2022年末まとめ記事をちょっとずつ上げていこうと思います。忙しいので不定期になるかもしれませんが、とりあえず百合・シスターフッド・フェミニズム・クィア・その他からはじめます。昨年いちばん考えたいと思っていたところだったので。
岩川ありさ『物語とトラウマ』
さらに、社会学者のケン・プラマーは『セクシュアル・ストーリーの時代ーー語りのポリティクス』(桜井厚・好井裕明・小林多喜子訳、新曜社。一九九八年)のなかで、語られることの少なかった「レイプ・ストーリー」について、「自分のストーリーを語り、激しい感情を込めて、自分を積極的なサバイバーとみなす女性が出てくるにつれ、人生に権能が与えられる(エンパワー)ようになった」と述べる。
読みなおすたびに小説は「傷」を証言する。私たちは、他者の痛みを他者と同じように痛むことはできない。けれども、痛みを訴える他者へと応答することができる。だからこそ、痛みを語る回路が消去されたり、領有されたりしてはならないのだ。
村山敏勝『(見えない)欲望へ向けてーークィア批評との対話』
2022年の「宿題」になっている本。クィア批評の周辺書を読んでから、あと三回は読み直さなくてはならないと思っている。
探偵の仕事は、ある集合――ここでは「理性的な説明」なるものの集合ということになるだろうか――がいったん閉じた世界に現れて、そこに新たな「一つ」を付け加えることである。不可能を可能にすることによって、世界を構成するものの無限の列挙に、また一つの暫定的な閉じかたを与えること。そして彼はこれを、犯人の欲望を読むことによっておこなうのだ、とコプチェクはいう。
青山至貴『LGBTを読み解くーークィア・スタディーズ入門』
しかし、これは大変奇妙な主張です。なぜなら、「生物学的に正しくない」という表現を意味が通ったかたちで解釈することができないからです。「生物学的に正しくない」という主張は、すでにわかっている生物学の知見と矛盾することと解釈できます。なぜなら現在の生物学でわからないことそれ自体は「正しくない」ことではないからです。しかし、異性愛以外の性愛の形は特に生物学の知見と矛盾しているわけではありません。(…)自然法則から外れる現象は起こってないからです。
藤高和輝『〈トラブル〉としてのフェミニズム: 「とり乱させない抑圧」に抗して』
筆者のもつ男性であることへの違和感と引き受けの部分は読めてよかった。
櫻木みわ『カサンドラのティータイム』
二部構成。そのどちらも(頭の回る・エリート的な)男性によって言いくるめられ、虐げられてしまう女性の話です。が、二部ではその助けが必要な人に対してどう関わっていくか、というところで、まず一緒にご飯を食べたり、お茶を飲んだりする、というところからアプローチする部分にとても励まされました。
八目迷『ミモザの告白』2
顔が熱くなってきた。眼福などとは微塵も思わない。完全にトラップだ。家族で金曜ロードショーを観ていたら、ベッドシーンが始まってお茶の間が凍りつく、あの状況と同じだ。
早く終わってくれ、と祈りながら、俺はおそるおそる横目で汐の顔色を伺い――ハッとする。
汐は、赤面したり引いたりするでもなく、ただただつまらなそうな顔をしていた。心なしか頭を傾かせ、冷め切った目で画面を見据えている。どこか、うんざりしているようにも見えた。
松村栄子『僕はかぐや姫』
もう歳を聞かれるのが嬉しくないのだと気づいたのは四歳のときだったが、それからはいつも美しくない時間を過ごしてきた。五歳も十歳も十五歳もとても美しい年齢には思えなかった。また、どういう振舞いが年齢にふさわしいのかもよくわからなくて、ぎくしゃくした居心地の悪さだけを感じていた。
〈僕〉という防波堤が崩れていた。決壊したところから水が溢れてくる。裕生は黙ってその光景を眺めていた。水流は激しそうなのに、無声映画のように声は聞こえない。やがて、音のない濁流に呑まれて堤はあとかたもなく消え、その内も外も同じ高さの水面がしんと静まり、視界に広がった。
