「アリバイ探し」ミステリを探しています。

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TVドラマ『アリバイ崩し承ります』より

強いて拙作の特徴をあげるならば、これは、アリバイを破る従来の型とは違って、アリバイをさがす点にあるだろう。海外に例を求めれば、W・アイリッシュの長編《幻の女》とフレドリック・ブラウンの中編《踊るサンドイッチ》くらいしか思いうかばない。

 以上の文は鮎川哲也が自作短編「急行出雲」について触れたときの文章*1

 自分はこういう作例を「アリバイ立証型ミステリ」となんとなく脳内でネーミングしていたけれども、ジャンル内では「アリバイ探し」という呼び名が慣例的に用いられているらしい。初出は不明。でも大山誠一郎先生もそういってるし、それなりに歴史のある言葉なのかもしれない。どうなんでしょう。

 やってみなくちゃわからない、わからないならやってみよう、と萌黄えもさんも言っているわけだし、「アリバイ探し」型のミステリ短編はどのくらい作例があるのか探してみた(インターネットで)。ついでにアリバイ崩しの名作長編も読みたいわね、と思いましたが光文社文庫から鮎川哲也『アリバイ崩し』という短編集が出ているおかげでインターネットは汚染され、なにも見つかりませんでした。だれもおまえを愛さない。

 

シャーロット・アームストロング「アリバイさがし」

 『ミステリマガジン700【海外編】』に収録。宇野輝雄訳。《ミステリマガジン》1965年5月号掲載で、原題は”The Case for Miss Peacock”。訳題がずばり「アリバイさがし」であることから、この概念がわりと前から存在したことが想定できる。

 ある日、ミス・ピーコックは洋品店の店員を倉庫に閉じ込め、そのあいだ店員のふりをして一日分の売り上げをかすめ取った犯人だと指摘される。もちろん本人にはそのような記憶はない。しかしアリバイを証明しようにも、ミス・ピーコックは二か月まえにカリフォルニアに引っ越してきたばかりのひとり暮らしで、知り合いはどこにもいない。ミラー刑事とミス・ピーコックは、ふたりで彼女のアリバイを探しはじめる。

 謎解き本格ミステリというよりは、地道な捜査小説。しかしこの小説が目的としているのはアリバイ探しによって、人ひとりの生活が案外他人には見られていることが判明してしまう皮肉というか、生活者の悲哀めいたものが浮かび上がるオチのほう。またヒロインのミス・ピーコックはミステリ読者で、時折ミステリオタクっぽい発言をするので捜査過程には適度なほのぼの感もある。小森収によれば、本編はエドガー短編賞の候補になっていたとのこと。

参考:Webミステリーズ! : 短編ミステリ読みかえ史【第123回】小森収

 

フレドリック・ブラウン「踊るサンドイッチ」

 フレドリック・ブラウン『復讐の女神』に収録。小西宏訳。原題”The Case of the Dancing Sandwiches”。訳の初出は1951年の《宝石》。参考:踊るサンドウィッチ - フレドリック・ブラウン

  カール・ディクソンが車のなかで目覚めると、目の前には死体があり、拳銃が転がっていた。昨晩酒をはしごして一緒に飲んでいた相手にはめられたのだ。警察に証言をしても、彼がその夜に飲んでいた相手はいっこうに見つからない。結果、彼は法廷で有罪となり、死刑はまぬがれたものの妻をひとり残してしまった。妻スーザンは刑事ピーター・コールにそれまでの出来事を伝え、探偵を紹介してもらおうとする。カールの証言によれば、彼は事件当夜に「アンシン・アンド・ビッグ」という店を訪れたというのだが……。

 中編。前述のとおり、鮎川哲也はこれを「アリバイ探し」型のミステリといっているのだが、正確には容疑者となったカールのアリバイを直接立証する話ではない。どちらかというと、彼の「証言」の正しさを証明するために奔走する話になっている。よってカールの証言にある店を探すのが物語の目的で、これの特定が真犯人の使ったトリックを看破することにつながっている。古典的だが、見映えのする謎解きは楽しい。

 また、この作品の構成は鮎川に影響を与えたと思われ、三番館シリーズ「春の驟雨」には容疑者の証言にしかない建物を探すパートがある。

 補足だが「踊るサンドイッチ」を含むブラウンのミステリもの短編集その2は越前敏弥による新訳となって9月に出る予定とのこと。旧訳はかなり言葉が古いので新訳で読んだほうがまちがいなく楽しめると思う。

参考:不吉なことは何も - フレドリック・ブラウン/越前敏弥 著|東京創元社

 

鮎川哲也「急行出雲」

 鮎川哲也『五つの時計』ほかに収録。

  ゆすり屋の三田稔が殺された。容疑者となったのは殺害された日に三田の住む宝來莊を訪れた唐沢良雄で、一度被害者を殺したあと、煙草の吸殻を取りに戻ってきたのではないかと考えられたのだった。唐沢は死亡推定時刻には急行”出雲”に乗っていたと主張し、何号車のどの座席に座っていたのかも警察に伝えた。しかし当時座席の周囲にいた人間を呼んできても、唐沢と乗り合わせたとは証言しなかった。唐沢にもその人たちと一緒にいた記憶はない。この奇妙な食い違いはなんなのか。

 鬼貫警部ものの短編。この作品について、鮎川自身は「本編も平均点を越える出来にはなれなかった」と述懐していて、じっさい真相はシンプルな鉄道トリックで構成されている。これをスマートと見るか、一発ネタと見るかで評価は変わると思う。また、アリバイさがしというわりには、鬼貫が目星をつけた真犯人をあげることがメインで、結果的に容疑者のアリバイのほうも証明する構成になっている。

 先にも書いたが、鮎川はアリバイ探しについてはいろいろと思うところがあったらしく、「春の驟雨」では容疑者の証言の確かさを証明しようと動いたり、容疑者が事件当時飲食店にいたというのにだれも目撃していない「新ファントム・レディ」*2などの作品を残している。どちらも三番館シリーズで、このシリーズでは第一容疑者になってしまった人を助けるために私立探偵が捜査を頼まれる、というパターンが多い。とはいえ、これらもアリバイ立証がメインというよりは、べつの真犯人を見つけて濡れ衣を晴らすという筋が基本。

 

西村京太郎「幻の特急を見た」

 西村京太郎『雷鳥九号殺人事件』に収録。

 池袋で宝石商の社長、山本勇一郎が殺された。容疑者はふたり。別居中の妻と、被害者の個人秘書で、マンションで一緒に暮らしていた星野和郎。捜査では星野に容疑が傾いたが、彼は事件当時、静岡県富士川の川べりにおり、橋梁を走る下りの特急電車を見ていた。その車掌に手を振ると、手を振り返してくれたという。この証言が正しければアリバイは成立するのだが、彼が見たという時間に走っていた下りの特急電車は、時刻表を調べても一両もないのだった。

 十津川警部ものの一編。当然ながらこちらも鉄道ミステリ。枚数が少なく、知識もの的なアイデアで構成されているので推理というわけではないものの、時刻表に意外な穴が存在するという鉄道ミステリの楽しみを味わえる出来になっている。アイデア一本のアリバイ立証になるとこういう短さになるんじゃないか、という例でもあるが、アイデアの強さがあるのであまり気にならない。

 

小泉喜美子「オレンジ色のアリバイ」

  小泉喜美子『痛みかたみ妬み―小泉喜美子傑作短篇集』に収録。

 わたしはことし十九歳。デザイン関係の仕事で一本立ちできたらいいなと思って、そのときの名前を自分で考えてみたの。虹丘梨路(にじおかりろ)っていうんだけど、ある日、親友の奈々子が待ち合わせに遅れてきて、その次の日に殺人事件の犯人にされちゃった。被害者の家から『オレンジ色の服を着た女』が出てきたっていう目撃証言があって、たしかにその日、奈々子は目もさめるようなオレンジ色の服を着ていたの。でも――でも、奈々子は犯人じゃありません! それはあたしが証明します!

「小説ジュニア」という少女向け月刊誌(現在の「Cobalt」の前身)に掲載された短編。アリバイ探しの定番の証人探しをこなしつつ、けれども見つかった証言には色の齟齬がある、という構成が光る。肝心な謎解きは小学生でもわかる簡単なアイデアだが、手筋にはむだがなく、違和感を主人公が指摘するところもシンプルだが探偵然としていて気持ちいい。少女小説のノリが合うなら楽しく読める一作。

 

 大山誠一郎「時計屋探偵と失われたアリバイ」

  大山誠一郎『アリバイ崩し承ります』に収録。

 ピアノ教師の河谷敏子が殺された。殺害された当日、被害者はマッサージ店に行っており、その店主は敏子が妹の純子ともめていたと証言する。警察が話を訊きに行くと、事件当時純子は家で十八時間も眠っており、目覚めたとき、服に血がついていたという。彼女は言う、自分は夢遊病の発作を起こし、姉を殺してしまったのではないかと。それだけではなく、その日おかしな夢を見たのだという。つまりそれが夢遊病のせいだったのではないかと疑っているのだった。

 第一容疑者は眠っていたので証言にならず、そのため彼女を陥れたトリックそのものを見抜き、真犯人をべつに指摘することでアリバイを探す構成になっている。よって、こちらもメインはアリバイ探しというよりは、アリバイ崩しの変形パターンといったほうが正確かもしれない。トリックはかなりの剛腕だが、犯人を逮捕するための決め手の見つけ方はかなり計算されている。

 

米澤穂信「金曜に彼は何をしたのか」

  米澤穂信『本と鍵の季節』に収録。

 僕と松倉詩門は図書委員の後輩、植田登に、兄の容疑を晴らしてほしいと頼まれる。上田の兄、昇は学内でも有名な「不良くん」で、学校の窓を割ってテスト問題を盗んもうとした嫌疑をかけられたのだ。目撃証言は「背の高い男子」で、彼だけに嫌疑をかける理由はないのだが、教師に目をつけられてしまっていた。手がかりは部屋にある兄の私物とレシート、と事件当日にかけてきた電話。僕たちはその日彼が何をしていたかを推理する。

 アリバイ探しもののほとんどは被疑者の証言(基本的に嘘はない)をもとにはじめられるのだけれど、この短編ではその中心人物は最後まで登場しない。よって、そもそも被疑者がどこでなにをしていたのかを間接的に推理するつくりになっている。アリバイの立証に関してはシンプルだが、推理じたいがもたらす効果まで物語に含まれており、さすがは米澤穂信といった出来。足がかりとなる根拠も要所要所でしっかりと入れ込んでいるので隙がない。謎は小粒であるものの読後の余韻が残る一作。

 

「コージーボーイズ、あるいは消えた居酒屋の謎」

 『本格王2021』に収録。

 カフェ〈アンブル〉では毎月「コージーボーイズの集い」が開かれている。ゆるゆるとミステリ談義をするという会であるけれど、その日、小説家の福来晶一はやってきて開口一番「ぼくには昨夜のアリバイがない」と言う。どうやら町の嫌われ者が殺されたらしいのだが、福来は事件当時酔っ払いすぎていて、どこで飲んだかの記憶がなかった。とはいえ彼がいた町の規模はそこまで大きくないため、一店一店あたれば見つかるはずと考える。しかし実際に調べてみると、彼が飲んでいた店はどこにも見つからず……。

 ミステリマニアたちが集って推理をしていくワイワイ感の楽しい一編。いかにもミステリ好きらしい推理が出てきたり、盲点をついた真相もわかりやすく、しかし意外性があって驚ける。なによりアリバイ探しの基本である「証言者探し」を「店探し」に置き換えて、謎の興趣を出そうという態度がうかがえるのがよい。この作者のシリーズはまだ単行本になっていないそうだが、出たらぜひ買っておきたいところ。

 

 天藤真「雲の中の証人」

   天藤真『雲の中の証人』に収録。

 製薬会社の会計課員が殺され、アパートに保管していた公金三千万円が奪われた。被害者の部屋はオートロック式で、容疑者とされたのはアパートの鍵を持っており、唯一出入りができた酒井松三ただひとりだった。事件当時、彼は妻とともに公園にいたのだが、配偶者の証言は法廷では効力を持たない。しかしそれを信じた北弁護士はT――探偵社の私を呼び出した。「早い話が、きみは百人の警察官が二か月かかって調べたことを、たった十日のうちにひっくり返さなければならない」。事件当時、酒井夫妻を目撃した人を探し、アリバイを証明しろ、という雲をつかむような話だった。

 短編ではなく中編。枚数があるため事件の描写が詳細で、捜査もかなり足で稼ぐ。容疑者の妻の証言にあった小学生の集団を見つけるために「私」がしらみつぶしに学校へ突撃していく姿は涙ぐましく、そのあいだにも別の陣営から協力を頼まれたり、ヒロイン(人妻)とひとつ屋根の下の生活に悩まされたりと、イベントも忙しい。ラストにはここぞとばかりに裁判パートが用意されている。ほとんど長編のノリといっていい。

 当然、後半には真犯人を推理するパートはあるものの、いかに被疑者のアリバイを証明するか、ということに問題が終始している点は「アリバイ探し」ものとしてかなり好感が持てる。法廷で明かされるその証明じたいはもはや反則レベルなのだけれど、それまで捜査の苦労が実を結んだがゆえの壮大なスケール感なので、これはこれでいいものを見たという気になれる。おすすめ。

 

まとめ

 以上九編を紹介した。これが知識のない個人の限界。

 こうして並べてみると、アリバイ探しものは、基本的には被疑者の証言がおかしいが、真実かもしれないと仮定して証言者(もしくは証言内の建物)を捜す、という捜査スタイルAと、真犯人をあげて濡れ衣を晴らすスタイルB、もしくはその両方を兼ねるスタイルCがあるっぽい。ほとんどのミステリは犯人をあげないと意味がないのでAに終始しているものはあんまりなさそう。

 基本的にミステリの第一容疑者の疑いを晴らす、というのは布石ではあるけれど、物語の決定打として描かれることはすくないので、今回見つけた作例の印象としては全体的に小粒な感じは否めない。天藤真だけはめちゃくちゃダイナミックだったけれども、あれは法廷ものにしたという発想の勝利といえそう。

 なお、今回は見つからなかったが、たとえば意外な物証からアリバイが証明される、とかそういう倒叙ものに近い方法論でアリバイが証明される作例もあってほしい。むしろそういうのが読みたいかもしれない。

 

 また、今回アリバイ探し作品を探すにあたり、アリバイものだけで構成された短編集は大山作品以外にもあるはずと思って適当に調べてみたが、海渡英佑『閉塞回路』、鯨統一郎『九つの殺人メルヘン』、有栖川有栖『臨床犯罪学者・火村英生の推理 アリバイの研究』くらいがヒットする程度で、アリバイものを最初から集めようとして書かれた短編集はめちゃくちゃすくないことがわかった。

 アリバイもの短編集に近い例(アリバイもの含有率は比較的高い)としては天城一とか山沢晴雄とかだろうか。現代の作家がアリバイものを書いていないわけではないが、ひとつの短編集でも多くて二編くらいの印象がある。アリバイものは密室もの不可能犯罪ものに比べるとインパクトに弱くとっつきにくい印象があるが、じっさい読んでみると作者がいかに工夫しているかが楽しめるのでおすすめです。クロフツの長編群に手を出すよりは短編はハードルが低い。

 というわけできっとまだ作例が埋もれていると思うので、これ知ってるぜ、という方は情報提供してくださるとうれしいです。目指せアリバイ探しアンソロジー発刊。 なにとぞよろしくお願いします。お読みいただきありがとうございました。

 

 

*1:初出時はフレドリック・ブラウンの名前をカーター・ブラウンに誤記していたとか。

*2:もちろん念頭に置かれているのはウィリアム・アイリッシュ『幻の女』。

『C.M.B. 森羅博物館の事件目録』を全巻読んだ雑感

 タイトルの通り。知り合いとオンラインで一年ほどかけて読んだ。

『CMB』は同作者の『QED』シリーズに比べると本格ミステリ度は落ちるものの、独特のさめた人間観を結末に持ってくる回や、人間存在の持つ不気味さとしか言いようがない話は金田一少年名探偵コナンではまず見ない。

 トリック観も小説で発表している作家とは違う態度に見える*1。なにより漫画という媒体でミステリを描くスタイルが完成されていて、情報量の多さに戸惑うということがほとんどない*2。とにかく読みやすい。

 45巻も読むと、その決まり切ったスタイルに飽きる部分がないとはいえないが、ある程度読むと、やっぱりCMBはこの味なんだよな、みたいな気持ちにもなる。

 

東大・京大セレクション

 話数がとにかく多いので、出来もまちまちではある。そういう意味では東京大学新月お茶の会京都大学推理小説研究会がそれぞれセレクションしている、

『C.M.B 森羅博物館の事件目録 THE BEST 東京大学SELECTION』(加藤 元浩,東京大学新月お茶の会)|講談社コミックプラス

と、

『C.M.B 森羅博物館の事件目録 THE BEST 京都大学SELECTION』(加藤 元浩,京都大学推理小説研究会)|講談社コミックプラス

を読めばおいしいところはだいたい読める。収録作は上記のページからだと東大のほうはなぜか載っていないが、両者とも試し読みのページで確認できる。

 とはいえ、派手な作品やシニカルな真相に偏っている部分もあるので、連載漫画を追う楽しさは得られないし、作者の興味がどこにあるのか、という部分までを概観することはできない。これはすべて読んだ人間にしか得られない体験だと思う。 

 

 個人的によかった回(*は上記BESTに収録)

・「青いビル」(2巻)

  CMBとしては連載当初のまだスタイルが固まってない時期の作品なのだけれど、真相は島田荘司的な絵面の気持ちよさがある。

 

・「鉄の扉」(7巻)

 意外な密室の解き方が面白い。けれどそれだけでなく盲点原理を使ったオチも見事。どちらもシリーズ内で反復されるモチーフだけれど、この時点で完成されているんじゃないか。無駄がない短編本格ミステリ

 

・「一億三千万人の被害者」*(8巻)

 タイトルの意味とはなんなのか? ミステリ的なイメージのインフレ処理によって見えてくる構図。人を喰ったような論理。

 

・「太陽とフォークロア」(9巻)

 歴史的発見と事件が絡んでいくというCMB長編スタイルの典型的な例。壮大なロマンが語られることの興奮を味わえる。

 

・「ヒドラウリス」(10巻)

 シリーズ屈指の異様な装置。オチの処理は博物学者的にどうかと思うけれども、とにかくこういうガジェット的なものは、本格ミステリの読者なら好きだと思う。

 

・「夏草」*(13巻)

 一人の他者をどう理解するか、の話であり、デタッチメントの話でもある。日常の謎ともいえるけれども、なにかに沿って人を推理し、落とし込めるというより、人という存在そのものが目の前に現前するという話。

 

・「キルト」*(15巻)

 もし、推理の果てに見えるものが見たくないものだったら? わたしたちにはそういう物語にいつも惹きつけられてしまう弱さがある。

 

・「湖底」*(21巻)

 シンプルかつ大胆なトリック。ミステリでは比較的見るアイテムだけれど、あんな使い方をしているのを見たことがない。

 

・「ライオンランド」(26巻)

 死の危険が迫るサスペンスが読ませる。心に傷を負った少年が出てくるだけでかなりポイントが高く、そこに対する物語的な処理もよい。

 

・「空き家」(28巻)

 加藤ミステリの到達点のひとつ。物語の転倒。現代的な問題意識。ぞっとするようなラストの絵。冷え切った人間観。完璧。

 

・「マリアナの幻想」(34巻)

「幻想のなかに入り込んでしまった人間」は加藤ミステリが得意とするシチュエーションなのだけれど、じゃあその呪いをどう処理するか、ということ自体にも毒が用いられる。魔女という存在が物語のなかで多重化している。

 

・「鉱区A-11」(37巻)

 ロボット三原則もの。SF観は割と古いというか、出てくるガジェットはすべて戯画化されたSF表象という感じだけれど、真相の絵面にはミステリならではの迫力があり、同時に加藤作品特有の人間観も語られる。SFミステリのお手本のような作品。

 

 

 

 どうしても気に入った作品(ついミステリとしてどうかを考えてしまう)を並べるとシリアスに傾いてしまうが、CMBにはコメディ色のある話や人情もの短編なども多くあって、それらを挟みながら読むことでようやくCMB味になるという気もする。

 そう思うと、なんだかCMBはQEDに比べて妙に愛嬌のあったシリーズに感じられる。じっさいそうかもしれない。サブキャラクターが出る回はなんだかんだとワイワイしてて楽しい。

  めちゃくちゃ巻数の多い漫画はなるべく読みたくないので、QEDiffもCMBサイズまで連載が膨らむ前に読んでおきたいものですね。ですね。

 

 

*1:これは『QED』シリーズでも同様

*2:作者が意図的に事件を錯綜させていることは多々ある。

岡田麿里を考える会――『空の青さを知る人よ』を誤読する。

 突然ですが、みなさ~ん!

