摂取(に失敗した)記録

 今年も残すところわずかばかりとなりましたが、すこしずつちいさな感覚をなくしてしまったことを、酢昆布のようにかみしめていきたいと思います。

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

あなたの人生の物語 (ハヤカワ文庫SF)

 映画『メッセージ』は自分の観測圏内ですと、よくこの作品を映像化した、というおおむね好評(?)な印象でしたが、すこしだけ心残りもあります。
 というのも原作を読んださい、登場人物がヘプタポッドとコミュニケーションするうちに認識や知覚する世界が広がっていくような、すべての事象が並列化(というより拡散と収束が同時におこなわれる、といったほうがよいでしょうか)され、人間の時間軸から離れていく感じを映像では味わうことができなかったからです。
 そのため、あたかも散りばめられた伏線をラストで回収するような、時間SFにおける平仄あわせ的な物語処理を自分がなかば習慣的にしてしまった可能性が拭えずにいます。スクリーンのなかに一本の大きな物語のラインが存在し、そこにパズルのピースをあてはめていくような、快楽を生むはずの感覚が、かえって逆の効果を自分に与えている状態といえばいいでしょうか(作劇や映像そのものがもたらした感動はべつですが)。原作未読者が周囲にいないせいもあって、結局あのスクリーンで見たものはなんだったのか、結局いまでもわからずにいます。そういう意味ですと、あの物語における傍観者的な立ち位置に自分はいたのかもしれません。
 以上の理由からでしょうか、すくなくとも、自分は初読時に手に入れたかと思えた、あのタイムラインから一時的に解放された、ふしぎな感覚を失ってしまいました。

フリップフラッパーズ 3 [Blu-ray]

フリップフラッパーズ 3 [Blu-ray]

 第六話「ピュアプレイ」です。脚本は綾奈ゆにこ先生です。希代の天才です。ココナがパピカでパピカがココナで「いろ、いろと代わって!」「いろ助けて、いろと代わって!」「いろはいろだよ」「いろもいろでしょ!」「あ、日誌はどこ、日直さん、お名前は? どちらさまでしたっけ?」
 サブプロットがメインストーリーを侵食しかねないことがこのフリップフラッパーズにおける大きな転換点といえるのですが、その構造それじたいもまたこの話そのものをぐるりと囲んでさえあって、着地点を意図的に示唆させにくくかつサスペンスではなく過去の郷愁とトラウマと忘却をねじれた裏表に展開する話運びに混乱と違和感を憶えない矛盾した物語の着地に果たしてわたしたちは向きあえたのかそうでなかったのか、もうそれは一回性のすべてのなかにかき消えてしまったのだから、もうお前はその一端でさえ思い出すことはない。
 唯一それを経験できなかったがゆえに網膜に焼きついて残ったのは、ほんらい感じることのできない、色彩に宿っていたはずのにおいではなかったか。

一変世界 1巻 (バンチコミックス)

一変世界 1巻 (バンチコミックス)

一変世界 2巻 (バンチコミックス)

一変世界 2巻 (バンチコミックス)

 多神教で魔物やらよくわからないものがうようよいる世界で、神殿巫女見習いを主人公とした、定期的に死人が出るタイプのハイファンタジー漫画です。バンチといえば、つくみず先生の『少女終末旅行』のブラムの換骨奪胎っぷりにみんな舌を巻いているうちにアニメ化までこぎつけてEDのアニメーションはつくみず先生だし森羅万象はもはやつくみず先生に満たされてなにもかも平和になったのでは、と思いつつも、こういう異世界も大事にしなくちゃな、と一年以上一巻だけを読んでから積んでいたまま過ごしてしまいました。
 第一話では地面にくくりつけた人間の背中に卵を産み付けるクリーチャーが少女たちを襲います。絶えずお話を楽しむためには、やはり空白の時間をつくらずにいるべきだったと再確認しました。

 漫画力をこれまで以上に極めつつある志村貴子は、BLのシチュエーションを借りつつも、たった一巻も終わらないうちに登場人物が自覚的に自身の物語に対して主導権を握ろうとする行動をとりはじめるように描写を重ねている。その結果作中世界はメビウスの輪かつ入れ子構造的なメタフィクション状態になるほどの混乱ぶりであり、わたしたちがその圧倒的なまでに複雑化されたストーリーテリングの本質を理解するにはおそらくあと三年ちかくかかるのではないか。

sora tob sakana

sora tob sakana


 ハイスイノナサじゃん、とその情報と楽曲に触れるまで一年以上かかりました。さいきんは宝石の国OPでも照井順政が作曲を担当していましたね。

 文学問題(F+f)+の参考文献から、手を伸ばしていくかたちで読みました。これはごく最近の研究結果をまとめた本なのですが、いまだに読書をしているときの人の頭のなかの状態を調べることは、やはり難しいそうです。
 現状では、いくつかの大学の生徒やネットのアンケートなどを実施し、確認できる範囲として読書に対する姿勢や、読後およびその前からの意識の変化(たとえば物語上で提示される倫理観などがそれにあたるでしょうか)といったもの調査対象としてがあげられ、たしかにアプローチとしては、まずはそこからだろう、というのは納得がいきます。ご興味のある方は読んでみるとよいかと思います。
 また、いまのところですと、人の眼球の動きを追うゴツい眼鏡のような機械(これは自分もじっさいに大学の研究室で装着したことがあるのですが、大変高価なものだそうです)を使って、それぞれの語句で読者が目を止める時間を計測することによって、リーダビリティの高い文章のルールめいたものをつくれないか、といったことを円城塔がどこかで言っていた気がします。
 読むという行為とそのさいに受ける情感などについては、今後も誤りながら考えていきたいと思います。