裕生は当り前のように〈わたし〉と小さく呟いてみる。〈あたし〉にならないように、唇を触れあわせて〈わたし〉と。それはなんだか透明に思えた。〈僕〉よりはずっと澄んだ、硬質な響きに思えた。毅然として見えた。
南木義隆『蝶と帝国』
ある兵士を呼び止め、「ロシア共和国に同性愛者はいるのかい?」と訊ねたが、兵士は質問の意味を理解しなかった様子で、キーラの姿を上から下まで見て、「ブルジョワジーめ」と吐き捨てて立ち去った。
児玉雨子「誰にも奪われたくない」
「なんで林から、正しさを教えられなくちゃならないの? 説明なんて頼んでない」
「は?」切り捨てるように林はそう言った。言うというより、吠えるに近いかもしれない。林が他者を拒絶するときの音だった。
「わたしを林の中のわたしに変形させようとしないで」
雛倉さりえ「ホロウ・ダンス」
吸血鬼&吸血鬼ハンターの同棲百合/シスターフッド。
雛倉さりえ『森をひらいて』
生き延びて、何度も救いあおう。
氷室冴子『さようならアルルカン/白い少女たち』
「さようならアルルカン」は完璧な百合小説のひとつだと思う。
杉元晶子『歩のおそはや ふたりぼっちの将棋同好会』
主人公ふたりに元カノ(元カノではないが概念として)が出てくるのが面白すぎる。
宮田眞砂『ビブリオフィリアの乙女たち』
おそらくそのあたりが、男子が感じた”エリスこえー”の部分だろう。都馬先輩も、男を惑わす”宿命の女(ファム・ファタル)”のようだといっていた。それは女性をひとりの人間として描くのではなく、男を破滅させる存在としてしか描いていないという意味だ。
エリスは男を惑わす悪女なのか、それとも無垢な聖女なのか。
(…)
けれどそんな二択になること自体、エリスが男にとってどういう存在かという面しか見られていないことの証拠だろう。
(太字傍点)
坂上秋成「私のたしかな娘」
まだ中学生じゃないから。
うん?
もう少ししたらこんな風に一緒に入ったりできなくなる。そういうのなんとなくわかるでしょ。だから今のうちにやっておきたかったの。
年森瑛『N/A』
ブロックという機能は言葉を失った人にやさしかった。
イン・リーシェン、リベイ・リンサンガン・カントー編『イン・クィア・タイム』
なんて呼ばれたいか、どの性別にされたいかは自分が決めるのだ。プログレッシブな個人主義がこうも意識的に言語に介入していく様をリアルタイムで見られるから、本当に面白い時代だと思う。本アンソロジーの刊行にあたっても、一度原作者さんたちにこの質問をして確認を取ったものを巻末のプロフィール欄に書き添えてある(性別や性自認が変わったという人がいるかもしれないから、定期的に聞き直すのも大切だ)。
李琴峰「地の果て、砂の祈り」
「一体なんでそんなにセックスにこだわるの?」
私の問いに、りさは暫く考え込む素振りを見せた。
「宗教を持たない人は宗教を持つ人の気持ちがなかなか理解できない、みたいなもんじゃないかな? セックスって信仰のようなものなのかも」
(…)
「つまりりさちゃんにとって私は異教徒ということ?」と私は訊き返した。
「つまり私たちは異教徒同士だということ」とりさが言った。
何を話せばいいか分からず、私は黙り込んだ。信仰という比喩を持ち出されたら、そこにあるのはもはや理屈ではなく、信じる者と信ぜざる者の本質的な断絶ではないか。
坂崎かおる「あたう」
人と人との距離の描き方がとてもよかった。
ひらりさ『それでも女をやっていく』
連載を追っていたので、書籍化がうれしい。
朝比奈秋『植物少女』
2022年に読んでいちばんよかったお話のひとつです。是非。
ショーン・フェイ『トランスジェンダー問題』
これを昨年中に読めていなかったので、いま読んでいます。