ふたたび青い悪夢②-『リズと青い鳥』とピンク色の研究

【※】本記事は、映画『リズと青い鳥』の内容に深く触れています。未見の方はご注意いただきますようお願いします。

 

saitonaname.hatenablog.com

 私はあとを追いかけて力まかせに真実を吐かせてやりたいと思った。だが、それは私のやり方ではない。そう言ったばかりだし、その言葉に嘘はなかった。

 ――ロス・マクドナルド象牙色の嘲笑』(ハヤカワ・ミステリ文庫)より

  というわけで『リズと青い鳥』解釈のつづきです。本題になります。ただし、激的な解釈といったものはありません。

 まずは前回から引き続き、いくつかの誤謬と思われる説について確認をしておきたいと思います。具体的には、鎧塚みぞれと傘木希美の瞳の色について。

 作中作「リズと青い鳥」の登場人物の瞳の色(ブルー)およびリズが青い鳥に与える果実の色(赤)と対比され、あたかもその色彩設定が現実パートの後半部(鎧塚みぞれ≒青い鳥)を先取りしているかのような説、もしくはみぞれと希美の瞳中央に置かれた色が互いの瞳の色を映している、といった説*1がネット上にはあるようですが、これは正確性を欠いたものと思われます。

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鎧塚みぞれの瞳

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傘木希美の瞳

 写真は再生したテレビ画面をキャプチャせずスマホで撮影したものなので画質については諦めてください。色調も若干カメラのレンズを通して変化しています。詳しく確認したい方はブルーレイかDVDを買ってみなさん自身の目でしっかり見ていただくようお願いします。

 それはさておき、鎧塚みぞれの瞳は縁が茶に近い「赤」で虹彩部分は「暗い赤」に縁とおなじ「赤」の模様、光が入り込む部分は「ピンク色」で中心部には「緑色」がアクセントになっています。瞳孔は「黒」でハイライトは「白」。

 いっぽう、傘木希美の瞳は縁が「青」で虹彩部分は「暗い青(紺色?)」に「青」の模様、光が入り込む部分は「水色」で中心部には茶に近い「」がアクセントになっています。瞳孔は「黒」でハイライトは「白」。

 正確なRGB値は測っていませんが、だいたい上記のような色の配列になっているかと思います(あくまで記載したのは系統色です)。以上のことからわかる通り、中心部の色(アクセント)がふたりの瞳の色を互い違いに映しているわけではないことがわかります。

 また、赤い実の色を瞳に宿しているからといって鎧塚みぞれ≒青い鳥、と逆算して意味を取ろうとするのもよく考えれば不自然だとわかります。「リズと青い鳥」においてリズも青い鳥も瞳の色は「ブルー」なのですから*2、その前提を無視し、赤い実という色にだけ飛びつくのは直感的な判断で、意図的な取捨選択といえそうです。

 加えて、赤の系統色ということであれば、全体的に青みがかった色調のなかビビッドに映り込む傘木希美の腕時計の色(ピンク)があります。赤い実と鎧塚みぞれの瞳の色(赤・ピンク)をつなげそれらを独立して考えるということであれば、それは同時に傘木希美の存在を無視していることになりかねません。よって瞳の色とストーリーを結びつける考え方はどこか短絡したもののように思われます。

 とはいえ『リズと青い鳥』を冒頭から見ていると、タイトルが出る前からこの腕時計のピンク色は数度にわたって大胆に映り込み、観客はそれを見逃すということがおそらくできません。また同時に、このビビッドな色はどこか浮いているようにも感じられます。仮に本作の落ち着いた雰囲気の色調に馴染ませたいのであれば、もっと薄く淡い色か、あるいはシックな暗い色のほうがあきらかに向いている気がします。

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希美の腕時計(ピンク)①

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希美の腕時計(ピンク)②

 では、どうしてこのような特徴的な色遣いになっているのでしょうか。

 今回はこの主観的な疑問点を念頭に置きつつ、台詞や画面上に映る情報を頼りに『リズと青い鳥』のストーリーとピンク色を追いかけていきたいと思います。ただしあきらかに飛躍のある解釈、たとえば「この描写は○○というモチーフを象徴的に表している」といった解釈はできるだけ避けていきます。あくまで見て受け取ることのできるテクスト(声と文字と絵)をベースに読み込んでいきます。探るのは、直接的に見えてくる意味とイメージだけです

 改めていいますが、以降、劇的な解釈はありませんので興味のある方だけ読んでいただければと思います。

 また、作中作「リズと青い鳥」については理解の混乱を避けるため、あまり触れません。これまで指摘してきたように、現実パートと「リズと青い鳥」の物語パートの描写を同軸で考えることによって行き過ぎた解釈を引き起こすのを防ぐためです。

