『ぼっち・ざ・ろっく!』でギターをはじめたい人のための覚え書き

陰キャならロックをやれ!!!!

ーーはまじあき『ぼっち・ざ・ろっく!』初版帯コメント

目指せ、ギターヒーロー

【※】このブログは『ぼっち・ざ・ろっく!』を見て、ギターをはじめようと思った人に向けて書いています。

はじめに

 まず一言。

 ぜったい1~2万円くらいのギターと周辺機器ぜんぶ揃ってますって感じの入門セットだけはネット通販で買わんといてくださいよ!!!

(楽○市場とかヨド○シとかサク○楽器とか)

(メーカーとしては、Leg○ndとか、Phot○genicとかです。あれはコスプレ写真を撮るひとが使うような、音の出るだけの廃材だと思ってください。あれは楽器ではないです)

 なぜかというと。

①普通に音が悪い

 ミニアンプで鳴らす程度なら気にならないけど、デカいアンプにつないだり、宅録をはじめたりしたとき、まともな環境にすればするほどつくりが雑なのでノイズがザーザー鳴って酷いです(よくあるのが内部の配線がひどい)。笑えません。

②ピッチ(音程)が怪しい

 基本的に生産時にお金をかけていない=粗悪品の可能性が高いので、楽器としてあまり信用ができません。

③変な癖がつく

 ボディに妙に重い木材を使っていたり、弦の高さがおかしかったり、ふつうのギターであれば5くらいの力でコードを弾くことができるのに、10の力をかけないと綺麗に鳴らなかったりする。それに慣れるだけであんまりよくない癖がつきます。

④修理対応がめんどい

 届いた時点でネックが反っている可能性があります。要するにゴミを掴まされる可能性が高いので、なるべく通販ではなく、実店舗に足を運んで買いましょう。実店舗であれば、ちゃんと店員さんが最低限の商品チェックはしてくれます。物によっては保証もつきます。ちなみに実店舗でも楽器店オリジナルブランドというものがあり、そこも結構あやしいラインのものが混じっているので気をつけましょう。

 詳しくは『ぼっち・ざ・ろっく!』原作五巻を参考に読みましょう。

あの虹夏ちゃんすらクソ安通販にはキレるレベル。

事前に知識を入れておこう

 お伝えするのが遅くなりましたが、とりあえず買う前にインターネットバンドマンの良心の塊こと、エレキギター博士による初心者向けの記事を読むことをおすすめします。これを知っていると、楽器屋に行っても「?」にならず、とりあえず見た目の違いや有名なメーカーあたりくらいはわかるようになるはずです。つまり、このくらいの下調べはしておいたほうが、騙されることがない、というか後悔が減ると思います。

guitar-hakase.com

 ぼっちちゃんみたいなギターヒーローになりたい! じゃあお金はどのくらい用意すればいいの? というそこのあなた。入門品としてそれなりのものを……と真面目に考えたら、だいたい本体と周辺機器合わせた価格で5万は要るんじゃないでしょうか。(上述のギター博士も本体に3万は出そうと言っていますね)そのあたりになると、まあまあ使えるレベルのもの(楽器としての最低成立ライン)になります。

 それ以下のもの買うということは、音の出る廃材かおもちゃを買うものと思ってください。それで満足できるならこの記事は読まなくてOKです。


www.youtube.com

 ぼっちちゃんの声を担当している声優・青山吉能さんがギター入門するYOUTUBEの動画がありますが、そこで彼女のために用意されているのがEpiphone Les Paul Customになります。ぼっちちゃん本人が作中で使っているギターはGibson Les Paulというもので、形はおなじなのですがメーカー・ブランドが違います。EpiphoneというブランドはGibsonの廉価版メーカーと思っていただければ結構です。

 識者の見解としては、レスポールカスタム風にレスポールスタンダードを改造したものではないか、というところらしいです。このあたりの意味がわからない人はてきとうに読み飛ばしてください。要するにグレードとか装飾とかスペックとかの違いによって名前が変わっているものと思ってください。

 じっさいのところ、ギブソンとエピフォンではそもそも原材料もパーツも職人さんによる手のかかり具合も違うため、音も引き心地もだいぶ違うのですが、価格帯によって出てくる細かい違いがちゃんとわかるようになるまではそれなりにギターに習熟する必要があります。ある程度弾けないと、なにが楽器としてうれしいかもわかりませんからね。

 加えて、そもそも挫折したときがつらいので、初手で20万を越えるハイエンドモデルは買わないほうがいいです(わたしは『けいおん!』のアニメがはじまってクソ高いベースを買っては飽きて売った人をたくさん見てきました……)。まあ出して10万。このくらいだとエントリーモデルよりも一、二段階いいものになります。

 ギターを弾くようになって、なんかいまの音じゃ物足りないな、もっといいものがほしいな、二本目がほしくなったな、というときには、おそらく聞いている音楽の趣味じたいも変わっている可能性がありますし、そのときにはレスポールじゃないギターがほしくなっている可能性もあります。すくなくとも耳は肥えているはずです。

 またぶっちゃけると通販のほうが若干安いし精神的にはかなり楽、なのですが、前述の通り、なんらかのトラブルがあったさいの修理対応等をやってもらうのを考えると実店舗で買ったほうがいろいろと助かりますし、店員さんのアドバイスも参考になります。めちゃくちゃデカいダンボールに大量のプチプチ君で梱包して配送料を自腹で捻出して修理してもらうなどを厭わないなら通販でどうぞ。

アニメでやるとしたら二期以降ですが、御茶ノ水石橋楽器が作中に登場します。

 また、ぼっちちゃんが普段使っている「音ハウス」とはサウンドハウスという通販サイトのことです。どこよりも価格が安く、品揃えも豊富で発送も早いので、バンドマンは最終的にここにたどり着いて日々消耗品を買っていきます。

 ちなみに上記のYOUTUBE青山吉能さんが使うことになるぼっちちゃんモデルに似たギターは、それなりにいいものなので、サウンドハウスでは9万を越えていますね。まあ見なかったことにしましょう。

https://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/313452/

 

実際の楽器店について

 じゃあどこに行けばいいのか?

 東京なら渋谷か御茶ノ水に楽器屋さんが集中しているので、そこにあるちゃんとしたお店で買うのがベストです。とりあえず御茶ノ水明治大学の前の通りを適当に歩くのがいいと思います。大阪なら茶屋町あたりでしょうか。地方は……わかんないです。たぶんこの数年のコロナ禍でだいぶ沈んだんじゃないかな……。

 で、行けるなら、そこに行って、自分の出せる予算(最大5万?そこはご自由に伝えよう、でも高い方がぜったいいいのが買えるよ)と、好きなバンド(コピーしたいバンド)の名前を数種類ほど店員さんに伝えて、こんな感じのがやりたいんです~~っていえば、じゃあこのあたりのギターがいいですよ、と教えてくれるはずです(そこまで言って答えてくれない店員さんはたぶんいないと思うので……)。

 また、お金がないよ!! という方には中古市場の楽器の購入をおすすめします。なぜなら安くなっているときであれば、場合によってではありますが、5万のものがほぼ新品と変わらない状態で3万で買えたりします。大きな楽器屋だと、必ずといっていいほど中古楽器ゾーンがあるのでとにかく行ってみて探してみましょう。掘り出し物があればあなたの勝ちです。

 ただし、

①中古なので思い入れは雑になります(安いのはすでに傷がついてるからです)。

②楽器屋さんに半年~一年の修理保証付きかどうかを聞いておきましょう。

③フレットおよびトラスロッドの状態を尋ねましょう(将来、メンテや修理ができない状態のものを買うのはもったいないので)。

④ジャンク品は買わないでください(ふつうに弾けるものを買いましょう)

⑤なにがあっても中古品を買ったのだから、文句は言えないことを理解しましょう。

 その覚悟ができるなら、中古品に手を出してください。

 

 あとは楽器検索サイト、デジマートを見まくってほしい楽器の価格帯に関する知識をつけておきましょう。ただしどんなにいいのがあっても買うのは自己責任です。なるべく実物を見て買っておくべきです。虹夏ちゃんもそう言っています。

www.digimart.net

 本体については以上です。次はアニメの描写を拾っていくコーナーになります。

 

 ぼっちちゃんの使っている周辺機器について考えようのコーナー

・ストラップ(Fender モノグラムドストラップ)

第一話「転がるぼっち」より

 微妙にデザインは違いますが、おそらく意識されているのはこれのグレー配色のやつですね。ぶっちゃけいちばん真似が簡単で、特に損のない買い物になります。初心者からプロまで使っているので安心です。

 フェンダーのストラップは2010年代中期?くらいに素材が変わってファンからいろいろと言われていたんですが、それはもうどうにもならないので気にしなくて結構です。ちなみにぼっちちゃんの色はスタンダードラインナップのため基本的に年中買えますが、時期によっては発色の綺麗な限定色が出回ったりします。スペックに違いはないので、とりあえず好きな色を探して買っておきましょう。

 

・アンプ(YAMAHA THR5)

第二話「また明日」より

 ぼっちちゃんいいもん使ってんな~~!! というのが感想です。ぶっちゃけ室内用のアンプなんてレコーディングとかで使う気がなければ、中古価格3000円から5000円で買えるやつでとりあえず音が出ればじゅうぶんなので。

 ふつうに新品で二万を超えるのはそれなりの音が出るし、いいやつです。もしかしたらお父さんの趣味かもしれませんね。これなんかはPCにつなげたりして録音できたり、そっちで細かい調整等もできるらしくて、最近の機材はハイテクでええですな~~。

 

・弦(エリクサー)

「ギターと孤独と蒼い惑星」の二番の歌詞で「エリクサー」と出ているのでこれですね。ゲージ(弦の太さ)はわかりませんが……。ちなみに円安の影響でこの半年で1セットあたりの単価が1.5倍になりました。クソがよ……。

 

オーディオインターフェース(Steibergg UR22mk2)

第四話「ジャンピングガール(ズ)」より。左下のちっこいやつ。

 配色からしてUR22のシリーズのどちらかでしょう。

 スペックはだいたいおなじで、USB-Cに対応しているとか、そのあたりの細かい差があるくらいです。これがあるとPCとギターやマイクをつなげて録音(宅録)ができるので、だいたいDTM(デスクトップミュージック)をはじめた民はこれを買います(なぜならこれがいちばん手頃な入門モデルなので)。またこれにはバンドルで無料版のDTMソフトがついてくるので、いちおうこれさえあれば作曲も可能な環境が揃うことになります。揃うだけ曲が勝手に完成するわけではありませんが……。

 一時期はコロナ禍のタイミングによってか、Vtuberやゲーム実況者などの需要が激増してとにかく値段が上がったり、生産が追いつかなかったりしてたんですが、いまはふつうに買えそうですね。ぶっちゃけこれがあるとPCにイヤホン直差しよりぜんぜん音質が変わって聞こえるので、オタク的にはけっこう重要なアイテムだったりします。

 

エフェクター(BOSS BD-2 ブルースドライバー?/BlackStar LT BOOST?)

