タイトルのとおりです。以下前々回と前回。
というわけで、感想整理のための読書メモです。本編および短編集(1~6巻)のネタバレを含みますので、未読・未見の方はご注意ください。
今回「③」は5~6巻まで。アナザーサイドおよび短編集を含めた完結までを語ろうと思います。
5巻 Side:Original
・構成
表紙とタイトルどおり、本編終了後から描くオリジナル、愛川素直サイド。といっても、実質本編といっていい。時系列としては、ナオが「レプリカの国」に行っていた、12月~素直の卒業式(4巻ラスト)までの一年とすこしを描く。
また今巻における素直の語りでは比喩(直喩)「ように」「ような」の登場回数が明確にふえている。ナオほどの思考の飛躍はないが、事物との感覚的な距離の取り方がおそらく変化のなかにあるためではないか。
・第1話
「大丈夫だよ、素直」
(…)
「これからの素直の人生には、楽しいことがたくさんあるよ」
言葉を返すのが一拍遅れたのは、愕然としたからだ。私は自分の心配ばかりしていたのに、こんなときすらナオは私のことを案じていた。
前巻に起きたシーンの切り返し。
ナオにできることがオリジナルの素直にはできないことを、このタイミングでも直視させられる。そして自分のほうがまだ覚悟ができていないことに気付かされる。よって今巻の物語は、ナオのこの祝福をまっすぐ受け入れられるまでの素直の奮闘にある。
・一月以降、ナオをなぞるようにする素直の生活が描かれていく。
静岡大橋には、今日も大量の車やバイクが行き交っている。橋の上に屯するような排気ガスのにおいを感じながら、私は自棄になって立ち漕ぎする。橋からの眺めなんてどうでもいい。背を向けた富士山も、瀬切れした安倍川だって知らない。ただ、この風を数秒でいいから止めてほしい。そうしたら私は、その分だけ早く家に帰れる。
この素直の下校シーンの語りは、1巻、ナオの登校シーンの語り直し、対比になっている。景色のひとつひとつに喜びを見いだせるナオ、景色に対して「どうでもいい」と切り捨てる感情を抱く素直。早く学校に着きたいと願うナオ、早く家に帰りたいと思う素直。移動の向きも違えば、感情のベクトルも異なっている。
ちょうど信号が変わったのでブレーキを使わず道路を横断。静岡大橋の舗装された自転車道を上っていく。山からの強風が吹くので、ギアを下げて立ち漕ぎしないと車体がちっとも前に進まない。
(…)
二日前の雨で増水した安倍川と、正面の富士山を交互に見ながら橋を渡りきる。白い粉砂糖みたいな雪を頭のてっぺんに乗せた富士山は、今さら物珍しくもないけれど、五日前は灰色の雲に覆われて見えなかったものだから、久しぶりと頬を緩めてしまう。
・用宗海岸でのアキとの会話
「よく分からなかったんだ。冬休み明けに愛川に会ったとき、どっちでもないと思ったから。ナオでも愛川でもない、って」
前巻において引きになっていた箇所の確認。
・ローファー
「また踏んじゃった」
1巻で描かれていた素直の癖。踵を潰してしまうこと≒他者を大事にできないこと。無意識の行動。「私には、直さないといけないことが山のようにある」。ここでも素直が目指すべきところはナオのような姿、ナオに戻ることとされている。
・素直の成績について
「成績落ちたから、一応毎日やってる」
「落ちたっていっても、ちょっとじゃない」
取り成すように言われるけど、私とナオの学力に雲泥の差があるのは事実だ。ナオは全科目で高得点を取っていたが、私の場合は英語が平均点以下、それ以外の科目はなんとか平均点を超える程度。
おそらく素直の性格からして、不特定多数が集まるような塾に通わせてほしいとは親に言わない(言えない)のだろう。模試はひとりでも受けることができるからしている、といった感じだろうか。以前の巻からそうであったが、素直の勉強スタイルは独学のよう。ある程度はナオに対して一方的にやらせていた負い目もあるのかもしれない。

・2話 三原との因縁、早瀬先輩と真田の出会い
