吉川良太郎全短編レビュー(仮)

【※】本記事は文学フリマ京都7にて頒布したコピー本「吉川良太郎全短編レビュー(仮)」を一部改訂した再録です。(仮)がついているのは、ほんとうに全短編なのか、ちゃんと調べきった自信がなかったのと、深夜のテンションでつくったため、作業時間もすくなく、レビューというよりは簡単な作品紹介でしかない、という自覚が大いにあったためです。また、本記事の作成には谷林守さんのご協力をいただきました。

 

 

吉川良太郎(よしかわ・りょうたろう)

 一九七六年、新潟市出身。中央大学大学院在学中の二〇〇一年、『ペロー・ザ・キャット全仕事』で第二回日本SF新人賞を受賞しデビュー。SF、ホラー小説などの執筆と並行して映像関係の仕事も始め、『エヴァンゲリオン新劇場版:序』および『エヴァンゲリオン新劇場版:破』に脚本協力をしたほか、漫画『解剖医ハンター』の原作を務める。マフィアの支配する近未来フランス暗黒街を中心としたサイバーパンクSF『ペロー・ザ・キャット全仕事』をはじめ、『ボーイソプラノ』、『シガレット・ヴァルキリー』は現在、徳間書店から電子書籍として販売されている。伴名練による日本の埋もれていたSFを再発掘するアンソロジー『日本SFの臨界点』には採られなかったものの、ゼロ年代にデビューしたSF作家のなかでも、最も異彩を放つ一人である。

 

「血の騎士 鉄の鴉」

 初出:『SF Japan』二〇〇一年春季号、徳間書店

 一九四五年、ノルマンディー上陸作戦以来、ドイツ軍は着実に疲弊しつつあり、ソ連軍のせまるベルリン市内もまた暗い予感に包まれていた。そのようななか、わたし(オットー中尉)を含めたSS隊員たちは、長官ヒムラーの命を受けて特殊作戦を決行する。その内容とは、ある貴族に会見し、城を接収すること。その初代城主〈エーリヒ不死者(ノスフェラトゥ)〉と怖れられた騎士であり、現在もその家柄が続いているという。「抵抗すれば捕縛、最悪の場合は粛正してもかまわん」とわたしは言われていたが、制圧のためには明らかに人員が不足していた。そしてそのためにヒムラーが用意したのは、SS古代遺産課軍属 不動産鑑定士 ラインハルト・ヘリゲルという謎の男だった。わたしを含めたSS隊員たちは、その接収先で〈化物〉たちと遭遇する――。

『ペロー・ザ・キャット全仕事』の受賞後第一作が本作である。『ペロー~』は吉川自信が研究していたジョルジュ・バタイユの思想を受けた退廃的な価値観と猫という生きざまとを科学技術によって橋渡ししたSFであったが、本作は第二次世界大戦末期のドイツ軍をモチーフとしており、こちらもまた歴史的な敗戦を間近に控えているということを含めて、どこか退廃的な、殺伐とした空気が漂っている。
 また本作は、いわゆる彼らドイツ軍が戦時中に抱いていたオカルト思想(聖杯探索などが有名である)をフィクショナルに増幅させた改変歴史ものといってもいいだろう。中世的な(未発達の)科学の夢や迷信がひょんなかたちで具現化し、しかしそれがスペキュレイティブなインフレーションに向かうのではなく、あくまでクールなバトルアクション活劇ととして読ませる。これこそ吉川作品の味わいである。その一方で、一九四五年当時はまだ扱い方が十全ではなかった「放射線」が作中では未知のエネルギーとして紹介されるなど、ある種の歴史改変ものにおける「エーテル」のような部分も見出せて興味深いところが散見される。以降、吉川はこういった歴史記述の隙間やオカルティズム的な疑似科学を現実にあったものとして作り替えていく改変歴史スタイルの作品をいくつも生み出していく。

 

