『カメレオンVol.30』の感想

 昨年のうちに読んでおこうと思っていたのですが、年末はばたばたしてしまい読めなかったので正月の読書に。DMSの機関誌『カメレオンVol.30』の個人創作についての感想を書きました。ネタバレを含んでいます。ので、気にされる方は読まれないようにしてください。


 といっても内容は感想というよりは、品評に近いものになるかと思います。こういうものを書く動機としては、ひとつ前の号の感想2013-12-10 - ななめのための。にも書いたように、小説を書きはじめたころの自分は、感想よりもアドバイスのほうを欲していたということに起因しています。また品評は、話運びはスムーズにできているかとか、解決に矛盾はないかとか、そういったことをイジワルな目線で見るので、基本的に辛口になります。というのも、面と向かって知り合いの作品について感想を言おうとするとき、どうしても「〇〇がよかった」と加点法的な(ある種迂遠な)ものになってしまいがちなのですが、じっさいは減点法のほうが書いている人(かつ上手くなりたいと思っている人)には有益になるからです。減点法のほうは「〇〇ができていない」というマイナス意見なので、作者が凹む要因としては圧倒的につよいものになるのですが、そのぶん課題となる部分が可視化されるということは頭に入れておくと今後のためになると思います。イジワルじゃなく褒めてくれる先輩はたくさんいるはずなので、そういう人の意見も聞いておくと適度に悩まずに済むと思います。あくまで個人の意見および感想として扱いますよう。





「疾走するラ者」葦丘香澄
 御手洗潔パスティーシュ(!)。事件としては12月の寒空にランニングシャツとボクサーパンツ姿の男が公園に倒れていたのだが、救急車を呼びに行ったあと、同じ場所に戻るとだれもいなくなっていた、という話。その謎を御手洗潔に持ち込み、推理する。

 短いお話でありながら、ちゃんと御手洗のキャラクターを踏襲しているので、読んでいて大変楽しかったです。既存のキャラクターを使うというのは、どうしてもいままで積み上がってきたイメージを壊さないようにしないといけないので、そういった点では今回のカメレオンで一番手の込んだ作品になったと思います。ラストのサプライズも、霧舎巧のような愛あふれる形になっていて好感が持てました。
 ただ推理ものとしては、細かい部分への言及や、伏線のすくなさが目立つように感じました。不可思議なシチュエーションからお話をスタートさせるという点では魅力的な謎を用意できているのですが、材料がそのシチュエーションのみに限られているために、決め手となる推理がなくなって、全体的に雑談ちっくな印象になっています。おそらくこれは、いわゆるミッシングリンクがほかに用意されていないために起きていて「〇〇と△△がつながるなんて!」といった意外性の快感に欠けているからだと思います。それゆえに推理もヒネリを入れにくいものになっています(これはあとから明かされる作り話だった、ということからたんに言及する必要がなくなっていたとも言えますが)。その結果として、御手洗の推理は『服を脱ぐ理由』に対する蓋然性の高さに根ざそうとすることになるのですが、コートだけでなく上下の服まで脱がねばならなかった理由=刺した返り血を浴びた、というくだりは、やや短絡的な印象を与えています。というのもその結論はおそらく、逆算(反証に耐えること)ができていないために、説得力が弱くなっていると言えるからです。
 詳しく考えてみましょう。推理としては、犯人は事件の露呈を防ぐために逃げたということになっているのですが、風邪を引き、顔が「熱で真赤」になってしまうほどの長時間、人を呼ばれやすい裸同然の格好のままで犯人がいるという想像がどうも難しいように感じます。返り血を浴びたという結論を前提として考えるならば、それがバレないように最善の行動をとるというのが犯人の心理ですから、結果として手段を選ばなくなるはずで、現場が他人の家であればサイズ違いのものであっても、服くらいは無理やり着るでしょうし、それが着れないとするならば、返り血を浴びた部分を覆い隠すようにコートを手に持つか、道端に見えた洗濯物を盗むなどするのでは?と思ってしまいます。また洗濯物を見つけられなくとも、血染めのコートを表裏逆にして着るなど、すれ違う人が注意しなければわかりにくい行動も取るかなと思いますし、浮浪者を襲って服を奪い取るなど、犯人側の心理を想像してモアベターな手段をいくつか適当に挙げることができそうです。すくなくとも、他人の目を避けた一時的な潜伏、あるいは安全圏への逃走を犯人の最優先の目的とするのであれば、寒空の下で長時間裸同然でいるというのは、非合理な判断ということが言えそうです。結局『服を脱ぐ理由』から『服を脱いでいたままでいた理由』に問いの形をシフトすることができていないので、どこか推理にぎこちなさが生まれているのではないでしょうか。
 このような状況を回避しようとするならば、単純にディスカッションの量を増やして推理のアラをなくしていくか、伏線を増やすかして、推理の骨格を強固にしていくほかないように思います。ケメルマンの「九マイルは遠すぎる」も、シチュエーションからの連鎖的な推理に見せかけながら、そのじつ情報(伏線)を小出しに追加していますので、そういったことに注意して読むと参考になるかもしれません。
 あと気になったことが三点。冒頭の謎で、日が暮れたあとの喫茶店の店内からガラス越しに遠くまで見渡せるのか(街灯が明るかろうと店内がよほど暗くないかぎり窓ガラスに反射してしまうのでは?)という点。また倒れていた男は、靴を履いていたのかどうか、という点。窓ガラスは本筋に絡みませんが、靴に関しては具体的な描写がなかったものの(「ランニングシャツと紺のボクサーパンツを身に付けているだけ」という描写のみ)、もし裸足であれば、推理の前提が瓦解しそうな気がするのですが。
 そして最後にタイトル。「疾走するラ者」というより、むしろそこは「失踪するラ者」なのでは?(おそらく「疾走する死者」にかけたのでしょうが、内容に沿うようにするのであれば失踪のほうが妥当なように思いました) 


