『記憶ミステリアンソロジー:だれかがいた庭』について

須藤佑実『夢の端々』より。

 幼いころのことだ。だれかが数分前までいたような、あるいはずっと前に歩み去ったような庭を見たことがある。

 そこには見知らぬ――しかし不思議と親しみさえ覚えることができる――人々の息づかいが感じられ、優しい風と緑に包まれ、柔らかな日差しが差し込んでいた。そして不思議と、かつて自分もこの小さな庭を訪れていたような気がしていた。あるいはそれは、自分が思い出せない遠い過去に、物語で訪れた場所であったのかもしれない。

 記憶をめぐる小説には、しばしばこうした、しずかな予兆と確信とが横たわっている。むろんそれは大切ななにかとの〈再会〉へと向かっていくことになるのだが、掴み所がないまま、最後まで正しい意識の方向を見出せないこともある。

 けれども語り手は/読者は/あなたはそっと、たしかに思い出すのだ。

 

 ――わたしはこの場所を知っている、と。

 

 さて、前置きはこのくらいにして、具体的なアンソロジーの方向性を語ろう。

 かつて竹本健治は謎解き探偵小説に似ているが、一般的にそのジャンルに期待されるような「論理的な解明」で「割り切れた解決」に至るとは限らない作品を〈疑似推理小説(ミステロイド)〉と呼んだ。もちろんそこで竹本が意識していたのは、変格探偵小説やその先に向かうアンチミステリ、メタミステリ、あるいは奇書の類であったかもしれないが、この『だれかがいた庭』として編んだ作品群は、そうした「記憶の割り切れなさ」に部分的には触れつつも、もうすこしべつのベクトルを持っている。

 わたしはそれを〈人生の謎〉と仮に呼ぶようにしている。

 本アンソロジーに集めたのは、そうした謎がほどかれたり、固く結ばれたり、崩れたりする瞬間を描いた作品たちだ。

 

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・そんなミステリアンソロジーは2023年12月現在、存在しない。

・でもあったらうれしいよね。

・あらゆる読者は自分だけの架空のアンソロジーを編みたい欲求を持っている。

・したがって編んでみた。

・ミステリといっておきながら本格ミステリ的な謎解きはほとんどない。

・あるいは〈人生の謎〉とでもいうべきものたちが残っている。

・せーのっ、北村薫先生に感謝。

 

《マイ・アンソロジー》を作るのは、難しいことではありません。そして、《アンソロジー》は、作った《自分》の《今》を語ります。

北村薫『自分だけの一冊―北村薫のアンソロジー教室―』(新潮新書

 

『記憶ミステリアンソロジー:だれかがいた庭』収録作品一覧

鮎川信夫「偶然の目」

三浦哲郎「拳銃」

・酒井田寛太郎「自画像・メロス」

堀江敏幸イラクサの庭」

恩田陸「ある映画の記憶」

石川博品「平家さんって幽霊じゃね?」

林京子「道」

奥泉光「石の来歴」

・内海隆一郎「小さな手袋」

魚住陽子「奇術師の家」

北村薫「しりとり」

 

 

鮎川信夫「偶然の目」

www.kosho.or.jp

 作者の名前としては〈荒地派〉の詩人、そしてエラリー・クイーンの訳者としてのほうが有名であろう。本作が収録されている作品集『厭世』はウィキペディアでは〈エッセイ・評論〉のなかにリストアップされているが、阿部昭『新編-散文の基本』(中公文庫)によれば、阿部は本作を短編作品として認識していたようだ。

 最初の行は、シンプルに「私の最も古い記憶といえば、」とはじまる。しかしすぐにぎょっとする。なぜならそのつづきが「関東大震災の時のものである。」と結ばれるからだ。満三歳の年齢であった作者は、家で被災した瞬間を語っていく。もちろんそこには想像で補われた部分もあろうと思われるが、しかしそれは生き延びた記憶でもある。「関東大震災は全壊家屋五十%を越えた地区がいくつも」あった。ゆえにタイトルの通り、「偶然の目」によって生きたことが語られる。

