【2021/1/14追記】あの森へ向かうために 彼岸泥棒a.k.a.見富拓哉(不)完全レヴュー

【追記】(2021/1/14)

 昨年末にこの記事を公開した際、レヴューのできなかった作品について「情報求ム」となかば祈るような思いで書き残したのですが、このたび、とある心優しい方の目に留まりまして(!)、未確認作品について多くの情報(書誌情報のなかった書籍特典やフリーペーパーまで!)を提供していただきました。ほんとうにありがとうございます。ありがとう、インターネット。ずっとずっと大好きだよ。

 以上の経緯から、【追記】というかたちで一部作品の情報を追加しております。ただし上記の経緯があったことをふまえ、記事タイトル「(不)完全レヴュー」の(不)の字についてはそのままとさせていただきます。ご了承ください。

 

 彼岸泥棒a.k.a.見富拓哉とは

 漫画家・イラストレーター。2000年代後半からサークル「彼岸泥棒」名義で自主制作漫画誌展示即売会コミティアを中心に活動。2009年末に月刊IKKI新人賞「イキマン」で受賞し、デビュー。以降、商業誌での活動名義を「見富拓哉」とする。2014年に作家業を廃業し、サークル「新しい水着」および「けむりとほこり」名義での同人活動に注力する。

 ネットなどの情報を整理すると、活動時期は以下のように分かれる。

・第1期:彼岸泥棒時代(2007~2011)

・第2期:見富拓哉時代(2009~2014)

・第3期:新しい水着/けむりとほこり時代(2012~)

 しかし後述するように、長らく商業活動を休止していた「見富拓哉」は2019年にカムバックすることになる。本稿ではそれまでの軌跡を2020年現在までに発表された主な同人・商業作品を可能な範囲でレヴューし、追っていくことを目的とする。そういうわけで同人作品は抜けがあります(会場限定のコピー誌、他者主宰同人誌のゲスト寄稿など)し、商業作品にも抜けがあります(保存していたものが見つからなかったので)。

 文章を読むのがタルい、という人は見富拓哉本人によるイラストアーカイヴ(a new swimsuit: Archive)をみればだいたいよいです。はい、この話題終わり。

 近年の動向についてはpixivFANBOX(けむほこ/見富拓哉|pixivFANBOX)に詳しい。要支援(月額216円~)。

 

『彼岸泥棒集成Ⅰ 樫野先生言行録』(2010年2月)

shop.comiczin.jp

 2010年2月発行。現在は購入不可。2008年ウェブサイト「彼岸泥棒」にて発表されていたエッセイ?漫画に描きおろしを加えたもの。ペン入れがなされた状態ではなく、鉛筆(あるいは鉛筆タッチのペン?)で表現されているのが特徴。最初は必ず白抜きの小さなコマではじまり、四角い吹き出し「おはり」で終わることが多い。最後の吹き出しの中身はオチや解説として使われることもある。

 主に描かれるのは先端部の球が浮いている王冠を頭につけた樫野という女の子で、基本的には作者の分身の役割を果たしている。とはいえTNSK氏の高木さんと対等に会話している漫画も存在するため(高木さんトリビュートに寄稿した漫画 - a new swimsuit)、一時期流行っていたオリジナルキャラクター「うちの子/看板娘」的な文脈・立ち位置も含まれているかもしれない。高木さんについては本稿の目的ではないので省く。適当に検索してみなさんの目で存在を確かめておいてください。

 

「樫野先生前置く」(2010年2月)

 書き下ろしの前書き漫画。タイトル通り「樫野先生言行録」の導入となっている。冒頭からコマをぶち抜いた樫野の等身大スクール水着ポップが登場し、それがしゃべっているかのようなコマ割りで読者をミスリードするつくりになっているあたり、漫画の見せ方に自覚的な作者の姿勢がうかがえる。

 しかしその等身大ポップもページをめくると突如登場するジェットモグラによって破壊されるという予測不可能ぶりで、おそらくこの突飛さとシュールさが混在しているのが見富拓哉イズムと呼べるものではないか。最終的に樫野は漫画を飛び出して自身を描いている作者に飛び蹴りを食らわせるため、彼女がメタ的な存在であることがわかる構成になっている。

 

「樫野先生言行録」(2008年7月~11月)

 ウェブサイト「彼岸泥棒」に掲載されたもの。1ページ完結の漫画が14作。作者の生活風景や出来事を日常エッセイふう漫画にした回と、樫野が作者の手によって下着姿にされたり、描写された消失点に吸い込まれたりするメタ漫画回の2パターンが存在し、そのどちらになるかは回によって変わる。

 日常回ではこれといって大きなイベントは描かれないが*1、樫野の表情がキング・クリムゾンのあのジャケットになったり、なぜか古い漫画に出てくるような縦ストライプのトランクスを穿いていたりと毎回シュールなツッコミどころが用意されている。こうしたツッコミどころはのちに樫野自身から作者に抗議が入るメタ回で回収されたりする。

 

「樫野先生言行余禄」(2010年2月)

 ウェブに掲載した「言行録」の1ページ完結のスタイルを引き継ぎ、身辺雑記的な漫画のままであるが、2009年12月に商業デビューを経由したことによって不安が増幅されている。「コミティア→イッキ新人賞→クイック・ジャパン連載(←今ここ)」の流れにクスクス…という声(幻聴)を聞き取った樫野が包丁を振りかざし「今こっち見て『サブカル臭い(笑)』って言ったやつ出てこい!!」と叫んだりと、名実ともにサブカル漫画家になったことに対するアンビヴァレンスな感情が描かれる。

  デビューと短期連載を勝ち取ったとはいえ、作者の抱いていた不安はかなり強烈なものだったらしく、樫野は以下のように発言している。

「皆さーん 知ってますかー。漫画家から漫画をとると 何故か家じゃなくて廃屋になるんですよー。不思議ですねー。」

 のちに作家業を廃業し、商業漫画を発表しなくなった事実と重ね合わせるとどこか予言的な漫画でもあり、言い切れぬほどに切ない味わいを残している。

 

『彼岸泥棒集成Ⅱ 「エラッタ」』(2011年2月)

shop.comiczin.jp

 2011年2月発行。現在購入不可。主にコミティアで発表したストーリー漫画を集め、発表順を遡るかたちで収録。ライナーノーツによれば、『集成Ⅰ』と合わせることで、原稿が発見できずに収録を見送った最初のコミティア発表作品「孤独の発明」を除いた彼岸泥棒作品のほぼすべてを俯瞰することができる。

 

「モラトリアムファンタジーⅣ」(2011年1月)

 コミティアではなく、卒業研究の一環として発表された作品。

 作者曰く、「指導教員を含む教授陣の失笑を買った問題の一作」。『集成Ⅰ』に引き続き作者の分身である樫野が登場し、卒業というモラトリアム剥奪に対する不安がコメディテイストでノンストップに語られる。「限りなく学生に近い無職が 唯の無職になるんですよ!!」という樫野の発言には「漫画家から漫画をとったら廃屋になる」と同じ不安が凝縮されている。

 脈略のあるようなないようなシュールなギャグをイラストで提供するという作者お得意の演出(筒の中から筒井康隆限りなく透明に近いブルーレットおくだけ、あずにゃん、時すでにお寿司)はすでに自家薬籠中のものとなっていて、そうした技法はのちの作品でも見出すことができる。

 また見富拓哉を語るうえでは外せないポップな絵柄はこの頃から方向性が明確になって現れている。それまでに発表されていた漫画では違うタッチで描画されているため、商業での経験が作者の作風を変化させたことは想像に難くないだろう。

 

「理科室の雪」(2009年8月)

 月刊IKKI新人賞「イキマン」受賞作品。月刊IKKI2010年2月号に掲載。商業デビュー作。初出はCOMITIA89。

 雪の結晶が見たい中谷と寺田は、真夜中の学校に忍び込み、ラジオの気象放送を聞きながら雪が降るのを待っている。宿直の教師の目をかいくぐり、理科室の備品を使ってふざけ合ったりする、一度だけの短い冒険を描く。

 樫野シリーズを追ってきた側からすると意外だが、ギャグはまったくない。冬の夜のしっとりとした雰囲気が全体を覆い、細部まで描かれた理科室の備品それ自体が放つノスタルジーとストーリー・舞台設定の青春演劇っぽさが際立っている。工業製品を細部までイラストで再現するというスタイルは見富拓哉ワークスでは一貫して重視されている部分であり、それが物語のテイストと一致していることが今作の魅力になっている。作劇や設定の演劇っぽさはのちの作品になるほどに見られなくなっていくが、彼岸泥棒時代の作品はむしろこの系統のほうが多い。

 なお、作中に出てくる新聞の広告欄には「双子座は最下位」や「けむりとほこり」といったのちの活動で登場する文字列が見出せる。

 

 「よそ見ばかりしていると幽霊と目が合う」(2009年5月)

 COMITIA88にて発表。

 女子高生のマミヤユウコはある日、学校の下駄箱に入っている手紙を受け取る。封筒のなかには下着姿の自分が映っている。犯人は写真部部長のヤスハラかと思いきや、そのヤスハラから写真がカメラ目線になっていることを指摘される。ユウコに撮られた覚えはない。「幽霊と目でも合ったのかな……」ユウコは父の遺品のしゃべる露出計とともに犯人探しに乗り出す。

 一言でいえば、学園エロコメディ。鉄道模型やカメラといった物品の細部を描くスタイルは「理科室の雪」と一貫しているが、こちらは終始高いテンションで物語が進む。テイストがエロコメとギャグなのでわかりづらいが、心霊探偵ものでシンプルだが謎解きの要素もあり、ストーリーとして読ませる。

 こちらの作中に出てくるポスターにも「双子座は最下位」の文字列があり、作者にとって思い入れのあるワードであったことが察せられる。また、この「よそ見~」と前作にあたる「ヨックモックの花束」では表紙が岩波文庫のパロディになっている。本作は岩波青。

 

「ヨックモックの花束」(2008年8月)

 COMITIA85にて発表。英題は”A perfect day for JOKKMOKK”。

 男が車で轢いてしまった相手の女の子を口説きつづける、というラブ・ストーリィ。会社に勤めている男が女の子をドライブに連れていき告白することを14pと短いなかで描く。本作にははじめて読んだ読者をうまく引っかける仕掛けがなされていて、それによって忘れられない味を与えてくれる。ヨックモックおいしいよね。

 表現の特徴としては今作のみ登場人物の黒髪をカケアミで表現しており、実作を通して絵柄の模索をしていた時期と推察できる(「よそ見~」の髪は斜線で、「理科室の雪」では黒ベタに落ち着く)。なお、作中に出てくる貼り紙にも「双子座は最下位」という文字列が確認できる。本作のパロディは岩波緑。色の選定基準は不明。

 

「バイタルサイン」(2008年5月)

 COMITIA84にて発表。

 私はあるとき、自分が死んでいることに気づく。彼岸では煙の絶えない火葬場でアルバイトをし、アパートに居候させてもらっている。けれども此岸にいたころの記憶は思い出せない。「何かすごく大事なこと忘れている気がする」。オフビートなテンポで語られる死後の体験。

 死後のバイト先でも給与所得控除の書類やタイムカードがあったりとこちら側(此岸)に似たり寄ったりであるところが笑いどころだが、とある作品と類似してしまったあたり(詳細は後述する)、作者のセンスがうかがえる。唐突に出てくる「絶対押すな」ボタンはのちの作品でも似たような演出として変奏されている点が興味深い。重い話になってしまうところを最後の最後で救う展開になっていて、温かな読後感を残す。

 

『「3」とその他の原稿』(2008年2月)

 COMITIA83にて発表。

 もともと発表するはずの作品が間に合わなかったため、3ページの新刊落ちましたコピー誌とその前後にウェブで発表した1ページ漫画群を合わせたもの。「新刊がおちる瞬間を はじめてみてしまった まいったな」*2

「3」に登場する新刊が落ちたことに「嘘つき…」と泣いている女の子はおそらく「バイタルサイン」の”私”と思われる。スカートの色は違うものの、カーディガンやリボンはおなじ。この時点ですでに構想はあったと思われる。また、作者の分身は樫野ではなく顔面が鳥かごになっている人間で、後半の1ページ漫画群になってからようやく樫野らしき存在(まだ名前はついていない)が登場する。コマ割りについては、1コマ目を白抜きにしていることなど、樫野シリーズの形式の原型を見ることができる。

 1ページ漫画には『アオイホノオ』の焔燃らしき人物(おそらく見富拓哉本人)が『それでも町は廻っている』2巻を読んで自作「バイタルサイン」との類似点に気づき、匿名掲示板に「彼岸泥棒の新刊 それ町のパクりじゃね?」と書き込むことで自サイトへのアクセス数を大量に稼ぐという回がある*3

 

「斬新すぎるラヴ」(2007年11月)

 COMITIA82にて発表。英題は”The Last Frontier”。

 夜の路上に寝ている少女に男が声をかけ、そのまま夢で犬を殺すことについて語り合う、というこれといったストーリーはない8p漫画。確認できるかぎり最古の作品。タイトルと作品内容に深い関連性はない。

 薄幸そうな少女が一息に語りつづける姿はどこか殺伐としていて、絵柄も含め現在とはだいぶ離れている作風。しかし夜のしんとした雰囲気はこの頃から得意としているし、会話劇に関しても気のきいた台詞を入れようと意識していた節があり、この方向性を一作ずつ深めていく前の姿が見てとれる。

 また、多くのウェブサイトでは2008年から彼岸泥棒として活動していたことが記載されているが、『エラッタ』によれば本作は2007年の発表となっている。どちらが時系列として正しいのかは不明*4

 

「Bのてほどき」(2010年2月~4月)

 『QUICK JAPAN』vol.88~90に掲載。10p×3回の短期集中連載。

  公太郎は数年ぶりにフーコと再会する。ボタンに対するトラウマ(恐怖症)を抱えている公太郎は学生時代付き合っていたフーコとBをおこなうところでブラウスのほつれたボタンを見てしまい、その先に進むことができなかった。数年ぶりに会い、酔ったふたりはラブホテルに向かう。公太郎はボタンを外すことができるのか。そしてふたりの「Bのてほどき」がはじまる。

 工業製品に対するまなざしはやはり本作でもしっかり存在しているようで、第二話(第2ボタン)ではボタン工場が登場する。また同時に、作者の生活圏にあるものを意識的に描こうとする態度は今作の時期から垣間見えてくる。喫茶室「ノレノアーノレ」*5やチャッカマンを使って煙草に火をつける行為、ワンカップ酒。どれも些細なアイテムであるが、キャラクターの存在を現実のわたしたちと紐づけることに貢献している。

 短いページでの連載だったためストーリーそのものに複雑さはないものの、彼岸泥棒時代から深めてきた作風(キャラクターの日常芝居動作、工業製品へのまなざし、突飛な設定、コメディ、愛)を一作ですべて賄っている。見富拓哉が見富拓哉として本格始動したことを告げる一作。

 

「ゆうとねおのコンテク!」(2010年6月~)

 コンテクチュアズ友の会*6会報『しそちず!』#6から掲載。のちにリニューアルした『ゲンロンエトセトラ』に移籍。連載終了時期不明。

 冊子のクローズドな流通事情により筆者は手に入れることができなかったが、しそ卯の看板メニュー「構造と力うどん」というギャグが存在している情報だけはネットの海で拾うことができた。このアクセルの吹かし方は間違いなく見富拓哉イズム。

 

「双子座は最下位」(2010年10月)

電撃大王GENESIS (ジェネシス) 2010年 12月号 [雑誌]

電撃大王GENESIS (ジェネシス) 2010年 12月号 [雑誌]

  • 発売日: 2010/10/19
  • メディア: 雑誌
 

 電撃大王GENESIS』 2010 AUTUMN(12月号) に掲載。読み切り。

 少女が憧れの先輩に告白しようと思い立ったその日、テレビの占いコーナーで双子座の運勢は最下位に。椅子の脚が折れる、鳥に朝食をもっていかれる、毛虫に襲われる、彼女に襲いかかる苦難は数知れず。彼女は無事に先輩に告白できるのか。「魅惑のアンラッキー・コメディ」。

「よそ見~」以来のハイテンション(?)な作品。『エラッタ』では「よそ見~」の経験が「双子座」の執筆に生かされたと語られているが、むしろその方向に親和性があり生かされたのは樫野シリーズの身もふたもない日常風景をそのまま描いてみせるセンスで、それによって「双子座」は見富拓哉にしか描けないポップでシュールな味に昇華されている。とりわけ全ページにわたって登場する視覚的にもにぎやかな擬音の数々は以降の見富コメディ漫画における特徴のひとつであるとじゅうぶんにいえる。

 なお、作中の登場人物が読んでいる雑誌の広告欄にある「ASAHIKAWA DENKI KIDŌ」の文字は「よそ見~」に登場するポスターにも描かれている。

 

スカート『ストーリー』CDジャケット(2011年12月)

ストーリー

ストーリー

  • アーティスト:スカート
  • 発売日: 2011/12/15
  • メディア: CD
 

 澤部渡による音楽ソロプロジェクト、スカートのCDジャケット。

 イラストレーター・見富拓哉ワークスとしては最も知られている作品のひとつ。見富らしく細部まで描き込まれた工業製品たちが箱のなかをひっくり返したかのように飛んでいるのが最大の特徴。さりげなく快楽天も描かれている*7