「あのバンド」ライブシーン。初見では、BOSSのコンパクトエフェクターに見える。

でも一瞬映るぼっちちゃんの視点だとBOSSっぽくはない。

 基本の音はマーシャルのアンプでつくってるわけだし、クリーンブースターで音圧を底上げしてリードギターの見せ場をつくるなら、LT BOOSTのほうがそれっぽいですね。もちろんそれはBOSSコンでも変わらない部分っちゃそうなので、大きな意味はないかもですね。でもブルースドライバーを使っているぼっちちゃんがthe pillowsのBlues Drive Monster聴いてたらめちゃくちゃエモくないですか? エモいですよね? あとふつうにギタリストが最初に買うエフェクターは八割オーバードライブなので、買うならBOSSのBD-2で間違いないでしょう。


www.youtube.com

 まあじっさいは演奏の後半から思いっきりコーラスのエフェクトが入るのでこの描写嘘じゃん!!となるわけですが……。「青春コンプレックス」なんかファズとディレイも入ってくるし……。とりあえず公式がなんらかの見解を発表してくれるのを待ちたいですね。できたら結束バンドのアルバム発売のあとにシンコーミュージックあたりからバンドスコアが出てぜんぶ解決してほしいんですけど……。

 とはいえ、正直初心者の段階ではエフェクターがあるといろいろと考えるべきことが増えてめんどうになるので、ライブとかレコーディングをするようになったら考えましょう。ぶっちゃけ初手では買わなくていいものです。あと単純に沼です。

ちなみに原作でぼっちちゃんが欲しがってるエフェクターはクソ高いやつです。

 参考URL→

KLON、CENTAURの検索結果【楽器検索デジマート】

 BUMPとかNUMBERGIRLの人が使ってるクソ高エフェクターですね。こんなん買っちゃダメですよ。破産してまう。

 

まとめ、その他

最低限必要なのは、

 ギター本体、アンプ、チューナー、ストラップ、ピック

 の五つ。追加で、

 ヘッドフォン、ギグバッグ、スタンド、オーディオインターフェースエフェクター等々。

 

ギターをはじめるなら5万は出そう(中古ならもうすこし安くてOK)

アンプはハードオフで3000円から5000円くらいになっているやつを探そう。電池で動く手のひらサイズじゃなくて、ちゃんと電源ケーブルで動くやつ。10W~15Wくらい。どんな音がスピーカーから出るのかを理解しながら弾くのが大事だし、あとはじめて電源入れて増幅された音が出るとやっぱり感動するので。

・また、アンプはふつうに頑丈なアイテムなので、べつに中古でも困ることはほぼないです。「ジャンク」って書いてるのは×ですが。できればちゃんとしたメーカーのやつ、マーシャル、オレンジ、ブラックスターあたりがおすすめ。VOXのパスファインダーは安いだけなのでやめておこう。

集合住宅ならヘッドフォンは買っておこう。できれば音の偏りがすくないモニターヘッドフォンがよい。サウンドハウスで5000円くらい。よってアンプにヘッドフォンを挿せるかどうかはちゃんとチェックしておこう。ふつうはあります。

https://www.soundhouse.co.jp/products/detail/item/25126/

・ギターケースは必要であれば、丈夫なやつを買おう(セミハードケース/ギグバッグ/ギグケース。楽器屋さんやメーカーによっては、本体を買うとケースが付属してくるときがあるので聞いてみよう)。安いやつは毎日持ち運んでるだけで底に穴が開くので、そういう活動をしている人はタオルとかを挟むと○。

・ギタースタンドはあると便利だけど、ギターの種類によってはただ置いておくだけで塗装が剥がれたりするので、店員さんに聞いてみよう。

チューナーは「クリップチューナー」タイプのものがいまなら手頃でオススメ。スマホのアプリもあるけど、音の拾い方が微妙。クリップじゃないしっかりしたやつがほしいならKORGメトロノーム機能つきチューナー(CA-50)を買おう。吹奏楽部はだいたいあれを使うので。

シールド(ケーブル)はとりあえず3mのを一本買おう。プラグはS/S端子がいちばん壊れにくいよ。メーカーはこだわらなくてもいいけれど、3000円前後が相場。クソ安いやつには理由があるので気をつけよう。

・ピックは楽器屋さんで一枚100円のやつをいろいろ触ってみて、気に入った形・厚みのものをいくつかお試しで買っておこう。おにぎりタイプかティアドロップタイプかは趣味の範囲なのでどっちがいいとかはほぼないと思ってください。

・ストラップはクソ安いナイロンタイプの付属品でもいいけど、ちょっと厚みがあったほうが肩が痛くならなかったり、すべったりしないぞ。身体をいたわってあげよう。あとぶっちゃけ見た目でいじれるところはそこくらいしかないぞ。

オーディオインターフェースは作曲やら配信やらさまざまなことをはじめたいなら買うべきですが、べつにそこまで頑張る必要はありません。アンプを買わずにPC上で完結させることもむろん可能ですが、おそらくインストールしてDTMソフトの設定であなたはやる気をごっそり失ってすべてが駄目になることでしょう。

エフェクターはライブをするときに購入を考えよう。

 

最悪なギター入門RTAの例

・ほんとうに買うギターのこだわりがなく、種類とかがどうでもいいなら、正月の楽器屋セールで初日開店直後に突入、目玉とされている一点物の格安中古ギターを購入(たぶん運がよければ一万円台か二万円台でそれなりのが買える、スピーカー内蔵ギターはやめておけ)

・メルカリでギグバッグを2000円で購入(スタンドは買わない・サイズに注意)

・アンプをハードオフで3000~5000円で購入(メーカーに注意)

・シールド・ストラップをアマゾンで購入(3000+2000円)

・(クリップ)チューナーを楽器店で購入(ちゃんとしたメーカーのやつ)

 

・あるいは上記のものを知り合いから格安で買う/もらうなどする。

※初手ハードオフでギター購入はかなり上級者向けなのでやめておこう。

 

それでもほしいギターがわかんないよ、という人のために

「任意のバンド名 使用機材」で検索して、ヘッズの考察記事もしくは音楽雑誌(GIGS、ギターマガジン、プレイヤー等)のインタビュー、もしくはサポートしてる機材会社のプレリリース記事(だいたいライブ時の機材が写真つきで載ってる)をチェックしてメモる、もしくは大きめの楽器屋さんのバンドスコアコーナーに行って、立ち読みをすること。バンドスコアはあんまり本人は監修してないのでアレなのだが、一定確率で使用機材とかの写真が載っているので、とにかくメモろう。

 あとはバンドのMVやライブ映像。じっさいにレコーディングに使ったものとは別のものが使われている場合もありますが、傾向はわかります。

 で、そのうえで店員さんに「これに近い音が出したいんです」って言おう。そうしたらある程度は親身になってくれることでしょう。

 

もし、こだわるほど好きなバンドがないときは?

 YAMAHAのPACIFICA(6万前後のモデル)を買おう。以上。

後ろにあるギターはパシフィカです。なぜか。原作を読もう。

おなじくパシフィカ使いとして知られる中川夏紀先輩(『響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』より)

 

最後に、いちばん重要なこと

 楽器の色だけは妥協しないほうがええですよ。

 初心者が選べるこだわりはそこしかない、というより、むしろ音とか細かい部分よりそっちのほうが五億倍、気持ちとしては重要です。もし行ける範囲に楽器店がたくさんあるなら、根気よく色のバリエーションを探すのがいいと思います。それこそ中古品であっても、いい色があるならそれを買うに越したことはないでしょう。だって楽器を長くつづけられるかどうかはモチベーションがいちばんデカいので。

 あとは教則本ですが、めちゃくちゃ基本から解説している入門書を一冊(ぶっちゃけネットにも書いてありますが、一冊覚えるというモチベとしては本があったほうがいいです)。それからバンドの「弾き語りスコア」(notバンドスコア)を一冊買って、とりあえずそれをマスターできるようになれば有名なコードがある程度まで覚えられて弾けるようになります。頑張ってください。

 ギターソロとかのそれなりに高い技術についてはそのあと考えていきましょう。とにかく最初は知ってる曲が歌いながら弾ける、という楽しさを味わいましょう。

 

ほんとうに最後に、すごくすごく重要なこと

 なにより大事なのは、これ。楽器を購入して家に持って帰ったら、My new gear... といってツイッターに機材の写真をアップしよう。だれよりもつよい承認欲求モンスターになろうね。ぜったいぜったい、約束だよ。

 


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For RIKKA ZINE vol.1 Theme : Shipping(rejected)「宇宙移動美術史のために」

linktr.ee

 SF書評家・翻訳家の橋本輝幸さん主催による同人誌『RIKKA ZINE』vol.1 のテーマ「Shipping」の公募に送り、リジェクトをいただいたものを改稿して以下に載せます(もともと8000字規定でしたが、改稿の過程でオーバーしました)。

