摂取記録

最近読んだ本も復活します。

ノッキンオン・ロックドドア (文芸書)

ノッキンオン・ロックドドア (文芸書)

 不可能専門(How?)と不可解専門(Why?)とそれぞれ専門領域の異なる探偵コンビもの。ひとつの事件に対してオセロの白と黒の面を裏返すようにこれはHowかと思えばWhy、Whyかと思えばHowの様相を見せるプロットが当初の話だったのだけれども、話数を重ねていくたびに作中で示されるその領域が不明瞭になっていく印象がある。というのもそれは当然で、ホワイ中心による謎を提唱した都筑道夫だって、その当初においてはホワイ中心主義といった形をとっていなかった。ホワイはハウやフーの謎の必然性を積極的に支えるべきものだったのだから、むしろ領域がはっきりと分かれているほうが不自然なのだ。むろんそういった犯行そのものから独立して存在するホワイの謎もミステリにはあるのだけれども、この作品群で見せるホワイはそういった方向性ではない。行動の必然性、という点で、それは事件の際に犯人がどういう行動をしなければならなかったのか? という犯行方法≒ハウの謎に吸収されてしまう。おそらく作者のつくるミステリじたいがそういう方向性に近いからだろう。
 けれどもここで面白いのは、この思考の癖が、キャラクターのパーソナリティの問題(ハウ>ホワイという事件構図に対する鬱屈)として、いつの間にかストーリーのなかに取り込まれていることだ。そういう意味では続巻でどういう謎解きが描かれるのかということに期待。それと物語後半に登場する敵・チープトリックは、少ない手数で不可能犯罪を成立させるという短編向きキャラクターとして理想的。クール。

 各所で爽やかなダメージを読者に与え続けている本。ミステリ部分はそれほど大きな役割を果たさないというか、謎解きがそもそものお話の目的になっていない。中学受験を経験した登場人物たちは、人生の早い段階で選択肢が目の前にあることを感覚的に理解している。ではその理解とどう向き合えばいいのか、ということをそれぞれの登場人物をメインにすえたバトンタッチ形式で話が進んでいく青春小説となっている。
 いわゆる「日常の謎」系統の作品と本作が大きく違うのはこの部分で、視点人物となる彼女たちは(ある程度の勉学ができるくらいには)利口であり、世界がどういうものかということに対してもすでに自分なりの枠組みを獲得している。ゆえに知識や考察の先をゆくような探偵役(先導役と言い換えるべきだろうか)が、彼女たちに見えていなかった世界の広がりを一方的に説く筋書きにはならない。それは舞台となるカルチャーセンターの講師たちが、人生の先輩でありながらも彼女たちと同様に挫折を経験したり、一計を案じたりする存在として描かれていることからも示されている*1
 彼女たちは自身の見ている世界を、自分あるいは自分たちが気づくことによって、わずかながら更新してゆく。その不可逆な経験が彼女たちの持つ悩みとの向き合い方を変えさせ、やがてはその後へと直結していく兆しを見せながら、物語の幕は下りてゆく。
 自分なりの小さな答えを見つけていく彼女たちの姿がどこか眩しいと思えるのは、彼女らが、読者のうちにもあるような苦い経験や、思春期と呼べる時期の悩みを乗り越えることができるだけのタフネスをもって描かれているからだろう。だからこそ、それを読んだ読者は、過去の自分はどうであったか、という思いに自然と胸を打たれてしまう。そういう意味で本作は素晴らしい青春小説であるとともに、読み手の感情を静かに揺さぶってくる小説でもあるのだと思う。

謎好き乙女と奪われた青春 (新潮文庫nex)

謎好き乙女と奪われた青春 (新潮文庫nex)

