突然ですが、みなさ~ん!
「岡田麿里に傷つけられたことってありますか~~???」
ありますよね~~。わたしもそうです。
ついこないだ発表された新作もめちゃくちゃ傷つけてきそうでどきどきですよね。
というわけで、今回は最近アマゾンプライム入りした『空の青さを知る人よ』の全編を通して、岡田脚本作品の技法について考えていきたいと思います。自分を傷つけてくる相手のこと知って、積極的に備えていくという企画です。強くなりたい気持ちなので……。
なお、以下の文章では『空の青さを知る人よ』のネタバレをかましまくるので、ちゃんと映画観てから読んでください。本ブログはファスト映画的ふるまいを称賛しません。よろしいですか。
(※)またこの作品には前時代的・閉鎖的と受け取られかねない価値観のキャラクター・台詞が多数登場しますが、作品がつくられた当時の時代背景や作者の人格を考慮し、誤読していきたいと思います。小説版には触れていません。よしなに。
①*1
冒頭。くしゃみ。肌寒くなってきた季節かと思われる風景の質感(物語の時間は秋ごろ)。画面に出てくる橋は『あの花』を見てるとおなじみ感があります(秩父橋)。開始5秒でやるファンサービス。ためらいがない。そしてザッピング的な映像の切り替えが入ります。
台詞はなく、映像のテンポだけで見せます(開ける、開ける、閉める)。主要キャラの三人。顔を見せない。顔を見せないので、自然と観客の「気になる」気持ちを引き出します。つまり、この時点でファンサービスだけでなく、映画に入り込ませるための技巧が用いられています。
また、ここでギターケースを取り出そうとする慎之介の部屋が映っています。手前にギターのヘッド、ビール缶、窓際にキャリーケース。畳。ワンルームかもしれないし、家賃は低めかもしれません。
物語のあとで詳細は伝わりますが、「東京で成功したわけではない男」の一人暮らしがこの時点で語られています。やや古っぽいというかやさぐれすぎですが(フローリングの部屋に住むくらいの収入はあるでしょうが)、絵的なわかりやすさはあります。おそらく意図的なものでしょう。
VOXのジャック型アンプ、amPlug2 Bassをベースに刺す。サウンドハウスで3000円くらい*2。高校生が使う機材としてはありがちですね。
次いで環境音。子供の声、ヘリの音、犬の鳴き声。それらを遮断するようにイヤホンをつけるタイミングで、あおいの顔がはじめて大きく映ります。音が聞こえなくなり、ベースを指で弾きます。ブーブーと歪(ひず)んだ音。
VOXのアンプでそんなにべろべろな音が出るかどうかはじっさいに機材を使ったことがないのでわかりませんが、周囲の音を遮断して、自分の世界に入り込んでる感がめちゃくちゃあります。正直自分だったらこんな自我の強そうなベースの音作りしてるやつとはバンド組みたくないですが……。それはそれ。
弾いているのはベースラインではなく、主旋律のメロディですね。この物語で何度も登場するゴダイゴ「ガンダーラ」。
(いつも、探してる。ずっと探してる)
新海誠っぽいモノローグのあと、大胆な回想。えっ、まだ主要登場人物の紹介も終わってないのに回想使ってもいいのか!? こわ……岡田麿里こわ……。昆布のおにぎりを食べるしんの。ベースの音は遠のきますが、メロディはつながっています。
「ハズレ。また昆布」
「今日はオール昆布です」
「ええっ!? なんでだよあかね。ツナマヨがいいって俺一万回言ったよな」
「昆布がいい」
「だって」
練習に戻ろうとして赤いギターを構えるしんの。「俺のあかねスペシャルが火噴くぞ」、と楽器に女の名前をつけていますね。えー、古来よりバンドマンのあいだでは「楽器は女のように扱え」とありまして*3、彼もその文化圏の人間なのかもしれません。いや、端的に好きな女へのアピールでしょうが。
「あおいも……やりたい」
「じゃ、あお。でっかくなったら、うちのベースな」
時間はすこし飛んで、演奏。(そこに行けば)のモノローグ。ワンマンライヴのフライヤー。高校生がワンマンライヴやるのはかなり入れ込んでますね。観客がそれなり多いのでチケットノルマは捌けたと信じたい。モノローグに呼応するように「そこーにいーけばー」と「ガンダーラ」が歌われます。
(でも、そこはきっと……)
切り替わって、チーン、と木魚。葬式。転調。
(あまりにも、遠くて……)
「事故だってねえ……」
「ふたり一緒だなんて……」
(……)
「あかねちゃん、いま三年生でしょ」
関係者に頭をさげるあかね。
「あおいちゃん、お姉ちゃんの言うことをよく聞くのよ。これからふたりで頑張っていかなきゃなんだから」
そして一瞬だけ、ベースを弾いている現在に戻り、また回想。
(わたしは行けない)
神社の裏手。しんのとあかね。
「なんで。どうしてだよ。一緒に東京の専門学校行くって約束……あかねっ!」
「あか姉いじめんな! バカ! あか姉連れてくな! バカ! デブ」
(……)
「あか姉連れてくな! あか姉連れてくな! あか姉とあおいは、ずっと一緒なんだからぁ!」
(わたしはまだ、探している)とモノローグ。現在。
音楽を中断したのはあかねからのメッセージ。車で迎えに来たあかね。現在の時間まで「一緒」だったことが明確に示されます。車に駆けていくとき、一瞬だけ振り返って印象的なカット。顔見世終了といったところでしょうか。
慎之介の部屋。さっきのカットのつづきです。ガムテープでぐるぐるだったギターケースを開けるところで、お堂のギターにパスするような画面のつなぎ。
(探している。どんな夢も、叶う場所を)
ここまでで7分26秒。冒頭40秒ほどは製作会社のロゴ出してたので、実質6分台。ここで過去なにがあったかをここでほぼ全部説明するというめちゃくちゃなテンポのよさです。(どんな夢も叶う)は「ガンダーラ」の歌詞から来ていて、あおいのメンタリティがそこにあることが次第にわかるつくりになっています。タイトルの文字には青と赤が混じってますね。作品のモチーフとなる色です。
