トラベラー (2) (ハヤカワ文庫JA)

いまさら読んだ。読んでて驚いたのは、現在SFマガジン誌上で飯田一史が連載している「エンタメSF・ファンタジイの構造」のなかで紹介される、人気作品がいかに読者のニーズに応えているかという項目をしっかり抑えていること。引用ではなくだいたい似たような言葉で説明すると、たとえば飯田は『図書館戦争』ではハイスペックな登場人物と、それら登場人物が持つ悩みは読者も共有できるものであることを指摘しているし、『ペンギン・ハイウェイ』では明確な答えのない問いかけを多用することで、読者に考えさせる機会を与えて、その読書体験より際立たせることを指摘している。こうした部分は『サマー/タイム/トラベラー』にも当てはまる(人気でエンタメかどうかはさておき)。ストーリーをいかに適切な形(文体・演出・キャラクターなど)でつくりだすかについてはいいかげん勉強したいと思っているので、とっかかりとして『物語工学論』は読んでみたいと思う。しかしあざとくて面白い青春小説は強いなあと実感する。

僕の光輝く世界

僕の光輝く世界

SF作家の書くミステリ。主人公の設定が設定なので、結果ワンパターンになりそうなところを、真相に登場人物の性格を絡ませたり、オチのつけかたを工夫することでそれをうまく回避している(と思う)。大技がないので、ランキングには推しにくそうなのが残念といえば残念だけれど、その主人公の趣味と設定の組み合わせて不可能犯罪・怪奇ふうの演出が現代でできるようになっていることもうまいし、前向きな性格になったあとの主人公はどこかイーガンの「しあわせの理由」を思い出させる(ミステリなので、そこから葛藤には行かなかったけれど)。それでも今年読んだ本格ミステリの新刊ではだいぶ直球な部類に入るのでは。好みではある。