岡田麿里に傷つけられたことってありますか~~???」

 ありますよね~~。わたしもそうです。

 ついこないだ発表された新作もめちゃくちゃ傷つけてきそうでどきどきですよね。

www.youtube.com

 というわけで、今回は最近アマゾンプライム入りした『空の青さを知る人よ』の全編を通して、岡田脚本作品の技法について考えていきたいと思います。自分を傷つけてくる相手のこと知って、積極的に備えていくという企画です。強くなりたい気持ちなので……。

 なお、以下の文章では『空の青さを知る人よ』のネタバレをかましまくるので、ちゃんと映画観てから読んでください。本ブログはファスト映画的ふるまいを称賛しません。よろしいですか。

www.amazon.co.jp

(※)またこの作品には前時代的・閉鎖的と受け取られかねない価値観のキャラクター・台詞が多数登場しますが、作品がつくられた当時の時代背景や作者の人格を考慮し、誤読していきたいと思います。小説版には触れていません。よしなに。

 

 ①*1

 冒頭。くしゃみ。肌寒くなってきた季節かと思われる風景の質感(物語の時間は秋ごろ)。画面に出てくる橋は『あの花』を見てるとおなじみ感があります(秩父橋)。開始5秒でやるファンサービス。ためらいがない。そしてザッピング的な映像の切り替えが入ります。

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ベースケースを開けるしぐさ(あおい)

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棚を開けるしぐさ(慎之介)

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車のドアを閉めるしぐさ(あかね)

 台詞はなく、映像のテンポだけで見せます(開ける、開ける、閉める)。主要キャラの三人。顔を見せない。顔を見せないので、自然と観客の「気になる」気持ちを引き出します。つまり、この時点でファンサービスだけでなく、映画に入り込ませるための技巧が用いられています。

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慎之介の部屋。暗いがギター、ビール缶、キャリーケースが見える。

 また、ここでギターケースを取り出そうとする慎之介の部屋が映っています。手前にギターのヘッド、ビール缶、窓際にキャリーケース。畳。ワンルームかもしれないし、家賃は低めかもしれません。

 物語のあとで詳細は伝わりますが、「東京で成功したわけではない男」の一人暮らしがこの時点で語られています。やや古っぽいというかやさぐれすぎですが(フローリングの部屋に住むくらいの収入はあるでしょうが)、絵的なわかりやすさはあります。おそらく意図的なものでしょう。

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VOXのamPlug2 Bass

 VOXのジャック型アンプ、amPlug2 Bassをベースに刺す。サウンドハウスで3000円くらい*2。高校生が使う機材としてはありがちですね。

 次いで環境音。子供の声、ヘリの音、犬の鳴き声。それらを遮断するようにイヤホンをつけるタイミングで、あおいの顔がはじめて大きく映ります。音が聞こえなくなり、ベースを指で弾きます。ブーブーと歪(ひず)んだ音。

 VOXのアンプでそんなにべろべろな音が出るかどうかはじっさいに機材を使ったことがないのでわかりませんが、周囲の音を遮断して、自分の世界に入り込んでる感がめちゃくちゃあります。正直自分だったらこんな自我の強そうなベースの音作りしてるやつとはバンド組みたくないですが……。それはそれ。

 弾いているのはベースラインではなく、主旋律のメロディですね。この物語で何度も登場するゴダイゴガンダーラ」。

(いつも、探してる。ずっと探してる)

 新海誠っぽいモノローグのあと、大胆な回想。えっ、まだ主要登場人物の紹介も終わってないのに回想使ってもいいのか!? こわ……岡田麿里こわ……。昆布のおにぎりを食べるしんの。ベースの音は遠のきますが、メロディはつながっています。

「ハズレ。また昆布」

「今日はオール昆布です」

「ええっ!? なんでだよあかね。ツナマヨがいいって俺一万回言ったよな」

「昆布がいい」

「だって」

  練習に戻ろうとして赤いギターを構えるしんの。「俺のあかねスペシャルが火噴くぞ」、と楽器に女の名前をつけていますね。えー、古来よりバンドマンのあいだでは「楽器は女のように扱え」とありまして*3、彼もその文化圏の人間なのかもしれません。いや、端的に好きな女へのアピールでしょうが。

「あおいも……やりたい」

「じゃ、あお。でっかくなったら、うちのベースな」

 時間はすこし飛んで、演奏。(そこに行けば)のモノローグ。ワンマンライヴのフライヤー。高校生がワンマンライヴやるのはかなり入れ込んでますね。観客がそれなり多いのでチケットノルマは捌けたと信じたい。モノローグに呼応するように「そこーにいーけばー」と「ガンダーラ」が歌われます。

(でも、そこはきっと……)

 切り替わって、チーン、と木魚。葬式。転調。

(あまりにも、遠くて……)

「事故だってねえ……」

「ふたり一緒だなんて……」

(……)

「あかねちゃん、いま三年生でしょ」

 関係者に頭をさげるあかね。

「あおいちゃん、お姉ちゃんの言うことをよく聞くのよ。これからふたりで頑張っていかなきゃなんだから」

  そして一瞬だけ、ベースを弾いている現在に戻り、また回想。

(わたしは行けない)

 神社の裏手。しんのとあかね。

「なんで。どうしてだよ。一緒に東京の専門学校行くって約束……あかねっ!」

「あか姉いじめんな! バカ! あか姉連れてくな! バカ! デブ」

(……)
「あか姉連れてくな! あか姉連れてくな! あか姉とあおいは、ずっと一緒なんだからぁ!」

 (わたしはまだ、探している)とモノローグ。現在。

 音楽を中断したのはあかねからのメッセージ。車で迎えに来たあかね。現在の時間まで「一緒」だったことが明確に示されます。車に駆けていくとき、一瞬だけ振り返って印象的なカット。顔見世終了といったところでしょうか。

 慎之介の部屋。さっきのカットのつづきです。ガムテープでぐるぐるだったギターケースを開けるところで、お堂のギターにパスするような画面のつなぎ。

(探している。どんな夢も、叶う場所を)

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ノローグの締めに、うつくしいタイトルカット。

  ここまでで7分26秒。冒頭40秒ほどは製作会社のロゴ出してたので、実質6分台。ここで過去なにがあったかをここでほぼ全部説明するというめちゃくちゃなテンポのよさです。(どんな夢も叶う)は「ガンダーラ」の歌詞から来ていて、あおいのメンタリティがそこにあることが次第にわかるつくりになっています。タイトルの文字には青と赤が混じってますね。作品のモチーフとなる色です。

 ところでバンド経験者ならすぐに察することができますが、しんのの使っていたギターはギブソンのファイヤーバードで、あおいのベースはエピフォンのサンダーバード。エピフォンはギブソンの廉価版ブランドと思っていただければだいたいよく*4、ファイヤーバードとサンダーバードは姉妹機です。

 要するに「あおいがしんのへの憧れから楽器をはじめた」ということが機材面でも説明されていることがわかります。機材の詳細は以下の記事で。

guitar-hakase.com

bass-hakase.com

 タイトル明けて、学校。10月25日、金曜日、と黒板にあります。本作が劇場公開された2019年の日付ですね。そしてあおいは開口一番、

「東京行きます」「バイトしながらバンドで天下取ります」

「バンド。メンバーは」

「あたしひとりです」

 高圧的な喋り方。あっ、協調性なさそう、友達いなさそう、という感じが出ています。ついでにこのとき大滝とすれ違っています。

 時間は飛んで、車であかねに送られるあおい。

「盆地ってさ、結局のところ壁に囲まれてるのと同じなんだよ。あたしたちは、巨大な牢獄に収容されてんの」

「出た~。あおいの中二リリック」

「なんとでも言えし。とにかくあたしは、ここから出ていくから」

  あおいのマインド、メンタリティが連続で語られ、強調されています。田舎に対する思想を観客に刷り込んでいく手法。ここであかねの顔アップ。眼鏡のフレームの色が赤から青に変わっています。

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13年前の眼鏡(赤)

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現在の眼鏡(青)

 現時点ではあまり伝わってきませんが、作中に出てくる色はタイトルに使われている以上、重要なモチーフです。作品を見た最終的な判断としては、あかねの眼鏡は楽器とパラレルな存在といえそうです。

 赤はしんのとあかねの色、青はあおいの色。あかねは自分としんのの人生よりも、あおいとの人生を選んだ、というわけですね(それをメガネフレームで説明するのか……)ですがこの段階ではそのような内面は説明されません。あくまで、時間が彼女を変えたのだろう、ということが察せられる程度です。

 そしてご近所コミュニティ描写。すぐさま手伝うあかね。閉鎖的な場所で村八分にされたくないですからね*5。手伝ったら梨をわけてもらうのも地域コミュニティっぽい。

「ほんといいお姉ちゃんね。感謝しなよ、あおいちゃん」

(感謝しろって言われすぎると、むしろ、反発したくなる)

  寄合。「第一回 音楽の都フェスティバル 説明会」と黒板。参加者の平均年齢が高め。さっきおばさまがたの会話にあった正道の登場です。「そうそう、けっこうこれ、動いたらしいって市役所でも噂なんですよ」と手でお金を示すあかね。若い人が率先して盛り上げる空気をつくっています。

 いっぽう、台所にいる子供ふたり。あおいはお茶に使うお湯をポットに注いでいます。あおいは難しい顔。

「あおちゃんも参加すれば」

「町おこしになんて利用されたら、それはすでに音楽じゃないよ。音が苦しむって書いて『音が苦』だよ」

「いまいいこと言ったと思ってるかもしれないけど、まったく言えてないから」

(……)

「とにかく、ここいらは音楽によって生まれ変わんだよ」

  と、正道の声が「音が苦」に聞こえるような台詞のバトン。オチがついていますね。なめらかで上手い脚本。なんか当然のように男の子がいますが説明はされず、でもお互いの鞄を並べて置いているので仲がいいことはわかります。

 外。「あおいー、つぐー」と正道。「父ちゃん」。男の子が正道の息子だったとわかります。キャラの関係説明をあとにするスタイル。演奏を夜するなと注意をし、おずおずと、

「防音室、うちにあんぞ」

「は?」

「兄貴、欲しくないか?」

「はあ?」

「父ちゃん……突然切り込むなあ……」

バツイチにはさすがに渡せない」

「こっちは相手に浮気された被害者なの! 清く正しいバツイチなの!」

  コミカルな会話で(一対一ではなく三人で、ツッコミ役を入れているところがポイント)キャラの説明。ただの説明台詞にはしたくないという意志を感じます。そして本題。

「しんのって覚えてるか」

「ああー、なんとなく。なんで?」

「ああいや、覚えてないならいいんだ」

「ふーん」

  あえてあおいの顔を映さず、観客の想像をあおる手法。このとき「ん?」となっているつぐを映すのがニクいですね。彼はあおいの観察者なので。

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なぜならラブコメで重要なのは感情の矢印を向けているのがわかる描写なので。

 お堂。

「さっきの父ちゃんさ、俺だって賛成してないよ。けどさ、一応あの人も」

「この場所でその話しないで」

 思い入れがあるっぽいことの回想。回想に対するためらいがない。すごい。目玉スター。造語で絆をつくった思い出。耳に残る造語が特別感の演出になっているんですよね。岡田脚本のマジック。それを思い出し、すこし寂しそうに目を細めるあおい。それを黙って眺めるつぐ。やっぱり彼は観察者なんですよね。そして意味深に映るあかねスペシャル。

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めちゃくちゃ過去の憧れ(恋愛)を引きずっている顔ですよ。この説得力。

 ところでこのようなラブコメにおける感情の矢印の最後尾(いちばん蚊帳の外にいる人物)を観察者タイプのキャラにする、というスタイルは『凪のあすから』でも散々使われてきた手法ですね。あとになって構図が明確化しますが、本作では(慎之介⇔あかね←しんの←あおい←つぐ)という関係になります。正道は、まあ、コメディ担当じゃないですかね。あと話の発端役。

 翌日の市役所。

「へー、新渡戸団吉って前に紅白にも出てたよね」

「あー、なんか思い出した。変なきんきらきんの御神輿乗ってたよね」

  のちに登場する新渡戸についての会話。彼の声は松平健が担当しているわけで、あてがきっぽい印象ですね。マツケンサンバで紅白出てたし。あかねたちとおなじ30代の観客ならなんとなくイメージを持てるはず。そして会話に参加する正道。

「これは俺の大一番になる。俺の、人生をかけた大一番に……」

 正道の言葉に、なにかを察したように微笑むあかね。

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明確な好意を向けられた女性が困ったときにする特有な表情を描くのやめろ。

 そしていつの間にかイベント要員にされているあかね。シーンは変わって帰り道。さきほどのくだりを観客に咀嚼させてあげるパートです。説明台詞ではなく、車のなかでする日常会話として出すのが工夫されています。

「みちんこに好かれてるのわかってるよね」

「うーん、そりゃあね」

「気を持たせるようなことはやめれ」

「幼なじみだし、職場は一緒だし。付き合い上なんとんくわかってても、口に出しちゃいけないこともあるの。それが、大人のマナー」

「大人ってつまんなーい」

「そんなことよりさ、もっかい、考えてみれば」

「は?」

「進学。別に勉強しながらだってバンドはできるんだし」

「もう決まった話じゃんか。これ以上詮索しないって約束したよ」

「うん」

「約束、破んないでね」

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ふたりの食い違いを示すカット。かっけ~。

 台詞に合わせて、画面上は向き合って会話。奥行きによってすれ違っているの説明するカット。開いた車のバックドアによって物理的にもふたりはさえぎられています。うーんキマっていますね。

「じゃあ練習行ってくる」とあおいはお堂に。ベースをアンプにつなぎ、相変わらず歪んだ音で鳴らしまくります。台詞を使わずにいらだちをぶつけているのがわかる。上手い。ピックを使ってさらに音を大きくしたところで「うるせえ!」と観客の声を代弁し、しんのが登場。

 お互いの眼球にあるほくろが順番に画面に映り、「しん、の……」とつぶやき、それから「あか姉~~~~!」と必死の形相で走り去るあおい。お堂から出られないしんの。そして家にやってきて「しんのが!」と言った直後にあかねは肉を飛ばします。わかりやすい動揺。こんな飛ばし方はふつう起こりません、アニメ的な強調。

 また、先日あおいにしんのの話題を振ったときと同様に、すぐには相手の顔を映しません。観客に想像させ、そしてそのあいだに落ち着きを取り戻しておどけるあかね。「生きてるか、死んでるかもわかんないや」脚本的にずるくて怖いのはここであかねは明確に嘘をついていることなんですよね~*6。しかし最後までフォローされない。キャラクターの自律性~~。

 そこにやってくるみちんこ。「イベントのヘルプだよ!」

 駅前。手伝わされているふたり。彼女らの手にはみそポテト? 買収されたということでしょうか。そして背後から新渡戸団吉の登場。みそポテトの串を落とすあかね(小道具の使い方が経済的!!!)。「え、あれって……」「しんの……」そして広げられる幕。「お帰りなさい! しんのすけ」の文字。眼球のほくろが順番に画面に映り(さきほどのシーンの反復)、「ええっーーーー!」これからどうなっちゃうのー!? 的な声で音楽、高まる。

 ここで実質的なプロローグが終了するわけですが、プロローグが過去編、現在編と二部構成になっているちょっと特殊なつくりだったことがわかります。けれどテンポ感がよいので、まったくもったりしていない。ここまで21分。

 

 ③

 家にタクシーで戻り、数珠を持ってお堂に行くあおいとつぐ。「目玉スター、二号」の言葉でしんのは相手があおいだと理解します。「え~~~~!?」と叫び声。これもさきほどの反復ですね。そして状況説明。13年後だということがここで明確に言葉にされます。

「なるほど。浦島太郎だね」。キャラクターに時間差が生まれる状況は岡田作品では何度も使われてきたモチーフです。「生霊、かな」と、つぐ。しんのの存在が具体的にどういうものかは究明されませんが、さしあたっての扱い。しかし未練ではない、としんの。

「未練もなにも、まだなーんも諦めちゃいねえよ、俺は。いろいろ考えて決めたんだよ。とりあえず東京出て、ビッグなミュージシャンになってよぉ! あかねを! ド派手に! 迎えに行こうってよ」

「早くもらってやんねえと」とかだいぶアレな発言がなされていますが、それに対してはなにも現代的な観点からフォローがなされません。これが田舎のメンタリティなのか……。まあ、東京でビッグになるという夢じたいが割とパブリックイメージ的な概念なので、その古さに乗っかって物語をスムーズにしている、というわけでしょうか。

「会って、みる?」

「アホか! いま会えるわけねえだろ! 俺の話聞いてなかったのかよ。ビッグなミュージシャンにちゃんとなってから」

「ビッグかどうかはわかんないけど、もうなってたよね」

(……)

「俺、ちょっと行ってくっから。じゃな」

  見えない壁にぶつかるしんの。登場時の謎が反復されます。

 シーンは変わって焼肉屋(ホルモン)。接待ですね。さきほどあおいたちがタクシーに乗っていたのはあかねたち大人が送ることができなかったから、というわけです。

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女性を隣に置き、酌をさせるムーブ。

 表立って説明はされませんが、かなり安易な発想であかねが新渡戸の隣に配置されていませんか。『凪のあすから』でも女性しか台所仕事をしないシーンがありましたし。ちなみに次のカットでしんのは手酌でビールを注いでいます。そして当然のように肉を焼く仕事をするあかね。クソ~~。「あおいにしんのが戻ってくること話してたんだ」とすこし不機嫌そうにこぼすあかね。こっちはこっちで話の辻褄が合うようになっています。

 いっぽう、お堂では生霊をどうするか問題が語られます。「未来の俺とあかね、ふたりがくっつけば全部丸くおさまんだろ、そしたら生霊の俺は本体にビュンッと戻る」物語の終着点がいちおうここで用意されます。