 本作は見富拓哉について考えるうえでは欠かせない立ち位置にある。というのも描かれているものがみな作者の興味関心のなかにあり、それらのイラストはいわば意識の標本としての役目を果たしている、ように思われるためだ。今作の時点において、煙草、歯ブラシ、錠剤といった生活用品の横溢はあくまでジャケットの意匠としての要素しか持たないが、のちの作品においてそれらの物品たちはキャラクターの持つ生活感や実在感、つまり生々しさとして機能するように変化していく。

「Bのてほどき」でのチャッカマンの使われ方や「理科室の雪」に登場する備品たちが細部まで描かれたことで物語に質感と奥行きを与えていたことを思い出してほしい。見富は今後、その日用品の持っているイラストとしての強度をさらに高めていく。

 その意味で、このジャケットイラストはいわばのちに発展をみせていく見富ワークスの里程標として見ることができる*8

 また、このイラストはCDが版を重ねるごとに描かれている物品が追加される仕様(!)で、ファンのあいだでは改版ごとになにが増えたかを調べるのがひそかな楽しみとなっている。見富のツイートでは、2016年の時点で5版とのこと。ジャケットの全体像もツイートの投稿から確認することができる。

  スカートとの交流はかなり深いものになっているらしく、これ以降も主催イベントのフライヤーやコミティアで頒布したCDのジャケットイラストを担当している。後述する漫画の題材にもなる。

 以下はその仕事を列挙したもの。

スカート『ストーリー』 /発売告知フライヤー 装画・デザイン 2011年 12月15日... - a new swimsuit(2011年)

スカート Presens 第三回 月光密造の夜 /フライヤーイラストレーション(デザイン 森敬太) ... - a new swimsuit(2012年)

スカート Live At Shibuya WWW “月光密造の夜” /装画, デザイン,... - a new swimsuit

(2012年)

スカート Presents 第四回月光密造の夜 於 Shibuya WWW 2013年... - a new swimsuit(2013年)

COMITIA 104 : スカート オフィシャルサイト(2013年)

スカート Presents 出張版 月光密造の夜 /フライヤーイラストレーション(デザイン 森敬太)... - a new swimsuit(2014年)

http://natalie.mu/comic/news/141129 - a new swimsuit(2015年)

スカート、ミツメ、トリプルファイヤーがカバーし合う限定コンピ『密造盤』 - 音楽ニュース : CINRA.NET(2017年)

COMITIA 99 – 106 : スカート オフィシャルサイト*9(2017年)

  

じん「日本橋高架下R計画」MV(2012年4月)

vimeo.com

  2012年4月にニコニコ動画で発表された楽曲のMV。見富拓哉は絵コンテと演出を担当した。キャラクターデザインはのちの文尾文(当時の名義はname)。監督は細金卓矢(アニメ『四畳半神話大系』のED製作に参加など)。

 一分半にも満たない映像のなかに、これでもかと視覚的なアイデアが詰められている驚異的な一作。どこまでが細金のディレクションの賜物なのかはわからないが、映像的に気持ちのよいタイミングで映えるものをひたすらに展開しつづける、というのは細金側の持ち味と思われる。具体的な作例としてはUGUISU on Vimeo*10。インタビューでも細金は「テンポやリズム感は僕が最初にタイミングを切っています。」と発言している*11

 といっても見富拓哉の作風がディレクションによって損なわれているというわけではなく、冷蔵庫のなかから撮ったような構図は「よそ見~」にも登場していたし、全体的に「モラトリアムファンタジーⅣ」に見られた無秩序なギャグのテンポがそのまま映像になっているという印象がある。見富の得意としているヴィジュアル的なアイデアと引用センスの要素がMVという形式でいかんなく発揮されたのが今作といえるのではないか。くり返し見ずにはいられない、という点で素晴らしい出来。

 

【追記】「ポストテリテカ繁盛記」(2012年5月)

 COMITIA100にて発表。テスカトリポカ出版「黒の太陽」52号に掲載。4コマ。2p二色刷り。テスカトリポカ出版 - 黒の太陽<52号>の紹介ページでは「テスカトリポカ繁盛記」となっているが、作品本文では「ポストテリテカ繁盛記」。

 4コマ×3話と短いが、ひさびさの樫野登場による近況漫画となっている。どの回でも樫野は睡魔に襲われるか、自ら睡眠することを選択するというくり返しネタが効いている。樫野漫画のゆるくもクスリと笑えるテンションは相変わらずで、「おはり」の文字も見出せる。イラストでない見富ワークスとしては二色刷りはめずらしく、その点でも目にあたらしい感触がある。二色刷り版ではないものの、一部抜粋が黒の太陽 52号『ポスカテリテカ繁盛記』より - a new swimsuitで読める。

 

追記あり】「バンドをやってる友達/Nearly Equal」(2012年5月)

 COMITIA100にて発表。サークル「新しい水着」名義での活動? 見富拓哉/彼岸泥棒名義(2019年第三刷時点にて確認)。現在入手不可。

 筆者は入手していないので詳細は不明だが、音楽マンガガイドブック (音楽マンガを聴き尽くせ)で紹介されているとかいないとか。まるで見富拓哉本人のような僕とスカートなようなバンド「スパッツ」のワタナベ君との交流を描いたものらしい。おそらく見富にとってもメモリアルな一作で、界隈では傑作との呼び声が高い。情報求ム!

【追記】

 かなりミニマルでシリアスな作品。見富漫画としては例外的に、表紙以外には女の子は主要キャラとして登場しない。「僕」と「ワタナベ君」のふたりの話だけで物語は完結している。

 詳しい経緯は覚えていないものの、バンドマンのワタナベくんと知り合った僕は漫画の話(マイナー月刊誌からロリコン成年漫画まで)で意気投合するようになり、互いの作品や活動を介して親しく付き合うようになる。しかしあるときからその関係が前提していたものに僕は気づくようになり、やがてその前提が崩れたとき、ふたりは関わらなくなってしまう、といった苦味を伴うお話。

 現在のスカート澤部氏の活動を予言するかのような内容と、それと対比されるように畳みかける後半の鬱屈したモノローグが痛々しく響く構成になっている。そうまで読者を痛く感じさせてしまうのは、おそらく前半部のエロ漫画談義のディティールがあるからで(彼らふたりはエロ漫画家の関谷や宮内(由香?)の話をあたりまえのように楽しく交わす)、そのような優しい関係を後半部の黒塗りのコマと言葉が圧倒する。そしてそれが過ぎ去ったとき、またひとときの優しい時間が流れ出し、しずかな余韻を残す。

 前半部の見どころはほかにもあり、なによりワタナベ君がバンドでステージに立っているところを目撃する一連の流れがその筆頭であるものの、そのあとのふたりの「前提」に気づく瞬間のコマに意図的に置かれている「空白」と「影」が強烈な説得力で読者を打つ上手さがある。そういう点で、今作はかなりシンプルな絵にもかかわらず技巧が凝らされている。

 とはいえ本作は決して例外作というわけでなく、見富ワークスではおなじみの「ルノアール」が登場しているし、「スパッツ」がライヴで共演している「喪中キッズ」「亀と万次郎」はそれぞれ見富がフライヤー「月光密造の夜」を手掛けたさいの共演者「昆虫キッズ」と「カメラ=万年筆」のもじりだったりする。ギターケースを背負ったワタナベ君が「COMIC ZIN」の袋を持っていたりするのもモデルの人物の細部を知っているがゆえの描写であろうし、全編に渡り、見富の観察者としての側面がそのまま漫画になっていることを改めて理解できる出来となっている。佳品。

 

人類は衰退しました のんびりした報告』(2012年7月) 

人類は衰退しました のんびりした報告 (IKKI COMIX)

人類は衰退しました のんびりした報告 (IKKI COMIX)

  • 作者:見富 拓哉
  • 発売日: 2012/07/30
  • メディア: コミック
 

  初出は月刊『IKKI』2012年1月~2月号、4~7月号。田中ロミオ原作。電子版有。

  見富拓哉唯一の刊行された著作。アニメ放送のタイミングで刊行されていたため、知っている人も多いのではないか。見富作品では最も手に入れやすく、流通している作品。

 未来、科学技術を失ってしまった人類の代わりに新しい人類(妖精さん)が台頭し、ふたつの人類の橋渡し役、すなわち調停官として仕事をする「わたし」の物語が描かれる。

 原作付きのコミカライズであるが、巻末の原作者コメントを読む限り、ストーリーはすべてオリジナルと思われる。妖精さんのデザインもアニメとは違う独自のもので、原作の持つひっちゃかめっちゃかなテンションではなく、オフビートでささやかで、すこしふしぎな日常が展開されるのが最大の特徴。それでいて見富らしい品々へのまなざしがじゅうぶんに楽しめる作品になっている。文明崩壊後のどこか寂寥感のある風景と見富の絵柄の相性がよいことを示したという点でも歴史的に重要だと思われ、この絵そのものの持っている雰囲気が読者につよい印象を与えるという点では、次作「うっかり寝過ごして月へ」が最小の労力で最大の効果を発揮している。

 物理書籍版にはとある仕掛けがあって、穴あきになっている表紙カバーをはずし、反対向きに(本体裏表紙を表紙カバーのタイトル側で)覆いなおすとメッセージが浮かび上がるようになっている。遊び心満載の本であるが、この仕掛けを知っている人はなぜかすくない。

 また、巻末には執筆でグロッキー状態になったと思われる樫野が描かれている。

 

【追記】『けいおん! college』おまけリーフレット(2012年9月)

 COMIC ZINの特典として配布。詳細はCOMIC ZIN -コミック・書籍インフォメーション-に。見富は4pのうち1pを担当。

「モラトリアムファンタジーⅣ」でもゲスト登場(?)していた中野梓をフィーチャーした『college』&『highschool』宣伝ギャグ漫画。バラエティ番組のノリを使うことにより(たぶん)お気に入りのキャラを水着姿に変える&可哀想な目に合わせるマジックがたった1pでありながら光っている。現在ではすっかりあずにゃんの持ちネタというかネットミームになってしまった「やってやるです」の言葉を流用したりと愛が細かい。

 

「うっかり寝過ごして月へ/replicable anxiety」(2012年11月)

newswimsuit.jp COMITIA102にて発表。サークル「新しい水着」名義。見富の同人活動では唯一ネット上で閲覧することができる作品(上記のTumblrから読めるので読んでいただきたい)。

 終始にわたって次の一瞬が予測できない見富イズムで構成されているのだが、しかしそれだけではない。以前の作品ではギャグとして使われていた○○(「だめ!!!! それ以上口にしたら……」)がたしかな描写としてそこに合致することでふたつとない味わいを残すかたちに昇華されている。初期作から一貫している夜のしんとした雰囲気も堂に入った様子で備わっており、間違いなく2012年における見富作品の達成点であり、まぎれもない傑作。

 再度いいますが、説明文を読んで本編を読んでない人は上記のTumblrから読んでください。

 

「おどろきもものきアインクラッド!」(2013年2月)

 『4コマ公式アンソロジー ソードアートオンライン②』に収録。8p。

 原作にあたる川原礫『SAO』を読むか見るかしていなければまったく内容がわからないので注意。内容としてはアインクラッド編が中心。

 ギャグメインの4コマだが、ここにもはっきりと見富イズムが息づいている。武器と関係のない謎のアイテムばかり鍛冶錬成するリズは前作「うっかり寝過ごして月へ」のハンバーガーのくだりを思い起こさせ、見富にしてはめずらしく複数回にわたり天丼が使われているのが特徴。アンソロジー参加作品のため見過ごされがちだが、見富流に可愛くデフォルメされたキャラクターばかり読むことができるという点で貴重な一作。

 

「かわ・いい・きもち」(2013年5月)

www.melonbooks.co.jp

 COMITIA104にて発表。サークル「新しい水着」花森川瀬名義。For Adult Only 現在入手不可。

  雨の日の翌日、エロ本を探す少年たちの前に河童が現れる。河童はなぜかスクール水着を着た女の子の姿をしていて、少年たちと相撲をすることで尻子玉を出そうとする。運が悪ければ死ぬかもしれない相撲に、少年は挑むこととなる。

 おそらく見富初の成年向け作品で、内容としては表紙から想像できることがだいたい描かれている。そういう意味では王道のエロかもしれない。素人目にも気合いを入れている作品ということが伝わってくる出来で、見富の作風がこちらの分野でも花開いていたということを知るうえでは資料的価値もある一冊。

 

追記あり】『世界は制服でできている』(2013年6月~)

 アオハルオンラインに掲載*12。しかし、3話まで連載されたところで掲載誌が廃刊。ページも消失したため、2020年現在閲覧不可。廃刊後に作者がPDFデータを配布していた気がするが、筆者の記憶違いかもしれない。名実ともに幻の作品となった。

 詳細は見富拓哉の制服コメディ、アオハルオンラインで公開 - コミックナタリーに。制服を欲しがるダメ男とその手の人々に人気の制服を着ている女の子の織り成すコメディで、話が広がっていく前に連載が終了してしまったという記憶がある。作者の興味・関心(あるいはフェティシズムか)が漫画のテーマにここまで前景化することはこれまでになく、作者としては本領を発揮する、あるいは新境地に至ることのできる題材だったはすなのだが、それ以上の細部は2020年の筆者には思い出せない。ごめん、みんな――。

  アオハルは10年代前半、ジャンプレーベルでありながら位置原光Z山田穣、ソウマトウ、三島芳治といった漫画家を抱えて稀有にとがっていた雑誌で、その連載がどうにか終わったりまとまって刊行されたりしたのち一部は楽園へ向かい、トーチで日々の糧を得、エロ名義に戻るなどした。いまではソウマトウが残るばかりである。いやそんなことはないけど、うさくんとか室井大資とかいたし、うぐいす祥子も。たしかにラインナップはすごかったけどほんとなんだったんだろうね……。不思議な雑誌だった……。

【追記】

 清涼院学園の理事長の血縁である穂波智恵は不良になって退学になることを決意する(具体的には学校帰りにゲーセンに寄ったりバーガーショップで買い食いしたりするなど)。一方、昼間からブルセラショップで制服を買いあさっている塾講師の男・牧。このふたりが出会い、制服にジュースをこぼすことから物語ははじまる。

 物語はその冒頭が描かれたのみで途絶してしまったが、見富流のノンストップ系ギャグと会話のおかしみにあふれている(会計支払いを「実弾? エネルギー弾?」と聞かれて「オ…オーラパワーで」ビビビ…と12回払いするなど)。

 作品本体ではなく周辺の事情から結果的に見富の代表作とはならなかったものの、題材からして、決してほかの作家には描かれることのない領域に向かっていた漫画だったのではないか、と思わずにはいられない作品。

 

「それを脱ぐなんてとんでもない!」(2013年8月)

 COMITIA105にて発表。サークル「新しい水着」花森川瀬名義。For Adult Only 現在入手不可。

 田舎の防具屋で布切れ装備を手に入れた女の子たち(バニーガール姿とマイクロビキニ姿)が可愛そうな目に合う話で、わざわざ彼女らに年齢を発言させているあたり、作者のつよいこだわりが感じられる。

 女の子たちが男に殴られ捕まるところで「というようなマンガになる筈だったのですが諸般の事情よりダイジェストでお楽しみください」という「●お詫びとお知らせ●」が挿入され、以降はイラストに台詞を入れた形式でストーリーが進む。途中のコマにも「絵が入る予定のコマでしたが諸般の事情により空白となりました。左ページと合わせてメモ欄としてご利用ください。」と「●お詫びとお知らせ●」が挿入されており、性描写とともに謎の「-memo-」コーナーがあるという不思議な味わい。しかし諸般の事情でさえも見富イズムによって装飾することができることには驚かされる。

 ゲスト2pははら(pcp.hara - pixiv)。こちらでもビキニ姿が描かれている。サークル「新しい水着」の追究しようとした方向性がうかがえる。

  

「それをすてるなんてとんでもない!」(2014年10月)

コミック電撃だいおうじ vol.14 2014年 12月号 [雑誌]

コミック電撃だいおうじ vol.14 2014年 12月号 [雑誌]

  • 発売日: 2014/10/27
  • メディア: 雑誌
 

 『コミック電撃だいおうじ』vol.14 2014年12月号に掲載。読み切り。

 読んだはずだが、保存していたものが見つからないので詳しいレヴューは省きます。ごめん、みんな――。

 詳細は見富拓哉、だいおうじでゲーム女子ダラダラ話 - コミックナタリーに。女の子たちの可愛らしくダメダメな日常を切り取ったコメディになっていた記憶で、見富が掲載誌の色を解釈したことで生まれた作品という印象だった。

 見富拓哉としての商業活動は、おそらく本作を以ていったん終了し、以降は「新しい水着/けむりとほこり」名義での同人活動期となる。その主な活動場所は『アイカツ!』の二次創作である。

 

「AM2:00 / Girls Talk About」(2015年2月)

kemhok.fanbox.cc

 芸能人はカードが命!6(アイカツ!シリーズオンリーイベント)にて発表。サークル「新しい水着」けむほこ・花森川瀬名義。コピー誌。現在はpixivFANBOXにてデータ入手可(月額540円~のプラン)。

