百合短編小説レビュー企画『名づけられなかった花たちへ』第1回:田村俊子「惡寒(さむけ)」

 本記事は百合短編小説レビュー企画『名付けられなかった花たちへ』の第1回です。 前回の記事は以下になります。読まなくても本記事の内容は読めます。

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第1回:田村俊子「惡寒(さむけ)」(『田村俊子作品集・1』『田村俊子全集 第2巻』収録)

 語り手である「私」は「あなた」のことを思い出している。もともと仲のよかったふたりであったが、ある晩を境に会わなくなってしまっている。「あなた」はとある人物との結婚を控えていたが、それを反故にして、おそらくV*1という人物のもとを訪れている。それが届いた葉書から察せられている。「大凡然うであろうと見當を付けたあの晩の私は、その爲にあなたが憎かったのです」と語り、幾度となく「私」は「あなた」に向かって呼びかけ、懐かしい思い出をひとり反芻しつづける。

 ハードカバーにしてたった12頁ほど*2の文章のなかに、夥しい数の「あなた」という文字が眠っている。

 くり返される「あなた」へ向かって語りかけられる、その一連の文章を目で拾ってゆくうちに、読者はしかし、その親密な「あなた」ということばに反して、語り手の持っている相手へのつよい憎悪と、同時に割り切ることのできない激しい煩悶を読み取ってしまうことになる。語り手の感じる「惡寒」というのは、だから、ぷつりと途切れ、千切れてしまったその気持ちをうまく処理できず、ただ野ざらしにされていくときの皮膚のつめたさなのだろう*3

 この小説の書き手、田村俊子という作家を、今日、なんの手がかりもないままに既知のものとしている読者はおそらく、それほど多くはないと思われる。彼女の代表作を収録した『あきらめ・木乃伊の口紅 他四篇』(岩波文庫の初版第一刷は1952年。すでに70年の時間が過ぎている。もちろんそのあいだに幾度か復刊はされているようであるし*4、94年には木乃伊の口紅・破壊する前』(講談社文芸文庫が刊行されている。しかし、文庫としての刊行はこの二冊のみで、2023年現在、両者とも長い絶版状態にある。

 このほかに図書館等で比較的、手に取りやすいのは、瀬戸内寂聴小田切秀雄草野心平によって監修された田村俊子作品集』(オリジン出版センター、1987~88年)の全3巻。また、黒澤亜里子、長谷川啓監修による田村俊子全集』(ゆまに書房、2012年~)の全9巻+別巻1巻が挙げられる。ただし『全集』の別巻は現在、刊行未定。また『全集』については、初出誌のものを復刻しているが、一冊あたりの値段がかなり高価なものであり、あくまで文学研究用の資料として刊行されたものであり、個人が軽い気持ちで手を出せるものとはいいがたい。

 よって現在、積極的にその背表紙に手を伸ばす人は、だれかからその存在をそっと耳打ちされたことのある人ではないだろうか。そうした経路としてもっともありえそうなのは、瀬戸内晴美瀬戸内寂聴)による評伝『田村俊子』(講談社文芸文庫ほか)に触れて、といった流れだろう。

 とはいえ、まずはこの短編「惡寒」について語りたい。

「なんでもいゝから私の心に觸つて貰ひたくないの。私の心にさはられるのが厭なの。」

 ひどく強烈な拒絶の感情をもとに語られた、どこか奔放な様子を思わせる「あなた」の台詞を引いてみせたところから、本作ははじまっている。

 けれども、そこから綴られていくのは、その「あなた」とはすでに離れてしまい、ひとり残されている「私」の淡々としたひとり語りだ。「あなたがいなくなつて了つた後の私は、浮世を寂しがつて、さうして矢つ張りあなたの事ばかり思つています。あなたと云う人が懐しいんです。」とつづいていくように、これは回想のスタイルをとった書簡体小説といってよく、ほとんどラブレターのかたちを成している。

 やがて浮かびあがってくる「私」と「あなた」の関係は、あまりにも脆く、ひどく拙かったもののようにも見えてしまう。最後に会ったとき、語り手は「あの晩は私の心とあなたの心がちつともそぐはないで」別れたことを思い出す。しかし「又あの晩ほど私はあなたを憎いと思つたことはない」とも述べる。

 なぜなら相手の内心に思うところのあった「私」はわざと「戀といふやうなこと?」と訊ねたのに、対して「あなた」はまったくその真意を隠したままに「とう/\云はないであの晩限(ぎ)りで別れてしまつた」という不義理をしていたからだった。

 であれば「私」の胸中にあったのはなにか。語り手は「然し私は知つてますよ」とつめたく告げてみせる。「あなた」は「その大切に圍んでいるその心をだれかの胸の内にあづけている」に違いない。そう言い張る。だから「大凡然うであろうと見當を付けたあの晩の私は、その爲にあなたが憎かったのです」と述懐する。