 当時、家にいたのは、母、自分、そして妹。自分の記憶には、「誰かに抱きかかえられて外に連れ出され」た、とあるのだが、しかし妹は乳飲み子であるから、自分が抱きかかえられたはずがない。では、その抱きかかえてくれた人物とは何者であり、そこに必然はあったのだろうか。震災という出来事の「語り」が重要になっている現代であればこそ、この一編の持っている重みは大きくなるのではないだろうか。

 

 

三浦哲郎「拳銃」

 言わずと知れた、短編の名手、といっていいだろう。それもほんとうに短い文章のなかで、人生のほんの小さな出来事を切り取ることにかけての達人が三浦哲郎だ。とはいえ、本作はそうした三浦作品のなかでも特に犯罪性を帯びている一作でもある。

 八十三にもなるおふくろからある日、手紙が届く。『近々こつらへ来る用はないでしか。また一つ相談事がありまし。ちょっと寄ってくれれば助かりまし』と田舎訛で書かれている。そしてじっさいにおふくろと会ってみると、その相談事というのは、生前、父が持っていた一挺の拳銃のことだった。

 父親は、生前軍人でもなかったし、やくざでもなかった。小さな田舎商人にすぎなかった。その父親が形見として、一挺の拳銃と五十発の実弾入りの箱を残していた。もちろん警察に伝えなければ違法である。しかしそれを見ながら考えているうちに、「私」はかつて「一瞬のうちに父親のすべてがわかったような気がした」ことを思い出し、時間を越えて父と子の関係の糸がしずかに結ばれていく。

 なお、本作には「河鹿」という続編もあるが、まずはこの「拳銃」という作品単体の短さそのものを味わっていただきたい。

 

 

酒井田寛太郎「自画像・メロス」

 白鳥真冬は曾祖父である上村宗次郎の一周忌に合わせて遺品整理をしている。政治家の家系である真冬であるが、それは主に父方のほうであり、母方の家系はみな穏やかな性格をしていた。とはいえ絵画を趣味にしていた曾祖父もかつては消防士であり、〈英雄〉とさえ呼ばれていたという。真冬は箪笥の薄闇のなかから一枚の遺書を見つける。そこにはただ一言、「メロスを捨ててくれ」とだけ書かれていた。

 ジャーナリズム研究会の工藤啓介はその話を聞いて当然、太宰治の小説「走れメロス」を思い出す、しかし、さすがにその小説を捨てろ、というのは遺書としては些細すぎる。であれば残るのは、彼の趣味であった油絵『自画像・メロス』という存在だけだった。しかし〈英雄〉とまで呼ばれた人物が、なぜその勇敢な物語を自画像として描いたものを捨てろといったのか。真冬と啓介は絵画の残されている箱根へと小さな旅をはじめる。

『ジャナ研の憂鬱な事件簿』は全五巻のライトノベル。シリーズで扱われているのはタイトルのとおり憂鬱な事件ばかりだが、いくつもの出来事の謎を解いていくうちに、主人公たちは次第に「真実を明かすことが人を救うことになるのか」という探偵の業へと踏み込んでいくことになる。けれどそうした陰鬱さのなかであっても、ひとかけらでも意味があることをこの短編は描いている。とりわけ、本作の最後の一文は、そうした他者との関わりに、光を見出そうとした言葉によって結ばれる。

 

 

堀江敏幸イラクサの庭」

 架空の地域・雪沼を舞台とした連作のなかの一編。料理教室を営んでいた小留地(おるち)先生が亡くなり、受講生であり、のちに先生の助手にもなっていた実山さんは、先生の最期の言葉をうまく聞き取れなかったことを悔やんでいた。

