わたしをつくった百枚のアルバム

 好きだった歌が響かなくなったな

 誰のせいでもない 

 僕のせいでもないんだろう

         ――Galileo Galilei「夏空」

 タイトルの通りです。Spotifyをぺちぺち貼ってもいいんですが、聴けないアルバムもあるので、基本はアマゾンリンクです。数年前に十年以上溜めていた音源データを失ったので思い出せるかぎりであって、正確でなく、だいたい順不同です。

 

 

1.OASIS『Stop The Clocks』

Stop the Clocks

Stop the Clocks

  • アーティスト:Oasis
  • Columbia
Amazon

 人生ではじめて買ったベスト盤。ベスト盤なんてクソだという話が定期的に音楽ファンにはポップするが、ガキにはこれくらいがちょうどよかった。

 

2.RADIOHEAD『KID A』

KID A

KID A

Amazon

 レディオヘッドが『ねじまき鳥クロニクル』に影響を受けたとかなんかの話を聴いて手に取ったはずだが、正確にいつごろだったのかはわからない。

 

3.Foo Fighters『There Is Nothing Left to Lose』

 いま聴いてみるとめっちゃ聴きやすいバンドだったんだな。いまではもうまったく聴かなくなってしまったが。

 

4.Square Pusher『Go Plastic』

苺ましまろ』がおれをつくったようにこの音楽もおれをつくっている。

 

5.Aphex Twin『Richerd. D. James』

苺ましまろ』がおれをつくったようにこの音楽もおれをつくっている(2)。

 

6.Smashing Pumpkins『Mellon Collie & the Infinite Sadness』

 いつかビリー・コーガンの生きづらさ全開のロング・インタビューをロキノン本誌で読んで泣きそうになったくらいにはおれを支えてくれた曲たちがあった。

 

7. Sigur Rós『Takk…』

Takk... -Reissue- [Analog]

Takk... -Reissue- [Analog]

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 当時のおれはずっとスペースシャワーTVを聴いていて、「Hoppípolla」のMVをたまたま見て、その世界のノスタルジアに感動したんだと思う。

 

8.Hauschka『Salon des Amateurs』

Salon des Amateurs

Salon des Amateurs

Amazon

 ポスト・クラシカルみたいな言われ方の音楽を聴いたのはこれが最初じゃなかろうか。インストゥルメンタルっていいなって素朴に思えた。

 

9.my bloody valentineloveless

  人生が狂ってしまった大いなる元凶だと思う。

 

10.Chapterhouse『Whirlpool

WHIRLPOOL

WHIRLPOOL

Amazon

 人生が狂ってしまった大いなる元凶だと思う(2)。

 

11.Ride『Nowhere』

Nowhere - Ltd Edition

Nowhere - Ltd Edition

  • アーティスト:The Ride
  • Wichita Uk
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 人生が狂ってしまった大いなる元凶だと思う(3)。

 

12.The Boats『Ballads of the Research Department 』

 なんかこのころからジャケットのアートワークを見た瞬間に「自分向け」かどうかがわかってくる判断力がついてきた気がする。

 

13.坂本龍一『Out of Noise』

 地元のハードオフのジャンク品コーナーで100円で拾った記憶がある。「hibari」はいま聴いてもぜんぜん佳いな。

 

14.BUMP OF CHICKENユグドラシル

ユグドラシル

ユグドラシル

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 むしろ日本のバンドのほうを昔からめっぽう聴いているのだが、バンプくらいになると中学生のころに兄がずっと同じ部屋で流しつづけていて、意識する前にはあったので言語化がむずかしい。

 

15.RADWIMPS『RADWIMPS3~無人島に持っていき忘れた一枚~』

RADWIMPS3~無人島に持っていき忘れた一枚~

RADWIMPS3~無人島に持っていき忘れた一枚~

  • アーティスト:RADWIMPS
  • ユニバーサル ミュージック (e)
Amazon

 昨今の言動には複雑な気持ちもあるが『君の名は。』のエンドロールに桑原彰の名前を見つけたときは、ガキのころ横浜BLITZで見たあんちゃんたちが……と思った。

 

16.ストレイテナー『リニア』

リニア

リニア

Amazon

 自分のまわりのギタリストはみんなエルレ生方に憧れたものだが、生憎とわたしはベーシストだったので当然のようにテナーのひなっちに憧れていた。

 

17.ACIDMAN『創』

創

  • アーティスト:ACIDMAN
  • ユニバーサル ミュージック (e)
Amazon

 スリーピースバンドがかっこいいっていうのはだいたいテナーとアシッドマンに植えつけられた感覚だろう。

 

18.チャットモンチー『耳鳴り』

耳鳴り

耳鳴り

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 恋愛ソングの歌詞とグランジ系統のサウンドを同居させてポップであるというので、ガールズバンド”らしさ”をジュディマリ以後から更新したのは橋本絵莉子のセンスだったのではないか。

 

19.Base Ball Bear『C』

C

C

  • アーティスト:Base Ball Bear
  • ユニバーサル ミュージック (e)
Amazon

 誰もいない深夜のプールサイドにおいで 溜息ものの綺麗をあげる

 

19.9mm parabellum Bullet『Termination』

Termination(紙ジャケット仕様)

Termination(紙ジャケット仕様)

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 RADWIMPSのライブのオープニングアクトを務めたあたりで知った気がする。

 

20.cinemastaff『Blue, under the imagination』

 少女の革命を笑うやつらなんて

 

21.toe『For Long Tomorrow』

For Long Tomorrow

For Long Tomorrow

  • アーティスト:toe
  • Machupicchu
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 土岐麻子の声がめちゃくちゃよいって気づいたのもこれを聴いてからだった。

 

22.mash『水の味』

水の味

水の味

  • アーティスト:mash
  • Ten Strings Records
Amazon

 ジャパニーズシューゲの良曲集。

 

23.Bertoia『Modern Synthesis』

MODERN SYNTHESIS

MODERN SYNTHESIS

  • Novel Sounds
Amazon

 ジャパニーズシューゲ良曲集(2)。

 

24.toivoa『Kukka』

KUKKA

KUKKA

  • アーティスト:toivoa
  • Friend Of Mine Recor
Amazon

 ジャパニーズシューゲの良曲集(3)。

 

24.空色絵本『願いの標本』

願いの標本

願いの標本

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 アニメ的な感性を残したまま暗いエレクトロ系のバンドソングがつくれる希有な人々だった。代表曲の「つなぐ空」はeufoniusがカヴァーしている。

 

25.大谷幸灰羽連盟オリジナルサウンドトラック ハネノネ』

 大学生のころ復刻されたブルーレイの特典でようやく聴けた。おれのなかでは大谷幸は『ワンダと巨像』ではなく『灰羽連盟』の人だった。

 

26.『リトルバスターズ! オリジナルサウンドトラック』

 わたしのペンネームの織戸(おりと)は折戸伸治から来ています。嘘です。西園美魚さんが北村薫竹本健治を教えてくれたおかげで今の自分があります。

 

27.村松健『TVアニメ「紅」オリジナルサウンドトラック』

 紅真九郎は探偵なので……じっさいは揉め事処理屋だけど似たようなもんやろ。

 

28.岩崎琢ほか『TVアニメ 神様のメモ帳 オリジナルサウンドトラック』

 わたしにとって理想の探偵像が「死者の代弁者」であることはいまも変わらない。

 

29.Tokyo 7th シスターズ『Are You Ready 7th TYPES??』

 もしかしてアニソン/ソーシャルゲームってディレクションがしっかりしてればめちゃくちゃいい曲が揃っていくのではないか、と思わせてくれた一枚。

 

30.sora tob sakanasora tob sakana

sora tob sakana

sora tob sakana

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 夏の扉 もう二度とない季節と かすかに気がついた

 

31.宇宙コンビニ『染まる音を確認したら』

 のちにJYOCHOがアニメのエンディングを担当してたまげた。

 

