2015年6月

アメリカ銃の秘密 (角川文庫)

アメリカ銃の秘密 (角川文庫)

シャム双子の秘密 (角川文庫)

シャム双子の秘密 (角川文庫)

チャイナ蜜柑の秘密 (角川文庫)

チャイナ蜜柑の秘密 (角川文庫)

スペイン岬の秘密 (角川文庫)

スペイン岬の秘密 (角川文庫)

 積んでいた越前訳(新訳)国名シリーズ後半をひとまず消化する。従来の井上訳に比べて〜とかは正直どうでもよく、現在のことばで読みやすく、簡単に手に取れる状態になったことこそが大正義。シリーズ刊行当初こそ表紙ディスがあったけれど、現在になっても同じことをしようとするのはほんらいの価値を理解していない者か、牛歩並みの刊行ペースになっている出版社*1の手の者、さもなくば老害であるので無視すればいいと思う。だれひとりとしてあなたの自由な読書体験を奪うことはできないのだから。
 国名シリーズという作品群の個々の出来をみるならば、『スペイン岬』解説にあったランキングはロジックの強度にひきよせたふうな順位になっていて至極まっとうだと思うけれど、作者によるパラノイアックな構造・モチーフの積み重ねが見える『シャム双子』を読むと、肌感覚としては、法月綸太郎が過去に言おうとしていたことはわかるような気もする。今回『シャム双子』を読んでいてとりわけ最高だと感じたのは、真犯人が指摘されるその直前でエラリーがその場にいる全員の死を思うことで(解決が現れようとするその時間が永遠に引き伸ばされるのだから、読者にとってこれほどまでに至福かつ不幸であることがあるだろうかと個人的には思う)、法月の言う「決定不可能性」がここにも顔をのぞかせているのではと疑ってしまう。その極点を越えたからこそ、犯人が明示され、「奇跡」が起きる。ご都合主義ではあるけれども、それに不思議と納得できてしまう異様さが物語全体を通してつくられていて、プロットをどうつくったかわからないと有栖川有栖をしていわしめた『ギリシャ棺』よりも魅力あるよなあ、と改めて感じた。
 それと瀬名秀明デカルトの密室』*2の終盤で、なぜリチャードと同じあのことばが使われたのだろうと長らく疑問に思っていたのだけれど、瀬名秀明法月綸太郎を介してクイーンを捉えようとしていたのだから、この引用は必然的なものだったとようやくわかったのは収穫といえる。
 いちばんびっくりしたのは、スペイン岬の登場人物一覧におけるエラリーの説明が穏やかになっていたことかもしれない。

薫子さんには奇なる解を (富士見L文庫)

薫子さんには奇なる解を (富士見L文庫)

 タイトル通り、いわゆる真相よりも面白い推理を求めるタイプなのだけれど、個々の推理がそれほど出来の良いものではないために、プロットの整合性に沿わない推理を消化するための口実に思えてしまう。ほかにもミステリマニアのヒロインが「盲点」といってしまう部分がどう考えてもミステリマニアならまず考えるだろうオチであるとか、海外作家の名前を引き合いに出しながらその作家のフォロワー国内作家とほぼ同じトリックを使っているところとか、クイーンへの愛を全く感じられない登場人物の発言(すくなくとも読み込んでいたらそんな言い方にはならないだろう)とか、瑣末な部分が気になってしまい、楽しんで読めなかった。

あぶない叔父さん

あぶない叔父さん

 探偵としての要素を排除したうえで、探偵っぽい服装をさせるっていうこと、そしてワトソン役からの無条件な承認だけで探偵としての役割っぽいなにかを叔父さんが得ているのはいいのだけれど、個々の短編の出来がよくないということの言い訳にされるのは困る、というのが読後の印象。視点人物の語りによるため、事件の余白部分が多すぎて、推理の材料さえなく、叔父さんの言っていることを信じることしか読者には許されていないことを考えるのであれば、これほど気持ち悪い話はないわけで、そのいっぽうで推理小説なんてじつはみんなそんなもんなんじゃないか? という意識が頭をもたげたりする。探偵とワトソンの見ている世界が違うのは当然で、そんなワトソン役が探偵役をヨイショするわけで。とはいえ、第一話でウサギとワニを出しつつ、まったく関連性の感じられないオチを用意しているあたりからして、読者に推理をさせる気がないのは明白であったりする。そうして意図的に思考停止させられた人間が霧のなかで「清々しい気分」になるという状況。これは一種のホラーなのか? 