 よければお暇潰しにどうぞ。

 一読すれば、リジェクトされた理由もわかるというものです。昨年末に完結したとあるSFアニメーション作品にひどく感銘を受け、自分なりに書いてみたものになります。

 

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 宇宙移動美術史のために

 

「この宇宙はとてつもなく広くて、けれど一度だけ狭くなって、そしてまた元の通りに広くなった。だからこれは、そのたった三年間の、きみとぼくと星々の話だ」

        ――TVアニメーション『共示詩典アストロブライト』第一話より

 

 

■ムカイ・アサクラ(+15

 現存する記録が正しければ、ムカイ・アサクラは〈四二年〉にサードアースエンタテインメント社から二十七歳でデビュー作を出版した。彼は以後、年一冊ペースで新作小説を刊行したが、七冊目を上梓したのちに沈黙してしまう。しかしそれは、本格的に取り組むべき題材を見つけたがゆえのデッドロックだった。

 当時、彼が書こうとしていたのは〈ワープ航法〉と〈分断〉をめぐる物語だった。保護期間終了後に閲覧可能となったブックリストとそのメタデータにあたると、三十五歳から四十五歳のあいだにおよそ七百冊もの商業非商業を問わない戦争体験記や〈隣宇宙〉出身者による回顧録、もしくは軍事関係資料等を購入していたことが確認できる。むろんこれらの資料はすでに散逸し、データ上に名前が見られるだけである。

 また、消去されなかった作品メモのデータをテキストマイニング解析すると、三十五歳以降の文中には、それまでまったく見られなかった「アズサ」と「ミウナ」という固有名詞が頻出しはじめる。むろん現在の読者からすれば、これがアズサ・ムーンブーツとミウナ・ナツカのふたりを示していることは明白なのだが、当時、ふたりの存在はまったく知られていなかった。アサクラがこのふたりを知ったのはおそらく商業ルートに乗らなかった海賊出版と戦争体験者の話を通じてであろう。歴史の影に時折現れるふたりの子供たちの足跡を探すことが、次第に彼のライフワークとなっていった。

 そして〈五九年〉、彼は『アストロブライト』というジュブナイル大長編を発表する。修学旅行生のアズサは記憶喪失の少女ミウナと火星で運命的に出会い、〈隣宇宙〉からの難民によってもたらされた技術〈ワープ航法〉によって生まれた利権をめぐる陰謀と戦争に巻き込まれる。ふたりは三年間に渡って戦禍を見つめ、最後にはワープ技術の根幹となっていた火星深部の座標指定装置〈ブラックボックス〉を破壊する。これにより宇宙規模の〈分断〉が発生し、実質的に戦争は継続不可能となった。また、それは同時に〈隣宇宙〉からの難民が元の世界に帰るための希望を失うことを意味していた。

『アストロブライト』発表の翌年、アサクラは書店でのイベント講演中に銃撃を受けて亡くなった。享年四十五歳。彼の作品は「青少年の思想を歪める危険がある」とされ、サードアースでは以後三十年に渡って販売停止措置がなされた。彼の原稿データの多くは消去され、現在はその一部が閲覧できるのみである。

 現在では、アサクラの両親は〈隣宇宙〉出身であったという説が有力である。

 

 

■イズー・ナァクタ(+52

〈一二〇年〉に出版された自伝によれば、カロン開発区出身のイズー・ナァクタが『アストロブライト』を読んだのは、九歳のころだった。つまり〈六一年〉にあたる。すでにサードアースで販売停止措置がなされたあとだったが、輸入業を営んでいた父親がオンデマンド版を入手していた。それを隠れて読んだという。彼女はネット上のファンアートを漁りはじめ、自身もイラストレーションを学びはじめる。その七年後から晩年に至るまで、彼女は〈分断〉をテーマとした作品の表紙を幾度となく担当した。

 また、ナァクタはべつの機会にこうも語っている。

ミウナが〈隣宇宙〉からやってきた少女であることはすぐわかりました。だって、彼女のほうにだけ語るべき過去がありませんから。アズサには山ほど情けないエピソードがあるのに、ミウナが強調できるのは広すぎる余白だけ。たしかに一行たりとも明言はされていませんけれど、それってつまりはそういうことでしょう?」

 彼女のような見解を述べる人はすくなくない。ある調査によれば〈六〇年〉時点、ミウナ・ナツカの描かれたファンアート群において、彼女が身につけていたペンダントに〈隣宇宙〉様式の特徴が見られたのは、全体のおよそ十五パーセントだったという。

 ただしこれについて、発信力のあるイラストレーターが積極的にミームを拡散させた結果であって、過度な〈誤読〉が流布しただけだと述べる研究者もいる。

 

 

■キド・ベイカー(+64

 ジュブナイル小説『アストロブライト』が引き起こしたのは、戦後初のフィクションへの規制、そしてファンアートを介した〈隣宇宙〉出身者による星間コミュニティの活発化であったが、人類と〈分断〉をめぐる運動はそのあいだにも数多く現れ、そのどれもが波のように一進一退をくり返していた。

 たとえばキド・ベイカーに代表される、歴史修正主義の隆盛もそのひとつだった。彼が活動していたのは主に〈九〇年〉以降、すなわち戦争を経験した世代の孫、ひ孫の時代にあたる。すなわち宇宙戦争とは無縁となってしまった世代である。

〈九二年〉にダイヨン報道局がネオマーズ大学の学生二百名に対して「あなたは〈ワープ航法〉について説明できますか?」というアンケートをおこなった。正しく説明できたのは、全体のおよそ五パーセントで、学生のうち四割は「わからない」と答え、二割は「昔の戦争映画に登場する架空の技術」と説明した。一割は「聞いたことすらない」と答えた。

 また〈九五年〉には一部の星系で使われていた教科書の〈ワープ航法〉に関する記述が「科学的に正しくない」という判断のもと削除され、激しい議論を巻き起こした。

 こうした時代背景のなか登場したキド・ベイカーは〈隣宇宙〉の人類といったものは存在しない、それを肯定する人間は宇宙の平和を乱す危険分子だ、と発言し、その歴史修正主義的な態度を宇宙規模で波及させることに成功した最初の人物だった。当然ながら彼は多数から非難を浴びたものの、彼自身は自分を現実主義者であると規定していた。

 こうした歴史修正主義の流行には複数の要因があった。そもそも〈隣宇宙〉からの移民は〈時空震〉と呼ばれる現象によってわれわれの存在する〈基底宇宙〉へとやってきたのだが、この影響でもともと所持していた電子記録をすべて失ってしまっていた。すなわち客観的な人類史を持ち合わせていなかった。結果として、それは戦後に〈隣宇宙〉側の歴史記述が数多く出版されることにもつながるのだが、修正主義者との軋轢のなかで開発されたAIによる大規模な〈フェイクドキュメンタリー運動〉によって、その信憑性さえも失われてしまった。

 加えてこの戦後百年あまりのあいだで、彼らは〈基底宇宙〉の人類と多少なりとも関わり、その多くは歴史の内部へ溶け込んでいった。差別を怖れて〈隣宇宙〉出身者であることを隠して暮らした層も潜在的には相当数が想定され、〈分断〉によって宇宙のあちこちにちらばった隣人の血筋は、もはやその時点においてだれにも把握できていなかった。

 なにしろ〈規定宇宙〉の人類が彼らを〈隣宇宙〉という言葉によって表現したのには、いわゆるマルチバースからやってきた人類という意味以外にも、そこに遺伝子的な差異がほとんど見られず、お互いがかつて遠宇宙に存在していた同じ祖先を持つ人類同士であったのではないか、という説を排除しきれなかったことによるからだ。

 それらふたつの人類が混交してしまえば、DNA等による単純な識別といったものは当然不可能になっていく。ゆえにキド・ベイカーの発言は皮肉にも、人類のタイムラインがひとつであるという科学的な知見を大きく逸脱したものではなくなってしまった。

 

 

■イーリン・ナバーロ(+87

 星間移動は〈一〇〇年〉になっても困難を伴った。シンプルに言えば、移動時間の問題が未解決のままだった。かつて戦争期に普及した〈ワープ航法〉は〈ブラックボックス〉の破壊によって恒久的に利用不可能となった。人類に残されたのは、まったくべつの理論によって支えられているゼロ時間通信のみであり、〈分断〉以後はそれによって各星間における外交を成立させていた。

〈一二一年〉、イーリン・ナバーロはゼロ時間通信の技術を応用し、〈小時間航法〉の技術理論を確立した。それまでも研究がなかったわけではないが、倫理的なハードルが常につきまとっていた(※ゼロ時間内における生物への影響については説明を省略)。

〈小時間航法〉はその倫理的問題をクリアしつつ、従来の三次元エリア航法を用いたときと比較して、およそ五倍の速度での移動が可能とされた。また「この理論は〈隣宇宙〉からの移民の幸福のためにのみ使われることを願います」とナバーロは発表時に告げた。しかしそれは宇宙的な〈分断〉のもたらした距離に対しては、現実的にはまったく有用ではない、といった苦言を多方面から呈されることにもつながった。

 ナバーロは以後、生涯に渡って〈小時間航法〉の研究に携わることはなかった。

 

 

アドニス・キーン・ジュニア(+99

 美術品の星間移動は〈分断〉以後の一世紀のあいだ、ほとんどなされなかった。たしかに物体芸術は廃れなかったものの、素材の供給面などの問題から星系ごとに次第に差が強調されていったのと、じっさいの美術品の移動にかかる時間コストの問題が解決できず、星々を跨ぐ共時的なムーヴメントといったものは起きなかった。

