『最後の一撃』あるいは最後から二番目の一撃

注意:エラリイ・クイーン『最後の一撃』の真相に一部触れている部分があります。


摂取記録は月イチだと書かなくなることがわかったので、今後は読み次第、ちまちま書いていくことにします。

最後の一撃 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-14)

最後の一撃 (ハヤカワ・ミステリ文庫 2-14)

 といっても読んだのは、今年の9月くらいだったのだけれど、いくつか気になった部分があり、それが最近になってもしかすると国内の新本格作品のあの趣向に比肩するネタだったんじゃないかと思うようになったので備忘録として書く。また、混乱を避けるため、作中探偵エラリイ・クイーンのことをエラリイ、実作者のエラリイ・クイーンのことをクイーンと呼ぶことにする。


 まだ若かりし頃のエラリイが当時(『ローマ帽子の秘密』が出版された頃。設定としてはエラリイが解決した事件を小説化しているという『エジプト十字架の秘密』以降のお話に準じているので、いま思うとリブート企画っぽい)解決できなかった事件を二十七年後になって解き明かすという趣向の作品で、ところどころにセルフオマージュが散りばめられている。第三篇に入ったところで『ローマ帽子』の〈読者への挑戦〉が引用されるのもズバリだろう。そのあたりについては訳者あとがきでも触れられている。
 
 手元にある『エラリー・クイーン Perfect Guide』(ぶんか社*1によれば「クイーンは当初、本作で作家活動を終えるつもりだったらしい」とのことで、いわれてみれば節々にそんな雰囲気が……といった印象の残る作品だ。そのあともエラリイ・クイーン名義の小説は出版されることになるのだが、これまでの共作タッグ(ダネイ&リー)による小説ではなく、シオドア・スタージョンをはじめとした作家の手を借りたことはWikipediaにも載っていること*2なので周知の通りである。


■Berkeley In The US
 さて、本作にちりばめられたセルフオマージュのなかでも「らしい」と思わせるのが、エラリイがビブリオマニアだったという設定も踏襲されている点だ(処女作『ローマ帽子の秘密』ではたびたびエラリイのキャラクターを特徴づけるものとして描写されていた)。事件当時は1930年のクリスマス。舞台はむろんアメリカ。そのときにエラリイが読んでいたのが、アントニイ・バークリーの『毒入りチョコレート事件』なのだ。

 午後かなり時間がったころ、本を読んでいたエラリイがふと頭を上げると、エレン・クレイグが彼の前で爪先でとんとん床を叩いていた。
「なにを読んでいらっしゃるの?」
「アンソニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』です」
(…)
「いいですか、今ちょっと読んだだけだが、このイギリス人のバークリイ氏は、あっとばかり驚かせるような奥の手を持っていますよ。ぼくは自衛上これを読み終えていかなければならない。(…)」

 現在自分の手元にある創元推理文庫アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』(2009年新版・2011年第三刷)の中表紙の裏ページ(原題と出版年が記載されている)を見ると、

THE POISONED CHOCOLATES CASE
by
Anthony Berkeley
(Fracis Iles)
1929

 とあるので、イギリスで出版されたその年の翌年に、海の向こうの探偵エラリイがバークリーの本を手にとっているのは不思議ではない。なにせ同じ英語圏であるので翻訳出版の必要もない(というと怒られるかもしれないが)。
 ちなみに上記引用部カッコ内のフランシス・アイルズはバークリーの別名義で『殺意』などが有名なのもWikipediaに載っているので*3周知の通りだろう。

 いちおうネット検索で『毒チョコ』がアメリカで出版されているのかを調べてみると、英語サイトのWikipediaに記事があった。なんとここに出版歴が記述されている。さすがはネット社会、集合知バンザイである。

