摂取記録

ヒッキーヒッキーシェイク

ヒッキーヒッキーシェイク

 引き続き津原泰水を読む。めっぽう面白い。ノンジャンルエンターテインメントらしい引きの良さがほぼ最後まで続いていくのだからとんでもない作品ではないかと思う。題材は連載当初に比べて若干古くなってしまったような気もするけれど、作中のちょっとした出来事とそのリアクションだけで登場人物ひとりひとりが引き立つ説得力の強度が半端ない。そういった細部こそ楽しく、その楽しさを追っているうちに気づくと読み終えていたという印象。

ドン・キホーテの消息

ドン・キホーテの消息

 状況を説明するなら騎士道物語に頭をやられた野郎の物語に頭をやられた野郎を探偵物語に毒された文体の語り部の野郎が追跡する話(を読者が読むことになる本)。元ネタとなる作品じたいがさらなる引用元に依拠しているどころか、この作品中の登場人物らもまたその存在をどこかの物語から引っ張り込まれていたり、あるいはその読者であったりと、とにかく油断するとそこにいる存在がいったい何者なのかわからなくなってしまう不安定な危うさがある。
 この立場の転倒(あるいは価値の転倒)は何度も変奏され描かれていく。たとえばドン・キホーテ(だと自分を思っている男)は絶えず自分を「真実の騎士」というけれど、はたからはどうみても正気ではない。が、そのように判断する根拠さえそもそもない。また傍観者でいられなくなってしまったもうひとりの語り手≒探偵は自身の立場を相対的なものとし「探偵であることは、なんら特権的な地位を約束するものではない」とさえいう。依頼人は男のことを不在呼ばわりし、また自らも不在の騎士であるかのような演出をおこなってみせる。そうして物語はそもそもの発端さえ失い、ただ行為だけが動画として複製・共有され、また実際の行為として同時多発的に再生産されていく。やがて物語は抽象化・寓話化され、真実の不在、根拠の不在が息苦しく強調されていくことになる。
 けれども、その事件を追う過程、あるいは物語が先祖返りしていく過程にこそ強烈ななにかがあったことをこの小説は隠さないでいる。むしろ、過去の形式を装う(≒探偵していく)ことでそれ自体が新たな形式に向かうかのような予感をかいま見せる。はたしてそれが正しいかどうかはわからないけれども(なぜなら根拠などないのだから)、

「しかしそれでも、わたしは行動をしなければならない。少しでも前に進まなければならない」
(…)
「なんらかの使命感ゆえにではなく、ただ他に成すべきことを知らない、その無知ゆえにです」

 その息苦しさを否定せず、正面から認めたうえで新たな営みを肯定しようとすることでしか不在の恐怖から脱出する方法はないのだと、ディストピア的暴走の果てに謳う作品。
 というだけではもったいないくらいのユーモアが作中に散りばめられていることを、なにより忘れてはならないと思う。

その姿の消し方

その姿の消し方

 たまたま見つけた絵葉書にあった詩のようなものをめぐって、その作者である(と思われる)男の姿を四半世紀近く追い続ける話。というと、あまりにも雑かもしれない。
 その男が残した詩のようなものを、語り手はフランス語から日本語へと訳して文中に記している。究極的にいえば、たった5つのそれをひたすら読み続ける本になっている(小説でもあるし、エッセイでもあるし、その中間ですらある)。むろん読者は日本語で書かれたその本を読むのであって、その詩(のようなもの)の原文のすべてを知ることはないのだけれど、訳されたことばじたいも一定の意味をもたないままでいる。ことばには句読点はあっても、文章としてのつよい区切りやその対象は明確に記されていないからだ。
 その解釈がふとした瞬間に移り変わっていくことが、素朴でありながらも、どこまでもつよい実感に裏打ちされて描かれている。あるときは戦争や人類の歴史の黒い影を映し出すし、あるときはそれを訳した語り手の過去が色濃く反映されたかたちで表面に現れる。けれどもことばが時間そのものに漂白されたとき、まったくべつの意味を伴って現れ、はっとしてしまうこともある。あるいは人との関わりによって気づかされる瞬間がやってくる。

言葉は、だれかがだれかから借りた空の器のようなもので、荷を積み荷を降ろしてふたたび空になったとき、はじめてひとつの契約が終わる。ほんとうの言葉は、いったん空になった船を見つけて、もう一度借りたときに生まれるのだ。

 上記のことばは詩ではなく語り手のことばだけれども、この本にあることだけを語っているわけではないとも思ったので忘れないように置いておく。こういう心づよさをもって本を読むことができたら、と常々思っているが、読者である自身を信頼できるかといえば、まあ100%信頼できるはずがないわけであってその疑いには終わりがない。だからこそ解釈がそのときによって変わることを肯定できる堀江敏幸には敬服せざるをえない。