百合短編小説レビュー企画『名づけられなかった花たちへ』第3回:三島由紀夫「春子」

 本記事は百合短編小説レビュー企画『名づけられなかった花たちへ』の第3回です。 前回の記事は以下になります。読まなくても本記事の内容は読めます。 

saitonaname.hatenablog.com

【※ただし今回につきましては三島由紀夫「春子」の内容に深く言及しますので、未読の方はご注意いただきますようお願いします。】

 

 

 まず、作品の話に入る前に(念のため)、三島由紀夫に関して、触れておかなくてはならないのは伊藤氏貴『同性愛文学の系譜』(勉誠出版のなかで語られている同性愛表象に関するくだりだと思う。

 伊藤は「「性的指向」や「性自認」があくまで当人の「内面」の問題であるかぎり、それがいつどのようにして生まれたのか」を知るための材料として内面を語ってきた文学があることを語り、そのうえで「同性愛者」は「近代の特定の時期に発生した明確な歴史性を持つもの」として以下のように説明する。

「同性愛」に関しては、たしかに男性同士と女性同士とをともに含むこうした包括的概念はなかったが、「男色」や「衆道」など行為や関係性としては現在「同性愛」と呼べるものが確実に存在していたと言える。しかし「同性愛者」に関しては、それにあたる語もなく、そのような「性自認」は存在していなかった。今のわれわれからすれば不思議に思えるかもしれないが、「同性愛」はあっても「同性愛者」のいない時代が長く続いていたのである。

 結論部を切り取ってしまうと(しまわなくても多分に)差別的な表現として成立しかねない記述・態度であるので、この文学史的な考えには賛同したくない。が、じっさいにいつ(伊藤が言う意味での)「同性愛者」が誕生したかについての部分については、論としては魅力的な案にみえる。

 文学において「同性愛者」をはじめて受け入れたのは、三島由紀夫の『仮面の告白』(一九四九年)である。

 さて一方、『仮面の告白』のおける主人公の「同性愛」に関する認識は全く異なる。それはれっきとした〈告白〉の対象であり、主人公は終始罪悪感につきまとわれている。つまりは同性愛を恥じているのであり、だからこそカミングアウトが主題化されるのだ。だから『仮面の告白』は「同性愛文学の嚆矢」では全くないが、「同性愛文学の元祖」と言うことはできる。そしてここから現代に至るまで、「同性愛」をテーマとする文学は「同性愛者文学」一辺倒になっていく。

(太字傍点)

 以来、「同性愛者」たちは

 

  ①自分が同性愛者であるかどうかの葛藤に苦しむ者

  ②同性愛者として生きることを当然のことと受け入れている者

 

の二つのパターンで描かれる(…)

 といったかたちで、「同性愛文学」「同性愛者文学」のあいだに時代を大きく区分けし、その境界線が生まれた瞬間を三島由紀夫仮面の告白に見出している(1949年以前・以後)。たとえば同様の区分の試みとしては、昨年刊行された『給仕の室日本近代プレBL短篇選』(中公文庫)が挙げられるだろう。これは収録作すべてが1949年以前の作品であり、それらによってアンソロジーが編まれている。

 じっさい『仮面の告白』の影響力が(文学史的に)すさまじいものであることは否定しがたい(正直いっておもしろい)。よって、悩むにせよ自明視するにせよ、同性愛への自覚を持った主体としての同性愛者が、これ以前には文学史上にいなかった、という説が事実かどうかはともかくとして、魅力的だということであれば同意したい*1

 また、伊藤が差別的な意図というよりは、(おそらくは)べつの問題意識を持ったうえで書いて上記のことを書いていることがうかがえる部分もあるため、その箇所には触れておく必要がある。以下はそのくだりだ*2

 ではいかにして「X」や「なんでもないもの」で踏みとどまりつづけるか。同性愛を描きつつ、それを点景ではなくテーマとするには、この途しかないのではないか。ことばは本来名づけの道具だったとしても、文学の一つの重要な役割は、ことばを使いつつも安易な名づけに抗することだろう。抵抗すべきは「同性愛者」に対する差別であるよりまず「同性愛者」という括りそのものではないのか。