「苦艾(にがよもぎ)の繭」

 初出:『酒の夜語り 異形コレクション光文社文庫、二〇〇二年十二月

 大戦中のベルギー。フランス語で「存在しない」という意味の酒〈アブサン〉を密造しては売り捌くべく、わたしは商談をくり返していた。ナチの手は迫っていたが、わたしにはSSの少佐との伝手があった。しかしある日、その少佐の紹介で男がやってくる。手には一本のガラスの小瓶。彼はそれをわたしに託したいのだという。それを一口飲み、わたしは確信する。〈ジャンティアナ・リュティア〉。それはかつて南仏でつくられ、製造法の失われた幻のアブサンだった――。

 のちに作者自身が公言しているが、吉川良太郎の自家は酒屋である。それが本作を生んだのかどうかは定かでないが、このアブサンというリキュールに関する本作の蘊蓄はどこか陶然とした態度で滔々と語られていく。十八世紀、錬金術師が蒸留という技術を開発したことに触れながら扱われるこの同時代性(つまり、オカルトと酒とはほんらいは分けられないような存在である)は、はっきり言って、いかがわしく、それでいて魅力的なほどに妖しげである。
 思えばデビュー作『ペロー・ザ・キャット全仕事』においても、主人公が改造した猫の身体に自分の意識を飛ばす前に、あたかも儀式のように飲み下していたのもアブサンだった。そのデカダンな香りに魅了され、身を滅ぼす者たちがいたという多くの歴史からもその魔力は語ることができるだろう。ゆえに本作においても、その味に絡め取られ、次第に破滅への道をたどっていくのが語り手である。

 

「ぼくが紳士と呼ばれるわけ」

 初出:『SFマガジン』二〇〇三年七月号、早川書房

 悪いのはぼくじゃない。断じて違う。十九世紀のパリ。ぼくは男に拳銃を向けられていた。事のおこりはこういう次第だ。ある満月の夜、パリにやってきたスパイの上前を、ぼくとウジェーヌはずる賢くはねようと考えた。ぼくの腕にはコルシカ猟兵団(ウーブルヘジン)とパリ大学が育んだカバラ言語工学の精華がある。阿片とニコチンの助けを借りる必要があったけれど、それによって回路を開き、ゴーレムを覚醒させることができるのだ。その力で垂直の壁を登攀し、ぼくたちはホテルの五階に忍び込んだ。けれどその先にあった紙幣の肖像は、なぜか皇帝ナポレオンではなくドラクロワが印刷されていた。そしてぼくの目の前で、相棒のウジェーヌの頭は吹き飛んだ――。

 特集〈ぼくたちのリアル・フィクション〉として掲載された一作。一読してわかるように、あの皇帝ナポレオンが流刑地から復活し、パリを制圧したという改変歴史作品である。しかし改変要素はそれだけではない。仮想物質エーテルの存在が立証され、錬金術諸学が発展した世界げ実現されているのが本作である。メスメルの動物磁気、ラボアジェの熱素、ニュートンの電気霊魂説、イザク・ヨサファトの新カバラ学、フランケンシュタインの〈英霊師団〉構想など、科学と隠秘学の狭間に漂っていた多様な学説たちが、ごった煮の状態となってオルタネイティブな十九世紀という大伽藍を作り上げている。編集部の言によれば、これはスチームパンクならぬ〈アルケミーパンク〉だそうである。
 もちろんこうした改変世界においても水面下で多くの動きがある。世界を説明するとある理論を提唱した博士(われわれSF読者にもなじみ深いあの人!)や歴史的に有名な哲学者が現れては、主人公のぼくを戸惑わせていく。パリはあたかもオールスターが跋扈していく巨大な舞台となっていく。加えて物語に隠れていた「ある仕掛け」に気づいたとき、読者は唖然とするはずだ。そして陰鬱な未来をかすかに思わせながら、ウィリアム・ギブスンのとある一説を思い起こさせる最終行で物語は幕を閉じる。完璧である。
 また、掲載誌のコメントには本作と同一の世界観をもとにした「K・ニューマン『ドラキュラ紀元』か山田風太郎魔界転生』かという一大活劇となる模様」の長編が構想されていると書かれ、のちに全二巻『ケルベロス』というタイトルが告知された(ちなみに『アート偏愛 異形コレクション』の紹介文では『三銃士』を下敷きにしたとある)。しかし二〇二三年一月現在、刊行情報は聞かなくなっている。