 深夜、学生寮のランドリーで霧矢あおいが洗濯をしていると、そこに星宮いちごがやってきて、さらに紫吹蘭が合流する。洗濯物が乾くまでのあいだ、三人は学校の敷地を出て、どん兵衛を求めコンビニへ向かう。

 夜という見富拓哉が得意としている世界を、二次創作でも雰囲気たっぷりに描いている。しかし以前の作品にあった寂寥感はまったくといってよいほどになくなっている。これまでの作品であれば黒ベタで済ませられていたであろう夜空には白が散り、星の瞬きが見えている。これはアニメ本編でも印象的に星が描写されていたためか。

 本作が特徴的である点は、二次創作というかたちを取っているため、コメディでもシリアスでもない、キャラクターのなにげない日常風景を切り取っているというところにあるかもしれない。そこでは物語の目的といったものはなく、作者の筆もどこかその自由さを楽しんでいるようでさえある。

 ここにおいて、見富の漫画はキャラクターの存在そのものを楽しむという二次創作の精神に貫かれている。洗剤や柔軟剤、インスタント麺のパッケージが丁寧に描かれ、その世界の実在性を高めている点はこれまでの見富作品と変わらないが、しかしそれが見富本人によるものでないキャラクターの存在に奉仕していることで、また違った印象を与えている。

 また、こうした二次創作を通して検討されていくキャラクターの存在に対する距離感は、以降、意図したかどうかは定かでないが、見富がより深めていく表現となっていく。

 

「いい日 / SlowRider」(2015年7月)

kemhok.fanbox.cc

 芸能人はカードが命!7で発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。コピー誌。現在はpixivFANBOXにてデータ入手可(月額540円~のプラン)。

 霧矢あおいが仕事を休み、総武線の各駅停車に乗り、星宮いちごと紫吹蘭と会い、三人で市ヶ谷の釣り堀に行き、すしざんまいに行く話。

「AM2:00 / Girls Talk About」で語られていた「ユリカちゃんが献血行ったときの話」をここでも星宮いちごがしていることから、前作とつながっている話と思われる。前半部分を占める霧矢あおいのモノローグはどこか寂しげだが達観している部分があるのが印象的で、それがソレイユ*13のメンバーであるふたりの登場によって崩される。結果的にそれが「いい日」という肯定に向かうことが素晴らしい。ソレイユはやっぱ三人であることが大事なんだよな……(輝きに包まれながら)。

 作者の周縁部を漫画として表現していく見富拓哉ワークスとしては、キャラクターと「中央線の快速」や「総武線」といった固有名詞がつながりを持っていることが独特の感触を生んでおり、これはおそらく東京住まいであればより効果的に響く描写であると思われる。

 

追記あり】「たびのしたくEP. /Cantrip」(2015年10月)

 芸能人はカードが命!8で発表? サークル「けむりとほこり」名義。コピー誌。現在入手不可。

 情報皆無!急募!情報提供者!

【追記】

 海外の旅行番組を見たソレイユが旅行をしようとする。でもお話は準備段階だけ! というコンセプトの漫画。しかし原稿が間に合わなかったのかどうなのか、途中で途絶しており、描けた部分まで掲載している。とはいえ次回の芸カで旅行漫画になった経緯を含めるとオチがつくというか、予言的で面白い。相変わらず仲の良いソレイユが見れるのでうれしい。おなじみのルノアールも登場して二倍うれしい。

 ゲストはたけし(竹原)(たけし (@chikuchikusuru) | Twitter)、今後(いまご (@imago108) | Twitter)、LM7(LM7(@__LM7__)さん | Twitter)。

 

「exotica」(2016年2月)

www.melonbooks.co.jp

 芸能人はカードが命!9にて発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。現在はexotica|けむほこ/見富拓哉|pixivFANBOXでデータ入手可(月額1080円~のプラン)。

  見富本人の香港旅行経験をソレイユ三人の旅行として描く4コマ漫画。現地に行った人間でないと絶対にできない話に満ちており、しかしそれがアイカツのキャラクターを通して語られるのがどこか楽しい。

 4コマ漫画はおそらく『SAO』アンソロジー以来となるが、ページ数の制限などがないためか、旅のしたくからはじまっていくという余裕のあるつくりでじっくり読ませる。話が4コマ1セットで完結せず、複数の4コマを通して大きなストーリーが語られていく、というスタイルはまんがタイムきらら以降世代のわたしたちにとってはあたりまえのことであるが、驚くべきはそのスタイルを見富が学習し、高いクオリティで提出していることではないか。

 今作では、たんに個々のエピソードの具体性だけでなく、雑誌であれば扉イラストにあたる部分が幾度となく描かれている。見富が得意とする細密かつポップなイラストが舞台となる香港の風景を描写することに活かされ、それによってストーリーや舞台を魅力的に提示することに成功している。つまり、連載4コマの形式を作者が自覚して効果的に利用している。

 二次創作というキャラクターのバックボーンが存在する分野ではあるものの、タイトルの通りエキゾチックな内容もじゅうぶんにあるためか、「女の子たちが香港旅行をしてくる話」として原作を知らずとも読むことのできる作品になっている。

 

【追記】無題(芸カ9フリーペーパー)(2016年2月)

 芸能人はカードが命!9にて発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。現在入手不可。

「exotica」発表と同じイベント内で配布した無料ペーパー。「健全なまんがを描いた反動で急にスケベ絵が描きたくなったので」という言葉の通り、えっちな霧矢あおいちゃんのイラストが数点描かれている。ふつうに18禁イラストなので注意が必要だが、後述のイラスト集にも収録されておらず、会場でサークルを訪れた人のみが手に入れることのできたという点で貴重な作品。

 

「a girl like you 森へ往く方法/森から出る方法」(2016年12月)

www.melonbooks.co.jp

 コミックマーケット91にて発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。現在は

a girl like you [Delux Edition]|けむほこ/見富拓哉|pixivFANBOXでデータ入手可(月額540円~のプラン)。

「森へ往く方法」と「森から出る方法」の2話構成。同人誌の扉にあたるページには「君が本当に 消えて いなくなって しまう前に」という強烈な言葉が配されており、各話の前にはポップソングのような歌詞が置かれている。歌詞のなかで語られる「森」や何度でも繰り返すことのできる「夏のレプリカ」「不出来な冬のデュープ」といった言葉はそのまま本編のなかで見えないテーマとして重なっていく。

 物語としては大きなイベントはない。「けむ」と呼ばれる男(不在票には「けむほこ」様と書かれている)と彼と一緒に暮らしている女の子のささやかな生活風景がゆったりと語られていく。彼らは同棲しているらしく、お互いにべつべつの銘柄の煙草を吸い、夜中に洗濯機を回したりする。女の子のほうは飲んでいた酒類の容器を捨てずにため込み、ロゼット洗顔パスタで顔を洗い、メディキュットで脚をシュっとさせようとし、日高屋でビールを飲む。

 しかし、そのような生活描写とは反対に、本作は喪失をめぐる物語として描かれている。「森へ往く方法」の冒頭部は次のようなモノローグで成り立っている。

 私たちは

 冬になると 夏の暑さなんて 忘れてしまって

 夏服を仕舞い込んで 厚手のセーターを 引っ張り出すみたいに

 新しく作られた 細胞組織たちが 少しずつ傷跡を 覆い隠していくように

 そのうちきっと 何を思い出しても 何も感じなくなってしまう

 そういう 生き物なので――

 TVアニメーションアイカツ!』は全178話と劇場版からなり、2016年3月にその本放送を終えた。次週以降、同時間帯ではキャラクターや設定を一新した『アイカツスターズ!』が放送された。

 2016年夏に公開された『劇場版アイカツスターズ!』と同時上映された『アイカツ!~ねらわれた魔法のアイカツ!カード~』において無印アイカツのキャラクターはおよそ30分間のカムバックを果たしたが、2016年当時、アプリゲーム『アイカツ!フォトonステージ!!』*14を除いて、キャラクターたちの現在進行形での動向を知ることはできなくなった。

「a girl like you」に登場する女の子は『アイカツ!』の登場キャラクター、霧矢あおいちゃんによく似ている。シュシュでまとめた癖のある髪をサイドテールにしているその特徴的なスタイルは、まあ実質的に霧矢あおいちゃんなのであるが、しかし、彼女の名前は作中で明確に一度も呼ばれることはない。「森から出る方法」では、けむから受けた電話に対し、「彼女」はこう答える。

「え? 何言ってんの?

 どっかってどこ? うーん?

 うん うん

 大丈夫だって どこにも行かないから」

  そしてモノローグは「あの森」について語り、締めくくられる。「そしてその森は 多分きっと―― 少しだけ 君に似ている」。本作は見富拓哉と『アイカツ!』、そしてやがて失っていくであろう季節、森、なにより「君」とのパーソナルな領域に踏み込んだ一作といえる。

 また、本作で女の子が着ているコートは彼岸泥棒時代の作品「斬新すぎるラヴ」やクイック・ジャパンの連載「Bのてほどき」でそれぞれヒロインが着ていたBarbourのオイルドコートとデザインが酷似している。自分、泣いていいすか。

 

【追記】unmade Bed 森へ続く道の途中で(2017年2月)

 芸能人はカードが命!12にて発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。会場限定(在庫状態は不明)。

 見富曰く、「a girl like you volume1.1」*15。芸カ13ではキット販売だったらしく、Tumblra new swimsuit)で製本の手順が指示されている。完成図は以下のリンクのようなイメージ。読めるページの裏側に大きなソレイユの水着イラストが載っている。

「a girl like you」シリーズのナンバリングじたいはこれがはじめてで、同人誌本体にはナンバリングの記載はないものの、表紙のデザインや霧矢あおいちゃんのイラストの背景に言葉たちが並ぶイラストなど、前作からの一貫性を保っている。見富の身辺を彩るアイテムや、あおいちゃんが着ているお鍋のニットへの言及をはじめ、コートがBarbourであることなどが明確に記されており(やっぱりそうだった!)、シリーズの裏話的な側面がつよい。ここで描かれているイラストは、後述のイラスト集への収録が見送られているため、本作でしか見ることができないので貴重である。

 タイトルの「森へ続く道の途中で」は菊地成孔のユニットSPANK HAPPYの同名曲からか。各位できれば歌詞を検索していただきたいところ。

 

「K/M/H/K ILLustrations late 2014 - early 2018(a girl like you 1 3/5)」(2018年3月)

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 芸能人はカードが命!15にて発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。現在入手不可だが、収録イラストの多くはa new swimsuit: Archiveから見ることができる。

 タイトルの通り、カラーイラスト集。すべて無印『アイカツ!』のイラストで構成されており*16、前作「a girl like you」と関連したタイトルからもわかる通り、その大部は霧矢あおいのイラストで占められている。

 見富拓哉の興味・関心が一貫していると感じられるのは霧矢あおいのブルマや下着、水着姿が描かれていることで、その一部は「ワイレア出版の思い出①~③」と題されている。アダルトな出版社のため検索しようと思ったひとは注意。ほかにもサークル名とおなじタイトルの「新しい水着」というスクール水着姿の霧矢あおいなどがあり、見富は彼女をある種のミューズとして捉えていたのではないか、とも勘繰ることもできる。

 同人イラスト本としてはめずらしくレイアウトがかなり凝られており、単純にイラストを切り貼りしたのではない点で目に楽しい、満足度の高い一冊。塀先生の名著「MAISON HEY 2016 Resort」*17と並べてお仏壇に飾ろう。

 

「覚えのない不在票/誤配を待つ怪文書(a girl like you, volume 1.96)」(2018年7月)

 芸能人はカードが命!16にて発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ(見冨拓哉)名義。現在、画像データは20180803/怪文書|けむほこ/見富拓哉|pixivFANBOXで閲覧することができる(aiデータは月額540円~のプラン)。

 アイカツ二次創作の名を借りた見富による怪文書もとい身辺雑記。実質的なお詫びペーパー。文脈的に刊行当時のFANBOXの投稿を見ていないと話題についていけないつくりになっているほか、見富がツイーンピークスリターンズをWOWOWで見つつ、二次創作ではなくオリジナルを描こうとしていることがうかがえる。実質的な見富拓哉カムバックの予告編。これがどういう意味を持つかについては後述する。

 イラスト部分としてはメディキュットを着た「彼女」とサクレが描かれている。

 

 「曖昧な熱帯夜/鮮明な蜃気楼 a girl like you volume.2」(2018年11月)

www.melonbooks.co.jp

 芸能人はカードが命!18で発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。現在通販在庫あり(いつまでもあると思うな同人誌)

 けむと「彼女」の交流を描く「a girl like you」の続編。「曖昧な蜃気楼」と「鮮明な熱帯夜」の2話構成で、話のナンバリングも「3」と「4」になっている。各話の前には前作同様、見富による歌詞が並べられている。

 ツインピークスリターンズについて話すふたりからはじまるのが本作における見富のライフワーク的側面を映し出しているものの、(そして祈りは次の段階へと進む)と扉で示されているように、けむと彼女の関係も次第に、曖昧に移ろっていくことが語られる。具体的には「曖昧な熱帯夜」で友人の結婚が話題にのぼり、「鮮明な蜃気楼」では彼女の不在の予感がさらにつよまって終わる。

 2020年現在、「a girl like you」シリーズは本作が最後のナンバリング作品になっているものの、それと入れ替わるように、もうひとつの企画が動き出す。

 トーチ連載『雪が降って嬉しい』。およそ5年ぶりの、見富拓哉の商業誌へのカムバックである。

 

『雪が降って嬉しい』(2019年1月)

to-ti.in

 内容についてはじっさいにいま・ここで触れることができるコンテンツなので、読みましょう。読んでくれ。

 ウェブサイトの煽り文「私たちは、冬になれば夏の暑さなんて全部忘れてしまう生き物だ。」と本編を開いて最初のページに登場する歌詞をみればわかるように、本作はオリジナルでありながら「a girl like you」シリーズのスタイル・思想を踏襲している。0話にあたる「1 3/5月」という表記はカラーイラスト集のナンバリングとおなじであることはいうまでもない。

「何度でも繰り返すことができる ある冬の出来事について」という言葉は「森から出る方法」の歌詞「何度でも繰り返すことが できるあの夏のレプリカと」という部分と呼応している。そこで触れられるのは思い出であり、やがて喪失してしまうなにかに触れることそのものでもある。

「だから私はそれを 書き留めておかなくては いけないと思ったんだ」で締められる言葉の通り、背景の描き込みは見富作品史上、もっとも細密になっている。これまで作者が高めてきた技術と熱が詰められた作品であることは間違いない。見富拓哉ワークスは、ここにきてすべての流れが合わさり、重なっている。『雪が降って嬉しい』とはそういう意味でも集大成的な作品である。

 なにしろ、本編1ページ目にラジオの音声(気象通報)を入れる演出は商業デビュー作「理科室の雪」の1ページでも使われている(!!!)。

 筆者はそれに気づいたとき泣きそうになってしまった。あの、見富拓哉がほんとうに帰ってきたんだと心から思ったからだ。「理科室の雪」について、『エラッタ』の解説では「最初の1頁が描きたかったほぼ全て」と発言していたことから、『雪が降って嬉しい』のこれは往年のファンだけにわかるカムバックの合図としてのセルフ・パロディとしてだけでなく、作者が追い求めてきたイメージを、いわば自己を更新することの宣言にも取れる。作中で楓が着ているコートのデザインも、これまでの見富ヒロインが身に着けていたものから丈が若干短いものへとリファインされている。細かなモチーフすら見逃すことができない。

 本作は不定期連載というかたちであり、2020年現在、2019年1月の0話がウェブ掲載されたのみとなっている。構想はかなり長い年月を費やされていると思われ*18、あとはあらたな見富の代表作の続きを首をながくして待つのみである。

 

おわりに

 以上を以て、彼岸泥棒a.k.a.見富拓哉(不)完全レヴューを終了する。

 わたしたちが追ってきたのは第1期~第3期までの見富拓哉である。しかし、そのあとのことについては、まだだれも知らない。けれど、きっとまだだれも見ていない第4期と呼べる流れがすぐにでも見い出されることとなるだろう。

 だからきっと、いつまでもぼくたちは待つことができるはずだ。

 夏を幾度だってどうにか過ごしてきたように。寒い冬をじっと耐えてきたように。見富の作品がふたたびやってくる瞬間を、ぼくらはきっと思い出せる。

 その再会の場所はきっと約束されたなにかでできていて、

 あの森のすがたによく似ている。

 ぼくたちはあの森へ往く方法を、道を、きっと思い出せる。

 なぜならそれを、予め知っているのだから。

 なぜならあらかじめ言葉が、明白なまでに記されているのだから。

 そこにはこう書かれている。

 そして――

 

(そして祈りは次の手順へと進む)

 

 ぼくたちが森へ向かう準備も、たったいま終わった。そう決まったのだ。

 残っているのはだから、祈りの時間だけだ。

 