The Poisoned Chocolates Case - Wikipedia
以下上記サイトよりコピーアンドペースト

Release details
1929, UK, Collins Crime Club, (ISBN NA), Pub date ? ? 1929, hardback (First edition)
1950, UK, Pan Books, (ISBN NA), Pub date ? ? 1950, paperback
1983, US, Dell Publishing (ISBN 0-440-16844-9), Pub date ? November 1983, paperback
1983, UK, Penguin Books (ISBN 0-14-008161-5), Pub date ? July 1986, paperback
1991, US, Black Dagger Crime Reprints (ISBN 0-86220-820-3), Pub date 4 December 1991, hardback
?, US, Dales (ISBN 1-84262-217-X), Pub date ? ? ?, hardback (Large print edition)
2001, US, House of Stratus (ISBN 0-7551-0206-1), Pub date 31 August 2001, paperback

 信憑性は定かではないものの、アメリカ(United States)で出版されたのは1983年のものが確認できるようだ。むろん83年以前にアメリカで出版されていた可能性もあるが、出版スピードがどのくらいか想像がつかないので、やはり1929年に本国で出版されたハードカバー版(初版)をエラリイが直接送ってもらうよう注文したか、ニューヨークの書店に輸入されて陳列してあったものを購入したのではないだろうか(あるいはイギリスにいる知人に頼んで買ってきてもらったとか、とにかく手に入れる方法はいくつかあるだろう)。

 と思っていたのだが、USアマゾンで検索してみると、1929年にアメリカの出版社から出版されているThe Poisoned Chocolates Caseがあるらしい。

http://www.amazon.com/Poisoned-Chocolates-Case-Sheringham-Detective/dp/B001V312LQ/ref=sr_1_7?ie=UTF8&qid=1447728955&sr=8-7&keywords=poisoned+chocolates+case

 早くも集合知の駄目っぽさが露呈してしまった。やはりWikipedia先生なんかには頼るべきではなかったのだ……。アマゾンの情報によれば出版社の名前はDoubleday, Doran & Company, Inc.であるとのこと。調べてみるとこのダブルデイという会社のブランド(インプリント)にCrime clubがあり、すでにそこでバークリーの『絹靴下殺人事件』が出版されていたようだ。1928年の出版である。

 気を取り直して、とりあえずこの出版社名とPoisoned Chocolates Caseで検索してみると、案の定ヒット。信ずるべきはネット社会の集合知ではなくGoogle Books様であったことが証明された。

https://books.google.co.jp/books?id=FpB5bB6Ljk4C&pg=PA213&lpg=PA213&dq=Doubleday,+Doran+%26+Company%E3%80%80Poisoned+chocolates+case&source=bl&ots=toEiEiVvOX&sig=H15G1z_oSM8RuXMLTaRW6s01Nl8&hl=ja&sa=X&ved=0CBwQ6AEwAGoVChMIlvST9byWyQIVw5eUCh1b9wQs#v=onepage&q=Doubleday%2C%20Doran%20%26%20Company%E3%80%80Poisoned%20chocolates%20case&f=false

 ラッキーなことに当時の書影も確認できる。右上にはA CLIME CLUB FABRICATIONの文字。どうやら『毒チョコ』もクライムクラブというブランドシリーズとして出版されたようだ。文字が小さくて読みにくいが、中央の下部分には「『絹靴下殺人事件』の著者アントニイ・バークリーによる」(たぶん)と書かれているくらいだから、この時点で彼の作品は人気があったのだろう。そして1929という数字! わざわざ海を越えて注文するまでもなく、当時のアメリカでは『毒チョコ』が出版されていたのだ。ゆえに『最後の一撃』でエラリイが読んでいたのはこの本に違いない! QED


■Back In The EQMM
 ここでようやく辻褄が合い、エラリイがちゃんと現実世界を下敷きにおいても『毒チョコ』を手にとっていたであろうことが証明されたのだけれども、おそらく年季の入ったクイーンファンにしてみればこのくらい知っていて当然、常識の範疇なのかもしれない。イギリス本国で出版された本を注文? 馬鹿じゃねえの? と思っていたのかもしれない。だがあくまでここまでの話は書誌情報のチェックにすぎない。むしろここからが本題といってもいい。

