摂取記録

遠い唇

遠い唇

 巫弓彦シリーズの「ビスケット」がようやく収録された。
 そちらについてはだいぶ前に書いた雑文があるので以下のリンクを参照していただくとして。ミステリ短篇深夜徘徊その4 北村薫「ビスケット」 - ななめのための。
 ただこの短編集の作品、とりわけ「遠い唇」や「しりとり」になるのだが、これらは小さな謎であるからこそ、探偵の不在が前提とされる物語であるともいえる気がする。人生におけるささいな、けれどもその当人にとって重要な意味を持つ謎は、名探偵による快刀乱麻を断つような解決ではなく、ちょっとした気づきによってもたらされる。「しりとり」ではその当人ではなく、他者が解いてみせたときに生まれる素朴な感動が描かれている。そこでなされる感謝のことばの重さは、北村薫だからこそ書けるものであるのだなといまさらながらため息をついてしまった。また表題作もそうした類の素朴さをあわせ持つ先輩ミステリだ。

 そしてこちらは先輩(がかわいい)ミステリ(読書人)漫画である。以上。

九鬼周造 理知と情熱のはざまに立つ〈ことば〉の哲学 (講談社選書メチエ)

九鬼周造 理知と情熱のはざまに立つ〈ことば〉の哲学 (講談社選書メチエ)

 「いき」の構造 (講談社学術文庫)の藤田氏による九鬼周造本。今年は九鬼周造研究年なのかしらないが、岩波文庫から大量に著作が出版され、さらにはこのような本まで出ているとは知らなかった。偶然性に関する議論はなかなか難解でスリリングなのだけれど、藤田氏によるすっきりとした整理はさすがといわざるをえない。
 ところでミステリにおいても偶然というのは必然と対比されつつも包括されるような特殊な関係にあり、「無いことのできる」ことを意味する九鬼の偶然性、あるいは存在論に関する視座はそこにある種の転換をもたらしてくれるのではないかと思うので、もうすこし自分なりに考えていきたい問題だと思う。

認知物語論の臨界領域

認知物語論の臨界領域

 こちらの認知物語論についても、前回から引き続きもうすこし考えていきたいのだけれど、日比氏によるスキーマ理論をもとにした「デフォルト値/デフォルト推論」といった認知の問題意識もまた、以前自分が書いていたSOW小説と叙述トリック - ななめのための。と呼応するような内容になっているので驚いた。特に日比氏は某叙述トリック作品を例にして人が自然のうちにおこなっている物事に対する認知のあり方を指摘している。といっても、現在の自分は叙述トリックだけがそのようなものに呼応するとは考えていない。あくまでミステリにおけるセンス・オブ・ワンダー(つまり異化効果による認識の更新にともなう驚き)はより広い地平を持っているのではないかと思っている。これについてもまた、今後しっかりとした文章として形にしていきたいと思う。このデフォルト値がどういうものについてかは、日比氏自身がブログで簡単に説明しているので参考にしていただきたい。→2012-09-07