 もちろん美術品を三次元解析したデータをゼロ時間通信によって他星に送信し、高機能3Dプリンタで再現して展示するといったことは幾度となくおこなわれたが、それはインスタレーション的価値しかもたらさず、人類史の持つレプリカへの価値を変動させることにはつながらなかった。

 しかしそうした逆境下において、メガ・コーポ由来の巨大資産を武器にしたコレクターは存在した。その筆頭がアドニス・キーン・ジュニアである。〈一三〇年〉にキーン財団は〈小時間航法〉の特許を法外な値段で買い取り、俗にマグロ漁船と呼ばれていた星間輸送船とその乗組員を雇うことで収集をはじめた。保険がいっさい適用できない美術品の星間輸送は、テロや海賊行為などを回避するため極秘裏に進められた。

 キーンズ・コレクションはおよそ四十年かけて周辺惑星圏にあった美術品約九十点を集めたが、そのほとんどを人々は肉眼で見ることができなかった。なぜならキーン財団による収集行為の多くは、脅迫などを前提とした違法な交渉に基づくものであったことが匿名で告発されており、その貴重な品々はすみやかに元の星々に返還されたためである。これらの返還手続きが完全に終了したのは、〈一九二年〉のことだった。

 

 

■アワン・ウラシマ(+136

〈隣宇宙〉の概念がふたたび人々に知られ、興味を持たれたきっかけはムカイ・アサクラのジュブナイル小説『アストロブライト』を原案としたSFロボットアニメーション『共示詩典アストロブライト』が〈一七〇年〉に発表されたことだった。

 全五十話のストーリーが、一年にわたって毎週一話ずつゼロ時間通信によって各星系に配信された。クリアでシャープなCG線画を意図的に劣化処理させたことによる、クラシックアニメーションらしい鉛筆と紙のマチエールを配したマニアックな作品で、とりわけミサイルの独特な弾幕表現は〈サーカス〉と呼ばれる古典主義的な作画技法の引用であるとファンからは指摘されている。また監督・脚本を務めたウラシマは親の経営していた民間セキュリティ会社を売却し、それを元手にした高レートギャンブルでアニメ制作会社を新設する資金を調達したという逸話でも知られている。

『共示詩典アストロブライト』は終始、歴史に対する脚色がつよすぎる、という批判を浴びせられる結果となったが、ウラシマは「ぼくたちが描いたのは〈リアル・フィクション〉です。そこに矛盾はありません」と、意味不明な回答を残している。

 ただ一点、その〈リアル・フィクション〉というものの誠実な面を肯定できるとすれば、ミウナ・ナツカが〈隣宇宙〉出身者であると明言しておきながら、その故郷の姿はいっさい描写せず、人々の台詞のなかにたびたび登場する抑制的な演出をおこなったことだろう。これによって、主人公ふたりと視聴者たちにとって〈隣宇宙〉とは、戦争終結と引き換えに失われることになる永遠の憧れでありつづけた。

 

 

■ハージ・ラズ(+160

〈一八〇年〉に配信された『共示詩典アストロブライト』十周年記念特番において、アワン・ウラシマは「これは制作中に聞いた噂ですけれど、〈隣宇宙〉を描いた絵を集めるプロジェクトがあるそうです。まあ、噂なんですけれど。でもぼくたちが〈隣宇宙〉を描写しなかったのはその話を聞いてたおかげなんです。あとになって矛盾があったら困りますから」と発言している。

 この特番を視聴していた当時二十歳のハージ・ラズはメディア学科の学生だったこともあり、卒業論文の研究テーマをその噂の検証調査に決定する。

 すでにムカイ・アサクラの資料リストは保護期間を過ぎて公表されており、その段階でアクセス可能であった書籍には〈隣宇宙〉出身者の名前も多く記されていた。ラズは確認できた〈隣宇宙〉出身者の親族にメッセージを送った。当初、移民四、五世世代となっていた彼らはラズの連絡に困惑するばかりだったが、じっさいに記録を遡って調べると、たしかに絵画が取引されていたログが見つかった。

 そうした絵画群は、確認できただけでも四十件以上あった。取引は太陽系の惑星からはじまり、次第に宇宙の各星系へと広がっているようだった。最も早い段階での取引はおよそ八十年前。しかしその取引相手の正体はまったく掴めなかった。

 ラズは卒論のための取材過程をドキュメンタリー動画として逐次公開していたため、その事実は瞬く間に『アストロブライト』ファンのあいだに知れ渡った。これはフェイク動画ではないか、という指摘も数多く寄せられたが、その次に配信された動画で、ラズ本人は「それでは一生学位は取れませんね」と苦笑いでコメントを返している。

〈時空震〉に伴うデータの消失によって、人々の記憶の内部にしか存在しなくなった〈隣宇宙〉の姿を移民がキャンバスに描くことはたしかにあった。しかしそのほとんどは稚拙な出来であったのと、前述した〈フェイクドキュメンタリー運動〉の影響で、美術品としての価値を認められていなかったという問題があった。

 むしろ〈隣宇宙〉発の文化としてはゼロ時間通信によって即時共有可能であり、かつフェイクという概念がほとんど意味を持たない音楽分野のほうが圧倒的に豊かな発展をつづけており、商業的価値も高かった。

 であれば、なぜ〈隣宇宙〉の絵ばかりがわざわざ集められていたのか? しかしラズは納得のいく結論を見出せず、ドキュメンタリー動画の公開も卒論提出とともに終了する。また〈隣宇宙〉を描いた絵画の多くに付されていたメタデータは、〈フェイクドキュメンタリー運動〉の影響もあって、その情報じたいに対する証人や証書、証言がなければ〈隣宇宙〉のものと確定できないため、残された絵画の大半は後世の子孫や知人に気づかれないまま処分されたか、経年劣化によって自然と朽ちていったはずである。

 

 

■ミンファ・ヤガスリ(+192

『共示詩典アストロブライト』とそれにまつわる不可解なエピソードは、人々の〈隣宇宙〉に対する興味をかき立てた。ストーリーライティングの分野では〈隣宇宙〉ものと呼ばれるマルチバース概念を用いたサブジャンルが勃興した。とりわけSF分野において新多元宇宙論や様相実在論を用いた作品解釈の見直しがはかられ、その系統の作品のブームにあやかって『〈隣宇宙〉SFアンソロジー』といった書籍が出版されたこともあったが、それらは数年のうちに陳腐化していった。また学問研究においては、〈隣宇宙〉にアクセスする方法は戦後二世紀にわたり、まったく発見されないままだった。

 しかし、この流れにも特異点が存在した。〈二一六年〉にミンファ・ヤガスリによってネット上に突如公開された『新生:ホワイトノイズ・スーパースター』は複数分野の学者たちが一週間ぶんの作中時間、すなわち数十万ワードに渡ってひたすら『共示詩典アストロブライト』とわれわれの〈基底宇宙〉における史実との比較考察をつづけるだけの異様な小説であったが、これを目に留めたのがタロウ・ウラシマ――アワン・ウラシマの息子――だった。タロウ・ウラシマは長らく凍結されていた『共示詩典アストロブライトNT』の企画設定および脚本協力をヤガスリに依頼する。これにより『NT』すなわち新訳劇場版アニメの制作が開始される。

 劇場版は三部作の構成となり、〈二二二年〉に第一部『アズサ』、〈二二四年〉に第二部『ミウナ』、〈二二七年〉に第三部『ミライ』が公開され、完結した。第三部のキャッチコピーは「くり返し、更新される〈リアル・フィクション〉。」だった。とりわけ第三部ではこれまで描かれなかった後日譚があたらしく用意されており、そこに登場した新キャラクター、ミライ・クワンの存在はファンのあいだでも真っ二つに賛否が分かれた。興行成績じたいはまったく振るわなかったという。

 ミンファ・ヤガスリは〈二三一年〉に〈ワープ航法〉の仮説理論を提唱する。

 

 

■アルモニ・ビット(+260

〈二六七年〉、火星に〈コノテーションミュージアム〉が建設され、一般公開がはじまった。この背景としては〈ワープ航法〉の実用化にともなう輸送コストの大幅な値下がりがあった。館長は宇宙学芸員のアルモニ・ビット。施設内では『共示詩典アストロブライト』および『NT』三部作の企画書など、秘蔵の制作資料や限定グッズ、パンフレット、スタッフのメモ、大量の文献にもとづいた〈隣宇宙〉と〈基底宇宙〉の歴史研究資料、アーカイヴ動画などが展示された。

 またミュージアムの最終セクションでは〈分断〉によって〈隣宇宙〉に戻れなくなった第一世代による絵画群およそ八十点が展示され、「戦争の悲劇を二度とくり返してはならない」こと、そして「フィクションこそが真実を語り、世界を変える」のだというメッセージが大きく訴えられた。絵画群の多くは劣化していたものの、これらがレプリカでないことを強調するために、最新技術で修復可能にもかかわらず、あえてそのままの状態で保存処理がなされ、展示された。加えてそれらにはAR技術を用いて〈二五〇年〉以降に撮影された〈基底宇宙〉各所の画像データと重ねて見比べることができた。

 しかし来場者数は思うように伸びず、〈二九三年〉には閉館の憂き目に遭っている。

 

 

■ミライ・クワン(+88

 十四歳の誕生日にもらった〈隣宇宙〉様式のペンダントが突然開き、いまこうしてこの自己組織化されていく文章を読んでいるのがあなた。ミライ、ハッピーバースデイ。おそらくあなたはいつか、ものすごく長い旅路をたどっていくことになるでしょう。それを想像するためのヒントは、これまでの文章のなかに記しておきました。これらはいわば、この宇宙での美術移動史がつくられるための備忘録、あるいはマイルストーンのようなものです。時間はまだまだありますから、それが具体的にどういう意味を持つのかはゆっくりと考えてみてください。いずれあなたは歴史(リアル)になり、物語(フィクション)になっていくはずです。いまこうして書かれているこの文章が事実そうであるように。

 

 

■アズサ・ムーンブーツ(-18

 これを読んでいるあなたのご先祖さまです。

 