「先輩からのありがたーい教えな。1on1は演技力が大事なんだよ。真田」
1巻でアキがやり返した台詞。これについてはまた改めて言及される。
・五月二十七日の金曜日。六限終了の~
金曜日!? じゃあ前回で言及した9月10・11・12日から作中年代を2027年と読んだのは間違いですね。2021年から2022年の出来事、ということになる。
・真田の試合、エコパアリーナ
ちなみに現実の2022年5月28日にはあいみょんがライブをしていたらしい。ほんとうに汎用的な体育館らしい……。
・吉井の下の名前「春華」
「母ちゃんによると、春華堂から取ったらしい」
「……えっ? 春華堂ってうなぎパイの?」
「そう。しらすパイもおいしい春華堂」
(…)
「まあ嘘だけど」
大人のお菓子だとかいわれていた記憶がありますが、浜松の会社なんですね。ぼんやり静岡とは認識していましたが。ちなみに文化祭編で登場しており、アニメではちゃんとクレジットも「株式会社春華堂」と出ている。

・真田の試合
「こりゃあ、エース対決を制さないと勝ち目はねぇな」
「真田があの留学生を止められる確率、〇.〇五パーセント…」
もしかしてテニプリの乾やってるのか? るろ剣、ヒカ碁につづき、平成キッズすぎる……。

・早瀬先輩の応援
ヒールとして自ら退場させたキャラのその後を書くの、ひとつの誠実さだ……。
・試合終了後
向かったのは先ほど見かけた、アリーナに下りるための階段だ。『体育館シューズに履き替えて下さい』という注意書きもある。たぶん関係者以外は使っちゃいけない階段の前で躊躇わずにローファーを脱ぐと、黒い靴下に包まれた足で階段を下りていく。
素直が意識的に「靴を脱いでいく」シーン。りっちゃんに謝れず、ナオに裸足で行かせたという自分の過去をここで暗にやりなおしている。
「すごかったよ」
見上げる先で、真田が口を半開きにして固まる。
「すごく、輝いて見えた。あの広いコートで、真田がいちばんかっこよかった」
1巻でナオが1on1を制したアキに対し、「かっこよかったよ」と伝えたシーンの再話。しかし喜んでみせたアキのようにはならず、秋也は泣いてしまう。
そして早瀬先輩との感情の整理。アキとは違う自分を受け入れること。
「そんなに悲観してるわけじゃないんだ。前の自分と違うからこそ、バスケのプレースタイルにも変わった部分があってさ」
(…)
「でも、それって俺だけに当てはまる話じゃないと思うけど」
・VS吉井
「愛川さんって、どういう男が好みなん」
(…)
「髪の短い男」
(…)
翌週。吉井が、髪を切った。
すごすぎる。これまでの吉井=お調子者というイメージに対して、この一日で視線をどのように向けているかの話や、きらきらした青春の在り方の話、名前の話、とすこしずつ情報を更新させての、半分告白のちの、これである。いやまあ相手の女子からしたらまあまあ怖いんですけども、それはそれとしてすごい覚悟での応答だとは思う。
・第3話
吉井が髪を切ったのは二週間前のことだ。バスケ部の準決勝翌週には、ワックスをつけたベリーショートになっていた。
それからというもの、私は意識的に吉井と距離を置いていた。
それはそう。急に距離詰めてきたらそうなるって。
・小野と三原
私にも過去にそんな経験があった。意識の外側から思いがけない言葉を投げつけられるとまず思考が止まって現実に追いつかなくなるのだ。
とっさの言葉を選べないということは、周囲の人がわるくいわれたときに、なにも言えない自分になってしまうことでもある。このシーンの挿絵、はじめて小野さんの運動が苦手であろう見た目と、素直のこれまでにないくらい困り顔が同時に出てくるの、ほんとうにすごい。語りは主観なんですけど、raemz先生の絵は明確にそことは違うレイヤーから殴ってくる。4巻の望月先輩の挿絵然り。ライトノベルかくあれかし。
・佐藤との口論