 初七日が過ぎ、実山さんは知人とその話をする。どうも「コリザ」と聞こえたように思うのだが、具体的には察しがつかない。「コリーダ」や「狐狸」などと周囲はその言葉を推測するが、それらは正しい答えとも思われない。やがて実山さんは先生が雪沼にやってきたころからの出来事を想起してゆく。

 前述の「拳銃」や「自画像・メロス」と同様に、本作もまた、死者の横顔に触れていく物語である。けれどもここでは推理小説らしい演繹の手続きはなされない。ただ、小留地(おるち)先生の過去を思い出し、そっと雲間から光が差していく様子が描かれる。実山さんはいつもイラクサのスープを飲むことができなかったが、しかし先生が何度もつくっていく姿を見て、知っていた。ゆえに最後にはささやかな答えにたどり着く。だからこそ、その謎がほどける瞬間、小さな〈奇跡〉が起きるのだ。

 

 

恩田陸「ある映画の記憶」

 記憶の中では、その映画は白黒である。潮が満ちてくる海辺の岩で、母と子が会話をしている。不穏な潮騒。母親は、幼い息子に言い聞かせる。決して後ろを振り返ってはいけません。言いつけの通り、息子は陸に向かって歩き、やがて振り返る。そこには荒々しい波があるばかり。ずいぶんと経って、その映画を『青幻記』というものだと知った。

 伯父の葬儀の帰り道、ふと幼いころに一緒にその映画をTVで見ていたことを思い出し、母に尋ねる。今ここで、確認しておかねばならないという気がしていた。すると母は答えた。「悦子さんが亡くなった時のことを思い出したんじゃなくて?」意外にも返ってきたのは、夏休みの終わりに亡くなった叔母さんの名前だった。

 叔母の死には奇妙なところがあったという。しかし証言を突き合わせるとあくまで事故死なのだった。幼い頃の記憶に親類の死が重なることは往々にしてあるように思われるが、物語を通して鮮やかに立ちのぼってくる情景と謎解きによって、どこまでも記憶は暗闇のなかへと反響してゆく。

 なお、本作は二〇二三年に『密室ミステリーアンソロジー 密室大全』(朝日文庫)にも収録された。また作中に登場する『青幻記』の原作は一色次郎によるもので、第三回太宰治賞を受賞した。同賞の最終候補には金井美恵子『愛の生活』がノミネートされていた。

 

 

石川博品「平家さんって幽霊じゃね?」

 平家さん幽霊説を言い出したのは俺じゃない。なにしろ平家さんは俺と及川がつきあうきっかけになったのだから。けれど俺のいるカルトゲーム研究会にやってきた転校生・曽禰みるくは平家式子(のりこ)が幽霊だという。そんなはずはない。平家さんはド金髪で、スカート超短くて、カバンいっつも空っぽで、飴かガムのにおいさせてて、遅刻・早退・脱走の常習犯で、校則違反のバイク通学してて――要するにDQNなのだから。

 記憶というのはべつに忘れ去られたり、思い出されたりするだけのものではない。であれば怪談というのはまさしく「生きている記憶」そのものではないだろうか。

 本作で登場するキャラクター・平家さんの名字はもちろん平家物語から来ている。平家さんは擬古文調でしゃべり、その発話にはカギ括弧がつかず、一字下げで記述される。さらに彼女はヒッピホップを愛好している(おそらくラップ音と関連している)。というとかなりのギャグ路線に見えるかもしれないが、この小説は怪談という形式を通して、わたしたちと記憶の距離を常に試しているのである。たぶん。おそらくは。

 

 

林京子「道」

 長崎に着いた私は、予定まで少し時間があることに気づく。二、三日後に予定していた母校の訪問を先に済ませてしまえば、これから訪ねていく田中先生との話も具体的になるのではないか。原子爆弾で死亡したN先生と、T先生の墓が長崎市内にある、と同級生が連絡をくれたのは、こうして長崎に発つ三日前のことだった。