 自分が疑問に思うのは、読み途中とはいえ、あの『毒入りチョコレート事件』に対して「このイギリス人のバークリイ氏は、あっとばかり驚かせるような奥の手を持っていますよ」というのは、エラリイの感想としてみると少々雑すぎやしないだろうか、ということである。

 確かに当時のエラリイは若造だったかもしれないが、この『最後の一撃』の実作者たるクイーンはEQMMの編集として、読み手としても相当なキャリアを積んできているはずなのだ。『最後の一撃』出版当時はまだ『毒チョコ』を多重解決という構造をもったミステリの小ジャンルとして捉える空気はなかったかもしれないが、クイーンの嗅覚は相当なものだったはずである。

 加えていうなら、クイーンは短編アンソロジー『黄金の十二』*4で、この『毒チョコ』のプロトタイプとなった短編「偶然の審判」に対して、

 これまで書かれた中では、もっとも完璧に近いプロットを持つ短編

 と評しているくらいべた褒めなのだ。にも関わらず、なぜこんなふわふわとした感想しかエラリイは言おうとしないのか。もっと含みのある言い方でもいいし、あるいは作家としてのジェラシーを感じさせるようなピリッとした発言でもいいだろう(後者はエラリイらしくないが)。

 可能性としてひとつ考えられるのは、作品のネタバレを避けるためであろう。というよりほんらいの目的は1930年の時代風俗を描写することなのだが、その際にちょっとした遊び心を思いついたのではないかということである。執筆中のクイーンは当時読んでいて面白かったミステリを作中で紹介してしまうと考える。むろん未読者から楽しみを奪うわけにはいかないので詳細は記さずに登場させた、というわけだ。『ローマ帽子』の劇場や『フランス白粉』のデパートなど、殺人の舞台をアメリカ風俗描写としていきいきと書いてきたクイーンなら十分ありえる話ではないか。

 いやしかし、それならばなぜ、よりにもよってバークリーでなくてはならなかったのか? という問いが出てくる。

 折しも1930年は、本格ミステリにとっては黄金期と呼ばれた時代にあたる。その年の出来事でいえば、かのジョン・ディクスン・カーが『夜歩く』でデビューを果たしているし、『毒チョコ』の出版された1929年であれば、ヴァン・ダイン『僧正殺人事件』やダシール・ハメット『血の収穫』が出版されている。ミステリの名作であればそこら中に転がっているのである。時代風俗描写としてミステリを出そうと思うのなら、執筆当時すでにミステリアンソロジー活動おじさんであったクイーン氏のことである、なにを主人公に読ませるべきか、小一時間悩んだのではないかと思う。
 
 国名シリーズ時代のエラリイは作中でハードボイルドを批難していたので、ハメットの登場はあまり望めなさそうなものの、それこそクイーン作品やキャラ造形のもととなったヴァン・ダインの名前がここで出てきても不思議はないはずだ。むしろクイーンが本作を最終作と考えていたならば、祖たるヴァン・ダインの名をエラリイが口にするほうがずっと原点回帰的であるし、懐古的でもある。それに比べると、『毒チョコ』は特殊な構造を持つミステリであるがゆえに、この(友情?)出演にはどうも不格好な印象が残るのだ。


■Ellery Telepath
 だがここで、ひとつバークリーでなくてはならない有力な説が見いだせる。それは、アントニイ・バークリー『毒入りチョコレート事件』という存在が、『最後の一撃』のプロットに密接に関わっている可能性だ。あの唐突なバークリーの登場は、プロット的な必然、すなわち伏線ではなかったか、ということである。


〈以下からは『最後の一撃』の真相に触れることになります。未読の方はご注意ください〉


 では『毒入りチョコレート事件』について考えてみるが、これについては前述のとおり、この作品の構造から考えて『最後の一撃』との関連性は見いだせない。だが、見いだせる部分もあるにはあるのだ。それはどこか。

