少なくとも 姉は何かを失敗したことはなかったはずだ
ベスト姉ヒロイン大賞とは、その年1月1日~12月31日までに発表されたアニメ作品(劇場作品も含む)のうち、姉に対する描写が特に優れていたものに贈られる賞です。2018年には『あかねさす少女』『ゴブリンスレイヤー』がはじめての二作同時受賞となり、姉フィクション界が大いに盛り上がったのは記憶に新しいことかと思います。
2019年でベスト姉ヒロイン大賞も発足してから七年の月日が経ちました。わたしたちの歩みを振り返る意味を込め、ここに改めて各年の受賞作を列記いたします。
2013年『境界の彼方』
2014年『グリザイアの果実』
2015年 受賞作なし
2016年『響け!ユーフォニアム2』
2017年『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ』
2018年『あかねさす少女』『ゴブリンスレイヤー』(同時受賞)
2019年ベスト姉ヒロイン大賞候補作品および受賞作品
2019年ベスト姉ヒロイン大賞の選考は、事前の候補作品選出(推薦=エントリーについては公募制)ののち、2019年12月31日、関西の某所にておこなわれました。
選考委員には、百合オタク、ゆるアニメオタク、姉原理主義者の三名が出席しました。また記録係として筆者が出席しました。
今回の最終候補作品は以下の五作品です。
『私に天使が舞い降りた!』
『ケムリクサ』
『グランベルム』
『空の青さを知る人よ』
『ぬるぺた』
上記五作品をもとに討議した結果、
受賞作品を『ぬるぺた』と決定いたしました。
また、以下に各選考委員の選評を掲載いたします。
選評 百合オタク
今年は『わたてん』にはじまり『ぬるぺた』で終わる年だった。
姉ヒロイン大賞はじまって以来、完璧の布陣といってもいいほどの豊作だったことはだれもが否定しないはずだ。賞の性質上、ノミネートにまでは至らなかったものの『まちカドまぞく』もよかったことをここに明記しておく。
メインキャラのカップリングが姉妹でないことから『わたてん』があまり評価されないのは想定内であったが、だがそれだけでは見落としてしまう部分があることを選考会では指摘した。どういうことか。
『わたてん』では基本的な視点人物はみゃー姉ことを星野みやこであり、彼女の妹であるひなたから受け取る強い信頼と好感が過剰なものであることが何度も描写される。これだけであればただ姉のことが好きすぎる妹になるが、話はそれだけにとどまらない。ひなたはみゃー姉に対する好感度を持ったまま、あることないことをクラスメイトに吹聴し、クラスメイトもそれを事実と信じ込んでしまうのだ。するとどうなるか。姉という存在におけるスペックのインフレが発生する。『わたてん』はこれを一種のギャグとして昇華しているが、姉と妹の情報格差は現実まで影響を及ぼす可能性があるという点で、姉研究に一石を投じる作品であることは間違いないだろう。
『グランベルム』はこれまでのロボットアニメ(主にガンダム)オマージュを百合でやろうとした意欲的な作品で、それだけでも評価に値する。が、作品全体で見たときに、姉作品ではなく家族のほうがテーマとして見えてくるのはないか、という他の委員の意見に反論できなかった。とはいえ予告編の「今、姉を取り戻す戦いがはじまるーー」といった台詞や全身不随の姉、姉NTR(NTRではない)、特殊姉戦闘BGMなどの姉にまつわる個別の演出は高く評価されるべき、と強く訴えた。
また姉アニメにおいて声優・上田麗奈の活躍が多くみられることも注記しておきたい。今年のノミネート作では『わたてん』と『ぬるぺた』の二作品における姉、そして前年受賞作の『ゴブリンスレイヤー』でも姉を演じていたからだ。ここまでくると、姉に向いている声というものがあるのかもしれない、という仮説と立てざるをえない。そもそも「姉の声」とはいかなるものなのか。これについても今後の研究が待たれるだろう。
選評 ゆるアニメオタク
『ケムリクサ』はロードムービーであり、姉にその道を教えてもらう作品になっていたように思う。もちろんそれだけではないが、姉という存在がただ早く起きただけ、という事象によって定義され、役割を与えられる――つまり姉としての役割が先にあり、そこからはじめて姉が姉になる――という態度は昨今の姉フィクションではあまり顧みていられなかった部分だ。私はこの方向性を推した。
『わたてん』もたしかに姉要素はあるものの、ほかの候補作と比べたさい「保護者がいる」という点が気になった。保護者の前では姉もまた子供である、という事実は決して間違ったものではないし、瑕疵ではない。しかし姉の保護者性が剥奪されることになる。むろん『わたてん』はそれ――姉は大人だが大人ではない――をアンバランスさとしてコメディの面白さに繋げているが、それが姉としてのコメディかというと難しい。あくまで小学生に囲まれるお姉さんの日常コメディといったところではないか。