 Aパート*3

 本題に入りましょう。このあと画面に映り込むピンク色は、ふたりが音楽室に入ったときに中央に提示される「disjoint」の文字です。この単語は「互いに疎」という意味で、作中では数学教師が授業中にその意味を語っており、ストーリー終盤で画面に映り込む生物学室の機材に書かれた数字も「互いに疎」となっています*4。そしてふたりが演奏したさいに表示されるタイトルもピンク色のようです。

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「disjoint」

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ふたりの演奏に合わせてタイトル『リズと青い鳥

 この(裏といってよいのでしょうか?)タイトルと正式タイトル両方が偶然ピンクだった(見栄えの関係からそうなった)という可能性もじゅうぶんにありますので、ここではとりあえずその事実をあげておくだけにします。特別な意味を感じ取りたい人はご自由にどうぞ。正直、筆者にはよくわかりません。

 演奏後、ふたりは短い会話を交わします。

「希美は、練習、が好き?」

「好きだよ? めっちゃ好き」

「この曲、も?」

「すごい好き。だって……本番楽しみだね」

 

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「だって……」と同時に映り込む譜面(solo)

 口にはしていませんが、傘木希美はこの時点で自分がソロパートを吹くことを意識しているようです。注意しないとわからない伏線ですね。

  シーンは移って音楽室での練習後。片づけをしている鎧塚みぞれが傘木希美の声を聞きつけます。

「それ、かわいーよねぇ」

「本当だ、かわいー」

「のぞ先輩のクロスもかわいいですねー」

「のぞ先輩って呼ぶのかわいー」

「かわいー。のぞ先輩」

「きみら、そんなにかわいい重要?」

「「「重要ですよー」」」

  さて、ここで言葉通りに受け取ってみます。「重要」なのは「可愛い」ということ。そしてその台詞のなかで「可愛い」が「傘木希美」という存在に紐づけられていること。こう考える理由は後述します。またここで提示される「可愛い」という概念はその後ストーリーが進むにしたがって(フルートの子たちの会話のなかで)変遷していきます。しかし希美のクロスは画面に映っていません。

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「かわいー」と談笑する希美たち

 次に「可愛い」が出てくるのはフルートの後輩たちと傘木希美が音楽室でパンやお菓子を食べてながら話すシーン。

「かわいいって言われちゃってー」

「おなじクラスの生物研究会の男子なんですよ」

 いっぽう、鎧塚みぞれはひとり生物学室で水槽を見つめ「フグ」とつぶやいています。ネットの知見によれば飼われているのはミドリフグだそうです*5。それから目を閉じ、走る希美の背中。そしてフルートの光。

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フグを見つめるみぞれ

 その後、音楽室。フルートの後輩たちの会話を耳にする傘木希美。

「もうすぐオーディションだよ」

「だねえ」

「フルートのソロはさ……たぶんのぞ先輩だよね」

「だよー。上手いもん」

  すこしだけ頬を赤くした彼女の視線の先にあるのは、タイトル後に映っていた譜面とおなじページ。ただし「solo 吹く!」と書き込まれています。ここは紛れもなく差異と反復ですね。隠れていた意志が表に出てきているようです。冒頭の「だって……」の意味に気づかなかった観客もここで彼女の内心を察することができます。

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「solo 吹く!」

 その後、また生物学室でフグを見ている鎧塚みぞれ。新山先生がやってきて音大のパンフレットを渡します。みぞれがおじぎしている姿を音楽室からのぞいている傘木希美。渡り廊下で合流するふたり。「フグにごはん、あげてた」「リズみたい」「うん」と会話。パンフレットを手に取った希美。

「わたし、ここの大学、受けようかな」

「じゃあ、わたしも」

「えっ?」

「希美が受けるなら、わたしも」

  ここでAパートは終了です。

Bパート

  音楽室。吉川優子、中川夏紀、鎧塚みぞれ、傘木希美の四人。模試と志望校の話。希美は「みぞれ、音大受けるんだよ」と報告。みぞれは「希美が、受けるから、わたしも」そしてあがた祭りの話へ。

「みぞれは? だれかほかに行きたい子、いる?」

「いない」

「そっか」

  「そっか」の台詞に合わせて、机を掴んでいた左手の腕時計(ピンク色)が奥に隠れます。このあとも腕時計は最初に比べると隠れがちになります。

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机を掴んでいた手

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「そっか」という台詞に合わせて奥に引っこむ腕時計

 空き教室(オーボエパートの練習場所)。「みぞ先輩」と鎧塚みぞれを呼ぶ剣崎梨々花。「わ。みぞ先輩、綺麗ですね、これ。白いやつしか売ってなくないですか」と青い羽根を褒めます*6。また、合わせてみぞれの読んでいた「リズと青い鳥」の文庫本がはじめて大きく映ります*7岩波文庫の赤っぽいデザイン。ピンク色ですね。