「ヒットアンドアウェイ」はあんまり女子と仲良くできなかった自分を評した佐藤自身の言葉。2巻に登場する。そして小野のために素直ができなかったことは、かつて佐藤ができず、レプリカを生んだが上手くいかなかった経験につながっている。3巻で泣いていた素直に伝えた佐藤の経験は、まっすぐでいることだけが、物事の正解になるとは限らないこと。それが身ににつまされているからこそ出てきた言葉だった。
「そうして生まれたレプリカは、Aちゃんを庇って『いじめなんて良くないよ!』なんて……いじめっ子たちを諭すことができる、正義の佐藤梢になるわけだ」
正義。その響きの空虚さを皮肉るように、佐藤は唇を歪める。
「そうして役目を終えた正義の佐藤梢は、どこかに去っていきました。取り残された佐藤梢はいじめられはしませんでしたが、思った通り周りから爪弾きにされるようになり、まともに友達が作れず、中途半端にグループを渡り歩く佐藤梢になったのでした。ちゃんちゃん」
・吉井とのサボり、おせんげんさん
傘をなくす、という経験はありふれた出来事だが、素直はもろい。もろいからこそ傷つかないようにレプリカを呼んでいたのだし、その日の雨で頼るものをなくしてしまうのは、相当こたえる事態だろう。そうしてふっと現れたのが吉井。学校をサボる行為という点では、こちらも1巻におけるアキとのデートシチュのやり直しである。
「でも、制服だし」
「何かきかれても、創立記念日か遠足的なやつで押し通せるって。だから、行ってみない?」
温泉のときのアキとおなじ思考をしている。このくだりのすこし前に吉井が自転車通学だったことを素直が語っているが、もしかすると、1巻の日本平動物園に行こうとしたときにアキが借りた「鬼ハン」の自転車は、吉井のものだったのかもしれない。
「吉井が逆ポッキーとか言って、木刀とか買って、あほみたいに振る舞ってたのも……」
「ちょっちょちょ、愛川さん」
慌てて吉井が片手を振る。その拍子に、ビニール傘についた水滴がはらはらと周囲を舞う。
「やめて。おれをシリアスキャラっぽくしないで」
「でも……」
「実際はさ、おばかな感じでいると周りが笑ってくれるとか、重い雰囲気をうやむやにできるとか、いろいろあるよ。でもおれは、みんなと一緒に楽しむのが好きなだけ。嘘を吐いてるとか、むりしてるとかないない」
きっと、「逆ポッキー」が素直にとってツボに入る言葉だったのは偶然だろう。ただ、プリッツよりポッキーが好きで、世界をどのように見ようとするかの鍵として、そのギャグ(暗喩)がすっと胸のうちに入ってきたことは事実で、彼女がその瞬間に世界との距離をすこしだけ短く、親しくしたことに違いはないはずだ。
「別に……気に入ってるとかじゃなくて、単に覚えちゃっただけ」
「それ、気に入ってるからじゃね?」
これは、真田秋也に伝えた「演技力」をなぜ覚えていたか、というレプリカの記憶の仕組みを利用した人間理解に重なっている。サンテグジュペリがいったように「人間は絆の塊りだ。人間には絆ばかりが重要なのだ」。そしてこれはのちのち、素直がナオと「共有したくないもの」を意識する理由のひとつになっていく。
この物語の多くが視線の織りなしでつくられていたように、吉井春華もまた世界に視線を注ぐひとりであることがこのエピソードを介して語られる。
私は無言で、一言多い男の脛を蹴った。「いってーーッ」と本気で痛がっていた。
また、素直は暴力が好きな人間ではないだろうが、無意識のうちに相手やものを傷つけてしまうことがある。けれども吉井との対話においては、彼がそれを許容することによって、素直がナオのようになりたいと思い「矯正」したがっているものをそのままにして、引き出し、受け止めている。
かつて、痛みの引き受けはレプリカの役割になろうとしていたが、素直から吉井へのそれは上下ではなく横のコミュニケーションの側面を持つように描かれている。端的にいえば「あまえ」ですよ。甘え。いい言葉だ。
だれにも頼れなかった彼女が、ですからね。
・お好み焼きみかみ
オタク(二人称)! ぜってえ聖地巡礼しような!!!!!!