 

ミウナ・ナツカ(+299

 これを読んでいるあなたのご先祖さまです。

 

 

■最後に

 しばらく待つと、こうして点々と書かれてきたトピックに対して、あなたがすべきことが文字の自然交配によってさらに細かく記述されていきます。どの時代のどんな人物に接触をはかっていけばよいのかは、もうだいたいわかっていることでしょう。迂遠なかたちになってしまいましたが、あなたにとっての〈未来〉に発生するはずの〈時空震〉の影響を受けないように言葉を残すアイデアは、結局これしか思いつきませんでした。わたしの予測どおりなら、きっといま、この文章が正しく読めているはずです。

 聡明なあなたのことですから、おそらくそこに一抹の不安がよぎっていることでしょう。それでもわたしたちは大丈夫です。あなたがこれを読めているということは、わたしたちはどこかで楽しくやっているということなのですから。もし今度こそすべてがうまくいったとして、あなたから見ておよそ二百年後の宇宙での〈時空震〉によって〈過去〉にやってきたわたしという歴史がどこかで歪み、切断され、あの人に会えなくなるとしたら、たしかにそれは寂しいことかもしれません。だとしてもそれは、わたしとあなたの生きるこの宇宙が前よりもよくなった結果なのですから、素直に喜びたいと思います。お気遣いなく。あなたの思っている以上にこの宇宙というのは複雑で、柔軟な存在です。

 もちろんあなたやその子供たちにはひどく大変な役目を負わせているという自覚は持っています。ほんとうにごめんなさい。ただ謝ることしかできません。

 もしかするとわたしたちは、もう何度も飽きるほどに、この悲しい歴史をくり返しているのかもしれません。それでもめげずにどうか、今回も頑張ってください。あなたならきっと、すこしずつであったとしても、この世界をよりよいかたちに導くことができるはずです。むろん、こうして書かれてきたフィクションたちにも、その力は備わっています。

 あらたに物語が書かれ、更新されるたび、そのストーリーは人々の心に灯をともし、世界はよりよい姿になっていきます。たとえ多くの記録や証言が時間や技術によって風化するのだとしても、そこで培われた人々の優しさは決して消えたりしないのです。

 この宇宙にも優しい人々が満ちていることを祈っています。

 あなたもそうでありますように。

 

            〈分断歴 三一五年〉星明かりの楽しげな夜に

                            ミウナ・ナツカ

 

 

 

 

【※この文章は〈分断歴 三六七年〉の〈コノテーションミュージアム開館百周年記念特別展覧会〉にてはじめて公開されたものです。いま現在も研究者によって解釈が分かれている状態ではありますが、資料提供者の意思を汲み、ここに「宇宙移動美術史のために」というタイトル名、およびTVアニメーション『共示詩典アストロブライト』第一話の台詞を冒頭に付記しています。】

「アフターワード」のあとがきのようなもの

note.com

 タイトルの通りです。

 第4回ことばと新人賞にて拙作「アフターワード」が最終候補になりました。ただし賞はもらえませんでした。で、当初の応募規定にあったとおり、WEB掲載がされています。ご興味があればお読みください。

 というか、このブログを知っていて上記リンクを読むことじたいがそもそも作品内容や構造にかかわることなのですが、それはこのさい、べつにいいのではないかと思います。ここでは、なにを言っても嘘になるだろうし、ほんとうになるのだろうという予感があります。

 今回の記事はいわば、作品のほんとうの「あとがき」のようなものです(ほんとうに?)。自作解説というにはおこがましいですが、作品を読んでくださった人に向けてある程度は釈明をしたほうがいいだろう、という判断のもとこれを書いています。

 要するにご迷惑を与えて、困惑をさせてしまったお詫びのつもりです。

 とくに選考結果等に文句などはありません。こういったこまごまとしたことはFANBOXに書いてもよかったのですが、いちおうこちらに書くのは自分なりの誠意のつもりです。疑問におもったひとが検索するかもしれないですし。

 

 以下は執筆当時、思っていたことを改めて思い直し、書いたものです。

 

 要するに、野暮の極みであり、べつに読む必要はありません(だったら最初から作中に書いておけばいいという話なのですが)。

 とはいえ、いちおう自分なりの整理として書いておこうと思います。ですから当初のとおり、長い言い訳として読んでいただくのがよろしいかと思います。

 

(あとがき)

 まず、どうしてこんなものを書こうとしたのかについて。正直、わかりません。なんか書けそうだなと思ったからです。自分はどうしても書きたいものやテーマが常にあるわけではなく、基本的に「なんか書けそう」と「書けない」のあいだをごろごろしています。トリックなんて書きたくないし、書けないものの筆頭です。

 で、今回はといえば、「書けそうでしたがうまく書けませんでした」という例になります。なぜ「ことばと新人賞」に送ったのかといえば、なんとなく、いちばんジャンル規範的なものがなさそうな賞に思えていたからです。じっさいはまったく違っていたのですが、それはそれです。

 ですが、こうして言葉を重ねるより、そのとき読んでいた本を挙げた方がいいでしょうね。以下が当時読み返していた作品群です。

参考書籍というか、頭の片隅にあった本たち。

 とにかく思っていたこととしては、「作中」で書かれる「真偽」とはなんなのか、自分なりに実験を、手触りを確認してみたいということがありました。

 それはたとえば「私小説的」と呼ばれるもののについてまわる曖昧さについてでもあります。書かれているものが「私」のまわりであるのだから「真実」なのか、書かれているからこそただの「嘘」なのか。それとも作品外の現実と整合性がみてとれるから「事実」といえるのか。とにかく学術的な、文学史的なものとはべつに、自分なりにじっさいに書いてみて確認する作業をしたい、という欲求がありました。

 ですから、作中の記述にはパーソナルな領域をさらけ出している記述があるように思われますが、そんなことはありませんし(作中の「織戸久貴」とこれを書いている「わたし」はそもそも性別も年齢も小説の趣味も違います)、作品の素材として「使えそう」であればこういうことをします。これについては後述したいと思います。

 

 それからもうひとつ、「本格ミステリとしては正しくないことをしよう」という思いがありました。これはミステリに限らず、小説全般、フィクション全般にかかわる個人的な感覚、肌の合わなさから出てきたものなのですが、うまく言えません。

 もちろんミステリであれば、それなりに読んでいるので、個人的に抱えている不信感、違和感といったものを言うことはできます。「どうして最初に謎がなければならないのか」も「どうして結末部に答えがなくてはならないのか」もよくわかりませんし、なんなら「どうして結末部に書かれたことが重みを持たなくてはいけないのか」(あるいは序盤に書かれたものは相対的に軽いのか)もわかりません。むろん、そういった慣習を疑うような例外作があることは知っています。

 ただ、いわゆる本格ミステリにあるという「論理性」はほんとうに「論理」なのかもどうか、という部分はいつも疑問に思っています。それは、あたかも客観の側にあるようですが、ただ慣習的にそう思われているものであって、もっと卑近で、いかがわしくて、信用ならないものではないでしょうか。そして、その論理が意図して「私小説的」なものと、あたかも「事実」に似たなにかと接続されたときに、なんらかの事象が起きるのではないか、と考えていました。

 

 すみません、だいぶ話が抽象的になってきましたね。もうすこし具体的なところに踏み込んでお話して、整理をしたいと思います。

 ですから、(おそらく)読者がいちばん確認したいことについて、説明しようと思います。いくらか迂遠に。しかし言葉を尽くして。

 

 どうして「アフターワード」には、《解決編》があったのでしょうか?

 

 というのも語弊があるかもしれません。そもそも作者である自分は、「あれ」をいわゆるミステリの解決編だとは思っていません。作中の人物や語り手(誰?)がそう言っているだけです。ですから、自分は「あれ」をただただ「接ぎ木された真相」だとしか思っていません。そもそもミステリとしては三流の記述ですし、伏線の書き方も粗雑どころか、そもそも伏線がないのにも関わらず「真相」として機能してしまいます。

 ですから、ミステリとしては明確に失敗のはずです。

 要するにあれは、まったくやる気のない、「取ってつけたような真相」でしかありません。あそこに登場する「名前のない人物」がそもそも名乗っている続柄もほんとうに正しいのかすらわからない。にもかかわらず、物語は終わってしまい(いくらか強制的に終わらせられてしまい)、あの「あとがき」にたどり着いてしまう。

 しかし、そのようないい加減な手続きですら、ミステリになってしまう。

 三流であろうとも、です。ほんらいはいちばん疑わなくてはいけない箇所であるのに、「これが真相」であるというお膳立てがあるせいで、それが「この小説の結論」なのだと、「作者の言いたいこと」(というと語弊がありますが、「全力」と言い換えてもいいかもしれません)なのだと思ってしまう。

 むしろ、それが人が小説を読むこと、あるいは「読んでしまった」ことに呪いのようにつきまとってしまう。意地悪く言うのであれば、ただそこに「作者の名前」が強調された記号としてあるだけでしかないというのに。

 というと、言い過ぎでしょうか。

 

 というか、そもそも、あれはミステリ的には説明がついていたのでしょうか?

 

 神様の子供が書き記したという予言があり、それをもとにあたらしく書かれる小説があり、その記述を変えていけばいくほど、もとの予言と一字一句、一致する、そしてそれが遺書になる、などということは、ふつうありえません。つまり、予言は予言ではない。あるいは変化しつづける予言でなければ、おかしい。ならば生きている文章? まさか。しかし、だとしても、それは予言というものの性質ではありません。ですから、いわゆる「特殊設定ミステリ」として、「アフターワード」は破綻しています。

 しかし、なら、あの鯨のくだりはなんだったのでしょうか?

 であれば、あれは、最終的な書き手が加えた記述=明確な「虚偽」、つまり、ミステリではなく、ファンタジーということになるはずでしょう。しかし、「アフターワード」の最終的な書き手とは、おそらく、あの「名前のない人物」ということになるのでしょうか。

 しかし、なぜ? その記述が書かれたのか?