32.空中ループ空中ループ

空中ループ

空中ループ

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 溶けてゆく光のように。 擦りぬける暴力のように。

 

33.ROTH BART BALON『けものたちの名前』

 毛皮を脱ぎ捨てても 僕らはまだけもののまま

 

34.Polar M『Hope Goes On』

Hope Goes On

Hope Goes On

  • アーティスト:Polar M
  • Night Cruising
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 あのころ京都のタワーレコーズではインストゥルメンタルやエレクトロ、アンビエントの名盤が売れなすぎてだいたい30~50%OFFでいつも棚にあった。

 

35.Hybrid Leisureland『Scroll Slide』

Scroll Slide

Scroll Slide

Amazon

 あのころ京都のタワーレコーズではインストゥルメンタルやエレクトロ、アンビエントの名盤が売れなすぎてだいたい30~50%OFFでいつも棚にあった(2)。

 

36.bronbaba『world wide wonderful world』

world wide wonderful world

world wide wonderful world

  • アーティスト:BRONBABA
  • Kilk Records
Amazon

 世界 雨のち晴れ ときどき曇り 嘘 晴れ! 晴れ! 晴れ! 晴れ! 晴れ! 晴れ! 晴れ! 君とさっき見た朝日 夕焼け 星空 のち すべて曇り 嘘 光! 光! 光! 光! 光! 光!

 

37.LAMA『New!』

New!

New!

Amazon

 敗戦探偵・結城新十郎もじぶんの理想の探偵のひとり。

 

38.School Food Punishment『amp-reflection』

 ゼロ年代をすぎたあのころ、たしかにあった閉塞感は「空気」そのものだった。

 

39.People In The Box『Ghost Apple

 だから私の命をあげる 君にあげる

 パンケーキみたいに切り分けてあげる

 

40.Letting Up Despite great Faults『Letting Up Despite great Faults』

 いまはなきTSUTAYA烏丸今出川店で借りたアルバム。

 

41.caroline rocks『白い空気とカーディガンと頭痛 』

 いまはなきTSUTAYA烏丸今出川店で借りたアルバム(2)。

 

42.日向美ビタースイーツ♪『日向美ビタースイーツ♪BEST』

 ジャズマスターを持ってる女の子がちゃんとシューゲイザーをやっているため、このプロジェクトには歴史上たぐいまれなる価値があったと信じています。

 

43.死んだ僕の彼女『hades (the nine stages of change at the deceased remains)』

 あのこははにかむように 口元少し歪ませて

 それさえ気づかずにいた あの日にもう戻れない

 

44.ART-SCHOOL『Requiem for Innocence』

Requiem for Innocence

Requiem for Innocence

  • アーティスト:ART-SCHOOL
  • ユニバーサル ミュージック (e)
Amazon

 僕らは ただ 失っていくから

 

45.Lily Chou-Chou『呼吸』

呼吸

呼吸

  • アーティスト:Lily Chou-Chou
  • ユニバーサル ミュージック (e)
Amazon

 自分が死んだあとにも流れていてほしい曲一位が国内外を問わずリリィ・シュシュであることを『アフター・ヤン』が教えてくれたし、証明した。

 

46.川本真琴川本真琴

 天才。

 

 47.岡崎律子For RITZ

 教室の隅に まるで そこにいないみたいに

 言葉もなく 息を殺し 私は居たの

 

48.haruka nakamura 『音楽のある風景』

音楽のある風景

 名盤。

 

49.Gregory and the Hawk『Moenie and Kitchi』

 たしかNano-Mugen Fesに出ていたんだっけか。

 

50.Henning Schmiedt『Spatzieren』

 耳が疲れず、歩くのに適していたので一時期よく聴いていた。

 

51.akira kosemura『Polaroid Piano』

Polaroid Piano

Polaroid Piano

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 いまでは「泣ける」劇伴作家としてつよつよになってしまった。

 

52.『Final Fantasy Tactics オリジナルサウンドトラック』

「今さら疑うものか! 私はお前を信じる!!」

 

53.『Final Fantasy Tactics Advance オリジナルサウンドトラック』

 わたしにとっての『デス博士の島その他の物語』は『FFTA』でした。

 

54.sakai asuka『TVアニメ「ゆゆ式」オリジナルサウンドトラック「Feeling good (nice) wind」』

 毎週終わりになると流れるのが唯のテーマなんだよな。

 

55.Cruyff In the Bedroom『ukiyogunjou』

ukiyogunjou

ukiyogunjou

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 きらびやかな轟音に美しさとエモを感じるようになったのは彼らのせいだろうな。

 

56.ghostlight『Loss of Memory(tomorrow)』

yuzame-label.com  魔法で騙した、夏。

 

57.monocism『初季』

初季

初季

  • アーティスト:monocism
  • インディーズ・メーカー
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 シューゲイズとミニマルミュージック的なものが合体するだけでうつくしくあれる。

 

58.Keith Kennif『Braches』

Branches

Branches

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 大学二回生のころ、一限の語学の授業前になぜか聴き続けていた。眠い頭にピアノとグロッケンなどの響きがちょうどよかったのかもしれない。

 

59.KAREN『MAGGOT IN TEARS』

 名前忘れた 声もかすれた 君が手折った小さな花は

 

60.Spangle Call Lilli Line『or』

or

or

Amazon

 ことばの区切りにおける日本語っぽさがどこか脱臭されているのがよかった。

 

61.Advantage Lucy『station』

station

station

  • アーティスト:advantage Lucy
  • ユニバーサル ミュージック (e)
Amazon

 ギターポップが気になりだしたのはこのバンドのおかげかもしれない。

 

62.ROUND TABLE featuring Nino『nino』

  それで渋谷系アキシブ系)に入っていくと当然のようにいる北川勝利。

 

63.TWEEDEES『The Sound Sounds.』

 沖井礼二に関しては清浦夏実と組んでいるTWEEEDEES派でありたい。

 

64.坂本真綾『かぜよみ』

かぜよみ

かぜよみ

Amazon

 じゃあ坂本真綾は? ゼロ年代の人間としてはこのアルバムになる。

 

65.Wake Up, Girls『Wake Up, Best! 2』

Wake Up, Best! 2

Wake Up, Best! 2

Amazon

 長期にわたる企画としては無茶苦茶だったわけだしさまざまな功罪があるのだが、曲の平均値が以上に高かった。フュージョンっぽい曲のアプローチもあったわけで。

 

66.上田麗奈『Refrain』

 全曲に渡って異様なほどの緊張感に満ちているすごい一枚だった。

 

67.ふたりの文学『曲集』

曲集

曲集

  • DORAYAKI RECORDS
Amazon

 辻林美穂がこれからもっと前に出てアニメ系統の曲を豊かにしてくれると信じている。『まちカドまぞく』三期だってきっとあるさ。

 

68.f*f『バトルガールハイスクール f*f BEST Album Depature』

 ソシャゲ内のアイドルがおこなう10年代中期のエレクトロ系かつストリングスを入れたオタクサウンドを成立させる手法としてはけっこうよかったと思っている(早口)。

 

69.KARAKURI『Re:SONANCE』

Re:SONANCE[初回限定版]

Re:SONANCE[初回限定版]

  • アーティスト:KARAKURI
  • THREE SEVEN RECORDS
Amazon

 10年代中期をのエレクトロ系のサウンドメイクを経由して、いかに未来の音楽として更新しておくのかは考えたくなる。電音部でもいいんだけれども。

 

70.ここなつ2.0『ホシノメモリー

 そのあたりの自覚はコナミが先達ゆえに貫禄のあるアルバムも出るわけで。

 

71.RAY『Green』

Green

Green

  • アーティスト:RAY
  • Lonesome record
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 電子音とシューゲイザーが近くなった現在に希望を持ちたい気持ちもある。

 