ほんとうにお祝いごとみたいな見た目をしているお好み焼きだ……。
それから間もなく雨が降り出した。まるで吉井が少しの間だけ空を宥めて、雨を止めていてくれたみたいだと思った。
ここでようやく出てくる「みたい」という比喩。ナオ視点の文章には頻発していたこのことばの使い方を考えると、やっぱり世界との距離の取り方として、作者はかなり文体レベルでの制御をしていると思う。比喩は、二者のあいだのイメージの異なり、あるいは類似という距離を視点(語り手の認識)によって橋渡しする。
むろんそれだけでもないが。
・三原、小野、佐藤ふたたび。
「あっ! 小野さんと愛川さん、こんなところにいた」
よく通る声で呼びかけながら、その場に現れたのは佐藤だった。
さすがにここだけは平成少女漫画の空気になった。ちょっと粗めの描線のやつ。マーガレット系列か花とゆめ系列かはわからないが……。
男性向け現代ものライトノベル(クソデカ主語)になっちゃうとこういうときなぜか解決のかたちを外的な(そしてクレバーじゃないのにクレバーな顔をした)解決、もっといえば脅威の排除として提示したがる傾向があって(ある意味それが本シリーズ1巻のトーンにおける違和感だったとおもう)、個人的には内面葛藤の克服でもちゃんと山場になりますよ、と示してくれるのはうれしい……。
まあ若干ここはスカっと感があるが、素直だけじゃなく、佐藤さんにとっても葛藤の克服というサブプロットが活きているのがいい。
「だってそれは、佐藤が誰よりも友情を大事にしてるからでしょ」
こうした捉え方は、ナオがリョウ先輩や佐藤さんを「口説いて」いた2巻のくだりを彷彿とさせる。ナオがまっすぐに相手の美点を捉えられるのとは違い、素直は自分できないものごとをできる、というかたちで人を見つめられるようになりつつある。それは自分のできなさをすこしずつ認めていくことにもつながっていく。
・素直の進路希望
「だけど、がんばって走り続けて疲れちゃった人たちを支えて、寄り添えるような……そんな人間になりたいって思えたの」
相手を見つめられるようになること。心理社会学科。さすがに神奈川県だと候補となる大学が多すぎて絞れないかもしれない。
すると、後頭部をかいた吉井が窺うような目で私を見る。ちょっとだけ髪が伸びていた。
髪が伸びていたことに気づけるってことは、よく相手を見ている証拠ですよね。素直さん、ちょっとちょっと、もう意識しているんじゃないですか???

・青陵祭準備
時間が……流れるのがはやい!