 外。

「どうするの」

「ん」

「しんのさんの言う通り、ふたりくっつけんの手伝うの」

「悪くないかもしれない」

「そうなの?」

「あか姉が、あたしに、ここに縛られたままでいるよりは」

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最後の台詞に合わせ、カメラが下向きから水平方向に。

 盆地=壁=牢獄のイメージが、あおいの視線に重ねられます。山の向こうは東京でしょうか。慎之介は東京の男なので。

 宴会を終えた大人たち。酔った慎之介。「仕方ないですね。わたし飲んでないですし、車出しますよ」

ガンダーラ」を流しながら慎之介を送るあかね。その曲に触発されるように言う慎之介(歌詞の冒頭には夢が出てくる)。

「俺、夢は叶えたろ。一応」

「ほんと、叶えたね」

「……馬鹿にしてるだろ」

「こんなたちの悪い酔っ払い方するやつだったんだね、しんのは」

「お前。独身ってさ。俺のこと待ってたんじゃねえの」

「うーん。待ってたのかなあ。たぶん、違うだろうね」

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柔らかな否定の言葉に合わせて映る慎之介の手。薬指に指輪はしていない。

 指輪が薬指ないことから、慎之介はあかねを迎えに行きたかったんじゃないか、といったところをにおわせてホテル。

 言い寄ってきた慎之介を背負い投げするあかね。

「んだよ、その歳でもったいつけんなよ」

「本気で言ってる?」

「いいだろ。減るもんじゃねえし」

「十三年ぶりに再会して言う台詞かね。がっかりさせないで」

  あかねが去ったあと。「俺だって、来たかなかったんだよ。こんな俺で、来たかなかった」。『空青』は青春ラブコメホームドラマ、男の帰郷という三本の軸が交差して生まれる群像劇なので慎之介にもちゃんと内面のフォローがなされます。言葉にしてみるとめちゃくちゃなプロットだな。なんでこんなウェルメイドに完成したんだ。

 とはいえ慎之介周りの話はあんまり深堀りされません。あかねやあおいのように親が死んだわけではないでしょうから、この街にも慎之介の実家はあるはず。なのですが、それについては脚本から完全にオミットされています。でも不思議とあんまり気にならないんですよね。このあたりなんらかのマジックがはたらいている。

 あおいが待っている家へ。明らかにさきほどより声音が明るくなっているあかね。

「ね、今日一緒に寝よっか」

「え?」

「いーじゃーん。久しぶりにさ」

 ここが岡田脚本の怖いところですね。あかねは吉岡里帆の演技やあおいとの対比も相まってあまり内面を表出しないふうに見えるキャラですが、よくよく考えるとあかねはさきほどまで男に同衾を求められていたわけで、この瞬間、彼女は感情の上書きを図っているわけです。しかし物語としてはそれをまったく見せようとしない。怖すぎる……。つまり、あかねはアニメにしてはめずらしく、かなり自律的に動くキャラなんですよね*7

 布団を並べて寝るふたり。ずっと彼氏がいないことを指摘すると、「それなりに、それなりはあったよ?」とあかね。観客の期待を裏切る台詞。一瞬でキャラに奥行きをつくるのが上手い。ギャップで見せる手法。「あおいはほんと、あか姉ラブだなあ~」

 翌朝。あか姉のつくった(?)弁当をしんのに食べさせるあおい。ギターには触らないしんの。

「それより、ジャンプ買ってきてくんねえ。こち亀読まねえとどうも調子出なくてよ」

こち亀、終わったよ?」

「はあーっ!? こち亀が終わるわけねえだろ!」

  2019年作品として完璧な情報。『花束みたいな恋をした』できのこ帝国が解散した話をするのとおなじ手法ですね(おなじか?)。現実とのリンクで殴るスタイル。

 学校であかねとしんのの代の卒業アルバムを確認するあおい。あかねの言葉「井の中の蛙大海を知らず」(なんかわたしとおなじようなこと……)「されど空の青さを知る」タイトル回収。

 バンドに誘われるあおい。「自分より下手なやつと組んでも時間の無駄だから」と一蹴。「もったいなーい」とそこで大滝登場。車で送迎してくれるあかねのことを彼氏(↑)と勘違いしています。「じゃ、いまから付き合う?」とあおい。

 市役所。あかねを追いかける正道。

「怒ってるよな。たぶん」

「怒らないほうがどうかしてるよね?」

(…)

「だけど、お前一度決着着けなかったら、ずっと慎之介に縛られたままじゃないかって」

「いい加減にして。わたしの主体性をそこまで疑うの? わたしだってひとりの人間だよ。いままでの人生だって自分で選んで、自分で決めてきた。だれかに振り回されたつもりなんて、まったくないから」

 強いし、重要な台詞だし、実質的なあおい⇔あかね間の物語の答えでもあるはずなんですが、この時点ではあんまり観客には響かないんですよね。演技が比較的淡泊なのと、喋っている相手が正道なので。べつに強がって言っているな、と感じるわけでもないんですが。そしてこのメンタリティが周囲というか、あおいと慎之介に届くには、もうすこし時間がかかります。なんなんでしょうね、不思議な脚本です。

  ジェラードを食べてあかねを待つあおいと大滝。到着したあかねを見てがっかりしますが、「鹿にやられた!?」と問題発生。

 病院。生焼けの鹿を食ってぶっ倒れたバンドメンバー。「うわ~、ロック~、ミュージシャンって感じ」と興奮する大滝。彼女は物語上の役割はほとんどないんですが、いるだけで話のトーンがなごやかになりますね。コメディ要員。群像劇ではかなり優秀です。なにせあおいはめちゃくちゃ協調性がないため観客に対してストレスを与えるキャラなので……。

「まあ一応音源はありますし、最悪生音じゃなくても……」

(…)

「音は生き物ですよ。命です。生音でなければ演歌の心は歌えません」

 ベースもドラムもアンプやスピーカーで音を増幅するんだから厳密には生音ではないんですが。まあ意味は伝わりますね。重箱の隅。

「いるじゃない。ドラマーと、ベーシスト」とあおいと正道に白羽の矢が立ちます。

 リハーサル会場。「ガキの遊びと一緒にされたくないんすよ。こっちはプロでやってるんすから」「お遊びかどうか、見てもらおうじゃない」演奏フェイズ。ガンダーラ

 新渡戸に認められるあおい。第一関門クリアというかたちで、あおいが物語(音楽イベント)に積極的に参加する理由ができました。ここまで39分。エンドロール含めて全体が107分なので、だいたい三分の一とすこしくらい。まあ、岡田脚本はこういう三幕構成っぽいターニングポイントを入れといてもあとではずしてくるんですが。

 

 お堂。しんのにこれまでの報告をするあおいとつぐ。「(あかねと慎之介の)ふたりをくっつけるチャンス到来ってやつだな」「できるだろ。お前は俺と同じ、目玉スターなんだからよ」口元がほころぶあおい。それを眺めるつぐ。何度もいいますが、つぐは観察者なんですよね。そしてつぐはちょっと不機嫌そう。

 そこにやってくるあかね。そしてお菓子を渡し、帰っていくあかね。

「ババアになったな」

「そりゃあ……」

「めちゃくちゃ、可愛いババアだ。モデルよりも、グラビアアイドルよりも可愛くて、綺麗なババアだ」

「……えっと、大丈夫?」

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面白構図。

 ちょっと古臭い台詞なんですが、梁からぶら下がっているという絵的な面白さとツッコミを入れさせることでそのあたりの偏った価値観を誤魔化していますね。逆に言えば絵的に誤魔化せれば古臭い台詞も言っていいのか? どうなのか。「早くあかねにも、幸せになってもらいてえ」やっぱ古いところは古いですね。そういうのにあくまで乗っかるのが岡田脚本。

 外。

「ねえ、ほんとに撮るの。動画」

「なんで」

「いまの自分見たら、がっかりしちゃうかもしれない」

「そうかな」

「そうだよ! しんのはアホだけどさ、なんだかんだ優しいし、絶対に人を馬鹿にしないし、それに……なに」

「べっつにー」

  あおいがしんのに入れ込んでいるのがわかる会話ですね。いっぽう、つぐは淡々と。さきほどあおいが頭を撫でられているのを見たときはちょっと不機嫌でしたが。

 翌日のリハ。なぜか混じっている大滝。演奏終了後、

「なにこれ。ふざけてんの。あおいちゃん」

「え?」

「きみベースだろ。なんで自分が目立とうとしてんの」

 トランペットとサックスの人に視線をやると、苦笑されます。言いがかりというわけではないようですね。冒頭の演奏シーンにもあった自我の強さがここにきて慎之介をいらだたせます。「ったく、女がベースとか、そもそも向いちゃいないんだよ」 体格が向いてない話をしますが、そっちはふつうに言いがかりではないか。

 そこにやってくるキャバクラのお姉さんがた。締まりません。その様子をあおいのスマホに送信する大滝。スマホは現在しんのが持っています。

 というわけでお堂でキレるしんの。しかしプロの演奏をしていることは納得します。「ガツンとキレキレの演奏して、あいつの慢心を木っ端みじんにしてやれよ」「で、できる、かな」「できるに決まってんだろ。絶対。お前ならな。だろ? 目玉スター」ふたたび元気づけられるあおい。それを観察し、ため息のつぐ。

(もし、しんのが、あの慎之介に戻ったら、いまのこのしんのは……)

「ベースはよ。どんなに場がぐちゃぐちゃになっても、正しくリズム刻んで、みんなをフォローしなくちゃなんだからな。周りの音を聴きつつ、自分のペースは乱さない」

「あ、うん」

  昼間注意されたこととだいたい言われていることはダブっているんですが、しんのの言葉は素直に聞いてしまうあおいでした。それを観察するつぐ。

 翌日。慎之介は不在。

「素人に合わせて練習してると腕が鈍るって」

「さいってー。人を馬鹿にすんのもいい加減にしろ。しんのと全然違うじゃん。なにがどうなったらこんな……」

「しんの?」

「ああ、慎之介の昔のあだ名なんだよ」

「ちがーう! しんのは慎之介なんかじゃない!」

「はあ?」

  やっぱりしんのに入れ込んでいるあおいです。「どっちでもいいけど、いないんならかーえろ」と大滝。

 コンビニで買い物をした慎之介。すれ違う高校生バンドマンたちに昔の自分を重ねます。短い回想。あかねに振られたあと、ギターケースをガムテープでぐるぐる巻きにするしんの。

 ここで一瞬だけ映り込むことで明確になりますが、中身のギターはケースに入れてませんでした(物語の最初からお堂にあったので、最初映画館で見たとき自分はギターじたいが分身したかと思っていましたが、そういうわけではない……)。

 ではなにが入っていたのか? ミステリー的な謎になるわけですが、それにしてはあんまり明確に謎として提示されてませんでした。先に言いましたが、慎之介周りの話はあんまり深堀りがされない。

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ギターはケースに閉じ込められたわけではない。

 回想終了。そしてそんな回想をした慎之介の顔は映りません。観客に想像させるいつもの手ですね。そこに大滝が合流。

 時間は飛んで夜。ずっと練習をしていたあおい。そしてしんの。

「勉強とかいいのか?」

「大丈夫だって、別に進学とかしないし」

「へー、どうすんの」

「東京行って、バンドやる」

「お~~! 俺の意志を継ぐ者がこんなところに!」

「そんなまっすぐに褒めないで。あたしのは邪なんだ」

「よこしま?」

「あたしが、地元を出たいのは、あか姉に、好きに生きてほしいから。あたしのせいで、あか姉はやりたいこと、きっといっぱい我慢してきたと思う。あたしがここに残ってたら、あか姉はいつまでもここに縛られたままになる。それに、別にこれといってやりたいことないのに、無駄なお金なんて使わせたくない。あたしのせいで、これ以上迷惑かけたくない」

「んな自分責めすぎだろ。お前のせいなんて思って」

「誰も彼も思ってるよ。近所のおばさんも親戚も」

「あお」

「事実だし、だからあたしがここを出る」

「すげえな。お前」

「は?」

「なーんかよ。どうしてここにいんのか考えてたんだ。生霊って。未練とかじゃねえんだと思うんだ、やっぱ。けど、ほんとは俺、どっかでこっから出てくの、怖がってんのかもなあって。その点、ほんとお前はすげえよ。色々悩んでてもよ、ちゃんと考えて、ちゃんと決めて、こっから出ようって」

 ここまでの本編で一番の長台詞が出てきました。これまでそれなりに短い会話劇がメインだったわけですが、観客にしっかり聞いてほしいところが出てきたというわけですね。主要キャラふたりの表に出なかったん部分が説明されます。

 ここでちょうど50分これまでしんのとあおいのあいだには茶化したり観察したりする役(つぐ)がいたわけですが、ここでは出てこないあたり意図的な演出でしょう。「こないだの、お返し」と頭を撫でてやるあおい。まあ、イチャイチャをやるには邪魔ですからね、つぐ。ほんとごめん。

「お返しって、お前」

「ベースは、みんなをフォローしなきゃだから」

「……フッ。そうだな。さすが未来のうちのベーシスト」

(…)

「覚えてくれてたの」

「覚えてるもなにも、約束したじゃねえか。お前だってそのつもりでベースやってんじゃねえの?」

 「……ん! わたしにも、して」

「なに、撫でりゃいいのか?」

「おでこ! でこぴん! お願い」

「えええー、まあいいけどよ」

「思いっきり」
「うおっし」

「痛ったーい! んじゃ、また明日ーー!」

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キスを迫るようにするのが絵としてよい。でこぴんにずらすのもいじらしい。

 音楽が高まるなか走り去り、「なにやってんだ、あたしは」とあおい。立ち止まり、(あか姉と慎之介さんをちゃんとくっつける。あか姉のためにも、しんののためにも)と思いを新たにします。要するにここで、彼女自身の心は引き裂かれています。ここでは、自分の望むことを言ってくれる相手、好きになった相手の消滅を願わなくてはいけなくなっている。

 つまり、キャラクターにとっての引き返せない点(恋愛感情)が示され、そのいっぽうで最終解決の道筋(自分以外の相手とくっつける)が示される。脚本の教科書的な演出ですが、それにしてもよい手です。これが中盤に用意され、感情移入を誘っていることも物語に深みを出しています。岡田はやはり脚本が上手いんだよなあ……。

 

 翌朝。11月1日(金)。物語開始から一週間が経ちました。教室でイヤホンをはずすと、大滝が慎之介と歩いていたと目撃情報が。トイレに連れて行きます。

「昨日、あんたと一緒にいたのって」

「慎之介さんだけど」

「サイテー」

「え、なに。やっぱ相生さん、慎之介さん好きだったの?」

「好きなわけない! わたしはしんのが!」

(はっとするあおい)

「もー。わたしだって友達の男になんか手出さないよ。しんのって慎之介さんとは違うんでしょ」

「そうだよ」

「で、相生さんはそのしんのが好きと」

「……ああ。好きさ!」

「え、え、なにそのキャラ」

「好きさ! 悪いか!」

「悪いなんてだれも」

(顔を覆い、しゃがみ込むあおい)

「ええー!? なにそれ」

「悪いんだ。駄目、なんだよ……」

 駄目押しのようにあおいの心が引き裂かれます。恋心の自覚フェイズ。さりげなくここで大滝があおいの理解者になっているのが憎めないですね。ちゃんと友達認定もしてくれるし。いいやつ。

 夕方。帰宅するあかね。玄関前の階段にうなだれるあおい。

「どうして、しんの……慎之介さんについていかなかったの」

「え? なに、いきなり」

「あか姉がついていったら、そしたら、慎之介さんはきっとあんなクズにはならなかった。ずっと、昔の、しんののままだったかもしんないのに。あたしは、あか姉みたいになりたくない。やりたいこと我慢して。後悔して」

(違う)

「こんなとこで、ずっと終わってくなんて。そんなの、絶対にごめんだ」

(こんなこと、言いたいんじゃないのに)

「あか姉は、あか姉は……」

(あたしって、ほんと)

「馬鹿みたい。あっ……」

「馬鹿みたい、かあ……」

  反抗期の男の子みたいな爆発の仕方をして、走り去るあおい。

 お堂。出られないしんの。そこにあおいを探しにやってくるあかね。 おにぎりを持ってきています。戻るあかね。ひとつ拝借していたしんの。一口。「まーた昆布だ」あおいのためを思っていることがわかる描写。しかしあおい本人には届いてません。

 つぐの部屋。「メール一本で小学生にベース取ってこいとか、いきなりおしかけて自分の部屋のようにくつろいでるところとかほんと駄目だと思う」「あの慎之介のほうがあたしより何千倍も駄目でしょうが」「あおちゃんパンツ」シリアスからのおねショタで寒暖差を取ります。なんでこんな倫理的ではないことが平然とできるの……。

「決めた」とあおい。ストロング缶を飲んで寝ているみちんこ。だらしない姿ですが、楽譜には書き込みがあり、スティックはささくれています。彼も短いあいだに努力をしているわけですね。

「あたし、みちんことあか姉くっつけんの協力するから」「今のあの慎之介に取られるよりマシです」とあおい。「ありがたいけどな、お前の協力はいらねえよ」

「新渡戸さんに今回の仕事頼んだ決め手はな、しんのがいたからだ」

「は?」

「色々もやついたもん片づけなきゃ進めねえと思ってな。そういう歳なんだよ。俺も、あかねもよ」

 その態度にキレる17歳、あおいです。彼女のなりの問題解決法は一瞬で潰えることとなりました。物語的には結末より先に別解を崩しておく必要がありますからね。

 翌日。設営がはじまる音楽の都フェスティバル。いつの間にか手伝いをしている大滝。あおいは大滝を無視。キーボードの人と話をするあかね。慎之介の話に。「あいつソロでデビューしたことあるんだよ。一曲だけで終わっちゃったみたいだけどね」微笑むあかね。「へえ」

 お堂。つぐとしんの。「言っておこうと思って」「あ?」「俺、あおちゃんのこと好きなんだ。初恋ってやつ」「だからあおちゃんの苦手な勉強も、そのぶん俺が頑張って、それなりに必要価値のある男になるつもり」と宣言。「ただね、ライバルができちゃって」としんのを指さします。

「で、どう思う。あおちゃんのこと」

(…)

「こんな俺を好きになったって、どうしようもねえだろ」

「うん。そう思う。だから――」

 台詞はここで途切れます。最終的にここでなにがあったかは語られません。えっ、脚本内容に明確な抜けがあってもいいのか!? こわ~。

 いっぽう音楽堂。あおいと大滝。

「いつまでシカトすんのー」

「近づくな、マタユル」

「うわ、過激なネーミングセンスー。だから、別になーんもなかったって言ったでしょう?」

「なにもなかったはずがなーい! ロクデナシ+マタユル=不純異性交遊に決ま」

「わたしだって意外だったよ? 全然真面目でさ、へたれかっての。あーあ、わたしをこっから連れ出してくれる王子様はどこにいんだかー?」

  今回は全然下ネタ出さないな~と思ってたけど、やっぱり出すのか……。別に脚本上の必要はほぼないのに出すのが岡田の怖いところですよ。いらつくあおい。

 音楽堂の裏手(?)。「ガンダーラ」を弾き語ろうとしてやめる慎之介。「なんでやめちゃうの」とあかね。「続けて」

「俺、こっから東京に出れば、どんな夢も叶う気がしてた。でも、違うんだな」

「夢、叶えたじゃない。ちゃんとギターを仕事にして」

(…)