ところでバンド経験者ならすぐに察することができますが、しんのの使っていたギターはギブソンのファイヤーバードで、あおいのベースはエピフォンのサンダーバード。エピフォンはギブソンの廉価版ブランドと思っていただければだいたいよく*4、ファイヤーバードとサンダーバードは姉妹機です。
要するに「あおいがしんのへの憧れから楽器をはじめた」ということが機材面でも説明されていることがわかります。機材の詳細は以下の記事で。
②
タイトル明けて、学校。10月25日、金曜日、と黒板にあります。本作が劇場公開された2019年の日付ですね。そしてあおいは開口一番、
「東京行きます」「バイトしながらバンドで天下取ります」
「バンド。メンバーは」
「あたしひとりです」
高圧的な喋り方。あっ、協調性なさそう、友達いなさそう、という感じが出ています。ついでにこのとき大滝とすれ違っています。
時間は飛んで、車であかねに送られるあおい。
「盆地ってさ、結局のところ壁に囲まれてるのと同じなんだよ。あたしたちは、巨大な牢獄に収容されてんの」
「出た~。あおいの中二リリック」
「なんとでも言えし。とにかくあたしは、ここから出ていくから」
あおいのマインド、メンタリティが連続で語られ、強調されています。田舎に対する思想を観客に刷り込んでいく手法。ここであかねの顔アップ。眼鏡のフレームの色が赤から青に変わっています。
現時点ではあまり伝わってきませんが、作中に出てくる色はタイトルに使われている以上、重要なモチーフです。作品を見た最終的な判断としては、あかねの眼鏡は楽器とパラレルな存在といえそうです。
赤はしんのとあかねの色、青はあおいの色。あかねは自分としんのの人生よりも、あおいとの人生を選んだ、というわけですね(それをメガネフレームで説明するのか……)ですがこの段階ではそのような内面は説明されません。あくまで、時間が彼女を変えたのだろう、ということが察せられる程度です。
そしてご近所コミュニティ描写。すぐさま手伝うあかね。閉鎖的な場所で村八分にされたくないですからね*5。手伝ったら梨をわけてもらうのも地域コミュニティっぽい。
「ほんといいお姉ちゃんね。感謝しなよ、あおいちゃん」
(感謝しろって言われすぎると、むしろ、反発したくなる)
寄合。「第一回 音楽の都フェスティバル 説明会」と黒板。参加者の平均年齢が高め。さっきおばさまがたの会話にあった正道の登場です。「そうそう、けっこうこれ、動いたらしいって市役所でも噂なんですよ」と手でお金を示すあかね。若い人が率先して盛り上げる空気をつくっています。
いっぽう、台所にいる子供ふたり。あおいはお茶に使うお湯をポットに注いでいます。あおいは難しい顔。
「あおちゃんも参加すれば」
「町おこしになんて利用されたら、それはすでに音楽じゃないよ。音が苦しむって書いて『音が苦』だよ」
「いまいいこと言ったと思ってるかもしれないけど、まったく言えてないから」
(……)
「とにかく、ここいらは音楽によって生まれ変わんだよ」
と、正道の声が「音が苦」に聞こえるような台詞のバトン。オチがついていますね。なめらかで上手い脚本。なんか当然のように男の子がいますが説明はされず、でもお互いの鞄を並べて置いているので仲がいいことはわかります。
外。「あおいー、つぐー」と正道。「父ちゃん」。男の子が正道の息子だったとわかります。キャラの関係説明をあとにするスタイル。演奏を夜するなと注意をし、おずおずと、
「防音室、うちにあんぞ」
「は?」
「兄貴、欲しくないか?」
「はあ?」
「父ちゃん……突然切り込むなあ……」
「バツイチにはさすがに渡せない」
「こっちは相手に浮気された被害者なの! 清く正しいバツイチなの!」
コミカルな会話で(一対一ではなく三人で、ツッコミ役を入れているところがポイント)キャラの説明。ただの説明台詞にはしたくないという意志を感じます。そして本題。
「しんのって覚えてるか」
「ああー、なんとなく。なんで?」
「ああいや、覚えてないならいいんだ」
「ふーん」
あえてあおいの顔を映さず、観客の想像をあおる手法。このとき「ん?」となっているつぐを映すのがニクいですね。彼はあおいの観察者なので。
お堂。
「さっきの父ちゃんさ、俺だって賛成してないよ。けどさ、一応あの人も」
「この場所でその話しないで」
思い入れがあるっぽいことの回想。回想に対するためらいがない。すごい。目玉スター。造語で絆をつくった思い出。耳に残る造語が特別感の演出になっているんですよね。岡田脚本のマジック。それを思い出し、すこし寂しそうに目を細めるあおい。それを黙って眺めるつぐ。やっぱり彼は観察者なんですよね。そして意味深に映るあかねスペシャル。
ところでこのようなラブコメにおける感情の矢印の最後尾(いちばん蚊帳の外にいる人物)を観察者タイプのキャラにする、というスタイルは『凪のあすから』でも散々使われてきた手法ですね。あとになって構図が明確化しますが、本作では(慎之介⇔あかね←しんの←あおい←つぐ)という関係になります。正道は、まあ、コメディ担当じゃないですかね。あと話の発端役。
翌日の市役所。
「へー、新渡戸団吉って前に紅白にも出てたよね」
「あー、なんか思い出した。変なきんきらきんの御神輿乗ってたよね」
のちに登場する新渡戸についての会話。彼の声は松平健が担当しているわけで、あてがきっぽい印象ですね。マツケンサンバで紅白出てたし。あかねたちとおなじ30代の観客ならなんとなくイメージを持てるはず。そして会話に参加する正道。
「これは俺の大一番になる。俺の、人生をかけた大一番に……」
正道の言葉に、なにかを察したように微笑むあかね。
そしていつの間にかイベント要員にされているあかね。シーンは変わって帰り道。さきほどのくだりを観客に咀嚼させてあげるパートです。説明台詞ではなく、車のなかでする日常会話として出すのが工夫されています。
「みちんこに好かれてるのわかってるよね」
「うーん、そりゃあね」
「気を持たせるようなことはやめれ」
「幼なじみだし、職場は一緒だし。付き合い上なんとんくわかってても、口に出しちゃいけないこともあるの。それが、大人のマナー」
「大人ってつまんなーい」
「そんなことよりさ、もっかい、考えてみれば」
「は?」
「進学。別に勉強しながらだってバンドはできるんだし」
