「エラリー・クイーンに(再)入門するための三冊」

【※以下の文章はクラシックミステリ同人誌『Re-ClaM』Vol.3の特集「クラシックミステリ(再)入門」に掲載された文章です。

 このたび、『靴に棲む老婆』が越前敏弥先生により新訳され、紹介した三冊がすべて新刊で買えるようになったため、ゲリラ的に掲載いたします。】

 

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『フランス白粉の秘密』(1930年、角川文庫、角川書店(現KADOKAWA))

『靴に棲む老婆(生者と死者と)』(1943年、創元推理文庫東京創元社

『十日間の不思議』(1948年、ハヤカワ・ミステリ文庫、早川書房

 

 クイーンは発表時期によって作風が変わるといわれており、一言で魅力を説明するのが難しい作家です。とはいえ、あえて全体をまとめていうのであれば「推理という形式に取りつかれた人間の実験記録」になるかもしれません。このような観点から(再)入門をはかっていきたいと思います。

『フランス白粉の秘密』は長編サイズのフェアな犯人あてという初期クイーンの方針を明確に基礎づけた作品です。内容のほとんどは捜査と証言、そして推理パートで構成され、キャラクターのドラマ的な部分がないといえばその通りなのですが、代わりに推理の冒険を堪能できるつくりになっています。被疑者ひとりひとりを探偵であるエラリーが吟味、除外していき、最後に残った人物=犯人を特定する消去法のシーンは独特の熱があります。しかし推理の魅力はこのようなロジカルなパズル要素だけにとどまりません。

 少々伝わりづらいのですが、むしろクイーンにおける推理の魅力は、この消去法=犯人特定のための前提条件をあぶりだす、「解釈」の面白さにあるといっても過言ではないでしょう。たとえば『フランス白粉』の序盤ではエラリーがいくつかの物品に注目して解釈を述べ、発見現場と殺害現場が異なっていることを指摘するのですが、その観点がのちに発展することでわざわざ犯人が死体を移動した理由も明かされ、さらにそこから実行犯の一部属性までが連鎖的に浮かび上がるようになっています。

 つまり、与えられた証拠品や現場周辺の情報からたんに犯人を指摘するのではなく「犯人はなぜこのような行動を取らねばならなかったのか」まで含めて検討する、思考の組み立て作業に立ち会える面白さがあるのです。こうした些細な物品への解釈をめぐらせるという知的な冒険は、国名シリーズをはじめとして幾度となく実験を繰り返していきます。

『靴に棲む老婆』はシンプルな犯人あての構成ではできないことに挑戦している一作です。エラリーが遭遇したのは、富豪の家で起きた決闘騒ぎをおさめるべく拳銃の中身を空砲に変えたにもかかわらず、なぜか実弾が発射され、殺人になってしまったという事態です。つまり、実行犯はわかっているのに、その裏で糸を引いた人間はわからない。このような難題が提示されています。

 この作品では、前述した解釈の手法は一段と深化しています。表面的な犯人はすでにわかっているので、作品の興味は純粋な証拠品だけでなく、より広い状況へと向かいます。奇妙な心理を持つ登場人物たちやメロドラマチックな恋愛模様、童謡殺人の趣向、トリックが明かされるだけでは単純な解決とならず、それを越える大きな構図をとある証拠品の解釈によって捉えようとする終盤の逆転にはあっと驚かされるものがあります。

 とはいえ、ここでわたしたち読者が驚くのは、開陳される推理が作品内における人物描写と分かちがたく結びついているからでしょう。初期の国名シリーズにはできなかった人間関係のドラマチックな転回が、物品の解釈というおなじみのモチーフの発展によってなされているのです。

『十日間の不思議』はこの解釈という手法が円熟を通り越して極大化した問題作といえます。記憶喪失の発作とそのあいだになされたかもしれない殺人というやはり犯人あて形式では証明の難しい問題にエラリーが挑みます。

 実際に死体が出てくるまではだいぶかかるのですが、裏で進行する人間関係とサスペンスが読者に不安な影を与え、飽きさせません。けれどもやはり一番の読みどころは、エラリーが事件に潜む「模様(パターン)」を発見してしまう場面でしょう。ここでは推理でありながらどこまでも観念的で、唖然とせざるをえない解釈が提示されるのです。

 こうした推理を一笑に付すことはたしかに簡単なのですが、重要なのはこれを、作者がいくつもの実作の果てに思いついたということです。つまり、当初は証拠品や事件の周辺状況といった即物的な証明要素に費やされていた解釈の枠組みが次第に人間関係の綾と絡み合い、ほとんど観測不能の事象にまで及んでしまうという異様な流れがあるのです。ゆえにクイーンの作品群とは、こうした推理法への飽くなき探究の発展史でもあるのです。(再)入門にあたり、それらの発表年代を意識しつつ読むのも面白いのではないでしょうか。

 またここでは紹介できませんでしたが、上質な本格ものと探偵物語をご所望でしたらレーン四部作は欠かせませんし、『フランス白粉』が肌に合えば国名シリーズの諸作が、『老婆』が好みならライツヴィルものを含む40年代の作品が入りやすいでしょう。観念的な推理ならスタージョンやデイヴィッドスンの代作がよい刺激となるかもしれません。また何作もあるダイイングメッセージものはまさしく解釈の体系ですから、そこに興味を持つのもよいと思います。

 とはいえ「通読してマニアになるか、推理小説など表紙も見るのもいやになるかは、あなたの性格による」(©日影丈吉)ところです。