摂取記録

小説を読む体力がなく、戯曲などを読んでいた

テンペスト―シェイクスピア全集〈8〉 (ちくま文庫)

テンペスト―シェイクスピア全集〈8〉 (ちくま文庫)

 エラリー・クイーンを読むのにシェイクスピアを読んでいないと教養”絶対”主義のひとびとから怒られるらしい。

 傑作ゴシックホラー(といっていいのか?)「赤死病の仮面」の主人公もそういえばプロスペローである。ポーの両親はシェイクスピア俳優だったとのことで、そのため名前を拝借したのではないかという説が有力だとか。ただし、『テンペスト』と「赤死病」の細密な比較研究などは進められていないらしい、と巽孝之がいっている。NHKの教材は読み物としては面白いのだが、いかんせんすぐ品切れになるし、その形態ゆえに復刊などもないのが困るところ。そういえばポーの仮面物語について系譜の話がこの教材のなかにあるのだけれど、山尾悠子『仮面物語』もドッペルゲンガー譚だった記憶がある。

かもめ (集英社文庫)

かもめ (集英社文庫)

桜の園/プロポーズ/熊 (光文社古典新訳文庫)

桜の園/プロポーズ/熊 (光文社古典新訳文庫)

 かもめの冒頭で披露される作中劇に対して「生きている人がいない」ということをヒロインから指摘される場面があるが、『桜の園』にいたっては舞台そのものが死によって彩られているような、どこか浮遊感のある登場人物たちの会話によって進行するな、と思っていたら、案の定解説でも指摘されていた。この読んでいるときの感じは日常を舞台にしたアニメを見ているときと酷似している。
 これはある種の冗談ではなくて、たとえば、まるでゾンビのごとく自身の意思の力によって行動を修正することができず、ひたすら同じことばかりしてしまう人物が、『桜の園』には登場する。崩壊が予告されているなかでもそうした性質を失わない姿は滑稽であるし、ほんらいであればどうしようもないことですらある。けれども、それをどこか続いていく日常の一場面としてとらえたとき、喜劇として見ることができるのではないか、とも思う。

神々の歩法

神々の歩法

 ところで近未来の戦場という高ストレスの負荷がかかる環境にいる兵士がそういう日常アニメを見て精神を維持するのも当然ではないか。あとやっぱり声優さんはすごいですね。

 だんだん推理というかとんちバトルめいてきた(前からか)。とはいえ、この文章量だとなかなか四六判やノベルスで出すのも難しいし、講談社タイガは作家の刊行スピードを上げてくれるありがたいレーベルなんじゃないかとも思う。

不思議の国のアリス (角川文庫)

不思議の国のアリス (角川文庫)

 あわせて新訳版を手に取ったのだけれど、最近のはこんなに素晴らしい訳なのかと感嘆した。韻の踏みをかなり意識した日本語になっており、これはもう芸術の域ではないか。