凪のあすからを誤読する8(10話)

 前回いたたまれなくなりましたが(毎回そうなっていませんか)、今回もやっていきましょう。ついに話数が2桁に突入しました。といってもまだ半分も行ってませんが……。

第10話 ぬくみ雪ふるふる

 前回のいたたまれないシーンから巻き戻してスタートです。開幕から人の心がない。早速オープニングです。

 社殿。巻物を広げて昔話。海神様の御隠れによって海にも陸にもぬくみ雪が降っていましたが、娘が会いに行って説得したことで世界が救われました。しかし現在、人々が信仰を忘れていることで海神様の力が失われ、またぬくみ雪が降り、世界は凍えることに。そこでは人が生き永らえることはできない。つまりここで語られているのは世界の終わりなんですよね。『凪のあすから』は終末アニメ。

「そこで、長い眠りによって時間を稼ぎ、いつかまた海神様の力が蘇るのを待つ」と、うろこ様。話を受け入れられない光。

 外に出る光とまなか。後ろにいるまなかに話しかけようとする光ですが、案の定避けられます。俯瞰で映るまなかの足跡の軌跡が最高ですね。透徹して人の心がない。

f:id:saito_naname:20200511201447j:plain

光を避けるため遠回りをしたことがわかる。ぬくみ雪という特性を活かした演出。

 ひさびさに帰宅する光。(あいつの身体、すげえ熱かった……)とまなかを思い出しながらモノローグ。前話サブタイトル「知らないぬくもり」は一見まなか視点の言葉のように思えますが、光にとっても知らないものだったようです。話を挟んだ二重写しの言葉。そこに父の灯。宴会について。食を絶てば胞衣が厚くなり、冬眠の準備が整うようです。「最後にたらふく食っておこうってことになった」

 いっぽうでふさぎ込むまなか。「眠り、眠っちゃったら……」地上の人間のこと、紡ぐのことを考え、「わかんない……わかんないよ……」そして光のこと。「わかんないよ……」

f:id:saito_naname:20200511203347j:plain

最後の「わかんないよ」で魚が瓶にぶつかってキス。場の特性を活かした演出。

 翌朝。集まる4人。ちさきも要もうろこ様の話は聞いていたようです。そして地上の学校の話に。「うそこ様の話がほんとうなら鴛大師の連中にも教えないとまずいだろ」と光。しかしちさきは消極的な様子。

「地上の人たちに言わなきゃいけないこと? だって助かる方法はないって。わたしだったらそんなこと知りたくないかも。やっぱり地上の人と私たちは違うんだし……」

 これまでの話で海村のメンバーは地上の人間と比較的仲良くなっているはずですが、ちさきはそうでもないというのがまたエグいですね。彼女の精神は結局10話かけてほぼ変化していないということになります。

 海神様の力が足りないのであれば、おふねひきをやればいいと考える光。「ならん」とうろこ様。そして恋愛感情も看破されています。そして通学に関しては「義務教育」なので許可が下ります。そこはいいのか。

 至のアパート。世界の終わりについて訴えますが、あかりは聞き入れません。「でもまあ、ここんとこキンメが妙に釣れたり、寒かったり、おかしいことはおかしいんだよなあ」と至。キンメについては5話の「ウミウシになってくれる」のくだりの前に紡が言及していましたし、気温の低さについてはプール回をはじめ何度も描写されていました。要するに伏線だったわけですね。不安がる美海。

 クラスメイトにも事情を話す光。現実感がないためか、あまり信用されない様子。しかし「俺は本当だと思う」と紡。「じいさんが、もうずっとおかしいって言ってるし。昔の海と今の海は全然違う。もう、元の海には戻らないだろうって」

 言葉だけを切り取ると人新世っぽいですが*1、ここでは古来からつづく人と神の関係が重要で、それをどう治めていくか、という問題になっています。神話的な環境観*2。そのいっぽう、終始会話に加わらないまなか。

 世界が終わっていくので、形見分けについて話す美海とさゆ。「ねえ美海、大切ってどうすれば大切のままにしておけんの? 大切がいなくなったら、それってどうなんの?」とさゆ。彼女らはまだ失恋を経験していないんですね。

 紡の家。「じいちゃん、最近のぬくみ雪とか寒さって、いまだけのもん? それとも、もうこれからはずっとこうなわけ?」

「そうだな。人ひとりが生きているあいだにどうにかなるもんではないような気がするな。気候や環境の変化ってのは、受け止める側によって変わる話でな。ぬくみ雪を喜んでいるもんも自然のどこかにはおるのかもしれん。人間には悪い変化だったってだけの話でなあ」