 ここでいう「点景」とは、要するに興味本位の対象として「同性愛者」を消費することといってよいと思うが、だとしてもそこから導かれる結論もまた、安易のそしりを免れえないと(個人的には)思えてしまう。

 ただ、日本国内の同性愛文学史を論じる書籍として2023年現在、もっとも入手しやすい本がこの一冊のみであり、ほかに参照すべき本がまともに流通していない状況については今後改善されていくべきだと思われる(まず、参照されている作品の数がすくないこと、次に、文学以外に接続できる周辺の話題はもっと多いほうがよいということ)。

 もちろん三島由紀夫という存在は文学史の地層としてはあまりにも見やすい。であるならば、それが「百合」という文脈のなかで、いかに読まれうるかを考えたい。

 

第3回:三島由紀夫「春子」(『真夏の死』新潮文庫 収録)

「伯爵令嬢、お抱え運転手と駈落す」と新聞に載っていた、佐々木春子という名を人は憶えていはすまいか。春子は私の母の異母妹にあたる。女学校時代から春子は、市井の男をふしぎにきらった。おかしなことに、交際相手の男にも接吻さえゆるさないという噂だった。ともかく彼女はその運転手と同棲した。

 昭和十九年の夏のはじめ、春子の良人が戦死したので、彼の妹をつれて祖父の家へかえってきた。私はその妹の路子に恋をした。しかし疎開先の下検分に母と弟が行った日の夜、春子が私の部屋を訪れた。ふたたび春子が泊まった夜、春子が良人の名前ではなく、「路っちゃん」と気ぜわしく呼ぶ声を私は聞いた。やがて私は春子の仲介で路子と親しくなり、彼女と接吻をする。しかし路子の唇からは、なぜか春子の味を聯想したのだった。

 上記の部分はあらすじの中盤部分まででしかないのだけれども、本記事でとりあげる以上、大方の予想どおり、春子と路子の姉妹は作中で言葉として明言はされないものの、レズビアンカップルの関係にあることが示される。

 しかし本作は、そのレズビアンふたりのあいだをさまよう男によって語られる、という単なる三角関係としてみなすのも難しい作品になっている。

 もちろんこれについて、比較的わかりやすい捉え方はできるはずだ。たとえば、橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(新潮文庫には「三島由紀夫が同性愛を明確に書いたのは『仮面の告白』と『禁色』の二作だけである。」と書かれており、女性同性愛については無視されている。これは『新編・日本幻想文学集成』(国書刊行会の三島パートを編んでいた橋本としては、いささか手落ちだ。

 けれどもこれが同性愛文学としての主題が浮かびあがっているように見えない、という意味で解釈するのであれば、いちおうの納得はできる。

 なぜなら三島自身、これを『真夏の死』(新潮文庫の自作解説で、

只今大流行のレズビアニズムの小説の、おそらく戦後の先駆であろう。

『春子』は、ほとんど観念上の操作のない、官能主義に徹した作品である。

 と言い切っているからだ。ここでは「レズビアニズム=官能」といういささか単純すぎる図式が簡単に取り出され、語られている。

 じっさい、戦後生き残ったらしい男性の回想(「春子」の発表は1947年)のなかで語られるヒロイン・春子は、ゴシップ記事にとりあげられるような存在(つまり男性の性的興味をそそる対象として)として語られている。

 とりわけ序盤、「私」のもとに夜這いにやってくるくだりは、背徳的な描写もふくめて、まさしくそれ「らしい」表現といっていい。つまり本作は、現代的な同性愛文学というよりは、官能をテーマに描いたものとして捉えられていた、ということになる。

 もちろん上記の三島のいう「只今大流行のレズビアニズム」というのが文庫が刊行された1970年時点のことを指しているかどうかについては自明ではないものの、たとえば加藤明日菜「日本文学の中のレズビアン*3において「春子」は、谷崎潤一郎『卍』堀辰雄「水族館」と並べられ、レズビアン「好奇的に眼差すような作品」のひとつであるみなされる。じっさいたしかに、この指摘は描写の内容からして否定することがむずかしい。