「もう決まった話じゃんか。これ以上詮索しないって約束したよ」
「うん」
「約束、破んないでね」
台詞に合わせて、画面上は向き合って会話。奥行きによってすれ違っているの説明するカット。開いた車のバックドアによって物理的にもふたりはさえぎられています。うーんキマっていますね。
「じゃあ練習行ってくる」とあおいはお堂に。ベースをアンプにつなぎ、相変わらず歪んだ音で鳴らしまくります。台詞を使わずにいらだちをぶつけているのがわかる。上手い。ピックを使ってさらに音を大きくしたところで「うるせえ!」と観客の声を代弁し、しんのが登場。
お互いの眼球にあるほくろが順番に画面に映り、「しん、の……」とつぶやき、それから「あか姉~~~~!」と必死の形相で走り去るあおい。お堂から出られないしんの。そして家にやってきて「しんのが!」と言った直後にあかねは肉を飛ばします。わかりやすい動揺。こんな飛ばし方はふつう起こりません、アニメ的な強調。
また、先日あおいにしんのの話題を振ったときと同様に、すぐには相手の顔を映しません。観客に想像させ、そしてそのあいだに落ち着きを取り戻しておどけるあかね。「生きてるか、死んでるかもわかんないや」脚本的にずるくて怖いのはここであかねは明確に嘘をついていることなんですよね~*6。しかし最後までフォローされない。キャラクターの自律性~~。
そこにやってくるみちんこ。「イベントのヘルプだよ!」
駅前。手伝わされているふたり。彼女らの手にはみそポテト? 買収されたということでしょうか。そして背後から新渡戸団吉の登場。みそポテトの串を落とすあかね(小道具の使い方が経済的!!!)。「え、あれって……」「しんの……」そして広げられる幕。「お帰りなさい! しんのすけ」の文字。眼球のほくろが順番に画面に映り(さきほどのシーンの反復)、「ええっーーーー!」これからどうなっちゃうのー!? 的な声で音楽、高まる。
ここで実質的なプロローグが終了するわけですが、プロローグが過去編、現在編と二部構成になっているちょっと特殊なつくりだったことがわかります。けれどテンポ感がよいので、まったくもったりしていない。ここまで21分。
③
家にタクシーで戻り、数珠を持ってお堂に行くあおいとつぐ。「目玉スター、二号」の言葉でしんのは相手があおいだと理解します。「え~~~~!?」と叫び声。これもさきほどの反復ですね。そして状況説明。13年後だということがここで明確に言葉にされます。
「なるほど。浦島太郎だね」。キャラクターに時間差が生まれる状況は岡田作品では何度も使われてきたモチーフです。「生霊、かな」と、つぐ。しんのの存在が具体的にどういうものかは究明されませんが、さしあたっての扱い。しかし未練ではない、としんの。
「未練もなにも、まだなーんも諦めちゃいねえよ、俺は。いろいろ考えて決めたんだよ。とりあえず東京出て、ビッグなミュージシャンになってよぉ! あかねを! ド派手に! 迎えに行こうってよ」
「早くもらってやんねえと」とかだいぶアレな発言がなされていますが、それに対してはなにも現代的な観点からフォローがなされません。これが田舎のメンタリティなのか……。まあ、東京でビッグになるという夢じたいが割とパブリックイメージ的な概念なので、その古さに乗っかって物語をスムーズにしている、というわけでしょうか。
「会って、みる?」
「アホか! いま会えるわけねえだろ! 俺の話聞いてなかったのかよ。ビッグなミュージシャンにちゃんとなってから」
「ビッグかどうかはわかんないけど、もうなってたよね」
(……)
「俺、ちょっと行ってくっから。じゃな」
見えない壁にぶつかるしんの。登場時の謎が反復されます。
シーンは変わって焼肉屋(ホルモン)。接待ですね。さきほどあおいたちがタクシーに乗っていたのはあかねたち大人が送ることができなかったから、というわけです。
表立って説明はされませんが、かなり安易な発想であかねが新渡戸の隣に配置されていませんか。『凪のあすから』でも女性しか台所仕事をしないシーンがありましたし。ちなみに次のカットでしんのは手酌でビールを注いでいます。そして当然のように肉を焼く仕事をするあかね。クソ~~。「あおいにしんのが戻ってくること話してたんだ」とすこし不機嫌そうにこぼすあかね。こっちはこっちで話の辻褄が合うようになっています。
いっぽう、お堂では生霊をどうするか問題が語られます。「未来の俺とあかね、ふたりがくっつけば全部丸くおさまんだろ、そしたら生霊の俺は本体にビュンッと戻る」物語の終着点がいちおうここで用意されます。
外。
「どうするの」
「しんのさんの言う通り、ふたりくっつけんの手伝うの」
「悪くないかもしれない」
「そうなの?」
「あか姉が、あたしに、ここに縛られたままでいるよりは」
盆地=壁=牢獄のイメージが、あおいの視線に重ねられます。山の向こうは東京でしょうか。慎之介は東京の男なので。
宴会を終えた大人たち。酔った慎之介。「仕方ないですね。わたし飲んでないですし、車出しますよ」
「ガンダーラ」を流しながら慎之介を送るあかね。その曲に触発されるように言う慎之介(歌詞の冒頭には夢が出てくる)。
「俺、夢は叶えたろ。一応」
「ほんと、叶えたね」
「……馬鹿にしてるだろ」
「こんなたちの悪い酔っ払い方するやつだったんだね、しんのは」
「お前。独身ってさ。俺のこと待ってたんじゃねえの」
「うーん。待ってたのかなあ。たぶん、違うだろうね」
指輪が薬指ないことから、慎之介はあかねを迎えに行きたかったんじゃないか、といったところをにおわせてホテル。
言い寄ってきた慎之介を背負い投げするあかね。
「んだよ、その歳でもったいつけんなよ」
「本気で言ってる?」
「いいだろ。減るもんじゃねえし」
「十三年ぶりに再会して言う台詞かね。がっかりさせないで」
あかねが去ったあと。「俺だって、来たかなかったんだよ。こんな俺で、来たかなかった」。『空青』は青春ラブコメ、ホームドラマ、男の帰郷という三本の軸が交差して生まれる群像劇なので慎之介にもちゃんと内面のフォローがなされます。言葉にしてみるとめちゃくちゃなプロットだな。なんでこんなウェルメイドに完成したんだ。