補遺

 2019年の見富拓哉のカムバックはコミティアにも影響している。ティアズマガジンの表紙を見富が担当しているからだ。詳細は彼岸泥棒の見富拓哉がティアマガ表紙を執筆、たみふる、ユニのインタビュー掲載 - コミックナタリーに。読めばわかるように「双子座は最下位」の言葉もカムバックしている。

 2020年の見富の近況については、自分たちのコミティア(ドイスボランチ)の通販・購入はメロンブックス | メロンブックスの2p漫画で知ることができる。そこには歯科医姿の霧矢あおいちゃんもいる。要チェック。

 

 【追記】

 予期せぬ(ほんとうに予期していなかった!)情報提供者さまの登場を含め、最終的に2万4千字を超える長大な記事となりました。

 ここまでお付き合いいただき、ほんとうにありがとうございます。この記事を通して漫画家・イラストレーター見富拓哉を知っていただくor再評価していただく機会になれば幸甚です。なお、この記事については各位ご自由に作品目録/レファレンスに使っていただければ大変うれしく思います。それではまたいつかどこかの森でお会いしましょう。「思い出は未来のなかに 探しに行くよ約束」ですからね。

 See you next time!(完)


TVアニメ『アイカツ!』EDテーマ「カレンダーガール」ノンクレジット映像

*1:HDDが逝去するイベントは発生する。

*2:2020年現在だとわかりにくいが、羽海野チカハチミツとクローバー』のパロディになっている。

*3:「自分で読むとパクリに見えたんですが、誰からも指摘されなかったので大丈夫だったみたい。」とask.fmでコメントしているため(見富拓哉 (@kemhok) — Likes | ASKfm)、実話ではないと思われる。

*4:本レヴューでは彼岸泥棒2007年誕生説を取ることにしている。

*5:「樫野先生言行余禄」にも喫茶室ルノアールは登場している。

*6:現ゲンロン友の会

*7:sawabe on Twitter: "ストーリーのジャケで飛んでる雑誌を快楽天にするかLOにするかで見富さんと結構悩んだんですが、よりセーフな方を選んだつもりです"

*8:物品の醸し出す生活感についての模索段階作品として、レアな遺伝子を探せ / Autopoiesis - a new swimsuitをあげることもできるかもしれない。こちらにも「ASAHIKAWA DENKI KIDŌ」の文字が確認できる。世界はつながっている。

*9:けむほこ/見富拓哉 on Twitter: "久しぶりにスカートのCDジャケットを描きました。イラストからデザインまでアートワークをまるっと担当するのはストーリー以来6年(←!?)ぶり?盟友澤部渡がコミティアで密売していた手焼きCDRをまとめた総集編的な1枚です。5月6日コミティア120/う49b、何卒〜!… https://t.co/eJrvNmeSCg"

*10:スカートの澤部渡氏も入浴姿で登場し、冒頭(00:07)の赤帽の前に立っている女の子が来ているニットはのちに刊行される同人誌「a girl like you」に登場するキャラクターが着用している、という見富とも縁深い映像になっている。

*11:Vol.9 映像作家 細金卓矢さん | Adobe Illustrator 30周年記念連載 「Illustrator 30_30」 | Adobe Blog

*12:世界は制服でできている | コミック | アオハルオンライン

*13:星宮いちご、霧矢あおい、紫吹蘭の三人からなるアイドルユニットのこと。

*14:2018年7月にサービス終了。

*15:けむほこ/見富拓哉 on Twitter: "芸カ16で頒布した a girl like you (volume 1.96) 通称『怪文書』ですがこちらは volume 1.1『Unmade Bed』同様イベント頒布限定です。ゲットした人は友達に自慢しよう!中身について何かお気付きの点(新刊だと思って買ったら怪文書だった等)がございましたら暴れちゃってもいいよ… https://t.co/yzxxrnpxsp"

*16:唯一の例外として、イラスト内の雑誌の紙面に『ラブライブ!』の東條希が描かれている。

*17:#アイカツ! 芸カ10 ソ01 霧矢あおい・フルカラーイラスト本 - 塀(H3Y)のイラスト - pixiv

*18:たとえばトーチwebのカラーイラストとおなじ構図がa new swimsuitの2018年5月の投稿にも見出せる。

ミステリ系100冊リストをめぐる冒険

ミステリーのベスト表作りが楽しかったのは、せいぜい二十代の半ばくらいまでだ。その頃までは私的なリスト作りが、自分のミステリー観を他人に伝えるための、有効な表現手段になりうると信じていた。

   ――法月綸太郎「ミステリー通になるための100冊(海外編)」

 ハルヒの新刊が出て、読んで、長門有希の100冊(長門有希の100冊とは (ナガトユキノヒャクサツとは) [単語記事] - ニコニコ大百科))はなんだかんだいって大学時代のミステリとSFの読書の指標にはなっていたんだな、と思い直すなどしました。新本格前後の作品がそれなりにあったし、それをありがたがるくらいにはなにも手掛かりを持たない読者でした。

 では、いまの読者はどこから本を読めばいいのだろう? ネットにあるうろんな情報を鵜呑みにすればよいだろうか? まあ正直それでいいかもしれませんが、選択肢があることに気づける場は有用じゃないですか。

 なので思いつくかぎりリストをあげてみました。みなさんもこれはと思う100冊リストの情報をシェアして完璧な読書ライフを構築していきましょう。ネット世代なんだしぼくたちは集合知に頼るべきだとおもうんですよね。

f:id:saito_naname:20201208192827p:plain

非公式アンバサダーの岸辺さんからのコメント(ネットで拾ったコラ画像より)。

 

「東西ミステリーベスト100」

 参考(東西ミステリーベスト100 - Wikipedia

 ミステリ100冊リストといえばこいつ、というくらいには有名。膨大な人数の読者を対象としたアンケート方式なので集合知の力がある。1986年版と2012年版の二種類があり、その両方にランクインしていればだいたいスタンダードで王道なミステリの読書ができるといっても過言ではない。

 アンケート方式のため直近の作品が高ランクに入るかと思いきや、2012年版では保守的な読者が多かったのか、古典の強さが際立っている。

 詳細については企画を文庫化したものがあり、そこで読むことができる。

東西ミステリーベスト100

東西ミステリーベスト100

 

 

「読者が選ぶ海外ミステリ・ベスト100」

 ミステリマガジン1991年6月号誌上で一般読者を対象に投票した結果を集計したもの「東西ミステリー」は投票者が関係者に限られていたが、こちらはまったく関係のない、すなわちより開かれた人たちによるリストになっている。

 詳細については『ミステリ・ハンドブック』で読むことができる。傾向として、サスペンスやハードボイルド作品が何作もランクインしているのが特徴。マイクル・Z・リューインが多い。トレヴェニアンの名前もある。書籍ではランク外の作品について語る鼎談といった企画もある。ハンドブックの名は伊達ではない。

 このリストの更新版である海外ミステリ・ハンドブック (ハヤカワ・ミステリ文庫)では読者投票はおこなわれていなかったはず。

ミステリ・ハンドブック (ハヤカワ・ミステリ文庫)
 

 

「読みだしたら止まらない!」シリーズ

読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100 (日経文芸文庫)

読み出したら止まらない! 国内ミステリー マストリード100 (日経文芸文庫)

読み出したら止まらない! 女子ミステリー マストリード100 (日経文芸文庫)

 近年で独自性を出してきたリスト。とりわけ「海外」「国内」は「東西ミステリー」の結果を踏まえてあえての選出をしている。古典らしい古典を読むのがダルい、という(自分のような駄目な)人間にとってはありがたいリスト。もっと名作が読みたい、というよい読者にとってもありがたいリスト。

 これまでになかった、という点では大矢博子による「女子ミステリー」は画期的。いかんせんミステリーという枠組みとして無理があったのでは、という気もしないではないが、単純なリストにはならない点で読みがいがある。

 

東雅夫金原瑞人「ふしぎ文学マスターが薦める100冊」

 参考(ふしぎ文学半島プロジェクト「ふしぎ文学マスターが薦める100冊」|田原市図書館

 愛知県田原市の図書館の企画。東雅夫金原瑞人のふたりのふしぎ文学マスターによる、それぞれ100冊、図書館らしい充実したリストを選出している。ミステリというよりは怪奇・ファンタジーよりだが、東のほうは「新青年傑作選」「怪奇探偵小説集」といった現代のリストではあまり取られにくいミステリも拾っている。

 両リストとも、図書館という施設の持つ利便性・網羅性を最大限まで利用した、本気度がうかがえる顔ぶれになっている。たぶんふつうの書店や出版社の企画ではこうはならないだろう、と思わせてくれる点でよいリスト。

幻想文学1500ブックガイド』は最強のブックガイドのひとつとして知られています。

 

有栖川有栖「有栖が語るミステリ100」

 参考(有栖の乱読

 手堅いミステリーベスト、というなかにSFがしれっと混じっているのが特徴。また平気な顔で「世界短編傑作集」「怪奇小説傑作集」と複数冊のシリーズ本が入っている。入手難易度の低いリストであることは良心的だが、スタミナがないと全制覇は難しい。基礎体力をつけるにもってこいのリスト。

 詳細については『有栖の乱読』で読むことができる。

 また神戸元町の中華街近くにある古書店うみねこ堂書林」では絶版・品切れ中の作品だけを集めた選書リスト「海外ミステリの楽しみ 有栖川有栖 見つけて読みたいミステリ20」という小冊子が販売されている*1。お近くの方はぜひ訪問して手に入れてみよう。

 

北村薫「ミステリー通になるための100冊 (日本編)」

 参考(ミステリー通になるための100冊 (日本編) 北村薫・編 - 本読みのスキャット!

 小説トリッパーの企画より。文庫縛りでありながら、野呂邦暢が冒頭から出てくるあたり渋い。一作家一作のみ、というわけでないのがリストとしては読みでがない部分ではあるものの、時折出てくる北村本人が好きなんだろうな、という気配でじゅうぶんに楽しめる。短編が幾度となくはさまっているのはアンソロジーおじさんとしてのプライドがそうさせるのかもしれない。

 詳細は『読まずにはいられない』で読むことができる。

読まずにはいられない―北村薫のエッセイ

読まずにはいられない―北村薫のエッセイ

  • 作者:北村 薫
  • 発売日: 2012/12/01
  • メディア: 単行本
 

 

法月綸太郎「ミステリー通になるための100冊(海外編)」

 参考なし(ネット上にあるにはあるが、コメントまで転載されている。)。

 小説トリッパーの企画より。こちらも文庫縛りでありながら選出にはかなり気を遣っていて、警察小説、スパイもの、ネオ・ハードボイルドにそれぞれ10作ずつとサブジャンルも適度に拾っている。それでいて謎解きの楽しさ、本格ミステリらしさめいたものが見えてくるのが法月らしい。リストの最後にはボルヘスカルヴィーノ、レム、といったミステリの枠組みから抜け出てくるような作品も入っており、目が楽しい。

 詳細は『複雑な殺人芸術』で読むことができる。なお法月は雑誌『ジャーロ』で「メタ・ハードボイルド全集」なる作品リストもつくっている。

 

野崎六助アメリカを読むミステリ100冊』

 参考なし。

 同名の本より。主著である『北米探偵小説論』(インスクリプト)を圧縮したようなつくりになっていて、リスト単体が効力を発揮するというより、あくまでそれらをどう読むかによって見えてくるものがあるというスタイル。アメリカを知る100冊リストはどこかにあるかもしれないが、ミステリによってそれを見出そうとする試みは野崎だけにしかないかもしれない。エラリー・クイーンが5冊も登場するが、かの作家はアメリカのミステリそのものだからね。

アメリカを読むミステリ100冊

アメリカを読むミステリ100冊

  • 作者:野崎 六助
  • 発売日: 2004/04/01
  • メディア: 単行本
 

 

佳多山大地新本格を識るための100冊」

 参考なし。

 タイトルの通り、新本格ムーヴメントによって生まれてきた作品の潮流を追うことのできるリスト。おおむね90~00年代のミステリから要所を拾ってきてくれているので、比較的最近の日本のミステリの歴史を概観できる。初心者に優しいブックガイド、という点では間違いなく良い。おもしろい日本のミステリのリストない? と聞かれたらまずこれを渡すくらいには良い。おすすめです。

 詳細については『新本格ミステリの話をしよう』で読むことができる。

新本格ミステリの話をしよう

新本格ミステリの話をしよう

 

 

 米澤穂信を作った「100冊の物語」

 参考(バベルの会 | 米澤穂信を作った「100冊の物語」

「最初に断っておきます。これは米澤さんの愛読書のリストでは決してありません。」という断り書きからはじまるあたりが米澤らしい周到さを兼ね備えている。コメントと並行して読むことで、米澤穂信をどうつくりあげたのかが見えてくるリストになっている。

 その一部は古典部シリーズの「折木の本棚」*2にも入っているし、先日のワセダ・ミステリ・クラブの講演*3でも取りあげられたことが記憶にあたらしい。単純におもしろ本の選書リストとして有用。ゲームブックとかがあって、奇をてらいつつすべらないリスト。なんというか漂ってくる読者としての”強さ”を感じますね。フアン・ルルフォを出してくるあたりとか。

 詳細については野生時代2008年7月号で読むことができる。図書館に行こう。

野性時代 第56号  62331-57  KADOKAWA文芸MOOK (KADOKAWA文芸MOOK 57)
 

 

皆川博子になるための136冊の本」

 参考なし。

 作家をつくった本リストシリーズその2。自身の生まれた年代の事情から読書がつくられていく人間はいると思うが、皆川もそういう人間のはずだということが序盤でわかり、しかし読み進めていくうちにその読書が現在進行形で広がり続けていることがわかるという驚異的なリスト。読書人としての底の見えなさは『辺境図書館』のシリーズをはじめ、言っていたら際限がない。

 さらっと書いてある中井英夫全作品は正直いって怖いが、ジョン・ファウルズ『魔術師』『コレクター』も平気で書いてあるのが怖い。皆川博子の選書はセレクトのめちゃくちゃよい古本屋を何件もはしごしてようやくスタートラインに立てるかどうかのレベルで、しかし海外国内の古典ばかり読まず古川日出男も読んだりしているくらいの貪欲さがある。まさしく怪物的。

 詳細は『はじめて話すけど…―小森収インタビュー集』で読むことができる。こちらも図書館へ行こう。 

  さて、名残惜しいですが番組はここでお別れのお時間となりました。なにか足りないと気づいたそこのあなた、載ってないリストあるよ、とこっそり耳打ちしてくれるとうれしいな。はい。それではお送りしますエンディング曲はtokiwa [feat.shully]で「Sticky Love」。

 みんなも最強の100冊リストを手に入れて二学期に差をつけよう! ! 


Tokiwa - Sticky Love (ft. shully)

 

追記

 この記事を書いたあとに以下のサイトの存在を知ったよ。ごめんネ!(ハルヒ驚愕発売延期時の画像)

mysterydata.web.fc2.com

 追記の追記

 放送終了直後から番組に向けて予想外の反響とエアリプをいただいております。以下ではお寄せいただいた情報をもとに追記いたします。ごめんネ!(ハルヒ驚愕発売延期時の画像)

 

伊坂幸太郎をつくった100冊」

伊坂幸太郎---デビュー10年新たなる決意 (文藝別冊)
 

 

森博嗣のルーツミステリィ100」

 参考(森博嗣のルーツ・ミステリィ100

森博嗣のミステリィ工作室 (講談社文庫)

森博嗣のミステリィ工作室 (講談社文庫)

 

 

桜庭一樹「煩悩の108冊ブックリスト」

 参考(桜庭一樹 煩悩の108冊ブックリスト - SSMGの人の日記

桜庭一樹  ~物語る少女と野獣~

桜庭一樹 ~物語る少女と野獣~

  • 作者:桜庭 一樹
  • 発売日: 2008/08/01
  • メディア: 単行本
 

 

 佐藤圭『100冊の徹夜本―海外ミステリーの掘り出し物』

 

 仁賀克雄

 

 現代ミステリー・スタンダード

現代ミステリー・スタンダード

現代ミステリー・スタンダード

  • 発売日: 1997/11/01
  • メディア: 単行本
 

 

瀬戸川猛資『ミステリ・ベスト201』

ミステリ・ベスト201 (ハンドブック・シリーズ)

ミステリ・ベスト201 (ハンドブック・シリーズ)

  • 発売日: 2004/12/01
  • メディア: 単行本
 

 

 池上冬樹『ミステリ・ベスト201』

ミステリ・ベスト201 日本篇 (ハンドブック・シリーズ)

ミステリ・ベスト201 日本篇 (ハンドブック・シリーズ)

  • 発売日: 1997/12/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 本格ミステリベスト100――1975-1994

 

 本格ミステリ・フラッシュバック

 

2020年全般に聴いていた曲リスト(摂取記録:音楽編)

 11月に入ってアマゾンミュージックがアップデートされて「最近マイミュージックに追加した楽曲」一覧がUIから削除されたのでプレイリストをつくって生活していない自分は絶望していたのですが、最近になってマイミュージック→フィルタ→並べ替え:追加した日で対応できることに気づいたので助かった……(でも昇順降順の選択ができないのは間違っていると思う)。

 というかアマゾンミュージックはプレイリストをブログでもいい感じに埋め込み共有させてほしい、Spotifyみたいな感じで。リンクを貼るのではなく。YOUTUBEたくさん貼ると重くならないですか。重い。

saitonaname.hatenablog.com


シバノソウ「夏で待ってて」MV


電音部/茅野ふたば/アイドル狂戦士(feat.佐藤貴文)/佐藤貴文(BNSI)

 


Oboe Zegapain Adaptation Ending


死んだ僕の彼女 / rebirth and karma


上田麗奈「花の雨」 MUSIC VIDEO


Solitude 2:14am / Fading Away [Lofi beats]


Moon In June - 海鳴り/ uminari (Full Album)


BBHF『とけない魔法』Lyric Video


17歳とベルリンの壁 - 誰かがいた海 [MV]


TVアニメ『BNA ビー・エヌ・エー』ノンクレジットエンディング映像 / 『NIGHT RUNNING』Shin Sakiura feat. AAAMYYY


エイプリルブルー「花とか猫とか」


little moa - Trampoline (trailer)


Saint Vega "ネオンの泪 album ver." (Official Lyric Video)


Tamayomi ED Full - 『Plus Minus Zero no Housoku』 by Shinkoshigaya Koukou Joshi No


EASTOKLAB - New Sunrise (MV)


Pale Beach - Deadbeat


廃品回収 / 歩く人


odol - GREEN (Official Audio)


Francis and the Lights - Just For Us (Lyrics)


DSPS「我會不會又睡到下午了 Sleep till Afternoon」FULL EP


【安達としまむら】君に会えた日/メリーゴーランド 試聴Ver.(2chorus)


TVアニメ「SHOW BY ROCK!!ましゅまいれっしゅ!!」ED映像【特別公開】


Sunny Day Service - いいね!【Official Full Album Stream】


VANILLA.6 1st Full Album "VANILLA.6" - Trailer


駒形友梨 / ララルハレルヤ(2cho Ver.)


