第2回星々短編小説コンテスト一次通過作品「彼女のチケット」

 昨年末にささっと書いていた小説が一次通過していました(最終には残りませんでした)。発表するあてもないのでここに置いておきます。お暇つぶしにどうぞ。

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 第2回「星々短編小説コンテスト」の募集テーマは〈映画〉でして、そういえばむかし地元に潰れた映画館があったなあ、と思いながら〈日常の謎〉を書きました。地元ではふたつかみっつくらい映画館が潰れていたんじゃないでしょうか。

 5000字、というとミステリをやっているだけで細かい描写ができず、むずかしいなあと思っていましたが、いま見直すと、もっと細部はちゃんとコントロールできたなあ、と反省し、すこしだけ手直しをしました。直したあともワードで5000字以内にしています。以下、本文です。

 

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 一週間ほど前に親戚が亡くなって、しばらく塞ぎ込んでいた三木が、その日の放課後、図書委員の当番をしていたわたしのもとへとやってきた。

 そして唐突に訊ねた。

「映画を嫌いな人が、その半券を大切に保管してたら、どう思う」

「ほんとうは映画好きだったんじゃないの」

「でも嫌いだったんだよ」

 と、言い返され、残念そうな目つきを向けられる。

 どうしてこの日にかぎって、図書室の受付カウンターには本の貸し出しを求める人がやってこないのだろう、とわたしはつい内心で毒づいてしまう。この状況では、忙しさを理由にして、苦手なクラスメイトを避けることができなかった。

 三木は可愛い。それに愛想がいい。

 先生からの信頼も厚いし、生徒間でも人気がある。けれどそれは外面だけなのだと、幼稚園のころから親同士が知り合いであったわたしはよく知っていた。

「結城、ミステリ好きでしょ。憧れの人はホームズだってむかし言ってた」

「だから」

「こういうの、得意かと思って」

「本だけ読んで名探偵になれるんだったら、世界はもっと平和なんじゃないかな」

「じゃあ、なんで本読んでるの」

「あのさ、喧嘩売ってる?」

 ほんらいのわたしたちであれば、このあたりでひと悶着あってもいい気がしていた。けれども相手の態度はいつもと違って、どこか弱々しく萎んでいた。

「そっか。結城でもだめか」

 そうこぼし、幼なじみはきびすを返そうとする。

 不思議とその背中が小さく見えた。

「待って。べつに話くらいなら聞くってば。コーヒーもあるし」

「ミルクティーは」

「文句言わない」

 わたしはカウンターに「離席中」の札を置いて、奥の準備室へと彼女を連れていった。ほんらいは部外者を入れるべきではないのだけれど、そんなつまらないことをいちいち守っているような優等生は、残念ながらこの学校の図書委員にはならないのだった。

 

              *

 

 年代物のストーブの灯をつけ、その上に水を入れたやかんを置く。準備室と呼ばれている狭い事務室兼休憩室があたたかくなるまで、しばらく時間が要る。窓の外は二月で、冬の白さを帯びた空気の向こう、灰青色にくすんだ海が広がっていた。

「三木」

 と、わたしは振り向き、パイプ椅子に座っているクラスメイトに質問を投げる。

「こないだ亡くなったの、恵さんだよね」

「うん」

「そっか」

 わたしたちが住んでいるこの海辺の町は、ひどく狭いコミュニティで成り立っている。三木のはとこである岡野恵さんがその家の養子であったことは親戚じゅうに知られていたことだったし、当然、外部の人間にも知られていた。

 季節の節目など、地域の会合やお祭りがあって、ビールや日本酒が自治会費によって振る舞われるとき、わたしや三木のような子供は両親の代わりに顔を出すことが多かった。そして時折、それなりに年配である大人の口から出てくる声を耳にしていた。

 だからそこで聞いたのは、

「貰い子」

 という単語だった。

 最初はよくわからなかった。ただすくなくとも、肯定的な意味で使われていないことは想像がついた。彼女が経済的な理由によって養子として迎えられたのか、もとの家庭環境に問題があったためなのかは、知らない。

 三木の話によれば、亡くなった恵さんはまだ三十代の後半に入ったばかりで、勤め先は町からだいぶ遠いところだったそうだ。きっと彼女の同僚は、そのような、どこか蔑むような呼び方が田舎で横行していることなんて想像もしていないのだろう。

 彼女の育ての親のうち、片方はすでに亡くなっていて、もう片方は介護施設に入っている。だからその、つまらない言い方もいずれは廃れていくはずだった。そういった経緯もあり、恵さんの遺品を整理するのは喪主を務めた三木家と即座に決まっていた。