とはいえ慎之介周りの話はあんまり深堀りされません。あかねやあおいのように親が死んだわけではないでしょうから、この街にも慎之介の実家はあるはず。なのですが、それについては脚本から完全にオミットされています。でも不思議とあんまり気にならないんですよね。このあたりなんらかのマジックがはたらいている。
あおいが待っている家へ。明らかにさきほどより声音が明るくなっているあかね。
「ね、今日一緒に寝よっか」
「え?」
「いーじゃーん。久しぶりにさ」
ここが岡田脚本の怖いところですね。あかねは吉岡里帆の演技やあおいとの対比も相まってあまり内面を表出しないふうに見えるキャラですが、よくよく考えるとあかねはさきほどまで男に同衾を求められていたわけで、この瞬間、彼女は感情の上書きを図っているわけです。しかし物語としてはそれをまったく見せようとしない。怖すぎる……。つまり、あかねはアニメにしてはめずらしく、かなり自律的に動くキャラなんですよね*7。
布団を並べて寝るふたり。ずっと彼氏がいないことを指摘すると、「それなりに、それなりはあったよ?」とあかね。観客の期待を裏切る台詞。一瞬でキャラに奥行きをつくるのが上手い。ギャップで見せる手法。「あおいはほんと、あか姉ラブだなあ~」
翌朝。あか姉のつくった(?)弁当をしんのに食べさせるあおい。ギターには触らないしんの。
「それより、ジャンプ買ってきてくんねえ。こち亀読まねえとどうも調子出なくてよ」
「こち亀、終わったよ?」
「はあーっ!? こち亀が終わるわけねえだろ!」
2019年作品として完璧な情報。『花束みたいな恋をした』できのこ帝国が解散した話をするのとおなじ手法ですね(おなじか?)。現実とのリンクで殴るスタイル。
学校であかねとしんのの代の卒業アルバムを確認するあおい。あかねの言葉「井の中の蛙大海を知らず」(なんかわたしとおなじようなこと……)「されど空の青さを知る」タイトル回収。
バンドに誘われるあおい。「自分より下手なやつと組んでも時間の無駄だから」と一蹴。「もったいなーい」とそこで大滝登場。車で送迎してくれるあかねのことを彼氏(↑)と勘違いしています。「じゃ、いまから付き合う?」とあおい。
市役所。あかねを追いかける正道。
「怒ってるよな。たぶん」
「怒らないほうがどうかしてるよね?」
(…)
「だけど、お前一度決着着けなかったら、ずっと慎之介に縛られたままじゃないかって」
「いい加減にして。わたしの主体性をそこまで疑うの? わたしだってひとりの人間だよ。いままでの人生だって自分で選んで、自分で決めてきた。だれかに振り回されたつもりなんて、まったくないから」
強いし、重要な台詞だし、実質的なあおい⇔あかね間の物語の答えでもあるはずなんですが、この時点ではあんまり観客には響かないんですよね。演技が比較的淡泊なのと、喋っている相手が正道なので。べつに強がって言っているな、と感じるわけでもないんですが。そしてこのメンタリティが周囲というか、あおいと慎之介に届くには、もうすこし時間がかかります。なんなんでしょうね、不思議な脚本です。
ジェラードを食べてあかねを待つあおいと大滝。到着したあかねを見てがっかりしますが、「鹿にやられた!?」と問題発生。
病院。生焼けの鹿を食ってぶっ倒れたバンドメンバー。「うわ~、ロック~、ミュージシャンって感じ」と興奮する大滝。彼女は物語上の役割はほとんどないんですが、いるだけで話のトーンがなごやかになりますね。コメディ要員。群像劇ではかなり優秀です。なにせあおいはめちゃくちゃ協調性がないため観客に対してストレスを与えるキャラなので……。
「まあ一応音源はありますし、最悪生音じゃなくても……」
(…)
「音は生き物ですよ。命です。生音でなければ演歌の心は歌えません」
ベースもドラムもアンプやスピーカーで音を増幅するんだから厳密には生音ではないんですが。まあ意味は伝わりますね。重箱の隅。
「いるじゃない。ドラマーと、ベーシスト」とあおいと正道に白羽の矢が立ちます。
リハーサル会場。「ガキの遊びと一緒にされたくないんすよ。こっちはプロでやってるんすから」「お遊びかどうか、見てもらおうじゃない」演奏フェイズ。ガンダーラ。
新渡戸に認められるあおい。第一関門クリアというかたちで、あおいが物語(音楽イベント)に積極的に参加する理由ができました。ここまで39分。エンドロール含めて全体が107分なので、だいたい三分の一とすこしくらい。まあ、岡田脚本はこういう三幕構成っぽいターニングポイントを入れといてもあとではずしてくるんですが。
④
お堂。しんのにこれまでの報告をするあおいとつぐ。「(あかねと慎之介の)ふたりをくっつけるチャンス到来ってやつだな」「できるだろ。お前は俺と同じ、目玉スターなんだからよ」口元がほころぶあおい。それを眺めるつぐ。何度もいいますが、つぐは観察者なんですよね。そしてつぐはちょっと不機嫌そう。
そこにやってくるあかね。そしてお菓子を渡し、帰っていくあかね。
「ババアになったな」
「そりゃあ……」
「めちゃくちゃ、可愛いババアだ。モデルよりも、グラビアアイドルよりも可愛くて、綺麗なババアだ」
「……えっと、大丈夫?」
ちょっと古臭い台詞なんですが、梁からぶら下がっているという絵的な面白さとツッコミを入れさせることでそのあたりの偏った価値観を誤魔化していますね。逆に言えば絵的に誤魔化せれば古臭い台詞も言っていいのか? どうなのか。「早くあかねにも、幸せになってもらいてえ」やっぱ古いところは古いですね。そういうのにあくまで乗っかるのが岡田脚本。
外。
「ねえ、ほんとに撮るの。動画」
「なんで」
「いまの自分見たら、がっかりしちゃうかもしれない」
「そうかな」
「そうだよ! しんのはアホだけどさ、なんだかんだ優しいし、絶対に人を馬鹿にしないし、それに……なに」
「べっつにー」
あおいがしんのに入れ込んでいるのがわかる会話ですね。いっぽう、つぐは淡々と。さきほどあおいが頭を撫でられているのを見たときはちょっと不機嫌でしたが。
翌日のリハ。なぜか混じっている大滝。演奏終了後、