「まぁ確かに、りっちゃん先輩は有名な新人賞の三次選考まで通った実力者だしな」
電撃なら最終に残らなかったくらいかな。惜しいね。高校生なら大健闘している。
あと新人賞公募オタクあるあるだと思うんですけど、「1次通った」と「2次落ちした」のどちらかを結果としてだれかに伝えるとき実質おなじ情報なのに自意識が邪魔をして数字大きく語ろうとすることにつらくなりませんか? えっ、ならない? あっ、はい……。おれは見栄っ張りのカスです……。
・新川和江「わたしを束ねないで」
ナオが読んでいたのはおそらくこの選集ですね。「わたしを束ねないで」は新川和江代表詩のひとつなので、ハルキ文庫の詩集にも、現代詩文庫にもたぶんおさめられていると思います。ちなみに昨年公開のアニメ映画『不思議の国でアリスと』でもこの詩がサイレント引用されているシーンがあります(スペシャルサンクスで「新川和江」の名が出てくる*1)。フェミニズム文脈においても重要な詩。なお、新川和江は2024年に亡くなっている。
同時に思う。この詩は、ナオだけじゃない。私の詩でもあるって。
たぶんそれは、何もおかしいことじゃないのだ。まるで正反対の私たちが、同じ詩を共有できる日だってある。きっと、その真逆の日がたくさんあったように。
ナオをなぞる、ではなく理解する。共有する。
痛み以外に共有する回路としての、ワンクッションとしての言葉。
・りっちゃんの後悔
「自分も、去年の秋になってようやく思いだしたから。小学生の頃、素直先輩とナオ先輩を呼び分けたこと。……いつも自分は、引っかき回してばっかりです。あのときだって」
「去年の秋」とは3巻の修学旅行でひとり残されていたときのことを指しているのだろう。こうしたある程度までは流してもよい過去の記述に対して、作中のキャラクターを遇することで応えようとするあたりは早瀬先輩ふくめ、作品の誠実さだと思う。
・素直の見た夢
おそらく「レプリカの国」で暮らしているナオ。
・けやきプラザのサイゼリヤ
オタク(二人称)! ぜってえ聖地巡礼しような!!!!!!
・終業式の放課後の教室、吉井
終業式の放課後の教室に、なりたい。
ちょっとだけ日差しが傾きはじめていて、窓からのぞく雲がうすく遠くなっていて、数時間前まであったはずの喧騒が嘘のような教室の空気に、なりたい。
そんなふうに、種の詰まったピーマンを半分に切るみちあに考えられる自分が、ちょぴりおかしかった。ナオはそう言う。私はそう言う。その違いが何よりも苦しかった日を忘れられないまま、私はここにいる。
それでも「苦しかった」と過去形になっている。彼女のなかで整理は進んでいる。
・そして吉井との唐突な告白シーン
だって吉井って。
吉井って、
「吉井って、ほんとうに、私のこと好きなんじゃん……」

もうこのあと書くことないでしょ。泣くくらいしかないです。
・閑話 難攻不落の愛川さん
急にシチュエーションラブコメみたいなタイトル出てきたな。吉井視点(三人称)。修学旅行のあの場面で自ら引き返そうとするの、お前すごいよ。なんだかんだいって他人を思いやろうとすることや、恋愛に浮ついてしまった相手になにもできなかった自分のことを反芻できる吉井、すごいって。この小説、もしかして人格者だらけか?
「優しさって心の内側から湧き出るものなんだよ」
この言葉をギャグではなくまっすぐ伝えようとずっと考えて、ちゃんと伝えて、愛川素直さんの心のなかに住まわせたあなたは、ほんとうに素晴らしい人だよ。
・最終話 辿り着いた春
自転車に跨がり、爪先で地面を蹴る。
陽光を浴びて走りだすと、ホイールが回る。からから、からから、と楽しげに歌うように。
「からから」は1巻でナオがホイールに使っていた表現。一年をかけて、素直はナオが愛おしいと思っていた風景を、自分も愛おしく思えるようになっている。
・ナオを呼ぶ。4巻ラストシーンの切り返し。
「でもね。私はもう、大丈夫」
4巻と5巻でおこなわれたリフレインに、ようやく答えることができるようになった素直。
「大丈夫だよ、素直」
(…)
「これからの素直の人生には、楽しいことがたくさんあるよ」
今さらになって気づいてしまった。
海が嫌いなのは、向こう側の景色が見えないからだ。舟を漕いで沖に向かう誰かには、もう会えないと知っているからだ。
ナオが散々抱いていていた死のイメージを、ナオは別離のイメージとして抱いていた。こうして彼女にとっての人魚姫の物語は幕を閉じる。そのハッピーエンドがなにによって結ばれているかは、もう言わなくてもええでしょう。
総評
””ありがとう””。
シリーズ全体としてはかなり構成がうまくできている印象だが、これはたぶん1巻のときにあった、うまくできなかった要素を即興的に分析して1冊ずつしっかり応えようとしてきて、結果的に足腰のつよい小説になったからだろう。