 N先生とT先生は、私たちN高女三年生の学徒動員について兵器工場に出向した三人の教師のうちふたりである。兵器工場で即死したのがT先生だが、N先生は九日以後、一月ばかり生きていたという。そして三人目のK先生の場合は、即死、の噂だけで、細部の消息は知れない。私も、もう身軽になりたい。確かめた死の一つ一つを、八月九日から剝ぎとって、私もあの日から抜け出したいと思っていた。

 戦争、とくに極限状況である原爆投下時の記憶をたどろうとする作品である。先生たちの死にざまは、証言のあいだで揺れ動き、正しく一致することがない。ただ、生きている人々のあいだに名前だけが漂っている。「それぞれが確かな話である。それでいて問い詰めていけば確かな話は二つに、三つに、わかれ」ていく。街の道は時代とともに塗りつぶされ、ただのその上に、賑わいが生まれ、人々たちがまた生きていく。

 

 

奥泉光「石の来歴」

 河原の石ひとつにも宇宙の全過程が刻印されている。太平洋戦争中の昭和十九年師走半ば、フィリピンはレイテ島北部の天然洞窟のなかで、栄養不良とアメーバ赤痢に悩まされていた真名瀬は、ひとりの上等兵からおもむろにその講釈を受けた。やがて引き揚げて秩父で商売をはじめたあと、彼はふと独学で石を集め、分類をはじめるようになる。

 とはいえ、彼は自分に石の話をしたあの上等兵の顔をいつまで経っても思い出せなかった。あの饒舌な語りだけが浮遊している。のちに長男の裕晶が生まれ、真名瀬は彼に地質学を教え込む。とはいえ結局肝心なことを伝えようとするとき、口をついて出るのはいつも上等兵から聞いた言葉だった。しかしあるとき、その長男が死に絶えてしまう。

 主人公は、暗い戦争の記憶を抱えている。戦うことのできなくなった同胞が、大尉によって目の前で殺されるのも見ていたはずだ。では彼はPTSDの症状に悩まされていただろうか。傍目にはそう見えない。しかしなにかを説明するための言葉に、くり返し立ち返りつづける。であればこれは人の生死に〈意味〉を求める自然な成り行きなのだろうか。しかしすべての記憶は、因果は、真実は確定しない。にもかかわらず言葉はくり返される。河原の石ひとつにも宇宙の全過程が刻印されている。ここで語られる記憶という存在は、まるで奥の見えない、どこまでも真っ暗な洞窟のようでさえある。

 なお、本作は奥泉光自身が編集に携わっている叢書『コレクション 戦争×文学13 死者たちの語り』(集英社)にも収録されている。

 

 

内海隆一郎「小さな手袋」

 私の家から歩いて五分ほどのところに、武蔵野の面影を残した雑木林がある。六年前、私の次女はそこで年老いた〈妖精〉に出会った。そのとき、シホは小学三年生だった。

 けれども〈妖精〉は、じつは林に隣接している病院の入院患者だった。脳卒中のリハビリのために、おばあさんはいつも雑木林で編み物をしているのだという。だがそのころ妻の父も脳卒中で倒れていた。やがて私たちは列車に乗り、シホははじめて身内の不幸を経験する。そのころ、娘のなかで何かが変化したのを私は目撃したように思った。そしてあたかも自然に、彼女の足はあの雑木林から遠のいていった。

 わたしたちがつい忘れがちなのは、子供にとって、ほんの短いだけの時間がどれほどまでに濃密であり、しかし主観的には長いものであるかということだ。子供はめまぐるしい速度で変化を経験し、そして周囲を残酷なまでに置き去りにする。しかし、それでも子供は自らの残酷さに触れることで、また進んでいく。