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岩波文庫らしき「リズと青い鳥

 高坂麗奈による「相性悪くないですか」のあと、教室。傘木希美と中川夏紀。模試の話。ちらちらとは見えますが、絶妙な角度でピンクの腕時計が隠れています。そのままみぞれについて訊ねます。そしてふと「リズと青い鳥」について。

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絶妙に隠れる腕時計(ピンク)①

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中川夏紀の背中で隠れている腕時計②

「わたしさあ、リズが逃がした青い鳥って、リズに会いたくなったらまた会いに来ればいいと思うんだよね」

「えーっ、それじゃあリズの決心が台無しじゃん」

「んー。でも、ハッピーエンドじゃん?」

  と、青い鳥を閉じ込めていたい鎧塚みぞれとそうは思わない傘木希美で「リズと青い鳥」に対する考えが違うことが明かされます。ここでBパートは終了です。

 Cパート

 部活練習に橋本先生と新山先生がつくようになります。演奏中は隠すものがないので、しっかりとピンクの腕時計が映っています。しかしそれが終わるとすぐに隠れます。それから廊下で新山先生に声をかける傘木希美。「わたし、音大受けようと思ってて……」「あら、そう。頑張ってね。わたしでよかったら何でも聞いてね」に対し「はい」と文字通り一歩引く希美。後輩たちからその演奏技術を「上手い」と評価されていましたが、新山からは特になにも思われていないようです。

 雨の日。新山先生の指導を受けている鎧塚みぞれ。それを離れた場所から見ているのは傘木希美。浮かない表情。合わせて、フルートの子たちの台詞が入ります。

「それで、なんとかっていうフグのところまで行って」

「うん」

「この魚見せたかったって」

「へえー」

「わたしにそっくりだって」

「かわいいんでしょ? その魚」

「でもフグなんですぅ」

「かわいいならいいじゃん。ねえ、希美」

「えっ? あっ、うん」

 希美は気を取られてちゃんと聞いていないようですが、ここで「可愛い」という価値が「フグ」のようなものに変わっています。前に言及されていた「生物研究会の男子」というワードが補助線のような役割を持っていたことがわかります。視線に気づき、手を振るみぞれ。そこから目をそらす希美。廊下に出て大好きのハグを求めるみぞれ。「今度ね」と去っていく希美。

 高坂麗奈黄前久美子によるソロパート披露前後。ここでも傘木希美は後ろで手を組み、腕時計は見えません。窓辺に立ってふたりをのぞくときも奥側に手を置いています。その後、普通大学という選択肢を鎧塚みぞれに相談しておらず、さらに「なんで?」と無関心なふうに訊き返す希美。それに怒る吉川優子。この前後になると腕時計が大きく映ります。ぎゅっと一瞬だけ自分で手を握ったあと、希美の視界に映る手と時計。どこか委縮しているかのような手つきです。

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久しぶりに大きく映る腕時計(ピンク)

 いっぽう生物学室。新山先生と鎧塚みぞれの対話。そこでなにかに気づくみぞれ。希美もそこに同期していくようにパラレルに「リズと青い鳥」と自分たちの関係を語っていきます。また、みぞれがはっとした瞬間、がちゃりという音(鍵の開く音?)が鳴っています。

「わたし、ずっとリズに自分を重ねようとしてました」

「『リズと青い鳥』ってさ、わたしとみぞれになんか似てるなって思ってた。みぞれが――」

「リズで、希美が――」

「青い鳥」

「「でも、いまは――」」*8

    全体練習。第三楽章の通し。フルートを構える傘木希美。楽譜に隠れていた部分からピンクの腕時計が顔をのぞかせます。やはり隠れる場所はありません。そして鎧塚みぞれの演奏に打たれたのか、膝の上に置かれるフルートと手。楽器を手で持っているので、こちらでも時計を隠すことはできません。

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構えると同時に映り込む腕時計(ピンク)

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膝の上に置かれた手と楽器、そして映り込む腕時計(ピンク)

 演奏終了後、「圧倒されました」と後輩たちや吉川優子に囲まれる鎧塚みぞれ。彼女の視線はさまよい、傘木希美のいた場所へ。しかしすでにそこに希美はいません。

 ここで注目すべきなのは、みぞれの視線の先に一瞬だけ映り込む椅子と置き去りにされたフルート、そしてなによりクロスです。「かわいい」と以前評されていたはずのクロスが一秒もないであろうこの瞬間、はじめて画面に映り込みます。

