担当作品のすべてを見たわけではありませんが、岡田麿里脚本にはなんとなく一長一短のある気がしていて、たとえば思春期の少年少女たちと性的なモチーフを執拗にくっつけようとする傾向は、面白さよりもむしろ執念めいたなにかを感じとるときがあり、素直に物語を楽しめなくなる瞬間があります。
ガンダムという枠組みがあった『鉄血のオルフェンズ』でさえ、彼女の手にかかれば子供たちは娼婦を買いに夜の街に繰り出しますし、『劇場版 花咲くいろは』では主人公の出てくるエロ小説が近所の少年たちに貸し与えられそうになります。有名作『あの日見た花の名前を僕たちはまだ知らない』の冒頭、主人公がプレイしているゲームの敵キャラクターは女性器をデフォルメした存在です*1。
とはいえこの一見異様とも思える性的なものへの執着がストーリーと有機的につながると脅威的な瞬発力や緊張感を生み出すこともたしかです。
岡田の数あるシリーズ構成の仕事としては比較的初期のほうにある『true tears』がの成功例といえます。物語は親を失ったヒロインが主人公の家に引き取られ、一つ屋根の下で暮らすというものなのですが、いわゆるドタバタの多いラブコメというよりはシリアスな愛憎劇が語られます。
主人公の母親はヒロインのことを好いておりませんし、物語中盤、ヒロインが主人公の父親の不倫によって生まれたのではないかということが示唆されます。この問題はのちに解決されることになるのですが、そうしたものと距離を取ろうとしていたはずのヒロインが最終話には主人公にまぎれもないアプローチをかけてくるのが実に生々しいのです。以下の会話の舞台はヒロインがひとり暮らしをはじめたアパートです。
(コーヒーを飲んでいる主人公)
(ヒロイン、ケーキをテーブルに置き)「はい」
「うん。あれ、お前のコーヒーは?」
「カップ。ひとつ、割っちゃった」
(主人公の手ごとカップを両手で包み込み、コーヒーを口元に寄せる。ふう、と息で冷まし、飲む。どこか色っぽい)
(頬を赤らめる主人公)
(カップを戻してから主人公のほうを見ずに)
「いいよ」
このヒロインは湯浅比呂美といってゼロ年代史上最高に面倒くさくて可愛いヒロインなんですが上記の台詞のあと主人公に「どうしたんだよ。お前、すこし変だぞ」と言われて「嫌いにならないで」と静かに返す精神性を持っているというのがとても魅力的だと思います。
ちなみに最終話の後日談にあたるドラマCDでは自分がほかの女の子にはなれないことに気づいて泣いたりします。最終話終了後にも泣くメインヒロインってなんなんでしょうね。現在はいくつかのサイトで配信されているようなので円盤を買わずともキレッキレの岡田脚本を楽しむことができます。
さて本題です。
こうした岡田脚本の特徴がよい結果をもたらしたと思われる作品のひとつに『凪のあすから』があります。海と陸というふたつの世界に住む中学生の恋愛をテーマに据えながら、全26話の長い構成です。しかしそれに見合う骨太な作品になっています。
本作の特徴はたしかに中学生の恋愛なのですが、それだけではありません。彼/彼女らを中心にしつつも、いくつもの恋愛模様が互いに重なり絡み合うことで『凪のあすから』の世界はつくられています。ある意味で恋愛と世界が一致しているといえます。これは物語にも関わる大事な部分ですので強調しておきたいところです。
全部で何回になるのかはわかりませんが、『凪のあすから』の各話を見ていくことでこの「岡田磨里脚本らしさ」とはなにかを探していきたいと思います。
また『凪のあすから』はamazon primevideoをはじめとした各配信サイトで見ることができます。みんなで見よう。
*1:あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。(上) 岡田 麿里:文庫 | KADOKAWA試し読み部分で確認できます