摂取記録

幽霊列車とこんぺい糖―メモリー・オブ・リガヤ (富士見ミステリー文庫)

幽霊列車とこんぺい糖―メモリー・オブ・リガヤ (富士見ミステリー文庫)

 百合小説の界隈では圧倒的にもてはやされている本。流通していた部数としてはラノベの初版刷り程度だとしても、価格が定期的に高騰するまでのものなのかと思いつつも運良く手に入れたので読んでみた。
 冒頭部が完璧だった。電車に轢かれて死のうとしたら、その線路が廃線になってしまい途方にくれる主人公。そのまま線路に抱かれるように伏していると、もうひとりの主人公と出会う。不思議な雰囲気を宿した彼女は主人公を引き連れて、ひまわり畑の奥に残されていた廃車両へと誘う。彼女はその幽霊列車をよみがえらせるのだと、全容のつかめない計画を宣言する。そして物語≒夏が始まる。
 このように書けば、装いはまさしく王道といってもいいガールミーツガールな百合小説であるわけなのだけれど、それだけではなかったりする。これが富士見ミステリー文庫が残した佳作なのだと思うのは、物語が加速しだしていく後半部からだ。そもそも主人公がなぜ死のうとしていたのかは中盤までには明らかになっているのだけれど、後半部からはリガヤというもうひとりの主人公、つまりヒロインの過去に触れていくことによって、ストーリーが反対方向から組み上がっていく形になっている。ヒロインの存在を軸としつつ、過去(リガヤの姉)と現在(主人公)とがある種の相似形を描いていき、やがて死という概念が物語の日常全体に、すべての登場人物の背景にまで行き渡っていたことが明かされる。その流れがお話を普遍的なものにしていると思う。
 少女の成長小説、つまりは夏休みジュブナイル小説であり、死とどう向き合っていくかという青春小説なのであって、そうした拭えない死の影の濃さこそが物語の焦点になる。ミステリのトリック的には一種のマニピュレートというか精神攻撃なのだけれど、その行いこそ登場人物を縛っていたのだということが明かされたときには、構図もまたロジカルではなく、感情的に逆転する。きっとこういうストーリーは富士ミスでなくては生まれなかったんじゃないかと思うし、物語としてもそれがとてもよい山場になっている。だからこそ佳作。
 すこし前まで底値が2000円くらいになってお手頃価格になったと思ったのに、天下のAMAZON様の在庫(中古)が尽きてしまって容易に手に入らないのが本当にもったいない。現在は在庫が復活したようだけれど4000円超えで取引されるようになったので、復刊ドットコムとかいう賽の河原で石を積むよりは、絶版漫画図書館あたりで公開できるようにしたほうが世間様や作者のためになるんじゃないだろうかと思うのだけれど。


 姉が死ぬ/死んでいるというのはひとつの伝統的な物語の形なのであって*1、たとえば時代遅れの言葉でいうとそれは一種のファム・ファタル化であるのかもしれない。けれど『幽霊列車とこんぺい糖』を読みつつ、ほかの姉フィクションを読むことで星座のように浮かび上がってくるのは、ならなぜ「姉」でなくてはならないのか? という根本的かつ素朴な問いではないかとも思う。
 姉は死してなおその存在を語り手や複数の人物のあいだに息づかせ、しかし彼や彼女らが心の中に結びだした像は決して共通のものにはならない。絶対者としての姉。少女としての姉。何者でもない姉。断罪者としての姉。あるいは、運命そのものとしての。冬目景がこの本のラストの物語で描いたのもそうしたオーソドックスな死者としての姉であるが、たしかにその本質を描いているともいえる。われわれはそういうどこかつかめそうで、そのじつ、つかむことを許さない存在である姉を描こうとした物語を、姉に関する謎物語、つまり『姉ミステリ』と呼び、収集しなければならないのではないかと思う。それが素朴な問いに向き合う唯一の方法だろうから。


ペロー・ザ・キャット全仕事

ペロー・ザ・キャット全仕事

 たまたま山本ヤマトの画集*2を手に取ったところ、異様なほどのオシャレ感を漂わせた百年戦争を下敷きとしたSF?ストーリー(『不思議の国のアリス』が引用される)の抜粋と思われる数ページの漫画「幽霊ウサギとアリスのダンス」が描かれており、いかにも面白げな雰囲気なのだが、これが掲載されているのがSF JAPANという雑誌だったので果たして本文があるのかさえわからない。ので、一緒に載っていた原作者の名前を調べると、フランスの暗黒街を舞台に猫が活躍するサイバーパンクでデビューとの情報があり、その場で注文することに。
 おカタいサイバーパンクかなと不安になりながら読むとそんなことはまったくなく、思っていた以上に軽い筆致で描かれるなんでもアリな世界観が実に心地よい。というか、猫に憑依して、それを介して得た情報をもとにゆすり屋として成り上がろうとする、小物だけれどもピカレスクな物語のバランスセンスがいい。それでいて猫に憑依しているあいだは殺し屋やボディガード(ローニン)のトンデモバトルの最中に投げ込まれているので、エンタメらしさを感じられて退屈せず読めるのは単純に楽しい。
 また適度に差し挟まれる引用や、登場人物との禅問答めいた対話が肉体と精神というサイバーパンクが向き合わざるをえない問題に触れそうになりつつ物語を絶妙なさじ加減で彩っているのも美点といえる。肉体から離れるのではなく別の肉体(ヒトからケモノ)に入るというSF設定のおかげで、日本国産サイバーパンクの弱点たる肉体賛美の雑な論理展開(結局肉体は電脳より強いから肉体を優先しようという脳筋思考)より一歩上にある地点から思考をしている。そして肉体だとか精神とかの話をすべて丸め込む位置にフランスマフィアの持つ暴力(という支配の体系)があって、それが物語内で最もつよいルールであり、すべての軸になっているのが大変クール。やっぱりヤクザものはこうでなくちゃ。
 惜しむらくは猫が主人公の分身であるために、それほど可愛らしく描かれる機会がすくないことだろうか(改造やらはガンガンされます)。


スキマノスキマ (電撃コミックス EX)

スキマノスキマ (電撃コミックス EX)

 SFなのか伝奇なのかはわからないけれど、おそらく有史以来何度も繰り返されたであろう猫がタイプライターを打つベタな世界観でなく、猫を使ってこっくりさんをやってしまうその適度に脱力された発想力というかDIY精神のある語り口がとてもいい。ほかにも銀の入った制汗スプレー(Ag+と思われる)で魔除けをしてみたり、日常のアレコレと伝奇的な世界の相似形をちょっとした補助線を引くだけで見せるセンスが素晴らしい。なぜ作者の本がこの一冊しか刊行されていないのかとさえ思う。こういうのがもっと読みたいのに。


 帯に志村貴子の四文字があれば大丈夫だろうという思いから、あらすじも見ずに購入。一話のラブコメを意識しつつも、どこか我々の日常とは明らかにちがう固有名詞や不穏な変化を小出しにして、最後にどばっとその世界の姿を見せていくホラーちっくな手際の良さといったら。男の顔の描き方が完全に志村貴子フォロワーだし、決して凝りすぎないワンシチュエーション的な女性向け漫画にありがちな設定を複数分無理やりひとつの連載に持っていくその感じといい、ビビっとくる人は間違いなくいるはず。

 天才。