「そこで映画の半券を見つけたの」

 と、三木は淡々と述べた。

「正確には、それらを保管したスクラップブックだけど。でもおかしい」

「なにが」

「わたしは、生前の恵さんと話したことがある。あの人は、映画が好きだなんて一度も言わなかった。むしろ苦手だって話してた」

「苦手って、大きな音が得意じゃないとか、そういうこと」

「ううん、違う。もっと精神的な話」

 その言葉に首を傾げる。ニュアンスをうまく掴めない。

 すると三木は窓の向こうをじっと見つめ、つづけた。

「養子として引き取られたばかりの恵さんは、月に一度、必ずお養母さんに手を引かれて、映画館に連れて行ってもらってたんだ」

「それだけを聞くと、なんだか美談にも思えるけど」

 幼い子供をアミューズメント施設に連れて行くのは、たんに親子間でのコミュニケーションの方法がわからなかったからではないか、と訝ってしまう。つまり子供に与える愛情の不器用な証明として、わかりやすい行動が求められた。そう聞こえる。

 でもね、と三木はこちらの考えをわかったうえで答える。

「恵さんの育ての親は、彼女を席に連れて行くと、いつもどこかにいなくなった」

「どういうこと」

「つまり、上映中の映画館のなかに、恵さんを放置してた。いつも決まって、暗くなってから、声を出せなくなったタイミングで。だからあの人には、最初から最後まで家族と一緒に映画を観た経験がなくて、あまりいい思い出がなかったの。大人になっても、嫌な記憶ばかり思い出すから行きたくもないって話してた。でもたぶん、あの半券は、恵さんが子供のころに集めたものだったんじゃないかって思う」

 たしかにそれは辻褄の合わない話だった。ふつう人は、わざわざ手間をかけてまでして、思い出したくない記憶や物品を保管しておこうなどとは考えない。

「実物、持ってきたんだけど。結城も見る」

「いいの」

 うん、とうなずき、三木はビニール袋に包んでいた、文庫本よりもすこしだけ大きな冊子を取り出した。見たところ、それほど厚みはない。表紙は驚くほどに白かった。大切に取り扱われていたらしく、角などが折れた形跡もなく、染みひとつなかった。

「お菓子の缶箱に入ってたから」

 どこか言い訳をするみたいに三木は答えた。

 その冊子を受け取り、頁を開いてみる。

 うすいクリーム色の紙に、ただ日時と映画のタイトルのみが印字された半券が等間隔に糊付けされていた。それ以外はなにもない。チケットに対して、コメントのひとつすら書かれていない。けれどもかえって、それがなにかを訴えかけていた。

 半券は、一九九五年から二〇〇二年まで、合計七年に渡って年代順に並べられていた。だいたい月に一度のペースだった。

「三木」

 わたしはなにかを言おうとしたけれど、適切な言い回しを思いつけなかった。同時に、ストーブの上のやかんがしんしんと鳴りはじめた。

「うん」

 だから結城のとこに来たんだってば、と三木はかすかに笑った。

 

              *

 

「このチケット、シネコンのじゃないよね」

 頁に貼り付けられた半券には、日付と作品名はあったものの、座席番号がどこにも印字されていなかった。わたしたちの町の近隣には映画館がふたつあって、ひとつはショッピングモールに併設されている比較的小さなもの。もうひとつは大手のシネマコンプレックスだ。どちらも座席はチケット購入時に指定するはずで、映画館じたいの名前もそこに印字される。けれどこの半券には、どちらも記載されていなかった。