「あゝ白い手に燐寸の火」伊吹亞門
 戦前ふうの時代を舞台にした(「近代化」などという言葉からうかがえる)ミステリ。リコール対象となっていたヒーターのガス漏れで三人が犠牲(うち二人は死亡)になったが、その真相は……というもの。

 「一つの自殺と、一つの殺人」という言葉がリフレインのように繰り返されることや、舞台設定など、演出はとても凝っています。それぞれの登場人物の立ち位置もわかりやすく、読み進めるだけで事件内容がしっかり頭に入ってくるのは作者の文章がうまいからなのだと思います。けれども、演出はそうしたストーリーよりもどちらかといえば個別的な要素をつよく印象づけている部分が多く、かえって全体像としてはちぐはぐな印象を受けました。推理自体はオーソドックスな反転のようなものにもかかわらず(最初の推理の否定根拠がすくないのは目をつぶるとしても)、ひねりの加え方や細かい描写が雑に感じられることが結果としてマイナス要因になっていると思います。
 捜査をはじめた清川警部は、三角関係のもつれから眞理がヒーターのガスを部屋に充満させ蕪木と静の二人を殺害、そして自分も自責の念からヒーターの目盛りを最大限にまで上げて死を選んだと考えます。しかしそのあとで登場する浪越露湖子によって、順序の違いを指摘されます。本来は二人の心中であって、眞理はあとに発見して、それを事故に見せかけたのだということ。こうしたおおまかな推理の骨格は問題ないように思えるのですが、その肉付けには失敗しているのでは、と感じました。
 細かく見ていきましょう。まず眞理の描写について。「気性は激し」いものの「面倒見の良い」「姉御肌」で「他人のために滅私で尽くす」人物だと冒頭にはあるのですが、その次のページではまったく逆の表現の「さすがは策士、と言ったところか」と書いていて、温情家と思いきや計算高い人物になっています。本来この人物描写の落差は終盤の推理によって明らかにされるべきだと思うのですが、なぜか先にほとんど答えに近いものが示されていて、疑問に思いました。ここではもうすこし控えめな表現(たとえば「さすがの彼女も結婚には慎重になっていたようだ」とか)に変更しないと、読者を驚かすことにはならないのではないでしょうか。
 つづいて、叙述トリックの絡む清川警部の描写です。特にこれが問題であるように感じました。というのも真の探偵役である浪越が「同じ女性であるアナタが、それに気付かなかったとは言わせませんよ」と傍点つきで清川に対して言うことで、事件がいわゆる女性心理(おそらく嫉妬)にかかわるものであることを強調するのですが、それにしては清川警部の描写があまりにも雑にすぎるように感じられたからです。戦前の警察機構には詳しくないのですが、警察庁のデータトピックスV 女性警察官の採用・登用の拡大についてにはたった十年ほど前でさえ女性幹部が50人強とあるので、戦前が舞台となればおそらくは男社会でしょう。清川は現場では相当煙たがられるのではと想像ができそうですが、それに近い描写はありませんし、伏線の弱さが気になりました。こうした唐突な「○○とは言っていない(××とも言っていないが)」的な論調の叙述トリックは、読者の盲点をつくというより、たんに作者優位の話運びをされただけで、よほど効果的なやり口でないとそのトリックだけが話の中から浮いてしまい、むしろチープさが際立つことになりかねません(人間かと思いきや動物、地球かと思いきや異星、同姓同名の人間はじつは複数人いたのだ、等々、とコントじみたものになりがちです)。
 またあくまで舞台が「戦前ふう」(日本の救急車の全国普及は1960年代だそう)だとしても、「仕事一筋」で、男女の機微については「到底想像のつかない」という人物に対して「気付かなかったとは言わせませんよ」と言って、眞理の心情への共感から真相を故意に隠蔽したという指摘をおこなうのは、あまりストーリー的なつながりがないように思えました。女性であることが一方的な立場の弱さや外聞を気にすることであり、それゆえに狡知を尽くした行為であるということ、また事件がじつは眞理と清川の二人の女性による二重の隠蔽である(じっさいはそのようであるかは明確ではありませんでしたが)という筋を読者に印象的に伝えたいならば、清川をもうひとりの主役として書き込むべきだったのではと思います。そのようにしなければ、清川が真相を隠蔽したことの積極的理由、さらにいえば第二の真相が登場する理由が(ひとつめの推理の否定根拠がすくないために第二の推理の優位性がなくなっている以上)お話のなかでよくわからなくなっているからです。
 結局のところ、上記のような細かい描写の不自然さが目立ってしまい、清川の推理の否定根拠のすくなさと同様に、ストーリー自体もどこか焦点がぼやけてしまい、雰囲気重視の小説になってしまっています。また検索したところ、タイトルはおそらく西東三鬼の「夜の湖 あゝ白い手に 燐寸の火」からで、そういった知識はあまり詳しくはないのですが、この「白い手」が女性を暗示しているのであれば、燐寸を使う清川=女性であるというのも叙述の伏線なのかな、と思いますが、おそらく読者には伝わりにくいでしょう。
 また三度繰り返される「一つの自殺と、一つの殺人」という文言なのですが、これもおそらく、わかりにくくなっているように感じました。最初の一回はアクセントとして、二回目は清川の推理として、そして三度目は浪越の推理の中で、なのですが、三度目は二度目の「一つの自殺と、一つの殺人」が偽であることを肯定している、という演出になっており、言っている内容は表面上は変わっていません。けれども浪越が清川の推理を否定したあとなので、「一つの自殺と、一つの殺人」が真であるように受け取りやすくなっています。その前の文脈に「ある意味アナタの報告書は正しかった」があるにもかかわらず、です。というのも、最初のアクセントとなる「一つの自殺と、一つの殺人」が文脈を取り払われて真相を言い当てているかのような形で一番最初に提示されていること(「断ずるように言った」)、また傍点を付され、その言葉だけが浮かぶようになっていること、そしてそのあとで「このことを発表するつもりなんですか」と問いかけられること。これら三点によって「一つの自殺と、一つの殺人」があたかも浪越の推理として提示されているかのような演出になってしまい、それを真に受けた読者はその言葉を事件の真相の構図に当てはめようとしてしまいます。そのため読者は「どこに殺人があった?」と戸惑いやすくなっているのではないのかな、と考えます。
 こうしたピントのズレはおそらく、作者が読者に対してどういう効果を与えるのかを意識せず書いているからではないしょうか。「策士」という描写の先走りもそうですが、作者がわかっていることと読者が読み取れる内容に格差があることを前提として考えないと、再度同じような状況にぶつかるのでは、と思います。それを意識できれば、より凝った演出のものが書けるのではないでしょうか。