72.NUUAMU『W/AVE』

W/AVE

W/AVE

  • アーティスト:NUUAMM
  • 十三月
Amazon

 逆にアコギ中心の曲がフィーチャーされるオタクソングは生まれるだろうか。土壌はありそうな気がするけども。

 

73.キセル『夢』

 希望としてはこっちよりのものをもっと聴きたい。

 

74.ミツメ『eye』

eye

eye

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 次に住むなら火星の近くがいいわ

 

75.ザ・なつやすみバンド『PHANTASIA』

PHANTASIA

PHANTASIA

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 なんでもない飴玉に 気持ちを詰め込んで

 なんでもないふりをして 君にあげる

 

76.POP ETC『HALF』

 くるりの英詩カヴァーはね、ずるいんですよ。

 

77.Capital Cities『In A Tidal WAVE Of Mystery』

 シンセポップのノリがしっかり歌ものとして聴けるのがいい。

 

78&79.『ラストエグザイル O.S.T.』1&2

 わたしにとってSF原体験はラストエグザイルでありスチームパンクなんですよ。

 

80.Rionos『「あさがおと加瀬さん。」オリジナルサウンドトラック』

 百合はピアノと弦楽器。

 

81.羽毛田丈史『SWEET / 青い花 オリジナルサウンドトラック』

 百合はピアノと弦楽器(2)。

 

82.MANYO『FLOWERS ORIGINAL SOUNDTRACK』

 百合はピアノと弦楽器(3)。

 

83.MANYO『アカイイト オリジナルサウンドトラック』

アカイイトアオイシロ』HDリマスター発売決定おめでとうございます。

 

84.牛尾憲介『映画 聲の形 オリジナル・サウンドトラック a shape of light』

 鍵盤やペダルのこすれる深い音がわたしたちに音と重力と痛みを与える。

 

85.BLOC PARTY『Silent Alarm』

Silent Alarm

Silent Alarm

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 キッズのための音楽。『Life Is Strange 2』のモーテル。

 

86.パソコン音楽クラブ『See-Voice』

SEE-VOICE

SEE-VOICE

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 おっさんのための音楽。

 

87.Rei Harakami『lust』

 いつ聴き始めたのかも思い出せないくらい聴いていた。

 

88.Snow Fox Apprentice『Totorowave Ⅱ』

Totorowave II

Totorowave II

  • 2013582 Records DK
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 2010年代初頭、サブスクもなく意味不明なネット音楽レーベルがたくさんあった時代に見つけたジャパンリスペクトの音楽。lofi hiphop以前のそれ。

 

89.fish in water project『DREAMS』

DREAMS

DREAMS

  • fish in water project
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 君との晴れの日の散歩も 雨の日の雨宿りも

 全部 全部が思い出なんだ

 

90.Balloon at Dawn『Tide』

Tide (DFRC-060)

Tide (DFRC-060)

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 あたらしい海を見たの

 言葉を詰まらせて 正しさに潜っていく逡巡の中に

 

91.Fragile Flowers『Asylum Piece』

soundcloud.com 君と僕は 運命に切り裂かれる恋人だった

 

92.ASIAN KUNG-FU GENERTION『ファンクラブ』

ファンクラブ

ファンクラブ

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 遠く向こうで ビルに虚しさが刺さって

 六畳のアパートの 現実は麻痺した

 

93.For Tracy Hyde『New Young City』

 魔法とは呼べやしないような、

 子どもだましの日なたでもいいかな。

 

94.LUNKHEAD『月と手のひら』

 運命呪ったあの夜も ナイフを握ったあの朝も

 すべてを捨てて今、私 自分を愛すと決めたんだ

 

95.藍坊主『ハナミドリ』

ハナミドリ

ハナミドリ

  • TOY'S FACTORY
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 だから、僕が君に言いたいのは、空き缶をつぶすように、

 伸びた爪をパチパチ切るように、喋らないでいてってこと

 

96.asayake no ato『故郷』

故郷

故郷

  • asayake no ato
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 勝気で聡いあの人はたぶん、私の企みを見抜いていた。

 

97.NANANINE『FAKE BOOK』


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 君と僕との距離を ごまかす位なら

 笑われたっていいのさ

 

98.Kensei Ogata『Things I Know About Her』

 飴色に溶けた虹彩

 覗き込んだ螺旋の奥に 僕を沈めてくれ

 

99.Galileo GalileiPORTAL

 だってね君の居場所は ここじゃないから

 ここじゃないから さよならだよ 

 

100.THE NOVEMBERS『Misstopia』

 もう僕の場所じゃない 別に悲しくないから

 先に壊しにいこう

 昨日までの世界のすべて

 いま僕らの持つものすべて

 

エンディング:BBHF「バックファイア」


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今燃える夜の中で 思い出の魔法がとけてく

君の髪が過去の方へ 永遠へと流れていく

百合文芸5に「ガールズ・サーチライト」を投稿しました。

 案の定、ブログの更新頻度が落ちている。ので、とりあえず告知というか報告です。

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 内容としてはタイトルの通りです。第五回百合文芸小説コンテストに投稿しようと一週間まえにネタを思いついたのですが、時間がなく、もともと完成済みの原稿を回し、今年出す予定の合同誌の弾がなくなりました。これから書いていきます。ギリギリで生きていたいから……。よかったらお読みください。

 女子高生ふたりが音楽を通じて出会う、という比較的直球の百合です。長年、音楽を小説でどう書いたらいいのか苦心していたのですが(それこそそのジャンルにおいては『さよならピアノソナタ』というマスターピースがあるわけですし)、年末に『ぼっち・ざ・ろっく!』を見て、じぶんなりに、これから必要になる音楽小説ってこういうものがあるんじゃないか、というのを考えて書きました。あと、やっぱりアニメを見ないと小説のインスピレーションは湧かないものですね。

 

参考曲リスト

 以下、参考曲を。これらがなかったら、いろいろとアイデアがつながらなかったなあ、と思っているので……。


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 それと来月から、なんかブログを定期的に更新するために連載企画を立ち上げられたらいいな、と思います。調べることがたくさんあって、大変ですが、がんばります。

依井貴裕『歳時記(ダイアリイ)』/『夜想曲(ノクターン)』

 原稿が忙しくなって雑記を書いている余裕がどんどんなくなっている。でも余裕をなくしたらおしまいなのでとりあえず思考の整理がてら書くことにする。水族館のはなしはまた今度落ち着いたら書きます。

 

依井貴裕『歳時記(ダイアリイ)』

 なんでかは知らないが、出回っている本の数がかなりすくなく(地味に高騰もしており)、あまり読まれていない本格推理作家のひとり。

 けれども現代(平成初期当時)において、もっともエラリー・クイーンに私淑していた作家は有栖川有栖でなく、依井貴裕のはずだと自分は思っている。それはデビュー作の『記念樹(メモリアル・トゥリー)』のVHSや公衆電話に関するロジックなどを見ればわかる*1。なぜならまさしくそれらは初期クイーンの手つきのままお出しされているからだ。

 けれども、上記のクイーン継承者という印象をすこし覆すというか、上書きするのが第二作の『歳時記』という作品といってよいかもしれない。本作のほとんどは亡くなった女性の書いた「犯人当て」小説が占めていて、そのなかで(もちろん作中現実でもそれに準ずるような)合計五つの事件が起き、それらの情報をまとめることで犯人を指摘できる、というかなりオーソドックスな長編ミステリとなっている。

 ただ、序盤の章の時点で、なにやらほのめかされているものがある。もちろんほのめかされる、ということは真相に絡むのだろう、という予断を読者にはたらかせることになるのだけれど、解決編に入るとそれはもっとずっと、緻密なものであることがわかる。よく、ミステリのどんでん返しを喰らった表現として「背負い投げ」をされる、という表現があるが、本作は最初からなにをするかが明白に示されているので、むしろ宣言通りのボールを投げられて、しかし見切れずに空振りをするか、見逃し三振をする、といった具合があてはまる。

 もちろん作者からの挑戦を受ける必要もなく、十人以上の人間を順番に犯人から除外していく「消去法推理」を読んでいるだけでも面白い。もちろんただただ出てきた犯人像にそぐわない情報をもとに容疑者を精査していく作業なわけだけれども、その前提を導き出す手つきが地に足のついたものであるので、つい感心してしまう。

 具体的な内容は教えられないが、たとえばAという事象が一回きりだけなら偶然としても扱えるけれども、A&A'などの複数回で共通するならば、なんらかの要因があったと推論するに足るだろう、といったかたちで現場の状況等を論証するシーンがあるのだ。これはとてもフェアな態度だと思う。

 そもそも名探偵というのは観察力のパラメータが非常に高くなったキャラクターなので、一度でも見聞きさえしていれば、すべてそれらをもとに推理できる存在であって、それはどう考えても読者より思考力も記憶力も上の存在だ。それとフェアな勝負などできる気がしない。そう思いませんか?