「なにこれ。ふざけてんの。あおいちゃん」
「え?」
「きみベースだろ。なんで自分が目立とうとしてんの」
トランペットとサックスの人に視線をやると、苦笑されます。言いがかりというわけではないようですね。冒頭の演奏シーンにもあった自我の強さがここにきて慎之介をいらだたせます。「ったく、女がベースとか、そもそも向いちゃいないんだよ」 体格が向いてない話をしますが、そっちはふつうに言いがかりではないか。
そこにやってくるキャバクラのお姉さんがた。締まりません。その様子をあおいのスマホに送信する大滝。スマホは現在しんのが持っています。
というわけでお堂でキレるしんの。しかしプロの演奏をしていることは納得します。「ガツンとキレキレの演奏して、あいつの慢心を木っ端みじんにしてやれよ」「で、できる、かな」「できるに決まってんだろ。絶対。お前ならな。だろ? 目玉スター」ふたたび元気づけられるあおい。それを観察し、ため息のつぐ。
(もし、しんのが、あの慎之介に戻ったら、いまのこのしんのは……)
「ベースはよ。どんなに場がぐちゃぐちゃになっても、正しくリズム刻んで、みんなをフォローしなくちゃなんだからな。周りの音を聴きつつ、自分のペースは乱さない」
「あ、うん」
昼間注意されたこととだいたい言われていることはダブっているんですが、しんのの言葉は素直に聞いてしまうあおいでした。それを観察するつぐ。
翌日。慎之介は不在。
「素人に合わせて練習してると腕が鈍るって」
「さいってー。人を馬鹿にすんのもいい加減にしろ。しんのと全然違うじゃん。なにがどうなったらこんな……」
「しんの?」
「ああ、慎之介の昔のあだ名なんだよ」
「ちがーう! しんのは慎之介なんかじゃない!」
「はあ?」
やっぱりしんのに入れ込んでいるあおいです。「どっちでもいいけど、いないんならかーえろ」と大滝。
コンビニで買い物をした慎之介。すれ違う高校生バンドマンたちに昔の自分を重ねます。短い回想。あかねに振られたあと、ギターケースをガムテープでぐるぐる巻きにするしんの。
ここで一瞬だけ映り込むことで明確になりますが、中身のギターはケースに入れてませんでした(物語の最初からお堂にあったので、最初映画館で見たとき自分はギターじたいが分身したかと思っていましたが、そういうわけではない……)。
ではなにが入っていたのか? ミステリー的な謎になるわけですが、それにしてはあんまり明確に謎として提示されてませんでした。先に言いましたが、慎之介周りの話はあんまり深堀りがされない。
回想終了。そしてそんな回想をした慎之介の顔は映りません。観客に想像させるいつもの手ですね。そこに大滝が合流。
時間は飛んで夜。ずっと練習をしていたあおい。そしてしんの。
「勉強とかいいのか?」
「大丈夫だって、別に進学とかしないし」
「へー、どうすんの」
「東京行って、バンドやる」
「お~~! 俺の意志を継ぐ者がこんなところに!」
「そんなまっすぐに褒めないで。あたしのは邪なんだ」
「よこしま?」
「あたしが、地元を出たいのは、あか姉に、好きに生きてほしいから。あたしのせいで、あか姉はやりたいこと、きっといっぱい我慢してきたと思う。あたしがここに残ってたら、あか姉はいつまでもここに縛られたままになる。それに、別にこれといってやりたいことないのに、無駄なお金なんて使わせたくない。あたしのせいで、これ以上迷惑かけたくない」
「んな自分責めすぎだろ。お前のせいなんて思って」
「誰も彼も思ってるよ。近所のおばさんも親戚も」
「あお」
「事実だし、だからあたしがここを出る」
「すげえな。お前」
「は?」
「なーんかよ。どうしてここにいんのか考えてたんだ。生霊って。未練とかじゃねえんだと思うんだ、やっぱ。けど、ほんとは俺、どっかでこっから出てくの、怖がってんのかもなあって。その点、ほんとお前はすげえよ。色々悩んでてもよ、ちゃんと考えて、ちゃんと決めて、こっから出ようって」
ここまでの本編で一番の長台詞が出てきました。これまでそれなりに短い会話劇がメインだったわけですが、観客にしっかり聞いてほしいところが出てきたというわけですね。主要キャラふたりの表に出なかったん部分が説明されます。
ここでちょうど50分。これまでしんのとあおいのあいだには茶化したり観察したりする役(つぐ)がいたわけですが、ここでは出てこないあたり意図的な演出でしょう。「こないだの、お返し」と頭を撫でてやるあおい。まあ、イチャイチャをやるには邪魔ですからね、つぐ。ほんとごめん。
「お返しって、お前」
「ベースは、みんなをフォローしなきゃだから」
「……フッ。そうだな。さすが未来のうちのベーシスト」
(…)
「覚えてくれてたの」
「覚えてるもなにも、約束したじゃねえか。お前だってそのつもりでベースやってんじゃねえの?」
「……ん! わたしにも、して」
「なに、撫でりゃいいのか?」
「おでこ! でこぴん! お願い」
「えええー、まあいいけどよ」
「思いっきり」
「うおっし」「痛ったーい! んじゃ、また明日ーー!」
音楽が高まるなか走り去り、「なにやってんだ、あたしは」とあおい。立ち止まり、(あか姉と慎之介さんをちゃんとくっつける。あか姉のためにも、しんののためにも)と思いを新たにします。要するにここで、彼女自身の心は引き裂かれています。ここでは、自分の望むことを言ってくれる相手、好きになった相手の消滅を願わなくてはいけなくなっている。
つまり、キャラクターにとっての引き返せない点(恋愛感情)が示され、そのいっぽうで最終解決の道筋(自分以外の相手とくっつける)が示される。脚本の教科書的な演出ですが、それにしてもよい手です。これが中盤に用意され、感情移入を誘っていることも物語に深みを出しています。岡田はやはり脚本が上手いんだよなあ……。
⑤
翌朝。11月1日(金)。物語開始から一週間が経ちました。教室でイヤホンをはずすと、大滝が慎之介と歩いていたと目撃情報が。トイレに連れて行きます。
「昨日、あんたと一緒にいたのって」
「慎之介さんだけど」
「サイテー」
「え、なに。やっぱ相生さん、慎之介さん好きだったの?」
「好きなわけない! わたしはしんのが!」