妖怪ハンター 地の巻 (集英社文庫)

妖怪ハンター 地の巻 (集英社文庫)

妖怪ハンター 天の巻 (集英社文庫)

妖怪ハンター 天の巻 (集英社文庫)

妖怪ハンター 水の巻 (妖怪ハンター) (集英社文庫(コミック版))

妖怪ハンター 水の巻 (妖怪ハンター) (集英社文庫(コミック版))

 中学以来ひさびさに触れて驚いたのは、見た目に比べてかなりシンプルなつくりであったということ。インスパイアされて書かれた北森鴻の蓮丈那智シリーズを読んでいたせいかもしれないが、第一話の「黒い探求者」なんて怪異の正体が舞台となる地名のままであったりするのだから直球にもほどがある。それでいてちゃんと面白いのは、ストーリーの導線がしっかりしているからで、稗田先生の狂言回しっぷりもよくできている。稗田が違和感を覚えたものが必ずきっかけとなって物語をブーストさせるし、読者の理解と物語(あるいは怪異の)ルールづけが同時になされるよう気を配ってもいる。
 それからこの歳になって読みなおしたおかげで、PS2のホラーゲームSIRENのシリーズがモロに影響を受けていることがよくわかった。「生命の木」やそれの元ネタである隠れ切支丹の聖書「天地始之事」に似たものはたしか1のアーカイブスにもあった気がするし、村が存在しない海につながっている演出や「海還り」などは「うつぼ舟の女」、ボスキャラも「海より来るもの」に影響を受けたのかもしれない。生理的に訴えかけるものがある「産女」はまんま2の屍人のデザインに似たようなのがあった記憶がある。
 謎解きふうの旨味があるのはわらべうたのある「天神さま」で、スケール・演出的に面白いのは「闇の客人」、「海竜祭の夜」といった印象。「夢見村にて」は夢を売り買いできる村で起こる連続殺人事件を現在の作者の腕で料理しているので、もはや伝奇ミステリとして言い張れるレベルになっている。感嘆。

FLOWERS -Le volume sur ete-(夏篇) 初回限定版

FLOWERS -Le volume sur ete-(夏篇) 初回限定版

 シリーズ二作目。百合系ミステリィADV。一作目のネタバレがあるので商品クリックはしないように。前作とは違う視点人物(探偵役)に交代して、皮肉屋の車椅子少女に。一作目の視点人物が素直な性格だったのに対し、今作の視点人物はヒネクレ者なため、推理パートも大勢の人物に対して開陳するための偽の真相を先に考えるというつくりになっているのが若干面白い。愛読書は『ブラック・ダリア*3らしい。嫌な女子中学生だ……。ミステリとしては伏線もへったくれもなかった一作目(正解の選択肢を選んだあとに見たこともない証拠品が出てくるとか、登場人物の行動に一貫性がないとか色々と問題があった)に比べてプレイヤーに考えさせようという土台が存在しているのでようやく推理ADVっぽいつくりになったという印象。シナリオとしては一作目が楽しめれば問題ないという感じ。むろん京極もどきゲームのような猟奇性もない。食事シーンの積み重ねがキャラクター間の関係性の変化をそのまま説明するのはベタだけれどやはりよい。

 感じたのは、依井貴裕っぽさだ。「緑の密室」ほどではないけれど、携帯の電波などといった小道具の一昔前感は、作者がこれを書いた時期の問題なので仕方ないとして、密室とは別に犯人特定のロジックが必要とされるあたりとか。視点人物を切り換えまくる群像劇にすることで、それぞれの登場人物が思い思いに推理を展開しては否定されていくのを一冊かけておこなっていくという方法には、その手があったか、と思ってしまった。換気扇に関する知識や話の持っていき方には小手先の上手さがあってなるほどと感じたのだけれど、そういう上手さがありながらなぜ寡作だったのかと不思議に思う。