 けれども本作は、そうした情報一発のみで(なぜか)確定的な推理が導かれるのではなく、複数の条件が揃った、つまり偶然では処理できないレベルの、見逃せない事象から推理を組み立てていく。これは読者でも注意深ければ(おそらく原理上は)気づくことができる記述だ。よって、どこまでもフェアである。なんならいちばんの大ネタでさえ、序盤でほのめかしているくらい。あくまでその態度は一貫している。

 というなかで、最後の大ネタはいまではどう受け止めていいかわからないものの、すくなくともその緻密さはなかなかない。加えてその手つきがどこか奇術的であり、これを泡坂妻夫の弟子が書いた、と思うとどこか納得どころか、ある種の感動まで覚えてしまうのだから、いや~ミステリってほんとにいいもんですね。

 

依井貴裕夜想曲ノクターン)』

 勢いで、手元にあった他の依井貴裕作品も手に取る。これも「犯人当て小説」である。これについては、電子化もされているのだけれど、はやみねかおるによる解説が載っているかどうかで、印象は大きく変わるかもしれない。

 はやみね先生なので、解説じたいはネタバレとは言わないが、本作のいちばんの趣向がどのようにすごいのかを説明しているので、人によっては予断を生むことになるはずだ。ぜひそちらは見ずに、先に本編を読んでほしい。なるほど、これもひとつの超絶技巧だな、と思わせるものがある。

 もちろんいまとなっては偉大なる先例かもしれないが、しかしこれを「犯人当て小説」でやる、ということに自分は大きな意義を感じている。むしろ、犯人当てだからこそ、効果的なのだともいえる。2023年現在となっては、後発作にもいくつか類例はあるといえばあるが、本作のストイックさと目的意識というところではまだ越えてはいないな、と個人的には感じる。そういう意味でも手に取ってほしい一作。

 また、こちらもじつに奇術的な作品といえばそうなのだが、なによりこれも、エラリー・クイーン仕込みのスタイルで、しかし、クイーンでもあの作品のアイデアか! という驚きもある。クイーンファンならぜひ読んで損はない、というと大げさかもしれないが、読んで楽しい一作である。ちなみに、文章じたいは上手いかというと難しいラインなので、『歳時記』、『夜想曲』ともに合わない人はけっこう大変かもしれない。

『歳時記』のなかのとある文章。これぜったい作者が言われたことだと思う。

*1:まあいつか運良く読めたときに確認してください。

カレーと拳銃と水族館をめぐる断片①

 だいたい前日になって翌日の予定を突発的に決めようとすることはあっても、一週間以上前からぜったい日曜日はこうするぞ、と構えていることはかなりすくない。友人とのはずせない予定があるならともかく、自分自身のことについては自分がよくわかっている。自分が計画的に日曜日を過ごすことができるかは、まったくもって意志の力にはよらない。わたしたちの日曜日を構成する三大要素とは、運、体調、そして天候でしかない。運とは起床時間であり、体調とは体力の初期設定ガチャであり、天候とは気圧や気温によるデバフのことだ。

 では今日はどうであったかといえば、運よく朝のはやい時間帯に起きることができ、体調も悪いとは感じず、雨は降っていたが、頭痛に悩まされるほどの低気圧ではないようだった*1

 

茶店をさがす

 まず自分という存在の意志のつよさを信じていないため、物理的に二度寝をしないことを考えなくてはならない。よってすぐさま身支度をして、外出し、近所の喫茶店でモーニングとする。外にいればこっくり舟を漕ぐことはあるかもしれないが、まあ熟睡することはない。あまりにも体調が悪いと家に帰りたくなることもあるのだが、今朝の体調チェックはグリーンだったので、このまま喫茶店へ向かう。

 昨年、なにかの記事で「京都の喫茶店は東京と違って並ばないのがいい」というのがあった気がする。それは部分的にそう、だと思う。京都市内にある老舗の喫茶店や路地にあるような喫茶店はこの十年ほどで大して変わっていないような気もするが*2スターバックスコメダ珈琲あたりの大手チェーン店は休日となると、またたく間に満席となってしまう。

 その証拠に、ここ二年ほどで自分が利用した京都市内のスターバックス京都市営地下鉄烏丸御池直結のスタバだけだ*3。あそこに比べると大垣書店烏丸三条店の横なんかは最悪だ。休日、あそこが満席じゃなかったのをもう見たことがない。

 そのむかしであれば、烏丸三条ビルをおとりにして、六角堂横のスタバなど、室内のソファに座りながら巨大なガラス越しに六角堂の見事な建築や植物等を眺めるのがたいへんチルい体験だったのだが、いまとなっては人が多すぎており、なかなか落ち着かない。京都三条大橋店はもはやただの観光地と化している。わたしたちはもはやディアスポラなのであり、約束の地はなく、ただ集団ではなく、個人として生きる場所を見つけるしかない。たとえば以下の記事はそれを示している。

worldend-critic.com

 わたしたち京都民はすでに選択を強いられている。お気に入りのマイナー喫茶店に通いつめるか、めちゃくちゃ空いている時間帯を狙うか、の二択だ。

 ただ問題なのは、前者の場合、マイナーすぎて近隣住民しか利用してない場所であることと、顔を覚えられてしまう可能性があるということだ。自分は都市空間において、ポーのいう「群衆の人」になりたいのであって、特定の個人にはなりたくない。大事なのは、いかにその距離感を生きるか、なのだ。べつに店員さんに顔を覚えられるのが苦痛でない人はどうでもよろしい。

 

小沼丹『黒いハンカチ』

 ついつい長くなってしまった。喫茶店に着いたら、ゆっくりと頭を起こしつつ、本を読んでいく。自分は読書会等の課題がなければほんとうに気分で本を読むので、とりあえず鞄のなかには二、三冊入れておくことにしている。

 なぜなら手元に一冊しかないと、本を開いた直後に、今日はこれを読むテンションじゃないな……とスンとなってしまった場合、ひたすらスマホをいじりつづけることになるので「ちゃんと回る」デッキ構築をしておく必要がある。

 今日の読書デッキは、小沼丹『黒いハンカチ』(創元推理文庫)、ポール・ド・マン『読むことのアレゴリー』(講談社学術文庫)、三浦哲郎『拳銃と十五の短編』(講談社文芸文庫の計三冊だった。まずは『黒いハンカチ』を手に取る。創元推理文庫の刊行時に読んだ記憶はあったが、中身を完全に忘れていたので再読。

 テイストとしては日常の謎に近いものの、平気で人が死ぬ。しかし、軽快な、のほほんとした筆致で進むので、どちらかといえばコージーミステリーともいえる。ミステリとしてもガッチガチのつくりというわけではなく、ゆるい事件に対して、ちょっとだけその一歩上を行くような推理を主人公のニシ・アズマがおこなう。