 そこで嘘である証明が書かれてしまうのか。

 では、ここでさらに合理的な説明(そうでしょうか?)に向かいましょう。

 ここでひとつ考えられるのは、最終的に発表された「アフターワード」の書き手=終盤に登場した「名前のない人物」というのは、そもそも成立しない答えではないか、ということです。つまり、最初から予言は予言として実現しており、鯨のくだりもまさしくじっさいにあったまぎれもない「真実」であり、「犯人」にとって、すべては予測されていた事態だった。

「名前のない人物」はその名指されなさによって「予言」の意味を読み替えようと、その成就と破綻を同時ももくろんでいたものの、それすらもすべて仕組まれており、返り討ちにあってしまった。だからここで発表された「アフターワード」のすべては「犯人」の仕組んだ、偽装された小説=遺書だったのではないか。

「いつから」
 それにきみは答えない。

 だからあの「あとがき」までもが、偽(あるいは真の)の語り手=犯人によって書かれたものだった。という本格ミステリ的な夢想は、いちおう可能かもしれません(作者が言っているのだし、きっとそうでしょう)。

 しかし、あの「犯人」にとって、「アフターワード」は発表されてはいけないものだったはずなのではないか。いや、でもそれはたしかに予言に含まれていて、それゆえに「発表」じたいは避けられなかったのではないか。

 なぜなら「アフターワード」という作品の結末も、「あとがき」もすでに、作中のあの結末部の時点で、書かれ/読まれ/投じられていたのですから。

 そう。だから、あとには言葉しか、残らない。

 だからこそ、祈りは次の手順へと進む。

 

《名探偵》がやって来る。

《事件》が起きたために。そしてそのためには《被害者》がいなくてはならない。

 だから、あのときあの段階で、《織戸久貴》という《作者》には死んでもらわなくてはならなかった。それが唯一の、言葉をあとにする方法だったから。

 だから、《解決編》はそうしてはじまる。

 そうして、祈りは次の手順へと進む。

 

 

  *  *  *  *

 

 

 という、もうひとつの《解決編》はおいておきましょうか。

 もう、あとすこしだけ、小説の話を、ことばのはなしをしたいと思います。なぜ真相をおいておくか? そもそも上記の真相もまた「作者」によって「接ぎ木された真相」のひとつにすぎませんし、むしろそれがないことで、呼び起こされるなにかがあったはずなのですから。え、いったいなにがあるんでしょうね。

 でも。

 だって、あなたはもう「それ」を「結末まで読んでしまった」。

「読んでしまった」

 という言葉を読んでしまったことで、読んでしまったことを意識していることを意識している、ということを意識している。

 という文字をディスプレイ越しに視認しているあなたにこの言葉が届いている。

 

 

  *  *  *  *

 

 

 ですから、言葉というのは不思議なもので、

「あ!」

 というだけで人はなぜかその発話に意味を受け取ろうとします。

 たとえそれが「嘘」であったとしても、です。

 あの「あとがき」を読んだとき、おそらく字義通りに受け取った人もいれば、質のわるい冗談だと受け取った人もいたでしょう。なんなら作者は自殺願望を抱えているのではないか、むしろそこにナルシスティックな快楽を感じて悦に浸っているのではないか、と深読みした人もいるでしょう。もちろん、それはいてもいいんですが。

 でも、おかしな話ではありませんか。

 ただそこには「遺書」と「連絡を取ることが叶いませんでした」というふたつの文字群があるだけです。にもかかわらず、人は容易にそれを結びつけてしまいます。なんならその組み合わせの軽率さ、稚拙さに怒り出す人もいたくらいでしょう。

 しかし、小説が、だとか、文学が、だとか、以前の問題として。

 言葉とは、そのくらいに卑近で、あやしげなものではないのですか。

 もし、そうしたことばそのものが軽率に扱われる小説作品が投じられたとして、その文学的な視野の狭さ、矮小さ、独善性(とにかく表現する言葉はなんでもいいのですが)みたいなものが表出されているものがあったとして。

 小説というものに、文学というものにリスペクトを欠いたものがあったとして。

 人間の「真実」というものを、「切実さ」みたいなものをどこまでもおとしめる「それ」があったとして。

 それでも「言葉」というものが残り、なんらかの意味や、感情や、それ以下のごく微少な、おそらく、どうしようもないくらいに、しょうもない、しかし「なにか」を与えてしまうことはそれこそどうしようもなく「起きてしまう」。むしろそこにあらわれる卑近さのほうにこそ、いやおうなく「人間的な」なにかが「あってしまう」のではないのか。

 だから、むしろ、それしかないんじゃないか。

 そう、それなんですよ。

 たぶん。

 おそらく。

 きっと。

 だからきっと、きみはこうして読んでくれる。これを。このことばたちを。そして同時に読み間違える。読み損じる。きみでさえ、いや、きみだからこそ、かな。これは予言です。でもきみはその意味さえ簡単にまた違えてしまう。これもまた予言です。

 


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『ユリイカ2022年11月号 特集=今井哲也』に「解題」を寄稿しました。

www.seidosha.co.jp

 タイトルの通りです。

ユリイカ2022年11月号 特集=今井哲也』に「主要作品解題」ということで、今井哲也先生の主要な漫画作品(一次創作、商業アンソロ、同人など)を整理したコーパスを書かせていただきました。2022年10月現在ではおそらく、もっともアクセスしやすい詳細な作品情報リストになったかと思います。

 ページ数の都合上、そこまで踏み込んだ話ができなかったのですが、特集記事を一読したところ、どれも切り口が面白く、かえって自分は整理作業に徹していたことで誌面のバランスが保てたかな、とほっと胸をなで下ろしているところです。

 また、執筆にあたり、今井哲也先生には貴重な資料を一部ご提供いただきました。加えて、細かい資料収集には青土社のAさま、および谷林守さまに手伝っていただきました。おかげで充実した内容になりました。この場を借りて深く御礼申し上げます。

 

おまけ:執筆時(2022年9月時点)に参照できたインタビュー等

『ぼくらのよあけ』映画化に合わせたためか、校了後になってからめちゃくちゃ今井先生のインタビューが充実して頭を悩ませることになりましたが、とりあえずこのあたりも本誌と合わせて読むと面白いかと思います。

ddnavi.comnatalie.munote.comhttps://tablet.wacom.co.jp/article/drawing-with-wacom41?linkId=28073270

rooftop1976.comarchive.j-mediaarts.jpwww.dlsite.combooth.pmbooth.pmwww.amazon.co.jpwww.amazon.co.jpwww.amazon.co.jpwww.amazon.co.jp

 

 あと、あまり知られていないことですが、『アリスと蔵六Blu-ray Box』1および2の特典ドラマCDは素晴らしいので聴いてください。紗名ちゃんが上野動物園に行ったり、お友達とクッキングをしたりします。わたしからは以上です。よろしくお願いします。

映画『ぼくらのよあけ』も絶賛上映中です。よろしくお願いします。
(色紙はトクマショップにて購入させていただいたものです)


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Kaguya Planet果樹園SF選外作品「時間のかかる密室」

virtualgorillaplus.com

 上に応募していたのですが選外になり、どうしましょうかと思っていたところ、

 のスペースで最初に講評をいただいたので、せっかくのことですし、すこし手直しを入れたところ、本記事で掲載したいと思いました。

 タイトルは「時間のかかる密室」です。

 締め切り当日に急ぎで書いたので粗いところもありますが、お読みいただければ幸いです。スペースでは5000字でミステリをやっていたところを評価していただいたようです。録音のアーカイブが聞けるのは数日ほど?だそうですので、合わせてお聴きいただけると、どこが拙いのかもわかって面白いのではないでしょうか。

 以下、本文です。

 

 

  *  *  *

 

 

 

 その塔のような建物が長いあいだ、だれひとり訪問客を招き入れなかったことは、出入り口が蔦と根に覆われていたことから察せられた。おれたちは植物たちによる封印をあたかも子供がプレゼントの包装を破るかのごとくレーザーカッターで乱雑に裂き、屋内へと足を踏み入れた。そして顔を見合わせた。

 白骨化した死体が一名、倒れていた。

 手にはバッテリーの切れたウォッチがひとつ。やはり発信はそこからのようだった。屋内はひどく蒸し暑かった。活動をやめた肉がこの温度と湿度のなかどろりと腐り落ちて跡形もなく土に分解されるまで、いったいどれだけの時間が必要だったろう。そこまで想像をして、考えるのをやめた。服の染みがそのエグさを説明してくれていた。わざわざ想像する必要もなかった。

 それからおれは相棒に声をかけた。

「どう思う」

「衣服に目立った外傷の形跡なし。事件性はない」

 遺体の傍らにしゃがみ込んだスコットが、カメラ越しにAIの判断をあおぎつつ答えた。ここで記録したデータはいずれ銀河帝国管轄の調査本部に送られる。

「外傷なし? じゃあなにかに襲われたというわけじゃないのか」

「服には腐った肉の形跡はあれども、傷らしきものは見られないな。骨にヒビも異常もない。教科書の記述みたいに綺麗に腐り落ちたって感じだな」

「なら死因は」

「餓死、もしくは衰弱死ってところじゃないか。じっさいここは外部との行き来ができなくなっていた。閉じ込められて、そのまま力尽きたっていうのは?」

「餓死ねえ」

 そう訝りつつ言葉を返す。にわかには信じられなかった。

 むろんスコットもその結論を口にしつつ、疑念を抱いているようだった。

「お前の言いたいことはわかる」

 おれたちはこの塔に似た建物の内部を仰ぎ見た。

 高さ十五メートルほどの、円柱状の空間。底になっている地面の部分、すなわち円の直径は短い。五メートルほどだろうか。運動には不向きといっていい。

 ドーム状の天窓と中央部の培養灯から注ぎ降る人工光を受け止めるように、壁面に対し根を下ろした無数の樹木たちが葉を繁らせ、息をしていた。それらは遺伝子改良を施されたほぼ土いらずの存在でありながら、短期間のサイクルで栄養価の高い実を常に落とすという宇宙開拓用の植物だった。