 次第に「私」の語りはゆっくり過去へと引き摺られていく。「私はあなたとよく遊びました。」「劇場へゆき、展覽会へゆき、カフエーへゆき、一銭の玩具や千代紙を買つて、買ひ集めてさうして遊びましたね。」「斯うして私にはあなたと云ふ人が忘れられない人でした」。語り手はすでに結婚している身でありながら「さうしてあなたと二人限りの生活を初めやうかとさえ思ってゐました」「私は二人でおもちや店(や)を開いて、さうしてあなたは繪を描き私は筆を持つと云ふ様な樂しい生活を想像して見たりしました」とさえ赤裸々に語る。

 けれどあなたはとう/\私から離れてしまつた。普通の女友達と云ふ終局を私に押し付けて、さうして私を離れてしまつた。

 だから、恋を知らなかったはずの「あなた」がどこか幼さの残る関係を反故にして、「私」を「普通の女友達」にしてしまったのを「私」自身は心のうちで憎むほどに恨んでいる。ふたりの関係は「おもちや」というささやかなものに仮託されていたはずなのに、最後の晩には「あなた」は「おもちやのことを考えても厭」と言い放つ。「あなたの眼にはもう赤や靑の單純な色は映らなくなつてゐました」。そうして終わってしまった相手に対して、「私」は綴る。

(…)私はあなたが懐しい。――けれど逢ひたくはない。

 だとしても、その言葉があまりにも不格好な強がりであることに、この文章に触れている読者だけは気づいている。

 

「同性の恋」について

 現代における文学研究などでは、田村俊子という人物は、大阪朝日新聞社の懸賞で一等に当選し、文壇デビューとなった作品「あきらめ」(1911年)の段階で、いちはやく女性同性愛を描いた作家であり、ほぼ同時期に発足した『青鞜』にあるような、既存のジェンダー観に限られない「新しい女」を体現する人物として語られている。しかしその一方で、女性同性愛に対しては、抑圧的な内容の寄稿をおこなっていた人物としてみなされることもある。

 この分裂の原因としてはもちろん、田村自身が男女問わず、奔放な恋愛をおこなっていたという証言が数多くあり、その本心を容易には決定しがたいためであると思われるのだが、しかし田村の同性愛に対する態度(の本心めいたもの)は現代の読者からすると、厳しいものとして語られやすい。

 とりわけ、同性愛に対して抑圧的な当時の感覚を彼女自身が内面化していたという証拠として、男性とじっさいに結婚していたこと(≒田村俊子レズビアンではない*5)があり、そのうえ中央公論(1913年1月1日発行)に掲載された「同性の恋」という文章のなかで、その関係を「誰でも一度は感じるもの」とし「一層濃厚な一種の友情を感じたがるのは極めて自然」であり「同性間に感じる一種の友情もこの娘たちの感情のおもちやと云つていゝのです。肉的な誘惑のない危険のない結構なおもちやだと思ふのです」*6と矮小化するように論じたことが挙げられる。

 もちろんこの田村の記述は現代から見ると、かなり性差別的であるのは事実だが、ここにはいくつかの層があることを考えておきたい。

 まず当時、心中事件などによって、同姓愛が危険視されていたこと*7があり、それに対して田村はあきらかに反論していること。これは文意上、はっきりと結論できる。そして第二に、田村自身は、この「一種の友情」といった枠に入ることのない女性同士の性的な関係を、小説のなかで幾度も描いているということ。そして最後に、この「惡寒」と「同性の恋」というふたつの文章のあいだには「おもちや」というキーワードが共通していることがいえる。

 たしかに田村によって見出される関係はいささか子供じみた印象を与えている。まるで男女の恋愛のほうが将来的にたしかなもの、あるいは上位に置かれた関係として語られている。よって同性愛はただの下位互換と見なされる。

 しかし「惡寒」のなかで、すでに夫もいる女性の語り手が「あなた」との関係を通して「私はすべてに向かつて自分の女と云ふ事を忘れてゐる事が出来ました。自分の現在の生活からちよいと立越えてゐられる様な感じが味はえたのも其の頃でした。」とまで綴っていることを見逃すことはできない。そうしてまで仮託していたはずのものを、ただただ、簡単に「フィクション<ノンフィクション」といった勾配関係のなかに終わらせてしてしまうのは、あまりにも一面的な態度にすぎる。

『作品集』および『全集』の解題によると、「惡寒」における「あなた」のモデルとなった人物は特定されている。瀬戸内晴美による評伝『田村俊子』のなかでは「惡寒」について言及している箇所は一行たりともないものの、そのモデルとなった人物は、たった一度だけ、なんの修辞も使われないままに、ただ唐突に現われる。

 裁縫のうまい俊子の指先は、千代紙人形もこまめにつくりあげた。仕事に疲れた時か、気乗りのしない時に、人形はつくりだされた。千代紙で着物をつくり、半紙半枚で、色んな髪の型に結ったあねさまの顔が出来あがる。人形つくりは、江戸時代から下町に伝わっていた方法を、母に習ってうけついだらしい。

 その日の気分で、踊りや芝居から主題がとられ、「潮汲み」や「藤娘」であったり、「五人女」であったり、あでやかな遊女であったりした。人形はいつのまにか三十もたまった。