 またその傍証として、三島がレズビアンを書いた短編として「果実」(1950年)も挙げられる。こちらは女学校を卒業した女性ふたりが赤ん坊を融通してもらいふたりで育てるという小説だが、ここではあきらかにレズビアンに対する、いまふうの言葉でいえば「生産性のなさ」が退廃的な雰囲気のなかで内面化されて語られている。

 さらに、こうした視線がなぜあったのかの前段階として、戦後の雑誌による影響があった、といってもいいかもしれない。セクシュアリティの戦後史』(京都大学出版会)に収録された、赤枝香奈子「戦後日本における「レズビアン」カテゴリーの定着」では、カストリ系雑誌などで「女学生時代の同性愛(=エス)」のポルノ化が1940年代後半にあらわれていたことや、『婦女界』などの一般雑誌でも、戦前にはなかった女性の性に関する告白記事が書かれた経緯を概説している。

 よって、こうした性的に解放された文化が生まれていくなかで、文学史的には比較的「先駆」として三島がレズビアニズム小説を書いた。ということであれば、それほど突飛ではないことになる。

 ただ、これで終わってもつまらないので、もうすこし本作のなかに踏み入ってみることにする。本作の序盤では、たしかにふたりの女性はもっぱら、語り手の男性の性的対象として描かれる。しかし次第に彼女たちはその視線から抜け出ていく構造にもなっていることも同時に指摘できるはずだ。

 たとえば、春子の死んだ「良人」の異様なまでの存在感のなさ、「路っちゃん」という春子の思わせぶりな台詞、わざわざ対で買われる花瓶、姉妹ふたりが一緒に「呆れるほど長い風呂」に入った、といった複数の記述が伏線のように敷かれ、それは終盤に近づくと路子が自分の手で春子の「裾をかき立て」ているのを「私」が目撃して、「気狂いのように」動転することにつながっていく。

 これは(たしかに戦前の価値観であれば)じゅうぶん意外な真相で、スキャンダラスな内容のはずだ。そしてむろん、その出来事が戦後から性的なまなざしのもと回顧されていることについて暴力性があることは前述の通りだ。

 けれども、それを見たのちも、「私」は姉妹たちとの関係に絡め取られ、抜け出すことができていない。おそらく「私」は路子を性欲の対象にしたかったのであって、物語の最後までそれをおこなおうと動きつづける。しかし彼は、あたかもふたりの女性のあいだで「何か」を遣わせられる存在になっていく。

 隠れたふたりの行為を目撃してから三週間後、私は春子から路子が一人暮らしをするようになった住居の場所を聞き(つまり暗に性交渉の同意を姉からも得て)、夜の電車に揺られながら路子のもとに向かい、しかしそのあいだ「まだ夜間空襲というものはなかった」と時間のずれた語りをおこなう。

 暗い死のイメージがちらつくなか、アパートにたどり着き、「お互いの顔は暗くてほとんど見えない」状態で「私」と路子は話す。

「宏さんね」――闇のなかから意外に落着いた声がこたえた。「ええ」「お姉様が行けと仰言ったの」「ええ」「そう、それならいいわ」

(…)

 ふしぎな部屋であった。何もかもが対でおそらいだった。箪笥までが。(…)美ではなくて何かを目ざしている。

 そうして寝る段になり、路子は私に「女浴衣」を投げてよこす。「私」はそれに着替える。「あの神もおそれぬ女の無恥な優しさが身内にこもって来るような気」がする。

「紅つけてあげる」

「僕にかい?」

「あら、あなたの他に誰もいないじゃないの」――そうだ。私のほかに誰もいない。しかし果して誰もいないだろうか。

 このようにして「私」という存在は、春子と路子のあいだを結びつける媒介者になってゆく。あくまで主の側は春子と路子ふたりの姉妹であり、彼自身は女の浴衣を着て、紅を引き、あたかも戦死した良人のように希薄な存在にまで下げられ、そして「何か別の唇」が自分の唇に「乗り憑ったのが感じられ」て、物語は幕を下ろす。

 これについて、橋龍晃「性的体験としての戦時下――三島由紀夫「春子」論――」*4では、春子は同性愛を肯定的に解釈することで「戦争未亡人の規範の内部において抵抗」しつづけていた、さらには終盤「私」が男性性への欲望を結末において手放したことで、作品じたいが「男性性神話と戦争未亡人への搾取が温存されていた戦後への批判たりえている」とみなしている。

