- 作者: 志村貴子
- 出版社/メーカー: KADOKAWA/エンターブレイン
- 発売日: 2015/03/25
- メディア: コミック
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※本記事は、『わがままちえちゃん』の作品内容について、細かく言及することを目的としています。
未読の方は、申し訳ありませんが、閲覧いただかないようよろしくお願いいたします。
それでは唐突でありますが、志村貴子の話をしたいと思います。
志村貴子作品には、ストーリーを複数の視点によって多層化、入れ子構造、もしくは一種の「取り換え子」的構造*1などを取ることによって、一本筋の通ったストーリーラインをあえて崩すような語りが存在しています。
ほかにも『放浪息子』*2と『敷居の住人』*3のあいだにある地続きの世界設定や、過去作品のコマのレイアウトや言葉をそのまま『淡島百景』のなかで描き直しつつキャラクターのストーリーを深めたりと*4、単なる作品間のリンクといったファンのお楽しみ要素を越えていく語りを展開しています。
こうした傾向は近年さらに顕著になっており、近作『さよなら、おとこのこ』*5では、志村貴子が得意としていた語りの転換芸を、もはや前人未到の域へと昇華させつつあります。
ですので、改めて自分のなかで、その中間地点的作品構造を持っている『わがままちえちゃん』のストーリーをもう一度捉えてみたらどうか、と思い立った次第です。
■第一話
冒頭「ななえおばさん お元気ですか? さほです」という文言からはじまる、塙さほによる、おばさんへの近況報告が語られます。
さほには、ちえちゃんという死んだ女の子の幽霊がみえるということが手紙によって、ななえおばさんに伝えられます。どうやらちえちゃんという女の子は、さほのが進学先である、青蘭の制服姿をしているようでした。
当然のように彼女との会話をするさほですが、それを両親が訝ったため、正直に伝えることにします。すると、ちえという女の子は、さほの死んだ姉だというのです。
■第二話
入学後。さほと別行動をとっていたちえちゃんは、別の女の子の幽霊サリーと会います。ですが、さほにはサリーという女の子はみえませんでした。ちえちゃんとサリーの会話。互いにみえない存在でありながら、「声は届くかもしれない」という言葉を交わします。
■第三話
引き続き、サリーと行動をともにしているちえちゃんです。しかし、なんの前触れもなく木に飛び乗ったサリーをみて、ちえちゃんは、その正体がありさの飼っていた猫であることを思い出します。
そしてはさまれた携帯の音に導かれるように、ベッドの上に寝ていたちえちゃんの姿が現れます。一話冒頭から語られていた手紙の送り主が、ほんとうはちえちゃんであったことが語られます。嘘を看破すると同時に、それまでの嘘も、”この”現実によってかき消されてしまいました。その後、サリーがすでに死んでいることがちえちゃんとありさの会話内で示されます。
そして、こうした一連の流れを、ななえおばさんが読んでいたことが明かされます。
ですが、ここでひとつ問題があります。
手紙の差出人はちえちゃんだということ(がおそらく正しいこと)は状況から推測ができます。ですが、さほが差出人の手紙を、ななえおばさん自身が読んでいるシーンもたしかにあったはずです。この位相は、いったいだれの語りで、だれに向かって語られたものだったのでしょうか。
ここで考えられる説はいくつかあります。
ひとつは、作者(志村貴子)による読者への騙り。
こういう言葉はいかがなものか、と思いますが、信頼できない語り(手)が作中の描写によって上書きされたということ。つまり、作者―読者間の騙りがもともと存在し、作中人物が意図していないものの、その行動・視点によって全体の語りが軌道修正されたということです。おそらく、これが自然な読者の受け取り方ではないでしょうか。というのも、そうしなければ作中の状況が矛盾してしまうからです。作中キャラクターはほんらい起きた出来事の真相を担保することができません。そのため、読者は現実を担保するよるべを、作者に求めてしまうからです。
ですが一部分であれば、カギ括弧つきで、真相の担保は可能になります。これが第二の可能性です。
つまり、ななえおばさんが、故意に差出人をさほとして騙り、そののち、ちえちゃんに修正したということ。
といっても、これはストーリー上、あまり自然とはいえないかと思います。この場合、ななえおばさん―読者間の騙りとなりますが、その読者の存在がなにものであるのか(この物語を読んでいるわたしたちなのかも)、いまのところわかりません。ななえおばさん自身が読者という存在を意識(もしくは認識)していたということを裏付ける描写もありませんでした。
どちらかといえば、ななえおばさんというキャラクターは、ちえちゃんからのメッセージを受け取ると同時に、メタ的には(読者にとっては)、水先案内人でもあった、ということでしょうか。
ちょっと話が複雑になりました。いったん整理したいと思います。
第一話〜第三話までの語りの構造をまとめると、以下のようになるかと思います(当然ながら、多分に誤読している可能性があります)。
さて、このようになった場合、入れ子がなに/だれによってなされているかが不確定であることがわかります。ここでのヒントは、これはさきごど述べたように、ななえおばさんが、さえとちえちゃんの差出人から手紙を受け取っている描写があるということ、またそのふたつのうち、どちらが正しい現実なのか判断することができない以上、ななえおばさんもまた、入れ子の内側である疑いが濃いためです。
となると、いったいこの物語は、だれによって、そしてだれに向かって語られていたのでしょうか。
『わがままちえちゃん』はこのような複雑な構造を伴いながら、不在の読者を残しながら、物語を展開していきます。
気力が続けば、次回の誤読もできるかもしれません。