 

「幽霊ウサギとアリスのダンス」(作画:山本ヤマト

初出:『SF Japan』二〇〇四年冬季号
収録:『山本ヤマト・イラスト集 AURORA GEM』二〇〇九年、集英社

「汝、力の限り走れ。そこに留まらんと欲するならば」「禅ですか?」「『鏡の国のアリス』だよ」。茶館の二階にいる少年と老人。二人はなにかを探るように会話をしている。一方、別の場所では「アリス」と呼ばれる少女が真っ白な部屋で拘束されていた。彼女は聖女ジャンヌ・ダルクの聖痕を持つ唯一の人間であり、かの少年に憑依している人格のうち最も狂暴で危険な存在、青髯公ジル・ド・レ元帥を従わせることができるたったひとつの鍵だった――。

 シェアワールドSF〈憑依都市 The Haunted〉プロジェクトの開幕を飾る一編。本作は山本ヤマト作画による八頁のカラー漫画であり、ほとんど予告編といってよいものである。具体的なストーリーは以降、語られていくはずだった。
〈憑依都市〉がどのようなものであるかを知るためには、この『SF Japan』二〇〇四年冬季号に特集として掲載された「Q市年表」や六名のSF作家たち(瀬名秀明津原泰水牧野修森奈津子山田正紀吉川良太郎)によって書かれた原稿用紙二四〇枚にものぼる合作中篇(モザイク・ノヴェル)「The Scripture 聖典」を細かく読む必要がある。
 大雑把にストーリーを述べると、とある夏、隕石落下によって日本人の多くの思考が希薄化するという現象が発生。その後、空っぽ(エンプティ)となった人々に悪霊たちが憑依し、さまざまな事件や不可解な現象を起こすようになってしまう。暫定的に日本には統治府(その内部は不明)が設立され、またそれから数年のあいだに統治府によって開発された量子コンピュータACEによって地獄【イオ・ミヒ】の存在が立証される。
〈空虚後一年〉に生まれた少年サイトはあるとき研究施設「タカマハラ」で憑依人格(ルーラ)のジル・ド・レを暴走させてしまう。ジル・ド・レの悪霊は「城化現象(シャトリザシオン)」――触れるものすべての建築物をティフォージュ城内とのコラージュにさせる――を起こし、「タカマハラ汚染事故」の原因となる。またこれによって多くのエンプティが脱走した。
 サイトはなかでも特別で、六つの憑依人格を持っている。しかしその人格を従わせることのできる変身の鍵(メッセンジャー)と複数の組織の思惑によって、以降、彼はさまざまな特務に就くことを余儀なくされる。彼を待ち構える敵は多様な怪物(ペル・ソナ)、対ペル・ソナ調査機関「Dチーム」、二巡人格の美人秘書イザナミアンディ・ウォーホルそっくりの老婦人率いる「ファクトリー」などなど……。これらの多彩な設定やキャラクターたちがシェアワールドを構成する一編一編によって、すこしずつ拡張され、語られていく企画だった。なぜこの企画が空中分解してしまったかについては、申し訳ないがこの場では記述するつもりはない。

 