 かつて祖先の星の一部では、この植物が植わっていた場所を〈桃源郷〉と呼んだそうだ。楽園に実った果実は、不老不死の仙果とも呼ばれた。すなわち隠者の実。

「ならタロットの位置は正か逆か」

「なんの話だ?」

「ちょっとした古いおまじないの話だ」

 それはともかく、仮にここでひとりの人間が塔の内部に閉じ込められたのであれば、その実は間違いなく生命線となったはずだ。だからこの状況は明らかにおかしい。

 オーケイ、とスコットは改めて問題を指摘する。

「これまでの情報を合わせると、ここは年中食糧の収穫のできる果樹園だ。外傷も骨折もなしに餓死か衰弱といった結論は難しい。閉じ込められたとしても、発狂しない限り生存できたはずだった。なんなら樹を登って天窓から脱出だってできたかもしれない」

「じゃあどうして死んだ? SOSまで発信して?」

「つまり、だ」

 と、相棒はそこでどこか芝居がかった表情を浮かべる。

「これはいわゆる〈密室〉というやつだろ」

 塔のなかは暑さのせいか、ひどく甘ったるい香りが漂っていた。

 それは太った果実のもたらす独特のにおいであり、同時に地面に落ちたそれらが土と混ざり腐っていくにおいでもあった。円形の白い天を覆う緑の点描たちと、淡い紅色から黄色へと移りゆく果実たちのアクセント。

 かつて人類が夢見た〈桃源郷〉という場所は、生と死のサイクルがゆるやかに調和しつづけるこうした景色なのかもしれなかった。

 おれは壁面に手を触れて、しばし考えることにした。

 この小さな楽園で死を迎えた人物は、いったい最期に何を思っただろう?

 

              *

 

 銀河帝国の調査部といっても、おれたちはただの委託業者でしかない。

 なにしろ宇宙は広い。

 すべてを把握するにはあまりにも広すぎる。であるからには地域ごとに委託業者といった下請けが成立し、事件とあらば管轄内でいちばん近い業者が動く仕組みになっている。それでも宇宙はまだ広い。恐ろしいほどに広すぎる。

 だから今回の出来事も、宇宙から見ればただの小さな点にすぎない。

 宇宙辺境区にある廃墟コロニー〈長久〉からSOS発信がなされた。そのコロニーは宇宙開拓の研究用に建てられたものだったが、終戦以来、長らく放置されていた。しかし通信設備は生き残っていたらしく、そこを訪れたひとりの緊急発信を管理システムが受け取り、全宇宙に共時ネットワークを介して再送信した。それを確認した調査本部がおれたちに仕事を回してきたというわけだった。

 といっても、じっさいの発信から調査員の到着までには膨大な時間を要していた。おれたちがコロニーに着いたのは、発信からおよそ地球時間で六年を経過したのちのことだ。むろん、これはいたってふつうのことだ。

 そもそも宇宙というのは些細な死にあふれている。

 無重力での船外活動中に母船との〈へその緒〉が切れたが最後、クルーは永遠の旅路に出発することになるのだし、スペースデブリの雨にあたれば、最悪、空気漏れを起こして船員もろともゆるやかな終わりを迎えることもある。気を抜いたすきに機械に巻き込まれて全身がバラバラの死体、通称〈マグロ〉になった例も数えきれない。

 だからSOSとあれば、じっさいはただの死の事前報告を意味している。

 よってそこに救助活動の要請などというささやかな希望は含まれない。ではどうして事後調査の業務などという無意味なものがおこなわれているのか。

 そうだれかに訊かれるたび、おれたちはただ率直にこう答える。

 個人の尊厳と銀河帝国の威信のためだ、と。

 われらが偉大なる銀河帝国は圧倒的な武力を背景に宇宙戦争時代を生き抜き、連合政府を駆逐した。しかしそこからはじまったのは各惑星やコロニー群に対する、厳格な監視社会化、つまりは支配の波だった。

 ワープ航法は戦時中ならばともかく、そうでない場合ではなかなか使えなくなった。むろんそれは、ワープ燃料が有限の資源であるからだった。終戦後、そのほとんどを帝国は自身の管理下に置き、独占した。無断でワープをおこなった場合は処罰の対象となった。むろんこれは企業体による政府の乗っ取りや武力等の移動をみだりに起こさないようにするためだった。

 結果、なにが到来したか。

 集団武装蜂起レベルのことが起きないかぎり、ワープ航法は決して使われないという人命軽視の時代がはじまった。

 しかし宇宙のどこかでSOSが発信された以上、宇宙開拓時代初期に策定された憲章に基づき、その死体を丁重に弔わねばならなかった。たとえどんなに時間がかかっても。それをおこなわないのは人倫にもとるだけでなく、帝国の基盤も否定することにつながっている(なぜなら帝国は宇宙連合政府による人民への非倫理的な支配を憲章に基づくかたちで糾弾し、開戦に踏み切った歴史があるためだ)。

 よってささやかな給金と帝国の威信、そして故人に対する哀悼のため、おれたち調査員は星から星へ、コロニーからコロニーへ、すでに終わったあとの死の現場を訪れる。その調査結果を報告し、また次なる現場へ向かっていく。

 あくまで事務的に。淡々と。

 よって調査員はこうも呼ばれる。蔑むように。あるいは心からの愛を込めて。

〈腐肉漁り〉と。

 

              *

 

「前に似たようなミステリに出会ったことがある」

 塔の底で、ウォッチの情報をサルベージしながらスコットがつぶやいた。

「たしかロナルド・A・ノックスの『密室の行者』だったな。建物内にはじゅうぶんな食糧があったのにもかかわらず、そこに籠もった人間が餓死した状態で見つかる」

 この相棒は星間移動中によく祖先の小説を旧式のボイスロイドに読み上げさせる。どうしてわざわざクラシックミステリなんだ、と気になって訊ねたところ、これにしかないヴィンテージの味わいがあるのさ、と軽く笑われた。

 おれは端的に質問をぶつけた。

「どんなオチだった?」

「それは自分で手に取ってのお楽しみだろ、探偵さん」

「今回の死に方とは関係があるのか」

「おそらくない。あれは他殺だった。しかしこのコロニーにはほかに人間がいた形跡はなかった。ここは宇宙戦争終了とともに、とっくに破棄されたレガシーだよ」

 そこで短く端末の通知音が鳴る。

 電子音叉によるA音だった。サルベージは正しく終了したらしい。

 さて、とスコットは残された文章を確認する。こういうとき、だいたい見つかるのは家族や恋人に託した悔やみの言葉や、愛を綴った手紙だったりする。その多くは平凡な言葉の羅列にすぎない。小説家でも、こういうときはつまらない文章を残すものだ。おれたちはそれを仕事の必要上から盗み読み、宛名に書かれた人物に向けて再送する。

 しかしいっときののち、相棒の表情はつめたく固まった。

 おれは再び訊ねた。

「なんてあった?」

 無言で相手はこちらに向かってモニタを見せてくる。

 それを訝しく思いつつ、俺はサルベージされた文字を視認した。

 それはたしかに書かれていた。

 だからそれはあまりにも短く、たった素朴な一言だけだった。

 だからそれは、

 

 『 よ う こ そ 』

 

 と、かつての宇宙連合の共通語で記述されてあるだけだった。

 しばらく、なにも考えられなかった。それからようやく頭が回りはじめた。

「なんだ、これ」

 そう、こぼした。最初に脳裏をよぎったのはひどく単純な疑問だった。

 ただの骨となった死者は、いったいなにを思いこの言葉を残したのか。わざわざ死体を見つけに来たおれたち調査員、つまり〈腐肉漁り〉への感謝を述べるなら、それこそ「ありがとう」が適切だろう。そういうのを経験上、見なかったこともない。

 だからそれは、この場所にやってきた同胞を迎え入れるような言葉に思えた。

 そして気づいた。――迎え入れるだって?

 そこに小さな仮説がひとつ。

 丸い果実が地面にぽつりと落ちていくように、おれの頭を打ち、汚く弾けていくのがわかった。ここはかつて廃棄された研究施設のはずだった。表向きは宇宙開拓のためだった。だがこの場所は、戦時中まではたしかに使われていたコロニーでもある。

 ならば。

 ただの開拓とはべつの目的に、手を染めていた可能性があったのではないか。

 だからたとえば、

「ウイルス」

 であるとか、そういったものの研究をおこなっていた可能性はあるだろうか。

 つまり、生物兵器

 だから仮にそうしたウイルス、病気、感染症なりに接触した人間が、宇宙のすみっこにひとり取り残されてしまったとする。おそらくワクチンはつくれない。すでに研究施設は破棄されている。運よく薬がつくれたとしても、きっとほとんど手遅れであることだろう。そこでSOSを発信したとしても、宇宙の果てから救助は来ない。

 だれも助けてくれやしない。

 もしだれかが訪れる可能性があるとすれば、それは何年後になるのかもわからないタイミングで、ようやくやってくるおれたち〈腐肉漁り〉くらいのものだろう。

 おれは考える。

 未知の病による苦しみから逃れるための、冴えた方法がひとつある。

 自死だ。

 たとえば、薬物によって。これはたしかに楽に死ねるが、宇宙船に備わっているような薬品製造機はAIによるID管理である以上、致死量の精製はできないはずだ。

 そこでおれは顔を上げた。

 塔の果樹園。

 植物が生きていくためには水が要る。いまもなお樹木たちが葉を繁らせているということは、水を供給する設備は生きていることを意味している。

 塔はおれたちがやってくるまで、だれもその出入口を開けなかった。であればそこを閉じたまま、底を水で満たすことは可能だろう。最低限、溺れ死ぬことができる程度の量であれば。ただタイマーを設定し、規定量の水を溜めておくだけで済む。