 解説のなかで新保博久はニシ・アズマの描かれ方を「ブラウン神父」的とゆっており、たしかに気づいたら探偵役が事件のなかにいるところからはじまり、事件が起きたところで、彼女が犯人に対して鋭い視線を向ける、というパターンがつづいている。若干それだけがくり返されている印象もあるけれども、文章そのものの温度感がほどよいため、気づいたら一時間ほどで読了してしまった。ミステリ的な人工さとしては「犬」がいちばんだろうか。だとしてもこの連作は気軽なミステリとその空気を楽しむのが大事なので、どこを評価するかは、些細なことだ。

 解説に載っている作者の情報も詳しく、『古い画の家』という作品集が予告されたのにもかかわらず、結局出なかったことまで書かれている。これについては昨年、幻の企画を復活、といったふうなかたちとして中公文庫で刊行されている。『黒いハンカチ』と『古い画の家』の解説は書き手はちがうものの、連続したシーンのなかで扱れているようにも読めるので、二者を手元に揃えて読むのが大事かもしれない。

 

三浦哲郎『拳銃と十五の短篇』

 そのあと三浦哲郎『拳銃と十五の短篇』を途中まで読む。厳密なミステリとはいいがたいものの、人生のあるタイミングで遭遇する「謎」を扱う手つきが素晴らしい。父の残した形見の拳銃と五十発の弾薬をめぐる話「拳銃」「河鹿」は回想ゆえの距離の取り方/詰め方がうまい。

「川べり」に至っては、とある家の妻と子の心中事件とその後、残された夫がなぜか家族が死ぬ前といっさい変わらない生活をつづけている、という奇妙な状況が語られる。その裏にあったものを知った時、じっとりと胃の底が重くなる。本格ミステリほどのロジカルさはないものの、あくまで個人のなかに残る感情を描くところがよい。

 それこそ「シュークリーム」なんかはほとんどコントなのだが、妙におかしみのなかに人間味が感じられるところが渋い。書き出しはもう出オチギャクなのだが。

「シュークリーム!」

 とその人はいった。

 生命のことは、いまのところ、なんともいえない。今夜がやまで、今夜一と晩持ち堪えてくれれば、望みが出てくる。どうぞ力を落さぬように――医者がそういい残して病室を出て行った直後に、

「シュークリーム!」

 ほかの誰でもない、瀕死の病人そのひとが、突然、ちいさく叫ぶようにそういったのだから、ベッドを囲んでいたひとたちはびっくりした。

 これがもし子供の病人だったら、誰もがきっと夢を見ているのだと思ったろう。自分の命が風前の灯だということも知らずに、洋菓子の国へ迷い込んだ夢でも見ているのだ。そう思って、みんなは涙を誘われたかもしれないが、いま現実に、

「シュークリーム!」

 そう叫んだのは、子供ではなくてもう五十六にもなる女の病人である。

 この、ダメ押しのように三回くり返されるのが、いい。一回や二回だったら、まだ作者は真面目に書いているかもしれない、と思わせたところで、三回目までいく。で、なんだか脱力してしまう。しかしその感じがどこかよい。そして死ぬか生きるかを見守っていた人たちも、その瞬間、ぽかんと戸惑っているのがじつに喜劇的な色彩が帯びて語られていくのだった。

 ところで、この「シュークリーム」を読んでいて思い出したのは、堀江敏幸『雪沼とその周辺』に入っているイラクサの庭」という短篇だ。これもまた、死に際の人のことばについて思い巡らす一作なのだが、「シュークリーム」をよんだいまとなっては「イラクサの庭」は堀江による三浦へのアンサーソングのようにしか思えてならない。まあ、それはただの気のせいかもしれないんですけれども。

 

円町カレーフェスティバル2023

 そうこうしているうちに昼が近づいてきたので移動する。今日の目的のひとつ、「円町カレーフェスティバル2023」だ。

enmachi-curry.com

 なんか期間限定で円町の飲食店が特別なカレーメニューをお出しする、とのこと。で、今日が最終日だったので、滑り込みで行ってみた。

イカレーレストランシャム「鴨肉のパネンカレー」ハーフ

SPICE JUNKY「その日のカレーABC三種盛」ハーフ

 せっかくの機会だし、ハーフも頼めるみたいだし、ハシゴしてみるか――となったが、めちゃくちゃお腹にきた。主に、油が。ただどっちもおいしかったので、また円町に来たときは食べるかもしれない。まあ、今年のカレーフェスは今日で終わりなんですけどね……*4。というわけで対ありでした。

 

花園教会水族館

 円町からさらに足を伸ばして、住宅街のなかにある花園教会水族館へ行く。これはたまたま図書館にあった京都ミュージアムロード(スタンプラリー)の冊子を見ていたら、気づいた。花園に水族館? 太秦や花園には行ったことはあったが、そんな施設があったとは思わなかった。

www.kyohakuren.jp

 

 と思ったが、だいぶ文字数が増えてきたので、続きはまた明日書く。はず。たぶん。おそらくは。

 

 

 

 

 

 

*1:気圧と頭痛の関係は不明である。

*2:人知れず潰れた店もあるだろうが

*3:地下鉄利用者しか存在に気づいていないので比較的空いている。

*4:最終日までやる気が出なかったのだった。

ウォルター・テヴィス『クイーンズ・ギャンビット』、BOSS DS-1X(Distortion)

 雑記はつづける意味があると思うのでつづけている。いまのところ二、三日に一回ペースだけど、月末は忙しくてそんなこと言ってられないかもしれない。

 

ウォルター・テヴィス『クイーンズ・ギャンビット』

 ネットフリックスのドラマになったときに観ようとしたのだが、アニメの24分くらいの尺になれている人間にはアベレージ一時間の映像連作は重すぎ、途中で挫折した。小説は買っていたのだが、忘れていた。最近になってTwitterで複数人のフォロワーが「おもしろい」と言っていたので、ようやく腰を上げた次第。およそ二年ぶりの挑戦。

 自分はチェス小説には2021年ごろから興味がわき(創作の参考にしようというもくろみがあった)、『チェス奇譚』、「成立しないバリエーション」、『モーフィー時計の午前零時』、『ディフェンス』あたりを読んできた。どれも面白かったのだが、『クイーンズ・ギャンビット』は群を抜いてエンタメをしているという印象になる。両親が死んで孤児スタートから用務員さんのやっているチェスに興味を持ち、手ほどきを受けて才能を開花させるのとか、薬やアルコールにおぼれるのとか。

 孤独な主人公ゆえの描き方も面白い。序盤では自分が魅入られた薬を養母からかすめとるし、チェスの雑誌や金も盗む。チェスの大会に出るにはさらに参加費用がかかるので、自分の才能を見出してくれた恩人に無心もする。このあたりのギリギリで生きている感じはわかる。なにかを為すためにもまずはお金がかかるんだよね。めっちゃわかる。

 ほかにも終盤、対局に主人公が盤面にのめり込んでいる記述から、ふとした瞬間に相手を思い出すようにして見つめるシーンが、たしかにありそう、という感じがしてすごくによかった。盤上だけでなく、盤面の向こうの敵に視線を向ける、というだけなのに、そこでキャラクターが読者の前に出てくれる。

(…)最高の手。本当に最高。ベスはためらいがちにルチェンコの顔を見上げた。

 それまで一時間近く、彼のことを見ていなかったが、その見た目にベスは驚いた。ルチェンコはネクタイを緩めていて、ねじるようにして片方の襟に巻きつけていた。それに髪の毛はくしゃくしゃで、親指を噛んでいて、顔は驚くほどにやつれていた。

 長引いた対局の苛烈さによって、相手がめちゃくちゃなまでに疲弊しているのに気づき、同時に自身の優位を理解する、という、わざとらしいくらいに説得力に満ちている。こういう場面の切り取り方がほんとうにできたらいいなあ、と思う。