「大人はわかってくれない」

 初出:『ミステリーズ!』vol.09、二〇〇五年二月、東京創元社

 今から八年前、フランスのとある地方都市に、狩野大介という男がいた。彼はわたし、狩野朋の伯父であり、古ぼけたパサージュに小さな店を構える書籍装飾師であり、近代文学史において最も偉大な出版されざる作家の一人である。そしてその伯父は、クロアチア系のマフィアがシノギとしていた、高額な古書の贋作制作に手を染めていた。伯父はあるとき失踪し、同時にマフィアたちは捕まった。それから八年が過ぎた十二月、わたしは伯父の店に投函された二通の封筒を見つけた。便箋には人名と場所が記されていた。そしてその三日後、その便箋の内容と同じ場所で人が死んだ。残ったもう一通の手紙には、「ダイスケ・カリノ」と記載があった。伯父を助けるべく手紙の場所に向かうと、そこには伯父が雇ったという中国人の探偵がいた――。

 本作の背景となるのは、やはり吉川作品らしく、マフィアたちのきな臭い闘争といったところだが、そこに素性不明の探偵とひねくれた考えを持った少女、そしてクリスマスという季節が入り込み、どこか暖かい雰囲気のジュブナイルストーリーとなっている。
 また本作は吉川作品にしては比較的珍しい幼いタイプの語り手であるが、そうした語りや視点ゆえに、物語は最後まで出来事を俯瞰するような、ある意味で探偵的な態度にはならないのも面白い。むしろ従来の作品のようにウィットやユーモアの利いたはたらきをするのは現在軸にはほとんど登場しない不在の伯父(マフィアのシノギを壊滅に追い込んだのも彼の奸智によるものである)や中国人の探偵・李少琦(リイ・シャオキ(であり(ノックスの十戒の第五戒「主要人物として「中国人」を登場させてはならない。」を想起せずにはいられない)、そうした大人たちの世界との距離を保ちつつ、汚れずにいる少女が背伸びをしていくというささやかな冒険譚が本作の持ち味である。
ミステリーズ!』という掲載誌の色に合わせたということもじゅうぶんにあるのだろうが、SFでもホラーでもない、ミステリーという枠で描かれる吉川作品がほかにもあればよいのに、と思わずにはいられない。

 

「ピーターパン・ホームシック・ブルース」

 初出:『SF Japan』二〇〇五年 SPRING、徳間書店

『ピーター・パンは、子供を殺します』『彼は大人になってしまった子供を見つけると、(…)すぐに殺してしまうのです』『ネバーランドに住み続けるには……』古い古い約束のように、その答えは胸の奥で大切に覚えている。
「フック船長の海賊船で密航することさ」
 今から十三年前の夏の日、このQ市に隕石が落ちて、朝の青い空が真っ赤に灼けた。それがほんとうに隕石だったのかはわからない。政府がそう言っているだけだ。けれどそれ以来、わたしたち日本人だけに人格希薄(ペール)化現象が、続いて憑依(ペルソナ)現象という奇病が各地で発生した。わたしたち、陽乃と月乃という一卵性双生児は、大人になっていくにつれ、次第に離されていく未来に気づいていた。「逃げよう、月乃。二人だけで。二人だけで居られる世界へ」そして陽乃は言った。「ママを殺そうよ」実行は簡単だった。けれどもわたしたちはすぐに引き離されてしまった。そしてわたしは待った。ピーター・パンではなく、フック船長を――。

〈憑依都市〉プロジェクトの一編。主人公の双子の子をそそのかしたのはアンディ・ウォーホルに似た謎のお婆さんであるが、しかし彼女は物語に深く関わらない。エンプティである双子の姉妹は憑依者〈キャプテン・フック〉となり、暴走する。それを止めるのは、対ペル・ソナ機関「D(ドロシー)チーム」に所属する銃刀法登録サイボーグのティンカーとスケアクロウである。〈憑依都市〉の企画としては、明かされる情報も少なく、まだまだ序盤の一編だったといえるだろう。ちなみに〈憑依都市〉プロジェクト作品はほとんど単行本となっていないため、これらのストーリーを追おうとするのであれば『SF Japan』のバックナンバーを根気よく集めていく必要がある。
 また、〈憑依都市〉プロジェクトの単行本として唯一、世に出たのは津原泰水『アクアポリスQ』(朝日新聞社)のみであり、それも絶版ののち津原本人がウェブで一部分を公開していたものの、二〇二二年八月の段階で掲載サイトのサービス終了に伴い、閲覧が不可能になった。