 あとは〈腐肉漁り〉が到着するまでの長い時間をかけて水は土に染み、蒸発し、跡形もなくなる。溺死体の肉は腐り落ち、骨だけが残る。密室が完成する。

 以上、証明終わり。

「なあ」

 同胞を見つめながらつぶやいた。甘ったるい香りのせいか、ひどく気分が悪かった。

「おれたちはいま、この死体とおなじ病気に罹患していると思うか?」

「わからない」

 ただすくなくとも、と相棒は告げた。それはひどく冷静な声だった。

「ここが楽園と言えないことだけはたしかだろうな」

第9回創元SF短編賞大森望賞「夏の結び目」を公開停止いたします。

 お知らせです。内容はタイトルの通りです(リンクは公開時の記事)。

saitonaname.hatenablog.com

 第9回創元SF短編賞大森望賞「夏の結び目」を公開停止いたします。

 停止するに至ったのにはさまざまな要因が含まれますが、もっとも座りのよい言い訳としては、この小説を現在の自分はもう書けなくなっており、いわゆる「名刺代わり」として公に言い続けることに嘘と疚しさを長らく抱いていたためです。

 とはいえ、本日からひっそりと公開を停止する、というのもフェアではない気がしています。つきましては公開期限として本日から一週間後まではリンクへのアクセスを引き続き許可いたしますので、ご興味のある方はたいへんお手数ですが、上記リンクの記事から閲覧・ダウンロードをお願いいたします。

 要するに、2022年9月15日以降は「夏の結び目」を読むことはできません。その点、なにとぞご了解いただきたく思います。

「夏の結び目」は自分が人生ではじめてSFを書こうとして挫折した小説であり(もともとはサークルの機関誌に載せたもので、それを改稿して創元SF短編賞に送ったのが本作でした)、インターネットを介して、数えきれないほど多くの方に読んでいただけました。時折、思い出したようにネット上のだれかから感想をいただくことがあり、そうした経験はたいへん励みになりました。

 自分はこのように不特定なかたちで他人に小説を読まれた経験がそれまでなく、いまとなってはその折々に感想をくださった人たちに直接のご連絡もできないため、ここで改めてお礼を言わせてください。みなさま、その節はほんとうにありがとうございました。

 書きたいものやことはたくさんありますが(おそらくあるはずなのですが)、とりあえずはここでいったん区切りとさせていただきます。次は嬉しいお知らせができるといいと思います。そうだといいな。いいよね。そうでありますように。

 あ、弊ブログ自体はこれからも閉鎖も停止もしませんので、引き続き思いついたら記事が投稿されると思います。今後とも変わらぬご愛顧をよろしくお願いいたします。

あなたの知らない(百合)について 曹麗娟「童女の舞」

 その年の夏、私たちは十六歳で、南台湾で一番暑い街にいた。バスがアクセルを踏んだとき、彼女はその前方に駆けてきた。ふたつの白い靴と靴下は、ごつごつとした岩を走る馬の蹄のようだった。高校に入学した私たちは同じクラスになった。十六歳の少女が親密になるのに理由はいらない。毎朝、錘沅(ジョンユエン)は私に花を一輪くれた。

 水泳部に入った錘沅をプールサイドで待っていると、彼女が泳いでいるのが見えた。そして水から上がった彼女の唇が、私の眉間に触れた……このときから、校内でも、バスの中でも、道ばたでも、錘沅は別れ際に眉間にキスをした。私はこの不思議ですばらしい感覚に酔いしれる一方で、周囲の異様な視線にも気づいていた。私は恐ろしく不安になり始めた――女の子は女の子をどれくらい好きになれるのか。

 私は突然錘沅の手を放し、思わず言った。「一緒にいるのはよそう。私とあなたは違うわ。不つり合いよ」

 錘沅は、少しの間、私から目をそらし、ただ前を見て言った。「好きにすれば」

 それから私は錘沅を徹底的に避けた。バスの時間をずらしたし、学校でも二度と口を利かなかった。けれどまた夏になった高一の後期、私は彼女との思い出の場所で泣いていた。そこに錘沅が来た。「ちょうど泳ぎに行くところなんだ」「私泳げないし」「教えてあげる」その日、私は錘沅の自転車に乗って街を回った。私が生理で水には入れなかったから。彼女は留年するかもしれないと言った。そうしたら転校するとも。高二が始まる数日前、短い手紙を受け取った。「転校する。さよなら」

 錘沅と再開したのは二年後の夏だった。彼女は私の家にやってきて笑った。「泳ぎに行く?」海辺は人の波だった。錘沅は私にオリーブオイルを塗った。突然彼女が言った。「愛してるって思ったことある?」「なに?」「もういい、なんでもない」「あなたは?」「あなたと同じ」泳いだあと、彼女は自転車で私を送ってくれた。そして別れ際、彼女は叫んだ。「童素心(トンスーシン)! 好き――だ――よ――!」私はゆっくりと口を開け、大声で返事をしようとした。けれど昔の嫌な思い、憂鬱、不安のすべてが私を縛り、身体が硬直した。錘沅は行ってしまった。

 大学一年の冬休み、また錘沅に会った。彼女は私に妊娠を報告しに来た。相手はすでに獄中で、彼女と同じ村の人だった。「だって興味もあったから。でも他にも理由があるかも」「何?」「たとえば、ええっと、女同士はセックスできるのかとか」「妊娠したらどうするの?」「ばか、堕ろしたら済むことだよ」翌日、私たちは病院に行った。私は堪えきれず泣き始めた。その年の夏、錘沅は大学に合格した。

 

 

 というのが一章の内容で、およそ物語の半分くらいまで。

 高校入学のさいに出会ったふたりの関係は一度途切れ、そして大学以降もつづいていくものの、特別な関係には進まず、ただそれぞれの関係が生まれていく。私(童素心)は男と恋愛と言っていいのかわからない関係になり、いっぽうで錘沅は男とも女とも付き合うようになっていく。

 あるとき、錘沅の三人目のガールフレンドの小米が自殺しようとした。童素心は憤ってまくしたてる。「彼女といたいなら一生レズビアンよ? 苦しくない? 怖くない? バカなことしないで、錘沅の新しい相手は男よ!」悟った小米は「童素心あなたは私よりあわれね」と言い捨てる。その言葉は自分自身が思っていたことの発露だった。

 こうした悲劇性を常にちらつかせながら、物語は彼女たちが二十八歳になるまでつづいていく。錘沅は十数年間ものあいだ、私(童素心)の前に現れてはそのたびに見えない傷をつくるようにしては消えていく。

 全体的にいわゆる「両片思い」的な話であるが、同性愛という発表当時(1991年)は展望の見出せない生き方へのためらいや不安が語りのなかにちらつき、それがふたりの越えられない壁と切実さを生んでいる。その結果、錘沅はだれともほんとうの意味で親密な関係を築けないまま失踪し、そのことにショックを受けた童素心は精神の均衡を崩してしまうことになる。

 だとしても物語は終始、美しいものが包んでくれている。くり返される花の受け渡しというモチーフは錘沅のきざったらしさを思わせるアイテムであるものの、中盤と終盤に出てくることで、彼女たちの関係のかけがえのなさと、そのフラジャイルな絆をつよく意識させてくれる。

 とくに中盤、帰宅した童素心をたくさんの薔薇が迎えたことの意味は調べておくべきだろう。本数について調べると、おそらくその意味がより切実なかたちで浮かびあがってくるはず(たぶんこの意味は日本も台湾も変わらないのだろう)。

 なにより、この小説は私(童素心)が錘沅のことをずっと求めつづけていたことに対して、ひどく長い時間をかけることで向き合う小説としても描かれている。その想いはずっと幼いころから変わっていなかったことが、そしてその感情が世界を美しく彩っていたということが、霧雨の降る夜に錘沅を偶然見つけたときのシーンで繊細に、そして雄弁に語られている。

 もうすぐ八徳新村というとき、タクシーが一台、前方の交差点から小道に入り、遠くの街灯のそばで止まった。ドアが開いて、足が出てきた。空からあふれた雨粒が銀の真珠のように零れ落ちた。タクシーは急に発車し、少女はその場で数秒間立ち止まり、二歩進み、止まった。それから道傍の電柱に寄りかかって、足を上げ、かがんで靴紐を引っ張った。黒いローヒールのサンダルは、黒の細い革紐が小さな蛇のように足の甲から踝まで巻きついていた。黒地に銀のラメ入りのノースリーブにピンクのミニスカート、がらんとした暗夜の小道に明らかに異様な感じだった。その露になった首、腕、足を、私はどれほど見ただろう。今になってようやくその孤高な輪郭に気づいた。

「錘――沅――!」私は大声で叫んだ。

 彼女が叫んだのは、だから答えなのだった。錘沅がまるで少女のような格好をしているのも意図的な演出だろう。あの幼かったころ、「好きだよ」と叫んでくれた親友に返せなかったそのほんとうの声を、童素心はようやく伝えようと声をあげた。

 物語の結末で描かれる彼女たちの選択はおそらく相当な苦難をともなうもので、いま現在の読者にとってもじゅうぶん胸を打つものだ。それについては詳細を記さないので、じっさいに手にとって読んでほしい。

童女之舞」は1998年に短編集にまとめられ、直近では童女(2020祝福版)』というかたちで出版されている。おそらく2019年に台湾において同性婚の法制化がなされたことを祝う意味合いがあると思われる。その序文がネットでは読めるので、興味のある方はDeepLなどに入れて読むといいと思います。

www.thenewslens.com

 本作は『台湾セクシュアルマイノリティ文学3 新郎新”夫”』(作品社)に収録。中古価が高騰しているため、大きめの図書館などで読むことをおすすめします。