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置き去りにされたフルートとクロス(ピンクの刺繍入り)

 刺繍のワンポイント*9。これもまたピンク色です。しかし前述の通り「可愛い」という価値は「フグ」のレベルにまで落とされています。むきだしになった可愛かったはずのピンク色はもはやだれにも見向きもされないものとなっています。

 そして生物学室。傘木希美とフグが並んで映ります。ここで、観客は彼女とフグを同列に見ることができます。新山先生と話していたときの鎧塚みぞれのシーンにも似たカットはありましたが、奥行きがあって直線上に並んではいませんでした。

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並んでいる傘木希美とフグ

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鎧塚みぞれとフグは並んでいない

  そこに追いかけてやってくるみぞれ。希美は彼女に言葉をぶつけていきます。「わたし、みぞれみたいにすごくないから」「わたし、普通の人だから」と突き放すように言います。それに合わせて、ピンクの腕時計がまた顔を出します。

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握っている腕時計(ピンク)

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「わたし、普通の人だから」に合わせて腕時計が顔を出す

 しかし、みぞれは「聞いて」と言い返し、一年のころに希美が辞めたことを話します。そして「昔じゃない。わたしにとってはずっといま」という言葉とともに希美の手はずり落ち、腕時計はふたたび覆われます。そこからみぞれは言葉を重ねていきます。

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ずり落ちていく手

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また覆われる腕時計(ピンク)

 対して、希美は「わたし、みぞれが思ってるような人間じゃないよ」「むしろ、軽蔑されるべき」と返します。合わせて腕時計をさらに強く握ります。

 ですが、みぞれの「大好きのハグ」によって後ろに組んでいた腕は離され、ゆっくりと彼女に向けて回されます。

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みぞれに回される腕

 それから希美は廊下に出て、みぞれを吹奏楽部に誘ったときのことを思い出します。息を吸い、ゆっくりと吐き出します。そのあと一瞬だけ画面に映るその腕は、先ほどとは反対に組まれています。彼女はもう、自分の腕時計を握ってはいません。文字通りどこか解放されているかのようです。

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希美は腕時計を握らなくなっている

 ここでCパートは終了です。残すはエピローグと呼ぶべきDパートですが、野暮になってしまうのでこれ以上は語らないでおきましょう。

腕時計について

 では改めて傘木希美のピンク色の腕時計とはなんだったのかについて、考えたいと思います。

 これまで拾ってきた描写を改めてさらっていくと、冒頭(アバン)では軽やかな歩みとともに大胆に画面内に映り、みぞれが新山先生に声をかけられたあとのBパートに入ると物や人の影に隠れるようになります。しかし演奏時や意思を見せるときにはまた現れて、終盤のシーンでは自身を戒めるかのような台詞とともに意識的に覆われ、のちにみぞれのハグを介することで解放されています。また触れてはいませんでしたがDパートで問題集に向き合っているときも、彼女の腕時計は隠れていません。

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問題集を解く際、映り込む腕時計(ピンク)

 となると、腕時計は傘木希美という存在の浮き沈みとパラレルに描かれているもののように思われます(むろん時計は装身具なのですから、持ち主とパラレルに描写されるのは当然なのですが)。とはいえフルートを吹く際にその姿がむき出しになるのは、彼女の演奏技術がそのまま浮き彫りになってしまうことのあらわれといえるかもしれません。そういう意味では図書室で解く問題集のシーンもおなじ路線の解釈となります。中川夏紀との会話のさい(Bパート)にも問題集は映っていましたが、希美はまだその時点では本格的な受験勉強をしていませんでした。

フグについて

 ところで、作中に登場する「フグ」とはなんだったのでしょうか。

 こちらもこれまで拾ってきた描写から判断するのであれば、前半部で持ち上げていた「可愛い」の価値をあとになってから下落させていくための伏線、あるいはそのように変化させていくためのクッションとでもいうべき存在かと思います。

 フルートの子たちの「かわいいって言われちゃってー」のやり取りの直後に鎧塚みぞれが「フグ」とつぶやくシーンが置かれているのも、その予兆であったのでは、とさえ読んでしまいたくなります。

 そして第三楽章の演奏のあとに一瞬だけ映り込むクロスの刺繍(彼女の存在を強調するかのように、それもまたピンク色でした)。あれをより残酷に、より穿ったかたちで捉えるのであれば、それはフグの身体と左右のヒレという小さなシルエットに見えはしないでしょうか。彼女の所有していた「可愛さ」は「フグ」のようなものだったのだという重ね合わせの欲求をそこに憶えたくなります。

