ジョナサン・レセムの短編を読む

 参考(翻訳作品集成):https://ameqlist.com/sfl/lethem.htm

 ジョナサン・レセムという名前と出会ったのは十年くらい前の古本屋だったように思います。タイトルは『銃、ときどき音楽』。

 コミカルな表紙だったのでたぶんアタリではないだろう、とは思ったのですが、浅倉久志が訳している。しかも出版社は早川書房。ということはもしかしてSF……ってコト!? と合点し、とりあえず購入したのでした。

 しかしこれはひどく変な長編でした。探偵小説のパロディ、あるいは管理社会ものSFのパロディであるのはわかるのですが、どこまで描写をシリアスに捉えてみればいいのかまったくわかりません。敵に拳銃を向けるのはいいものの、毎回なぜかおもちゃの光線銃のような音が鳴り響いてなんともしまらないし、いったいなんなのだろうこれは……と思いつつ読み進めていったわけです。

 しかし終盤になるとそうした描写がただのパロディではなく、「本物」になる瞬間が現れるのです。これはもしかしてすごいものを読んでしまったのではないか……しかしこの妙に人を惹きつける感じはなんなのだろう……。のちにわかりましたが、これがレセムの得意とする描写そのものだったわけです。とはいえ、さすがに一作では判断がつきませんでした。

 そういう経緯があったり、Lil Mercyが紹介していたりと、レセムは自分にとって、なにかと気になる作家でした。

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 個人的には、古本屋さんなどでレセムの名前を見つければ、とりあえず拾おうとしたのですが、なかなか巡り合わせもありませんでした。長編『孤独の要塞』に関しては、現状、中古価格がプレミアの領域に入っていますし、なかなか手に取る機会がない……。とはいえ既邦訳短編は5つしかないので、ネット通販などを駆使して短編をぜんぶ読むことに成功しました(前述の通り「翻訳作品集成」の情報頼りです)。

 というわけで前置きが長くなりましたが、今回はその備忘録兼短編の紹介記事ということになります。よろしくお願いします。

 

「永遠に、とアヒルはいった」

 ヴァーチャル空間に人格を”コピー”された人々が参加するパーティ、そのなかには”現実世界”の人間がふたりだけいる。それはこのパーティのホストだ。コピーのひとりであるアーマンはホストに話しかけて挑発し、逆に拳銃に仕込まれたMDMAを撃たれてしまう。ヴァーチャル空間ではキスをすると「酔い」が移る仕組みになっていたのだが、アーマンはそのトリップ状態をさらに別の人物に与えはじめ――。

 山岸真編『90年代SF傑作選(上)』に収録。浅倉久志訳。端的にいえばヴァーチャル・リアリティSFですね。紹介文では、主なアイデアが人格コピーであると認識しているためか、グレッグ・イーガン順列都市』やデイヴィッド・マルセク「ウェディング・アルバム」が引き合いに出されています。最近であれば伴名練「葬られた墓標」がその系譜の作品といえるでしょう。

 とはいえ、VRメタバースの概念が普及しつつある令和に読んでみると、むしろヴァーチャルな世界である、というアイデアのほうに引きずられ、印象はだいぶ違って見えてくるかと思います。

 特に後半、とある人物の”ガワ”が変わってしまう演出があるのですが、VRCHATをふだんからやっている人間からすれば、アバターがぽんぽんと変わるのはあたりまえのことですし、むしろ見慣れた光景に感じられました(先見性といえるかもしれません)。けれどもただただ風化している作品かというとそうでもなく、短いなかにもラストシーンはささやかでありつつも人間味に満ちていて、傑作選に収録されるだけのことはあると思われます。小品として読むぶんにはわるくない読後感です。

 

「月を歩く」

木星の月を歩き回る男〉はインタビューを受ける。彼の身体には静脈チューブがつながっており、彼自身はベルトランナーの上を歩いている。身につけているのはブリーフとサンダルだけ。〈ジャーナリスト〉の質問に彼は答える。「ぼくは今、イオ(木星の第一衛星)の北西象限にある谷から、あなたへの返事を送信しています」――。

 ケアリー・ジェイコブソン編『シミュレーションズ ヴァーチャル・リアリティ海外SF短篇集』に収録。浅倉久志訳。おもしろいのはこれを出版しているのが、ATOKなどで有名なジャストシステムであるというところ(!)。以前はこんなものも出していたんですね。

 たった6ページしかない作品ですが、紹介文によれば、ガードナー・ドゾアの『年間ベストSF』にも収録されたとのことです。「衛星写真ピクセル単位でシミュレーターに読み込ませることで、こいつが無限に広がるヴァーチャル・スペースの景色を体験させてくれるんです」という台詞は近年よく聞くようになった「フォトグラメトリ」を彷彿とさせます。

 そうした技術があるいっぽうでVR世界に耽溺する男の肉体性や〈母親〉という存在、ラストの展開は皮肉に満ちていて、前述の「永遠に、とアヒルはいった」と比べると現実が描かれているぶんのえぐみがいっそうつよく感じられます。ぜひそちらと合わせて読んでいただきたいところです。さすがにこれ単体を読むためだけに一冊買ってください、とはいえませんが、アンソロジーじたいの試みはおもしろいので、VRSFに興味のある人にとってはおすすめです。

 

「〈うぶな探偵〉の事件」

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 除隊したわたしはバーで隣に座った男に話しかけられる。それが探偵事務所を営む男、コンモイだった。わたしはリュウ・アーチャーに憧れていたから、彼にあやろうと思ってそこに就職した。そこではじめて与えられた仕事は〈クリスマスの郵便配達人〉というジョーク――郵便配達人に女が朝食を与え、セックスをし、別れ際に1ドルを渡したのはなぜか?――の出所を探ることだった――。

