ミステリ短篇深夜徘徊その2 有栖川有栖「除夜を歩く」

前回から続く、『カメレオンvol.29』に載せたエッセイその2。
今回は前回の久生十蘭のように読み込むというのではなくて、解説・紹介に近い文章を書いた。というのも、『江神二郎の洞察』が出てから半年以上経ったのにもかかわらず、サークル内でここで語られている問題について具体的に話をした覚えがなかったからだ。「おけら参りに行きたいね」と話しても、「あの話って正直どうよ?」とはならなかった。答えのない話だからだろうか。ついでにいえば、あの作品とのつながりを書くべきだったのかもしれないが、それに言及しなかったのは『孤島パズル』解説を読めばこそ。それに、これを書いている時期にはもうすでに飯代勇三の著作で触れられていたこともあったので、こちらとしては原理論であったり、推理小説の土台そのものについて改めて考え、書きたかったということもあった。内容は正直なところ、わかりきっていることを言い直したにすぎないので、あまりよい文章ではない。




 有栖川有栖の小説は、推理小説への憧れに満ちている。
『江神二郎の洞察』は大学生の有栖川有栖(以下アリス)を語り手としたシリーズの短篇集だ。それぞれの短篇で多かれ少なかれ、推理小説や探偵への言及がなされている。とりわけ「除夜を歩く」は作中作を用いて、登場人物によるミステリ談義が短篇ひとつぶんを成しているのだから面白い。
 しかも、たんに推理小説を魅力的に語るだけでなく、かなり実践的な部分にまで話が及んでいる。作者である有栖川有栖の(正確には登場人物の、であるが)ミステリ観が見え隠れしているようで、じつに興味ぶかい。
 あとがきにおいて、有栖川有栖は「話のタネにしていただいても結構」と述べている。熱い議論にはならずとも、夜中にひとり、つらつらと考えるにはうってつけの材料だろう。

■物語の概要
 矢吹山での事件(『月光ゲーム』)があった一九八八年の暮れ、アリスは江神の下宿を訪れる。アリスはそこで、英都推理小説研究会の仲間のひとり、望月周平の書いた犯人当て小説『仰天荘殺人事件』を見つける。
 事件の犯人を推理していくうちに、ふたりの会話はミステリ談義へと発展していく。〈閉じた城〉とミステリの幻想性、そして名探偵の推理の役割。
『仰天荘』のトリックについて考えながら、ふたりはおけら参りへと向かう。望月の犯人当てをたたき台にして、アリスは江神のいう「本格ミステリが内包する根本的な問題」に触れていく。

■アマチュア犯人当てにおけるレベル設定
 犯人当て小説は、ミステリのなかでもとりわけロジックの厳密性を求められる小説だ。意外な真相や意外な犯人で読者を驚かせるのではなく、あくまでフェアプレイな状況を設定し、読者が論理的に、たったひとりの犯人にまでたどり着けるようにしなくてはならない。ゆえに犯人指摘に至るための情報が不足していたり、不明瞭であったりすると、その部分が致命的な瑕疵となってしまう。作者の用意していない第二の真相に読者がたどり着いてしまい、その推理が間違っている根拠が作中の記述から示すことができなければ、結果としてそれは犯人当て小説として破綻していることになる。
 さて『仰天荘殺人事件』を書いた望月はというと、この問題を取り払うべく〈読者への挑戦〉において、現場の状況や事実関係について作者に質問しても構わない、といった旨を括弧書きでつけ加えている。
 また、アリスは『仰天荘』を読み終えたあとに「出題のレベル」について江神に訊ねている。このレベルというのがじつに厄介なもので、アマチュアの手による犯人当て小説は穴が多く、細かい周辺の状況までが伏線として機能しているかどうか、読者には見極めることができない場合があるからである(作中でも江神が触れているが、クイーンマニアである望月の書いたこの『仰天荘』には、容易に偽の手掛かりだと判断することができるはずのダイイングメッセージが登場する。クイーンが何度も挑戦した構図に親しんでいる読者は、これがひねりの効いた演出であることに気づくはずだ)。
 プロの書いた犯人当て小説でも、わざわざ「犯人は単独犯である」と書いておくものがあるが、こうした記述は推理ゲームを成立させるための「お約束」の確認をおこなっているといえよう。

■〈閉じた城〉という表現への意識
 アリスはこうした「お約束」が成り立つゲーム的空間を〈閉じた城〉と考えているが、江神は現実のほうこそが〈閉じた城〉だという。
 純粋に論理が適用されるような空間、つまり「探偵による完璧な推理」が可能である小説内の世界をアリスは〈閉じた城〉と呼んだのに対し、江神のほうは、この空間の脆弱性に自覚的な立場をとっている。

「ああ、違うな。そもそもミステリにおける〈閉じた城〉は、現実ほど徹底的に閉じてない。嵐の孤島や雪に降り込められた山荘に限られた数の登場人物を集めたとしても、外部の人間がどうにかして侵入する可能性はどこかしら残る」

 アリスの考えていたゲーム的空間は、ほかの真相の可能性を排除することが不可能という点から、完璧ではないという問題がある。「考えもつかないトリックの可能性」を否定する根拠を、あらかじめ用意することはできないからだ*1
 このことを江神は「ミステリはあらかじめ底が抜けている」と表現する。〈閉じた城〉の底が抜ける。その表現を読んだとき、一部の読者の頭に、ある図が浮かび上がりはしなかったか。