 青春小説といえば、昨年出版されたこの小説も面白い。なぜか自身の周囲で事件が起きるというミステリ体質な主人公が、ミステリが好きでたまらない後輩女子に絡まれる話、というとどこまでもコメディっぽさを感じてしまうのだけれど、そのじつ、ビターというよりも後ろ暗さのある物語が展開されていく青臭いギャップが好きな人は間違いなくはまると思う。
 肝心の謎に関しては、連作5話中3話はハウダニットをメインに置き、その推理についても「困難は分割せよ」方式でつくられているので、わざと登場人物の頭を悪くするような針小棒大になっておらず、がっかり感がないのがうれしい。ライトノベル的なレーベル*2ながらも、本格ミステリとしての骨格がしっかりしているといえる。またその謎解きの過程は主人公と後輩ヒロインの推理合戦じみた読み合いになっており、ひとつの事件をこねくりまわすタイプのミステリが好きな人であればさらに買い。なかでもカンニングの問題を扱ったニ章はそうした推理小説の思考をうまくつかった構図になっており、小技でありながらもそれだけで作者の手筋の良さを感じられる出来になっている。引き続き続刊も読む予定。


蘆屋家の崩壊 (ちくま文庫)

蘆屋家の崩壊 (ちくま文庫)

ピカルディの薔薇 (ちくま文庫)

ピカルディの薔薇 (ちくま文庫)

猫ノ眼時計 (ちくま文庫)

猫ノ眼時計 (ちくま文庫)

 積んでいた本を崩そうと思って手に取ったら滅茶苦茶面白く、気づいたらシリーズ読破してしまった本。いまでいう(?)伝奇ファンタジーふうな推理もどき、つまり怪異の出てくる小説なのだけれど、その語り手の猿渡こそがどこか正体不明で、だらだらしているかとおもいきや、原動力が美食だったりしてグルメ小説じみた展開を帯びたなと思えばその次にはゲテモノ食いの話になったりととにかく忙しい印象を受ける。正直いってよくわからないが、なんだかこのごった煮感は不快でなくむしろ読んでいて楽しいと思って『蘆屋家』巻末の解説までたどり着くとなぜか急に川崎賢子大先生の名が出てきてぎょっとする。そこでああそういえばこの人は尾崎翠研究の人で、津原泰水といえば『瑠璃玉の耳輪』を小説にしてたからその縁でお呼ばれされたのかと納得しそうになるも、そのあとに続いていくのはしゃんとテクストを分析しようとする体の文章だったものだから、えっそういう対象として解説ふつうに書くのかよと二度驚く。
 そうして文章のたくらみについて川崎大先生の口から語られていくうちに、自分の読解力の低さに打ちのめされて嫌になってしまうが、大先生は久生十蘭の研究者でもあらせられたなと思いだし、なら仕方ないことだと自分に言い聞かせながら二冊目にとりかかるとその作者のあとがきに冗談じみたタイミングで十蘭の名が出てくるものだから、これはもうやられたと思うほかはないわけで、よくよく考えてみればこの無国籍にちかいごった煮感というか、そもそもなにを読んでいるのかわからないままなぜか急にエモーショナルな(そのじつ必然性のある)オチに向かっていく展開といい、妙に気合の入った食い物の描写といい、素性の分からない人物の異様な多さであったり、ありえないけれど不思議と納得できてしまう風景であったりと、文章を読んでいるあいだに想起されるその実感はたしかに十蘭を読んで憶えるものに酷似していたのだった。参りました。

 バーズつながりなのか知らないけれども、船戸明里が推していたので、とりあえず『紅色魔術探偵団』に手を出してみた。イラストレーターとしての、というより十二国記のイメージが強すぎたけれど、読んでみたら天才的なバランス感覚のよさにぶん殴られてしまった。ついでに買った『百花庭園』は近未来ハードボイルドふうファンタジーとしてあまりに完成度が高すぎて、ページをめくるたびため息しか出てこなかった。というかなんだ。バンドデシネかよ。

*1:たとえば数ヶ月ほど前に同じ版元から発売された放課後スプリング・トレイン (創元推理文庫)で、探偵役となるのは植物の研究をしている大学生だ。高校生である視点人物の知らない世界や答えを示しつつ、彼女の持っている学問への憧れや好意を背負うように描かれていることからも、その違いは明確であろう。

*2:出版レーベルは新潮文庫NEXだが、本作は小説投稿コミュニティサイトのE★エブリスタで掲載・受賞したものを改稿し刊行している。