2巻でやったことに対しては3巻で、3巻でやったことに対しては4巻で、と順々に世界の仕組みや行動、キャラクターの遇し方にかなり筋を通している印象があり、読んでいるあいだの満足感が大きかった。
だんだんと作者を信頼しながら読む体験ってマジいいすね。
おそらく1巻のコンセプトとしては、「現代版のおとぎ話」といったところで、念頭にあったとはいえ、そこまで『青ブタ』っぽいアプローチまで広げる感じではなかったのではないか。青ブタも野生のバニーガール先輩はアリスモチーフなのも含め、このあたりは作者のなかでも相当な意識があったと想像することはかたくない。
もちろん1巻1話「レプリカは、夢を見ない。」は明確に青ブタと、青ブタが意識していたであろう『アンドロイドは電気羊の夢を見るか?』からのもじりであるが、作中のテイストとしてはむしろ人魚姫・シンデレラあたりの物語をうまく再解釈しつつ、現代的なラブコメをファンタジーふうに着地させていく気風がつよかった。
2巻からは総じて、シリーズの構想がふくらんだのであろう箇所が随所にある。それについてはこれまでの3つの記事でキャラクターの台詞の裏にありそうな対応関係や小ネタを拾っておいたので、随時読み直しておいてください。
むしろよいな、と思ったのはレプリカの実存の問題というナオの物語(おとぎ話のリミックス)をやりつつ、愛川素直というオリジナル(いわば1巻における「意地悪な継母」)の背景を深堀りして、そこにちゃんとストーリーとしての軸を用意してあげたことであろう。
これって要は、ディズニー映画やウィキッドなどがやってきた、もともとヴィラン(悪役)側とされてきたキャラクターのリトールド(再話)メソッドですよね。
敵対する存在としてではなく、共感や連帯の対称としてふたりの女性を遇すること。ライトノベルシリーズでこういう手際が出てくるのはふつうに意外だし、頼もしい。
もちろんひとりの男性主人公をとりあってヒロイン同士がある種の共同性というか、親友性を得るのも好きなんですけど、それぞれの人生がちゃんとひとりひとり立ち上がってくるように書いてきたのはほんとうにうれしかった。サブキャラの扱いもそうだし。
たまにやってくる平成ミッドふう価値観については、まあ、作者が好きなんだからしょうがないよね!くらいですが……(わたしも嫌いではない)。
ゆうて告白実行委員会シリーズにくらべたらぜんぜん苦しゅうないよ。みなさんも作中どのくらいラブコメ要素で顔面がエイフェックス・ツインになったか、よかったらご家族やインターネットのお友達と話し合ってくださると幸いです。
また何度か作中で言及されるし、6巻の短編集でも出てきますが、作中に登場する作品は近代文学が多いため、作者自身が「やっぱ違うな……」とおもって改稿している小説がいくつかあります。宮沢賢治『銀河鉄道の夜』なんてその最たるものでしょう。
おとぎ話のリミックス、リトールド、であるということは、当然、読者側がどのように受け止めるか、という視点のなかで書かれている小説であるということだし、そのような物語をめぐる物語、メタの側面が本作にも顔を出している。
素直が「新訳竹取物語」の舞台のなかでリョウ先輩にアドリブを振ったのも、そのような在り方でしょう。それは生み出された側のキャラクターが自らを主張するということでもある。
そういった点でいえば、『レプリコ』全体に、人間の都合によって生み出され、人間を慰撫するためにつくられた消費材の側面を持っているという目配せがあるのは、そこまで邪推ではないでしょう。これはストーリー設定というより、作品態度の話ですが。めんどいので、前回書いた自分の文章を貼りましょう。
にしても素晴らしいのは、構成の妙によって、ナオから素直への主人公のバトンタッチをきれいになしとげてみせているところだろう。1巻の段階では輪郭もおぼろげだった、不機嫌で、世界をつまんなそうに見ている女の子が、ナオという「物語」の視線を通じて、どうにか生きた人間として歩みだそうとしていく構図。
つまり「物語」のほうが、彼女を「現実」へと送り出していく構図がいつのまにかできている。それはむろん、わたしたち読者の似姿にもなるはずだ。
人間となったレプリカたちと「さよなら」をするのは、愛川素直だけではない。わたしたち読者ひとりひとりもそうだし、わたしたち読者ひとりひとりも、これからの人生を歩もうとする愛川素直に「さよなら」をする。物語ってそういう側面があるよね。
で、思い出したときにまたページを開けばいい。
「愛川」
改まって名前を呼ばれた私は、真田を見上げる。
「卒業しても、たまに会おう」
「うん」
「電話とかメッセージとかもいいけど、やっぱり、ちゃんと顔も見たいから」
あっ、いま猛烈にジーン・ウルフ引用したい。引用してええですか!!!!