『ミステリマガジン』1997年4月号、〈特集 アメリカンユーモア〉に収録。浅倉久志訳。ロス・マクドナルドへの言及があるあたり、私立探偵ものパロディであるところは明白です。しかしここで語られるのはジョークの出所を探る、といういまいちわからない、一筋縄ではいかない事件。これはギャグとしてやっているのでしょうか。

 しかし結末まで読んでみると、この事件じたいが探偵を道化として扱ったブラックジョークとしてじつに上質で、それでいて探偵ものへの理解度もかなり高くつくられていることがわかります。

 ミステリ好き、とりわけ私立探偵ものが好きな人にはぜひ一度読んでいただきたいところです。こうした探偵ものへの自覚的なしぐさが『マザーレス・ブルックリン』につながっているのでしょう。拍手。

 

「ライトと受難者」

 カリフォルニア州のカレッジをドロップアウトしてロングアイランドに戻ってきたぼくに、弟のドンは拳銃を見せてきた。これで金を盗もうというのだ。そしてやった。ついでにヤクも盗んだ。これをカリフォルニアで売りさばけばやっていける。けれどぼくはそのとき受難者がいたことに気づいた。どうにかタクシーに乗って空港に行こうとするけれど、受難者は気づけばぼくたちの後ろについてくる――。

SFマガジン』2007年1月号〈ドラッグSF特集〉に収録。浅倉久志訳。「受難者」というのは作中でも言及されますがエイリアンのことで、ピューマにそっくりな外見をしています。おそらく知能があるように思われますが、行動原理は不明で、とにかく不気味です。主人公たちは自分たちをその受難者が助けようとしている、といった会話をするいっぽうで、「死神」や「守護天使」と呼ばれたりもします。

 ですから終始、そのエイリアンの存在理由が作中人物にも、読者にもわからないのです。いったいこの存在はなんなのか。仮にメタファーであるならなにを表しているのか。いや、そもそもどうして「受難者」と呼ばれているのだろう――、と想像がふくらみますが、最後までその意味はわかりません。わからないままどん底に突き進んでいき、それゆえに奇妙な読後感を残します。正直意味がわからなすぎて初読時は困惑するばかりだったのですが、不思議と人に話したくなる作品です。

 そして、じつはこの作品は映画化されています。”LIGHT AND THE SUFFERER”で、邦訳タイトルは『ダーク・サファラー』。主演はあのポール・ダノ


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 映像を見ればわかるように、「受難者」はかなり不気味な印象ですね。自分はこの映画を観ていないのですが、ネットで感想を検索するとやはりB級映画、という感じのようです。そもそもこの原作を読んだうえで、なんで映像化しようと思ったのかは疑問でなりませんが……。とにかくこういう経緯も含め、不思議な一作です。

 

「スーパーゴートマン」

 スーパーゴートマンがおれの住む街にあるコミューンに移ってきたとき、おれは十歳だった。スーパーゴートマンは全部で五号しか活躍しなかったヒーローだ。タイトルは『驚異のスーパーゴートマン』で、五号が出たあと永久に打ち切りになったのだ。おれの父親はヒッピーのコミューンで暮らす彼を気にしていた。おれが彼にふたたび出会ったのは、十三歳の夏だった。そこですこしだけ話をした。以来、おれは人生で数度、スーパーゴートマンと出会い別れることになる――。

 若島正編『ベスト・ストーリーズⅢ カボチャ頭』に収録。渡辺佐智江訳。傑作。備忘録と紹介記事と事前に書いてはいましたが、これに関してはあまりによすぎるので語りたくない部分が多すぎるのが正直なところです。

 物語としては、1970~90年代の男の人生の話であり、ヒーローの没落の話であり、父への許しの話であり、歳の離れた友情の話であり、あるいは若島先生の言葉を借りるのであれば「伊達じゃない反逆のストーリー」といったところでしょうか。

 これも言ってしまえばアメコミヒーローパロディというものにあたるわけなのですが、それにしてもヒーローを中間に介することで、父親に注がれる息子の感情であったり、人の老いというものであったり、アメリカの一側面であったり、さまざまなものが短編のなかにふくまれています。たいしたことは起きません。ですが、これを読んだ人はみな、スーパーゴートマンが好きになると思います。くり返しますが、傑作です

 

 

まとめ

 以上、五作品を紹介しました。ジョナサン・レセムという作家が一筋縄ではいかない、ということがわかっていただければ御の字です。とりあえず短編に手を出したい、という方は『ベスト・ストーリーズⅢ』の「スーパーゴートマン」を読んでみて、いけそう、好き、と思ったらほかにも手を伸ばしてみるかといいと思います。

 紹介してきた短編たちをみればわかるように、ゴリゴリのSFというよりは、文学やミステリ、サブカル周辺をさまよいつつエモーショナルなもの、あるいはうまくいかないヒーロー像(探偵であれ、スーパーヒーローであれ)を書き出す作家という印象です(『銃、ときどき音楽』はポイント制の管理社会ものですが)。

 ですから浅倉久志が主な紹介者とはいえ、そのあたりの期待をどこに置くかで印象は変わるでしょう。そのうえでじっさいに読んでいくことをおすすめします。

 ちなみにレセムは第一短編集で世界幻想文学大賞を取っているわけなんですけれど、エリザベス・ハンドみたいな感じで創元海外SF叢書あたりから傑作選というかたちで出していただくことはできないでしょうか。お待ちしております。

 それではまた面白い小説が見つかったらご紹介したいと思います。おやすみなさい。

 

エンディング:tacica「HERO」


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