XTAL - Aburelu (Full Album)


Madame Croissant New 7inch E.P.『Lyrical Dance c/w A.S.C.』Trailer


「Dropout Idol Fruit Tart」 OP Full 『キボウだらけの EVERYDAY 』


Fragile Flowers「終末の過ごし方 -The world is drawing to an W/end-」Full Album


For Tracy Hyde - 櫻の園 (Official MV)


SPOOL - スーサイド・ガール


Mameyudoufu - 時雨TIME (feat. 武井麻里子)


【限定公開】NEO SKY, NEO MAP! / 虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会 【TVアニメ『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』エンディング映像】

『記憶SFアンソロジー:ハロー、レミニセンス』について

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芥見下々『呪術廻戦』第106話より

・そんなSFアンソロジーは2020年11月現在、存在しない。

・最近読んだ門田光宏『記憶翻訳者 いつか光になる』(創元SF文庫)がウェルメイドな記憶テーマのSFだった。ほかに記憶SFは存在するのか。たぶんある。

・あらゆる読者は自分だけの架空のアンソロジーを編みたい欲求を持っている。

・したがって編んでみた。

・架空のアンソロジーなので文章の長さも国の内外(おもに権利関係)も問わない。

・ついでに漫画も入れておきたい。同人作品からも入れたい。

記憶翻訳者 いつか光になる (創元SF文庫)

記憶翻訳者 いつか光になる (創元SF文庫)

  • 作者:門田 充宏
  • 発売日: 2020/10/22
  • メディア: 文庫
 

 

『記憶SFアンソロジー:ハロー、レミニセンス』収録作品一覧

瀬名秀明「最初の記憶」

星新一「午後の恐竜」

ウィリアム・ギブスン「記憶屋ジョニイ」

長谷敏司「地には豊穣」

今井哲也「ロスト・イン・パレス」

羽海野チカ「星のオペラ」

デュナ「追憶虫

安倍吉俊「ラナの世界」

テッド・チャン「偽りのない事実、偽りのない気持ち」

アンソニー・ドーア「メモリー・ウォール」

ジョン・クロウリー「雪」

 

 以上の11作品を収録する。当然のように分厚いアンソロジーになった。

 収録作を選ぶにあたり「記憶 テーマ SF」でネット検索したが、検索ワードが漠然としすぎていてまったくヒットしなかった。映画はいろいろ出てきた。ディック原作のあれとかあれとか。

 よって個人の偏った読書趣味が反映されている。ゼロ年代以降の作品が多いのはそのため。海外作品が既訳しかないのもそのため。すでに名作といわれているものばかりで面白みがないといえばないか。未読作品は入れていない。たとえば梶尾真治「おもいでエマノン」は鶴田謙二のコミカライズ版で履修しただけの人間なので収録を見送っている。

 あるいは、記憶テーマか、と問われると答えられないものも外している。たとえば宮内悠介「ディレイ・エフェクト」(「午後の恐竜」に似たシチュエーションで物語が展開されるが、これは歴史がテーマなのでは)、グレッグ・イーガン「ぼくになることを」(脳ではなく機械にアップロードされた意識の、自我の連続性は記憶の連続性とどう違うのだろう? うまく説明できない)など。

 以下、収録順に各作品のあらすじ(見やすさのため引用というかたちにしているが、正確な引用ではない)と簡単な解説を入れていく。

 

瀬名秀明「最初の記憶」

夜の虹彩 (ふしぎ文学館)

夜の虹彩 (ふしぎ文学館)

  • 作者:瀬名 秀明
  • 発売日: 2014/02/01
  • メディア: 単行本
 

 瀬名秀明『夜の虹彩 ふしぎ文学館』(出版芸術社)に収録。

 エッセイやコラムのライターである私はある日、知人から「一番最初の記憶ってなんですか?」と問われる。知人は科学館で展示のためのアンケートをおこなっており、それによれば年齢が下がっていくにつれ、記憶の内容が似てくるのだという。その記憶とは『強い陽射しを背にした人物の影』というものだったのだが、私にも同じ記憶があった。私はその出来事をコラムに書くと、読者からも次々と「私の最初の記憶も同じだ」と投書が殺到し――。

 怪奇・ホラーに近い掌編。なんということはない日常の一幕から次第に壮大なイメージへと物語が変容していくのはまさしくSFの手触りで、それと同時に瀬名秀明が比較的初期に目指していたディーン・R・クーンツ的なストーリーの転がしぶりを味わうことができる。タイトル通り、アンソロジーの開幕を飾るにふさわしい作品。

 

星新一「午後の恐竜」

午後の恐竜(新潮文庫)

午後の恐竜(新潮文庫)

 

 星新一『午後の恐竜』(新潮文庫)に収録。

 日曜日に男が目をさますと 「わあ、怪獣だ。怪獣だ」と子供がさわいでいる。窓の外を見やると、大きな恐竜がおり、妙な植物が生えている。それらの姿は鮮明に見えているものの、触ることはできない。妻は「蜃気楼のようなものじゃないの」と言うが、そのいっぽう、どこかの地下室では大ぜいの男女が忙しげに動いている。「おい、XB8号との連絡はまだ取れないのか」――。

 言わずと知れた名作のひとつ*1瀬名秀明が「最初の記憶」をテーマに物語を描いたとするなら、星新一はこれ以上ないかたちで「最後の記憶」を描いたのではないか。現実の世界に重なり合うように古代獣の姿が現れるのがじつに映像的にダイナミックで、センス・オブ・ワンダーとはこういうものであると見せつけてくれる。恐竜たちは時間とともに姿を変え、地球がたどってきた進化のドラマを人々に見せるのだが、いったいそれはなぜなのか。これはいったいなんの記憶なのか、ぜひ見届けていただきたい。

 

ウィリアム・ギブスン「記憶屋ジョニイ」

クローム襲撃 (ハヤカワ文庫SF)

クローム襲撃 (ハヤカワ文庫SF)

 

  ウィリアム・ギブスン『クローム襲撃』(ハヤカワ文庫SF)に収録。黒丸尚訳。

 ぼくは白痴/賢者(イディオ/サヴァン)状態で他人の情報を何百メガバイトも預かっている。意識のある状態では出入り(アクセス)できない情報だ。けれど取引相手のラルフィはここのところ記憶を引き出し(リトリーヴ)にこない。記憶時間の超過料金は天文学的になっているけれど、そのうちにラルフィはぼくに対する殺し(コントラクト)を依頼したという。ぼくが預かった記憶は”ヤクザ”の持ち物だった――。

 独特の訳語センスが光るサイバーパンクの記念碑的作品。ミラーレンズを嵌め込んだヒロイン・モリイの踊るようなアクションシーンや、ヤク漬けになったサイボーグイルカとの会話など、とにかくクールな演出が印象的。暗号化したデータを人の脳の内部に入れておくという人間の機械の一部としてみなすアイデアはわかりやすくてシンプルだが、決してそれだけが浮いていないのがこの作品の魅力かもしれない。『攻殻機動隊』が好きなら読んで損はないでしょう。

 

長谷敏司「地には豊穣」

My Humanity

My Humanity

 

 長谷敏司『My Humanity』(ハヤカワ文庫JA)に収録。アンソロジーゼロ年代SF傑作選』(ハヤカワ文庫JA)でも読める。

 宇宙進出時代、疑似神経制御言語ITP(Image Transfar Protocol)で記述した経験記憶を人間の脳内に書き込むことで、人類は未経験であるはずの他者の記憶を脳内に再現することを可能にした。疑似神経分野のトップメーカーに勤めるケンゾーは、その技術が民族主義者から英語圏文化による洗脳だと批判されていることを受け、日本文化調整接尾辞(アジャスタ)を開発していた。当初は歴史や文化の位置づけなど気にしていなかったケンゾーだったが、その考えは《特徴を強調した日本人》のITPをインストールしたことで一変する――。

 民族的アイデンティティを持たない技術者を主人公に、技術と文化の軋轢を描いた現代的な意識のある作品。記憶が個人の思い出ではなく、民族的な文化的背景として機能している部分に焦点をあてているのが特徴。序盤はなにがストーリーの核であるかを悟らせないためわかりづらい部分があるものの、中盤のITPを書き込んだあとのケンゾーの意識の変わりようは圧巻といえる。記憶を脳に書き込むというアイデアは「記憶屋ジョニイ」と同系列であるけれど、それとはまったく違う地平を見せてくれるはず。

 長谷敏司のSFはこれに限らず、技術が人間のこれまで持っていた常識や考え方といった感覚を強制的にアップデートしていく様子を描くことが多い。そのため読者は作中の変化にともない無自覚に持っていた思考を揺らがされることになる、ような気がする。

 

今井哲也「ロスト・イン・パレス」

ヒバナ 2015年6/10号 [雑誌]

ヒバナ 2015年6/10号 [雑誌]

  • 発売日: 2015/05/07
  • メディア: Kindle
 

 単行本未収録。雑誌『ヒバナ』2015年6/10号(小学館)に掲載。電子版あり

 「その小冒険は、いつもの町の近所の路地からはじまった。」

 わたしがハガキを出そうとすると、きのうまであったはずのポストが消えている。しかし近所の人に聞いても「そこにそんなものありましたっけ?」と返される。皆、ポストがあったことを忘れているのだ。そうしてなくなってしまったポストを探すうち、わたしは記憶のどこにもない路地に迷い込んでしまう。そこで出会った相手に場所を訊ねると、ここは記憶の宮殿で、自分はその倉庫番だといいだして――。

 漫画枠その1。『アリスと蔵六』の今井哲也が描く、オフビートなすこしふしぎ。忘れたものをめぐる冒険。いつのまにかへんてこな名前に変わってしまったコンビニに、牛のかたちをしたポスト、郵便局の地下、忘れられたものが送られてくるという記憶の宮殿。 日常から奇妙な世界へのつながりが、可愛らしい絵柄で語られるのが心地よい。そのいっぽうで、なにかを忘れてしまうことが悲しい、という素朴な感情が丁寧に扱われる佳品。こういう言い方はずるいのかもしれないけれど『年刊日本SF傑作選』に載る漫画が好きな人なら確実に気に入るはず。物語の着地のさせ方がべらぼうにうまく、記憶に残る作品とはこういうものだと思う。

 今井哲也の雑誌掲載短編は現在そのほとんどが入手困難になっている。編者も読めているのはごくわずか。出版社各位は今井哲也短編集を出版してください。是非。

 

羽海野チカ「星のオペラ」

ハチミツとクローバー 10

ハチミツとクローバー 10

 

  羽海野チカハチミツとクローバー』10巻(クイーンズコミックス)に収録。

 「空いっぱいにうすボヤけた蟻のようなものがうごめいている しばらくするとそれは集まって 最後にガサガサと音を立てながら ボクの耳の中に入り込んでくる」

 砂嵐の吹く荒野と深い深い谷とその底にある河でできている星、イグルー。そこで暮らすボクはうんと小さい頃からくりかえしおなじユメをみている。ボクは周囲からは「捨子の巨人」「毛なしの宇宙人」と呼ばれている。なぜならまわりと違っていて体毛がほとんどなく、背が彼らの倍くらいあり、交易にやってくる宇宙船が捨てたポッドのなかで見つかったからだ。そしてボクが14になった日、父さんは一族のみんなでお金を出し合い、ボクを宇宙大学に行かせることに決めたという。大学ではボクとおなじ姿の人がいて、彼女の国の言葉を学ぶうち、ユメのなかの虫たちはすこしずつ鮮明になって――。

 漫画枠その2。『ドラえもん』に登場する”ひみつ道具”をひとつだけ使ってお話をつくるという企画で描かれた作品。このアンソロジーに収録されたという情報だけでそれがなんであるかわかる人は一定数いるはず。とはいえ『ハチミツとクローバー』という長編の最終巻に収録されている短編のため、入手難易度は低くとも読んでいる人は決して多くないのではなかろうか(そもそも短編ひとつを読むためだけに10冊もあるシリーズに手を出すだろうか?)。

 羽海野チカは『三月のライオン』を読めばわかるように、コミカルなユーモアとシリアスを同時に成立させることができる作風で、「星のオペラ」は記憶≒その人にとってのルーツ、というテーマを優しく包み込んでくれる。人間ドラマらしい感情をSFで描くという手つきはどことなくケン・リュウの短編に似ているかもしれない。

 

デュナ「追憶虫」

 『小説版 韓国・フェミニズム・日本』(河出書房新社)に収録。斎藤真理子訳。

 結婚して二十年になるユンジョンはある日、自分が恋に落ちたことを自覚する。相手は通っている読書会の会員のアン・ウンソン。しかしその感情は自分のものではない。すぐさま医者にかかると「追憶虫ですね」と診断される。ユンジョンの目と脳のあいだには米粒ほどの大きさの地球外寄生虫が隠れていた。追憶虫は呼吸器を通して感染し、前の宿主の記憶を次の宿主に伝えるという。ならばこの感情は、いったい誰の記憶なのだろう――?

