Bluetoothイヤホンを使い始めた、そして今日も古本市に行く。

博『ゆめくり』第四巻より。かくありたい。

イヤホン:TaoTronics TT-BH07MK2

 ちょうど一か月ほど前に、Bluetoothイヤホンを買った。昨年までイヤホンジャックのあるiphone 6sを買い換えたくなくて使いつづけていたが、iOSのヴァージョン更新に伴い使えなくなる、との発表を聞き、諦めて買い換えた。

 6sはアイカツ!フォトonステージ!!』をプレイするためだけに買ったもので、およそ七年の付き合いである。電池も二回交換したし、画面は一回も割らなかった。そうした愛機とお別れかと思うと悲しい気持ちもあった。しかしもう『アイカツ!』も10th storyだしな……前に進まなくちゃ、と思う。

 というわけで現在はiphoneSE の第三世代を使っている。ちなみに買い換え時に抗菌加工ができると言われて面白そうだったので6000円払ったらお寿司の醤油の袋よりちょっと大きいくらいのパックに入ったぬるっとした液体を擦り付けられて終わった。え、それで6000円なんですか???? ぜったい液体の値段高く見積もっても1000円くらいですよね、どんだけ人件費に割いているんですか。もはやオカルトでしょ。

 そうして買い換えたiphoneのイヤホンジャックは消失し、しかし音質やコストパフォーマンス、利便性の面から有線イヤホンを使いつづけていたかったのだが(なぜなら夜中寝ているあいだも音楽を聞き続けたかったので)、購入した変換プラグがだいたい二週間おきに駄目になる、のを五回ほど繰り返し、ようやく重い腰を上げてBluetooth対応機器を買うことにしたのだった。無限に不便を強いられるほどわたしの精神は強靱ではなかったので。

 購入の基準としては、有線のころまではいかないものの、長時間使用に耐えうるものと、それなりの音質、あと壊れてもすぐに買い換えることのできる価格帯、という希望にそうスペックを探した。

 結果、TaoTronicsのTT-BH07MK2になった。アマゾンではさまざまなメーカーが需要の多さに合わせるために作っているらしく、調べてもきりがないので早々にサウンドハウスで探すことにしたのがよかったのかもしれない。

 自分は販売業者としてのサウンドハウスをそれなりに信用している。音楽オタクのための販売サイトにイビルな商品を置くことはしないだろう、という判断だ。Playtech製のギターは信用していないが。

https://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/280744/

 また、自分はズボラなのですぐ部屋や外出先でなくす可能性も加味して、ケーブルつきのものにするというのも大事だった。おかげで有線のときと装着感はたいして変わらないが、まあまあの買い物ができたと思う。あたらしいガジェットに手を伸ばすのに、消極的な理由で決めたので、それほどわくわくしなかったのは悲しかったけれども……。

 それにしてもこんな小さなパーツでしか構成されていないものが、充電することで連続およそ二十時間動くというのが直感と合わない。いまだに戸惑っている。

 リチウムイオン電池はまだそれなりのサイズ感と重量があるので信じられていたが、これについてはビスケット菓子のアスパラガスの半分ほどしかない。森永のミルクキャラメル一粒でも300メートルしか走れないのだから*1、もほやこれはオカルトというより魔法である。発達した科学は魔法と区別がつかない。ところでこの法則、スタージョン以上にフィクションのなかで擦られすぎてて、日常会話で使うとダサくなりませんか?

水薙竜ウィッチクラフトワークス』第三巻より。

 

京都の小規模古本市に行く

京都古書会館。自転車のイラストと「止めれます」が「停」でないのが味わい深い。

 京都の古本市というと年三回(春のみやこめっせ、夏の下鴨神社糺の森、秋の百万遍知恩寺)ある、のだが、最近は小規模な古本市が定期的に開催されることも多い。この土日は京都市内だけで三箇所も古本市が開催されている。

 開催場所は、京都古書会館、丸善ジュンク堂地下二階、京都駅前地下ポルタ、の三つである。詳しくは各自で調べてみてください。自分はこの土日で、三箇所を制覇した。東京ではブックオフめぐりが一部では流行っているが、最近の京都も捨てたものではないな、と思う。

 古本市が開催されると、ここ数年はなるべく行くようにしている。というのも、たんに古本を買うのが好き(散財するものがそれくらいしかない)というのもあるが、それ以上に知らない本への接触機会を増やすようにするため、というのがあるからだ。

 自分は基本的に小説執筆のための資料であったり、そのときどきの興味に伴って本を買うので、一般書店では決まった棚の前にしか向かわない。

 けれども古本市の場合、ある程度までは古書店側の判断によってジャンル分けされているものの、基本的に棚にどんな本が個別に並んでいるのかはわからないので*2自然とすべての棚を見回って確認するようになる。総当たりをするのが当然の状況になっている。

 もちろん並んでいる背表紙を見ても、手に取るものの多くは、自分の脳内にあるアンテナに引っかかったものが多くなる。けれども、だいたい数ヶ月ごとにこういう場所によると、それまで手に取らなかった本を手に取るようになっている。なぜならその数ヶ月のあいだに自分の興味を広げていたり、小説の新作執筆のために脳内を占有している検索ワードが変わっているからだ。そういうときにはだいたい一、二冊ほど、気になっていた作家や本を見つけて購入する。

 これを一年くらいやると、だいたい短編一個くらいのネタになる、という体感がある。え、執筆ペース遅くないですか。ごめんな。

 一時期よく、リアル書店は偶然の出会いをつくる、という対ネット書店用に使われる文言が本に関わる人からは述べられていたが、そもそも棚の前に行かなくては出会いもあったものではない。そもそもリアル書店だって返品システムがあるのだから、セレクトショップ的なかたちで特化させないと、偶然の出会い、というほどの狙った演出もできない。よって、そういうときに古本市は比較的、リアル書店よりも偶然をつくってくれる可能性が高い。通うことにしているのはそういう次第だ。

 だとしても、これはたぶん、それなりに本や作家、とくにジャンルに対する知識のマッピングができている人間の発想だとも思う。かつてそうではなかった大学一回生のころ、意気揚々とした気分で春のみやこめっせの古本市に行ったものの、並んでいる本の価値がさっぱりわからなかったので文庫コーナーだけ軽く漁って敗北感とともに帰っていく経験をしたことを忘れているわけではない。べつに本に限らず、レコードショップでも似た経験はある。

 いまとなっては、そんな敗北感など抱えずにただほしいと思ったものを適当に買えばいい、という話なのだが、そこまでおおらかになるためにも本はそれなりに読んでいく必要がある、というのも難儀な話だと思う。

 まあそういうことやってると年に百冊単位で積み本が増えていくわけですが、まあそれはそれということで。

購入本その1。

購入本その2。

 箱入りの本とか全集とか、場所をとるのでなかなか買えなくなっちゃったね。

 

エンディング:The SALOVERS「文学のススメ」


www.youtube.com

*1:『だがしかし』で学んだ知識だ。

*2:高価な本は目録に載ると思うが。