 その回答を示す前に、『最後の一撃』の最終ページについて確認する。推理をすべて語り終えたエラリイに、真犯人は訊ねる。エラリイはある物品のある箇所を見ることで、それまでの事件に出てきた意味不明なものの共通項を見出した。しかし一体それはなんであったのか、ということをだ。以下が、エラリイが気づいたときの場面にあたる部分だ。

 (…)彼はなにとはなしに手をのばしてジョンの刺繍の贈呈版を取って開いた。
 彼は神の啓示でも受けたように喜びにふるえてまっすぐに座り直した。
 彼は偶然、その本のとびらを開いた。すると、そこにあった……そこにあった。それはページから彼の眼を通過して、脳髄の中に、忘れられていた宝庫に飛びついて、光のような速さで心の扉を開いた。

 ハヤカワミステリ文庫版ではそこでページの文章が終わり、次のページには図が示される。ジョン・セバスチアンの詩集の扉ページ、つまりは中表紙である。書いてある文字は「The Food of Love BY JOHN SEBASTIAN "If music be the food of love, play on . . . " ―TWELFTH NIGHT  THE ABC PRESS NEW YORK 1930」。

 エラリイはこれを見て、真相に到達するのに必要なキーワードがアルファベットであることに気づいたのだ。ゆえにエラリイは真犯人に向かってこう答える。

「それはね、あなたの印刷会社の社名ですよ。あれはたぶんあなたの名前の頭文字をとったのだと思いますがね」とエラリイはいった。「ABC印刷所です」

 
 ここまで書いたなら気づいた人もいるだろう。そうに違いない。つまり伏線だったのは、『毒入りチョコレート事件』ではなく、「アントニイ・バークリー」のほうだった。いやそれでは全体の70%といったところだろうか。だから正確に記すとなると、

アントニイ・バークリー・コックス(Anthony Berkeley Cox)」

 が正しい伏線だったといえるのだろう。バークリーのキャリア当初に使われた自身の名をもじったペンネームがA・B・コックスであり、「アントニイ・バークリー・コックス」は、バークリーの本名である。頭文字をとると、ABC。ちなみにいえば、『毒入りチョコレート事件』に登場するアンブローズ・バターフィールド・チタウィックもまたABCの頭文字をもっている。なにより『毒入りチョコレート事件』の杉江松恋による解説には、バークリーがA.B.Cox Ltd.なる自身の名前をもじった会社を経営していたという事実も記載されている。
 
 むろん、『最後の一撃』出版当時に、バークリーの本名がコックスであるというのは、周知の事実であったという傍証はある。同じく『毒チョコ』解説に、江戸川乱歩が1957年に「海外探偵小説作家と作品」で「コックス氏」と記述しているのである。日本の人間が知っているのだから、バークリーの本名がABCであるというのは、おそらくミステリファンのなかでは比較的浸透していたはずであろう。

 ゆえに以上のことから、クイーンが『最後の一撃』に『毒入りチョコレート事件』を出したのは、バークリーの名前を読者(それもミステリマニア)に向けた伏線として暗示するためだったのではないか、ということができそうである。


■New Chocolate Case
 さて、本書をバークリー本人はどう読んだか。近年、バークリー書評集という素晴らしい翻訳企画(現在は第三巻を予定しているとのこと)*5がおこなわれているそうでその第一巻に『最後の一撃』の書評があるらしい(自分は電子化を待っています)。風のうわさによれば、『最後の一撃』はバークリーからはあまりよい評価を得られなかったとか。ミステリとして面白いかどうかをおいておいても、読んでいる自身の名前が伏線というか道具として使われていたらあまりよい気持ちにはなれないだろう。

 しかし、そんな反応をもらうことを作者クイーンもじゅうぶん考えていたのではないだろうか。いや、そもそも、ABC=バークリーなんて伝わりにくいネタをどうして入れようと思ったのだろうか。エラリイが真相に気づくための伏線はちゃんと別のところにあったわけだから(ミステリとしての出来はともかくとして)、1930年の風俗描写として入れたかったとしても、正直『毒チョコ』のくだりは物語から抜いても問題はなかったはずである。なぜ、そこまでしたのか? それがわからない。