 これよりも前になるけれど、勝利を核心するときの穏やかな感情を示す描写もいい。これも、集中していたところからふと顔を上げて、状況を俯瞰するという記述のひとつだ。

(…)ベスはチェス盤から顔を上げて周りを見渡した。他の対局は全部もっぱら進行中で、見物人たちが声を潜めるようにして見ていた。立ち見をしている人の数は増えていて、みんなベスとベニーの試合が見える場所に立っていた。ディレクターがやってきて、ふたりのテーブルの前に置かれたデモ用のチェス盤のキング・ポーンをキングの4に進めた。見物人たちは、ボードを食い入るように見ている。ベスは部屋の反対側に目をやってから窓の外を見た。美しい日だった。木々の新緑と雲ひとつない青い空。彼女は自分が大きく膨らんでいくような気持ちになった。気分が和らいで、心が開いていくのを感じた。勝てる。ベニーをこてんぱんに打ち負かしてやる。

『クイーンズ・ギャンビット』が面白いのは、たぶん、ただ戦いそのものを緻密に書くのではなく、対局者自身に見えるものを読者に伝えるべく実況していく、その緩急の手つきが上手いのだと思う。だれだって白熱した盤面をこれでもかと書いておいて、そこから一歩引いて俯瞰していくカメラワークをする、といった間合いの取り方をされては心を掴まれてしまうはずだ。

 ちなみに、自分の手元にはまだ未読のチェス小説がひとつ残っている。フレッド・ウェイツキン『ボビー・フィッシャーを探してだ。今月中に読めるかな。ちなみに映画は観ていないので、まったく知らない状態。

 

BOSS DS-1X

  ところで今朝起きると、外では、また浅い雪が積もっていた。今年は雪がよく降るなあ、と思いながら当然のようにきんいろモザイクのいわずとしれた名曲「きみいろスノウフレーク」を聴いていた。そこで思った。

 そうだ、今日はこれをコピーしよう。


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 というのも、さいきん、中古でBOSSのDS-1X、つまりコンパクトエフェクターを買ったからだ。これの感触を確認したかった。

 これまで自分が使っていたメインの歪みエフェクターKensei Ogataさんがモディファイした、BOSS SD-1 Tranceparent Modというもので、これは、もともとのSD-1よりも出力も歪みのレンジも広くなっており、使いやすい。

 のだけれど、自分が宅録するさいにリードギターとして使っているSquier Jazzmaster (J Mascis Signature)で鳴らすと、どうもTONEを絞っても高音域を拾いすぎて、キリキリした印象になってしまう。たぶんギターのせいだと思う。ふつうのジャズマスターよりも高音成分がいくらか強い。なので、もうすこしミッドが重く、粒立ちのいいディストーションがほしかった。

 まあProco RAT2というド定番の歪みエフェクターも手元にはあるんですけど*1、電源供給プラグを専用のものに差し替える作業がめんどくさすぎるので……。

koband.thebase.in

 そんなことを考えながらなんかいいのないかな、とYOUTUBEの機材動画をサーフィンしていると、DS-1Xをcinema staffの人たちが試奏する動画をみて、これまんまほしかった音だ!!! となった。ジャズマスターで試奏されているのも助かった。かゆいところに手が届いたのだった。


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 音については上のYOUTUBEを見ればいいとして、じゃあじっさいにどういう感じでコピーするか、と考える。

 というかなんかこの曲のイントロのかんじ、どっかで聴いた感触があるんだよな……と考えていると、そこで思い出した土岐麻子ビートルズカヴァー「Lucy in the sky with diamonds」だ!!!


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きんいろモザイク』の一期のエンディングも土岐麻子中塚武による「Your Voice」をカヴァーしたものだったし、参照元としてはけっこう合っているじゃないだろうか、まあ最初のフレーズが近いってだけで、以降の構成とかはぜんぜん違っているんですけれども。

 ほんとうだったらこれにならってエレアコで鳴らしたいのだけれど、あいにくマンション暮らしなのもあって、機材の持ち合わせがない。じゃあそれこそDS-1Xをごりごりに使った、オルタナっぽい感じでどうだろう、と考える。あ、いけるかもしれない。

 というわけでやってみた。

soundcloud.com

 歌っています(ギターも歌も英語も下手くそです)

 主にDS-1Xを使っているのは右側のギター(左側のリズムギターはBacchusのテレキャス)。自分はギタリストとしてはひよっこなのでとりあえずサビではオクターブを鳴らすしか発想がない。二番のサビからはギターをさらに足してエモくなっています(申し訳程度のオルタナ成分)

 いや、これは、一度でいいからスマッシング・パンプキンズの「Today」のあのリフのフレーズをアレンジに使いたかったんです。信じてください。

 というわけで、この調子でギターももっと練習したいですね。知り合いが『ぼっち・ざ・ろっく!』の影響でギターを買ったりしているので、自分も実家から高校時代買っていたスコアを実家から取り寄せました。これがゼロ年代ギターロックの力だ……。完全にキッズになってしまう……。

だいたいこのあたりから一、二曲コピーしていた(ベースだったのでギターは弾けない)。

 というわけで、みなさんもよきオルタナっ子ライフを……。

 

エンディング Smashing Pumpkins「Today」


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*1:高校のとき、御茶ノ水で投げ売りされているのを格安で買った。

Bluetoothイヤホンを使い始めた、そして今日も古本市に行く。

博『ゆめくり』第四巻より。かくありたい。

イヤホン:TaoTronics TT-BH07MK2

 ちょうど一か月ほど前に、Bluetoothイヤホンを買った。昨年までイヤホンジャックのあるiphone 6sを買い換えたくなくて使いつづけていたが、iOSのヴァージョン更新に伴い使えなくなる、との発表を聞き、諦めて買い換えた。

 6sはアイカツ!フォトonステージ!!』をプレイするためだけに買ったもので、およそ七年の付き合いである。電池も二回交換したし、画面は一回も割らなかった。そうした愛機とお別れかと思うと悲しい気持ちもあった。しかしもう『アイカツ!』も10th storyだしな……前に進まなくちゃ、と思う。

 というわけで現在はiphoneSE の第三世代を使っている。ちなみに買い換え時に抗菌加工ができると言われて面白そうだったので6000円払ったらお寿司の醤油の袋よりちょっと大きいくらいのパックに入ったぬるっとした液体を擦り付けられて終わった。え、それで6000円なんですか???? ぜったい液体の値段高く見積もっても1000円くらいですよね、どんだけ人件費に割いているんですか。もはやオカルトでしょ。

 そうして買い換えたiphoneのイヤホンジャックは消失し、しかし音質やコストパフォーマンス、利便性の面から有線イヤホンを使いつづけていたかったのだが(なぜなら夜中寝ているあいだも音楽を聞き続けたかったので)、購入した変換プラグがだいたい二週間おきに駄目になる、のを五回ほど繰り返し、ようやく重い腰を上げてBluetooth対応機器を買うことにしたのだった。無限に不便を強いられるほどわたしの精神は強靱ではなかったので。

 購入の基準としては、有線のころまではいかないものの、長時間使用に耐えうるものと、それなりの音質、あと壊れてもすぐに買い換えることのできる価格帯、という希望にそうスペックを探した。

 結果、TaoTronicsのTT-BH07MK2になった。アマゾンではさまざまなメーカーが需要の多さに合わせるために作っているらしく、調べてもきりがないので早々にサウンドハウスで探すことにしたのがよかったのかもしれない。

 自分は販売業者としてのサウンドハウスをそれなりに信用している。音楽オタクのための販売サイトにイビルな商品を置くことはしないだろう、という判断だ。Playtech製のギターは信用していないが。

https://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/280744/

 また、自分はズボラなのですぐ部屋や外出先でなくす可能性も加味して、ケーブルつきのものにするというのも大事だった。おかげで有線のときと装着感はたいして変わらないが、まあまあの買い物ができたと思う。あたらしいガジェットに手を伸ばすのに、消極的な理由で決めたので、それほどわくわくしなかったのは悲しかったけれども……。

 それにしてもこんな小さなパーツでしか構成されていないものが、充電することで連続およそ二十時間動くというのが直感と合わない。いまだに戸惑っている。

 リチウムイオン電池はまだそれなりのサイズ感と重量があるので信じられていたが、これについてはビスケット菓子のアスパラガスの半分ほどしかない。森永のミルクキャラメル一粒でも300メートルしか走れないのだから*1、もほやこれはオカルトというより魔法である。発達した科学は魔法と区別がつかない。ところでこの法則、スタージョン以上にフィクションのなかで擦られすぎてて、日常会話で使うとダサくなりませんか?