「イレブンゲットツイステッド」紀能実
 11日間をランダムに体験することになった大学生が、その間に殺されることになってしまう友人と恋人を救うべく奮闘する、SFふうミステリ。まず設定を聞いて、高畑京一郎タイム・リープ あしたはきのう』を思い出したのですが、ミステリ畑的には西澤保彦『七回死んだ男』が先に浮かぶのでしょうか。それとも5pb.の時間SFふうゲーム『STEINS;GATE』のほうが最近は浮かぶのでしょうか。

 基本的な設定は割と定番でわかりやすく、状況もタイムリミットがあるという形をとっていることでストーリー(行動目標)がだいぶ明確になっているため、今回のカメレオン作品の中では一番のエンタメ軸を持った小説だと思いました。けれどもいかんせん作者がその設定自体に振り回されていている印象を受けたのもこの作品でした。11日間という長さを短編の文量でこなそうとしているため、一日一日の描写がほとんど省かれており、時間SFミステリならではのパズル的な伏線回収の面白みがほとんどできなくなっているのはもったいないですし(日をまたいだ伏線がすくないため、ストーリーに寄与するものが用意されなくなったとも言えます)、またそうした省きが作者にとって都合のよい話運びに結びついているため、ストーリーの緊張感までが欠けてしまい、最後には伏線を投げ捨てたちゃぶ台返しのようなラストにしかならなかったのかなと思います。設定自体がそもそも破綻ありきだったというべきでしょうか。
 詳しく見ていきます。まず気になったのは、主人公があまり物事を深く考えないキャラクターであるように見えることです。ワープ初日、「すでに日が暮れかけている」状況からそのまま「野宿をしよう」と言っているけれども、なぜコンビニでスマホの充電器を買おうとするのに翌朝まで待つ必要があるのかわかりませんし(コンビニに行くなら人目を避けることになりませんし、理由もなく警察に追われているのなら、すぐに現状確認をしようと思うのでは?)、毎日深夜0時に気を失う、というあとから示される情報とも合致しないようです。この時点で、日数を消化するための都合のよい描写をしていくのかな、という印象がしました。
 主人公については初日はただ戸惑っているだけとも考えられるのですが、因果律に対する見方を状況によって変えているようですし(「できるかぎり守ったほうがいい」と教授に言われるとそれを了承するものの、行動目的はそれに逆らうことであるという矛盾)、また教授の言うプランに従っているだけで、友人の死を避けるための手段を複数用意しているわけでもないにもかかわらずヒロインには「全力を尽くしてきた」と発言するため、どこか思い込みの激しい人物のように見えてしまいます。手段をあまり用意していないことは「流動的」だという言葉でうまくごまかしているような気もしますが、それ以前に、未来の情報を持っているというアドバンテージを持っているはずなのに、それを最大限利用することなく27日(25日)になるまでほとんどノープランのままでいるということや、当日は出たとこ勝負(尾行)で悲劇を回避しようとするのはあまりにも雑な判断ですし、それをさせようと画策する教授もあまり頭がいいように感じられません。騙しを成立させるためとはいえ、登場人物にほとんど思考停止をさせているのは、結果としてタイムリミットによる緊張感を演出するメリットを失わせることにつながっています(友人の死に対して、考えるべきことを先延ばしにして、一日ごとのノルマ消化を考えている主人公)。
 そうした能動的なアクションをおこさない主人公が、ようやくラストになって予定されていない死に向かって動くことで一矢報いることになるわけですが、知恵比べや騙し合いで勝つというより、なかばギャンブル勝負で勝つことになっているのは(この主人公らしいといえばそうなのですが)ミステリとしては明らかに失敗宣言と言えるでしょう。
 教授の行動に関しても、人を殺し、偽造免許証をつくり、謎の薬を調合しているのにもかかわらず、最終日である真の27日には主人公を拘束しないままで、なぜそのようにしたのかもよくわかりませんでした(エンタメとしてはそうしないと話がもたないのかもしれませんが、たとえばその日まるまる拘束された「過去」があれば、ワープ初日に目が覚めたとき、手足に擦り傷かあざが残っていて、なにが起きたかわからないという伏線も用意でき、嘘の27日には拘束されるようなことが起きないことによってその矛盾に気づき、最終日までにそれを克服するような「未来」をつくる、といった逆転話ができたりするのでは、と思ってしまいます)。
 またメインのトリックである尾行の日付に関する誤認についても、尾行しているあいだのシーンがほとんど省かれているために主人公が日付の誤認に気づけなくなっているのは、致命的でしょう。たとえば食べ物をどこかで買った時点でレシートの日付を知る可能性がありますし、仮に教授が賞味期限に気を使ったコンビニ弁当やおにぎりを用意していたとしても、掲示物や、尾行中に耳に入る周囲の会話から知る可能性があるでしょう(登場人物が極端にすくないのはこれを回避するためでしょうか? たとえば同じ学部・学科の友人に会ってしまい「今日○○の講義に出てなかったけどどうしたの?」と聞かれ、曜日がわかってしまう、とか)。
 こうした誤認に関する状況設定の強引さは、ヒロインである友香についても同じことが言えます。教授と対立し、殺されそうになったのですぐさま教授に従って主人公を騙していたというのはさすがに無理があるでしょう。友香は父親を殺した相手を脅迫しにいっていたはずで、自身に及ぶリスクを考えていなかったというのは相当鈍いのでは、と言わざるをえません。加えて友香を脅し返していたはずの教授も、主人公と友香が再会したときは自ら席をはずし、わざわざふたりきりになる時間を与えて監視をしなくなっているのも結局なにがしたいのかよくわかりませんでした(監視カメラでも用意していたのでしょうか?)。こうした登場人物の行動の一貫性のなさは、ほとんどトリック成立か、作者が書きたい場面のために起きているように感じられますので、全体を通して見ると、明らかに歪な印象を与えています。それらが最終的にストーリーの説得力や緊迫感を削ぐことになっているということは、じゅうぶん言えるかと思います。
 結局のところ状況本位というのは、じつは前述した「疾走するラ者」と同じで、逆算ができていないために起きていることではないでしょうか。作者が話を動かしたさい、登場人物の取る行動はじゅうぶん妥当するものであるかは、探偵の推理が妥当であるかないかと同様に見ておく必要があるように思われます。
 またこのような歪みの遠因としては、最初に述べたように、11日間という長すぎる日数設定があるのだと思います。主人公が半ばノルマ消化的になっていたのも、結局はそこに起因しているように感じました。一日ごとの密度を上げていれば、単純に描写を増やして緊迫感につなげることもできたでしょうし、トリックのアイデアもこれほどまでに気を使わなくてはならない(なにせ本来は最終日までは気付かれてはならない)ものにはならなかったのではないでしょうか。最近ではループものやタイムリープものが巷に溢れ、どんどんスケールが大型化していますが、カメレオンは基本的に中短編を載せるものですので、わざわざ風呂敷を広げすぎることはせず、しっかり畳んでいくことを念頭においていたほうがよかったかなと思います。
 ほかに気になったのは、日付ミスがいくつかあった点です。主人公が教授に協力を求めた日を24日と間違って教授に説明していたり、主人公との会話では拓也がなぜか予定された日の翌日に殺されることになっていたりと、本筋に関わってしまう部分でのミスがそのままになっています。簡単に直せる部分ほど編集も気づけない典型例だと思います。
 最後に、伏線の使い方については高畑京一郎タイム・リープ あしたはきのう』を読んでいなければ読んで勉強することをおすすめします。高校生が高校生の頭だけで立ち向かいつつ(超人的なものに頼ることなく)、時間旅行の法則性に対する理解を、さらには精神的な成長もしっかり描くことができているというオールタイムベスト級の青春小説です。今年でもう20年前になる作品ですが、現在でも十分すぎるほど通用するだけの強度を持っています。


