ジャンルとしての百合とは

 ここ一年ほど、なぜか「百合ってなんですか?」と訊かれることがとみに増えました。


 それはつまり、ジャンルとして、もしくは市場のひとつとして、多くの人にとって「百合」という言葉が認識の外側から内側へとやってきた、ということを間接的に意味しているのだと思います。これはとても喜ばしいことだと思います。たとえば、数年前、ユリイカではじめて「百合」を特集した号が出ました。

 表紙は『青い花』の連載を終えたばかりの志村貴子。インタビューは今野緒雪天野しゅにんた、とこの時点で百合作品として認知されているなかではかなりの人気を誇るラインナップでした。ですが同時に、それに比べると(というと失礼かもしれませんが)併記されていた「百合作品ガイド」についてはあまり深く踏み入っていないようにも感じましたのが正直なところです。

 ですが、これにはおそらく、わたしたちが「百合ってなんですか?」と問われたさい、明確な定義ができなかったゆえではないか、と現在は思っています。


 それから三年後、2017年の市場では、一迅社百合姫コミックスが専門のレーベルとしてかなり安定した供給(新人作家をどんどん排出)をしていますし、電撃コミックスも『やがて君になる』のヒットを契機にしたのか、『エクレア』というアンソロジーのシリーズを何冊か出していますし、そこに掲載した作家が雑誌で連載を持つといったこともあり、最近はかなり力を入れているようにも感じます。

 こうした流れをとらえるうえで、『やがて君になる』の仲谷鳰先生と『あの子にキスと白百合を』の缶乃先生の、新たなツートップによる対談は、ひとつのメルクマールになったのではないでしょうか。すくなくとも、百合という存在の雰囲気をつかむうえで、読んでおくと参考になるかもしれません。

 【コラム】 「やがて君になる」仲谷鳰x「あの娘にキスと白百合を」缶乃 スペシャル百合対談! : アキバBlog

 ほかにも、ヴィレッジヴァンガードや脚本家の綾奈ゆにこ先生のプロデュースによる「百合展」がここ数年つづけておこなわれるようになり、盛況しているとネット越しに聞いています。どうやら2018年もおこなわれるようです(下記リンクは2017年のものです)。

百合展2017

 さて、ここで綾奈ゆにこ先生は、百合について自問するような言葉を記しています。

「百合」って何だろう? 未だ漠然としています。女の子が二人いれば百合――恋愛感情に限らず、友情や愛情、敬愛、嫉妬、憎しみといった強い感情がともなえば百合だと個人的には思っていますが、断言は出来ません。それぞれが百合だと思ったものが、百合です。

 およそ十年近くジャンルとしては百合(といわれることもある)作品にたずさわってきた人の言葉だと考えたうえで読むと、さまざまな感情が浮かんできます(個人差があります)。

 先にリンクを貼った仲谷・缶乃の対談も読んでみると「百合(ではない)」的な、ジャンルとしての揺らぎがかなり広い部分に渡っており、また、明記されていなくともその人にとっての百合という一ジャンルが存在することができる、というのが共通の見解としてかたちづくることができるのではないでしょうか。


 これにはおそらく、同性愛的な話を前提とするタイプのBLとは違っていて、キャラクターが異性愛者同士であっても、じゅうぶんに成り立つ下地があることが関係しているように思われます。

 ではここで改めて、百合というジャンルが内包しているものを簡潔な言葉に置き換えたいと思います。仮に百合作品というものについて、以下のように表現してみたらどうでしょうか。


 女の子のキャラクター同士の関係を描いた作品


 このような定義であれば、穏当なかたちで言及かつ包括的に捉えることができます。ですが、これを、


 女の子のキャラクター同士の”同性愛的な”関係を描いた作品


 と踏み込んでみるとどうでしょうか。ずいぶんと雰囲気が変わって見えます。キャラクター間の状況がかなり限定されるためですね。ですからそれをさらに、


 女の子のキャラクター同士の同性愛的な関係を”ファンタジーとして”描いた作品


 と組み替えてみたらどうでしょう。今度はかなり広がりを持って捉えることができるはずです。一種のメタともいえますね。関係性の現実(もしくはジャンル)があるのを踏まえたうえで、それをフィクショナルな構造としてさらにくくることによって可能とする方法です。ほかにも同性愛”的”という部分を前提としつつ、フォーカスするのであれば、


 女の子のキャラクター(異性愛者)同士の関係を描いた作品


 も、同時に百合というジャンルとして表現可能であることは、さきのふたつのリンクでも語られていた通りです。たとえば、登場人物に男の子は出てこず、女の子の嗜好も明示されていない作品に対して百合という立場から捉えるとするなら、このような距離の取り方になるのではないでしょうか。ほかにも、


 女の子のキャラクター同士の関係を(主軸ではないものの)描いた作品


 としてジャンル概念を適用・拡大することができます。あの作品の○○と○○は百合だよね、みたいな消費の仕方ですね。これは作者の側よりも受け手の側の印象に大きく左右されることが大きいので、どちらかといえば、二次創作的な受け止め方といえるかもしれません。ただし、こうした受け止め方、切り取り方をさらに煮詰めていくと、上記のファンタジーや同性愛的な関係へとシフトしていくことになります。


 以上のことを踏まえたうえで、もう一度、綾奈センセーの言葉を反復してみましょう。

「百合」って何だろう? 未だ漠然としています。女の子が二人いれば百合――恋愛感情に限らず、友情や愛情、敬愛、嫉妬、憎しみといった強い感情がともなえば百合だと個人的には思っていますが、断言は出来ません。それぞれが百合だと思ったものが、百合です。

「それぞれが百合だと思ったものが、百合」とのことですが、これはいわゆる同語反復的な定義ではなく、作品に対する個々人のパフォーマティヴな態度から概念が抽出されることを意味しています。

 ですからその点で、これまで述べてきたように、百合というジャンルはいくつもの位相を個別に持っていると思われます。それゆえに「百合」という言葉には、一言で言い表せないものが出てくるのではないでしょうか。


 また、異性装をすることによる『リボンの騎士』的なキャラクター*1(分身ともいえます)についてはなかなか複雑な歴史があるので、それを複合した百合作品についてはさらなる識者の言葉を待つほかないでしょう。

マンガの社会学

マンガの社会学

 すでに出版された時代は古くなってしまいましたが、そういった性を意図的に隠した存在(もしくは二重の存在)については『マンガの社会学』に詳しい論考が載っています。藤本由香里の分身論がそれにあたりますが、執筆者によってマンガに対する態度や踏み込み具合がかなり違っており、それをすべて現在に適用できるかといえば、難しい部分もあります。


 今後、気が向いたら個人的によかった百合作品をリストアップしていきたいと思います。

*1:少女革命ウテナ』など。