水薙竜ウィッチクラフトワークス』第三巻より。

 

京都の小規模古本市に行く

京都古書会館。自転車のイラストと「止めれます」が「停」でないのが味わい深い。

 京都の古本市というと年三回(春のみやこめっせ、夏の下鴨神社糺の森、秋の百万遍知恩寺)ある、のだが、最近は小規模な古本市が定期的に開催されることも多い。この土日は京都市内だけで三箇所も古本市が開催されている。

 開催場所は、京都古書会館、丸善ジュンク堂地下二階、京都駅前地下ポルタ、の三つである。詳しくは各自で調べてみてください。自分はこの土日で、三箇所を制覇した。東京ではブックオフめぐりが一部では流行っているが、最近の京都も捨てたものではないな、と思う。

 古本市が開催されると、ここ数年はなるべく行くようにしている。というのも、たんに古本を買うのが好き(散財するものがそれくらいしかない)というのもあるが、それ以上に知らない本への接触機会を増やすようにするため、というのがあるからだ。

 自分は基本的に小説執筆のための資料であったり、そのときどきの興味に伴って本を買うので、一般書店では決まった棚の前にしか向かわない。

 けれども古本市の場合、ある程度までは古書店側の判断によってジャンル分けされているものの、基本的に棚にどんな本が個別に並んでいるのかはわからないので*2自然とすべての棚を見回って確認するようになる。総当たりをするのが当然の状況になっている。

 もちろん並んでいる背表紙を見ても、手に取るものの多くは、自分の脳内にあるアンテナに引っかかったものが多くなる。けれども、だいたい数ヶ月ごとにこういう場所によると、それまで手に取らなかった本を手に取るようになっている。なぜならその数ヶ月のあいだに自分の興味を広げていたり、小説の新作執筆のために脳内を占有している検索ワードが変わっているからだ。そういうときにはだいたい一、二冊ほど、気になっていた作家や本を見つけて購入する。

 これを一年くらいやると、だいたい短編一個くらいのネタになる、という体感がある。え、執筆ペース遅くないですか。ごめんな。

 一時期よく、リアル書店は偶然の出会いをつくる、という対ネット書店用に使われる文言が本に関わる人からは述べられていたが、そもそも棚の前に行かなくては出会いもあったものではない。そもそもリアル書店だって返品システムがあるのだから、セレクトショップ的なかたちで特化させないと、偶然の出会い、というほどの狙った演出もできない。よって、そういうときに古本市は比較的、リアル書店よりも偶然をつくってくれる可能性が高い。通うことにしているのはそういう次第だ。

 だとしても、これはたぶん、それなりに本や作家、とくにジャンルに対する知識のマッピングができている人間の発想だとも思う。かつてそうではなかった大学一回生のころ、意気揚々とした気分で春のみやこめっせの古本市に行ったものの、並んでいる本の価値がさっぱりわからなかったので文庫コーナーだけ軽く漁って敗北感とともに帰っていく経験をしたことを忘れているわけではない。べつに本に限らず、レコードショップでも似た経験はある。

 いまとなっては、そんな敗北感など抱えずにただほしいと思ったものを適当に買えばいい、という話なのだが、そこまでおおらかになるためにも本はそれなりに読んでいく必要がある、というのも難儀な話だと思う。

 まあそういうことやってると年に百冊単位で積み本が増えていくわけですが、まあそれはそれということで。

購入本その1。

購入本その2。

 箱入りの本とか全集とか、場所をとるのでなかなか買えなくなっちゃったね。

 

エンディング:The SALOVERS「文学のススメ」


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*1:『だがしかし』で学んだ知識だ。

*2:高価な本は目録に載ると思うが。

ひらりさ『それでも女をやっていく』ほか

 引き続き雑記。つづけられたらいいのだけれど、なんか忙しさを理由にしてだんだん書かなくなっていく未来が見える……。

 

ひらりさ『それでも女をやっていく』

 このWEB連載を知ったのはもう終盤にさしかかっているところで、改めてに本になった状態のものを最初から読んだ。冒頭から、思春期から大学入学あたりに漂っていた、そして就職後にもどこかまとわりついていた、あの、見えない空気(本のなかでは「透明な嵐」*1と呼ばれている)を思い出し、胃の底がじっとりとなにかを吸い込んだように重くなった。

 この本のなかでおこなわれているのは、おそらく、言葉をうまく持てなかったころの出来事を、痛みに耐えながら語り直す、つまり、痛みを痛みとして共有するための作業だ。「女」という存在にまつわる、さまざまな出来事は、つねに透明な嵐にさらされている。その透明さを、ちゃんと、見えるようにしなくてはならない。

 だからか、序文の結びでは、以下のように綴られている。

 でも、読んだあなたが「ああ、私にも似たようなことがつらかった」と心が軽くなったり、逆に「全然わかんない。私だったらこう思う」と自分の話を誰かにしたくなったりしたら、とても嬉しい。そうして、さらに「いろいろな女の話」がこの世にもっと増えてほしい。まだまだ全然、足りないから。

 

 今はとりあえず、わたしの話から始めよう。

 著者は自分よりすこし年上だけれど、あのころのオタク*2の温度感はなんとなくだけれども、わかる。クラスメイトだった友達は『桜蘭高校ホスト部』が大好きで、よくその話をしていたのを覚えている。

 ただ意外というか、そのあたりをおそらくわかっていなかったのだな、と思わされたのは、幼少期に少女漫画で育った、というのが具体的にどのような感覚を醸成させるか、という話だった。少女漫画はレーベルや作品ごとに程度の差こそあれ、男女恋愛規範的な側面を持っているものが多い(たとえば恋愛をすることで強くなる、成長する、であったり、そもそも恋愛というものがいかに素晴らしいものかを教えるものもある)。

 だから、ある程度まで成長して、自他の生き方を比べられるようになったとき、その漫画のキャラクターたちのように恋愛のできない自分は駄目なのか? という自己内省が自然と生まれていく*3。どんなに価値観の相対化ができたとしても、すり込まれた規範あるいは憧れというものは毒のように体内に溜まっていく。それが「ロマンチック・ラブのゾンビ」なのだと著者は述べる。

 これには自分も経験がある。といっても自分はシスヘテロ男性なので、主にそういった部分を受け止める源泉となっていたのはライトノベルだった。

 2023年現在刊行されている作品やシリーズは比較的(比較的なのだが)そのあたりについて自覚的な作品がいくつかある印象だけれど、ゼロ年代ライトノベル作品には「女の子なんだから」≒「かよわいんだから」とか、「いいお嫁さんになれないぞ/いいお嫁さんになれるぞ」≒「女らしくしろ」的な男子中高生の考える「理想の女の子」に対する価値観を内面化した作品にいくつも出会ってきた。それがどこか歪んでいるように見えたのはたぶん、二十歳前後あたりからではなかったか。

 もちろんそういったステロタイプな言説を、たとえば異性に対するひとつの「憧れ」あるいは「フィクション」として書かれているのだと説明するのは簡単だ。あるいは反対側からみれば、まったくもって正しくない「男女規範」を極端にした意識のあらわれだと指摘することもできる。けれども同時にそれがフィクションではなく現実にだれかを当てはめようとしたとき、「透明な嵐」は吹き荒れる。