「140文字の物語」渋江輝彦
 いわゆるツイッター小説なるものを100個分ならべたもの。ホラー・幻想多め。

 目次と柱のほうでは「140字〜」となっていますが、扉ページでは「140文字〜」となっています。これは編集のミスでしょうか。
 という指摘はさておき、100個通して読んでみると、思ったより印象に残るものがすくないと思いました。140字のツイッター小説が書籍として販売されるようになったのは、2009年ころだと記憶しています。個人的なイメージとしては『量子回廊』に収録された倉田タカシ「紙片50」がありますが、倉田作品が言葉遊びを含めた実験的な、あるいはバリエーション的面白さを狙っているのに対して、こちらは割と同じパターンの話や、その場その場の思いつきのような話が多く、あまり狙いなどがないように感じました。また須永朝彦風味な短い幻惑的な話がいくつかあったように感じたのですが、140字はあまりにも短すぎるので、特定のすこし長めになる単語を含めると、それが登場するシチュエーション説明だけで話が終わってしまうか、面白さが特定の単語に由来するものになっているものの、須永作品のように文体に凝るわけでもなかったので「それは果たして面白さと言えるだろうか?」と疑問に思ってしまいました。たとえば芸人がテレビ画面に映っているから面白いよね、という一種の同意を求められているかのような印象があって、素直に面白いとは思えないのですが。
 あと読んでいて感じたのは、短く要約されたようなストーリーはほとんど戯画化された感じがしてしまうことです。たとえばホラー的なものは140字で唐突なオチを用意する話が構造上多くなるようなのですが、なんというか、それが上からタライが落ちてくるような、(若干メタ要素のある)舞台装置的なものにしか見えないのが難しいなあと思います。読者を引きつけるだけの文量が圧倒的に足りないので、どうしても遠くから眺めるような印象になってしまうような。おそらくそういった矮小化・戯画化に近い状況を防がないと、山なしオチなし意味なし的なものが量産されることになるのだと思います。そして結果として、スタージョンの法則を体現していることになっているのでは、というのが読み終わったときの所感でした。ツイッター小説が世に広まってからすでに5年ほど経っていますので、作者なりにそういった問題を咀嚼して、独自にブレンドか昇華してくれるものが個人的には読みたかったです。
 また一番最後の話になって、百物語だったということが書かれているのですが、それならいっそタイトルを「140文字の百物語」にすべきだったのでは?
 