いいよ。ありがとう。
デス博士は微笑する。「だけど、また本を最初から読みはじめれば、みんな帰ってくるんだよ。ゴロも、獣人も」
「ほんと?」
「ほんとうだとも」彼は立ちあがり、きみの髪をもみくしゃにする。「きみだってそうなんだ、タッキー。まだ小さいから理解できないかもしれないが、きみだって同じなんだよ」
ありがとうデス博士。これからもずっと大好きだよ。
かつて若島正はこの物語にジョン・ダンの詩にあった「どんな人間も孤島ではない」のテーゼがあることを読み取っていたが*2、それでいえば、海に泡となって消えていくイメージが散りばめられている本シリーズのもうひとりの主人公である愛川素直のなかには「すな」がある(部分ツイート)。
いやこれは意外と冗談ではなく。
海岸線、という言葉があるが、これはじっさいにはきまったひとつの線ではないし、とくに東海地方の海岸などは、年々、浸食が進んでいるため、むしろ海というのは、砂と海水とが常に混じり合っているものでもある。
素直とナオのふたりは離れているようで、むしろ削られては、おなじものを共有し、めぐりつづけている、と思いながら本を閉じてもわるくはないんじゃないでしょうか。
ちなみに、文化祭編でりっちゃんが「新訳竹取物語」に使いまわした「羽衣伝説」の舞台となる清水海岸は砂が流れきってしまわないようにしているとのこと。
一見動きの無い海岸ですが、海岸の砂は動いてます。寄せては返す波とともに砂も海岸に打ち寄せたり沖に流されたりしながら、少しづつ東へ東へと流されています。天女は羽衣を返されて再び空へと戻っていきましたが、東へと流された砂は三保半島の先端から駿河湾の底に流れ込むと二度と海岸に戻ってきません。
そこで、深海へ流れこんでしまう前に砂を採取して、砂浜に戻す工事を実施しています。伝説に例えると、「もとの砂浜に帰れない砂に羽衣を与える」ような工事です。
shimizukaigan.doboku.pref.shizuoka.jp
さて。
6巻、については書こうかな、と当初は思っていたのですが、このメモ記事を書きながらだんだん感無量になり、最終的にこのボーナストラック的短編集についてはなにか書くことじたいがぜんぶ野暮だな!!!!とおもったので書きません。
ごめんネ!(ハルヒ驚愕延期の画像)

わたしだって感想ブログかきかきマシーンではあるかもしれませんが、愛川素直さんとおなじように他人と共有しなくてもいいな、と思う部分はあるんですよ、とお伝えさせていただきたい。あとは君自身の目でたしかめてください。よしなに。おそらく顔面がエイフェックス・ツインになることでしょう。
ではまた、どこかの読書会でお会いしましょう。
エンディング:JYOCHO「碧い家」
『青春ブタ野郎』シリーズこと『青ブタ』については、以下の記事でまじめにシリーズの試みを検討しています。ネタバレありきなのでアニメ勢は完結してから読んでね!
*1:これについてはあまりにも世間が理解していなかったので同人誌で書いたりした。近日中に電子化を予定しています。










































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