 明治四十五年六月二十五日から二十九日まで、琅玕洞で展覧会を開いて展示した。

 そのさい、当該人物は「うちわ絵を七十本ちかく描き、いっしょに出品した」。瀬戸内による記述では、田村のそうした紙人形などは「終生、ぬけなかった、どこか雅っぽい少女趣味」のあらわれだとされている。田村は「子供のように、目についた玩具を買いたがり、時々、幼女がするように玩具箱をひっくり返して、集めた玩具をならべてひとり遊んでい」た。彼女の玩具についての記述も、それ以上は見られない。

 けれども「惡寒」を読んだわたしには、「さうしてあなたと二人限りの生活を初めやうかとさえ思ってゐました」「私は二人でおもちや店(や)を開いて、さうしてあなたは繪を描き私は筆を持つと云ふ様な樂しい生活を想像して見たりしました」というあの切実なことばたちを、どうしても、完璧な嘘であるとは言い切れない。

 だからそのことばは、箱に押し込めた人形のように、いまもまだ、だれかに捨てられることもなく、ひとしれず埃を被ることもなく、ただ思い出のなかに残されている。日陰のなかの千代紙のように、失われない色のまま、そっと触れることができている。

 

「惡寒」初出:1912年10月1日発行『文章世界』(第7巻第13号)掲載。

 

参考文献一覧

・『田村俊子作品集・1』オリジン出版センター、1987年。

・『田村俊子全集 第2巻』ゆまに書房、2012年。

・『田村俊子全集 第3巻』ゆまに書房、2012年。

田村俊子『あきらめ・木乃伊の口紅 他四篇』岩波文庫、1952年。

 ・新・フェミニズム批評の会『大正女性文学論』翰林書房、2010年、長谷川啓「田村俊子と同姓愛」。

・伊藤氏貴『同姓愛文学の系譜 日本近現代文学におけるLGBT以前/以後』勉誠出版、2020年。

飯田祐子『彼女たちの文学 語りにくさと読まれること』名古屋大学出版会、2016年。

瀬戸内晴美田村俊子講談社文芸文庫、1993年。

丸岡秀子田村俊子とわたし』中央公論社、1973年。

日本文学の中のレズビアン : 日本近現代文学における女性同性愛表象研究の方法論試案 (ロザリー・レナード・ミッチェル記念奨学金論文) | CiNii Research

大正時代における女性同性愛を巡る言説 : 「同性の愛」事件と吉屋信子『花物語』を中心に | CiNii Research

「畸形」を仮装する : 田村俊子「春の晩」における女性同性愛表象 | CiNii Research

 

補遺

 田村俊子「惡寒」は現在、kindleでおそらく個人によって文字起こしされたものが単話で販売されているが、旧字旧仮名を完全に再現したものではないと思われる。なるべく本作の雰囲気をそのままに感じてほしいので『作品集』および『全集』を手に取ることを推奨する。また『全集』は初出の復刻であるため、ところどころ文字の判別が難しい点に注意してほしい。

 田村俊子の作品は「木乃伊の口紅」以外、青空文庫になく、なかでも百合要素のあると見なせるものを手に取りたいのであれば、「あきらめ」「春の晩」が収録されている『あきらめ・木乃伊の口紅 他四篇』(岩波文庫を探すのがよい。

 もし、図書館等で『全集』にあたることができる環境があるのであれば、第2巻には「惡寒」のほか「匂ひ」という短編が収録されているのでこれも読んでいただきたい。「匂ひ」は十歳であった語り手が祖父の妾によって性的寵愛*8を受け、あきらかにその妾に対して感情が傾いてしまうという強烈な内容の作品となっている*9

 そのほか『全集 第2巻』には『少女の友』に掲載された「かなしかった日」という短編がある。これは幼い主人公が、年上の女中との絆を結んで「姉にも妹にも友達にも」なったのち、嫁入りのために女中が去っていくときの一幕を描く。

『全集 第5巻』には「恋した女先生」というエッセイが収録されており、田村自身の熱烈な初恋の経験が語られている。

田村俊子作品集 第1巻

田村俊子作品集 第1巻

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*1:初出では「Y」。

*2:田村俊子作品集・1』で換算。

*3:ただし、『全集』2巻の解題で、長谷川啓は「根底にあるのは田村松魚との「悶えの多い」夫婦生活であ」ると見なしている。

*4:わたしが持っている岩波文庫の帯には「リクエスト復刊1994年春」とあり、奥付には「四刷」とある。

*5:それが証拠として採用されることじたいがそもそも固着した考えにも思えるのだが。

*6:田村俊子全集』第3巻、ゆまに書房、2012年を参照。

*7:詳しくは鄒韻「大正時代における女性同性愛を巡る言説 : 「同性の愛」事件と吉屋信子『花物語』を中心に」を参照。

*8:解題にそう書かれている。

*9:『全集』第2巻収録時にはエッセイとされていたが、第4巻に収録された「『匂ひ』を書いた頃」によれば創作であるという記述がある。