映画『永い言い訳』”The Long Excuse”(ネタバレ)感想メモなど

 先日『映画 聲の形』を観、バケモノじみたカットの連続に打ちのめされてからというもの、ひと月ちかく劇場に足を運べなかったのですが、いい加減リハビリをしなくてはと思い。
 

 リハビリついでに劇伴を聞いているのですが、なるほどいわれてみれば牛尾憲輔だ、という感じ。ピアノに深く沈む打鍵音や、こすれるような音、それからサーッとしたノイズの薄い膜を中心につくっているのが劇中のテーマにマッチしていて、プロい。聞きこんでからもう一度観たら結構楽しそう。牛尾憲輔の打ち込みらしい打ち込み曲というのは、どっちかといえばアニメ版『ピンポン』などで楽しめる。agraph名義だと円城塔がブックレットに書き下ろしで短編、というかいつもの文章を書いていたので、SF読者ならそれで知っている人がいるかもしれない。
 

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 あとまんま牛尾憲輔節になっているのはアイカツ!の「エメラルドの魔法」。かっちょいい。


 前置きが長くなってしまったが、『永い言い訳』について。西川美和監督作品は、ほかに『ゆれる』をレンタルで見ていたことがある。カットひとつでぱっと説得力のある画を撮るなーと思っていたけれど、今回は終始それに磨きがかかっている。原作は未読。『夢売るふたり』も見ていない。
 以下、本編を観ていて思ったことを書きなぐります。



※ほぼ全編にわたって細かいネタバレだらけなので、気になる方は見ないよう。というかどれだけ気付かせるだけの情報量が込められているのかと書いていて思う。




・冒頭、本木雅弘(以下モッ君)の髪に霧吹きをし、櫛、鋏を入れていく深津絵里。手慣れた雰囲気。鏡と手先から場所は美容室かと思いきや、引いたカットで宅内とわかる。会話から夫婦ということが察せられる。テレビ画面にもモッ君。クイズ番組。テレビ内のモっ君は元気。キャラをつくっている。テレビ出演などもこなす小説家であるとわかる。スマートフォンが震える。LINE。会話のなかで昔の同窓生から講演の依頼が電話であったことを知り、家の電話に出るとき苗字をいうな、というモッ君。露骨に不機嫌になる深津。しかし意に介さない。深津も、最低限の仕事はする。ここにきて家庭へのスタンスの違いが明確に出てくる。

・外出しようと部屋を出る深津。途端にスマホを操作するモッ君。けれどすぐにドアから室内に顔を出す深津。なにもなかったようにスマホを戻すモッ君。けれどスマホのストラップは大きく揺れている。連絡をとっていたのは愛人であろう。妻が部屋を出ればまたいそいそとスマホを手に取り、尻を掻く。第一のクズキャラ説明のシークエンス終了である。情報量の濃さといい、完璧。

・妻の死後、関係各所に連絡を入れずさっさと事故の起きた県で荼毘に付したことを説明すると、地雷を踏んだため妻の同僚に切れられる。そこでいったん画面は変わり、自宅で妻の写真をアルバムから探すモッ君。しかし結局、雑誌記事にあった美容師としての写真を選ぶ。きりっとした表情。遺影である。マスコミを入れた葬式場。ひときわ目立つ中央二箇所の供花には「喪主」の字。スピーチ「妻には二〇年間髪を切ってもらっていた」。たぶんほんとうなのだろう。ところで、芸能人のこういう映像を自分はたいてい見ることがないのだが、写真の使用料もこういうとき払うのだとすれば、プライベート写真を使わない相当にモッ君は見栄っ張りとみえる(それとも若いころの写真しかなかったのか)。遺骨を持って報道陣の前で車に乗り、走り出すとバックミラーで髪の乱れを気にするモッ君。その横でマジかよ、と表情だけは言っている池松壮亮(たぶん担当の編集者)。

・妻を含むバス事故の被害者への説明会。事故責任については運転手側にない、と説明したあたりで男がブチ切れる。ホワイトボードに食べ物?がブン投げられる。それはそうだろう。皮切りに罵声の飛び交う会場。モッ君だけが、信じられないといった面持ち。その後、報道陣へ神妙な顔で説明中「幸夫くん!」とモッ君のペンネームではなく本名を呼ぶ声。さきほど会場で最初にブチ切れた男がやってきた。男(竹原ピストル)は事故にあった妻と一緒に死去した友人の夫だった。その瞬間、モッ君の目は死んだ魚のようになる(ココ最高)。クズシ―クエンスその2終了。

・セックス目的の愛人からも逃げられ、軽くヤケになりはじめる。家事はまともにせず、室内にいるときはシャツから腹が出ている。見栄を張る相手がいないためだろう。だんだんと髪が伸びていくモッ君。花見の席では「恋のダイヤル6700」を酒に酔ったいきおいで熱唱(『日本のいちばん長い日』の天皇が歌っていると思うと最高オブ最高)。