 

「赤頭巾ちゃんに気をつけて」

 初出:『小説宝石特別編集 英雄譚』光文社ブックス81、二〇〇五年

 ぼくは大学の助教授として、H・セル――近年あるバイオ系企業が開発した「誰のものでもない人工細胞」――を培養していた。これは99パーセントの患者に対し拒絶反応を起こさず、しかも爆発的に成長が早いものの、倫理的な問題を抱えており、必要な部分以外の培養が禁じられている。けれども時折、育ちすぎてしまい、予定外の部品が発生することがしばしばある。そしてその日、ぼくは処理場にそれら廃棄物を入れたカートを運んでいるさなか、声をかけられた。それは運命だった。運命は美しい少女のかたちをしていた。ただし、首だけの――。

 とある人に言えない欲求を抱えた男が運命の女の子に出会う、といったボーイ・ミーツ・ガールの筋書きをホラー・サイエンスの味付けで送る一作。京都大学の山中教授らによるiPS細胞が公表されたのは二〇〇六年のことであり、本作はその直前に出版されたことになる。もしかするといくらかタイムリーな読まれ方をされていたかもしれませんね。
 本作がアイデアとして面白いのは、その「誰でもない」はずの細胞を培養した結果、童話の「赤ずきん」としての自我を持って少女が語りかけてくるという展開で、その無から有を生んだことの説明として、カール・ユングの「集合的無意識」を持ち出してきている点だ。つまりこの生首だけの「赤ずきん」は人類にとって目に見えない「無意識」の物語として、疑似人格を形成することに成功した奇妙な個体なのだ。
 ではそうして生まれた赤ずきんは、やはり物語のように狼に食べられることになるのだろうか、といった邪推がこの文章を読んでいるあなたの頭のなかではじまると想像することは容易なので、その結末はぜひ実際に読んで見届けていただきたい。

 タイトルはもちろん庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』からだろう。

 

「ドリアン・グレイの画仙女」

 初出:『アート偏愛 異形コレクション光文社文庫、二〇〇五年十二月

 わたしの前に、黒い紐でつづられた古いタイプ原稿の束と、錆びたクリップで添付された一枚の古い写真がある。ありていに言って、これはポルノ写真だ。写真機の普及によって、娼婦のブロマイドや裸婦写真が英国のアンダーグランドで流行したのは写真史に詳しければご存じだろう。そしてこれは、その闇の美術史の、知られざる傑作の一つである。そう、これは孫文『倫敦被難記(キッドナップト・イン・ロンドン)』の破棄草稿なのだ――。

 一八九六年、のちに「中国革命の父」と評される孫文は最初の武装蜂起に失敗し、一千元の賞金をかけられ、国を追われた。そして一年の放浪の末にロンドンに到着した。その滞在中、清朝のスパイによって拉致監禁され、死刑台に立たされる寸前になるという大難に遭う。その経験を英文でしたためたのが『倫敦被難記』であるが、そのさいの語られざる出来事を描いたのが本作である。その彼自身が綴ったとされるのは、銃弾を胸に受けて死んだあと、ふたたび息を吹き返した東洋人の少女の話だった。
 この不死の少女の身元を知る老人は、『ドリアン・グレイの画像』という小説を例にあげて、彼女に施されているのは「屍解仙(シジェーヂアン)」という中国の古い呪術だと説明する。つまり写真としてエーテル体を光学的に定着させ、少女の身に降りかかるものの身代わりにさせ、少女自身を生き延びさせる。それを聞いた孫文はこの少女を中国革命のためのジャンヌ・ダルクとして譲ってほしいと懇願するが……。
 このような一種の歴史的な空想の膨らみ、あるいは年表の空隙を突くことでオルタネイティブな物語を生み出していくスタイルは、おそらく山田風太郎的な歴史小説の発想法に基づくものだろう。と、このように述べてしまうと勘のよい読者は本作の「仕掛け」に気づきやすくなってしまう可能性があるものの、あえてここでは言及しておきたい。なぜならこうした「歴史の交差」を狙った作劇スタイルはいま現在、吉川良太郎ではないべつのSF作家に受け継がれているからだ。それはだれか。
 そう。なにを隠そう、伴名練である。

