志村貴子『わがままちえちゃん』を誤読する2

志村貴子『わがままちえちゃん』を誤読する1 - ななめのための。


※本記事は、『わがままちえちゃん』の作品内容について、細かく言及することを目的としています。

 
 未読の方は、申し訳ありませんが、閲覧いただかないようよろしくお願いいたします。


■これまでのあらすじ

 前回、第一話から第三話までの情報をもとに、語りの構造がどのようになされていたかを図式化してみました。

 その際、ななえおばさんが、さほ/ちえちゃんから手紙を受け取っていた描写がそれぞれあったため、そのふたつのうち、どちらが正しい現実なのか判断することができない、といったことを書きました。

 ですが、よく考えてみると、これは誤っている可能性があります。また「外側に行くほど事実は優先される」ことも、あくまで限定的な状況での判断だと言わなければなりません。

 どういうことでしょうか。

 言葉がややこしくなってしまうのですが、正確には「どちらが正しい現実なのか判断することができない」こともまた、現状では判断することができない、というのが賢明な態度だということです。手紙の描写がふたつ存在することから、それらの描写が真か偽かという考え方を用いることで、計四つのパターンを勘案することが可能であるためで。現状では、それらのパターンが並列して存在する、ということしか言えないかと思います。

 またこの場合分けにおいて、語りの構造(作者→読者もしくは作中人物→読者)に関する位相の判断は含めないこととします。

 ゆえに、上記四パターンが、現状想定できるかと思います。個別に考えていきたいと思います。

A:作中描写による事実の上書き(軌道修正)を認めない立場
 →正確には、夢から覚めた側の出来事を現実と誤認しているのではないか、という可能性です。上書きそれ自体がさらに虚偽である可能性が拭えない以上、ちえちゃんが死んでおり、生きているのはさほではないか、という立場です。 

B:作中描写による事実の上書き(軌道修正)を認める立場
 →おそらく、もっとも自然な読者の態度といえます。展開されていく語りをそのまま信じる立場です。今回の冒頭、改めて図式したのはこのパターンです。ちえちゃんは生きており、さほは死んでいる立場です。

C:作中描写による事実の上書き(軌道修正)を保留する立場?
 →どちらが事実であるかを確定することができない以上、それらの描写が妥当する可能性を考える立場です。この場合、ちえちゃんが生きている(さほは死んでいる)可能性と、さほが生きている(ちえちゃんは死んでいる)可能性のふたつのパターンが同時に考えられます。

D:作中描写による事実の上書き(軌道修正)を保留する立場?
 →どちらが事実であるかを確定することができない以上、それらの描写に対してあくまで疑いを保っていく立場です。ただし、両者とも存在しないと仮定した場合、これまでの描写の意味じたいがなくなってしまうため(すべては夢オチである、と実質変わりません)、あまり建設的な態度とはいえない気がします。


 とりあえず今後の方針としては(仮定というかたちで)、BとCのパターンを念頭に読んでいきます。

 それでは改めて、今回も誤っていきたいと思います。


■第四話
 男性(?)に道を訊かれているさほです。どうやら案内をするため、車に乗り込んだようです。ところで空白の奥行きへと視線を誘導し、一瞬だけ読者の時間をコントロールしつつその”時間”に気づかせる、もしくは考えさせるというのは志村貴子の得意とする描写です*1。漫画が上手いですね。


 どうやらその姿を帰宅しようとするちえちゃんに目撃されたようです。すれ違いのコマ割り。ここでも一瞬、読者の時間が止まります。ほんとうに漫画が上手いですね。そのことについてちえちゃんは訊ねるものの、答えを教えてもらうことはないまま、さほは他界してしまうことが語られます。

 さほの死後、ちえちゃん近辺の話に映ったのち、時間軸はいったん巻き戻ります。ちえちゃんによる、さほに関する回想。と、思いきや、その内容もまた作文というかたちで文字に書かれたものでした。


 この回想の流れは複雑ですね。ちえちゃんによる回想が先生に見せた作文になったかと思うと、それもまた一段階大きな回想の内部に取り込まれています。ここでもまた、語りの入れ子構造がさりげなく使われています。

 また、それだけでなく、ちえちゃんは回想のなかで、父親の言葉をいったん場合分けすることもしています。深読みをするならば、ここでは入れ子構造だけでなく、これまでと同様(一時的に)事実も分岐している、といえるのではないでしょうか。

 四話の内容をいったん整理すると、以下のようになります。


■第五話
 高校生になったちえちゃんです。実家ではなく、ななえおばさんの家から学校に通っているようです。そうしたなか、占い師の久保田さんと関わるようになりました。彼曰く、霊視ができるとのことです。