「SOMEBODY」涼鳥零次郎
 二話構成。陰陽師のようなこと(怪奇現象専門のなんでも屋)をする謎の登場人物タオが関わる事件。いわゆる心霊探偵もの的な。

 一話目は、タオがどういうキャラクターであるかということを事件の依頼から解決までの会話の中だけで説明していたので、導入として丁寧にできていてわかりやすいなあと思ったのですが、二話目では八集というキャラクターが前面に出てきたために、戸惑ってしまいました。話としては面白いのですが、その読者を引っ張る面白さが八集とは何者なのか、というキャラクターの魅力に集約されてしまっているために、途中から依頼人となる高橋の話が中途半端に放り出されてしまっているからです。一話目の場合であれば、タオはあくまで依頼人の話を引き出すための機能的な役割をしていたのですが、二話目の場合は、引き出されるべき役柄の高橋を、八集のキャラが立ちすぎているためにがっつり食ってしまい(!)、話としては異常なキャラクターから当然のように異常さが引き出されるものに落ち着いてしまった印象があります。高橋がひじりに執着していく一ヶ月の描写もほとんどすっぽりと抜け落ちていて、あっさりと三十日目にたどり着いてしまうのは、そのようなストーリーの軸に対してキャラクターの重力による方向転換が起きてしまっているからなのかなと感じました。
 また、一話と二話の筋の通り方の毛色もだいぶ違っていて(一話は怪奇現象の状態を推理ちっくに道理づけて分解していくの対し、二話は単純な妖怪退治ものプラス当事者による動機の説明セリフのような演出で、怪奇現象の成り立ちについてはほとんど言及されていません)、全体としてのバランスは悪いかな、と若干思いました。キャラクターを前面に出すストーリーに方向転換するにしても、この二話だけでは語り足りてはいない印象がありますし、あと一話分くらいはないと、どのようなものを書きたかったのかの焦点があまり合わず、ぼんやりとした印象のままに終わっているような気がしました。
 さらに欲を言えば、出てくるのがみな既視感のあるキャラ造形であったので、作者には自分が「面白い!」と思った要素をもっと抽出して形にしていくことで差別化をはかってほしかったです。そういうものを強いインパクトで提示できれば、だいぶ印象が変わったように思います。


「オンラインゲームの罠」夏原冬樹
 MMORPGで、ある時期から特定のキャラクターにプレイヤーキル(殺害)されるとアカウントが削除されてしまうという事件が起きる。その謎を複数の視点から追っていくお話。

 オンラインゲームを舞台にしたミステリということで期待していたのですが、全体の書き込み量がすくなく、お話のほとんどがチャット機能や掲示板での会話で進んでいくのは、設定を活かしきれていないように感じました。この作品の場合、謎による牽引力が設定上その舞台に依存するわけですから、その描写に注力しないのでは、作中人物と読者とのあいだに大きく温度差ができてしまうことになりますし、そのゲームにはまってしまった主要人物(廃人たち)のパーソナリティや心情に関わる部分を欠いたままお話を進めていくことにもなります。
 もうすこし詳しく見ていきます。この描写の省きの難点は、ストーリーの落とし所に絡んでいます。読み進めていけばわかるように、ゲーム廃人となっていた兄妹が事件後、それぞれ社会復帰(と言っていいのでしょうか?)をするというところで一応のオチがついているわけですが、そもそもなぜ彼らにとってオンラインゲームがはまる対象だったのかということが描写されておらず、おそらくあったはずのゲームに対する思い入れなども書かれていないため、それらから離れていくことになる理由もよくわからなくなっています。兄のほうについては就活に失敗したというのが書かれていますが、それは間接的な理由でしょう。それだけではギャグめいたというより、ただの悪趣味な演出だなあと思ってしまいました。そこからの復帰理由にしても、感謝されることがうれしいこと(として読み取れるふう)になっていますが、ゲーム世界のほうがずっと多く感謝されていたのでは(ギルド長で、市長だったのでは?)と思ってしまうのですが。最初には現実の代替としてゲームが描写されていたのに終盤になるとそのことが忘れられており、全体的におおざっぱなストーリー展開になっています。ゲームのやりすぎで体調を崩した明美に対してなぜかゲームのほうへの怒りを覚える京子と言い(原因は自己管理能力のなさでは?)、内実が伴っていないように思いました。
 謎解きについては品評というより個人的な雑感なのですが、ゲームプレイ時間のカウンターストップが原因となるというのが、わざわざ「盲点」とまで言われるというのはどうかなと思います。アカウントのログイン制限とかち合うにしても、結局はシステムの不具合といった(運営側の態度の)ほうが正しかったわけですし、そうなるとそれは推理でもなんでもないような。あと自分の頭ではバグ自体が起こるメカニズムがいまいちわからなかったです。いちおう通読して考えてみると、ペナルティとなるログイン制限のためのカウンターが起動されるまでの時間を測るものがアカウントのゲームプレイ時間のカウンターと共有されているように読めるのですが、そうなるとプレイヤーキルされてから復活したあとのプレイ時間が余分に加算されている、といった伏線がないと話の整合性が保てないのではないでしょうか。「再開の教会」に表示されるまでの「タイムラグ」が何を指しているのかが、お話のなかでは説明不十分なように感じましたし、そのようなことを前提として考えると、「一定時間○○」的な補助魔法やら状態異常魔法もカンストのために永久に作用しつづけそうな気がしてしまい、ゲーム自体が成り立たないように思いました。
 加えてゲームそれ自体の設定についてなのですが、一部のプレイヤーがログインできない状態が、ほぼ2ヶ月近く放置されている状況というのは、5000万人もの利用者をたった一年半で獲得したゲームの対応にしてはさすがに遅すぎる気がします。検索をしてみると日本だと5000万人超の会員を抱えているのはTカード(ツタヤ、CCC)やポンタカード(ローソンなど)になるとのことで(設定だと世界規模ですから日本での数はどのくらいなのか想像がつきませんが……)、それほどの顧客を持つサービスの対応が不十分になってしまうほど、運営が機能しないのはちょっと難しいでしょう。もしかして破産寸前なのではないか、などと気になってしまいます。あと単純に2000年問題(若干意味が変わってしまいますが)みたいなことを現代のゲームのスタッフがだれも気づかなかったという状況にも無理があるような……。オンラインゲームなら運営側も問題確認用のアカウントを所持しているのが当然でしょうし。どちらかというとサービスが比較的短期で終わることを想定しているソーシャルゲームにありそうな話に思えます。
 それと本筋には関係ない部分でひとつ。「再開の教会」なる場所はおそらく町なかに用意されていると思うのですが、そういった場所でプレイヤーキルが可能になってしまうと、ギルド間の闘争による(再ログイン用)資金の削り合いとか、初心者狩りとかが横行するでしょうし、ゲームの空気が荒れに荒れて、どんどんプレイヤーが離れていってしまうじゃないかと不安になりました。
 ところで、タイトルの「罠」ってなんだったのでしょう。罠は仕掛けられるものだと思うのですが、いったいどこに。