 

「いばら姫」

 初出:『小説宝石』二〇〇七年九月号、光文社

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 若くして亡くなった、藍沢香澄という挿絵画家の名を知る人はそう多くはない。ある園芸専門誌で栽培家のエッセイなどに挿絵を寄稿し、植物学者だった夫の影響か緻密かつ幻想的なディティールと、時折絵に添える散文詩のような小文は、どちらも一部に人気があった。わたしが彼女に会ったのはもう二十年も前のことだった。あの頃、病弱な彼女を日本に置いて、親戚の夏生おじさんは治療薬や漢方を探しにフィールドワークをしていた。それを聞いて憤慨した子供のわたしは「ぼく将来、医者になる。そしたらきっと香澄さんを治してあげるよ」と約束した。彼女の遺作としてノートに綴られた文章には、あの夏の記憶の続きがあった――。

 掲載誌の関係か、どこかSFと幻想ホラーのあいだを漂うような、不思議な味わいの、そして愛の物語である。幼い頃からの病気によって余命わずかな香澄は、雲南省の奥地にある、巫祝(ウーズ)(シャーマン)にだけ伝承された民間医療があることを知らされ、それによって健康を取り戻したのなら結婚を申しこみたい、と夏生に告げられる。
 現地のシャーマン曰くそれは房中術であるが、ほんらいは女性同士でおこなわれるものなのだと言う。香澄はそれを受け入れ、帰国後、次第に回復していった。しかし、彼女の身体にはシャーマンが肌に刺していた入れ墨とおなじように、茨のような緑の線が現れるようになってしまう。夫はそのような状態の彼女にも以前とおなじく愛情を注いだが、しかしその茨ゆえに、ぎりぎりのところで一線を引くようになる。そうして彼女はまるで、永遠の眠りに閉ざされたいばら姫のように近づきがたく、だれにも触れられることのない存在となってしまう。
 本作の大半はこの香澄自身によって書かれた手記で構成されているのだが、それを読んだあとの読者に去来するのは、ひとつのささやかなミステリーだ。そしてその謎が解けたとき、夏の植物のかもしだす芳香に似た、じっとりと生温かい読後感がやってくる。童話をモチーフとした吉川作品はいくつもあるが、本作はそのなかでも飛び抜けた出来の一作である。しかし現在、掲載誌を中古市場等で入手することは難しく、国立国会図書館等でしか読むことができないのが惜しまれる。

 

「誰がひばりを殺したか」

 初出:『SF Japan』二〇〇八年SPRING、徳間書店

 牢獄の魔女の背に、翼が生えてきたという。その奇怪な噂が北フランスの都市ルーアンに広まったのは、件の魔女が捕縛されてから一年が過ぎようとする初夏のことだった。ではその翼とは悪魔の巫女にふさわしい黒い蝙蝠の翼か、はたまた猛禽の翼かと、噂には尾ひれがつきそうなものだが、不思議とそれについてはみな、おそらく誰もがおなじことを考えているだろうという沈黙があった。すなわち、それは天使の翼ではないか。その魔女の名はジャンヌ・ダルクといった――。