 そこで思い出したのは、昨年たまたま読んだ、宇佐美游『黒絹睫毛』だった。

 

宇佐美游『黒絹睫毛』

 それなりに容姿の整っている主人公の女の子・雪乃が、男女共学の学校に進学すると、自分よりも美しい女子がクラスにいることに気づく。それが絹子だった。そしてその事実に周囲も気づいていた。

 そのためか、雪乃は常に周囲の男子たちから絹子と比べられつづける。つまり、常に「女性」として「下位」のレッテルを貼られ、扱われていく、という話だった。

 読んでいるあいだ、とにかく、息苦しくて仕方がなかった。なにしろ主人公にはどこかに逃避するためのコミュニティすらなかった(地方で、ネット環境もおそらくない時代の話だと思われる)。

 対抗策として、雪乃は絹子の格好や髪型を真似て、すこしでも彼女に近づこうとする。そしてそこには憧れか恋慕に近い感情がある。のだけれど、向こうは自分に対してまったく振り向いてくれない、という片思い百合に近い展開になっていく(そのあとで主人公は男子と付き合うことになるのだが)。そうして常に雪乃は、だれにも助けてもらうこともなく、肥大化した自意識によってただただ自分自身を傷つけていくことになる。

 終盤、雪乃は絹子の暮らす町をひとり訪れる(彼女は電車通学だった)。けれども、そこで会った絹子の雰囲気は学校とはまったく違っていた。

 つまり絹子もまた、多くの他人から「美人」というレッテルを貼られつづけて生きてきたのであって、そのために学校では素とはちがった「仮面」を被り、自分自身を守っていたのだということを雪乃は知ってしまう。けれども物語はそのふたりを手をつなぐようにはしてくれないまま、ただ相互の不理解とすれ違いを強調させて、あっけなく終わってしまう。それでも生活はつづいていく。そういう話だった。

 だから『黒絹睫毛』を読んで思うのはだから、そういうなにかによって知らないあいだに植え付けられた価値観が過去の自分の記憶にも、当たり前のように転がっていたな、というなまなましい感触だった。

 

 もちろんそこから逃避するために別ジャンルのフィクションを読むことはできる。自分にとってそれは「百合」であったのだし、ひらりさ『それでも女をやっていく』で語られる内容では、それが「BL」の世界だったという。著者は「BLを読んでいること自体を、「女」として規定された自分の生からの逸脱と感じていた」という。

 どんなことよりも、創作の中の男同士の関係の解釈のほうが大事だと思うことで、心の底で感じている息苦しさにへらへらしていたかった。社会や会社で女らしくあることを求められているのは擬態している仮の自分であり、世間に押し付けられた着ぐるみを被っていない腐女子のほうが、本当。(…)でも、わたしにとっては一時期、「そう」だった。

(太字傍点)

 だった、というのは著者にとって、「BLが完璧な逃げ場ではなくなったから」だ。個別具体的にどこかどうである、といった話はあえてされていないけれど、そのジャンルに対する後ろめたさ、「完璧でなさ」はたぶん、わかる。結局、自分の話になってしまうのだけれど「百合」に触れているとき、自分もそうだと思っている。厳密なかたちでの重ね合わせではないけれども、ゆるい「共感」みたいなものを、自分は、そう語る文章に対して、一方的に感じている。

 そうしてまるまる一冊をかけて著者は自身の経験を語っていき、最後に「フェミニスト」であるかどうか、自分自身に、そして読者にも問いかけていく。

 問いかけはとうぜん正しさという尺度の見直しをはかることになる、これまでの前提を崩すことになる。「フェミニストは幸福なテーブルにおいてよそ者かもしれない」という文言を著者は引いてみせる。自分はここに「トラブル」*4という文言を思い出す。

 

 だから、ここから先は自分の言葉であって、著者の言葉ではない。

 

「百合」は「正しくない」よね。という言説がある。それは知っている。飽きるほどに聞かされている。でも、その「正しくなさ」ってなんなんだろう。たとえば、わたしたち男性が「百合」を消費財としてまなざすとき、そこにある種の不均衡さ、暴力性が生まれる。あるいは「百合」をひとつの逃げ場として語るとき、それは「正しさ」や「男性らしさ」にまつわるなにかから逃げるための、あるいはそのような規範(とされているもの)に対する「取り乱し」にもなることも同時に知っている。

 

伊藤氏貴『同性愛文学の系譜』

 けれども、昨年ふと気になって、伊藤氏貴『同性愛文学の系譜』という本を読んだとき、女性同姓愛は報われない、といった言葉に出会った*5。この著作では、一章ぶんを割いて女性同性愛を使った文学について語っている。

 自分が気になったのは、吉屋信子の作品についてのくだりだった。念のため留保しておくと、これは社会的な抑圧が文学に現われている、という文脈の話といて読んでいただきたい*6

 

 たとえばまず、『花物語』の中で扱われる女性から女性への恋は、たとえそれが相思相愛になったとしても、ほぼすべてが別離に終わる。

(…)

やはり女性同性愛は報われることのないものとして呪われているかのようだ。

 けれどもここで引っかかった自分もいた。

 「呪い」ってなんだ?

 「呪い」という言葉を、そこまで軽々しく扱っていいものだろうか? すぐに思考は連鎖していく。第四回百合文芸小説コンテストでも、「片方が死にがち」という話題があったはずだ。

www.pixivision.net 

溝口さんは、「百合SFでは、女性ふたりのうち片方が死にがち」なところが気になったそうです。
溝口:これは今回の百合文芸に限らない傾向ではありますが、なぜでしょうね?

 

石川:物語をドライブさせる手段として登場人物の死は有効ではありますが、百合が女性同性愛を核としたジャンルである以上、「片方がなぜこんなに死ななければいけないのか」はよりいっそう真摯に考えるべき問題だと思います。

 もしかするとこうした人間のかたちを「呪い」という存在に持ち上げているのは、社会という「だれか」などでは決してなくて、むしろ「自分たち」のほうではないのか。

 どこかでわかっていながら、けれどそこに対してなにも具体的な言葉を持たないまま、ただただ「正しくない」といった文言をくり返して、なにかの留保のために、あたかも安全な場所を確保するために使っているのは、それこそ「正しくない」のではないか。という言葉でさえもまた、ただ自分のポジションを確保する言葉に見えてしまう。じゃあ、わたしたちは百年ちかくもずっと同じ場所に居続けるのか。

 もちろんすぐに結論の出ることではないのだけれども、自分なりに言葉を探さなくてはいけないのだと思っている。自分自身をフェミニストだと声高に述べることはできない。けれど、フェミニズムを知らないでいる理由にはならない気がしている。

 言語システムが、その内部の合法性、合理性、つまり「正気」を保つために、表象しえないものをおぞましき「狂気」として外部に放逐するのならば、語りえぬものの怒りとして発せられる正義への訴えかけは、言説を求めながらも、狂気をそのなかに含むものとなる。それは、客観的事実性ではない事実性の証言であり、合理的な応答ではない応答であり、言説からすり抜ける言説である。(…)それは、気配や寓話や亡霊や比喩として――いわば通常の言語活動からはみだす過剰な一瞬として――聞かれるものである。

 今回の文章に結論はない。だからべつにお話としてまとまることもない。終わり。

*1:もちろん『ユリ熊嵐』からの引用だろう。

*2:いまとはやっぱり言葉のニュアンスが違う。

*3:こうした自己否定感覚を描いた作品として津村記久子『君は永遠にそいつらより若い』がある。

*4:念頭に置いているのはもちろんジュディス・バトラーだ。

*5:ここで紹介はするが、この本のなかで論じられる内容にわたしは賛成する気にはなれない。

*6:エスという関係のが将来的な男女恋愛の(良妻賢母教育の)前段階として理解されていた、という文脈と捉えてもよい。