・竹原と連絡をとり、会食。竹原には息子と娘がひとりずつ。フランス料理。ビールを飲むみたいにワインを飲む竹原。苦笑いしつつグラスを揺らすモッ君(最高)。ここでもモッ君はアレルギーという地雷を踏む。つくづく他者へ配慮のがなさが面倒を引き起こす人である。待機時の携帯の持ち方の対比。その後、竹原の息子と家で会話。塾通い=中学受験とノータイムでするする出てくるのは都会暮らしだからなのか、それともモッ君がそういう暮らしを当然としてきたからか。たぶん両方か。相変わらずのクズシークエンス。けれど、塾通いをあきらめると知り、同情からか、子供の面倒をみようと提案。竹原にそのことを話すと、一瞬、キレるかな、と思わせる間(そのあと弛緩するが、そういえば、企画協力の是枝裕和も似たような間をとる演出をしていたし、会話でみせる家庭不和や家庭環境の対比や演出も『そして父になる』を思わせるやり方だ)。

・子供との距離が回数を重ねることに物理的に近くなっていく演出はめちゃくちゃ自然で、これも『そして父になる』っぽい。娘のほうからはご近所パトロールの人に因縁をつけられたとき「父のいとこ」ですといって切り抜けるわけであるし(こういうのを子供にさせてしまう流れも自然でよい)、じっさい疑似家族である。

・モッ君と担当編集の池松との会話。スマホのストラップをプレゼントされたことをうれしそうに言うモッ君。冒頭、家庭不和の暗喩だったストラップが疑似家族の絆になっているのが上手い。けれども、池松は「代償」行為ッスよねと、煙草をふかして、自分のスマホの画面を見せる。子供と妻。家庭があればクズである自分も「全部帳消し」になると池松はいう。エモい。こいつも相当なクズじゃねえかと思うが、ちゃんと家庭を維持しているだけ圧倒的にモッ君より正しいっちゃ正しいかもしれない。

・遺族へのドキュメンタリー取材のシークエンス。献花後の合掌NG。「座って」みるの「アリ」じゃないですか、と指示ののちやっぱ「タチで」。画面撮りのため、献花も移動する。呆然とするモッ君。ここでようやくヤラセ番組とわかるわけだが、こういう言葉のノリだけでMPをゴリゴリ削ってくるのはニクい。そうしてここにきて、ブチ切れるモッ君は自分が地雷を踏んできた側の人間の態度になる。わかりやすい対比だろう。

・科学館。小学生レベルの問題がわからない竹原。だんだんと息子が竹原側でなく、モッ君側にちかい(学があり、それを使っていこうとする)タイプの人間であることが表面化しつつある。客観的な尺度を使いつつコメディタッチでそこをあっさり説明できるのだから、上手い。「お父さん」の声に、じつの親より早く反応するモッ君(クズ)。とはいえここが最高潮で、科学館の職員という第三者の介入がやってくる。

・次のシーン。暗闇でバースデーソングを歌う声に女性の声が混じっている。観客が不審に思って、明るくなれば職員の女性があっさりと入り込んでいる。そしてあからさまに自分の立ち位置が奪われていることにいじけるモッ君(クズ)。焼酎をあおり、いかに子供が自分にとって不要だったかを子供の真ん前で語る(クズ)。いやにわかりやすすぎる決裂。

・どんどん髪が伸びていく。家事は竹原の手伝いをしているうちにできるようになっている。そして電話が物語を転がす。妻の事故時は電話にさえ出なかったわけであるので、ある意味では社会性はまともになっていたわけか。

・行き。モッ君が最後のクズアピールをし、疑似家族としての親子関係を清算する。これまでさんざんやってきたクズ演出が効いてくる。モッ君と息子がちかいタイプだと前述したが、このシーンでは、これまでモッ君が何度も着ていた服の色である深い青を、息子のほうがコートとして身にまとっている。青は知性。そういえば塾に通っているときにこの子が使っていた鞄も青色だったか。ちなみに竹原のカラーは橙か赤。暖色。

・帰り。モッ君のメモ帳モレスキンだったね。

・和解後。ここで、髪の毛の描写の連続である。物語としての清算。まずひとつは、娘。自分で前髪を切る。男所帯ではだれも気にしていなかったわけだ。次にモッ君。妻の職場で、伸ばしていた髪を切る。そして出版パーティの息子。父の竹原と同じく、頭を丸めている。黒い学ラン。その前にあった父とのケンカパートからするとこれもまたわかりやすすぎる。けれども最も殴ってくるのは、そのあとで娘がモッ君に写真を手渡すシーン。写真は竹原の家族といっしょにいる妻。笑顔。

・写真は自宅にかざられることになる。結局、最後までモッ君は笑顔の妻を直接見ることはなかったことになる。妻の死に泣いたことのなかったモッ君への対比。逆ハードボイルドではないか(!)。作品タイトル回収はむろん作中のモッ君が書いた小説だが、演出としてはここで回収だろう。これまでのわかりやすすぎた演出も、いまおもうと、モッ君のさまざまな表情を中心に映されていたことがわかり、深津の描写は中盤に一度モッ君が幻視するだけに限られている。徹底的に一人称の物語だったわけである。彼がメモ帳に書き残した「他者」という言葉が効いてくる。離れたカットでみせる幕切れ。モッ君の表情はくっきり映っていただろうか、わからない。とにかく脱帽した。

ゆれる [DVD]

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■おまけ:パンフレットと「幸夫について本木が知っている二、三の事柄」について
 パンフレットは作品ノートのような脚本数ページとインタビュー、対談、寄稿、それから幸夫(本木雅弘)へのインタビューDVD。DVDでの質問は西川が出し、回答はモッ君が演じるという趣向をとっている。けれども途中からどんどん役と役者がねじれていく構造になっている。興味があれば劇場でお求めください。