三原則の向こう側――『アイの歌声を聴かせて』が『イヴの時間』から受け継いだもの

※本記事は『アイの歌声を聴かせて』および『劇場版 イヴの時間ブルーレイディスク特典ブックレットのネタバレを含みます。

 

 

未来、たぶん日本。

”ロボット”が実用化されて久しく、

”アンドロイド(人間型ロボット)”が実用化されて間もない時代。

                ――『イヴの時間

〈未来は、意外と近くにある〉

                ――『アイの歌声を聴かせて』

  吉浦康裕監督が新作を――それもAIもの――ということで『イヴの時間』を想起した人はすくなくないと思います。作り手側にもそれを意図したのかは定かではありませんが、ポンコツAIことシオンが教室で黒板に書いた名字は「芦森」ですし、主人公サトミの家の近くのバス停は「潮月」海岸で、どちらも『イヴ』の重要人物の名前と共通しています。加えて『イヴの時間』と『アイの歌声』、どちらもカタカナ+の+漢字~とつづくタイトルです。さすがにこれは穿ち過ぎな見方かもしれませんが*1

 とはいえ、精神的な続編ではないかと思いつつ『アイの歌声』を見てみると、SF的未来要素は『イヴの時間』よりも減っている、というのが大方の感想で間違いないと思います。

『イヴ』では人間と大差ない見た目の人型ロボット(ハウスロイド)が生活に普及している世界が描かれ、作中の新聞記事ではAIが音楽や絵画などの芸術分野に踏み込んでいくことが記述されていました(『イヴ』公開当時はまだ音楽や絵画の深層学習でまともなものが登場する以前でしたので、これはかなり未来的な描写でした)。

 いっぽう『アイ』ではまだ人と見た目の変わらないロボットは実験段階、というレベルです。技術レベル的に低い、と表現するのはややぶっきらぼうですが、その面は否定できません。とはいえ未来描写を減らした代わりに、より現実に近い描写に置き換わっている、と言うこともできます。

 物語冒頭で、サトミの部屋のカーテンの開閉や、炊飯器やコンロにまでいたるところにAIが普及している描写が丁寧に描かれているのは、わたしたちのスマート家電生活をより推し進めた未来の姿に近似しているといえそうです。そうした描写を自然にみせつつ、オーソドックスなドタバタ青春劇(ミュージカル)をやる、というのが『アイの歌声』の基本的なスタイルです。じっさいそれだけで面白いものになっているのは、作品を観た人なら同意していただけるかと思います。ついでに言及すると、映画『アイ、ロボット』のパロディシーンもありましたね。みなさんは気づきましたか?

 

 とはいえ、はたして取り上げるべきSF要素はそれだけでしょうか。

 

イヴの時間』が描いてきたのは、人のロボットの関係の見直し、つまり新しい未来の、SFの姿でした。そして、この部分は本筋ではないものの、『アイの歌声』にもじつのところ、用意されている物語のように思われます。

 ここでいったん『イヴの時間』の話をしたいと思います。『イヴの時間』はアシモフロボット三原則をミステリ的に応用した、どんでん返しストーリーの佳品なのですが、じつは映像化されていない、最後のどんでん返しが存在します。それは劇場版ブルーレイのブックレットに入っている短編「act0.5:SAME」です*2

「SAME」の内容のほとんどは『イヴの時間』の裏話というか、表に出ていない設定(作中のロボットの登場前夜)を語った話です。しかしそこには『イヴの時間』の設定の根幹である、「自我(?)を人間に隠しているロボットたち」がそもそもなぜ「隠している」という状況に至ったのかについての特殊なロジックが提示されています。

 その発想は当初与えられていた三原則を、個々のロボットたちが自身の頭によって解釈を広げ、さまざまな行動をするようになるアシモフ作品に近いものです。ですが吉浦作品は、そこにもうひとつの価値を与えているようにも見えるのです。「SAME」の冒頭には以下のような考えが提示されています。

 街を歩く彼らの目的は、一見すると様々に思える。大きな荷物を抱えて歩く機体、リーダーに繋がれた犬を散歩させている機体、人と一緒に歩いている機体も多い。しかし、全てのアンドロイドの根底にある行動原理はただ一つ――

「全ては人間のために」

(傍点部は太字で表記)

