他者の痛みに気づかないことは悪いことなのか 映画『君は永遠にそいつらより若い』感想

※本感想は映画および小説『君は永遠にそいつらより若い』のネタバレを含みます。

 


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 映画『君は永遠にそいつらより若い』は原作小説の話を一部ばっさりと削りつつ、それでいて小説では描き切っていなかったところに光が差すような作品になっています。

 原作小説との違いが際立っていると感じるのは、映画の冒頭です。

 主人公のホリガイが大学四年生の冬、児童福祉司という就職先を決めたことをゼミの飲み会で報告すると、いきなり彼女はゼミの同期(?)に「他人様の人生に立ち入る資格があるって自信持って思っちゃってるんだ」、「とにかく無知。お前は他者に対して圧倒的に無知」といやみったらしく枝豆を投げつけられます。見ている側としてはなんかめっちゃ不快なやつが現れたな、くらいにしか思わないんですが、だんだんとこの指摘が作品全体のテーマとつながっていることがわかる構成になっています。

「無知」に関する明確な描写としてはバイトの後輩ヤスダ*1に対して茶化すくだりです。彼が持っていた裸の白人女性の写真をホリガイが見つけると、彼女はそれを冗談めかして奪うのですが、その結果、これから一緒に飲みに行くはずだったヤスダはあからさまに不機嫌になり、その場を去ってしまいます。

 のちにヤスダの持っていた写真は、彼の性的な悩み(巨根のため、付き合う小柄な女の子といつも性交ができない)に起因していて、どうにか自分の好みでない、ガタイの大きな女性を好きになって、改善をはかろうとしていた証左だったことがわかります。さすがにこれに気づくのは無理があるだろう、とは思いますが*2

 また、この悩みを聞いたホリガイは開き直ることをアドバイスするのですが、このあまり寄り添うようではない発言は、かえってヤスダを不機嫌にさせる羽目になります。そのあと酔ったヤスダが局部をホリガイに見せるシーンはいくぶんか滑稽なきらいがあって、どこまで真面目に受け取ったらいいのか判断に困るのですが、彼女はその事実から目をそらします。「無知」という部分はこうしたかたちで提示されます。

 しかしその一方で、痛みに気づけなかったことが強烈な打撃になるエピソードもかなり唐突に挿入されます。

 それは物語の冒頭でホリガイが短い言葉を交わしたホミネという男の子の死です。彼とホリガイはどこかボーイミーツガール的な、恋愛映画ふうな出会い方をしていたぶん、ひどくあっさりとした死があらわれたとき、その落差にひるまざるをえません。

 彼の友人のヨシザキは、葬式の場で、ホミネが自死していたことを知らされます。ヨシザキは死の直前まで彼と一緒に飲んでいたのにもかかわらず、その兆候に気づくことができませんでした。この「無知」が遠因でヨシザキは苦悩することになり、ホリガイとの距離も唐突に開くことになります。原作に比べると、この部分にはかなり比重が置かれ、物語の大きなターニングポイントとして設置されています。

 また、ホリガイが偶然に出会う、もうひとりの主人公とでもいうべきイノギも暗い「痛み」を抱えている存在として描かれます。ですがホリガイは、彼女に対しても、なにも気づくことなく接し、のちに彼女のショッキングな過去を聞かされることになります。彼/彼女らの過ごす世界には、そういう唐突な苦しさが、あたりまえのようにひそんでいます。

 ここで、あまり映画のほうでは強調されなかった部分について話をしたくなります。作中、ホリガイの従事しているバイトはかなり意味深というか、意図的な配置のようにも思えるからです。彼女がやっているのは酒造の商品をベルトコンベアで検品する作業で、ここには、悪い兆候(不良品)を見逃さずにキャッチする、という役割があります。その延長に彼女の就く仕事はあります。

 もちろん他人の人生はベルトコンベアで運ばれてくるわけではありませんが、人生のある瞬間、その人の痛みに気づかず見過ごしてしまう、という現実はありふれています。たとえそれが注意深い人間でもあったとしても、そういうことは起こり得ます。

 しかし、ここでさらに深く考えておきたいことがあります。劇中で描かれるこうした悪い兆候や悩みは、すべて初見殺しではないのか、という点です。

 ふつう人が他者とかかわるにあたって、「この人にはきっとこんな悩みがあるだろうから気を遣っておこう」などとは事前にはなかなか思い至れませんし、バイトの後輩が白人のポルノ写真を持っていたからといって、そこに性的なコンプレックスを抱えているかどうかまでは判断できるわけがありません。ましてや人が死にたいと思っているかなんて簡単に想像できるものではありません。

 そして、映画版はこの問題を原作よりいくぶんか掘り下げて語っています。ホリガイは、他人の痛みに気づけないからこそ自分は処女なのであって、不良在庫であり、欠陥品なのだと感じていることを終盤、吐露します。だからイノギの痛みにも気づけなかった。それは彼女自身の、だれにも言えなかった「痛み」でもあります。

 けれどもイノギは「隠してるんだから(他人の痛みに)気づかないのはあたりまえだよ」といったことを返します。これは原作にない台詞で、だからといってそれにホリガイがそれに救われたかというと難しいところです。だとしてもはっとさせるような台詞でした。そう、痛みはふだん隠されている。だからわたしたちはいつも気づけない。それはある種の事実のように聞こえます。もしくは開き直りのようにも。この言葉は、クライマックスの部分ではありませんが、シンプルで、力づよい言葉に聞こえます。

「君は永遠にそいつらより若い」というタイトルの言葉は、人生の暗い箇所に放り込まれた人に向けられた言葉ですが、助けたいと思った側にも同様に言葉が向けられているという事実は、そういう暗さをすこしでもマシにできないか、と考えたすえにあるように思えてなりませんでした。もちろん彼女たちは最後までたんに無力でいるわけではありませんが、結果的に無力だった人への目線が欠けているわけでもないことに、自分は見えない救いを感じられたように思います。

 

*1:原作ではヤスオカにあたる人物

*2:映画を観たときはなんで男性の性的な問題を女性に相談しているんだ、とは思いましたが、原作小説では男に相談しても羨ましがられるだけで深刻に思ってくれない、という話が挿入されています。