「身体の関係ですか? もちろんありません」の言葉の直後、ちえちゃんの上半身がみえます。ちえちゃんは嘘をついているようです。これまでもあったように、描写によって情報が上書きされています。

 ちえちゃん「今日もみえますか?」久保田さん「うん みえる」と言葉を交わします。ですが、その夜、霊になったさほ「なんにもみえてないじゃん あいつ」とちえちゃんに語りかけます。

 さらにちえちゃんは「でも さほがされたのは わたしが久保田さんにされたことと同じでしょ?」と当然のように問いかけます。新情報です。文脈を補うのであれば「久保田さんにされたこと」=セックスで、第四話での車に乗ったとき、さほは性的暴行を受けたのではないか、ということがふたりの会話から暗示されています。あの時間の止まるような演出による伏線が回収されました。


■第六話
 あっさりと高校二年生になったちえちゃんです。新しいクラスで、声が「死んだ妹に似てる」利根川さんと出会います。放課後、ちえちゃんは速攻でモーションをかけて利根川さんと付き合うようになります。実にクレイジーですね。いいと思います。「わたしがあらためてさほのことを考えようと思ったきっかけでした」という独白で終わります。


 今回はめまぐるしいスピード展開で、複雑な情報の上書きなどはありませんでした。最後に読者へと語りかけるような口調でまとめるくらいです。


■第七話
 今回は語り手が交代しています。前回ちえちゃんに即断即決モーション(クレイジー)をかけられた利根川さん視点でのスタートです。

 前回、前々回であっさりと培われたちえちゃんの交友関係が交差していきますが、その裏でどこか食い違っている様子も語られています。ハンバーガーショップではページが縦に二分割され、今回唯一のちえちゃんのモノローグ「きもちいい… さほに叱られてるみたい」とやっぱりクレイジーです。それに戸惑う利根川さん。どうもちえちゃんが自分の世界に没入しているであろうことを察したようです。

 そして久保田さん「みえてたけどなぁ」と、第五話でのちえちゃん―さほの会話で醸成されていた状況をあっさりと否定しています。

■第八話
 第七話の久保田さんを裏付けるかのように、今度はさほのモノローグからはじまります。「こんな男にみえたって仕方ないのにさ」と久保田が霊視をできていることもさほは肯定しています。

 いっぽう、ななえおばさんのところに利根川さんを連れていくちえちゃん。「塙さん虐待されてるって本当ですか」と、いきなり爆弾発言が入りました。生前のさほは虐待を受けていたのでしょうか。けれども霊になったさほは、このことについて、沈黙を守っています。

 虐待についての答えは得られないものの、回想がそこで挿入されます。交通事故で死んだというさほ。第四話の反復かと思いきや、車に乗っているのは、夫婦とおぼしき男女。そして声をかけられたのはちえちゃんとさほのふたり。加えて、車はだれも新たに乗せることはなく、去っていきます。ここでもまた、情報が上書きされているようです。かなり雲行きが怪しくなってきました。



 第五話ではあれだけ親しげに言葉を交わしていたちえちゃんとさほですが、まったく通じあっていません。そしてさほ「ちえはホントはあたしのことみえたいんだよね」と言ってのけます。そしてさほは、唯一頼ることのできる存在である久保田さんへと接触していきます。

 これまで物語の主導権を握ってきたはずの、ちえちゃんの語りは、周囲の人々、そしてそれを俯瞰して観察しているさほによって上書きされています。かなり錯綜していますので、とりあえず証言を以下にまとめました。

 このようにみると、ちえちゃんがじつは虚言癖を持っていたのではないか、というふうに物語の見方がさらに反転したことがわかります。これらを個別に真偽判定するような場合分けは、最早意味をなさないと思われます。

 語りの構造についても改めて第一話〜第八話の描写をふまえ、簡潔に整理してみます。態度としては、B(作中描写による事実の上書き(軌道修正)を認める立場)を念頭にします。

 こうして改めて見ると、物語が絶え間なく反復しながら更新し、ところどころで各登場人物ごとにみえているものが違うため、出来事があたかも分岐しているかのような様相を呈しています。そしてまた、この入れ子構造の目的は(全体の語り手がわからないため)、いまだにわかりません。

 そしてこの語りは、第八話の最後で久保田さんへとつながっていきます。入れ子はつづくよどこまでも。


 それでは機会がありましたら、また次の誤読でお会いしましょう。

*1:これはのちの第五話への伏線になっています。