「どういうことだろう」

 けれども三木もかぶりを振った。

「わからない」

「お、若人どもが熱心に仕事をサボってるな」

 と、そこで準備室のドアが横に開けられ、軽い調子の声が届いた。

 入ってきたのは司書教諭の石塚さんだった。厚手のセーターにコーデュロイのパンツが学校の制服よりずっとあたたかそうで、つい羨む視線を向けたくなる。

 椅子に座っていた三木は頭を下げる。

「お邪魔してます」

「いいよ、うちは来る者拒まずだから。休むついでに本でも借りてってね」

「はあ」

 公然とサボりを見逃す教諭にどう対応していいのか、三木は少々戸惑っていた。

 そうだ、とわたしは石塚さんに冊子を見せて訊いてみる。

「先生。これ、どこの映画館のものかわかりますか」

「なにこれ」

「三木さんの親戚のものなんですけど、ちょっと来歴がわからなくて」

「ふうん」

 石塚さんはわたしたちの学校の卒業生で、本人の話によれば、三十代のはずだ。岡野さんとほとんど近い年代の生まれだから、なにか手がかりを知っているかもしれない。

 すると、あ、と思い出したように声を上げた。

「これ、《オリオン座》だ」

「知ってるんですか」

「まあね。それ、きみたちが生まれる前に潰れた映画館のチケットだよ」

「詳しく教えてもらってもいいですか」

「うーん、ただの思い出話になっちゃうけど」

 それでいいなら、と丸い眼鏡の奥で石塚さんは目を細める。

 あの、とそこで三木がおずおずと口を開いた。

「どうしてこの半券には座席番号がないんですか」

「お、面白い質問だね」

 正解はね、と石塚さんはいたずらっぽく笑ってみせる。

「古い映画館には、いまみたいな座席指定なんてシステムはなかったからだよ」

「え」

 そうなんですか、とわたしたちは声を揃える。

「まあ、現代っ子にはわからない話かもね。チケットは売れるだけ売って、満席になろうともおかまいなし。劇場の端っこや後ろのほうに立ち見客はいたし、途中でトイレに行こうとして席を立とうものなら、知らない人がすぐさまそこに座ってた」

「信じられない」

 と、三木はすこしばかり引いた声をこぼす。

 しかし石塚さんは悠々とした態度のまま、インスタントコーヒーを淹れはじめる。

「懐かしいなあ。たしかここで『千と千尋の神隠し』も『ハリー・ポッターと賢者の石』も観たんだよね。『オトナ帝国の逆襲』なんかもうすごい人気でさ、子供だらけ。たしかあのとき、席と席とのあいだの通路になってる階段に座って観たんだっけな」

「先生は、いつもご家族と一緒に観てたんですか」

「そうだけど、ほとんど別々に座ってたんじゃないかな。隣はいっつも知らない人でさ、でもあれはあれで、ひとりじゃないって感じだったよ。不思議とね」

「そう、ですか」

 わたしはつぶやき、数秒遅れて、はっとした。なぜだか映画館で隣に座った知らないだれかの、スクリーンの光を反射して青白くなった横顔を見た気がした。

 だからそれが答えかもしれない、と内心で思った。

 

              *

 

「三木」

 帰り道の別れ際、わたしは幼なじみを呼び止めた。

 冬の田舎道は、都会よりもずっと暗い。時折、街灯の人工的な光は差し込んでも、商店などはなく、夜空にちりばめられた星座を探すほうがずっと簡単だった。

 その空の下で、わたしたちは向かい合う。

「なに」

「あのさ、これはただの仮説でしかないんだけど、聞いてくれる」

「わかったの」

「たぶん」

 そう伝え、わたしはゆっくりと息を整える。それから答えを告げる。

「あれは、恵さん自身のスクラップブックじゃない。きっと恵さんを育てたお養母さんが保管していたものだと思う。それをあとになって恵さんが見つけて、真相に気づいた。その答えがあったからこそ、チケットは捨てられずに残ってた」

「ごめん、急に話が飛躍しててわからない」

「じゃあ前提から。恵さんは、貰い子だったんだよね」

「そうだけど」

 言い方、と三木はつよい視線を向けてくる。

 わかってる、とこちらも言い返す。

「でももし、その恵さんの、ほんとうの親が養子縁組をしたあとも生きていたらって思ったんだ。この町では、世間の、周囲の目があるから、ちゃんとした場所では恵さんとその親は直接会うことはできないはずだった。でももし、だれひとり他人を気にせず、顔も見られないような暗い場所があったならば、それは可能だったかもしれない」

「それって」

 だから、とわたしは考えを述べていく。

「いつも映画がはじまると、恵さんを育てていたお養母さんは、彼女をひとり置いていくように席を立った。そして、その代わりに、ほんとうの生みの親が隣に座った。月に一度、彼女の成長を見守るために。それはきっと、親同士の秘密の約束だった」

 それが果たしてほんとうによい出来事であったのかは、正直わからない。きっとそれは当事者たちのあいだでしか決められない、繊細な領域であるはずだ。

「ただ、それでも恵さんは、チケットを自ら捨てようとはしなかった」

 それだけは、たしかな事実だったと思う。

 幼なじみはしばらく言葉に詰まったのち、そっか、と深く息をついた。

「結城」

「うん」

「教えてくれて、ありがとう」

 その日以来、わたしたちが恵さんの話をすることは、もうなかった。

 

 

〈了〉