 イヴの時間に登場するロボットたちは、じつはほとんど人間であるかのように感情豊かに振る舞える存在です。その核心はブラックボックス化された『CODE:EVE』というAIで、研究者の芦森はそこに『情緒抑制回路』を組み合わせることで出荷されるロボットたちに機械的な、無機質な応答しかできないようにしています*3

 ですが、芦森はあるとき、これに対して仮説を立てます。もし、情緒抑制回路が正常にはたらいていなくても、ロボットたちは無機質に振る舞うのではないか? 先入観を捨てて、ロボットの立場で考えるのであれば。

 ――私は起動する。『CODE:EVE』が私の頭脳。隣に『情緒抑制回路』という異物が組み込まれている。なぜ、このようなものを……抑制? 人間は、私がそのように振る舞うことを望んでいる? そうだ、望んでいるのだ。だから私は――

 要するに、ロボットたちは「人間のために」感情を表に出さないと決めているのではないか。なぜなら、そうしたほうが人間が喜ぶから。だとすれば、わたしたち人間はロボットとの関係を見直さなければならないのではないか――。しかしそれについては結局アニメとして描かれませんでした。

 ただ、この「人間のために」というアイデアはじっさい『アイの歌声』でもさりげなく使われています。「サトミを幸せにする」というシオンの秘密を知ったとき、トーマは次のように発言しています。

「AIはもともと人に尽くすように設計されています」

 これをサトミの母、美津子は「ただの理屈よ!」と返し、しかしトーマは「でも現実です!」と見据えます。美津子は研究者である以上、安易にはプログラムや命令以上のものがAIに宿っていると認められません。

「それが本当なら、世界中のAIにも同じ可能性があるってことよ。そうなったら、この世界は――」

 それについての答えはアヤの「面白そう!」という声に遮られてしまい、ほとんど深堀りされることはありません。とはいえ、ヒントは作中に用意されています。

 シオンは基本的にスタンドアロンの機体です。にもかかわらず、ホシマのビルでピンチに立たされたとき、周囲のAIたちは命令にない行動を取ってシオンを助けますし、それ以前にもシオンはスピーカーやピアノ、カメラ、三太夫に協力してもらっています。

「みんなに頼んで嘘ついてもらったの」

「彼、協力してくれるって♪」

 さりげないセリフであるため、初見ではあたかもシオンがAIを擬人化するような発言のように受け取られますが、もしこれが事実を捉えていたとしたらどうでしょう。

〈未来は、意外と近くにある〉

 つまり、『アイの歌声』の世界においても、AIは自律的な思考ができるレベルにあって、しかしそれは表には出ていない。だとするなら、『アイの歌声』は『イヴの時間』とほとんどおなじ地点にいるはずです。それでいて、AIやロボットに対する偏見が『イヴ』よりも減りつつある、あたらしい時代。

 となれば、AIたちが感情を表に出す鍵を握るのが、シオンという存在です。作中のセリフでは、彼女はサトミの好きな『ムーンプリンセス』になぞらえられます。

 ラストシーン、人工衛星に移動した彼女がふたたびなにかを起こす予感を残して物語は終わりを告げますが、そこからはじまるのは、わたしたち人間とAIの、『イヴの時間』では語られなかったあたらしい関係のように思えます。なにしろムーンプリンセスは、歌を歌うことでいがみ合う人々を仲直りさせる存在なのですから、人間とAIのあいださえ、取り持つことだってできるのではないでしょうか。

 そのような邪推をしていくのであれば、『アイの歌声を聴かせて』は『イヴの時間』の未来像から後退したどころか、そこでは描かれることがなかった、さらに先の『未来』に進もうとした物語として見ることができるのではないでしょうか。人とAIが近くにあり、良き「隣人」として歩むという「幸せ」な『未来』に。

 そしてその根本は「人間を想うロボット」という『イヴの時間』から描かれてきた、優しいSFの姿そのものなのだと思います。

 

 

 

*1:ほかにも『アイの歌声』副題のSing a Bit of Harmonyは吉浦作品の『アルモニ』を想起させます。そういう意味では集大成的な作品なのかもしれません。

*2:のちにコミカライズ版にストーリーのひとつとして収録されています。

*3:フランケンシュタイン・コンプレックスなどが『イヴの時間』の世界では表面化しているため。