 かつ、このような春子の戦略性が、男性の語り手も実情を認識できていない状態のまま記述しているのであって、多くの読者もその視線に絡み取られていたのではないか、といった指摘をしている。

 これにはかなり同意できる。けれども、さらに踏み込んでいきたい。というのも終盤、語り手の「私」が暗闇のなかで路子と会うのは、いわば序盤の春子による夜這いのシーンの変奏/反復として書かれていると思われるからだ。

 序盤で春子は「私」の「母の浴衣」を着て、部屋にやってくる。いっぽう、私はそれを母親ではなく春子であると「わかったと思いながら、一瞬他人事のようにぼんやりと」することで状況を承諾する。

 つまり、すでに最初の段階で「私」の意思は希薄になりかけている。同様に終盤においても、「私」は路子の言われるがままに女浴衣を着ることを受け入れる。対のものだらけの部屋で「私」が路子と交わるためには、だから「春子」をふたたび唇に受け入れなくてはならない。そして路子のほうといえば、すでに「春子」を受け入れている。

 なによりこの段階で、はじめて春子の良人について、路子からほとんどはじめて言及されている。それは以下の言葉だ。

「私何でも知っているのよ。あなたとお姉様のことだってみんな知っているわ。あの」と鴨居にかけた死んだ兄の写真を指さして、「お兄さんのやったことだって何から何まで知っているわ。ただ私、お姉様の云うことを決してそむいたことはないのよ。(…)あなたのことだって、あなたを好きになれってお姉様が命令したのよ」

 ここで読者は当然、姉の命令に従う妹の姿にショックを受ける。けれども、ほんとうに大事なのはこのあっさりと言及される「良人」のはずだ。では、路子のいう「お兄さんのやったこと」とはなんだったのだろうか?

 これを解釈するには、そもそもの前提を洗い直す必要がある。まず、女学校時代から春子は「市井の男をふしぎにきらった」とある。

(…)庭師とか商人とか、街で見かける与太者とか労働者とか。そんな人たちばかりではない、友達が自分の若い家庭教師の自慢をしても眉をひそめた。街を友達とあるいていて、店員風の若者が自転車をよろめかせてまで振向いたりすると、春子の顔にはほとんど苦痛にちかい蔑みの表情がうかんだ。いきおい彼女は同じ階級の上っすべりな貴公子面が好きなのだと思われていた。おかしなことにその貴公子面とも一応の交際だけで、接吻さえゆるさないという噂だった。

 しかしわざわざ一連の出来事について触れたうえで「――そんな話はどうでもよいのだが、ともかく彼女は運転手と同棲した。」と語り手は記述して時間を飛ばす。もちろんこれは、じっさいのところは「どうでもよくない」事実なのであって、わざと読者の注意をそらしているといっていい。

 どういうことか。

 つまり、「春子」とその「良人」がかつておこなった「駈落」というのは、そもそもかたちだけのものだったのではないだろうか?

 作中、サブプロットとして「許嫁」がいる路子の友人が語られる。彼らは戦争に出兵するのと前後して関係が結ばれている。またストーリーの表面上、ぎりぎり出兵できない年齢の「私」はそれにも忸怩たる思いを抱えるわけなのだが、これが、もし、異性愛規範が前提とされている社会をじゅうぜんに説明している記述であるとするのなら、春子は「駈落」という方法で、そうした旧来的な家族関係における役割から、どうにか脱出をはかっていた可能性を見出せないだろうか。

 もちろん春子は作中で「私」と性的な結びつきを持つようになるのだが、しかし駆け落ちした相手と性的な交わりがあったとしても、路子のいう「お兄さんのやったこと」といった特別な言い方の説明にはならない。なぜならそれはあって当然のことだからだ。

 であれば、良人が生きていたとき、すでに春子と路子の関係は成立していたのであり、良人はそれをある程度のレベルで容認していた可能性すら浮かびあがる。よって春子の目的は、安全なかたちで路子との関係を維持することではなかったか。しかし良人は亡くなり、あらたに擬態する必要が生まれた。その役割を果たすために、「私」は使われていたのではないか。

