「盗まれた手紙」をさがしています

だいぶ前に引っ越しをしていたのですが、ようやく最近になって身辺が落ち着き(ダンボール箱に入ったままの本たちの処理がある程度終わり)、読みたいテーマに沿って本を比較的手に取れるようになってきたので再開します。

黒猫・アッシャー家の崩壊―ポー短編集〈1〉ゴシック編 (新潮文庫)

黒猫・アッシャー家の崩壊―ポー短編集〈1〉ゴシック編 (新潮文庫)

モルグ街の殺人・黄金虫―ポー短編集〈2〉ミステリ編 (新潮文庫)

モルグ街の殺人・黄金虫―ポー短編集〈2〉ミステリ編 (新潮文庫)

 ミステリの歴史でポーの「モルグ街の殺人」はその嚆矢とされているためか、そのタイトルをもじった短編は結構多いように思う。ほかにも肝心なネタにさらりと触れられていたり、作中の出来事や固有名詞に顔を出すこともある。またゴシック小説の文脈では、同作者による「アッシャー家の崩壊」も多い印象がある。とりわけ後者はミステリの文脈で語る必要がないせいか、Wikipediaのページを見ると映画になった数も「モルグ街」のページより多く紹介されている(ジャンル的にも演出的にも映像化しやすいということでもあるのだろうが)。むろんミステリー(広義)でも引用・パロディ・リスペクトは発生する。具体的にいえば、紙魚家が崩壊したり、蘆屋家が崩壊したりする。

 そういう創作上のパーツにされやすいポーであるけれども、とくに本格ミステリの場合は、引用どころか同じシチュエーションに挑戦する、という特殊な文脈が存在する。つまり、同じパーツ・舞台・状況などを使いつつ、まったく新しい形を見せること自体に価値が見いだされる。伝統芸能っぽいといえばそうであるし、だれがの発言か忘れてしまったけれど「器」にどう盛るか、という趣向それ自体が面白さになる。第nの解答といえば、多重解決ものという特殊ジャンルにすらなりうる。

 けれども、もとになる特定の器として面白いのはなんだろうか、と考えだすと、割と難しい。特定の趣向として思い浮かぶのは「50円玉二十枚の謎」*1というシチュエーションであったり、「九マイルは遠すぎる」*2式の連鎖系推理だろうか。密室・誘拐・暗号など小ジャンルはあっても、さすがに細かい条件まで被らせてしまうと、独創的な展開に出来ない難しさがあるのだろう。縛りがきつくなりすぎて、発展性が見込みにくいのかもしれない。そう思っているうちに、ある程度の縛りが用意されているなかでも自由度があり、面白いのでは、と思うものがひとつあった。これまたポーである。「盗まれた手紙」だ。

盗まれた手紙

盗まれた手紙

 あらすじについては言うまい。探偵についても言うまい。じっさいにこれを受けて書かれたもので、有名なのは間違いなく、

 「ボヘミアの醜聞」だろう。事件の構図は明らかに意識されたものだ。これがさらなる発展をみせるのは、ホームズもののパスティーシュとしてなのは残念だが、戸川安宣も「デュパンに軍配を上げねばならない」と言っているとおり、推理の冴えの面白さではホームズに勝ち目はない。というか、重要な機密を持っている相手に対する行動として、ある物品をぶん投げるよう指示する方法はあまりにも強引すぎやしないかと思うが、これ以上言うと怒られそうだ。

夢の女・恐怖のベッド―他六篇 (岩波文庫)

夢の女・恐怖のベッド―他六篇 (岩波文庫)

 といってもドイルが下手くそだったわけではないのは明白で、むしろだいぶスマートな解決にしたといってよい。そう断言できるのはポーと同時代の時点で、すでに「盗まれた手紙」に挑戦した作家がいたからだ。しかもそれをやったのが、よりにもよって『月長石』や『白衣の女』のコリンズなのだ。タイトルもまんま「盗まれた手紙」。シチュエーションとしても、それが明らかにされてしまえばある人物の名誉が損なわれてしまうというもので、報酬付きで手紙を盗み返すというくだりまでポーの同作品をなぞっている。肝心の手紙の隠し場所はというと、ポーにもドイルにも及ばないとしか言いようがない。訳者の解説によれば「他人の作品の無断使用に近いとの評」もあるそうだが、それも仕方ないのでは、とつい思ってしまうのは自分がコリンズに対してそれほど思い入れがないからなのだろう。