「でも、わざわざいろんなもん捨ててまで出る必要があったかはわかんねえ」

「じゃあ、別の曲をリクエストしてもいい?」

「あ?」

「『空の青さを知る人よ』」

「なんで」

「ちゃんと買ったよ。しんののソロデビュー曲」

黒歴史だろ」

ガンダーラとおなじくらい、好きなんだ」

 2019年に31歳だし、彼らは∀ガンダム世代なんですかね。いや、人口に膾炙している言葉ですから世代じゃなくても「黒歴史」は使うんですが。そして演奏される主題歌。ものまねふうに歌う慎之介。笑うあかね。それを目撃するあおい。

(あか姉、それにあんなふうにあか姉を笑わせられるあの人は……しんの……なんだ)

「なんか、やっぱいいな。お前といると。落ち着くっつーか」

「え?」

「俺、戻ってこようかな。別に、いまの仕事で先があるってわけでもねえし」

(駄目)

「なんつーかさ、周りも固い仕事に就きだして、身固めて、俺もいい加減そういう歳なのかなーって」

(駄目。それじゃしんのが、いなくなっちゃう)

「なーに言ってんの。いまの時代三十そこそこっなんて、まだ若造でしょ。落ち着くのはまだ早いっての」

「え」

「ここでしかできないこと、わたしにはある。いろいろまだ、諦めてないよ。うん。これから、これから」

 自然に口説いている慎之介。やんわりと別方向に背中を押すあかね。納得したふうになって去る慎之介。しかしその場にとどまって泣くあかね。男女の機微~~。降り出す雨。

 家。

(あか姉って、あんなふうに泣くんだ。知らなかった。泣いたとこなんて、いつから見てないんだろう……)

 虫刺されがあったのか、ムヒを探すあおい。「あおい攻略ノート」を見つけます。

(なにが、迷惑かけてないだ。あか姉は、なんでもできるような気がした。でも、あか姉が完璧に見えたのは……)

 走馬灯のように流れる映像はあおいが想像できない範囲にまで及んでいるんですけど、全然気にならないのはアニメ特有のマジックという感じですね。ホームドラマ的CM感。これも岡田が得意とする手法です。でも映像のノリはここだけ妙に新海誠っぽいんだよな。マジでなんなんだ。

(あたしのにために、こんなに、頑張ってくれたから。なのに、あたし、なにしてるんだろう……)

 どうしようもなくなって、お堂に駆け込んでくるあおい。

「うおっ、なんだよ、あおかよ。合言葉はどうした合言葉は。ったく驚かせやがって」

「わたしはしんのが好き」

「その、お前の気持ちは嬉しいよ。でも、ようく考えみろ」

「黙ってて!」

「……え?」

「だって、しんのの声、優しいんだもん。そういう声音の人はなんか慰め的なこととか、憐れみ的なこととか言うんだもん一般的に!」

「え」

「慰めとか、そういうんじゃなかったとしても、しんのの声は素敵で、あったかくて、なんか胸が痛くなるから、聞きたくない」

(…)

「わたしはしんのが好き。慎之介じゃなく、いまここにいるしんのが好きなの。ずっと一緒にいたい。慎之介のなかに戻っちゃうくらいなら、いまのままでいてほしい」

「あお」

「だけど、だけどっ! あたしは、あか姉も大好きなんだ! あか姉は、慎之介のことがまだ好きなんだよ。あか姉の幸せを考えたら、でもそうしたらしんのが……もう、どうしていいかわかんない。ねえ、どうしたらいい……」

「……」

「さわんないで! 触られると、どんどん好きになっちゃうじゃない!」

「じゃ、じゃあ、どうしたらいいんだよ!?」

「しんのもわかんないの!?」

「わかるかよ!」

「じゃあ!……もういい!」

(…)

「頼むから待ってくれよ。俺は、追いかけられねえんだ。お前を追いかけたいと思っても、無理なんだ。こっから見送ることしかできない。俺も、もとの自分に戻って、どうなっちまうのかとか全然わかんねえけど、でも、こうやって、ガキみたいに泣いてるあおを見送るしかできねえのは……」

「……泣いてないし。泣いてないし。雨だし!」

 ここでも岡田のお得意の技法が使われていますね。感情が決壊した女性キャラには一方的に喋らせる。ディアローグのテンポをあえて崩していくスタイルです。これをやって強い演技が入ると途端に見せ場になりますね。あおいの言い回しはちょっと乙女チックすぎるというか、要するに古臭いきらいはあるんですが、勢いで乗り切られてしまう感じもあります。

 対してしんのの長台詞。こちらもどことなく演劇っぽい。見せ場の連続になります。ここまで77分。残り30分ほどですから、そろそろ解決への方向性が出てきてもいいころなんですが、問題はどんどん山積するだけです。プロットがどんどん三幕構成から離れていく。

 とはいえ心情描写に使われる雨(舞台装置)を台詞として取り込む貪欲さも見えていて、やっぱり岡田脚本はキャラが吐露する瞬間の活き活きとした感じを出すのが上手いですね。こいつさっきから脚本上手いしか言ってねえな。「なあ、俺どうしてここにいるんかな……」とぼやくしんの。この映画のすごいところは、マジで終盤になるまでこのしんのはまったく動かないことなんですよね。

 

⑥ 

 翌朝。大滝に謝るあおい。ここで唐突に新渡戸がペンダントをなくします。「あれがなければ、地元の心は歌えません」。あかねと目を合わせられないあおい。まだあかねには謝れていないようです。このあたり家でどうしてたんじゃい、みたいな疑問はまああるんですが、アニメ的なマジックというか、見ているあいだはそんな気にはならないですね*8。そしてペンダントを取りに行くあかね。追いかけるあおいですが、結局謝れません。問題は先送りにされます。

 いっぽう、お堂にやってきた慎之介。しんのと対面します。手にはあのころの写真があり、見間違える可能性を小道具でつぶしていますね。

 あかねはトンネルへ。そして揺れ。

 音楽堂。山で土砂崩れがあった報告を受けます。「やっぱさっきの地震だよ」「昨日けっこう雨降ってたしね」そこがあかねの行った場所だとわかります。ただの心象風景、舞台装置(雨)に意味を持たせるというメタ的な精神性で物語が問題へと進みます。しかしよく思いついたな、その演出。スマホの通話がつながりません。駆けだすあおい。

 お堂。対峙するしんのと慎之介。「あかねスペシャル、取りに来たんか」と自分のことながらわかるしんの。説教。そこにやってくるあおい。現状説明。冷静な慎之介。それにキレるしんの。「なんでなんもしねえんだよ! てめえがいかなくてどうすんだよ……がっかりさせんじゃねえよ」と、あかねに言われた「がっかりさせないで」がこちらでも出てきます。意図的な反復でしょうか。

 しんのにこきおろされ、キレ返す慎之介。

「なんも知らねえガキが」

「ああ、俺はなんも知らねえ!」

「ああ?」

「俺は、こっから出ていけなかったからな……」

 物理的と精神的、二重の意味で出ていけないことがここで直感的に説明されます。演技の説得力。そしてさらに説明が重ねられます。

「あの日、あかねに東京行かねえって言われて、すげえショックだった。東京行って、バンド組んでガンガンライヴして、デビューして、毎日楽しくやって。それが俺の夢だったけど、それって、全部あかねがいるってことが前提だった。ビッグなミュージシャンになって、迎えに来るっつったって、実際どうなるかわかんねえしよ。あんときの俺、どっかでもうどこに行きたくねえ、ずっとこのままでいてえって、思った。……でも、お前は出た! ちゃんと前に進んだんだろうが! なあ、思わせろよ。俺はお前なんだよなあ。だったら思わせてくれよ。いろいろ、上手くいかないこともあるんだろうけど、それでも将来、お前になってもいいかもしんねえって、思わせてくれよ!」

 こうして文字に起こすとめちゃくちゃ冗長なんですが、絵的なカットの切り替えと演技の抑揚、音楽があると不思議と持ちますね。アニメノチカラ

 そして腑抜けている慎之介を「もういい」と投げ捨て、見えない壁に挑むしんの。「俺は、止まったまんまだったけどよ、でも、あかねを思うこの気持ちは、ずっと続いてる。これだけは、お前にも、負けねえから、よぉおお!」その手を引っ張るあおい。「あたしだって、負けないから! あか姉のこと、思う気持ち!」空中にぶっ飛び、切れるギターの弦。立ち上がり、「じゃ、俺らは行くけど、おっさんはどうすんだ」「行くぞ、あお!」「勝手なことばっか言いやがって!」そして満を持して流れるあいみょん

 そして空を飛びます。音楽も相まってめちゃくちゃな解放感。

「俺さ、あの写真見ていろいろわかっちまった」

「それって」

「あいつはさ、あんとき、閉じ込めることでしか前に進めなかったもんに、もっかい、向き合おうとしたんだって」

 ガムテープでぐるぐる巻きにされていたギターケースの中身はフライヤーや写真、MD、つまり高校時代の思い出、過去そのものでした。ようやくミステリー的な謎が解けましたね。「俺のなかにもあるこの思いを、後悔なんてしないように」そして慎之介を呼びかける当時のバンドメンバー。「そんな急いでどこ行くんだ?」「ガンダーラだよ!」←笑うとこ

「だから、俺は、あそこにいたんだって」

「後悔。あたし、知ってる」

「ん」

「好きな人の想いを応援できなかったら、ずっと後悔するんだって。あか姉を、応援できなかったから、知ってる」

「あお」

「だから、あたし、しんのと慎之介さんを応援する」

 ここでようやく、右往左往していたあおいのメンタルが落ち着きます。びっくりするくらいめちゃくちゃ声が落ち着いている。まったくオラついてません。

「空、青いね。出たい出たいって思ってたけど、こんなにきれいだったんだね」

「ああ、そうだな」

  空の青が瞳に映ります。タイトル回収。

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タイトル回収

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でも実はその前にお堂を出たタイミングでタイトル回収してたんですよね。

 そういうわけで、みんなみんなが空の青さを知ったことで、なんかオチた感じになります。ここまで94分。残すところ、約13分。ですが、あかねはまだ現段階で助かってないんですよね。なにこの脚本……。めちゃくちゃだろ……。

 

 ⑦

  トンネルにあかねを迎えに来たしんの。信じるあかね。そして姿を見られていたことに、「うわ~マジで~」とくだけた喋り方。あかねはこのときだけ(つまりしんのにだけ)こういう喋り方をするんですよね。は? なんなの。そしておにぎりの話。昆布。

「だけどさ、いまならわかる。井の中の蛙大海を知らず。されど、空の青さを知る。あかねの好きな言葉。ツナマヨじゃあ昆布には敵わねえよな。空の青さを知っちまったら」

(…)

「俺よかった。あおって妹を一番大切にできるお前のことを、好きになれて、よかった」

 空の青さを知ったのは数分前なんですが、なんかいい感じが話が収まります。

 あかねが見つかった報告が各方面に届きます。ひとりで帰るあおい。

 後部座席で寝るしんの。話すのはあかねと慎之介。

「俺さ、俺、ちゃんと前に進んでんだと。けど、まだ全部途中なんだ。途中だったって、思い出した。だから、諦めたくねえんだ。俺も」

「うん」

「だから、お前のことも諦めない」

「んっ、えっ? ……三人でか。そっか、あおい、もうあのころのわたしと同じくらいだったんだ。……今度、ツナマヨのおにぎりでもつくってみよっかな」

「へっ、は? なあそれって――。あれ?」

 消えるしんの。おにぎりの話ではじまり、おにぎりの話で終わるというのが『空青』なんですよね。このホームドラマ感。

 そして走り、しんののように跳ぼうとするあおい。「泣いて、ないし!」そして初恋が終わり、泣くあおい。「あー、空、クソ青い」

 というわけでエンドロールです。実質エンドロールがエピローグなんで最後まで見ていただきたいところです。あと写真、あかねのメガネフレームの色が変わってる気がするんですけど、これはちょっと不確定ですね。アップの画像じゃないし。赤と青の色が混じった感じに思えるので、選んだ人生的には腑に落ちるところなんですが。それについては、まあみなさんの目で確認してみてください。よしなに。

 

感想戦

 爽やかなのに、めちゃくちゃなプロットでしたね。

 なんだこれは。青春ラブコメホームドラマ、男の帰郷という三要素をなぜか過去の生霊という存在を結節点にして物語に昇華する、というたぶんだれにもできないことをやっているわけで……。要素要素に還元すると、ふつうの話なんですが、なぜかそれを二時間に満たない尺でやっている。謎の圧縮力。

『あの花』がめんまという過去の亡霊そのものを出してきて、そこから彼女の成仏のためにあらゆる出来事の清算をするというのはクリシェ化にしているような話ですからプロットとして納得できるものですが、今回はかなり複雑です。

 とはいえ、生霊しんのの果たす役割を考えると演出意図はかなり明確だったことがわかります。今回の話はしんのが亡霊であることを否定していたため、物語の終盤にならないとその出てきた意味がわからなかったわけですが。

 ひとつずつ考えましょう。

 しんのは現在やさぐれてしまっている慎之介を後押しし(見ればわかりますが、しんの以外はだれも慎之介のメンタルを気にしません)、土砂崩れに巻き込まれたあかねを救い、なによりあおいの初恋を終わらせ、進路を変えさせました(エンドロールで彼女は進学しています)。つまり、それぞれのキャラクターが過去の清算をおこない、次に進むという話に一応はなっているんですよね。

 あかねは唯一台詞では過去を引きずってないふうな態度を取っていましたが(これは観客によって解釈が分かれるところかもしれませんが)、慎之介を突き放したとき泣いていましたし、それなりに過去に縛られていたと考えてもいいかもしれません。

 しかし彼女はあおいといっさい衝突はしてません。あおいが勝手に思春期をこじらせて、突っ込んで、ノートを見て思い直して、なんか土砂崩れから助かったからいい感じになっている。で、前向きになった慎之介を確認できたので結婚にも前向きになる(あっ、この人マジで当初の慎之介に失望してたんだ……ということがわかる)。

 つまり、劇的な問題提示とその解決はまったく用意されてないんですよね。生霊をどうするかについては、あかねと慎之介をくっつけたらどうにかなるとは語られますが、それに対してあおいがこじらせたあと空飛んだら勝手にメンタルを持ち直しただけで、彼らに積極的な介入をしたわけではありません。ふつうなら用意されてそうなフェスの演奏シーンで観客のテンションを盛り上げるといったこともなされません。

 というか音楽堂の裏手で好き合ってたのが分かった時点で、サスペンス的な引っ張りは消えてますし、最終的にしんのは消えることは消えますが、あおいとの劇的な別れのシーンさえありません。これは意図的に『あの花』の劣化コピーを防ごうとしたんじゃないか、とすら思える。

 物語上の明確なアクシデント(バンドメンバーが鹿肉にあたる、新渡戸がペンダントをなくす)はそこまでメインキャラに重なりませんし、あかねに対するあおいの八つ当たりも劇的な亀裂を生んだわけではありませんでした。あおいについてはほとんど気の持ちようだった、というだけの話なんですよね。

 むしろ分析すればするほど、意図的に三幕構成的な劇的な脚本から離れようとしていたんじゃないかとすら感じられるつくりになっている。最後の最後に最高の盛り上がりをしないようにしていた(あかね救出前に空を飛ぶのが最高点)ことからもそれはうかがえます。

 でもそうした構成を意図して外しつつ、総合的にはエンタメにできている時点で相当なんですよ。そしてそれを成立させるために、鬼のように技巧を使いまくっている。それはこれまで長ったらしく確認しまくってきたところです。

 もちろんちょっとした小技は余人にも真似できるでしょうが、ここ一番の独特の台詞回しはたぶんこの人にしかできませんし、たぶん一部だけを真似ても『空青』クラスの総合的な爽快感まで持っていくことはできないと思います。

 

結論

 つまり岡田麿里にはだれも勝てない。岡田麿里こそ最強。おまえらは一生岡田麿里に大事なところを傷つけられつづける。

 

 いかがでしたか?

 

 

*1:ブログの便宜上分けているだけで、脚本に沿っているとかではないです。

*2:VOX ( ヴォックス ) >amPlug2 Bass ベース用ヘッドホンアンプ 送料無料 | サウンドハウス

*3:差別的な風習。

*4:正確には違う。

*5:個人の意見です

*6:慎之介のCDを買っているので。

*7:ここでは観客に内面をさらけ出さない、という意味で「自律的」と言っています。

*8:みちんこの家にまた泊っていたんでしょうか。

特殊設定ミステリよもやま話

 タイトルの通りです。

 先日Clubhouse*1内で「特殊設定ミステリとは何か」という部屋が開かれました。登壇者は大滝瓶太、千葉集、円居挽(敬称略)の三名で、途中からほかの作家や翻訳家が登壇するなどしていました。リスナーはたぶん最終的に100人強くらいにまで増えていたんじゃないでしょうか。実作者目線での話が聞けて、ミステリファンおよび創作者にとってはとても有益な時間だったと思います。ただし詳細は省きます*2

 というわけでその感想戦というか、よもやま話です。実益になることはないと思うので、戻るなり、ブラウザを閉じるならいまのうちです。結論はありません。

 よろしいか。

 

特殊設定ミステリの定義について

・たんに特殊(=special)な設定のミステリではない。

・現実と違う物理法則、科学技術、生物など、ほぼ”現実ベース”の世界にひとつ(あるいは複数?)架空のルールを追加するイメージ。それをもとにした謎解きがある。

・むしろ非現実(=unreal)といったほうが適切では。語感が悪いね。

・まあだからSFミステリとジャンルとしては近いのだと思う。

・特殊ルールミステリ? 相沢沙呼は以下のような発言をしている。

 ・また、特殊な条件下(標高数千メートルの山中、砂漠のなか、日本の常識が通じない異国、異教が支配する地など)のミステリは現実世界の話なので特殊設定ではない。

・定義論争は荒れるのでこのくらいで。

 

特殊な条件下の例(これは特殊設定か?)

 これはミステリ研時代、同期が書こうとして結局未完のまま終わった作品の話なのだけれど、まあ時効だと思うし書いていいでしょう。ごめんな。

・舞台は現実ベース。

・ゾンビが出てくる。

・登場人物たちはショッピングモールに閉じ込められるor閉じこもる。

・要するにクローズドサークルになる。

・そこで「人間の手によって」殺された死体が発見される。

・死体には感染していた様子はない。

・犯人は当然、生きている仲間以外にありえない。

・なぜ殺したのか?(whydunit)

・答えについて考えてください。

・考えましたか?

・では答えです。

・「いちばんの足手まといを一人殺したほうがメンバーの生存率が上がるから」

・いかかでしたか?