(はっとするあおい)
「もー。わたしだって友達の男になんか手出さないよ。しんのって慎之介さんとは違うんでしょ」
「そうだよ」
「で、相生さんはそのしんのが好きと」
「……ああ。好きさ!」
「え、え、なにそのキャラ」
「好きさ! 悪いか!」
「悪いなんてだれも」
(顔を覆い、しゃがみ込むあおい)
「ええー!? なにそれ」
「悪いんだ。駄目、なんだよ……」
駄目押しのようにあおいの心が引き裂かれます。恋心の自覚フェイズ。さりげなくここで大滝があおいの理解者になっているのが憎めないですね。ちゃんと友達認定もしてくれるし。いいやつ。
夕方。帰宅するあかね。玄関前の階段にうなだれるあおい。
「どうして、しんの……慎之介さんについていかなかったの」
「え? なに、いきなり」
「あか姉がついていったら、そしたら、慎之介さんはきっとあんなクズにはならなかった。ずっと、昔の、しんののままだったかもしんないのに。あたしは、あか姉みたいになりたくない。やりたいこと我慢して。後悔して」
(違う)
「こんなとこで、ずっと終わってくなんて。そんなの、絶対にごめんだ」
(こんなこと、言いたいんじゃないのに)
「あか姉は、あか姉は……」
(あたしって、ほんと)
「馬鹿みたい。あっ……」
「馬鹿みたい、かあ……」
反抗期の男の子みたいな爆発の仕方をして、走り去るあおい。
お堂。出られないしんの。そこにあおいを探しにやってくるあかね。 おにぎりを持ってきています。戻るあかね。ひとつ拝借していたしんの。一口。「まーた昆布だ」あおいのためを思っていることがわかる描写。しかしあおい本人には届いてません。
つぐの部屋。「メール一本で小学生にベース取ってこいとか、いきなりおしかけて自分の部屋のようにくつろいでるところとかほんと駄目だと思う」「あの慎之介のほうがあたしより何千倍も駄目でしょうが」「あおちゃんパンツ」シリアスからのおねショタで寒暖差を取ります。なんでこんな倫理的ではないことが平然とできるの……。
「決めた」とあおい。ストロング缶を飲んで寝ているみちんこ。だらしない姿ですが、楽譜には書き込みがあり、スティックはささくれています。彼も短いあいだに努力をしているわけですね。
「あたし、みちんことあか姉くっつけんの協力するから」「今のあの慎之介に取られるよりマシです」とあおい。「ありがたいけどな、お前の協力はいらねえよ」
「新渡戸さんに今回の仕事頼んだ決め手はな、しんのがいたからだ」
「は?」
「色々もやついたもん片づけなきゃ進めねえと思ってな。そういう歳なんだよ。俺も、あかねもよ」
その態度にキレる17歳、あおいです。彼女のなりの問題解決法は一瞬で潰えることとなりました。物語的には結末より先に別解を崩しておく必要がありますからね。
翌日。設営がはじまる音楽の都フェスティバル。いつの間にか手伝いをしている大滝。あおいは大滝を無視。キーボードの人と話をするあかね。慎之介の話に。「あいつソロでデビューしたことあるんだよ。一曲だけで終わっちゃったみたいだけどね」微笑むあかね。「へえ」
お堂。つぐとしんの。「言っておこうと思って」「あ?」「俺、あおちゃんのこと好きなんだ。初恋ってやつ」「だからあおちゃんの苦手な勉強も、そのぶん俺が頑張って、それなりに必要価値のある男になるつもり」と宣言。「ただね、ライバルができちゃって」としんのを指さします。
「で、どう思う。あおちゃんのこと」
(…)
「こんな俺を好きになったって、どうしようもねえだろ」
「うん。そう思う。だから――」
台詞はここで途切れます。最終的にここでなにがあったかは語られません。えっ、脚本内容に明確な抜けがあってもいいのか!? こわ~。
いっぽう音楽堂。あおいと大滝。
「いつまでシカトすんのー」
「近づくな、マタユル」
「うわ、過激なネーミングセンスー。だから、別になーんもなかったって言ったでしょう?」
「なにもなかったはずがなーい! ロクデナシ+マタユル=不純異性交遊に決ま」
「わたしだって意外だったよ? 全然真面目でさ、へたれかっての。あーあ、わたしをこっから連れ出してくれる王子様はどこにいんだかー?」
今回は全然下ネタ出さないな~と思ってたけど、やっぱり出すのか……。別に脚本上の必要はほぼないのに出すのが岡田の怖いところですよ。いらつくあおい。
音楽堂の裏手(?)。「ガンダーラ」を弾き語ろうとしてやめる慎之介。「なんでやめちゃうの」とあかね。「続けて」
「俺、こっから東京に出れば、どんな夢も叶う気がしてた。でも、違うんだな」
「夢、叶えたじゃない。ちゃんとギターを仕事にして」
(…)
「でも、わざわざいろんなもん捨ててまで出る必要があったかはわかんねえ」
「じゃあ、別の曲をリクエストしてもいい?」
「あ?」
「『空の青さを知る人よ』」
「なんで」
「ちゃんと買ったよ。しんののソロデビュー曲」
「黒歴史だろ」
「ガンダーラとおなじくらい、好きなんだ」
2019年に31歳だし、彼らは∀ガンダム世代なんですかね。いや、人口に膾炙している言葉ですから世代じゃなくても「黒歴史」は使うんですが。そして演奏される主題歌。ものまねふうに歌う慎之介。笑うあかね。それを目撃するあおい。
(あか姉、それにあんなふうにあか姉を笑わせられるあの人は……しんの……なんだ)
「なんか、やっぱいいな。お前といると。落ち着くっつーか」
「え?」
「俺、戻ってこようかな。別に、いまの仕事で先があるってわけでもねえし」
(駄目)
「なんつーかさ、周りも固い仕事に就きだして、身固めて、俺もいい加減そういう歳なのかなーって」
(駄目。それじゃしんのが、いなくなっちゃう)
「なーに言ってんの。いまの時代三十そこそこっなんて、まだ若造でしょ。落ち着くのはまだ早いっての」
「え」
「ここでしかできないこと、わたしにはある。いろいろまだ、諦めてないよ。うん。これから、これから」
自然に口説いている慎之介。やんわりと別方向に背中を押すあかね。納得したふうになって去る慎之介。しかしその場にとどまって泣くあかね。男女の機微~~。降り出す雨。
家。
(あか姉って、あんなふうに泣くんだ。知らなかった。泣いたとこなんて、いつから見てないんだろう……)