 法王庁の奇跡審理委員会に命じられたルテラン神父は、ジャンヌ・ダルクが幽閉されている牢で信じられないものを目撃する。それから神父に向かって「やれやれ、天使を創り出すつもりが、妙なことになりました」と青髭公お抱えの魔術師フランソワ・プラレッテは説明をはじめる。ジャンヌの身体に現われたそれは聖痕(スティグマータ)などではなく、東洋に伝わる〈怪異〉なのだという。このままではジャンヌを救えないと確信したルテランは、その状況を逆手に取った計画を立てはじめる、といった歴史人物を題材としたダークなジャンルミックス的ホラーである。
 令和のいまでこそ、ジャンヌ・ダルクという存在/キャラクターにまつわる表彰はありふれている(それこそソーシャルゲームや映画、舞台にもなっている)が、その多くでは彼女の高潔さ、美しさにフォーカスされている点が多いのは周知の事実だ。しかし本作はある意味で「そうした聖女像がどこから来たのか」という部分から逆算されてつくられたと思われる節があり、オルタネイティブな歴史を用意する吉川流のスタイルはここで強烈な皮肉として成立している。それこそ伴名練「二〇〇〇一周目のジャンヌ」と併読することで作家たちが〈聖女像〉というものに対して、どのようなアプローチをしているのかを比較検討できるはずだ。

 

「吸血花(アルラウネ)」

 初出:『SF Japan』二〇〇八年WINTER、徳間書店

 採録日本文藝家協会編『短篇ベストコレクション 現代の小説 2009』徳間文庫、二〇〇九年六月

 暗黒時代の本草学者の書斎めいた土蔵は、そのまま鉈川家の歴史であり、また秋彦の記憶の中でもある。その奥には、青いワンピースを着た少女がいる。少年のようにほっそりした足先は、昔風に涼をとるように大きな素焼きの鉢の中に入っている。ただし、鉢に満たしてあるのは水ではない――土だ。その少女は、秋彦をかつていじめ、弄んでいた義理の姉の綾女であり、彼女を殺したのは秋彦自身だった――。

 アルラウネ、すなわちマンドラゴラをテーマにした一編である。種や球根があるわけでなく、「生き物の血がしみこんだ地面から生えてくる」というところから、殺した姉の血を吸った地面から可能のそっくりのそれが現れ、男が世話をする、というどこか暗い、官能的な欲望がにおう。時代や土着の湿った空気を思わせる語りといい、乱歩的なエロティシズム幻想譚に近く、『異形コレクション』に収録されているといわれてもまったく不思議ではない。
 とはいえ、本作にも吉川なりのユーモアであり、ウィットがここぞというところで立ち現れている。終盤で語られる「だが――庭師と薔薇は、いったいどちらが主人だろうか。」という言葉から見える価値転倒は、そうした架空植物の持っている官能的なテーマの持つ豊穣さを、じつに気味悪く、素晴らしく語ってくれる一節だろう。

 

 

青髭の城で」

初出:『Fの肖像 フランケンシュタインの幻想たち 異形コレクション光文社文庫、二〇一〇年九月

 ローマ教皇庁所属「禁書室」、別名「地獄室(アンフェール)」。異端の思想書、魔術書、錬金術書、絵画や彫像に至るまで、人間の知的・芸術活動のうち世にあってならぬものはみな、神の代理人たる法王の名の下に禁書とされ、ここに封印される。当初、わたしの目的はアラビアの古典医学書を研究することだったのだが、ふとこの中世の殺人鬼に興味を惹かれはじめた。分厚い裁判所のページをめくって、事件のあらましを確認してみよう。少年虐殺者ジル・ド・レ――またの名を青髯公。その城門を開こう。

 とある無名の研究者がジル・ド・レの生み出した地獄を調べていくうちに、だんだんと不可解な点が増えていくという、いくらかドキュメンタリータッチで語られていく一作である。語り手の気づいた疑問点は複数ある。ジル・ド・レほどの大貴族であれば自分の領地で人を百人殺そうが千人殺そうが、咎めることは難しいのではないか。まして、一か月で結審してしまうとはどういうことか。ほかにもジル・ド・レがどうやって彼の持つ莫大な財産を短期間で消費していったのかもわからない。このような調子で、みるみるうちに謎は増えていき、しかし中世の闇のなかに、なにか巨大なもの影が見えてくる……。
 語り手は次第に青髭公に導かれるかのように行動をはじめ、そのさまは、まさしく暗い部屋のなかに灯した蝋燭がちろちろと揺れているのを見つめているかのようで、静的な語りながら、じつにスリルに満ちている。その探索行の奥の奥、やがて現れるのはとある秘術といっていいものであり、最後には、わたしたちの知っているあの一冊の「書物」へとたどり着く。さて、これ以上はもうなにも言うまい。