 いや、わかった。
 答えは『最後の一撃』のなかにあったのだ。

 (…)彼はなにとはなしに手をのばしてジョンの刺繍の贈呈版を取って開いた。
 彼は神の啓示でも受けたように喜びにふるえてまっすぐに座り直した。
 彼は偶然、その本のとびらを開いた。すると、そこにあった……そこにあった。それはページから彼の眼を通過して、脳髄の中に、忘れられていた宝庫に飛びついて、光のような速さで心の扉を開いた。

 作中のエラリイがしてみせたように、われわれもまた、『最後の一撃』のとびらを開く必要がある。いや、正確には、そのとびらの裏を見る必要があるのだ。

THE FINISHING STROKE
by Ellery Queen
Copy Right(C)1958 by
Ellery Queen

 重要なのはふたつの年代。1930年と、1958年なのだ。

 『毒チョコ』解説によれば、1930年にアントニイ・バークリーは『毒入りチョコレート事件』に登場させた「犯罪研究会」のような集まりを、イギリスのミステリ作家のあいだにつくりあげた。現在のCWA(英国推理作家協会)の前身とされる、「ディテクション・クラブ」である。彼はこのクラブを通して、ミステリの発展に多大な貢献をした。にもかかわらず、彼は1958年に同クラブを退会しているのである。理由は以下のように記されている。

 直接の原因は、会長だったドロシー・L・セイヤーズが死去した後、自分ではなくて、アガサ・クリスティーが後任者になったことに腹を立てたからだという。

 これまで自分は、『最後の一撃』と『毒入りチョコレート事件』について語ってきたはずだった。だが、もしかすると、さらにもうひとつ考えに入れるべき要素があったのではないかといまになって思う。いやむしろアルファベットを使った事件を演出する構図、ABCの名を冠する人物といった要素が出てきたときに、多くの人が連想するミステリの有名作がすでにこの世にはあったはずではないか。

 『毒チョコ』解説によれば、バークリーは1939年で作家としての筆を折っている。だとするなら、たとえABC=バークリーというミステリマニア間の事実があったとしても、1958年に出版された『最後の一撃』を読み終えた読者の多くが口にするのは、

アントニイ・バークリー

 ではなく、

アガサ・クリスティー

 の名前なのではないのか。
 1958年、ディテクション・クラブの会長になったのは、ABCの名を持つ男ではなく、タイトルにABCの名を冠した小説を出版したことのある、アガサ・クリスティだった。手元にある情報は出版年のみであるので、彼女の会長就任後に『最後の一撃』が出版されたのか、それとも『最後の一撃』出版後に彼女が会長に就任したのかはわからない。イギリスの作家クラブでの出来事を知ったクイーンは、ミステリの世界から遠のいてくバークリーに対して、彼なりの方法で花を手向けようとしたのだろうか。

 いや、作家の書いた文章にそのような感傷が宿るかどうかは、ささいな問題なのかもしれないとも思う。なぜならどちらにせよクイーンは、最後の、さいごの一撃で、盛大なミスディレクションを読者に向けてやってのけたのであるのだから。




「この作品は、アガサ・クリスティーをもとに考えたんですか?」

 たとえば『最後の一撃』の読者がリーやダネイにたずねる場面があるとしたら、こんな質問が飛んで来るかもしれない。そんなとき、きっと彼らは一度顔を見合わせてから、いいえ、と呟くのだろう。それから、口許に微笑を浮かべ、すこしだけ声を落として、

アントニイ・バークリーです」

 と、秘密めかした顔でうれしそうに答えてくれると自分は思うのだ。そこで読者は、はっと気づくのにちがいない。

 それはまさに、遅効性の毒の一撃ではないだろうか。