飲食店にて

かくれおん―田辺追悼号―に書きました。
恩田陸『Q&A』の形式って、大抵、調子乗ってるヤツがやりたがる印象。









 それで、あなたは本当にそこに住んでいたんですね。
「ええ、もう一年以上も前になりますが……」
 その話、詳しくお聞きしてもいいでしょうか。
「はい、かまいませんが」
 あっすいません、追加の珈琲をふたつ。今度は、ホットで。ん、ああ、はい。ケーキの皿ですね、はい、下げてください。どうも。
「……あの」
 どうぞお気になさらず。二杯目もお代はわたしが払いますから。
「いえ、そちらではなくて。あの、これはあなたの趣味、なのでしょうか」
 趣味、というと。
「つまり、今ここで、あなたとわたしがやっていること、です」
 たしかに、そうですね。しかし、どちらかといえば、こうしてあそこにまつわる話を聞くことは、仕事の延長線上にあるもの、なのですが。
「お仕事、ですか」
 こう見えて、わたし、出版社の企画・編集をたまに手伝うことがありまして。いずれ、ある程度話が集まったら、世に出そうとおもっています。さきほどまで聞いていただいた話も、実はわたしが集めたものなんですよ。
「そうなんですか」
 ああ、でも安心してください。さすがに個人が特定できるような状態で出すようなことにはなりませんから。
「……そうですか」
 あ、これはどうも、ご丁寧に。そちらはミルク、使いますか。
「いえ、わたしは結構です」
 でしたか。いやわたし、ミルクと砂糖、入れないと駄目なんですよ。どうもブラックは苦手というか、身体が受け付けなくて。
「……」
 あ、もしかして紅茶党でしたか。すいません。
「いえ、そうではなく」
 ではなにか、お気に触ることでも。
「というより、あの……信じていただけるのですか?」
 信じる、ですか。
「え、いやその……」
 はは、いやいや、怖がらせてしまったようで、すいませんね。でも実際、信じられないようなことのほうが多いんですよ、あそこは。あなたもさっきまで、聞いていた話。あれ、創作に思えますか。
「……」
 大丈夫ですか、顔色が悪いようですが。もし、無理なようでしたら……。
「いえ、大丈夫です。話せます」
 ……本当に大丈夫ですね。
「はい、問題ありません」
 ……それでは、よろしくお願いします。
「……そうですね。まだ、当時は大学に入りたてで、世間知らずだったというか。よくわからなかったんです。何もかも。その、生活の仕方とか、知恵とか、それこそ常識、といったほうがいいかもしれません」
 常識。
「つまり、あの、一人暮らしだったら、よくあること、っていうんですかね」
 ああ、独り言が増えてしまうとか、ごみをよく捨て忘れるとか。
「はい。ただ、そのよくあることのなかに、どうも、そうでないものがあったらしいんです」
 らしい、というのは。
「当時はそこまでおかしくは考えていなかったんです。本当に。たしかに、すこしくらい、変かな、怪しいかなって、おもうほうが当然なのですが……。その、浮かれていたのでしょうか。特に何も感じなかったんです」
 それを詳しく。
「割れたんです」
 割れた?
「ええ、皿が。よく割れたんです。ひとりでに」
 それは、いわゆる、がっしゃん、といった音を出して、ですか。
「いえ、そんな大げさものではなくて。もっと地味なほうといいますか、けれども、地味ではないといいますか」
 もう少し、詳しく、言っていただけますか。
「はい。その……。ばらばらに割れる、というわけではなく……そう、裂けているんです、真っ二つに」
 裂けている、ですか。
「そうです。皿の中央を、乱暴な線が走ったみたいに。なのに、欠片ひとつ、散ってはいないんです。綺麗に、というと妙な言い方かもしれませんが。たしかに綺麗な割れ方をしていたんです」
 それは、どのくらいの頻度で割れていましたか。
「……そうですね、波、みたいなものもあったとおもうのですが、だいたい、二週間から一ヶ月に、一枚。そのくらいの頻度だったと」
 割れた皿というのは、特定の種類のものでしたか。たとえば毎回、おなじ形の皿だけが割れるといったことは。
「いえ、そういったことはありませんでした。それこそ、普通の平べったい皿から、深皿、小皿、とりあえず、皿と呼べるものはほとんど割れていきました。もちろん、すべて真っ二つに」
 すべて安物だった、ということもなく。
「はい。最初はわたしもそうかなと、おもっていたのですが、もともと実家で使っていた皿も、百円均一のお店で買った皿も割れていました。そのあと、高くて丈夫なものを選んで買ってみたのですが、やはりそれも気付くと……」
 気付くと?
「……気付くと、という言い方になってしまう、ということなのですが。つまり、割れるときはたいてい、わたしの見ていないときなんです。ふと食器棚をのぞいたり、シンクに溜めていたままの洗い物を確認したりすると、いつの間にか皿が割れていることに気付かされるんです」
 怖くはありませんでしたか。
「いえ、不思議と怖くはありませんでした。なんというか、ほほえましいという気持ちのほうが強かったようにおもいます」
 ……ほほえましい?
「いえ、あの、笑わないでくださいね。あそこ、つまり、わたしが住んでいた部屋に、なのですが、子供か、妖精でもいたのでは、とおもっていたんです」
 どうして、そうおもったのですか?