 また未読ではあるけれども、ジョン・スラデックが「盗まれたバター」というタイトルの短編を書いている。翻訳はハヤカワミステリマガジンのみ。あのスラデックのことだからうまいことやってくれるかほんとうに残念な出来なのかはわからないけれども、HMMに掲載されたってことは間違いなくデュパンのパロディに違いない。既読のかたがいましたら情報提供してくださるとありがたいです。

 日本国内ではどうかというと、坂口安吾が「盗まれた手紙の話」を出している。趣向はまったくの別物になっていてポーの「盗まれた手紙」の面影はない(ポーの名は出てくるが)。最初に嘘か誠か判別のつかない手紙の内容が記されており、そのあとは手紙を中心とした登場人物たちのバカ話になっている。こういうのをファルスというべきかはわからないけれども、手紙自体が第三者によって読まれることで話が動き出すのはべつの趣向として面白い。一種の操りとして。

天城一の密室犯罪学教程

天城一の密室犯罪学教程

 逆に最もまともな形で「盗まれた手紙」に挑戦したのは天城一だろう。摩耶正ものの一編で、タイトルも「盗まれた手紙」。状況もほとんど元ネタと同じで(唯一違うのは、手紙自体は盗まずにその内容をカメラで撮影したという点)、いかにして摩耶が隠し場所に対する推理をおこなったのかが摩耶自身による手紙という形で記述されている。といっても天城がやろうとしたのはポーのパロディや変奏ではなく、ハイデガーの変奏だというが、現在の読者はそこまで肩肘張って読む必要もないだろう。ただ作者による弁証法的な「盗まれた手紙」の推理を楽しめればよい。これぞ論理小説だといえるくらいには楽しい出来になっている。じっさい推理というか、思考の冴えはポーから一歩進んだものになっていると思う。発表当時よりも、いまになって評価されるのは内容ゆえだろう。

茶色い部屋の謎 (光文社文庫)

茶色い部屋の謎 (光文社文庫)

 清水義範がやるのは変奏でもパロディでもなく、続編・パスティーシュ。「また盗まれた手紙」というタイトルが示すとおり、「盗まれた手紙」の事件ののち、例によって貴婦人の手紙がまた大臣に盗まれてしまう。一度盗み返されてしまったために、大臣はさらに難しい隠し場所に手紙を隠すのだが、デュパンはそれさえも出し抜く。「盗まれた手紙」の思考法をさらに発展させつつ、巧妙さも残している点はさすが。論理の練りや意外性では天城のほうが上だが、シンプルかつスマートであるという点では清水のほうに票が入る。

 「盗まれた手紙」といいつつ、元ネタは別のところから持ってきているのが法月らしい。クレバーな隠し場所が焦点ではなく、どこに論理の穴があったのかを推理するパズルになっているが、これはこれで面白い。同作者の「ヒュドラ第十の首」の手袋の推理が好きなら間違いなく気に入るはず。

 一見クワコーのばかばかしさやトンデモ大学生の奇行を楽しむユーモア小説なのだが、注意して読んでみると、この「盗まれた手紙」では登場人物の役割だけでなく、その手紙が持つ効力・目的までがすべて元ネタから逆転していることに気付かされる。さすがはさすがは奥泉光である。今回ざっと読みなおしてみると、もしかして天城一の「盗まれた手紙」も読んでいたのでは……と思われなくもないのだが、奥泉光ならこのくらいの筋書きならひとりで思いつきそうでもある。隠し場所がそれほど焦点にはならず、盗む側・盗まれる側の思考の読み合いの面がつよく出てくるためか、じつはこれが一番現代的で面白い。これは構図を逆転させて書いたアイデアの勝利だと思う(なにせ思考の読みが一回ぶん増えるのだから)。

「赤」の誘惑―フィクション論序説

「赤」の誘惑―フィクション論序説

 パロディではないが「盗まれた手紙」の周辺について言及している箇所がある。例によって蓮實はラカンデリダも正論で殴る。テキストをちゃんと読まずに自分の主観に合うように都合よく内容や解釈を捻じ曲げるなっていう話なのだが、テキストを読み込んだはずのこの作者じたいが自家撞着になっているのでは……というきらいがあるので難儀な本でもある。心からまっとうであろうとするがゆえに世間一般のまっとうにすらなれない、というようなねじれがある。序説に至るための序説になっているというか。「盗まれた手紙」そのものには関係ないかもしれないが、参考として。



 ざっと調べたところでは「盗まれた手紙」を前提とした作品はこれくらい。「盗まれた手紙」は単純な隠し場所の思考パターンだけでなく、犯人/探偵の思考トレースおよび出し抜き、そして手紙じたいがもたらす影響力の問題……とじつはかなり面白い「器」であるように思われるので、さらなる作品が生まれ、また発掘されることを願いたい。