虫刺されがあったのか、ムヒを探すあおい。「あおい攻略ノート」を見つけます。
(なにが、迷惑かけてないだ。あか姉は、なんでもできるような気がした。でも、あか姉が完璧に見えたのは……)
走馬灯のように流れる映像はあおいが想像できない範囲にまで及んでいるんですけど、全然気にならないのはアニメ特有のマジックという感じですね。ホームドラマ的CM感。これも岡田が得意とする手法です。でも映像のノリはここだけ妙に新海誠っぽいんだよな。マジでなんなんだ。
(あたしのにために、こんなに、頑張ってくれたから。なのに、あたし、なにしてるんだろう……)
どうしようもなくなって、お堂に駆け込んでくるあおい。
「うおっ、なんだよ、あおかよ。合言葉はどうした合言葉は。ったく驚かせやがって」
「わたしはしんのが好き」
「その、お前の気持ちは嬉しいよ。でも、ようく考えみろ」
「黙ってて!」
「……え?」
「だって、しんのの声、優しいんだもん。そういう声音の人はなんか慰め的なこととか、憐れみ的なこととか言うんだもん一般的に!」
「え」
「慰めとか、そういうんじゃなかったとしても、しんのの声は素敵で、あったかくて、なんか胸が痛くなるから、聞きたくない」
(…)
「わたしはしんのが好き。慎之介じゃなく、いまここにいるしんのが好きなの。ずっと一緒にいたい。慎之介のなかに戻っちゃうくらいなら、いまのままでいてほしい」
「あお」
「だけど、だけどっ! あたしは、あか姉も大好きなんだ! あか姉は、慎之介のことがまだ好きなんだよ。あか姉の幸せを考えたら、でもそうしたらしんのが……もう、どうしていいかわかんない。ねえ、どうしたらいい……」
「……」
「さわんないで! 触られると、どんどん好きになっちゃうじゃない!」
「じゃ、じゃあ、どうしたらいいんだよ!?」
「しんのもわかんないの!?」
「わかるかよ!」
「じゃあ!……もういい!」
(…)
「頼むから待ってくれよ。俺は、追いかけられねえんだ。お前を追いかけたいと思っても、無理なんだ。こっから見送ることしかできない。俺も、もとの自分に戻って、どうなっちまうのかとか全然わかんねえけど、でも、こうやって、ガキみたいに泣いてるあおを見送るしかできねえのは……」
「……泣いてないし。泣いてないし。雨だし!」
ここでも岡田のお得意の技法が使われていますね。感情が決壊した女性キャラには一方的に喋らせる。ディアローグのテンポをあえて崩していくスタイルです。これをやって強い演技が入ると途端に見せ場になりますね。あおいの言い回しはちょっと乙女チックすぎるというか、要するに古臭いきらいはあるんですが、勢いで乗り切られてしまう感じもあります。
対してしんのの長台詞。こちらもどことなく演劇っぽい。見せ場の連続になります。ここまで77分。残り30分ほどですから、そろそろ解決への方向性が出てきてもいいころなんですが、問題はどんどん山積するだけです。プロットがどんどん三幕構成から離れていく。
とはいえ心情描写に使われる雨(舞台装置)を台詞として取り込む貪欲さも見えていて、やっぱり岡田脚本はキャラが吐露する瞬間の活き活きとした感じを出すのが上手いですね。こいつさっきから脚本上手いしか言ってねえな。「なあ、俺どうしてここにいるんかな……」とぼやくしんの。この映画のすごいところは、マジで終盤になるまでこのしんのはまったく動かないことなんですよね。
⑥
翌朝。大滝に謝るあおい。ここで唐突に新渡戸がペンダントをなくします。「あれがなければ、地元の心は歌えません」。あかねと目を合わせられないあおい。まだあかねには謝れていないようです。このあたり家でどうしてたんじゃい、みたいな疑問はまああるんですが、アニメ的なマジックというか、見ているあいだはそんな気にはならないですね*8。そしてペンダントを取りに行くあかね。追いかけるあおいですが、結局謝れません。問題は先送りにされます。
いっぽう、お堂にやってきた慎之介。しんのと対面します。手にはあのころの写真があり、見間違える可能性を小道具でつぶしていますね。
あかねはトンネルへ。そして揺れ。
音楽堂。山で土砂崩れがあった報告を受けます。「やっぱさっきの地震だよ」「昨日けっこう雨降ってたしね」そこがあかねの行った場所だとわかります。ただの心象風景、舞台装置(雨)に意味を持たせるというメタ的な精神性で物語が問題へと進みます。しかしよく思いついたな、その演出。スマホの通話がつながりません。駆けだすあおい。
お堂。対峙するしんのと慎之介。「あかねスペシャル、取りに来たんか」と自分のことながらわかるしんの。説教。そこにやってくるあおい。現状説明。冷静な慎之介。それにキレるしんの。「なんでなんもしねえんだよ! てめえがいかなくてどうすんだよ……がっかりさせんじゃねえよ」と、あかねに言われた「がっかりさせないで」がこちらでも出てきます。意図的な反復でしょうか。
しんのにこきおろされ、キレ返す慎之介。
「なんも知らねえガキが」
「ああ、俺はなんも知らねえ!」
「ああ?」
「俺は、こっから出ていけなかったからな……」
物理的と精神的、二重の意味で出ていけないことがここで直感的に説明されます。演技の説得力。そしてさらに説明が重ねられます。
「あの日、あかねに東京行かねえって言われて、すげえショックだった。東京行って、バンド組んでガンガンライヴして、デビューして、毎日楽しくやって。それが俺の夢だったけど、それって、全部あかねがいるってことが前提だった。ビッグなミュージシャンになって、迎えに来るっつったって、実際どうなるかわかんねえしよ。あんときの俺、どっかでもうどこに行きたくねえ、ずっとこのままでいてえって、思った。……でも、お前は出た! ちゃんと前に進んだんだろうが! なあ、思わせろよ。俺はお前なんだよなあ。だったら思わせてくれよ。いろいろ、上手くいかないこともあるんだろうけど、それでも将来、お前になってもいいかもしんねえって、思わせてくれよ!」
こうして文字に起こすとめちゃくちゃ冗長なんですが、絵的なカットの切り替えと演技の抑揚、音楽があると不思議と持ちますね。アニメノチカラ!