 

 

「黒猫ラ・モールの歴史観と意見」

 初出:『SF JACK』角川書店、二〇一三年二月
 文庫:角川文庫、二〇一六年二月

 一七九四年夏、パリには革命の嵐が吹き荒れていた。そしてニナは地の底にいた。正確には、彼女の首が仰向けに横たわっている。体も一緒に墓地に投げこまれたはずだが、どこへいったか見当もつかなかった。そして動けない視界の端には一匹の猫がいた。ニナは猫と対話をはじめる。猫は、この共同墓地で死者の記憶を吸収して、成長したのだと述べる。「我輩はなにものか――行ける墓穴、死者たち(レ・モール)の記憶を集積した図書館、あるいは死(ラ・モール)そのものである」猫は死体から死体へ、戦争から戦争へと歩き渡り、そしてその語りはどこまでも続いていく――。

 本作はもちろん「我輩」と猫が語るように、夏目漱石我輩は猫である』および、ローレンス・スターン『トリストラムシャンディの生涯と意見』へのタイトルの目配せを含みながら、そのとりとめもない、しかし泰然とした語りは次第に時間の制約を飛び越えて、SFとしての語りにシフトしていく。そのスケールはしなやかで、人間中心主義を離れていく。吉川作品としてはかなりひさびさの「猫」テーマの作品である。ぜひその遊歩的な思考の道をたどってほしい。
 また本作が収録されている『SF JACK』の文庫版には、瀬名秀明による北欧神話を下敷きにしたポストヒューマン作品「不死の市」が収録されていないため、お求めのさいは単行本版を探すことをおすすめする。

 

「おかえりヴェンデッタ

 初出:webサイト『SF prlogue wave』二〇一五年五月(現在閲覧不可)

 収録:岡和田晃編『再着装の記憶――〈エクリプス・フェイズ〉アンソロジー』発行:アトリエサード、発売:書苑新社、二〇二一年九月

 火星の小さな植民市、人型ラジオが歌うシャンソンの流れる店のカウンターでは、ド・ゴールケネディが政治談義にふけっている。窓際には初代ジェームズ・ボンド。どれも義体だ。そしておれは二十年前のおれと対面していた。同時にマフィアに追われていた。「いったいなにしたの?」「ボスの部屋で花瓶を割ったんだ」「それだけ」「……ボスの頭で」大急ぎで自分の分身をつくらせた。クローン義体だ。それにバックアップの魂をダウンロードして、もう一人の自分を作り出す。二手に分かれて追っ手をまき、あとで魂を統合するつもりだった。が、しくじった。連中に嗅ぎつけられ、大急ぎで逃げ出したのだ。中途半半端なコピーを連れて――。

 二十三世紀、技術的特異点に到達した未来の太陽系を舞台としたRPG〈エクリプス・フェイズ〉の世界観を共有したシェアワールドの一作。サイバーパンクスペースオペラ、ポストヒューマンなどの要素を含みつつ、しかしどこまでも人間味にあふれる物語が本作である。かつての自分と現在の自分はどこか相容れなく、しかし見えない絆がそこに生まれる。マフィアが登場するのは相変わらずの吉川節といっていいが、どこかジュブナイル的な苦さが現われる。
 本作は二〇二三年一月現在、吉川良太郎の最新作となっているが、『新潟発R』二〇二二年夏号(ニール)のインタビューによれば、「長編小説の企画が二つ進んでいます」とのこと。是非、吉川良太郎の長編新作を待ちのぞむついでにこれまでの諸短編を読んでいただきたい、と書いたところで、このレビュー企画を終わらせたい。拙文にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。