 正直、自分はこれを面白いと思う。ほかでは絶対みられない動機のはず。

 ただしここで生じるかもしれない問題。これをいわゆる「特殊設定ミステリ」と銘打った場合の印象について。殺人の動機そのものは「特殊な設定」に起因しているわけだけれど、おこなわれる殺人行為じたいに「特殊設定」が関与しているわけではない

 つまり、ゾンビを音や光などで呼び寄せて、それによって殺した、といった特殊なトリックや犯人指摘のためのロジック/推理などがあるわけではない。要するに「見たかったものと違う」というミスマッチが起きるかもしれない。

 またこれに対し、「特殊設定ミステリではない」というお叱りが発生する可能性すらある。とはいえここで自分は詳細な定義はしない。まあ言いたいことはわかりますよね。争いはなにも生まないんだよ。

 

特殊設定ミステリとその真相について

 ちなみに「特殊設定ミステリ」という言葉が流通する前に出たSF・ファンタジー作品に片理誠『屍竜戦記』というのがある。竜の死体を屍霊術で動かし、人々を脅かす竜と戦っていくハイファンタジーふうの物語。ちょう面白い。

 その第1巻では殺人が起きるものの、その真相に屍霊術はかかわってこない(むろん物語の根幹にはかかわる)。ミステリ部分が主軸ではないから当然とはいえ、しかしこれを特殊設定ミステリとして2021年に出されたら読者が怒ると考えるのはむずかしくない。

 つまり、ここでは「特殊設定ミステリ」で提示される設定は、真相にからまなくてはならない、というのが要請されている。すくなくとも、本格ミステリとしてはそれが望ましい。

 また本格ミステリとして特殊設定作品を出す場合、その「特殊設定」は前もってしっかりと説明される必要がある。フェアプレイ精神。『アシモフのミステリ世界』のまえがきにもそう書いてあったはず*3。解決編でいきなり「ワトソン君、じつはここに犯人を発見する秘密の科学技術があってね、問題編には登場しなかったのだけれど」ではお話にならない。読者の推理の余地がない。

 

特殊設定ミステリを書くのは簡単か

 以前、年間ランキング本かどこかのムックで、小林泰三が「SFミステリの書き方」的なコラムを書いていた憶えがある。詳細は忘れたが、記憶を頼りに内容を以下に記す。たぶん細部どころかほとんど間違っていると思う。それを承知で読んでいただきたい。

・物語は近未来。時間移動の技術が発明される。

・密室で人が殺される。

・警察の捜査の手が入る。犯人は殺害後、密室から脱出したはず。

・しかしトリックが使われた形跡が見つからない。

・そのまま捜査が終了する。

・終了後、密室に人が突如現れる。謎の人物はそこから現場を出ていく。

・そいつが犯人だ。

・犯人は時間移動をすることで密室を脱出した。

・四次元密室。概念の拡大されたミステリ。

・ね、簡単でしょ?

 というわけだが、ゼロ年代ならともかく、これは2021年ではパロディにすらならない。捜査は時間移動の技術を前提とするべきだし、だとしても、そのうえで時間移動技術をめぐるなんらかの物語が展開されなければ、正直食い足りないとおもう。時間移動技術を使用できた人物は三名のみ、ではそのなかで犯人を特定する推理はなにか、とか、そういう話。

 要するに、特殊設定ミステリを書くことじたいは決してむずかしくなく、ただしそれを面白く複雑にするのはむずかしい、といったところではないか。すくなくとも設定が作者本位にみえてしまえば、読者としてはつまらないと感じる。

 最悪な例として有栖川有栖の作中の語り手が思いついた叙述トリックがある。これも例によって記憶が死んでいるので詳細ではない。本筋ではないのでネタバレでないと判断する。

・近未来。

・犯人を追い詰める刑事。

・袋小路へ追い込んだ。やったと思う。

・しかし角を曲がってみると、犯人の姿はない。

・消失ミステリ。

・答え。

・事件の起きた場所は月だか火星だかで、重力が地球とは異なっていた。よって犯人はびよーんとジャンプして塀を越えて逃げた。

・はいクソ~。

 こういうことをされたらたまったものではない、という例。作者本位にすぎる。

 また、特殊設定を用いたトリックのさい、読者が提示された解決編以上にシンプルでよい答えを出してしまう可能性すらある。

 いい具体例は思いつかないが、昨年出た『LIFE IS STRANGE2』という傑作ゲームでサイコキネシスの力を手に入れた少年が、アメリカからメキシコに違法な手段で移動しようとして国境にある巨大な壁をその力で破壊するシーンがあった。

 たしかに迫力はあるのだけれど、見ていて、サイコキネシスが使えるなら、自分の身体を宙に飛ばしたほうがずっと楽じゃない? みたいなことを思ってしまった。こういうしょうもない話と思っていただければいい。

 特殊設定は既存のミステリに比べてジャンルとして費やされている検討時間がすくないのだから、作者の想定にない回答が出やすいのではないか。既存のミステリですら可能性の排除ができてないと減点対象とみなされるのだから、いわんや。

 

特殊設定ミステリは面白いか

・ひねたミステリオタクはつまらないと言う(ポジショントーク(ではない))。

・特殊設定ミステリは前提として、必要なルールを明示する必要がある。

・結果、ルールがそのまま重大な伏線になってしまう。

・「ABCDE」と書こうとしたら「ABCDE」と記述されるようなもの。

・答えを言っているに等しい。

・ふつうのミステリは伏線を敷いても、それに注目できるのは注意ぶかい読者だけ。

・つまり、ふつうのミステリのほうが作者にとって有利。

・要するに特殊設定ミステリでは情報を均等に記述できない。

・解決法として、伏線の意味を分散させる(伏線A+伏線B=真相Cを取り出す)方法。

・これをフェアにできるかどうかがたぶんむずかしい。

・解釈を肥大化させた結果、なにを言っているか作者にしかわからない、ということも起きうる。

米澤穂信『折れた竜骨』は伏線の数それじたいを大量にすることで問題を処理した。

・ただし、特殊設定に基づく推理の数は限られている。これをどう思うか。

 

特殊設定ミステリは異なった社会や人間を描けるか

・特殊設定があたりまえとなった世界をミステリは想像できるか。

・正直いって、得意ではないと思う。

本格ミステリが得意としているのはよくもわるくも記号的処理ではないか。

・某SFミステリで、とある技術が普及した描写として、現実世界にある一般名詞の頭に全部おなじ○○をつけて説明を終わらせたものがあり、それはさすがに絶句したが。

・というか特殊な世界の想像がそんな容易にできるのなら、SF(ミステリ)の傑作はもっと増えているんじゃないか、と言わせていただく*4

・その社会でしか起きえない問題などまで手を出したら、殺人をやっている場合ではないかもしれない。それはそう。

・300~400ページかけてひとつの事件を追っている作品で、人物の成長まで描けている作品のいかにすくないことか。ぶっちゃけそんな暇はないんですよ。

・どちらかといえばハードボイルドや日常の謎のほうが人間を描けているとおもう。そっちは人間の話(ヒューマンドラマ)に比重を置くスタイルなので。

 

特殊設定はミステリの可能性を広げるか

・『ミステリマガジン』2019年3月号、法月綸太郎→陸秋槎「往復書簡」

 これは私の個人的見解ですが――「新本格」以降の日本の現代本格は、ガラパゴス的な進化の袋小路に突き当たっているのではないか。とりわけ今世紀に入ってからの「異世界(特殊設定)本格」の流行は、そうした袋小路の最たるものではないか、という危惧を拭えませんでした。

・しかしそれがなければ『元年春之祭』の真価を読み取れなかったのでは、というのが法月の発言の意図。

・特殊設定はミステリの可能性を狭めているだろうか?

人狼ゲームにあたらしい役柄が導入されるたび、ゲームが新奇性を帯び複雑になるように、すくなくとも狭い範囲での変化、面白さの探求、という意味はある気がする。

・ローカルルール・マイナールールの面白さ。

・紙城境介『継母の連れ子が元カノだった』はライトノベルだけれど、主人公たちがミステリオタク。近年、ロジック重視(推理重視といってもよいとおもう)のミステリが増えていて、特殊設定の流行りもその流れのなかにあったのではないか、みたいな話をする(何巻かは忘れた)。

・実感としてはそれがいちばん近い気がする。

作者側が新規かつ独特の推理を模索していった結果、特殊設定を構築する潮流が生まれた、ということにしておくと納得感がないすか、ないすか

・書くほうも読むほうも、そういう模索を楽しいと思っているのではないか。

・ただし、それが普遍的な面白さにつながるかはわからない。

・当然、流行り廃りもあるはず。

・とはいえ、チェスのクイーンがもともとは弱い駒で、のちに強く改変され、それが普遍的なルールとして採用されることになった、というお話もある。

・可能性は汲み尽くせていないのでは。

・ただし、既存のミステリを変える、壁を壊す、ということになるかはわからない。

・そもそも推理の枠組み(論理的思考)はふつうのミステリにしろ、特殊設定ミステリにしろ変わらないのではないか。

・それが変わるなら、もはや変格やアンチミステリなのではないか。

・SF的なアイデアエスカレーションと本格ミステリの両立は可能か。

・法月が本格ミステリ大賞の投票で森川智喜『スノーホワイト』を評したとき、真相を映す鏡がふたつあったなら、それらを向き合わせて真相が無限に生成されたのでは、みたいなことを言っていた気がする。それはたしかにSFっぽいかもしれない。

・そのとき謎とその論理的解明はどこかに行ってしまうかもしれない。

・そのときわたしたちはそれをミステリと呼べるのでしょうか。

 

勝利条件が特殊なミステリ

・推理は現実ベースだが、特殊な条件でそれに合わせた思考を求められる作品がある。

・これを特殊設定と呼ぶ人もいる。

・発想としてはむしろボードゲームに近いのかもしれない。というか実質そういうゲームの話でもある。あとディベート

円居挽『丸太町ルヴォワール』

城平京『虚構推理』

初野晴「退出ゲーム」「決闘戯曲」

・あんまり例が思いつかないな。この話終わり。

 

そんなことより面白い特殊設定ミステリの話をしようぜのコーナー

 厳密な特殊設定ミステリ(そんなものがあるのか?)かどうかの話は措く。

・J・R・R・トールキン指輪物語

(「魔王は人間の手によって(by the hand of man、何人たりともの意味もある)殺されることはないだろう」と予言されたアングマールの魔王の殺害方法。こんなん異世界ハウダニットでしょ)

ラリー・ニーヴン「ガラスの短剣」

(どんな魔法使いにも解けない呪いはいかにしてかけられたか?)

久住四季トリックスターズL』

(シリーズ二作目。前作前提。魔術によって閉じられた密室での殺人)

米澤穂信『折れた竜骨』

(さっきちょっとケチつけたけどその物量ふくめて傑作だとおもっている。魔法による捜査はたしかに化学捜査を魔法に言い換えただけ、という向きもある、しかしそこで描かれている物語がいい)

麻耶雄嵩『さよなら神様』

(一行目で神によって犯人が指摘される。そのうえで展開される物語)

・青崎有吾『アンデッドガール・マーダーファルス』

(教科書的な推理なので特殊設定ミステリ入門におすすめ、人外がいる世界)

北山猛邦『少年検閲官』

(書物が駆逐されたポストアポカリプス?管理社会もの、厳密なSFではないが異形)

相沢沙呼『medium 霊媒探偵城塚翡翠

(タイトル通り霊媒探偵もの。真相にたどり着く推理の道筋が素晴らしい)

アイザック・アシモフ『われはロボット』

ロボット三原則もの。ルールの解釈が異形なホワイへと思考が拡大していく面白さ、厳密な設定ではない)

 ・八十八良『不死の猟犬』

(漫画。死んだら復活するという世界でのサスペンス。敵は完璧には殺さず半殺しにして相手の動きを止めようとするし、味方はフレンドリーファイアで即死させ回復させようとする、というルールを適用したバトルが面白い。本格ミステリではない)

・紙城境介『僕が答える君の謎解き』

(必要な情報が揃うと無意識に答えがわかってしまう女の子(JDCか?)の推理を理解しようとするラブコメ本格)

 

 

 みんなも最強の特殊設定ミステリでデッキを組んで友達に自慢しよう!

*1:音声SNSアプリのひとつ。詳しくは各自検索などしてください

*2:書き起こしなど含め、記録全般が規約で禁止されているため

*3:見つからないので詳細は省く。

*4:じっさいに傑作がどのくらいあるのかについては言及を控えさせていただく。

2020年ベスト姉ヒロイン大賞

 少なくとも 姉は何かを失敗したことはなかったはずだ

                     ――ゴブリンスレイヤー

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前年に引き続き、本大賞アンバサダーを務めるゴブリンスレイヤーさん

 ベスト姉ヒロイン大賞とは、その年1月1日~12月31日までに発表されたアニメ作品(劇場作品も含む)のうち、姉に対する描写が特に優れていたものに贈られる賞です。昨年の選考も大いに盛り上がり、姉フィクション界の誇るべき充実が世間に訴えかけられることとなりました。

saitonaname.hatenablog.com

 2020年でベスト姉ヒロイン大賞も発足してから八年の月日が経ちました。わたしたちの歩みを振り返る意味を込め、ここに改めて各年の受賞作を列記いたします。

 

2013年『境界の彼方

2014年『グリザイアの果実

2015年 受賞作なし

2016年『響け!ユーフォニアム2』

2017年『ノーゲーム・ノーライフ ゼロ

2018年『あかねさす少女』『ゴブリンスレイヤー』(同時受賞)

2019年『ぬるぺた』

 

2020年ベスト姉ヒロイン大賞候補作および受賞作品

 2020年ベスト姉ヒロイン大賞の選考は、事前の候補作品選出(推薦=エントリーについては公募制)ののち、2020年12月30日から31日未明にかけておこなわれました。例年通りであれば関西の某所が選考会の会場の予定でしたが、昨今の事情を鑑みリモートでの開催となりました。

 選考委員には、百合アニメオタク、ゆるアニメオタク、姉原理主義者の三名が出席しました。また記録係として筆者が出席しました。

 今回の最終候補作品は以下の六作品です。

 

『グレイプニル

『泣きたい私は猫をかぶる』

日本沈没2020』

『Lapis Re:LiGHTs』

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会

『アサルトリリィ BOUQUET』

 

 上記六作品をもとに討議した結果、

 受賞作品を『アサルトリリィ BOUQUET』と決定いたしました。

 また、特別賞として、上田麗奈さん(声優)を表彰いたします。

 以下には各選考委員の選評を掲載いたします。

 

選評 百合アニメオタク

 今年は多くのアニメの製作や放映が停止/延期してしまったという点で、製作者側、視聴者側ともに覚悟を問われた年だったのではないか。それでもなお、姉を描くアニメが欠かさず供給されたことには救われる思いがあり、ここで感謝を述べたい。

 候補作にNETFLIX配信作品が入ったことは、昨今の時勢や潮流からして当然のことと思われる。『泣きたい私は猫をかぶる』はもともと劇場上映作品のはずだったが、covid-19の影響によって上映の機会が危ぶまれたのち、即座にネット配信へと舵を切った。英断である。もちろんこの判断自体は作品ほんらいの価値とはなんら関係はない。しかし劇場上映をした場合に比べ、知名度が大きく下がったことは言うまでもない。これは憂慮すべき事態である。

 いっぽう『日本沈没2020』はネットフリックスオリジナルシリーズであるが、のちに二時間台にまとめた総集編を映画館で上映した。これによってネット配信サービス登録者に限らない、新たな視聴者を得ていたように思われる。今後、作品を拡散させていくモデルケースとなるうえで重要であることは間違いない。2021年もこのような枠にとらわれない、変則的なスタイルが見られることを期待する。

 作品個別の話に移ろう。逆風のあった映画情勢に比べると『泣きたい私は猫をかぶる』も『日本沈没2020』も姉フィクションとしては正直言って弱い。前者は昨年『空の青さを知る人よ』で上質な姉アニメをつくってみせた岡田麿里によるオリジナル脚本。最小限の描写で恋愛にうつつをぬかす姉とそうではない弟の対比を手際よく面白おかしく描いていたが、いかんせんサブプロットの域を出ていない。これでは受賞に値しない、と早々に判断を下した。

日本沈没2020』も同様である。歩は主人公というよりは視点人物として、日本の家族のサンプルとして姉の役割が配されているが、だからといって姉が姉であること比重は置かれていない。あるとすれば漂流パートの一部シーンだけだろう。むしろ、これこそが姉のリアルである、という方向で製作側の意図を考えることも難しくはないが、それにしては物語性に欠けすぎている。この淡々とした、残酷にすら思えるストーリーテリングを単独で評価することは可能だが、姉アニメとしては評価できない。

 しかし、声優・上田麗奈が姉キャラクターの声を担当するという事態は三年間連続して続いている。この奇跡のようなめぐり合わせはいつ終わるかわからない。ならばいつ評価するのか。今しかないのではないか。そのように発言した。結果、特別賞ならどうだろうか、という意見が出され、そのまま決議された。

 今年の百合アニメ枠としては『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』と『アサルトリリィ BOUQUET』の二強であったが、後者については姉妹の思想を先行作品、具体的に言えば『マリア様がみてる』から借りている部分が多く、姉アニメのオリジナル要素として評価することは厳しいのではないか、と判断を留保せざるを得なかった。よって、より現代的な観点から描かれていた『ニジガク』を推した。

 

選評 ゆるアニメオタク

『グレイプニル』の序盤は魅力的だった。両親を殺し、失踪した姉。それを追っていくうち、否応なしにゲームと深い謎に巻き込まれていく妹と主人公。消える直前、姉は異形の存在となっており、ようやく出会ったとしてもまともに戦うことも会話もできず、その力は計り知れない。実に手に汗握る展開だ。しかし、その興奮は迂回するようなプロットによって次第に冷めていく結果となった。

 終盤、姉に関する一部の情報は明かされるものの、完結には向かわず、ただその部分に蓋を置くだけで済ませたのがエンタメとしては惜しい。姉の存在が謎であればあるほど戦闘能力が高くなる、というのは姉バトルものとしては定番であるところの描写で申し分ないが、姉の意図が中途半端に開示されたことによる若干の印象ナーフだけでなく、別勢力の登場という”ずらし”と風呂敷広げで終わってしまった。これではやはり消化不良という印象は拭えなくなってしまう。

『泣きたい私は猫をかぶる』および『日本沈没2020』が受賞レベルではない、という点は議論の早い段階で選考委員の意見が一致した。たしかにそれぞれに面白いところはあるものの、突破力という部分でやはり足りない。

 賞の選評という都合上、どうしても言葉が辛口になってしまうが、よくできていた作品の話もしておくべきだろう。2020年の収穫としては『Lapis Re:LiGHTs』と『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』の二作品を挙げておきたい。どちらも思想として通底しているのは「姉が姉であることによって負債を抱え込む必要はない」という現代的なハッピーエンドへの欲求で、姉という従来は(妹/弟を救うために)悲劇性をまとっていた存在に対する批評を伴った答えとして明確に示されている。

 しかし『ラピライ』はそこに至るまでの語りが冗長すぎたのが大きな難点であり、一方で『ニジガク』はたった一話ぶんの尺でじゅうぶんすぎるほどに語り切っていた。特に『ニジガク』は情報の処理があまりにも巧みで、姉描写はまだこんなにも自由であっていいのか、と襟を正したくなる思いだった。具体的にはどういうことか。

 それまでの回では眠ってばかりの怠け者らしき描写で印象づけられていた彼方ちゃんは第7話「ハルカカナタ」の冒頭でアルバイトや家事をてきぱきとこなし、家庭を支えているという最小限の手際で印象の逆転を見せる。しかし一方で妹にとってはしっかりしている姉こそがふだんの姿であり、学校で眠ってばかりいるとは思わない。ここでは姉フィクションでは自然と隠されがちな姉の””秘密””が最初から視聴者に明かされていながら、しかし姉としての存在の””深み””は決して失われていないという超絶技巧が実践されている。この発明は姉描写におけるコロンブスの卵といってよいはずだろう。

