摂取記録

明けましておめでとうございます。初夢はだれとも知らない人の分厚い読書日記(手書き)を延々と読み続けるというものでした。どんな本について言及していたのかは記憶にないのですが、不思議と面白かったことだけは憶えているので、自分も見習いたいなと思います。

 一人称小説をリズムよく記述するという意味ではお手本みたいな小説。小川一水が褒めていたのもうなずけるというもの。トントン拍子に読めあげることのできる文章。ただ一話目に感じられた宝石にまつわるエピソードの面白さ(凝縮すれば津原泰水とか小川洋子とか精度の高いフィクションになりそうだと思った)は二話目以降になると鳴りをひそめてしまっていて、お話も登場人物も肉付けが弱くなった印象がある。お話の原動力となる謎についても、切り口が弱く、魅力的とはいいがたい。たしかにお話としては登場する宝石がキーではあるのだけれど、ただそれにまつわる逸話やうんちくに当てはまるような持ち主の背景が各話の後半になって説明されるだけで、たった四話のあいだでも、単調な展開になってしまったのが惜しい。

王とサーカス

王とサーカス

真実の10メートル手前

真実の10メートル手前

 『さよなら妖精』の太刀洗が探偵役をつとめるシリーズ長編二作目と、短編集。今回の長編は構造上、謎解きのスリリングさがあまりなく、どうしても序盤に比べると尻すぼみになってしまうのだけれど、短編集とあわせて読んでみたところ印象が変わった。『王とサーカス』で繰り返し言及される、窮地に立たされても顔色を変えないという太刀洗の属性は、どこか話としても不完全なハードボイルドの変奏のように感じられていたのだけれど(内面の描写があるにも関わらず、彼女が驚いた表情をみせたときの問題がクローズアップされるという不整合さ)、むしろそうした部分が短編集においても引き続きつよく描かれたことで、不完全さを書く話としての一貫性・整合性を受け取ることができるようになったからだ。そういう意味では「正義漢」が短いながらも探偵ストーリーとしてよくできた話であるように思う。
 また『真実の10メートル手前』の諸短編については『満願』と同様、推理のアンフェアさを狙っているのではと思われるフシがある。太刀洗の説明する推理は必要十分でない。答えから材料を取り出すことはできても、材料から答えを取り出すことは難しいだろう。だからこそ太刀洗は読者の追いつけない名探偵タイプのキャラクターとして存在できるのだけれど、その彼女ですら失敗することになるという逆説が物語を通して描かれている。ゆえに『王とサーカス』でみせた結末は不完全な探偵の物語として引き立つようになっている。

 読んでみて、短編版となった「平家さんって幽霊じゃね?」こそまとまりがよいというか、プロトタイプとなったこの作品のはちゃめちゃさを好むかは人それぞれだと思う。しかし相変わらずこの作者の情景描写にはっとさせられることの多いこと。

虚構推理(1) (講談社コミックス月刊マガジン)

虚構推理(1) (講談社コミックス月刊マガジン)

 よもやこんなにポップで可愛い絵柄になるとは。そして鋼人七瀬の存在感。