「怪盗トニー最後の事件」望月佳司
 世紀の大怪盗と世紀の名探偵の対決。怪盗トニーによる予告状で盗まれることとなった『新世紀の壺』だが、人を殺さないことがモットーであるのにもかかわらず、壺を保管している屋敷では人が殺されてしまい、壺も同時に盗まれてしまう。そこで名探偵である如月と睦月は解決に乗り出し……というもの。

 探偵と怪盗と言えばいろいろと期待してしまうのが読者の性であるので、どうしてもハードルは上がってしまうものです。とはいえそうした大方の予想よりもずっと本格風味な事件になっていたので意外に思ったというのが所感です。どちらかというとコテコテの本格ものであり、それに挑戦しようとする作者の態度はやっぱり高く買うべきなのだと思います。けれども読んでいて、まだ書き慣れていないのだろうと感じる部分が多々ありました。
 たとえば「凹」の字をしているという屋敷の描写。盗まれてしまう壺があったのは「西館「凹」という字の二画目の曲がった辺りの部屋」とありますが、具体的にどこを指しているのか明確ではありません。というのも「凹」の書き方 - 漢字の正しい書き順(筆順)のサイトを確認すればわかるとおり、二画目は作中では「東館」にあたる場所に位置しています。これでは不適切な記述になってしまいます。とりあえずその線はないと仮に考えて「口(くち)」の字の書き順のように左側の縦棒を一画目に置くとしても、そちらでも曲がる部分は二箇所ありますから、結局迷うことになります。こういったところはシンプルに書いたほうが誤解がなくなるかなと思います。たとえば「南端の部屋」だとか方角を交えたり、「○○からn番目の部屋」などと明確な記述を心がけて位置をある程度限定しておかないと、あとから空間が歪んでいくことになったりしてしまいます(部屋の位置の問題は扉ページの簡略な見取り図のおかげで回避はされているのですが)。
 つづく「扉が金庫のようになって」いるという記述も同様で、あまり明確ではありません。パスワードが必要ということは書かれていますけれど、それだけだと世紀の大怪盗というくらいですし、特殊な装置を使ってあっさり盗みだしてしまいそうな。個人的には「金庫」からイメージされるのは、扉自体が銀行の大型金庫のような分厚いものかなと思うのですが、そのあたりは具体的に書いておいたほうが(面倒なミステリ読者を相手にするには)いいのではないでしょうか。いちおう怪盗が盗みにやってくる、という話の前提がありますから。とはいえ変な余白をつくってしまうくらいであれば、単純に「鉄製の頑丈な扉」であることと、「パスワードロックがかかっている」ことを強調するだけ、という方法もあります。そのあたりは書く人次第ではないかなと個人的には思っています。
 メインの物理トリックについては色々と突っ込まねばいけないような気がします。(密告から推理を開陳するのは本格ものとしては正直いただけないのですが、それは置いといて)たとえばロープについてであれば、警察がいる状態で見つかった時点で血が付着しているならば、たぶん血液鑑定に回されるでしょうし、犯人が犯行に使ったものを丁寧に道具室に返してしまっていいのか、とか。さらにはその長さもいまいちよくわかりません。「渡り廊下くらいの長さしかなかった」ことで、西館の屋上から吊るして三階の窓に降りるには長さが足りない、ということになっていますが、そうなると渡り廊下の長さがだいぶ短くなってしまいます。建物の各階の高さをだいたい4メートル(屋敷ですしそのくらいあっても)と見積ると、ニ階層分はおよそ8メートル。となるとロープの長さ≒渡り廊下の長さはだいたい5メートルくらいでしょうか。このくらいの距離だとだいたい二車線の道路より短いくらいですから、わざわざ振り子を使わずとも、長い紐かなにかをつけた石を投げるくらいで窓なら割れそうになってしまいます。これでは状況的にトリックとして振り子を選択する必然性がありません。また探偵の推理では振り子の先に取り付ける「最適なもの」として被害者である筧の「頭」を提示しますが、さすがにそれは適していないことはちょっとでも考えればわかるように思います。首を切る手間もあれば、ロープに結ぶのも大変ですし、窓を割った衝撃で地面に落としてしまったらトリックまで知られる可能性まで出てきますし、デメリットのほうが多そうです。加えてその推理では当初の計画が頭よりも適していないものを用意していたことになりますから(道具室にまともなものがありそうな気もしますが)、なぜそのトリックが使われたことになったのか、という必然性について作者はもうすこし考えたほうがいい気がします。あと単純に、トリックで窓が割れた瞬間に門外を警備している警察たちが気づきそうなものでは。門からの距離とかがないので、具体的にどのようになっているのかはわからないのですが。
 またトリックの伏線となる時計についての説明も強引さが目立ちます。渡り廊下の「壁に張り付けられたように」見えているが、じつは「屋上にあるフックにかけて」いることで「ぶら下がっている」とあります。描写としてはだいぶ不自然というか、アンティーク蒐集家の屋敷にしてはそこだけ手抜き工事っぽさがありますし、作者がトリックのために用意しただけだということを公言するような意匠になっています(フック自体が「吊り下げる」ことを意味しているのも直球すぎるように思います)。たとえばそのフックのあった場所に「ガーゴイル像」など用途のまったく違うものを置いてしまえば、だいぶ印象が変わると思うのですが。またその時計自体についても、トリックの使用時にはだいぶ邪魔なことになってしまうのでは、と思いました。なにせロープの振り子を使うのですから、時計のほうに引っかかりそうなものですし、それに関するエクスキューズや伏線がどこにもないのが残念でした(たとえば時間に関する質問にあまりうまく答えられない容疑者を一人用意しておいて、しどろもどろになっていることに探偵役が食いつき、「犯行時、時間が盗まれたのです」みたいなことを言ってのけて、トリック使用時はフックから時計がはずされていたことを推論し、そこから「なぜ時計がはずされたのか」と考え、振り子トリックに行き着く、というようなものがあれば、真相として密告から振り子トリック単体だけを提示されるよりもずっとスマートな演出になるかな、と思うのですが)。
 トニーの正体に関する推理もだいぶおざなりな印象があります。怪盗というくらいですから変装くらいはお手のものでしょうし(警察のなかに「トニーが紛れていると怖い」というセリフもあります)、五分五分の戦いを繰り広げている探偵の目の前でこれ見よがしにへまをするものだろうか、と疑問に思いました。「あの子」についても、怪盗と疑ってかかるよりも、ほかの人らの前でだけ知り合いであることを隠していたくらいでもじゅうぶん筋が通りそうです。「あの子」が二人の親戚か共通の知人で、金銭問題が関わっているというくらいは探偵も考えそうなもので、そうなると背後関係を調べようとするのでは、と思います。ほかにも、オークションに残った三人は金で競り落とすように怪盗トニーから雇われただけの人間だった、とかくらいの話にしておかないと、ずいぶんと間抜けな怪盗一味になってしまって、「世紀の大怪盗」の名が胡散臭いものになりそうです。作者はポンと出てきたアイデアをそのまま書き出してしまうのではなく、それをどのように活かせるか(トリックが使える状況、うまいミスリードのやり方など)を考えてみることで今後の創作の出来がだいぶ変わってくるのではないでしょうか。