 この小説とわたしがはじめて出会ったのは、中学二年の国語の授業でのことだ。もし、いまこの文章を読んでいるあなたも「小さな手袋」のことを思い出すことができたなら、それもまた記憶のもたらす柔らかい手触りのひとつになっていくことだろう。

 

 

魚住陽子「奇術師の家」

 私と母は義姉の夏子の紹介で東京に呼び出され、築三十年の、取り壊すことが決まっている三笠さんの家に住んでいる。それはいつ大きな発作に襲われるかもしれない心臓病の母の面倒を見るために仕方ない選択だった。そうして東京の勤め先も世話してもらっている。しかしある日、仕事から家に帰ってきた母は、「荷物の整理」をしていると言う。それは三笠さんの物だから、と私が指摘すると、落ち着き払った声で母は答えた。

「この家にあるお道具も荷物も、三笠さんの物なんかじゃありませんよ。この家の物はみんな柱の傷まで鬼頭さんのものですよ」「鬼頭さんはね、外国に武者修行に行っていたの」「鬼頭さんはね、奇術の修行に行っていたの」

 淡々とした日常のなかに、知らない記憶が混じってゆく。喫茶店で出会う、「鬼頭さん」を知っているという老婦人。納戸や物置きから母が発掘してくる器や美術品。やがて起きる小さな事件。そして母は、かつてあったものを次第に虚空に見出すようになっていく。しかし気づくと私たちは、まるで魔法にかかってしまったかのように、母の見たものを一緒に目撃する。けれどもそのまぼろしは一瞬のうちに消えていく。なぜならほんとうにすぐれた奇術は、だれにもその種を明かさないのだから。

 作者は長いあいだ忘れ去られていたが、近年『小川洋子の陶酔短篇箱』(河出文庫)で紹介されて以来、再評価がはじまっている。惜しくも二〇二一年に亡くなってしまったものの、二〇二三年末には、生前発表されなかった唯一の長編『半貴石の女たち』が刊行された。

 

 

北村薫「しりとり」

 向井美菜子さんは、わたしとよく仕事をする編集者の一人である。あるとき、彼女のご主人が亡くなる前に、ちょっとした謎かけをした話を振られる。ベッドで、和菓子の黄身しぐれを食べるとき、〈何か書くものあるか〉といったという。

 ご主人はペンをもらうと、紙の上に、〈しりとりや〉と書いた。つづいて〈駅に〉〈かな〉と書く。そして最後に〈駅に〉と〈かな〉のあいだにしぐれを置いた。結局その謎は解けなかった。わたしは思い当たることはありませんか、と訊ねる。向井さんはご主人と出会ったときの思い出をそっと語りはじめる。

 ほんの、文庫で二十ページほどの小品である。それこそ手のひらの上に乗ってしまうような、和菓子のようにささいなものだ。けれどもこの謎解きは、その小ささゆえに人の心に届くものになっている。

 わたしたちはあと何回、このような〈人生の謎〉に出会うことができるだろうか。だれかの横顔を思い出せるだろうか。そう思いをはせながら、最後の頁を閉じてほしい。

 

 

 ずいぶんと時間が経ってから、ふとあなたは本棚からそれらの古い短編群を取り出してみるかもしれない。淡い記憶をたしかめるように、あるいは忘れたなにかともう一度向き合ってみるために。だからこのアンソロジーはそのとき、ようやく嘘と魔法とが同居する、不思議の庭になっている。

 そこできっと、あなたは思い出すことだろう。

 そのほんの手のひらほどの、小さな庭のなかに、親しいだれかがいたことを。

 

 

お知らせ:文学フリマ京都8

c.bunfree.net

 まだ詳細は未定ですが、文学フリマ京都8に〈ストレンジ・フィクションズ〉で参加します。今回のブログ記事の内容をはじめとしたストフィクメンバーによる〈架空アンソロジー〉特集やお蔵だし創作物を集めた『ストフィク4』が出る予定です。たぶん。

 なにとぞよしなに。

 

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