 韓国SF。日本語訳で25ページとかなり短い。が、記憶の流入による自己の変容というネタを扱いつつ、前の宿主は誰だったのか? とミステリの要素でぐいぐい引っ張ってくれる。中盤までのテイストはどちらかといえば奇想小説に近いのだけれど、オチのツイストでおっと思わせてからあたらしい視界が開けていく構成になっている。けれどもむずかしい概念や理屈はまったくない。こういうのを技巧派というのか。

 作者のデュナは覆面作家で、高槻真樹によるシミルボンでの紹介(https://shimirubon.jp/columns/1699798)が詳しい。これから翻訳が進んでほしい作家のひとり。日本語のWikipedia記事(デュナ - Wikipedia)がなぜかある。

 

安倍吉俊「ラナの世界」

isolated city 02

 安倍吉俊『isolated city 02』(同人誌)に収録。2010年発行。2020年現在、一般的な流通では入手不可。中古市場であれば入手可能か。

 近未来、あらゆる電子的ネットワークから隔絶されている街、マウラー。そこに暮らすロボット工学者の孫であるサティはある日、不審な二人組の男を見つける。男たちは持っていた手紙に書かれた住所を手がかりになにかを探している。宛先には「ラナ」の文字。しかしその差出人の住所は存在しない。

 翌日、サティはヴィクトリアという少女に出会う。昨日の男たちはヴィクトリアの父とその部下で、手紙は彼女の大叔母で女優のレナ・レルヒに孫のマルコが十数通も宛てたものだという。彼女を含めた三人は遺産相続などのため、この街に住んでいるマルコに会いに来たのだった。サティはマルコ探しを手伝おうとするが、調べてみるとマルコ・レルヒという人間はどこにもおらず――。

serial experiments lain』『灰羽連盟』の安倍吉俊による同人SF作品。漫画でも小説でもなくト書きの脚本で構成されている。『isolated city』は「人間の意識は何によってもたらされるのか」という作者ならではの想像力のもとに書かれており、シリーズ二作目にあたる「ラナの世界」ではSFミステリの枠組みを使いながら、存在しない誰かを意識のうちに抱くことについて模索されている*2

「……誰かに私がいる、って心から信じさせることができたら、その人のニューロンの回路を借りて、その人の心の中に、『私』という構造を発生させられるのかな? その時、『私』はそこにいるのかな?」というサティが中盤でこぼす台詞はそのまま物語のテーマにオーバーラップする。登場人物たちの思考は最終的にある種の仮想を共有するまでに発展するが、それもまた仮想のなかのひとつであり、SFでありながらあたかも幻想小説の迷宮に足を踏み入れてしまったかのような読後感を残す。

『isolated city』は同人作品のためか、『02』で物語は止まっている。もともと『キリシュとわたし』という作品の外伝として書かれたもので、本編については『ユリイカ』の特集号*3でその一端に触れることができる。

 

 偽りのない事実、偽りのない気持ち

息吹

息吹

 

  テッド・チャン『息吹』(早川書房)に収録。大森望訳。

 ジャーナリストのわたしは新しいライフログ検索ツールRemen(リメン)に関する記事を書いている。リメンはユーザーが過去の出来事について言及するのを見つけると、視界の左下隅にその映像記録を表示する。リメンの画期的なアルゴリズムはそれまでの検索ツールの不便さゆえに民事事件や刑事事件といった正義の場だけに限られていたライフログ検索を、きわめて個人的な状況でも使えるようにした。その結果、放置されていた膨大なライフログは家庭内の口論で利用できる証拠の山になった。リメンについてフェアな文章を書くために、わたしは自分でもそれを使いはじめ――。

 ライフログというすでに現代にあるサービス・技術を近未来に敷衍し、記録と記憶の齟齬から人間の齟齬を取り出してみせた傑作。この小説が技術をめぐるSFとして面白さを成立させているのは、シングル・ファーザーの独白と並行して語られる、口承文化を持つティヴ族のパートがあるからだろう。ティヴ族の少年は文字の読み書き(ふだんわたしたちはあまり意識することはないが、これも立派な「技術」である)を宣教師から習うことで意識をゆるやかに変革させ、同時に読者の意識もまた相対化されていく。あたかもその様子は「あなたの人生の物語」の語り手に起こる変革をアナログな手法で語りなおしたものともいえそうで、しかしその結末はひどく苦い。

 けれどもそれだけで終わらないのがさすがテッド・チャンというところで、最後のページで語り手の「わたし」はかなり怖ろしいことを言い放つ。ここで生まれる読者との距離がどこまでも絶妙で、これがなければ「偽りのない~」はただのよくできた人間ドラマでしかなく、SFの傑作にはなりえなかったんじゃないか。そう思わせる凄みがある。

 

アンソニー・ドーア「メモリー・ウォール」

メモリー・ウォール (新潮クレスト・ブックス)
 

 アンソニー・ドーア『メモリー・ウォール』(新潮社)に収録。岩本正恵訳。

  アルマの寝室には、電子レンジほどの機械があり、〈ケープタウン記憶研究センター所有〉と書かれている。そこから出ている三本のコイル状のケーブルが、自転車用のヘルメットにどことなく似たものにつながっている。壁は紙片で覆われ、紙のあいだで、数百のプラスチック製カートリッジが光っている。それぞれがマッチ箱ほどの大きさで、四桁の番号が刻印され、一個の穴にピンを通して壁に留めてある。ケープタウンでは、裕福な人々から記憶を取り出し、それぞれをカートリッジに焼きつける医者が六人いる。アルマは七十四歳の、認知症の患者だった――。

〈新潮クレスト・ブックス〉というレーベルから出ているとおり、SFというよりは文学寄りの作品。設定は、上記のあらすじからだいたい想像できるとおりと思っていい。認知症の女性に、過去の記憶を再生する装置が与えられる。それがエンタメ的にツイストされることはない。とはいえ表4を見ると、円城塔がコメントを寄せている。「老若男女を自在に描くドーアの筆は、魔術的な域に達する」。どう魔術的なのか。

「メモリー・ウォール」を一読すればその答えは容易に理解できる。カートリッジに閉じ込められ、機械を通してよみがえる記憶。ただ文章を読んだだけであるのに、いま自分は、記憶そのものに手を触れているのだ、というふたつとない感覚が一瞬で呼びおこされてしまう。はじめて装置を使ったアルマはつぶやく。「なんてこと」。それは読者にとってもおなじだ。読者は彼女の人生に同期しまったあとは、もう逃れられない。他人ではいられない。あとは呪われたように100ページもある物語をめくるだけだ。

 チャンがSFの語りによって人間存在を解体してみせたなら、ドーアは文章の精度だけで人間のすべてを構築してしまった。ヘヴィな作品であることは間違いないけれど、記憶を扱う手つきは収録作のなかでもっとも繊細で、それゆえに目をそらせない。

 

ジョン・クロウリー「雪」

古代の遺物 (未来の文学)

古代の遺物 (未来の文学)

 

  ジョン・クロウリー『古代の遺物』(国書刊行会)に収録。柴田元幸編『むずかしい愛 現代英米愛の小説集』(朝日新聞出版)でも読める。畔柳和代訳。

 これから私が出会おうとしているのは、死から救われたジョージーではない。それでも、彼女の人生のうち私と過ごした八千時間が残されている。「ワスプ」が撮影した妻の記録は「パーク」にファイルされ、そこにある個人用の安息室からアクセスすることができるようになっている。「パーク」の言葉を借りるならば「霊的まじわり」だ。けれども安息室には「アクセス」と「リセット」のレバーしかない。再生する記録を選ぶことはできず――。

 テッド・チャンとおなじくライフログを扱ったSF。とはいえ書かれた年代はずっと前の80年代で、にもかかわらずその態度は現代のわたしたちの感覚にかなり近い。仮に膨大なデータを保存したとしても、その膨大さゆえに検索性の問題が生まれ、目的の情報にあたることはとても難しくなる。それどころか、思い出したとしてもすぐにまた脳裏から消え去ってしまうことすら起こりうる。それはそのままわたしたちの記憶に対するイメージそのもので、けれども、だからこそ大切なことを気づかせてくれる。物語の終盤で語り手が述べる記憶とは、わたしたちに与えられた魔法のようなものかもしれない。ゆえに「雪」こそがアンソロジーの掉尾を飾るにふさわしい。

 クロウリーの記憶を扱ったSFといえば、ほかに『エンジン・サマー』があげられる。クリスタルの切子面に収められた文明崩壊後の未来における人々の記憶を、天使に向けて物語として語りかける切なく美しい作品。

 

編者あとがき

 以上11作品を紹介した。これ以上言うことはない、といって終わりたいところだけれども、語り残したことは大いにある。まず収録しようと思っても具体的な作例が見つからず(あるいはこちらが読めておらず)、紹介できなかった系統の作品について。

・記憶喪失もの

・完全記憶もの

・前世の記憶もの

・未来の記憶もの(未来予知? 時間SF?)

・多重人格もの(記憶といえるか?)

サイコメトリーもの

・コメディ、ギャグテイストの作品

 いま思いついたものを列挙しただけでもかなり漏れがあることは容易に想像ができそうだ。全体の色合いとしてシリアス寄りのアンソロジーになったことについては、選者の趣味が出てしまった、ということにしてご容赦いただきたい。比較的有名な作が多く収録されることになったのも、ひとえに選者の見識不足ゆえ。

 記憶を扱ったSFとしてはジーン・ウルフの名前があがってもいいはずだけれど、これについては紹介する側が作者の意図を読み切れていないので、あきらめることにした。代表作でいえば、長編『新しい太陽の書』の主人公セヴェリアンは完全記憶の持ち主だし、『デス博士の島その他の物語』に収録されている「アメリカの七夜」は語り手の食べ物に幻覚剤が仕込まれており、旅の記述のうち抜け落ちたもの(記憶?)が存在する、とされている。などなど。記憶と信頼できない語り手はたぶん相性がいい。

 前世の記憶でSFということであれば水上悟志スピリットサークル』はまさしくそれではないか、とも思う。輪廻転生がテーマで、物語が進むとともに主人公は複数の過去生・未来生を追体験し、隠されていた世界の事実と魂の因縁があきらかになっていく。けれど次第に現在の生であるはずの自我が浸食され、混濁していく。たった6巻しかないにも関わらず、過去生をひとつ経験するごとに大作映画を見終わったような疲労感に包まれるのもすさまじく(おそらく意図的にそうなるよう描かれている)、水上は『惑星のさみだれ』以外にも面白い漫画をばんばん描いていることを各位は知ってほしい。

 ほかに記憶が入ってくる漫画といえば植芝理一『大蜘蛛ちゃんフラッシュ・バック』があるか。亡き父の学生時代の記憶が息子に混入し母親にどきどきしてしまうという怖ろしいシチュエーションを描く漫画。

 まだ見ぬ作品であれば、小川哲がクイズ王を題材にした小説を書こうとしていると去年あたりからほうぼうで耳にしている*4。クイズ王は問題に正解するために(記憶容量を確保するために)自分の大切な記憶をどんどん消していく――、とかなんとか。出たらぜひ読みたいところ。

 

その他

 記憶SFが一定数あることはわかったが、記憶ミステリはあるだろうか?

 題材としてはありそうだけれど、作例はあまり思いつかない。近年の作であれば、榊林銘「たのしい学習麻雀」があるか。頭を打って記憶喪失になった主人公がルールもわからないまま麻雀対決をおこない、その勝負のなかで法則性を推理するといったシチュエーション重視のミステリだ。

 あるいは恩田陸「ある映画の記憶」という傑作がある。幼少期に見た映画『青幻記』の記憶がとある人物の死と重なり、その潮騒のイメージが最後には読者の心を言いようもなく埋め尽くす。幼少期の記憶をめぐる謎ということであれば、石黒正数それでも町は廻っている』の「一ぱいのミシンそば」の回がある。あれ、もしかして結構作例あるのか? じゃあ山川方夫「夏の葬列」も入れていいか? いいよ。

 とはいえ今回アンソロジーを編むにあたり思いあたる作品を片端から探し出して(処分してたものは買いなおして)再読してあらすじをまとめるだけで疲れてしまったのでこれ以上はやらない。世のアンソロジストはすごいのだ。ありがとう、ありとあらゆるアンソロジストたち。あなたのおかげでいまのわたしがいます。

 そしてだれか代わりに記憶ミステリ傑作選を編んでください。サイコメトリーものがあるといいな。というわけであなたの知っている作例があればミステリ・SF問わずコメント残してくれるとうれしいです。

 さて、楽しい時間もあっという間、そろそろこの『記憶SFアンソロジー:ハロー、レミニセンス』もお別れの時間です。またいつか、どこかのだれかの追憶で会いましょう。時が戻ったら。来年は『ゼーガペイン』放送15周年ですね。では聴いてください、ROCKY CHACKで「リトルグッバイ」。消されるな、この想い。


Rocky Chack - Little Goodbye

 

*1:世間的には時間SFとして認知されているのではないか。児童書のアンソロジー『SFセレクション(1)時空の旅』(ポプラ社)に収録されているくらいなので。

*2:この発想の萌芽は『lain』の作中にも見出すことができる。

*3:ユリイカ2010年10月号 特集=安倍吉俊 『serial experiments lain』『灰羽連盟』『リューシカ・リューシカ』・・・仮想現実の天使たち (ユリイカ詩と批評)

*4:筆者は昨年の京フェス2019で聞いた。

あなたの知らない(百合)について 島本理生「七緒のために」

 中学生の私が放課後の美術室で絵の具のパレットを洗っていると、喧嘩中で口をきいていない友人が横にすっと立っている。彼女は黒々とした瞳でこちらをうかがいながら、折りたたまれたルーズリーフを渡してくる。それは開いてみると手紙で、なぜか上半分が切り取られている。そして残された半分には、次のような文面が記されている。

『私たちの関係について上に書いたけど、雪子ちゃんはきっとショックを受けそうだから捨てました』

「残りの手紙もちょうだい」と手を出すと、相手は「雪子ちゃんが怒った顔をするのは、不安なときなんだね」とすました顔で言い返して去っていく。

 そのようなつかみどころのない、しかし忘れることのむずかしい記憶の描写から語られる島本理生「七緒のために」は、ふたりの少女の交流のはじまりから終わりまでをどこまでも痛々しく切り取った青春小説だ。そのなかでつづられる雪子の友人、七緒のふるまいは、遠慮がないというよりは、他者との距離を必要以上に近づけて、ときには相手の精神そのものまで握り込んでつぶしてしまいかねない、制御のきかない不安定さをはらんでいる。

 転校してきた教室で私が自己紹介をしていると、スケッチブックになにか描いている少女がいる。その子が七緒だ。彼女は昼休みになると、完成した絵を見せてくる。「只野さんが、美人さんだから描いてみたの」といって。紙には雪子が描かれていたが、そのとき着けていた銀縁の眼鏡のフレームは、勝手に赤色のものに変更されている。お礼を言って紙を受け取ろうとすると、絵は奪い取られてしまう。「これは私が大事に取っておくから」

 七緒は雪子との関係を結ぶにあたって、頼まれてもいないのに常に場を見えない力で強引にコントロールしようとする。名前を聞いたときには苗字で呼ばないように誘導するし、読書の趣味を聞けば「普通だね」と返し、しかし、読んでいた文庫本のページを破って渡してきたかと思えばそこには電話番号が書かれていて、自分に連絡をするときのルールを秘密めかして伝えてくる。

 いっぽうで雪子は、転校前の学校では周囲に馴染めていなかった。現在進行形で両親の仲も悪い。彼女は孤独で、周囲に理解者もいない。だからか、どこか強引な七緒を振り払うこともなく、急速にお互いの距離を縮めていくことになる。

 仲良くなるうち、七緒がことあるごとに口にする打ち明け話やその奔放な態度は、七緒自身を通っている学校とはべつの世界の住人であることを強調し、雪子をつよく惹きつける。街で男の人に声かけられて、キスをした。雑誌の読者モデルをしている。小説家と文通をして、何度も会ったことがある。年齢をごまかしてライブハウスのステージに立った。教師にばれないようドロップスの缶を学校に持ちこみ、携帯用ラジオでFMを聴いている。そのいっぽうで、母親を「使用人」と呼んだりする。

 それゆえに自然と、雪子は次のように考える。

(…)七緒はこんなにすごいのに、どうして学校内では普通の子のふりをしているんだろう、と疑問を抱いた。

 その疑念は、物語が進むにつれ次第に解かれていく。学校生活に慣れたころ、七緒は特別な女の子というわけではなく、ただ周囲から距離を置かれているだけであることに雪子は気づく。ほかの生徒たちから、七緒と雪子が「羊飼いとその友達」呼ばわりされていたからだ。羊飼いとは狼少年のことで、要するに七緒は嘘つきとして認識されていた。

 塗り固めてきたもののほころびに、雪子は触れている。しかし七緒をつよく遠ざけることもできない。雪子はすでに七緒の存在に吸い寄せられてしまっているからだ。それは彼女の語りからも伝わってくる。

 たしかに七緒は話の筋が時々通っていないし、いちいちわざとらしいし、相手の心を引っ掻くようなことばかり言うけれど、少なくともその言動は、目を閉じた後も真夏の日差しのように焼き付いて、強い影を残す。

 次に雪子が取ろうとした行動は、だから七緒の理解者になることだった。「それなら、ずっと信じる。七緒のこと」と雪子は彼女に言う。たとえ彼女の言動がきっかけになって周囲から疎まれ、いじめの対象になってしまっても、雪子は七緒を見捨てようとしない。彼女のことばが「ほんとう」であることを受け入れようとする。

 けれど物語は痛々しく、閉じた関係に光明がまったく見えないまま突き進む。雪子はやがて、七緒の虚言のもとになったものがなんであるかに触れてしまう。それはどこまでも平凡なもので、最初に彼女に見た特別さの欠片もない。にもかかわらず、雪子自身も、そのほころびを七緒に指摘することが、もうできない。しかし七緒はその奔放さでわかりきった嘘を繰り返し、何度も雪子の友情を強引に試そうとして、最終的にふたりの関係は修復のできないかたちにまで歪んでしまう。

「七緒のために」を読んでいて哀しくなるのは、かたくなに嘘をつき、生傷をつくりつづける七緒を救う方法がどこにもないからだ。物語のなかで、七緒には嘘をつく理由が、おぼろげながらあることが示される。けれどもその問題すべてを受け入れ、解決するのには中学生の雪子は幼すぎるし、反対に大人では遠すぎる。そうして周囲をも傷つける七緒の言葉は、雪子の心をついには突き放してしまう。

「女の人は、けっして女の人を心から好きになれないんだよ。雪子ちゃんだってそうでしょう。だから、わたしのせいじゃない」

 終盤、心の離れてしまったあとのことがすこしだけ語られる。そこでは答え合わせのように、雪子の隠れていた気持ちが明かされる。それはある意味で、七緒だけが気づいていた「ほんとう」だった。だからほんのひとときであっても、彼女たちはたしかに通じ合っていたはずだった。

 この小説は結局、救われなかったふたりの物語だ。けれど、その関係はたんなる嘘だけではなかったはずで、きっと消えない傷跡のように、あなたの皮膚に残りつづける。

 

七緒のために (講談社文庫)

七緒のために (講談社文庫)

  • 作者:島本 理生
  • 発売日: 2016/04/15
  • メディア: 文庫
 

 

あなたの知らない(百合)について 村松真理「ソースタインの台所」

 幻になってしまうかもしれない百合小説を紹介する。

 けれども、これをただの百合小説として紹介するのには、ためらいがある。

 村松真理「ソースタインの台所」は『文學界』2006年8月号に掲載された作品で、だからジャンルとしては純文学ということになる。ただし、このためらいがあるというのはたんに純文学の文芸誌に載ったからというわけではない。それについては後述する。