『ラピライ』と『ニジガク』ではそのような描写の差が評価に大きく関わっている。結果として『ニジガク』は一気に大賞最有力候補の階段をのぼっていった。ほんらいであればこのまま『ニジガク』の大賞は確定であったかもしれないが、しかし今年はダークホースと呼ぶべきか、あるいは問題作と呼ぶべきか、『アサルトリリィ BOUQUET』の存在があったのである。そうして白熱した議論のすえ、『アサリリ』が大賞となった。おめでとうございます。

 

選評 姉原理主義

 今回の候補作も姉フィクションとして素晴らしい顔ぶれでしたが、賞という運営形態には限界があることを感じた一年でもありました。たとえば「お姉ちゃんに任せなさい」が口癖として広く人口に膾炙している『ご注文はうさぎですか?』も三期の『BLOOM』まで放送されたとはいえ、客観的な評価のタイミングを失ってしまったように思えます。また、この賞の目指す方向性では、姉描写がささやかであるものの佳品であるアニメ、例を挙げるなら『おちこぼれフルーツタルト』や『安達としまむら』、『恋する小惑星』といった作品たちを評価することは難しくなっています。

 そのような観点から、今年はじめて特別賞が設置されたのは一ある種の決まりきった賞レースに対するアンチテーゼ的な、よい傾向だと思われます。特別賞は声優部門賞というわけではなく、姉にまつわるあらゆる事象を評価するための新しい軸ということでつくられました。もちろん読者のみなさんにとっては賛否それぞれあるでしょうが、優しく見守っていただければ幸いです。

 声優・上田麗奈さんは三年間という長期に渡り、『ゴブリンスレイヤー』、『私に天使が舞い降りた!』、『ぬるぺた』、『日本沈没2020』という複数の作品で姉役を務め上げました。前述の通り、特別賞は声優部門賞として発足したわけではありませんが、このようなかたちで姉を評価できることは姉研究の歴史的価値という点でも重要であることは自明です。謹んで賞をお贈りさせていただきます。また今年は『グレイプニル』と『Lapis Re:LiGHTs』の二作で声優・花澤香菜さんが姉を好演しています。受賞には至りませんでしたが、こちらも高く評価すべき、という声があったことをここに記します。

 各候補作品についてですが、『泣きたい私は猫をかぶる』と『日本沈没2020』は他委員の指摘通り、姉アニメとしてはじゅうぶんに力を出しきれていなかったように感じました。姉であることの素材性は両作品にももちろんあったのですが、料理の仕方が姉ではなかった、というべきでしょうか。

 とりわけ『泣きたい~』は姉を描くことで姉の魅力を引き出すわけではなく、姉をサブエピソードとして描くことで弟という存在を浮かび上がらせることに力が注がれていました。そうした間接的な手筋の洗練された上手さは群像劇の脚本家・岡田麿里の真骨頂といえる部分ではありますが、姉アニメという観点ではどこか正解だけを選んでいるパズルのような、機械パーツじみた人工性がかえって浮き彫りになった気配がありました。

 脚本のパズル性・機械的に思えるほどのウェルメイドさは昨年の『空の青さを知る人よ』にも見られた点で、たしかに綺麗にパッケージングされた作品はよいものですが、やはり視聴者としてはそれ以上の、いわば生っぽさを期待したくなる、というのが本心ではないでしょうか。そういう部分に肉薄していたのはむしろキャリアとしては過去の作品のほうに多く、その観点で回帰を望んでしまうファンを軒並み黙らせる作品を書いてほしいというのは高望みかもしれません。しかしポテンシャルは確実にあるはずなのですから、いまはそのような傑作が描かれるのを待ちたいと思います。

日本沈没2020』の姉・歩は中学生という年齢を加味したとしても、人生の先行性や責任性といった従来の姉像を徹底的に排した、じつに能力的にミニマルなキャラクターでした。彼女は常に状況に振り回され、何度も弱音を吐き、傍観者としてありつづけます。積極性や賢さといった部分はむしろ小学二年生の弟・剛のほうが多く持っている資質であり、ここではむしろ、持たざる者としての姉が模索されていたように思われました。

 歩が未来のオリンピック選手の候補でありながら、物語の早い段階で脚に怪我を負うというのは象徴的でした。彼女はストーリーにおいてひたすらに無力な側でいつづけます。そして無力であるからこそ、他者によって支えられ、救われたことに最終的に気づくのですが、それが姉という役割や要素と結びつかなかったのはそこにテーマが置かれていなかったからでしょう。

 テーマとしての扱いの難しさからか、””弱い姉””という観点から描かれる姉フィクションの傑作はなかなか生まれないのが実情です。とはいえその部分を本筋ではないとはいえ、徹底的にミニマルな姉というかたちでやった本作の挑戦は賞というかたちでの評価は難しいところですが、記憶には留められるべきだと感じます。

『グレイプニル』はクラシカルな姉像が使われているという点では、安心して見ることのできる作品でした。異形の姉・江麗奈はどこまでも強く、存在そのものが秘密めいていて、それでいて愛にあふれています。このアニメを見ていて、姉を姉らしくするのは愛のつよさかもしれない、と改めて思うようになりました。そう思わせるだけのパワーがあった作品でした。

 惜しむらくは、この作品じたいがまだ完結していないということでしょうか。序盤を引っ張ってくれた謎も解決しないまま投げられてしまっていますし、全13話のアニメでは真価が問われるまえに終わってしまった印象が残ります。江麗奈と紅愛の姉妹による修一の取り合いといったラブコメ要素も予感させるだけで残念ながら終わってしまいました。

 しかし、異形の姉の姿が不確定のままだった点だけは、かえって魅力を増していたかもしれません。ホラー映画でも敵の正体がわからないときがいちばん恐怖を感じられるように、姉の存在容態がわからないままであったのは、完結していない原作の魅力をそいではならないという製作側の誠実さをあらわしているようでもあります。

 姉の魅力とは、年下との情報格差そのものである、ということは古くから訴えられてきた点です。『グレイプニル』は決して姉作品として新しいことをしているわけではありませんが、歴史的な教条に対するリスペクトのある作品としては、2020年で随一だったのではないでしょうか。とはいえ、魅力を出し切っているわけではない以上、進んで評価するのが難しい作品でした。

『Lapis Re:LiGHTs』の姉・エリザは強権的な、立ちはだかる壁としての姉でした。そのつよさに隠れた優しさがあるという点ではうつくしい姉だったと思います。とはいえ、物語全体に渡ってその強権性だけが強調される脚本になっており、印象として姉のいじわるさのほうが目立っていたのは惜しいところです。できるならその印象の逆転をもっと話数をかけておこなってほしかったところですが、両手では数えきれない大量のキャラクターを抱えるプロジェクトを脚本のマジックだけで解決するのは高難度にすぎたかもしれません。

 最終話で明かされる姉の悲劇性を乗り越えようとするハッピーエンド志向は、前向きでよいものでした。が、前述の通り、いささか急ぎ足すぎるきらいもありました。この悲劇は、むしろこれから長い時間をかけてケアすべき事態であり、それを描いていれば姉作品としてより明瞭に輝いていたかもしれません。じっさい、そこへの予感を以て物語が終わっているのも、製作側がその描写の難しさを理解していたからのように思えます。物語全般に広がっているギャグはよいものでしたし、それと両立するシリアスの重みがあれば……とないものねだりをさせてしまうだけの作品ではありました。結果的に、賞として推すにはいま一歩足りない、というところでした。

ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』はその一話一話が、わたしたちに踏み出す勇気を与えてくれる素晴らしい作品でした。スマホゲームにありがちな大量のキャラクターを抱え込むコンテンツではありましたが、それぞれのキャラクターにしっかりとスポットライトをあてつつ、同時にキャラ同士の細やかな関係も描くというはなれわざで、2020年ベストアニメにあげようと思った人も少なくないと思います。

 姉回としては近江彼方担当回のたった一話ぶんだけではありましたが、それだけでもほかのアニメと同等に扱えるほどの出来でした。家庭的な問題に対して、それまでの平均的なアニメであれば外部の人員が直接的な介入するようなところであっても、『ニジガク』はそうした一時的な解決策をおこないません。非常にぎりぎりのバランスで善後策を見つけようとする、どこまでも現実的で誠実な視点を持っていました。他者へのケアをたんなる物語的な演出の過剰さで解決しない、というのはこれまでの『ラブライブ!』アニメシリーズとはあきらかに異なる質感と方法であり、その挑戦は非常に好感が持てるつくりでした。

 姉と妹の関係も、よりフラットな立場からの見直しをはかっており、これは2020年のフィクションとして誇るべきところではないかと思います。これまでのフィクションであれば姉が妹/弟のためになにかを諦めることはふつうとされていましたが、それはほんとうに望まれるべき関係なのか、と疑義を唱えるのは考えてみれば当然のことです。むしろわたしたちはどうしてこのような発想に至れなかったのか、と反省すら覚えます。フィクションが現実の感覚に対してアップデートをはかろうとする瞬間は時代に制限されるためにごく稀で、姉フィクションともなればなかなか出会うこともかないません。しかし『ニジガク』は誠実さというただ一点でそれをやろうとしてみせました。じゅうぶんに評価に値する作品だと思います。

『アサルトリリィ BOUQUET』は候補作においてもっとも姉を描こうとした作品ですが、同時に選考会で激しい議論を引き起こした作品でもありました。

 作品としては『マリア様がみてる』に代表されるような女子校の姉妹制度を集団能力バトルものに移植しようとする試みで、それじたいはじつにマイナー雑誌連載漫画的なノリであり、その設定の複雑さをすべてテンプレを介したスピード感、およびアニメ演出のクールさで回避しようとする戦略的な作品になっています。演出の時間的配分もかなり気を遣われており、なにがしたいかを確実に視聴者側にみせつける、という点ではむしろ高度にテクニカルな出来の作品ともいえます。

 ここで問題とされたのは、「シュッツエンゲルの契り」という姉妹制度の設定についてでした。姉妹制度は理想的なふたりの生徒の関係を育むためのシステムであり、同時に物語のエンジンでもあります。じっさい『アサルトリリィ BOUQUET』作中でも、未熟な妹を姉が指導し、そのようなイベントの繰り返しによってふたりの関係もまた深まっていくという描写がなされています。加えて、姉の上にもまた姉がおり、より上位の指導者が存在していることで、姉のたましいとでも呼ぶべきものが継承されていく仕組みであるところが魅力となっています。

 しかしこうした在りようはそもそも『マリア様がみてる』によって培われた文化であり、『アサリリ』独自のものではない以上、評価すべきなのは『マリみて』であって、『アサリリ』ではないのではないか、という意見がありました。これは作品解釈に対し、非常に重要な発言だと思われました。ここから『アサリリ』のアイデアの核はどこにあるのか、という点で議論がなされました。

『アサルトリリィ』については、むしろ全体がそうしたコラージュによってできていることこそが魅力ではないか、という意見も出されました。設定はたんに「シュッツエンゲルの契り」といった姉妹制度だけでなく、一人ひとりに個別のレアスキルやユニーク武器が与えられるハードコアなバトルアニメ的側面や、カップリング要素のつよい百合アニメの側面を持つことが総体としての面白さにつながっている、ということです。いささかテンプレすぎる語りもそうした設定や要素の飽和を無理なく受け入れさせるための潤滑油であった、という見方には一定の説得力があるように思われました。

 とりわけバトルもの要素として、バーサーク能力持ちのお姉さま・夢結はその能力同様、精神的にひどく不安定であり、戦いのなかでは彼女を純真な妹・梨璃が支えていくという構図がくり返し挿入されています。こうしたしたたかな姉妹愛は、たんに『マリみて』の要素を組み込んだだけでは生まれるはずがなく、バトルものとして独自の発展をみせようとした結果生まれたマリアージュであることは疑いえないところです。

 設定面が瑕疵ではない、という意見に則るのであれば、『アサリリ』は素晴らしい姉アニメです。それまで一匹狼だったキャラクター・夢結が姉となり、姉としてふさわしい行動とはなにかを考え、妹・梨璃の誕生日に彼女の好物を探し求める第5話「ヒスイカズラ」はそれまで描かれた孤高の姉・夢結様像を打ち崩し、キャラに人間的な深みと魅力を与えてくれました。

 そしてお姉さまのさらにお姉さま・美鈴様は物語開始時点すでに退場しているというのにその存在感はつよく残り、姉の脳裏に焼き付いて離れず、幻覚として幾度となく現れ話しかけてきます。夢結の精神を縛る「死んだ姉」として、彼女のダークさが持ちうる薄暗い秘密は姉という存在のブラックボックス性を強調し、いささか平坦な語りになっていた物語をシリアスなトーンで引き締めてくれました。

 こうしてみると、『マリみて』からの設定の流用についても「もはやゼロ年代ではない」ということがいえそうです。百合漫画の分野でも『カヌレ スール百合アンソロジー』や『私の百合はお仕事です!』がヒットしていますし、過去の遺産の流用について目くじらを立てる時代ではないと考えます。むしろ、積まれてきた歴史をどう活かしていくか、ということについて『アサルトリリィ BOUQUET』はかなり自覚的だったはずで、これもまた『ニジガク』同様に2020年の作品だった、ということではないでしょうか。

 結果的に、大賞候補としては『ラブライブ!虹ヶ咲学園スクールアイドル同好会』と『アサルトリリィ BOUQUET』のふたつが取り合うかたちになりました。

 どちらも作品として甲乙つけがたいところでしたが、単純な面白さであれば一話ぶんで90点クラスを叩き出した『ニジガク』に対し、ワンクールを通して常に60~70点でありつづけた『アサリリ』のほうが総量として姉の魅力を多く出せていたことは否定できません。クールの物語を通じて姉を多面的に描くことができた、という点も加点対象とせざるをえないところがあるからです。

 またなにより、完璧でないという理由で顕彰しないのはあまりにも酷です。『アサリリ』のストーリーテリングにはテンプレをなぞったゆえの軽さがありましたが、だからといって作品の格が落ちるというわけではなく、それゆえの面白さを毎週提供できていたはずです。コラージュ的にイベントの詰まった物語は見ている人を飽きさせず、適度にシリアスさをまとめ、豊かな余韻のある結びまで連れて行く確かな力がありました。優れた作品を賞するための大賞なので、それを評価しないのは本末転倒ということにもなります。

 全体として、素晴らしい作品であり、幸福な体験であり、大賞とするべき作品でした。血のつながりのない相手を姉と呼ぶ文化についても、わたしたちはよりいっそうの理解を深めるべきだと思いますし、その機会をくれたという点で『アサルトリリィ BOUQUET』は2020年を代表する姉アニメになったと思います。おめでとうございます。大賞とさせていただきます。

 


【期間限定】TVアニメ「アサルトリリィBOUQUET(ブーケ)」第1話『スイレン』

 

【2021/1/14追記】あの森へ向かうために 彼岸泥棒a.k.a.見富拓哉(不)完全レヴュー

【追記】(2021/1/14)

 昨年末にこの記事を公開した際、レヴューのできなかった作品について「情報求ム」となかば祈るような思いで書き残したのですが、このたび、とある心優しい方の目に留まりまして(!)、未確認作品について多くの情報(書誌情報のなかった書籍特典やフリーペーパーまで!)を提供していただきました。ほんとうにありがとうございます。ありがとう、インターネット。ずっとずっと大好きだよ。

 以上の経緯から、【追記】というかたちで一部作品の情報を追加しております。ただし上記の経緯があったことをふまえ、記事タイトル「(不)完全レヴュー」の(不)の字についてはそのままとさせていただきます。ご了承ください。

 

 彼岸泥棒a.k.a.見富拓哉とは

 漫画家・イラストレーター。2000年代後半からサークル「彼岸泥棒」名義で自主制作漫画誌展示即売会コミティアを中心に活動。2009年末に月刊IKKI新人賞「イキマン」で受賞し、デビュー。以降、商業誌での活動名義を「見富拓哉」とする。2014年に作家業を廃業し、サークル「新しい水着」および「けむりとほこり」名義での同人活動に注力する。

 ネットなどの情報を整理すると、活動時期は以下のように分かれる。

・第1期:彼岸泥棒時代(2007~2011)

・第2期:見富拓哉時代(2009~2014)

・第3期:新しい水着/けむりとほこり時代(2012~)

 しかし後述するように、長らく商業活動を休止していた「見富拓哉」は2019年にカムバックすることになる。本稿ではそれまでの軌跡を2020年現在までに発表された主な同人・商業作品を可能な範囲でレヴューし、追っていくことを目的とする。そういうわけで同人作品は抜けがあります(会場限定のコピー誌、他者主宰同人誌のゲスト寄稿など)し、商業作品にも抜けがあります(保存していたものが見つからなかったので)。

 文章を読むのがタルい、という人は見富拓哉本人によるイラストアーカイヴ(a new swimsuit: Archive)をみればだいたいよいです。はい、この話題終わり。

 近年の動向についてはpixivFANBOX(けむほこ/見富拓哉|pixivFANBOX)に詳しい。要支援(月額216円~)。

 

『彼岸泥棒集成Ⅰ 樫野先生言行録』(2010年2月)

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 2010年2月発行。現在は購入不可。2008年ウェブサイト「彼岸泥棒」にて発表されていたエッセイ?漫画に描きおろしを加えたもの。ペン入れがなされた状態ではなく、鉛筆(あるいは鉛筆タッチのペン?)で表現されているのが特徴。最初は必ず白抜きの小さなコマではじまり、四角い吹き出し「おはり」で終わることが多い。最後の吹き出しの中身はオチや解説として使われることもある。

 主に描かれるのは先端部の球が浮いている王冠を頭につけた樫野という女の子で、基本的には作者の分身の役割を果たしている。とはいえTNSK氏の高木さんと対等に会話している漫画も存在するため(高木さんトリビュートに寄稿した漫画 - a new swimsuit)、一時期流行っていたオリジナルキャラクター「うちの子/看板娘」的な文脈・立ち位置も含まれているかもしれない。高木さんについては本稿の目的ではないので省く。適当に検索してみなさんの目で存在を確かめておいてください。

 

「樫野先生前置く」(2010年2月)

 書き下ろしの前書き漫画。タイトル通り「樫野先生言行録」の導入となっている。冒頭からコマをぶち抜いた樫野の等身大スクール水着ポップが登場し、それがしゃべっているかのようなコマ割りで読者をミスリードするつくりになっているあたり、漫画の見せ方に自覚的な作者の姿勢がうかがえる。

 しかしその等身大ポップもページをめくると突如登場するジェットモグラによって破壊されるという予測不可能ぶりで、おそらくこの突飛さとシュールさが混在しているのが見富拓哉イズムと呼べるものではないか。最終的に樫野は漫画を飛び出して自身を描いている作者に飛び蹴りを食らわせるため、彼女がメタ的な存在であることがわかる構成になっている。

 

「樫野先生言行録」(2008年7月~11月)