 こちらはあくまで大局的な環境論っぽいですね。人間中心的でない。こういうものの見方を光はできないわけで、老人ゆえの達観ともいえます。感覚の相対化。

 公会堂。汐鹿生の村の人間が集まり、宴会がおこなわれています。台所で皿洗いをするまなか。そこにやってくるちさき。「こないだから変だよ。どうかした?」「そっかな、普通だよ」と返すまなか。そしておばちゃんがやってきて起きる順番について。「みんなで一緒に眠って一緒に起きるんじゃないの?」と不安がるまなか。というかナチュラルに女性陣だけが台所仕事やってる描写なわけですがこれは意図的でしょうか。田舎って感じではあります*3

 宴会場でまなかに絡むおっちゃん。「目覚めたとき、若いもんが元気でぼっこぼっこ子供産んでくんねえと」「誰の種だろうといいんだよ、とにかく子供だ! 汐鹿生の胞衣を持つ子供!」「最後だ、飲め!」なぜだかこのアニメは田舎の嫌なムーヴを確実に決めてきます。恨みでもあるのか。それをかばってやる光。

 外に出るまなか。そこにやってくる要、ちさき。「起きたとき誰もいなかったらどうしよう。眠っちゃったら、もしかしたらお別れになっちゃうのかな」と泣き出すまなか。なぐさめるふたり。

 帰宅するまなか。光とのこれまでの会話を振り返り、ふと瓶のあいだにウミウシがいることに気づきます。構図の反復。手に取るまなか。「こんなときにお前、なんで赤なの?」それから息を吸って、「あのね……」で暗転。

f:id:saito_naname:20200511225457p:plain

ウミウシのカット。魚のキスは前振りの演出だったことがわかる。

 朝(宴会は金曜日だったので翌週?)。ちさきの家に迎えにきた要。

「もう、傍観者でいるのに飽きたんだ」

「?」

「ちさきが光を追っかけるうちはいいかって思ってたんだけどね。そうも言ってられないみたいだし」

「ちょっと要、なに言ってんのよ」

「僕、ちさきのことが好きなんだよね。かなり前から」

  というわけで衝撃の告白。今回はここでエンディングです。告白(のようなもの)ではじまり告白で締める。ここにきて矢印がさらに増えました。感情のビリヤードが本格的に活発になっています。

 ではここで要の行動を振り返ってみましょう。2話の「この場所にいたいのは、そのほうが楽だからだよね」「別の場所にすこしでも憧れを持ってしまえば、つらくなるから」というのは彼自身の実感をそのまま込めた言葉です。序盤の物語における彼の役割はちさきの理解者ではありましたが、同時に片思い経験者でもあったというわけです。

 4話でちさきに「大きいほうが好きなやつもいるよ。あんま痩せてないほうが、中年男は好きらしいよ。テレビで見た」といったのも自分の感情を隠した好意のパスです。8話の電車のシーンでは終始目をつむりちさき→光→まなか→紡の関係に不干渉な態度を取りますが、最後にちさきを見つめるカットが入ります。まさしく感情の矢印の最後尾にいることを示すカットでもあったわけです。

 直近の9話では要の感情はさらに露骨になります。胞衣が乾いて海に行ったちさきを行方を聞くシーン(さゆの感情を無視するシーン)は彼にとってちさきが優先順位の高い場所にあることを物語る台詞ですし、そのあとの「あいつはちさきにそんな顔させるんだね」わかりやすいほどに嫉妬の感情です。『凪のあすから』そういうことをするアニメです。

 というわけで影の薄かった要もようやくメインキャラの関係性のなかに入ります。こうした伏せていたカードを表にすることによって視聴者のキャラに対する印象を変える手法は、美海が至の娘だったのを明かしたときとおなじものといえます。キャラクターの感情の向きを切り取ってみせる青春群像劇の手法といえるかもしれません。

 また今回ですが、まなかと光はいっさい会話らしい会話をしていません。1話の時点ではほとんど意味がなかった「ひーくんとはお喋りしないよ!」がここで効力を発揮しています。痴話喧嘩です。あの言葉がシリアスな重みを持って戻ってきていたわけです。PCもしくはスマホの前のみなさんは思い出せましたか。ブログ第1回でもいちおう言及しています*4。『凪のあすから』はそういうことをするアニメです。

 10話といえばワンクールものでしたらもう畳む準備に入らなくてはならない段階ですが、まったく終わる気配がありませんね。贅沢なつくりならではの展開です。

 とはいえ半分の節目にはすこしずつ近づいてきています。人類はどうなってしまうのか。おふねひきは実現するのか。ウミウシに訊いたまなかの思いは?

 

 

 続く。

saitonaname.hatenablog.com

*1:『天気の子』とそれを絡めるくらいのゆるさで言及している。

*2:じゃあそれはもう『天気の子』では? 違う。

*3:もしかしたら男性陣もやってるかもしれないが描写はない。

*4:凪のあすからを誤読する1(1話) - ななめのための。