DMS『かくれおん桜号』の雑感

 この3ヶ月ほど、DMSが隔週発行している(と言っている)機関誌が本当に隔週で発行していた。
 とわざわざ言うのも、いわゆる文芸サークルの傾向にも「書くほう」と「読むほう」の二種類があるからだ。そしてDMSは基本的に後者のほうが強い。この『かくれおん』は数年前から刊行されていたそうなのだが、「書くほう」を重視していないサークルの気質もあり、なかなかコンスタントに刊行できなかった。
 これもひとえに「出そう、出そう」と言い続けてくれた副会長のおかげだと思うが、それはここで深く言うことでもないように思える。

 近いうちに、会員たちが選んだいくつかの作品を『かくれおん傑作選』として出すはこびとなった。これはサークルHPでダウンロードができるようになると思う。
もともと『かくれおん』は京田辺キャンパスの生協書籍部でしか配布していないので、なかなか外部に触れる機会がない。『傑作選』はサークルの活動を外部の方に知ってもらう良い機会になる。けれど、それらは愛好サークルの人たちが書く作品、つまりアマチュア作品なのだから、決して洗練されているわけではない。今回、外部の目にさらされる作品の数は極めて少ないし、サークル内でひとつひとつ作品を見ていく時間もとれなかった。なので、あまり使われていないこのブログという場所で、これらの作品(完結済)を語っていきたい。
もちろん僕の主観が多分に入るので、これが正しい見方というわけではないのだけれど。辛口な意見になるのは自分の作品を厳格に見つめ直す手段としても利用したいからだ、と建前上言っておく。

 というわけで『かくれおん桜号』。
 毎回ネタバレ前提でないとうまく話せないので、それだけはどうかご容赦を。


伊吹亜門「桜の木の下には」
 1ページ、1000字程度。
 いわゆる、桜の木の下には死体が埋められているという話をもとに、それを逆転させたうえで、村の風習として書いたショートショート。発想はありがちではあるけれど、桜=墓標という話から大量の苗木を書き出してみせ、それ以上は何も書かないで終わらせたのには好感が持てる。しかし、特殊な風習の村において既に何十人という死者が出たあとにやってくる探偵というのは、どうも疑問に思う。作者の書き方から察するに、探偵という存在へのあてつけではないようだったので、特に何も考えていなかったのだろうか。もう少しまとまり良くできるのでは。ありがちな発想にヒネリが効いていて良かった分、惜しい作品。


四十万朱音「ハナミズキ 
 4ページ、5500字程度。
 人の悪意が見える、という女の子の話。見えるがゆえに悪意に苛まれてきた子が、まったく悪意のない子に会い、最後には自身の悪意がその相手を傷つけてしまう。プロットとしては充分アリのように思えるが、結末に至るまでの描写が長い。特に前半、主人公と瑞樹とが親友としての関係を逐一描写する必然性が見られない。作品内の時間経過を文章の多さで説明する必要はないし、遠回りするようなかたちで結末を迎えているように思われる。また、最後にこの作品が実は主人公の遺書だったことがわかるのだが、あまりにも唐突過ぎてまったく意外性がない。それはおそらく、作品の文体が文語的表現に偏っているからだろう。遺書にしては妙に凝った表現が多いし、にもかかわらずその最後のくだりに入ると急にその凝った節がなくなってしまっている。また終盤は二倍ダッシュの量が極端に増えている。結果としてオチのつけかたがわからないまま書きなぐった印象が強く残ってしまったように思える。


小春「まいごのシトラス
 4ページ、6000字程度。
 ビニール袋の中に入っていたはずのペットボトルのオレンジジュースが、スポーツドリンクになぜか入れ替わっていた、という日常の謎風味の作品。ではあるが、そもそも謎として成立しない事象を「謎」であるかのように振舞うのには、やはり無理がある。箱の中身などならともかく、ビニール袋程度ならば中身の入れ替わりにすぐ気づけるはずだ。むしろこれが「謎」として成立しうるのかが問題のように思えてくる。また仮に入れ替わりが発生したとしても、推理の過程に無理があるように思える。三年間学校にいる生徒が複数人集まっているのにもかかわらず、ジャージのデザインで部活を見分けられないのはおかしい。「吹奏楽部はいつも揃いのTシャツで練習している」という描写がある以上、部活ごとの色があることは示されていることは確かで、「学校指定のジャージ」という描写は一切ない。にもかかわらずジャージはただの「ジャージ」として片付けられており、色すら与えられていない。推理をするにしても土台となる論理が明らかにされていない以上、いわゆる「日常の謎」として成立させるには手段が強引すぎる。推理のための情報が作者の都合のいいようにねじ曲げられているのがわかってしまう(優れた作品はそれに気づかせないものである)。結局、キャラクターの描写や行為に終始力を入れすぎていて、肝心の謎が謎として見えてこない、ドタバタ劇としてしか受容できない作品になっている。

渋江輝彦「夜桜見物」
 3ページ。2500字程度。
 夜桜を見に公園へと足を踏み入れたカップルが遭遇する理不尽ホラー。まず、主人公の焦りが全く伝わってこないのはホラーとして欠陥であるといえる。ひとつのページのうちに「走った」という客観的な表現を三回使われても、説得力はない。一人称視点で書かれているのだから、もっと焦りが伝わるような心情表現を盛り込んでもよいと思うのだが。また極限状態に追い込まれる主人公がなぜか急に自分を客観的に分析する文章になるところや、意味が通らない部分が多く見受けられる点もマイナス。さらに意味のない改行と逆接の多用で、作者がどこを強調したいのか、イマイチわからなくなっている。作者の意図としては、改行をすることで余韻やリズムを表現したいのかもしれないが、変にもったいぶって話を長引かせているような語り口になっているし、単純なプロットで特に考える話でもないのに妙なこだわりがそれを駄目にしている印象しか与えない。



 以上四篇。
 これだけ書くのに二時間以上かかるってどうなのさ。なのさ。