『グランベルム』を家族のストーリーだと指摘したのは私である。少女たちのバトルロイヤルもの、最後に勝ち残った一人が願いを叶える、といった筋は手垢のついたものだが、その参戦理由として多くのキャラクターが家族の崩壊という背景を背負っている。ゆえに「姉を取り戻すための戦い」もそのなかに含まれるのではないか、というわけだ。もちろん姉妹の絆によって仇敵を倒そうとするシーンは素晴らしいし、2019年の収穫ともいえるところだが、それよりもなおよい姉フィクションに今年は恵まれていた。それは喜ぶべきことだろう。
『空の青さを知る人よ』『ぬるぺた』を私は当初推さなかったが、議論のすえ、納得の出来であることを認めた。正直同時受賞でよいのでは、ということも考えたが、姉と向き合ってきたのはどちらか、という論点において徹頭徹尾姉であった『ぬるぺた』に賞を贈ることに決まった。おめでとうございます。
選評 姉原理主義者
『わたてん』『ケムリクサ』の二作は評価の難しい作品でした。もちろんお話の出来が悪いというわけではなく、ここ最近のアニメでもかなり面白い作品であることは間違いありませんでした。そのうえ姉エピソードもじゅうぶん含まれている。しかし歴代受賞作と比べて姉フィクションとして見劣ってしまうのではないか、という危惧は拭えませんでした。
以前にも票が割れた例を挙げますと、たとえば2016年には『この世界の片隅に』が候補作となりましたが、受賞には至りませんでした。作品の出来としてはその年最も優れていたものだったといえましたが、姉エピソードの比重としてはサブエピソードにとどまっていたからです。『わたてん』も『ケムリクサ』もそのような立ち位置にあったといえます。
ところが『グランベルム』の姉はサブエピソードでありながら、描写の比重としてはメインにも劣らないという不思議な構造をしていました。ゆえに正直これを大賞としてもほかの選考委員もとくに依存はなかったように思います。とはいえ総体としては家族の物語であり、そのうちのひとつとして姉妹の物語がある、というのは事実であり、積極的にその意見を退けることはできませんでした。
『空の青さを知る人よ』は完璧な姉映画でした。エンドロールが終わって劇場がほのかに明るくなり、出口へと向かうあいだ思っていたことは、今年はこれで決まりだな、ということでした。それ以外ありませんでした。
輝かしい未来を約束されていたはずの姉が13年という時間とともに生き方を変えたこと(それが眼鏡の縁の色というアニメ的な演出で描かれています)。また語り手をティーンエイジャーの妹にしたことも、姉の人生の輪郭をどのように見せるか、といった部分でとくに際立っていました(即興演奏のシーンはとくにその距離感が出ていました)。ホームドラマ的な会話のテンポ感や周囲の人物造形など、姉妹のなかだけで話を描くのではなく、地方都市という群像劇として物語を進めるといった点も素晴らしかったです。ウェルメイドな姉アニメを一作挙げろ、といわれたら確実に挙げたくなる作品です。とはいえ欲をいえば、ウェルメイドすぎた、という一言に尽きるかもしれません。
『ぬるぺた』ははっきりいって完璧にはほど遠い姉アニメでした。予測不可能な(というよりいささか唐突すぎる)展開、ギャグ演出、手垢のついた大仕掛け。どれをとっても数分間アニメでしか持たない要素しかないのですが、しかし不思議と調和が取れているのです。いったいなぜでしょうか。
明敏な皆様ならお分かりの通り、このすべてが姉という存在に集約されているのです。姉という存在がすべての事象の結節点となり、物語を成立されているのです。また姉という存在が常にぶれを含んでいるという点も重要です。ぺた姉はぺたではなくぬるがつくりだしたロボットですが、しかしぺたの記憶や性格を持った姉でもあります。ではぺたとは何者か。それはぺた姉の記憶を持った死んだぺたでもあるということが現在進行形で語られています。ここで問われているのは姉の連続性でしょう。第10話のサブタイトル「お姉ちゃん思うゆえに姉あり」はデカルトをもじった言葉ですが、まさしくその体現となっています。
ほかの選考委員とも『空の青さを知る人よ』『ぬるぺた』同時受賞でもよいのでは、という議論を交わしました。しかし、姉とはなんなのか、わたしたちにとってどんな意味があるのか、そもそも姉とはどのように定義できるのか、といった哲学的問題を野心的に見出そうとした『ぬるぺた』は2019年において革新的であり、いっぽう『空の青さを知る人よ』はあくまで決算的な要素に留まる、といった結論になりました。よって最終的な判断としては『ぬるぺた』単独受賞となりました。謹んでお贈りさせていただきます。