 ですが、それだけだったのでしょうか。

 鎧塚みぞれが最初から興味を向けて見ていた対象は(「リズと青い鳥」という物語を除くのであれば)作中にはふたつしかありませんでした。すなわち傘木希美とフグです。そして第三楽章の演奏ののち、音楽室を出た希美はフグとおなじ画面のなかに並びます。その状況で、希美自身から放たれた言葉は「わたし、普通の人だから」でした。しかしそれを「わたしの特別」だと、「全部特別」と言い返したのはみぞれでした。

 どういうことでしょうか。

 ストーリーの後半になって、「可愛い」「うまい」という言葉を受けていたにもかかわらず「普通の人」とまったく違う評価を下したのはほかのだれでもなく傘木希美、彼女自身でした。けれどもそんな彼女を「可愛い」でも「上手い」でもなく、ただ純粋に「好き」と言い切ったのは鎧塚みぞれでした。彼女はずっとそう思っていました。

「希美の笑い声が好き。希美の話し方が好き。希美の足跡が好き。希美の髪が好き。希美の、希美の全部」

 ですから、みぞれの向ける視線には、最初から「可愛い」や「上手い」といった価値が含まれていなかったことになります。そして彼女が視線を向けていたフグもおなじです。「可愛い」の価値を一方的に下落させていたのはフルートの子たちで、みぞれにはそのような意図はありません。

 ゆえに「フグ」という存在はむしろ価値を最初のものに、フラットに、夾雑物のない「普通」という意味を、そして「好き」という言葉を担保しておくための存在だったのではないでしょうか。そしてそれは卑屈になって自身を覆い隠そうとする少女にとって、ある種の救いとして用意されていたもののように思われます。

 だれにも目を向けられなくなった「普通」の傘木希美に視線をいち早く向けたのは、鎧塚みぞれでした。思い起こせば、『リズと青い鳥』というストーリーの最初から傘木希美の足音に耳をすまし、やってくる彼女を見つめていたのは鎧塚みぞれだけでした。最初から最後まで、みぞれというキャラクターの視線だけはどこにも揺れていませんでした。

「かわいい」という言葉から離れ、ひとり静かにフグを見つめていた鎧塚みぞれが目を閉じて思っていたのは、傘木希美のことでした。そして、その思いの先にはフルートに反射し、差し込んでくる光がありました。

 光が、ありました。

 そしてそれに気づくことができるのは、水槽を泳ぐ三匹の魚たちと、この物語の観客であるあなただけなのです。 

 不意に、はばたきの音が梢の青葉を揺るがした。三人は無言で空を見上げ、その彼方に鳥が吸い込まれていくさまをどこまでも追い続けた。

 ――法月綸太郎『ふたたび赤い悪夢』(講談社文庫)より

 

*1:ともに初出は不明。しかし複数の人による証言が確認できるようです。

*2:ちなみにリズと青い鳥それぞれのキャラの瞳は青の系統色ですが、正確にはおなじ色ではありません。

*3:正確には「disjoint」より後がAパート。録音台本準拠

*4:生物学室における機材の数字についてはブルーレイの特典であるキャストコメンタリーでも語られており、意図的な演出であることがあきらかになっています。

*5:ミドリフグ - Wikipedia

*6:みぞれの持ち物は「綺麗」で希美の持ち物は「可愛い」というささやか対比の可能性がありますが、あまり深く立ち入らないでおきます。

*7:すでに何度か映っていますが、ここまで大きいのははじめて。

*8:ここではバトンを渡し合うかのようにして鎧塚みぞれから見ていた解釈、つまりひとつなぎになった「みぞれがリズで希美が青い鳥、でもいまは――(みぞれが青い鳥)」という考えを観客に向けて語っていますが、傘木希美の発言はぶつ切りになっているため、青い鳥のことを最初からみぞれと思っていた可能性があります(この説もまたネットで散見されています)。ですから希美が口にした台詞は「みぞれが青い鳥。でもいまは――」と読むこともできるでしょう。その場合、みぞれから飛び立ったのちも会いたいときは会いに行く希美という彼女なりの「リズと青い鳥」解釈が生まれます。どちらが正しいかはわかりません。ただしその後につづく「籠の開け方を教えたのですか」というリズのモノローグをつぶやく希美とのつながりを考えると、さすがに穿った見方なのでは、とも思います。「それはリズの行動で、気持ちではないわね」

*9:設定資料集を見る限り、ウサギでしょうか?