「二歩」八場置氏
 台風による増水のために人々が避難し、だれもいなくなった病院に転がり込むことになった大学生たち。彼らは一晩そこで明かすことになるが、殺人が起きる。犯人当て小説。 

 犯人当てとしてはシンプルというより(例題のような、という意味で)教科書的すぎるというか。定番すぎるというか。読んでいて、欲がないなあと思ってしまいました。推理の根拠がほとんど与えられた血液型の情報をもとに状況を整理すれば解けるというものになっているので、だれもが解答にたどり着ける、という点では犯人当てとしてまさしく及第点なのですが、それ以外に特筆する点がないため、単純に箇条書きのクイズに転用できてしまうのが難点と言えば難点かと思います。犯人の絞リ込みについての条件をもうすこし増やさないと骨がないというか、骨だけしかないというか。また犯人当てとしては「なにが(伏線として)問われているか」を読者が考えるほうが難易度が上がるのですが、今回はそれも明確にされています。犯人当てを苦手とする人にはよい入門編となったと考えれば、それだけでもじゅうぶん異議あるものであると思います。
 特に瑕疵と言える部分がないので、以下はほぼ解説になります。
 ロジックの組み方については正当的で、犯人が予期できなかったことは事前に考えようがない、という考え方を採用している点はフェアと言っていいと思います。それを保証するように挑戦状の直前に犯人Xの視点による証拠隠滅の描写が描かれ、自分が垂らした血液が被害者のものと混じったことを自覚したまま見逃しています。この描写は犯人が自身の血液型の誤認に犯行時は気づいていなかったことを示しています(同時に、ほかの登場人物から指摘されていたかもしれない、という可能性の排除)し、犯人は故意に自分が不利になる行為をとらない、という不文律を守っているということも示しています。その倒叙ふうの描写の時点で、容疑者は二人に絞られ、カードという客観的な情報を根拠にすれば残る一人が犯人だということにたどり着けてしまうという難易度の低さは惜しむべきですが、フェア性を突き通そうとしたことの結果ですし、解答編でその描写をフォローする形でのエクスキューズが描かれているのは作者がそのことに自覚的であるということでもあります。血液型に関するロジックの明快さよりも、こうした堅実な手順の踏み方を評価すべき作品だと思いました。
 ちなみにXの犯行時の視点がないまま挑戦状に行き着くと、犯人Xが丸山の発言から彼がO型ではありえないことに気づき、丸山がAB型、A型、B型、のうちA型であるという3分の1の可能性にかけてA型の製剤を木村の血に垂らして凝集させておく(そのときスイッチにも製剤を付着させておく)、という偽装工作をすることで容疑を丸山になすりつけるというイジワルな別解(犯人自身も不利になるものの、疑わしきは罰せよのクローズドサークル魔女裁判状態に持ち込むと勝利が確定する)が一応は可能になってしまうのですが、そんなミステリは読みたくないので本当によかったなあと思います(念のため補足すると、スイッチについた血液の描写については地の文で「製剤のものではない可能性が高い」とありますので、読者は考えなくてもよくなっています)。
 タイトルについては「二歩」とあり、扉ページには左右の足あと。けれども各章題がすべて詰将棋の名前になっています(わからなかったので検索しました。「図巧一番」、「驚愕の曠野」、「ルービック・キューブ」等々……解法含め、さっぱりわからない世界です)ので、ニホ、ではなく、ニフ、と解釈すべきでしょうか。作中での「二歩(ニホ)」は犯人が血液を滴らせたときの描写にあって、初歩的な(けれどもままある)失敗とも言える将棋の「二歩(ニフ)」とのダブルミーニングなのかな、と思いました。じっさいのところはどうなのかわかりませんが。このタイトル自体も、伏線である描写がどこにあったのかを暗示していますし、読者サービスのよい作者なのだろう、と思うことにします。