 以降、詳しいあらすじを書くので、百合小説を百合とわかってから読むのが嫌な人(もうこの時点で逃げることはできない、申し訳ない。だからとりあえず詳しい内容を知りたくない人)は上述の文學界をアマゾンで高騰した値段で買い求めるか、大きめの図書館でバックナンバーを探して読むことを推奨する。

 

 

 物語はアメリカに留学している院生秋野のもとに、教採に落ちたが一年のアルバイトののち民間企業に入った岩本(私)がふらりとやってきてくるところからはじまる。彼女たちは不味いアメリカ米を一緒に朝食として摂り、気の置けない会話をする。

「不味いだろ」

 と彼女は私に言った。

(…)

「不味いだろ。無理しなくていいから」

 私は咀嚼しながら、箸の下の白いご飯と彼女を交互に見た。それは噛むと硬いくせにあっけなくもろっと崩れ、歯ごたえもなく粉っぽいが、舌に変に癖のある後味が残る。

「ごま塩をかければまだ食える。というよりかけないと食えない」

 私と同じように、ただ白米を山盛りにした茶碗を前にした彼女はそう言うと、ごま塩の小瓶を振ってその上にばらまき、私の方に押してよこした。そうして黙々と山を崩して咀嚼している。

 瓶をつかんで振り掛ける。白黒の点々が一面に振りかかったそれを箸に乗せて口に入れ、噛む。大ざっぱな味に雑な塩と、胡麻の味が沁みこんでうまかった。

「ううん」口の中がいっぱいなので首を振った。

「嘘だ」

「嘘じゃないよ」

「じゃあ訂正するけど」と彼女は淡々と言った。頭の後ろに、寝癖でひよこのように柔らかい逆毛が立っている。

「君が嘘をつかないことは知っているが無理はしているだろう。そうだろ」

 私は何だか後ろめたいような気がした。無理はしていなかったが嘘をついたことはあるかもしれなかった。十三歳からの十一年間は決して短い時間ではない。

「いや本当に不味いとは思わない。確かに日本の米とは違うかもしれないけど、同じ米だって観念が強力にあるわけじゃないから。こういう食べものだと思えばけっこう美味しいけど? じゃあ君は不味いと思うの、そんなに」

「思う」と言って黙々と米の山を減らしている。

「じゃあ何で食べてるのよ。他にパンだってシリアルだって幾らでもあるでしょう」

「二十三年間、朝は米しか食わなかったからだめなんだ。どうしても。こんなアメリカまで来ても、こんな米しかなくても」

「ふうん。わたしは二十三年間シリアルかトーストで育ち続けたし、どっちもないときはあるものを何でも食べていたから、むしろ朝和食なんて食べたことはないわね。あんまり米という食べものに執着がないのよね。だからこれだって、米だから特別どうとか思わないから、不味いとは思わないわけよ。別に不味いものじゃないんじゃないの、これ自体は」

「親が来た時に食べさせたら哀れむ目で見られた」

「それは、君のお母さまだもの。ほら、わたしは絶対味覚というものが皆無だから。『陰翳礼讃』を読んだら羊羹食べられるようになるんだから」

「全然わからない」と秋野は口を一杯にしながら噴き出しそうになった。

 「中学の時そういうことあったでしょう」

「覚えてるよ。それがどう関係あるのさ」

「君が毎朝常食にしてると思うと、突如として親しみがわくということよ」

  最初から長い引用になってしまったが、もしこの部分を読んで彼女たちの心安い関係に好感を抱いたのであれば、その期待は裏切られないといっていい。

 物語はふたりのディアローグを中心に展開される。上記引用部の「十三歳からの十一年間」という積み重ねの感触が会話やふるまいのすきまからにじむようにあらわれ、読者をその心地よい空間に誘ってくれる。

 加えて秋野のハスキー・ヴォイスで男言葉を使うというキャラ設定には、漫画やアニメを経由してきたような軽妙さがある。ふたりの会話と並行して回想される学生時代のエピソードによると秋野は人気者で、岩本はその妹分として周囲から認知されていた。それゆえふたりはさながらカップルのようにはやし立てられることもあった。そうした部分にはフィクション的な、あえていうならば百合的なわかりやすさがある。岩本が秋野に憧れて学校に行くときの服装を彼女に寄せていくくだりも、エピソードとしてわかりやすい。

 しかし読み進むにつれ、「ソースタインの台所」はそうしたフィクション的なわかりやすさ心地よさだけではない、ふたりの微妙な心の距離も描き出していく。彼女たちは中高とおなじ場所に通っていたが、大学では別々の道に進み、物語がはじまったときは一年ぶりの再会だと記されている。だから秋野は久しぶりに会えた岩本をできるかぎりもてなそうとする。

「ねえ」と私はまだ奥のキッチンにいる彼女を呟くように腑抜けた声で呼んだ。「ねえってば」

「何」

「毎日忙しくて時間ないんでしょう」

「あるとはいえないね。圧倒的能力不足だから」

「ねえ超人的努力なんてしなくてよかったのに。わたしなのに。別に部屋がどんなだって驚いたりしなかったわよ、絶対」

「だから嫌なんだ」

 彼女は瞼をぐっと上げて、半ばひとりごとのようにそう言った。

  秋野と岩本のふたりはくだけた会話をするが、それははお互いを敬い、思いやることのできる関係だからだ。それゆえに馬鹿馬鹿しい理由で口論もする。

 秋野が岩本のためだけに手間のかかる掃除をするように、岩本は秋野のためにつくろうとしたアラビアータが辛くないだけで苛立ってしまう。「タバスコある?」としかめ面で訊くと、それに触発されるように秋野も興奮する。

「わからない」と静かに言った。

「何が」

「タバスコとか言ってさ。これで普通に美味しいのに」

「だって、」と私は彼女の抑えた、しかしいやにはっきりとした語調の重さに感情を煽られて、何も考えずに子供っぽく声を上げた。

(…)

「一体君はなんなんだ」

「何? わからない。わかるように言って」と私は言い返した。

「覚えてるか。君は昔、辛いものが大嫌いで、できることなら寿司はわさび抜きにしてもらいたい、お刺身にもいらない、でも中学生ともなれば恥ずかしくてそうも言えないって言ってたんだぞ」

 ふたりの口論は関係の破局には向かわない。むしろ彼女たちの心を、立ち位置をすり合わせていくために描かれる。何度も繰り返される明け透けな会話は、だから楽器のチューニングのようなものかもしれない。お互いの持っている記憶や思い出を声に出して確認し合うのもおなじだ。それゆえにふたりのことばは最終的にぶつかるのではなく、重なって笑い合って終わる。読者としては微笑ましくもある。

 しかし、それが終着点というわけでもない。

 むしろ大事なのはこの先ではないか、と思わせるものが「ソースタインの台所」では描かれている。口論をした彼女たちはようやくむかしの関係を取り戻しただけだ。そのようにしてどこかだしにして語られてきた学生時代のエピソードはいかにもひとつの物語らしくまとまっていて、けれどそこから時間をかけたために青春としてあったはずの熱は失われている。

 だからか、岩本(私)は次のように回想をまとめ、現在を評する。どこか一定の距離感をもって。

 思い出してみると何だか気味が悪いような哀しいような気がした。いったい私たちはあれから長い時間を進んだからいま似たようなことを言うのか、それとも少しも進んでいないからそうするのだろうか。

 学生時代、秋野に近づこうとしていたはずの岩本は卒業後、「ごく自然に彼女の格好の真似をやめていた」。だからその語りには、ただの一過性のものだったのかもしれない、という考えがちらついている。そうして現在に残っているのは、そのいっときの熱を失ってしまった、落ち着いた大人同士の関係かもしれない。

 しかしだからといって、ふたりの将来になにか特別よいものが待っている、というわけでもないことが示される。

 岩本はたまたま部屋にあったソースタイン・ヴェブレンの伝記(最後は狂人のようになってひとりで暮らす)を読んで「可哀想」という。対して秋野は「わたしもそうなるような気がするんだ」とこぼす。「そうやって味噌汁も作れなくて、計算だけし続けて年をとって、変人とか何とか言われて、足下を鼠が走り回ってて、きっとそれでもわたしはまだ、ばかみたいにコーヒー豆をがりがり挽いてて、毎朝まずい米を炊いて一人で黙々と食いつづけてるんだ。きっとそうだと思う」

 この物語を、ただの百合(を描こうとした)小説とみなして紹介することにためらいがあったのは、だからこの部分があったためだ。「ソースタインの台所」はかつて姉妹のように、フィクションのように周囲から扱われてきたふたりがいたとしても、その先が見えないことを強調しようとする。

 描かれているのはわかりやすく(あえてわるくいうならば)安全にはやし立てて消費できていた関係でも、ハッピーエンドでもない関係だ。仮に百合のようなフィクショナルな関係がふたりのはじまりにあったとしても、そのアフターストーリーがどうなるかはだれも教えてくれない。ふたりのあいだにあった特別ななにかは簡単に消えてしまうかもしれない。

 だから物語の終盤、そのわかりやすさ、フィクションらしさに自覚的な目配せをするかのように、秋野以外の友人との回想が短くはさまれる。読者がふたりの関係を好ましく思っていればいるほどに、その言葉はつめたく響く。

「あんたたちは、女同士でくっついちゃうのかと思ったけどね」

(…)

「知らないかもしれないけど、後輩なんかは結構騒いでたんだよ。あの二人はうちの学校のナントカとナントカだって」

「何それ?」

「知らない。何か少女漫画の登場人物の名前」

  そして、そのわかりやすさに反論をするように、周囲から消費されるような関係を否定するかのような岩本の独白がつづく。そこには十一年の時間をかけたぶんの諦念がある。

 私は彼女に触れたいと思ったことはない。彼女になりたいと思い、同じものを見たいと願いはしたけれども。他の誰かに対しても触れられたいという気持ちを覚えなかったと同じに。(…)驚くほど簡単な接触の先にはいつも、不毛の荒野が拾っている。(…)

 同じ服を着たところで同じものが見えるわけではないことをもう知っているのだ。

 けれど、それは絶望に終わらない。物語は最後になって熱を、力を取り戻そうと切実にもがく。

 でもだから何だ、と私はまた思った。十一年も経ったけれど、そのどんな短い刻にあっても、彼女がくれるものなら私は何でも嬉しかった。たとえ私たちが重ねることのないそれぞれの単線上にいて、鏡に映る自分の姿に斬りつけつづけているのだとしても。その結果互いに触れ合いたいとは微塵も思わなくても。

 それが何だ。

   この独白のあと、物語は岩本による決意を込めたうつくしい語りかけで終わる。それがどのようなものなのかはじっさいに読んでほしいので書かない。

 ただ、岩本の考えるふたりの在り方は、他者から一方的に消費されることや性愛、その他のなにかといった単純な関係にからめとられることを否定しようとする。そのうえで、つよい関係を取り結ぶことを目指そうとする。

 この小説が発表されたのは2006年で、だから2020年現在の価値観とは微妙に差異があるかもしれない。百合をはじめとしたフィクションで描かれる、任意の人間ふたりの形成する関係性は現在(むしろ過去においてもそうかもしれないが)単純に消費されるものばかりではないはずだ。当時(意識されていたかはわからないが)百合の枠外を希求しているようにみえた小説も、現在からすればまっとうな百合作品じゃないか、と述べることは容易かもしれない。

 だとしても、他者の手によって単純にみなされる関係に回収されないことを望み終わるこの小説は、やはり語られぬままになってほしくない。

 すくなくとも自分が一定のためらいを以て、括弧つきで(百合)を好む理由のなかには、そのようにわかりやすく回収されることをつよく否定する物語が根底にあるからだ、という気持ちがある。

 あなたにとっても(百合)がそうであるならば、この小説はきっと救いのように響くはずだ。

 

文学界 2006年 08月号 [雑誌]

文学界 2006年 08月号 [雑誌]

  • 発売日: 2006/07/07
  • メディア: 雑誌
 

 補足

村松真理の小説はほとんど書籍化されていない。ウィキペディアを参照すること*1

日本文藝家協会編『文学2009』および『文学2013』に短編がひとつずつ収録されているが、現在市場には流通していない。2009に入った「地下鉄の窓」はBLを読んでいる少女がBLで読んだことあるシチュの経験をもとに酔った語り手を介抱する話。

・別名義(村松茉莉)の唯一の単行本『夢想機械 (トラウムキステ)』 は近未来、カプセルのような装置に入れられて幸福な記憶とともに売買される少女とそれを管理する男のSF。百合要素は特になかったはず。詳しい内容はタニグチリウイチ氏が書いている*2

・「ソースタインの台所」的な、くだけた会話をする親友同士の関係を描いた作品はほかにもある。三田文学新人賞受賞作の「雨にぬれても」や「三十歳」など。前者は「ソースタイン」のうまくいかなかったふたりのパターンをつい想起してしまう。

・百合に近い関係を内包している小説であれば、『三田文学』2015年秋号に載った「水の中の最後の地」が傑作といえる出来。メンタルが限界になってしまった語り手のもとに学生時代ちょっと助けただけの元いじめられっ子がやってきて、世界の終わりごっこをして彼女の心を救う話。回想のなか、台風の日に自転車を無断借用して駅までふたり乗りをするシークエンスが無限によい。

・現状読める最新作は同人誌『てんでんこ』2020室井光広追悼号に掲載された「従姉の居どころ」で、語り手の女性がひとまわり歳の離れた従姉を訪れ、ふたりでパンとワインで語らいながら従姉の隠しているとある不思議な関係に気づく話。雨の夜のしっとりとした描写、海辺の潮のにおい、酔いができあがっていく過程が心地よい。

・各出版社は村松真理の作品群を書籍化するべきである。

 

 

夢想機械 トラウムキステ (T-LINEノベルス)

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三田文学 2015年 11 月号 [雑誌]

三田文学 2015年 11 月号 [雑誌]

  • 発売日: 2015/10/10
  • メディア: 雑誌
 


言語SF「グラス・ファサード」創作メモ

 昨年、第三象限というサークルで頒布した同人誌『あたらしいサハリンの静止点』が先日、Amazon Kindleで配信開始されました。

 ありがたいことに同人誌刊行時は『本の雑誌』の時評(のちに21世紀SF1000 PART2 (ハヤカワ文庫JA))に収録)で紹介されたり、『SFが読みたい』のコメント欄にて紹介してくださる方などがいらっしゃいました。

 で、自作の話になるのですが、最近スマホのデータ整理をしていたら収録作「グラス・ファサード」のメモが出てきたのでそれを転載したいと思います。

 すでに読んでくださった方向きなので(ネタバレがあります)、これがああなるのか、と思っていただけたら。読者への感謝サービスのようなものとお考え下さい。こんな作品未満のものしかサービスできませんが……。

 読んでないよ、という方は『あたらしいサハリンの静止点』をご購入ください。ぜひ。

 とはいえ書いたメモはほとんど参考になっておらず、実作に生かされている部分はすくないです(プロットを立てない書き方をしているのでメモも散漫になってしまう)。人の頭というかメモのなかがこうなっているのか、という参考例になったら幸いです。

 では具体的に「グラス・ファサード」がどういう作品かというと、冒頭に入れたエピグラフでわかるようになっています。はずです。

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ベンヤミン×きんモザ

https://twitter.com/nanamenon/status/1197876536549859328?s=20

https://twitter.com/nanamenon/status/1197876536549859328翻訳?s=20

 

  そういうわけでして、言語といえばベンヤミンの提唱する翻訳理論および純粋言語、言葉の橋渡しをする通訳者を目指す主人公のいる『きんいろモザイク』からSFを書いてみようと思ったのが発端です(どういう発端だ)。だから最初のメモには以下のような文言が記されています。

きんいろモザイク一話
「Don't worry! Maybe we don't speak same language, but we can communicate as long as we try to listen to each other's hearts!」
「大丈夫! 言葉が通じなくても心は通じるから!」
 しない、心配する、おそらく、わたしたち、しない、話す、同じ、ことば、しかし、わたしたち、できる、伝える、ほど、の限り、において、わたしたち、試みる、すること、聴く、に、それぞれ、他者の、所有する、心、

 ここを出発点かつ終着点にしようと考えていました。それを一単語ずつ訳したものが後半の文言で、このような訳し方は行間逐語訳と呼ばれます。ベンヤミンもこのようなかたちでの聖書訳を理想としていたようでした。創作での例は多和田葉子「文字移植」がそれにあたります。英語はアニメをリスニングした自分のつたない能力によるものなので間違いがあるかもしれない……それも楽しんでください。

 次に行きましょう。

グラス・ファサード
世界を断片化し、無限に引用する装置
パウル・クレーの同名の絵画からつけられた。
「一人の少女が消え、そして再生する」

 タイトルの元ネタですね。ベンヤミンとクレーの関係は有名で、「新しい天使」という作品をベンヤミンがえらく気に入り、買い取って自分の雑誌のタイトルにまでしたというエピソードがあります。

 装置、と書かれている通り、じっさいの作中にでてくる同名のアプリとはまたべつですが、結構初期の段階で「グラス・ファサード」のエピソードは引用することが決まっていました。エピソードが具体的にどういうものかは検索するか『あたサハ』をご購入ください。