 ウェブサイト「彼岸泥棒」に掲載されたもの。1ページ完結の漫画が14作。作者の生活風景や出来事を日常エッセイふう漫画にした回と、樫野が作者の手によって下着姿にされたり、描写された消失点に吸い込まれたりするメタ漫画回の2パターンが存在し、そのどちらになるかは回によって変わる。

 日常回ではこれといって大きなイベントは描かれないが*1、樫野の表情がキング・クリムゾンのあのジャケットになったり、なぜか古い漫画に出てくるような縦ストライプのトランクスを穿いていたりと毎回シュールなツッコミどころが用意されている。こうしたツッコミどころはのちに樫野自身から作者に抗議が入るメタ回で回収されたりする。

 

「樫野先生言行余禄」(2010年2月)

 ウェブに掲載した「言行録」の1ページ完結のスタイルを引き継ぎ、身辺雑記的な漫画のままであるが、2009年12月に商業デビューを経由したことによって不安が増幅されている。「コミティア→イッキ新人賞→クイック・ジャパン連載(←今ここ)」の流れにクスクス…という声(幻聴)を聞き取った樫野が包丁を振りかざし「今こっち見て『サブカル臭い(笑)』って言ったやつ出てこい!!」と叫んだりと、名実ともにサブカル漫画家になったことに対するアンビヴァレンスな感情が描かれる。

  デビューと短期連載を勝ち取ったとはいえ、作者の抱いていた不安はかなり強烈なものだったらしく、樫野は以下のように発言している。

「皆さーん 知ってますかー。漫画家から漫画をとると 何故か家じゃなくて廃屋になるんですよー。不思議ですねー。」

 のちに作家業を廃業し、商業漫画を発表しなくなった事実と重ね合わせるとどこか予言的な漫画でもあり、言い切れぬほどに切ない味わいを残している。

 

『彼岸泥棒集成Ⅱ 「エラッタ」』(2011年2月)

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 2011年2月発行。現在購入不可。主にコミティアで発表したストーリー漫画を集め、発表順を遡るかたちで収録。ライナーノーツによれば、『集成Ⅰ』と合わせることで、原稿が発見できずに収録を見送った最初のコミティア発表作品「孤独の発明」を除いた彼岸泥棒作品のほぼすべてを俯瞰することができる。

 

「モラトリアムファンタジーⅣ」(2011年1月)

 コミティアではなく、卒業研究の一環として発表された作品。

 作者曰く、「指導教員を含む教授陣の失笑を買った問題の一作」。『集成Ⅰ』に引き続き作者の分身である樫野が登場し、卒業というモラトリアム剥奪に対する不安がコメディテイストでノンストップに語られる。「限りなく学生に近い無職が 唯の無職になるんですよ!!」という樫野の発言には「漫画家から漫画をとったら廃屋になる」と同じ不安が凝縮されている。

 脈略のあるようなないようなシュールなギャグをイラストで提供するという作者お得意の演出(筒の中から筒井康隆限りなく透明に近いブルーレットおくだけ、あずにゃん、時すでにお寿司)はすでに自家薬籠中のものとなっていて、そうした技法はのちの作品でも見出すことができる。

 また見富拓哉を語るうえでは外せないポップな絵柄はこの頃から方向性が明確になって現れている。それまでに発表されていた漫画では違うタッチで描画されているため、商業での経験が作者の作風を変化させたことは想像に難くないだろう。

 

「理科室の雪」(2009年8月)

 月刊IKKI新人賞「イキマン」受賞作品。月刊IKKI2010年2月号に掲載。商業デビュー作。初出はCOMITIA89。

 雪の結晶が見たい中谷と寺田は、真夜中の学校に忍び込み、ラジオの気象放送を聞きながら雪が降るのを待っている。宿直の教師の目をかいくぐり、理科室の備品を使ってふざけ合ったりする、一度だけの短い冒険を描く。

 樫野シリーズを追ってきた側からすると意外だが、ギャグはまったくない。冬の夜のしっとりとした雰囲気が全体を覆い、細部まで描かれた理科室の備品それ自体が放つノスタルジーとストーリー・舞台設定の青春演劇っぽさが際立っている。工業製品を細部までイラストで再現するというスタイルは見富拓哉ワークスでは一貫して重視されている部分であり、それが物語のテイストと一致していることが今作の魅力になっている。作劇や設定の演劇っぽさはのちの作品になるほどに見られなくなっていくが、彼岸泥棒時代の作品はむしろこの系統のほうが多い。

 なお、作中に出てくる新聞の広告欄には「双子座は最下位」や「けむりとほこり」といったのちの活動で登場する文字列が見出せる。

 

 「よそ見ばかりしていると幽霊と目が合う」(2009年5月)

 COMITIA88にて発表。

 女子高生のマミヤユウコはある日、学校の下駄箱に入っている手紙を受け取る。封筒のなかには下着姿の自分が映っている。犯人は写真部部長のヤスハラかと思いきや、そのヤスハラから写真がカメラ目線になっていることを指摘される。ユウコに撮られた覚えはない。「幽霊と目でも合ったのかな……」ユウコは父の遺品のしゃべる露出計とともに犯人探しに乗り出す。

 一言でいえば、学園エロコメディ。鉄道模型やカメラといった物品の細部を描くスタイルは「理科室の雪」と一貫しているが、こちらは終始高いテンションで物語が進む。テイストがエロコメとギャグなのでわかりづらいが、心霊探偵ものでシンプルだが謎解きの要素もあり、ストーリーとして読ませる。

 こちらの作中に出てくるポスターにも「双子座は最下位」の文字列があり、作者にとって思い入れのあるワードであったことが察せられる。また、この「よそ見~」と前作にあたる「ヨックモックの花束」では表紙が岩波文庫のパロディになっている。本作は岩波青。

 

「ヨックモックの花束」(2008年8月)

 COMITIA85にて発表。英題は”A perfect day for JOKKMOKK”。

 男が車で轢いてしまった相手の女の子を口説きつづける、というラブ・ストーリィ。会社に勤めている男が女の子をドライブに連れていき告白することを14pと短いなかで描く。本作にははじめて読んだ読者をうまく引っかける仕掛けがなされていて、それによって忘れられない味を与えてくれる。ヨックモックおいしいよね。

 表現の特徴としては今作のみ登場人物の黒髪をカケアミで表現しており、実作を通して絵柄の模索をしていた時期と推察できる(「よそ見~」の髪は斜線で、「理科室の雪」では黒ベタに落ち着く)。なお、作中に出てくる貼り紙にも「双子座は最下位」という文字列が確認できる。本作のパロディは岩波緑。色の選定基準は不明。

 

「バイタルサイン」(2008年5月)

 COMITIA84にて発表。

 私はあるとき、自分が死んでいることに気づく。彼岸では煙の絶えない火葬場でアルバイトをし、アパートに居候させてもらっている。けれども此岸にいたころの記憶は思い出せない。「何かすごく大事なこと忘れている気がする」。オフビートなテンポで語られる死後の体験。

 死後のバイト先でも給与所得控除の書類やタイムカードがあったりとこちら側(此岸)に似たり寄ったりであるところが笑いどころだが、とある作品と類似してしまったあたり(詳細は後述する)、作者のセンスがうかがえる。唐突に出てくる「絶対押すな」ボタンはのちの作品でも似たような演出として変奏されている点が興味深い。重い話になってしまうところを最後の最後で救う展開になっていて、温かな読後感を残す。

 

『「3」とその他の原稿』(2008年2月)

 COMITIA83にて発表。

 もともと発表するはずの作品が間に合わなかったため、3ページの新刊落ちましたコピー誌とその前後にウェブで発表した1ページ漫画群を合わせたもの。「新刊がおちる瞬間を はじめてみてしまった まいったな」*2

「3」に登場する新刊が落ちたことに「嘘つき…」と泣いている女の子はおそらく「バイタルサイン」の”私”と思われる。スカートの色は違うものの、カーディガンやリボンはおなじ。この時点ですでに構想はあったと思われる。また、作者の分身は樫野ではなく顔面が鳥かごになっている人間で、後半の1ページ漫画群になってからようやく樫野らしき存在(まだ名前はついていない)が登場する。コマ割りについては、1コマ目を白抜きにしていることなど、樫野シリーズの形式の原型を見ることができる。

 1ページ漫画には『アオイホノオ』の焔燃らしき人物(おそらく見富拓哉本人)が『それでも町は廻っている』2巻を読んで自作「バイタルサイン」との類似点に気づき、匿名掲示板に「彼岸泥棒の新刊 それ町のパクりじゃね?」と書き込むことで自サイトへのアクセス数を大量に稼ぐという回がある*3

 

「斬新すぎるラヴ」(2007年11月)

 COMITIA82にて発表。英題は”The Last Frontier”。

 夜の路上に寝ている少女に男が声をかけ、そのまま夢で犬を殺すことについて語り合う、というこれといったストーリーはない8p漫画。確認できるかぎり最古の作品。タイトルと作品内容に深い関連性はない。

 薄幸そうな少女が一息に語りつづける姿はどこか殺伐としていて、絵柄も含め現在とはだいぶ離れている作風。しかし夜のしんとした雰囲気はこの頃から得意としているし、会話劇に関しても気のきいた台詞を入れようと意識していた節があり、この方向性を一作ずつ深めていく前の姿が見てとれる。

 また、多くのウェブサイトでは2008年から彼岸泥棒として活動していたことが記載されているが、『エラッタ』によれば本作は2007年の発表となっている。どちらが時系列として正しいのかは不明*4

 

「Bのてほどき」(2010年2月~4月)

 『QUICK JAPAN』vol.88~90に掲載。10p×3回の短期集中連載。

  公太郎は数年ぶりにフーコと再会する。ボタンに対するトラウマ(恐怖症)を抱えている公太郎は学生時代付き合っていたフーコとBをおこなうところでブラウスのほつれたボタンを見てしまい、その先に進むことができなかった。数年ぶりに会い、酔ったふたりはラブホテルに向かう。公太郎はボタンを外すことができるのか。そしてふたりの「Bのてほどき」がはじまる。

 工業製品に対するまなざしはやはり本作でもしっかり存在しているようで、第二話(第2ボタン)ではボタン工場が登場する。また同時に、作者の生活圏にあるものを意識的に描こうとする態度は今作の時期から垣間見えてくる。喫茶室「ノレノアーノレ」*5やチャッカマンを使って煙草に火をつける行為、ワンカップ酒。どれも些細なアイテムであるが、キャラクターの存在を現実のわたしたちと紐づけることに貢献している。

 短いページでの連載だったためストーリーそのものに複雑さはないものの、彼岸泥棒時代から深めてきた作風(キャラクターの日常芝居動作、工業製品へのまなざし、突飛な設定、コメディ、愛)を一作ですべて賄っている。見富拓哉が見富拓哉として本格始動したことを告げる一作。

 

「ゆうとねおのコンテク!」(2010年6月~)

 コンテクチュアズ友の会*6会報『しそちず!』#6から掲載。のちにリニューアルした『ゲンロンエトセトラ』に移籍。連載終了時期不明。

 冊子のクローズドな流通事情により筆者は手に入れることができなかったが、しそ卯の看板メニュー「構造と力うどん」というギャグが存在している情報だけはネットの海で拾うことができた。このアクセルの吹かし方は間違いなく見富拓哉イズム。

 

「双子座は最下位」(2010年10月)

電撃大王GENESIS (ジェネシス) 2010年 12月号 [雑誌]

電撃大王GENESIS (ジェネシス) 2010年 12月号 [雑誌]

  • 発売日: 2010/10/19
  • メディア: 雑誌
 

 電撃大王GENESIS』 2010 AUTUMN(12月号) に掲載。読み切り。

 少女が憧れの先輩に告白しようと思い立ったその日、テレビの占いコーナーで双子座の運勢は最下位に。椅子の脚が折れる、鳥に朝食をもっていかれる、毛虫に襲われる、彼女に襲いかかる苦難は数知れず。彼女は無事に先輩に告白できるのか。「魅惑のアンラッキー・コメディ」。

「よそ見~」以来のハイテンション(?)な作品。『エラッタ』では「よそ見~」の経験が「双子座」の執筆に生かされたと語られているが、むしろその方向に親和性があり生かされたのは樫野シリーズの身もふたもない日常風景をそのまま描いてみせるセンスで、それによって「双子座」は見富拓哉にしか描けないポップでシュールな味に昇華されている。とりわけ全ページにわたって登場する視覚的にもにぎやかな擬音の数々は以降の見富コメディ漫画における特徴のひとつであるとじゅうぶんにいえる。

 なお、作中の登場人物が読んでいる雑誌の広告欄にある「ASAHIKAWA DENKI KIDŌ」の文字は「よそ見~」に登場するポスターにも描かれている。

 

スカート『ストーリー』CDジャケット(2011年12月)

ストーリー

ストーリー

  • アーティスト:スカート
  • 発売日: 2011/12/15
  • メディア: CD
 

 澤部渡による音楽ソロプロジェクト、スカートのCDジャケット。

 イラストレーター・見富拓哉ワークスとしては最も知られている作品のひとつ。見富らしく細部まで描き込まれた工業製品たちが箱のなかをひっくり返したかのように飛んでいるのが最大の特徴。さりげなく快楽天も描かれている*7

 本作は見富拓哉について考えるうえでは欠かせない立ち位置にある。というのも描かれているものがみな作者の興味関心のなかにあり、それらのイラストはいわば意識の標本としての役目を果たしている、ように思われるためだ。今作の時点において、煙草、歯ブラシ、錠剤といった生活用品の横溢はあくまでジャケットの意匠としての要素しか持たないが、のちの作品においてそれらの物品たちはキャラクターの持つ生活感や実在感、つまり生々しさとして機能するように変化していく。

「Bのてほどき」でのチャッカマンの使われ方や「理科室の雪」に登場する備品たちが細部まで描かれたことで物語に質感と奥行きを与えていたことを思い出してほしい。見富は今後、その日用品の持っているイラストとしての強度をさらに高めていく。

 その意味で、このジャケットイラストはいわばのちに発展をみせていく見富ワークスの里程標として見ることができる*8

 また、このイラストはCDが版を重ねるごとに描かれている物品が追加される仕様(!)で、ファンのあいだでは改版ごとになにが増えたかを調べるのがひそかな楽しみとなっている。見富のツイートでは、2016年の時点で5版とのこと。ジャケットの全体像もツイートの投稿から確認することができる。

  スカートとの交流はかなり深いものになっているらしく、これ以降も主催イベントのフライヤーやコミティアで頒布したCDのジャケットイラストを担当している。後述する漫画の題材にもなる。

 以下はその仕事を列挙したもの。

スカート『ストーリー』 /発売告知フライヤー 装画・デザイン 2011年 12月15日... - a new swimsuit(2011年)

スカート Presens 第三回 月光密造の夜 /フライヤーイラストレーション(デザイン 森敬太) ... - a new swimsuit(2012年)

スカート Live At Shibuya WWW “月光密造の夜” /装画, デザイン,... - a new swimsuit

(2012年)

スカート Presents 第四回月光密造の夜 於 Shibuya WWW 2013年... - a new swimsuit(2013年)

COMITIA 104 : スカート オフィシャルサイト(2013年)

スカート Presents 出張版 月光密造の夜 /フライヤーイラストレーション(デザイン 森敬太)... - a new swimsuit(2014年)

http://natalie.mu/comic/news/141129 - a new swimsuit(2015年)

スカート、ミツメ、トリプルファイヤーがカバーし合う限定コンピ『密造盤』 - 音楽ニュース : CINRA.NET(2017年)

COMITIA 99 – 106 : スカート オフィシャルサイト*9(2017年)

  

じん「日本橋高架下R計画」MV(2012年4月)

vimeo.com

  2012年4月にニコニコ動画で発表された楽曲のMV。見富拓哉は絵コンテと演出を担当した。キャラクターデザインはのちの文尾文(当時の名義はname)。監督は細金卓矢(アニメ『四畳半神話大系』のED製作に参加など)。

 一分半にも満たない映像のなかに、これでもかと視覚的なアイデアが詰められている驚異的な一作。どこまでが細金のディレクションの賜物なのかはわからないが、映像的に気持ちのよいタイミングで映えるものをひたすらに展開しつづける、というのは細金側の持ち味と思われる。具体的な作例としてはUGUISU on Vimeo*10。インタビューでも細金は「テンポやリズム感は僕が最初にタイミングを切っています。」と発言している*11

 といっても見富拓哉の作風がディレクションによって損なわれているというわけではなく、冷蔵庫のなかから撮ったような構図は「よそ見~」にも登場していたし、全体的に「モラトリアムファンタジーⅣ」に見られた無秩序なギャグのテンポがそのまま映像になっているという印象がある。見富の得意としているヴィジュアル的なアイデアと引用センスの要素がMVという形式でいかんなく発揮されたのが今作といえるのではないか。くり返し見ずにはいられない、という点で素晴らしい出来。

 

【追記】「ポストテリテカ繁盛記」(2012年5月)

 COMITIA100にて発表。テスカトリポカ出版「黒の太陽」52号に掲載。4コマ。2p二色刷り。テスカトリポカ出版 - 黒の太陽<52号>の紹介ページでは「テスカトリポカ繁盛記」となっているが、作品本文では「ポストテリテカ繁盛記」。

 4コマ×3話と短いが、ひさびさの樫野登場による近況漫画となっている。どの回でも樫野は睡魔に襲われるか、自ら睡眠することを選択するというくり返しネタが効いている。樫野漫画のゆるくもクスリと笑えるテンションは相変わらずで、「おはり」の文字も見出せる。イラストでない見富ワークスとしては二色刷りはめずらしく、その点でも目にあたらしい感触がある。二色刷り版ではないものの、一部抜粋が黒の太陽 52号『ポスカテリテカ繁盛記』より - a new swimsuitで読める。

 

追記あり】「バンドをやってる友達/Nearly Equal」(2012年5月)

 COMITIA100にて発表。サークル「新しい水着」名義での活動? 見富拓哉/彼岸泥棒名義(2019年第三刷時点にて確認)。現在入手不可。

 筆者は入手していないので詳細は不明だが、音楽マンガガイドブック (音楽マンガを聴き尽くせ)で紹介されているとかいないとか。まるで見富拓哉本人のような僕とスカートなようなバンド「スパッツ」のワタナベ君との交流を描いたものらしい。おそらく見富にとってもメモリアルな一作で、界隈では傑作との呼び声が高い。情報求ム!