その他の雑感・まとめ
 個人創作に関する感想は以上なのですが、それらを全体的に見てみると、そのほとんどが書きたいことという目的はあっても、そのための手段がおろそかになっているなあ、という印象がしました。そしてその目的自体も明確ではないと、話の路線がふにゃふにゃになってしまい、そのために迷走することになるのだと思います。この目的というのがわかりにくいのであれば、コンセプトと言い換えてもいいかもしれません。コンセプトが決まれば、話の落とし所もなんとなくわかってくるはずです。たとえばAというお話のパターンならA'かA''かA'''くらいが妥当なオチで、Bに持ってくのはないよなあ……というのは経験的にどんな人も知っています。書いていくなかで、その落としどころに持って行くにはどのような手段がモアベターであるか……そのあたりを意識してみるだけで、違って見えてくる部分があるのではないでしょうか。今回のカメレオンの創作にしても、その話の落としどころを意識している作品と、意識していない作品とがあることは、ぱっと読んだだけでもわかるように思います。これ以上のことは、カメレオンの巻頭で門井先生が述べていますし、さらに詳しいことは小説指南書とかにたくさん書かれていると思いますから、これ以上は言う必要はないでしょう。
 またこの数年、特にOBの先輩方から言われていることなのですが、レビュー・評論がほとんどないのはやっぱりさみしいなあと思います。今回になって自分もカメレオン原稿に関わらなくなったのですが、そういう立場からさっと読んでみて、創作以外のものがないと、機関誌に彩りがないというか。幕の内弁当を頼んだら焼肉弁当がきちゃったと言いますか。べつに評論だからといって本格的にミステリ史を概説して語る必要はありませんし、たとえば例会で研究した作品単体でも、やってみたあとに残った疑問や、ある一部分がすごいのに誰も言及してないじゃないか、と思うならそれについて力説すればいいんじゃないかなあと思います(昔のバックナンバーを見ると、例会レジュメが機関誌に載っていたこともありました)。そういう個人の趣向による身勝手が許されるのが個人ランキングのわずかなページだけ、みたいな風潮になっているのはなんだかもったいないと思いますし、学生なんだしもっとカジュアルにはっちゃければいいと思います。他大学の機関誌の企画を読んだりしてみるのもいいと思いますし、もっと、こう、多様性があってもいんじゃないでしょうか。小説に限らず、ゲーム、マンガ、アニメ、映画、リアル脱出ゲーム、(コナンとかの)ミステリーツアー的ななにか、アンケート、(メッタ斬りふう)座談会などなど、思いつこうと思えばいろいろできるんじゃないかなと思います。来年度はサークル発足20周年となるわけですから、いまのうちに企画を進めて、盛大な記念号をつくるとOBの人たちが喜ぶそうです。とても喜ぶそうです。
 


参考用にどうぞ

ミステリーの書き方

ミステリーの書き方

乙一のが有名なアレなのですが、GOTHの第一話のプロットを分解しながら説明してくれるので大変わかりやすいです。参考にならないのも多いですが。若干古い内容もあります。旧版よりは現代ナイズドされていて、米澤穂信作品などへの言及も。巻末のリストも使えます。モルグ街の細かすぎる分析などは読んでいて声を漏らした記憶があります。
物語工学論 キャラクターのつくり方 (角川ソフィア文庫)

物語工学論 キャラクターのつくり方 (角川ソフィア文庫)

物語というよりは大雑把なキャラクター分類の本です。これを読んだあとにハリウッド映画とか、MF文庫の中世ふうファンタジー(?)あたりを読むと、あーなるほど、と膝を打つんじゃないでしょうか。
ベストセラー小説の書き方 (朝日文庫)

ベストセラー小説の書き方 (朝日文庫)

ほとんど参考になりません、という参考意見を言っておきます。


0. 目次 - 猿とタイプライター
作者の作品のネタバレがあります。若干過剰表現や断言口調なところがあるとはいえ、現在S-Fマガジンで連載されている、飯田一史のhttp://estar.jp/.pc/work/howto/23096157/%E3%82%A8%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%83%A1%EF%BC%B3%EF%BC%A6%E3%83%BB%E3%83%95%E3%82%A1%E3%83%B3%E3%82%BF%E3%82%B8%E3%82%A4%E3%81%AE%E6%A7%8B%E9%80%A0_%E7%AC%AC1%E8%A9%B1の喜怖哀楽+共の話とリンクする部分などがあって、いろんな小説指南書が曖昧な表現で濁している部分を言語化している印象があります。

何度でも言います。オールタイムベストです。米澤穂信だって「数少ない友人たちと『解決』の驚きを分かち合った」と言っています。つまりそういうことです(ステマ

本格ミステリの王国

本格ミステリの王国

前回も貼りましたが、今回も。有栖川版類別トリック集成をはじめ、各種選評やエッセイなど。ミステリを書きたい人にとっては、有益な本になると思います。学生時代の作者の作品を読んで、一喜一憂するのもいいんじゃないでしょうか。