そして腑抜けている慎之介を「もういい」と投げ捨て、見えない壁に挑むしんの。「俺は、止まったまんまだったけどよ、でも、あかねを思うこの気持ちは、ずっと続いてる。これだけは、お前にも、負けねえから、よぉおお!」その手を引っ張るあおい。「あたしだって、負けないから! あか姉のこと、思う気持ち!」空中にぶっ飛び、切れるギターの弦。立ち上がり、「じゃ、俺らは行くけど、おっさんはどうすんだ」「行くぞ、あお!」「勝手なことばっか言いやがって!」そして満を持して流れるあいみょん。
そして空を飛びます。音楽も相まってめちゃくちゃな解放感。
「俺さ、あの写真見ていろいろわかっちまった」
「それって」
「あいつはさ、あんとき、閉じ込めることでしか前に進めなかったもんに、もっかい、向き合おうとしたんだって」
ガムテープでぐるぐる巻きにされていたギターケースの中身はフライヤーや写真、MD、つまり高校時代の思い出、過去そのものでした。ようやくミステリー的な謎が解けましたね。「俺のなかにもあるこの思いを、後悔なんてしないように」そして慎之介を呼びかける当時のバンドメンバー。「そんな急いでどこ行くんだ?」「ガンダーラだよ!」←笑うとこ
「だから、俺は、あそこにいたんだって」
「後悔。あたし、知ってる」
「好きな人の想いを応援できなかったら、ずっと後悔するんだって。あか姉を、応援できなかったから、知ってる」
「あお」
「だから、あたし、しんのと慎之介さんを応援する」
ここでようやく、右往左往していたあおいのメンタルが落ち着きます。びっくりするくらいめちゃくちゃ声が落ち着いている。まったくオラついてません。
「空、青いね。出たい出たいって思ってたけど、こんなにきれいだったんだね」
「ああ、そうだな」
空の青が瞳に映ります。タイトル回収。
そういうわけで、みんなみんなが空の青さを知ったことで、なんかオチた感じになります。ここまで94分。残すところ、約13分。ですが、あかねはまだ現段階で助かってないんですよね。なにこの脚本……。めちゃくちゃだろ……。
⑦
トンネルにあかねを迎えに来たしんの。信じるあかね。そして姿を見られていたことに、「うわ~マジで~」とくだけた喋り方。あかねはこのときだけ(つまりしんのにだけ)こういう喋り方をするんですよね。は? なんなの。そしておにぎりの話。昆布。
「だけどさ、いまならわかる。井の中の蛙大海を知らず。されど、空の青さを知る。あかねの好きな言葉。ツナマヨじゃあ昆布には敵わねえよな。空の青さを知っちまったら」
(…)
「俺よかった。あおって妹を一番大切にできるお前のことを、好きになれて、よかった」
空の青さを知ったのは数分前なんですが、なんかいい感じが話が収まります。
あかねが見つかった報告が各方面に届きます。ひとりで帰るあおい。
後部座席で寝るしんの。話すのはあかねと慎之介。
「俺さ、俺、ちゃんと前に進んでんだと。けど、まだ全部途中なんだ。途中だったって、思い出した。だから、諦めたくねえんだ。俺も」
「うん」
「だから、お前のことも諦めない」
「んっ、えっ? ……三人でか。そっか、あおい、もうあのころのわたしと同じくらいだったんだ。……今度、ツナマヨのおにぎりでもつくってみよっかな」
「へっ、は? なあそれって――。あれ?」
消えるしんの。おにぎりの話ではじまり、おにぎりの話で終わるというのが『空青』なんですよね。このホームドラマ感。
そして走り、しんののように跳ぼうとするあおい。「泣いて、ないし!」そして初恋が終わり、泣くあおい。「あー、空、クソ青い」
というわけでエンドロールです。実質エンドロールがエピローグなんで最後まで見ていただきたいところです。あと写真、あかねのメガネフレームの色が変わってる気がするんですけど、これはちょっと不確定ですね。アップの画像じゃないし。赤と青の色が混じった感じに思えるので、選んだ人生的には腑に落ちるところなんですが。それについては、まあみなさんの目で確認してみてください。よしなに。
感想戦
爽やかなのに、めちゃくちゃなプロットでしたね。
なんだこれは。青春ラブコメ、ホームドラマ、男の帰郷という三要素をなぜか過去の生霊という存在を結節点にして物語に昇華する、というたぶんだれにもできないことをやっているわけで……。要素要素に還元すると、ふつうの話なんですが、なぜかそれを二時間に満たない尺でやっている。謎の圧縮力。
『あの花』がめんまという過去の亡霊そのものを出してきて、そこから彼女の成仏のためにあらゆる出来事の清算をするというのはクリシェ化にしているような話ですからプロットとして納得できるものですが、今回はかなり複雑です。
とはいえ、生霊しんのの果たす役割を考えると演出意図はかなり明確だったことがわかります。今回の話はしんのが亡霊であることを否定していたため、物語の終盤にならないとその出てきた意味がわからなかったわけですが。
ひとつずつ考えましょう。
しんのは現在やさぐれてしまっている慎之介を後押しし(見ればわかりますが、しんの以外はだれも慎之介のメンタルを気にしません)、土砂崩れに巻き込まれたあかねを救い、なによりあおいの初恋を終わらせ、進路を変えさせました(エンドロールで彼女は進学しています)。つまり、それぞれのキャラクターが過去の清算をおこない、次に進むという話に一応はなっているんですよね。
あかねは唯一台詞では過去を引きずってないふうな態度を取っていましたが(これは観客によって解釈が分かれるところかもしれませんが)、慎之介を突き放したとき泣いていましたし、それなりに過去に縛られていたと考えてもいいかもしれません。
しかし彼女はあおいといっさい衝突はしてません。あおいが勝手に思春期をこじらせて、突っ込んで、ノートを見て思い直して、なんか土砂崩れから助かったからいい感じになっている。で、前向きになった慎之介を確認できたので結婚にも前向きになる(あっ、この人マジで当初の慎之介に失望してたんだ……ということがわかる)。
つまり、劇的な問題提示とその解決はまったく用意されてないんですよね。生霊をどうするかについては、あかねと慎之介をくっつけたらどうにかなるとは語られますが、それに対してあおいがこじらせたあと空飛んだら勝手にメンタルを持ち直しただけで、彼らに積極的な介入をしたわけではありません。ふつうなら用意されてそうなフェスの演奏シーンで観客のテンションを盛り上げるといったこともなされません。
というか音楽堂の裏手で好き合ってたのが分かった時点で、サスペンス的な引っ張りは消えてますし、最終的にしんのは消えることは消えますが、あおいとの劇的な別れのシーンさえありません。これは意図的に『あの花』の劣化コピーを防ごうとしたんじゃないか、とすら思える。
物語上の明確なアクシデント(バンドメンバーが鹿肉にあたる、新渡戸がペンダントをなくす)はそこまでメインキャラに重なりませんし、あかねに対するあおいの八つ当たりも劇的な亀裂を生んだわけではありませんでした。あおいについてはほとんど気の持ちようだった、というだけの話なんですよね。
むしろ分析すればするほど、意図的に三幕構成的な劇的な脚本から離れようとしていたんじゃないかとすら感じられるつくりになっている。最後の最後に最高の盛り上がりをしないようにしていた(あかね救出前に空を飛ぶのが最高点)ことからもそれはうかがえます。
でもそうした構成を意図して外しつつ、総合的にはエンタメにできている時点で相当なんですよ。そしてそれを成立させるために、鬼のように技巧を使いまくっている。それはこれまで長ったらしく確認しまくってきたところです。
もちろんちょっとした小技は余人にも真似できるでしょうが、ここ一番の独特の台詞回しはたぶんこの人にしかできませんし、たぶん一部だけを真似ても『空青』クラスの総合的な爽快感まで持っていくことはできないと思います。
結論
つまり岡田麿里にはだれも勝てない。岡田麿里こそ最強。おまえらは一生岡田麿里に大事なところを傷つけられつづける。
いかがでしたか?