「……たぶん、その、家主に見つからないよう、隠れていたずらをされているんだな、という実感がわたしのほうにあったからだと思います。食事中に割れて、中身がわたしの身体にかかって火傷をするとか、洗っている途中に割れて、破片で指を切るとか、そういった類の実害もありませんでしたし。だったらこんなことをするのは、子供か、妖精の仕業なんじゃあないかな、と」
 あなたには、その確信があったのですか。
「そこまで大層なものかどうか、自信はありません。けれど、不思議とほかの可能性を考えることはありませんでした。……はじめから、ずっと」
 その出来事は、あなたが引っ越すまで続いていたのですか。
「いえ、ある時期を境にして、ぴたりと止んでしまいました」
 そのころには、それは常習化していましたか。
「そうですね、割れたのは、両手の指の数を越えていたとおもいます。常習化、というより、日々の生活のひとつになっていたような気もします」
 馴染んでいたのですね。
「はい。毎月のガス代を払ったり、口座にバイトのお給料が入って来たり、授業の内容をレポートにまとめたりしているうち、皿が一枚割れるような、そういった、生活の一部として、です」
 ではそれが止む、境になった時期に、なにか特別なことをした覚えは。
「はい。あります」
 それは?
「皿が割れるとき、その場にいたんです。わたしが」
 その瞬間を、目撃したのですか。
「いえ、目をそらしている間に、割れていました」
 ……。そのときのことを、詳しく、話していただけますか。
「いつもとおなじ工程をしていました。台所に重ねておいた食器を洗剤とスポンジで洗って、ステンレスのバスケットにそれらを並べる。それを終えたら、台所用の蛍光灯のスイッチを切り、居間に戻る。ほんとうに、ただそれだけだったのですが」
 そのときに、割れたのですか。
「はい、唐突に。そのころにはもう、当然のことだったのですが、でもやはりそれは唐突にやってきました。ばりん、でも、ぱりん、でもありませんでした」
 音が、ですか。
「はい。もっと地味で、小さい音でした」
 それは、どのような音でしたか。
「硬質な印象はあったのですが、おもっていたよりも軽い音でした。何かが折れるような、あえて言葉にするならば、ぺききっ、くらいでしょうか」
 わたしが想像しやすい種類の音はありますか。類推できそうなものは。
「……シャープペンシルの芯が折れて、飛んでいくときの、あの音をもう少しだけ大きくしたようなものに似ていました。けれど、もっと浅くて、それでいてなぜか、妙に耳に残る音でした。……すいません、うまくいえなくて」
 いえ、それで結構です。では、そのあと、あなたはなにをしましたか。
「その音に振り返りました」
 振り返ったあなたは、なにを見ましたか。
「私が見たのは、ステンレスのバスケットに並べられた皿の一枚が、元の位置からずれている様子でした。それからすぐ、そのずれが、割れたことによるものだということに気が付きました」
 それから、どうされましたか。
「私は、そこに立ったままで、視線を皿の周辺から、そこよりも奥のほう、居間のあかりが届かないところに向けました」
 それはなぜですか?
「そこになにもないことがわかっていたからです」
 ほかにはなにか、されましたか。
「そこにいるの、とつぶやいていました」
 そこにはなにもないのに、ですか?
「はい。だからこそ、口にしたのだとおもいます」
 それから、なにかありましたか。
「いいえ、返事もなく、ひえびえとした台所まわりと、床と、玄関がいつもどおり、ただあるだけでした」
 では、それを境に?
「はい、あそこではもう、皿が割れることはありませんでした。ですから、少しだけ、あのときのことを後悔する気持ちもあります」
 後悔、ですか。
「もしかしたらあれは、向こうが歩み寄ってきていたのを、わたしが無理に止めてしまったのかもしれないのかな、と」
 あなたが声をかけたことで。
「そうです、それはそれで、寂しいことですから」
 いまは、こちらに引っ越されて、住んでいらっしゃるんですよね?
「ええ、市内に住んでいます。学生向けのワンルームです。ああ、そう、でもそのあとに、続きがあったんです」
 続き、ですか。
「止んでからは、ほんとうになにもなかったのですが。新居のほうに着いてから、一度だけ、ですね。引っ越し用ダンボールを開けて、そこに入っている中身をまた使おうと思ったんですが」
 もしかして。
「はい、一枚。割れてしました。真っ二つ」
 ……嬉しそうですね。
「そう見えますか?」
 ええ。
「……そうですね。もしかしたら、一人暮らしのわたしに、思わぬ同居人がいたことが、嬉しかったんだと、思います」
 人でなくても?
「だって、それはほら、ただの妄想や、思い過ごしではなかったのですから」
 安心できたと。
「はい。あのときはすぐに返事がありませんでしたし。それと、あの」
 どうかされました?
「なんだか、店の人が、さっきからずっとこちらを見ているような気が。わたしたち、なにか悪いことでもしましたか?」
 まさか、ただの気のせいでは。ああですが、このあたりの店は比較的、回転率が高いほうですから。もしかしたら長居をしすぎたのかもしれませんね。それじゃあ、もうそろそろ出ましょうか。―さん、今日はお話、ありがとうございました。是非、記事に使わせていただきたいとおもいます。
「こちらこそ、お役に立ててなによりです。ありがとうございました」



Q&A (幻冬舎文庫)

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