 よって本作「春子」はそうした、女性が戦略的に、男性との関係を表面では結びつつも、同性愛者としてサバイブする小説として、読み方を更新できはしないだろうか。

 であれば文学史における「同性愛者」たちは伊藤氏貴のいった「①自分が同性愛者であるかどうかの葛藤に苦しむ者」でもなければ、「②同性愛者として生きることを当然のことと受け入れている者」でもなく、「異性愛規範が自明とされるなかで、生き残るために潜伏し、しずかに戦う者」として、戦後すぐの段階ですら書かれていることになりはしないだろうか。

 なにしろ、こうしたかたちで生き延びようとする(あるいはときに失敗してしまう)性的少数者はこれまでの文学史でも多く存在している。

 たとえば宮木あや子『あまいゆびさき』(ハヤカワ文庫JAで男女の関係を表面で演出することで周囲に溶け込み、生きていく人物はまさしくそれであるし、男性と結婚してもなお、ほんとうの相手を(過去・未来にわたって)見出そうとする作品はいくつもある。

 ゆえにその種はすでに「春子」の時点で、1947年の段階で蒔かれていた。あるいはミソジニックな男性性がどこまでも肥大して語られるなかで、それでも女性がその視線や規範にさらされながら、したたかに生き、抜け出ていくということであれば、鹿島田真希「99の接吻」「湖面の女たち」といった作品群につながっていく。

 なにより、すでにそうした男性優位の世界から抜けて出ていくという思想を、ほぼ完璧なかたちで三島由紀夫じしんが書いている。『近代能楽集』(新潮文庫に収録された「班女」はまさしくその体現であり、いかに古典を読みかえてその思想をかたちにしたかについては木谷真紀子「能楽「班女」と日本古典文学における〈花子〉と〈実子〉の系譜」*5に詳しい。

 と、長々妄想を述べていったところで、今回は終わります。

 今回は突発的にネタバレ前提で書きましたが、テクストの内容によっては今後もこうしたことが起きるかもしれません。ご了承ください。

 

 

参考文献一覧

三島由紀夫『真夏の死』(新潮文庫

三島由紀夫『鍵のかかる部屋』(新潮文庫

三島由紀夫『復讐 三島由紀夫×ミステリ』(河出文庫

三島由紀夫仮面の告白』(新潮文庫

三島由紀夫『近代能楽集』(新潮文庫

橋本治『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』(新潮文庫

・伊藤氏貴『同性愛文学の系譜』(勉誠出版

・小山静子・赤枝香奈子・今田絵里香 編『セクシュアリティの戦後史』(京都大学学術出版会)

・加藤明日菜「日本文学の中のレズビアン : 日本近現代文学における女性同性愛表象研究の方法論試案 (ロザリー・レナード・ミッチェル記念奨学金論文)

・本橋龍晃「性的体験としての戦時下

・大森郁之介「「春子」と「暁の寺」の間の虚空 : 三島由紀夫のlesbianismの位相についての一仮説

・木谷真紀子「三島由紀夫「班女」論 : 能楽「班女」と日本古典文学における〈花子〉と〈実子〉の系譜 | CiNii Research

宮木あや子『あまいゆびさき』(ハヤカワ文庫JA

鹿島田真希『冥土めぐり』(河出文庫

鹿島田真希「湖面の女たち」『新潮』2009年 08月号

 

*1:ただし、同性愛を扱った田村俊子「匂ひ」は1911年発表であるが、結末において語り手は「私は何うしてだかお瀧を思つて泣く、と云ふことを誰れかに知られたら、羞かしい思ひをしなければならないと云ふことを考へていた。」と語って終わり、伊藤説ははたして正しい史観なのかはわからない。

*2:ただし、何度も述べるが、これに筆者は賛同するわけではない。

*3:日本文学の中のレズビアン : 日本近現代文学における女性同性愛表象研究の方法論試案 (ロザリー・レナード・ミッチェル記念奨学金論文) | CiNii Research

*4:性的体験としての戦時下

*5:三島由紀夫「班女」論 : 能楽「班女」と日本古典文学における〈花子〉と〈実子〉の系譜 | CiNii Research