■〈閉じた城〉の構造モデル
 図は法月綸太郎「一九三二年の傑作群をめぐって」(『法月綸太郎ミステリー塾 海外編 複雑な殺人芸術』講談社 所収)において、法月が笠井潔の提示したモデルを発展させたものである。上位に作者と読者、中位に犯人と探偵、下位に死体が配置されている。推理小説の構造モデルだ。

 これはしばしば〈後期クイーン的問題〉を論じるさいに用いられる図であるが、そうした問題を扱いたいわけではない。この図を用いることで、江神がいわんとしていることがよりわかりやすくなるだろうと考えるからである。
 つまり、この図は推理小説の構造モデルであるが、同時に、推理小説内における〈閉じた城〉そのものだということもできる。
 さきほど「出題レベル」と「お約束」の確認について述べたが、アリスと江神が交わした言葉はいわばこの図における、作者‐読者間の線分を引く作業なのである。こうした手続がおこなわれたうえではじめて、推理が可能な空間が構成される。推理小説の構造に対してアリスがもっていた意識はこのようなものだろう。おそらく、多くの読者がこうした意識を共有しているはずである。しかし、江神はこの構造の脆弱性を指摘する。
 たとえ純粋な論理空間を構築しようとも、どこかしらにほころびが生じる可能性は否定できない。「底が抜ける」という表現は、この図では蓋が外れる、といい換えたほうがわかりやすいだろう。
 作者‐読者間の了解はなかったことになり、論理空間は瓦解する。なぜなら、第二の真相や、考えもつかないトリックは、この三角形の外側に存在しているからだ。ゆえに「トリックはロジックに優先する」。どんなに緻密なロジックを固めようとも、それは三角形の内側でのことにすぎない。外側に存在するであろうまだ見ぬトリックは、内側のロジックに対して絶対的な優位性を保ちつづけるのである。

■名探偵の推理がみせる幻 の城
 推理小説は解答に辿りつけなければ、小説として意味をなさない(一部の例外は存在するが、話が煩雑になるのでいまは避ける)。このとき解答とは、犯人あるいは犯人の用いたトリックのことだ。探偵は手掛かりをもとに、論理を武器にして推理を進めていく。このとき探偵の推理は演繹法といえよう。しかし推理小説は作者の手によってあらかじめ解答が用意されているのであって、どんなに探偵が演繹的推理を用いても、それはトリックから導かれた帰納法的な筋道にすぎない。優先されるのはあくまでトリックなのだ。
 けれども、そうした状況を自覚しながらあえて過酷な道を、論理の輝きを求めようとするのが有栖川有栖のもつ推理小説への憧れともいえる。

「最後は悪魔の証明の前に膝を屈するのが避けられないとして、ぎりぎりまで論理的な推理を積み上げようとする作品をどう評価しますか?」
「最高やないか。素晴らしく人間的で、詩的や」

〈閉じた城〉は幻にすぎない。けれどもその幻を描くのは、名探偵のふりかざす論理だ。そして限界まで引き伸ばされた論理の三角形は、もしかしたらその外側にも届くのではないか。「除夜を歩く」を通して、有栖川有栖は自身の推理小説への意志をそのように表明しているのではないか。
 そう思わずにはいられないほどの憧れが、この短篇にはつまっている。

■補遺というかあとがき
 法月綸太郎が出てきたことがどうも不自然のように思えるが、ちょうどこれを書く数ヶ月前に『瀬名秀明ロボット学論集』を読んでいたことを思い出した。こちらでは『デカルトの密室』つながりで、法月綸太郎の先の図が出てきたり、法月綸太郎による瀬名秀明インタビュー(たしか『CRITICA』創刊号が初出)で法月の推理小説に対するアプローチにすこしだけ触れられていたりした。この一冊で『デカルトの密室』を読み返す必要に駆られ、加えて推理小説の構造については『エラリー・クイーンの騎士たち』読んだおかげで、うなりながら考えていた。そのため自然と『エラリー・クイーン論』もぱらぱらと読むことになった。この夏は結果的に本格のルールをどこまで徹底していけばいいのかとおぼろげに考えはじめていたように思う。
 そのうえで有栖川有栖法月綸太郎というふたりの作家を並べたとき、前者は三角形を巨大化させていき、後者は三角形をより強固にさせていくイメージを思いついていたような気がする。後者については客観的にみることのできる自信がなかったので、書かなかった、というより書けなかった。
 このあたりから、ざっくりと、ミステリで問題になると言われている点について自分なりに考えてみたらどうだろう、と思うようになってきていた。ゆえに次の回では、大山誠一郎と「偶然」の問題について語ることに決めていた。


江神二郎の洞察 (創元クライム・クラブ)

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法月綸太郎ミステリー塾 海外編 複雑な殺人芸術

法月綸太郎ミステリー塾 海外編 複雑な殺人芸術

瀬名秀明ロボット学論集

瀬名秀明ロボット学論集

エラリー・クイーン論

エラリー・クイーン論

*1:飯城勇三エラリー・クイーン論』(論創社)の第十章では、「新たなデータの発見によって推理がくつがえる可能性」への言及があるが、作中で江神が触れている問題とは別のものだ。江神が扱いたいのは、推理小説の構造そのものについてであって、ロジック構築の材料としての証拠の問題ではない。もちろんこちらも重要な問題ではある。