 主要キャラの設定も考えていました。キャラ設定は比較的終盤に書いた記憶があります。

エリカ・ラッセ
人工言語学者
言語における意味生成の空間=言語場というアイデアを発展させる
「わたしたちは言葉に共感することによって意味を受け取る」
生まれながらの母語喪失者
14歳までは英語を話していたが、ホームステイに来た紫苑の日本語に触れ、自分のほんとうのことばがどこでもない場所にあることを実感する。その後、複数の言語学習プログラムを使うことにより一年あまりで日本語を習得。

のちに言語場生成プログラム〈パリンプセスト〉を開発
ベンヤミンの小論に存在する「行間逐語訳」
および、日本語における「ふりがな」からアイデアを受ける

 ここもじっさいの設定から乖離していますね。アプリが〈グラス・ファサード〉ではなく〈パリンプセスト〉になっているあたり、名前は悩んだようです。〈パリンプセスト〉という名前から浮かぶイメージを当初はアプリにしようと思っていたのですが、なんとなく既視感があるので設定ごと変えたのだと思います。

  もうひとりの主人公(語り手)シオンの設定もありますが、設定年代といいかなり違っています。結局もっと若くなりました。

宮下紫苑
技術書の翻訳などをしている
学生時代(高校・大学)にエリカとルームシェアをしていた。
SF作家の叔父がいる。
2018年:『言語存在論』が発表される。
2029年:〈パリンプセスト〉の基本思想がうまれる。
2031年:大学卒業前。姉が殺害される。同時にふたりの計画がはじまる。
2033年ウェアラブル携帯端末(イヤリング)普及開始。
2035年:大学院を卒業。〈パリンプセスト〉国内版運用段階へ。
2040年:〈グラス・ファサード〉現象がはじまる。

  SF作家の叔父はたぶん作中冒頭に出てきた作家ですね。結局血縁関係にあるのは話に合わないと思って切ったことを憶えています。それでも落ちと含めてどうするか悩みましたが。

 2018年の『言語存在論』は重要書で、これがなかったら「グラス・ファサード」は書けていませんでした。面白い本なので言語に興味ある人は読んでみると楽しいと思います。言語に対する思考の転換が得られます。

 

 まっとうなメモはこのあたりまでで、あとはひたすら書きなぐりが続きます。時系列もシーンの順もぐちゃぐちゃなので、断片として受けとってください。断片のそのさらに断片が実作に入っているイメージです。

 小説の地の文みたいななのは、イメージボードみたいなものだと思います。本編に組み込まれるかはわからないけれど、雰囲気を掴むものとして。

その物語を読み、ようやくわたしは未来の意味を知った。


追想モザイク
言語支援ソフト、グラスファサード
論文や小説を登録することで引用可能性が上がる、またリーダビリティや影響力などが数値化される?

エアメールが届く。

あなたはだれかとだれかがわかり合う瞬間を、繋がり合う瞬間を再現した。

それを共感や情動の発生とみることは容易い。わたしたちはそのような心の動きを持っている相手を自分とおなじような人間として捉える。

人間はことばに道具としての価値しかみていないが、それ以上の親愛をじつは抱いていたのではないか。スポーツ選手にとってのシューズのような。奏者にとっての楽器のような。言語に共感するシステムを彼女は明示させた。そして、世界の人々は、母語を失ってしまった。

アイデンティティをそう簡単に取り替えることはできない。わたしは他者の痛みを理解できない。

エリカはとあるsf作家と親交があった。そこから研究のアイデアを見つけたという。
わたしはそこを、訊ねる。
未来が見えなくなったんだ。いきなりね。

もともとはスペースオペラや冒険活劇を主軸とした作家だった。しかし、ある時期を境に人間存在の境界や、知性の有り様に興味を持つような作品が増えていく。
ネットのレヴューサイトには、むかしは気軽に読めたのにいまでは暗くてつまらないと書かれているのが散見される。

あなた、雨、いる、わたし、わかる、ない

わたし、持つ、いた、待つこと、あなたの、ことば、ずっと、しらない、どうして

 SF作家とじっさいに語らうシーンは本編にはありませんね。どうにかして登場させようか考えていた時期のものだったのでしょう。

 ほかにも長い文面を書いて雰囲気を掴もうとしているものがあります。ほぼほぼ没になっていますが、こういうのを書いておくと、本編でなにをテーマにして書くかがわかってくるのであなどれないところです。

あれは小学校の道徳の授業だったはずだ。自分の意見をうまく表明できない人には選択肢を先に用意して、それを提示することで意思決定をスムーズに集約できるのだと、それが正しいことのように書かれていた。
しかし精神的な直観をしりぞけるように、わたしたちは日常のあらゆる決定を理性よりも感性に頼って暮らしている。
だからこそ、そのような選択制の提示は思いやりとして成立する。その一方で誘導尋問といった言葉も成立する。

かつて人間の支配者は細胞に潜む微生物だという説が広まったことがあったね。わたしたちはいわば彼らの乗り物であり、情報を快適に伝えていくための手段でしかない、と。
あるいはわれわれを支配しているのはある価値観念である情報遺伝子、ミームだと述べた学者もいた。
だが、どの学者も情報というパーツそのものの道具性を疑うことはなかった。あらゆる生物は常に情報を伝えることを至上命題としているはずなのに。

差し出されなかったことばの群れ
世界の有限性を破壊して、ことばだけを守ろうとした?
運命という意味を変えなくちゃいけない
わたしたちは断片に生まれたひとつの生命で、その反対には無限がある
だから世界はほんとうの母語をみつけようとするようになる

わたしたちは類似性という概念を使うことて言葉を共有する。主語述語や文法といったものは言語を客観的に示したものではなく、相対的に捉えるためだったが、その役割がいつか逆転し、共約可能性という世界観をつくりだしている。

 

いくつもの言葉が、星座のように瞬いている。
発生された瞬間を憶えているわけではない。けれどアーカイブスがそれを教えてくれる。エリカが木の枝を拾い、優雅な曲線を地面にきざみつける。難しい単語はわからなかったけれど、それがわたしの名前を記したのだと理解できた。葉陰のあいだから差し込んだ光のモザイクが揺れて、ことのはを撫でる。
わたしは嬉しくなって、同じように小枝を握った。エリカという字を、わたしはelicaと綴ったらくすくすと彼女は肩を上下させた。
それからなにかつづけて言う。聞き取れたのは、アリス、という名前だけだった。
いまならなにを言ったのかわかる。文字を組み替えるとべつの名前が浮かび上がるのだ。
エリカはふたたび枝を動かし、今度はわたしの名前を書き換えた。
シノ、と聞こえた。日本風の名前だと思った。
わたし音が向こう岸に渡り、地面に書かれたことばとなって返ってくる。たったそれだけのことに胸の奥がくらくらと熱くなった。

 いっぽうでまったく生かされていないネタもあります。

ことばの戦争
互いの世界の言語を爆弾のようにぶつけ、世界観をゆるがそうとする?

夜の遺産
大人たちは発狂したが、未就学の子供たちは生き残った。それはことばを理解できなかったからにほかならない。

 

断片化された歴史に生きる人々
モザイク世界
モザイクは常に完全性を希求する
そこにある人々にわれわれは侵略されている?われわれは正しいとされる世界にとってのいわばバックアップにすぎない?
ヘーゲル的な歴史は完成しない
世界は複製されることでかろうじてそのかたちを維持している。
あらゆる世界の言葉は侵略されてしまった

言葉を過去に送ることにより、世界の進歩速度を上げていく?
ドッペルとの対話データがミラーコーパスとして記録され、そこに生まれた思想やアイデアが共有されるビジョン?
その一方でドッペル同士は相互浸透し、話者に新たなアイデアを植え付ける
言語的フィードバック

 たぶんイーガンの仮想世界とか「ルミナス」「暗黒整数」の言語版をやろうとしていたんだと思います。少年漫画かなにかのネタっぽい。作品に合わないので没になりました。

 雰囲気を掴むための断片はまだまだありますね。

世界がコーパスだとするなら
テキストや発話を大規模に集めてデータベース化した言語資料

言葉の翻訳は単純な情報の復元ではない。翻訳は原作を補ってつくりかえる。救済する。

わたしたちはいくつもの言葉を持っているけれど、そのどれもが正しい名前を指し示すことはない。それがバベルの意味だ。

ことばは意味を伝達しない、伝達可能性を伝達する

言い間違いもまた、伝達される

ことばそれ自体は倫理的に問われない
問われるのはそれを発する主体だけだ

ことばは叫びであると同時に、呼びかけでもある。エリカは、その名において、わたしを名指している。


たとえあなたの言葉が世界を傷つけることになっても、わたしはあなたを愛するから。

 

メタ言語の存在しない言語
=純粋言語
=神に向けられたことば?

手段の正当性と目的の正しさを決定するのは、決して理性ではなく、手段の正当性を決定するのは運命的な暴力であり、目的の正しさを決定するのは、しかし神である


翻訳者の課題=純粋言語
言語一般および人間の言語について

  上記の救済とか伝達とかバベルとかはベンヤミンの用語ですね。ベンヤミン的なSFがなんなのか探っていくイメージで小説のパーツを書いている。そこに倫理的な視点が入り「グラス・ファサード」がじっさいの作品らしくなっていくわけですが。まあそうした結果ベンヤミンからは離れていくのも事実なんですが、難しい。

 少年漫画というかSFアニメ設定はまだありました。

聖女ジャンヌの生まれ変わり
聖女は神託を聞いた
彼女を通して神の言語=天使の言語
を見つける
しかし失敗する?
あるいは悪魔の言語なら可能ではないか?と考える
聖なる存在を穢すことで、悪魔に変え、それによって地獄に触れることを可能にさせる

中動態として、彼女はことばそのものだった
それを破壊されたかなしみ

名前、つまり名付けによって世界が現出する。カバラ的?
神に向けられている証言=言語=翻訳を人間のもとに支配しようとするプロジェクト
神的暴力という記述、技術化
位相の反転

言語が狂うことによって空間認識が変わる?
異世界からものを持ち込めるようになる?

言葉は世界を壊したりしない。けれど、ことばが壊されたとき、ひとつの世界は終焉する。

人間が成長とともに文法的誤りを意識できるように、歴史の文法を用意できるならその誤りを修正できる?伊藤計劃すぎ?

主人公アリステラ?
アリステア
男性名? 親が古いスパイ小説が好きでね
あなたの名前は?
わからない
じゃあつけようか
ステラってどうかな
名前とは、認識の純粋な媒質だ。

星座的認知。ステラ。サイファ
人間の日常的、社会的コードを補うための技術。共約可能性。
告発に使われる? 言葉の真実性を求めて。裁判や政治の場ではその効力を認められなかったが、人の心象という領域において言葉の価値をはかる指標として機能する。
晩年のソシュールが目指そうとした言葉の内にある深層部。純粋な記号的処理には見えないなんらかのありよう。

 このあたりは生かされなくてよかったな、と思いますね。

 同時に悪い意味で煮詰まっていく頭も見受けられます。

わたしたちの世界観は言葉を記号として取り扱い、それらを交換することによって互いを認識するというきわめて即物的であり水平的な感覚のあり方だ。
でも、それは言葉の本質なのだろうか。言語はいっさいの垂直性を得ることはないのだろうか。
ちぎれていく雲や草木の揺らぎが風という存在を示唆させるように、言葉はそこによって名指されないものを映し出しはしないか。

言語は暴力だ。
その是非を問うことさえできない。
メキシコ先住民を宗教的に征服しえたのはカスティーリャ語の浸透がある。ここには暴力と癒着する言語がある。

無限という空間において、全体という意識は後退する

廃墟的な歴史の救済
=読者の参入によって救われるもの?
=読者こそが天使である?

 実作でできなかった部分だなあ、と感じますね。手に負えない話。

 それからまた実作に近づいていくのがわかります。あまり生かされてはいませんが、こうして断片というかソナーを打ち込まないと書けなかったんでしょう。

違う言葉として認識するのは簡単だった。そこにひそんでいる韻律構造が耳慣れていないからだ。

なら、わたしのぶんはあなたにあげるよ
パンケーキでも切り分けるみたいに、彼女はそうつぶやいた。
互いの言葉を理解できないわたしたちは、そうやって声を交わし合った。
そのときのわたしたちはほんとうに言葉を知らなかった。いまこうやって振り返ることができたのはライフログという記録が残っていて、それに触れることが可能だからだ。

わたしたちはお互いを見て、それを理解するための言葉も知らなかった。髪も肌も目も違っている相手を定義することができなかった。使用する個別言語も異なっていた。

わたしたちはお互いの言語で書かれていた本を持ち寄り、それぞれ一文ずつ声に出して読みあった。物語は絡まっているようで不思議とひとつのモザイクをかたちづくっているように思えた。

あのころのわたしたちにとって、言葉は意思という目的を伝える手段ではなかった。ただ声を、言葉を、交わし合うことによって得られるものがあると知っていた。

わたしたちの異なる言語を媒介する翻訳者はどこにもいなかった。にもかかわらず、わたしたちは心を伝え合うことができた。

言葉は不可逆的に世界の有り様を変えてしまう。言語が世界観をつくるというサピアウォーフの仮説は仮説でしかなかったけれど、その否定は言語が人間の思考様式のひとつであるという観点を崩すものではない。公理でも学説でもない。純粋な、言語という存在が世界を分断する。意味をなさない音の連なりでさえ、認識した瞬間にそれは世界を切り裂くナイフになる。

問題はサピアウォーフの仮説を証明する言語をわれわれが認識発見できないことにある。

わたしたちふたりのうちひとりが言った。
どちらが?

生成文法において、言語は学習するものではなく、環境の影響を受けながら遺伝的なプログラムに従って成長するものとされている。

人間の深層部にある言語能力を底上げした結果、闘争が生まれる?もともと互いにあったはずの冷静な距離感が奪われていく?

わたしたちが有していたはずの不可共約性はいつのまにか失われていて、そこにあった心地よい耳朶の震えはもう思い出せない。あのときあったはずの言葉のモザイクは、綺麗にならさらてしまった。

世界的なシンガーが独自言語をつくり、ゲリラ的に配信をはじめる

 ようやく最後のほうで、エリカの設定に近い断片もありました。 これをいくらか改変して本編に組み込んだみたいですね。

二歳か三歳のころから、わたしは会話が怖くて仕方なくなった。
わたしはいつもことばによっては身を分けられていた。ことばには見えないルールがあり、わたしは必死にそれを憶えようとした。
ことばが使えなければ、排除されると思った。

 言葉に対する恐怖みたいなものは書きたかったのですが、語り手の形式上書けなかった部分ですね。もっと上手いやり方があったらよかったのですが実力不足です。

 シオンの設定も同時に用意していたようです。

「あなたもまた、生まれながらの母語喪失者だった。違いますか?」


「人間はほんとうの意味で他者の痛みを理解することができない」
「だから、わたしたちは倫理を変える必要があった」
「なにを」
「わたしの姉は五年前に殺されました。高校時代から雑誌モデルをやっていて、顔を知られていたためです。病院に運ばれたあと、加害者がインターネットに殺害予告を立てていたことが発覚しました。ですがそのときにはもう加害者は飛び降り」
「物語を読むことが他者への共感能力を高めることは多くの研究で明らかになっています」
「そこには自分ではないだれかのことばがある」
「なら、世界そのものを他者の言語にしてしまえばいい」
「そう、思ったんです」


〈グラス・ファサード〉は人の知能を高めたわけではない。
ことばに対するの人の関わり方を変えただけだ。

 このあたりも基本はおなじで細部をどんどん作り込んでいくさいに変えたようです。グラス・ファサードがカッコつきになっているので、おそらく終盤のメモですね。

 なぜ推理小説っぽい会話文なのかというと自分が推理小説で育った人間だからです(”事件”後コッツウォルズに隠れた主人公たちを日本人記者が尋ねるという書き出しではじまるバージョンもあった。没にした)。

あなたたちの技術はことばを豊かにしただろう。だがそのいっぽうで、ことばを奪ってもいる。

 こうした糾弾するような文面もありました。

 そして最後です。最後に残っていた文章は祈りですね。本編に関係ない言葉。

わたしが望むのはただひとつ。
この瞬間を、永遠に。

 これあとになって気づきましたが、百合SFアンソロジー(ハヤカワ文庫)の帯文パロディになっていますね(この感情を永遠に)。百合が書きたかった、という作者のつよい思いが感じられます。百合は祈りだ。僕は祈る。

 

 以上で創作メモは終わりになります。6000字未満くらいでしょうか。

 こうして振り返るとプロットを書かない代わりに大量の脱線文章を書くことでメインとなるプロットを浮き上がらせるようにしている、という大変非効率な書き方をしていることがわかりますね。みなさんもぜひ真似して非効率な執筆ライフに役立てください。人の頭のなかはほんとうによくわかりませんね、と我ながら思います。

 それではKindle化された『あたらしいサハリンの静止点』をよろしくお願いします。感想がTwitterなどにあったら喜ぶのでそうしたいと思ったらそうしてください。もちろんしなくても結構です。

 最後までお読みいただきありがとうございました。