【追記】

 かなりミニマルでシリアスな作品。見富漫画としては例外的に、表紙以外には女の子は主要キャラとして登場しない。「僕」と「ワタナベ君」のふたりの話だけで物語は完結している。

 詳しい経緯は覚えていないものの、バンドマンのワタナベくんと知り合った僕は漫画の話(マイナー月刊誌からロリコン成年漫画まで)で意気投合するようになり、互いの作品や活動を介して親しく付き合うようになる。しかしあるときからその関係が前提していたものに僕は気づくようになり、やがてその前提が崩れたとき、ふたりは関わらなくなってしまう、といった苦味を伴うお話。

 現在のスカート澤部氏の活動を予言するかのような内容と、それと対比されるように畳みかける後半の鬱屈したモノローグが痛々しく響く構成になっている。そうまで読者を痛く感じさせてしまうのは、おそらく前半部のエロ漫画談義のディティールがあるからで(彼らふたりはエロ漫画家の関谷や宮内(由香?)の話をあたりまえのように楽しく交わす)、そのような優しい関係を後半部の黒塗りのコマと言葉が圧倒する。そしてそれが過ぎ去ったとき、またひとときの優しい時間が流れ出し、しずかな余韻を残す。

 前半部の見どころはほかにもあり、なによりワタナベ君がバンドでステージに立っているところを目撃する一連の流れがその筆頭であるものの、そのあとのふたりの「前提」に気づく瞬間のコマに意図的に置かれている「空白」と「影」が強烈な説得力で読者を打つ上手さがある。そういう点で、今作はかなりシンプルな絵にもかかわらず技巧が凝らされている。

 とはいえ本作は決して例外作というわけでなく、見富ワークスではおなじみの「ルノアール」が登場しているし、「スパッツ」がライヴで共演している「喪中キッズ」「亀と万次郎」はそれぞれ見富がフライヤー「月光密造の夜」を手掛けたさいの共演者「昆虫キッズ」と「カメラ=万年筆」のもじりだったりする。ギターケースを背負ったワタナベ君が「COMIC ZIN」の袋を持っていたりするのもモデルの人物の細部を知っているがゆえの描写であろうし、全編に渡り、見富の観察者としての側面がそのまま漫画になっていることを改めて理解できる出来となっている。佳品。

 

人類は衰退しました のんびりした報告』(2012年7月) 

人類は衰退しました のんびりした報告 (IKKI COMIX)

人類は衰退しました のんびりした報告 (IKKI COMIX)

  • 作者:見富 拓哉
  • 発売日: 2012/07/30
  • メディア: コミック
 

  初出は月刊『IKKI』2012年1月~2月号、4~7月号。田中ロミオ原作。電子版有。

  見富拓哉唯一の刊行された著作。アニメ放送のタイミングで刊行されていたため、知っている人も多いのではないか。見富作品では最も手に入れやすく、流通している作品。

 未来、科学技術を失ってしまった人類の代わりに新しい人類(妖精さん)が台頭し、ふたつの人類の橋渡し役、すなわち調停官として仕事をする「わたし」の物語が描かれる。

 原作付きのコミカライズであるが、巻末の原作者コメントを読む限り、ストーリーはすべてオリジナルと思われる。妖精さんのデザインもアニメとは違う独自のもので、原作の持つひっちゃかめっちゃかなテンションではなく、オフビートでささやかで、すこしふしぎな日常が展開されるのが最大の特徴。それでいて見富らしい品々へのまなざしがじゅうぶんに楽しめる作品になっている。文明崩壊後のどこか寂寥感のある風景と見富の絵柄の相性がよいことを示したという点でも歴史的に重要だと思われ、この絵そのものの持っている雰囲気が読者につよい印象を与えるという点では、次作「うっかり寝過ごして月へ」が最小の労力で最大の効果を発揮している。

 物理書籍版にはとある仕掛けがあって、穴あきになっている表紙カバーをはずし、反対向きに(本体裏表紙を表紙カバーのタイトル側で)覆いなおすとメッセージが浮かび上がるようになっている。遊び心満載の本であるが、この仕掛けを知っている人はなぜかすくない。

 また、巻末には執筆でグロッキー状態になったと思われる樫野が描かれている。

 

【追記】『けいおん! college』おまけリーフレット(2012年9月)

 COMIC ZINの特典として配布。詳細はCOMIC ZIN -コミック・書籍インフォメーション-に。見富は4pのうち1pを担当。

「モラトリアムファンタジーⅣ」でもゲスト登場(?)していた中野梓をフィーチャーした『college』&『highschool』宣伝ギャグ漫画。バラエティ番組のノリを使うことにより(たぶん)お気に入りのキャラを水着姿に変える&可哀想な目に合わせるマジックがたった1pでありながら光っている。現在ではすっかりあずにゃんの持ちネタというかネットミームになってしまった「やってやるです」の言葉を流用したりと愛が細かい。

 

「うっかり寝過ごして月へ/replicable anxiety」(2012年11月)

newswimsuit.jp COMITIA102にて発表。サークル「新しい水着」名義。見富の同人活動では唯一ネット上で閲覧することができる作品(上記のTumblrから読めるので読んでいただきたい)。

 終始にわたって次の一瞬が予測できない見富イズムで構成されているのだが、しかしそれだけではない。以前の作品ではギャグとして使われていた○○(「だめ!!!! それ以上口にしたら……」)がたしかな描写としてそこに合致することでふたつとない味わいを残すかたちに昇華されている。初期作から一貫している夜のしんとした雰囲気も堂に入った様子で備わっており、間違いなく2012年における見富作品の達成点であり、まぎれもない傑作。

 再度いいますが、説明文を読んで本編を読んでない人は上記のTumblrから読んでください。

 

「おどろきもものきアインクラッド!」(2013年2月)

 『4コマ公式アンソロジー ソードアートオンライン②』に収録。8p。

 原作にあたる川原礫『SAO』を読むか見るかしていなければまったく内容がわからないので注意。内容としてはアインクラッド編が中心。

 ギャグメインの4コマだが、ここにもはっきりと見富イズムが息づいている。武器と関係のない謎のアイテムばかり鍛冶錬成するリズは前作「うっかり寝過ごして月へ」のハンバーガーのくだりを思い起こさせ、見富にしてはめずらしく複数回にわたり天丼が使われているのが特徴。アンソロジー参加作品のため見過ごされがちだが、見富流に可愛くデフォルメされたキャラクターばかり読むことができるという点で貴重な一作。

 

「かわ・いい・きもち」(2013年5月)

www.melonbooks.co.jp

 COMITIA104にて発表。サークル「新しい水着」花森川瀬名義。For Adult Only 現在入手不可。

  雨の日の翌日、エロ本を探す少年たちの前に河童が現れる。河童はなぜかスクール水着を着た女の子の姿をしていて、少年たちと相撲をすることで尻子玉を出そうとする。運が悪ければ死ぬかもしれない相撲に、少年は挑むこととなる。

 おそらく見富初の成年向け作品で、内容としては表紙から想像できることがだいたい描かれている。そういう意味では王道のエロかもしれない。素人目にも気合いを入れている作品ということが伝わってくる出来で、見富の作風がこちらの分野でも花開いていたということを知るうえでは資料的価値もある一冊。

 

追記あり】『世界は制服でできている』(2013年6月~)

 アオハルオンラインに掲載*12。しかし、3話まで連載されたところで掲載誌が廃刊。ページも消失したため、2020年現在閲覧不可。廃刊後に作者がPDFデータを配布していた気がするが、筆者の記憶違いかもしれない。名実ともに幻の作品となった。

 詳細は見富拓哉の制服コメディ、アオハルオンラインで公開 - コミックナタリーに。制服を欲しがるダメ男とその手の人々に人気の制服を着ている女の子の織り成すコメディで、話が広がっていく前に連載が終了してしまったという記憶がある。作者の興味・関心(あるいはフェティシズムか)が漫画のテーマにここまで前景化することはこれまでになく、作者としては本領を発揮する、あるいは新境地に至ることのできる題材だったはすなのだが、それ以上の細部は2020年の筆者には思い出せない。ごめん、みんな――。

  アオハルは10年代前半、ジャンプレーベルでありながら位置原光Z山田穣、ソウマトウ、三島芳治といった漫画家を抱えて稀有にとがっていた雑誌で、その連載がどうにか終わったりまとまって刊行されたりしたのち一部は楽園へ向かい、トーチで日々の糧を得、エロ名義に戻るなどした。いまではソウマトウが残るばかりである。いやそんなことはないけど、うさくんとか室井大資とかいたし、うぐいす祥子も。たしかにラインナップはすごかったけどほんとなんだったんだろうね……。不思議な雑誌だった……。

【追記】

 清涼院学園の理事長の血縁である穂波智恵は不良になって退学になることを決意する(具体的には学校帰りにゲーセンに寄ったりバーガーショップで買い食いしたりするなど)。一方、昼間からブルセラショップで制服を買いあさっている塾講師の男・牧。このふたりが出会い、制服にジュースをこぼすことから物語ははじまる。

 物語はその冒頭が描かれたのみで途絶してしまったが、見富流のノンストップ系ギャグと会話のおかしみにあふれている(会計支払いを「実弾? エネルギー弾?」と聞かれて「オ…オーラパワーで」ビビビ…と12回払いするなど)。

 作品本体ではなく周辺の事情から結果的に見富の代表作とはならなかったものの、題材からして、決してほかの作家には描かれることのない領域に向かっていた漫画だったのではないか、と思わずにはいられない作品。

 

「それを脱ぐなんてとんでもない!」(2013年8月)

 COMITIA105にて発表。サークル「新しい水着」花森川瀬名義。For Adult Only 現在入手不可。

 田舎の防具屋で布切れ装備を手に入れた女の子たち(バニーガール姿とマイクロビキニ姿)が可愛そうな目に合う話で、わざわざ彼女らに年齢を発言させているあたり、作者のつよいこだわりが感じられる。

 女の子たちが男に殴られ捕まるところで「というようなマンガになる筈だったのですが諸般の事情よりダイジェストでお楽しみください」という「●お詫びとお知らせ●」が挿入され、以降はイラストに台詞を入れた形式でストーリーが進む。途中のコマにも「絵が入る予定のコマでしたが諸般の事情により空白となりました。左ページと合わせてメモ欄としてご利用ください。」と「●お詫びとお知らせ●」が挿入されており、性描写とともに謎の「-memo-」コーナーがあるという不思議な味わい。しかし諸般の事情でさえも見富イズムによって装飾することができることには驚かされる。

 ゲスト2pははら(pcp.hara - pixiv)。こちらでもビキニ姿が描かれている。サークル「新しい水着」の追究しようとした方向性がうかがえる。

  

「それをすてるなんてとんでもない!」(2014年10月)

コミック電撃だいおうじ vol.14 2014年 12月号 [雑誌]

コミック電撃だいおうじ vol.14 2014年 12月号 [雑誌]

  • 発売日: 2014/10/27
  • メディア: 雑誌
 

 『コミック電撃だいおうじ』vol.14 2014年12月号に掲載。読み切り。

 読んだはずだが、保存していたものが見つからないので詳しいレヴューは省きます。ごめん、みんな――。

 詳細は見富拓哉、だいおうじでゲーム女子ダラダラ話 - コミックナタリーに。女の子たちの可愛らしくダメダメな日常を切り取ったコメディになっていた記憶で、見富が掲載誌の色を解釈したことで生まれた作品という印象だった。

 見富拓哉としての商業活動は、おそらく本作を以ていったん終了し、以降は「新しい水着/けむりとほこり」名義での同人活動期となる。その主な活動場所は『アイカツ!』の二次創作である。

 

「AM2:00 / Girls Talk About」(2015年2月)

kemhok.fanbox.cc

 芸能人はカードが命!6(アイカツ!シリーズオンリーイベント)にて発表。サークル「新しい水着」けむほこ・花森川瀬名義。コピー誌。現在はpixivFANBOXにてデータ入手可(月額540円~のプラン)。

 深夜、学生寮のランドリーで霧矢あおいが洗濯をしていると、そこに星宮いちごがやってきて、さらに紫吹蘭が合流する。洗濯物が乾くまでのあいだ、三人は学校の敷地を出て、どん兵衛を求めコンビニへ向かう。

 夜という見富拓哉が得意としている世界を、二次創作でも雰囲気たっぷりに描いている。しかし以前の作品にあった寂寥感はまったくといってよいほどになくなっている。これまでの作品であれば黒ベタで済ませられていたであろう夜空には白が散り、星の瞬きが見えている。これはアニメ本編でも印象的に星が描写されていたためか。

 本作が特徴的である点は、二次創作というかたちを取っているため、コメディでもシリアスでもない、キャラクターのなにげない日常風景を切り取っているというところにあるかもしれない。そこでは物語の目的といったものはなく、作者の筆もどこかその自由さを楽しんでいるようでさえある。

 ここにおいて、見富の漫画はキャラクターの存在そのものを楽しむという二次創作の精神に貫かれている。洗剤や柔軟剤、インスタント麺のパッケージが丁寧に描かれ、その世界の実在性を高めている点はこれまでの見富作品と変わらないが、しかしそれが見富本人によるものでないキャラクターの存在に奉仕していることで、また違った印象を与えている。

 また、こうした二次創作を通して検討されていくキャラクターの存在に対する距離感は、以降、意図したかどうかは定かでないが、見富がより深めていく表現となっていく。

 

「いい日 / SlowRider」(2015年7月)

kemhok.fanbox.cc

 芸能人はカードが命!7で発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。コピー誌。現在はpixivFANBOXにてデータ入手可(月額540円~のプラン)。

 霧矢あおいが仕事を休み、総武線の各駅停車に乗り、星宮いちごと紫吹蘭と会い、三人で市ヶ谷の釣り堀に行き、すしざんまいに行く話。

「AM2:00 / Girls Talk About」で語られていた「ユリカちゃんが献血行ったときの話」をここでも星宮いちごがしていることから、前作とつながっている話と思われる。前半部分を占める霧矢あおいのモノローグはどこか寂しげだが達観している部分があるのが印象的で、それがソレイユ*13のメンバーであるふたりの登場によって崩される。結果的にそれが「いい日」という肯定に向かうことが素晴らしい。ソレイユはやっぱ三人であることが大事なんだよな……(輝きに包まれながら)。

 作者の周縁部を漫画として表現していく見富拓哉ワークスとしては、キャラクターと「中央線の快速」や「総武線」といった固有名詞がつながりを持っていることが独特の感触を生んでおり、これはおそらく東京住まいであればより効果的に響く描写であると思われる。

 

追記あり】「たびのしたくEP. /Cantrip」(2015年10月)

 芸能人はカードが命!8で発表? サークル「けむりとほこり」名義。コピー誌。現在入手不可。

 情報皆無!急募!情報提供者!

【追記】

 海外の旅行番組を見たソレイユが旅行をしようとする。でもお話は準備段階だけ! というコンセプトの漫画。しかし原稿が間に合わなかったのかどうなのか、途中で途絶しており、描けた部分まで掲載している。とはいえ次回の芸カで旅行漫画になった経緯を含めるとオチがつくというか、予言的で面白い。相変わらず仲の良いソレイユが見れるのでうれしい。おなじみのルノアールも登場して二倍うれしい。

 ゲストはたけし(竹原)(たけし (@chikuchikusuru) | Twitter)、今後(いまご (@imago108) | Twitter)、LM7(LM7(@__LM7__)さん | Twitter)。

 

「exotica」(2016年2月)

www.melonbooks.co.jp

 芸能人はカードが命!9にて発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。現在はexotica|けむほこ/見富拓哉|pixivFANBOXでデータ入手可(月額1080円~のプラン)。

  見富本人の香港旅行経験をソレイユ三人の旅行として描く4コマ漫画。現地に行った人間でないと絶対にできない話に満ちており、しかしそれがアイカツのキャラクターを通して語られるのがどこか楽しい。

 4コマ漫画はおそらく『SAO』アンソロジー以来となるが、ページ数の制限などがないためか、旅のしたくからはじまっていくという余裕のあるつくりでじっくり読ませる。話が4コマ1セットで完結せず、複数の4コマを通して大きなストーリーが語られていく、というスタイルはまんがタイムきらら以降世代のわたしたちにとってはあたりまえのことであるが、驚くべきはそのスタイルを見富が学習し、高いクオリティで提出していることではないか。

 今作では、たんに個々のエピソードの具体性だけでなく、雑誌であれば扉イラストにあたる部分が幾度となく描かれている。見富が得意とする細密かつポップなイラストが舞台となる香港の風景を描写することに活かされ、それによってストーリーや舞台を魅力的に提示することに成功している。つまり、連載4コマの形式を作者が自覚して効果的に利用している。

 二次創作というキャラクターのバックボーンが存在する分野ではあるものの、タイトルの通りエキゾチックな内容もじゅうぶんにあるためか、「女の子たちが香港旅行をしてくる話」として原作を知らずとも読むことのできる作品になっている。

 

【追記】無題(芸カ9フリーペーパー)(2016年2月)

 芸能人はカードが命!9にて発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。現在入手不可。

「exotica」発表と同じイベント内で配布した無料ペーパー。「健全なまんがを描いた反動で急にスケベ絵が描きたくなったので」という言葉の通り、えっちな霧矢あおいちゃんのイラストが数点描かれている。ふつうに18禁イラストなので注意が必要だが、後述のイラスト集にも収録されておらず、会場でサークルを訪れた人のみが手に入れることのできたという点で貴重な作品。

 

「a girl like you 森へ往く方法/森から出る方法」(2016年12月)

www.melonbooks.co.jp

 コミックマーケット91にて発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。現在は

a girl like you [Delux Edition]|けむほこ/見富拓哉|pixivFANBOXでデータ入手可(月額540円~のプラン)。

「森へ往く方法」と「森から出る方法」の2話構成。同人誌の扉にあたるページには「君が本当に 消えて いなくなって しまう前に」という強烈な言葉が配されており、各話の前にはポップソングのような歌詞が置かれている。歌詞のなかで語られる「森」や何度でも繰り返すことのできる「夏のレプリカ」「不出来な冬のデュープ」といった言葉はそのまま本編のなかで見えないテーマとして重なっていく。

 物語としては大きなイベントはない。「けむ」と呼ばれる男(不在票には「けむほこ」様と書かれている)と彼と一緒に暮らしている女の子のささやかな生活風景がゆったりと語られていく。彼らは同棲しているらしく、お互いにべつべつの銘柄の煙草を吸い、夜中に洗濯機を回したりする。女の子のほうは飲んでいた酒類の容器を捨てずにため込み、ロゼット洗顔パスタで顔を洗い、メディキュットで脚をシュっとさせようとし、日高屋でビールを飲む。

 しかし、そのような生活描写とは反対に、本作は喪失をめぐる物語として描かれている。「森へ往く方法」の冒頭部は次のようなモノローグで成り立っている。

 私たちは

 冬になると 夏の暑さなんて 忘れてしまって

 夏服を仕舞い込んで 厚手のセーターを 引っ張り出すみたいに

 新しく作られた 細胞組織たちが 少しずつ傷跡を 覆い隠していくように

 そのうちきっと 何を思い出しても 何も感じなくなってしまう

 そういう 生き物なので――

 TVアニメーションアイカツ!』は全178話と劇場版からなり、2016年3月にその本放送を終えた。次週以降、同時間帯ではキャラクターや設定を一新した『アイカツスターズ!』が放送された。

 2016年夏に公開された『劇場版アイカツスターズ!』と同時上映された『アイカツ!~ねらわれた魔法のアイカツ!カード~』において無印アイカツのキャラクターはおよそ30分間のカムバックを果たしたが、2016年当時、アプリゲーム『アイカツ!フォトonステージ!!』*14を除いて、キャラクターたちの現在進行形での動向を知ることはできなくなった。

「a girl like you」に登場する女の子は『アイカツ!』の登場キャラクター、霧矢あおいちゃんによく似ている。シュシュでまとめた癖のある髪をサイドテールにしているその特徴的なスタイルは、まあ実質的に霧矢あおいちゃんなのであるが、しかし、彼女の名前は作中で明確に一度も呼ばれることはない。「森から出る方法」では、けむから受けた電話に対し、「彼女」はこう答える。

「え? 何言ってんの?

 どっかってどこ? うーん?

 うん うん

 大丈夫だって どこにも行かないから」

  そしてモノローグは「あの森」について語り、締めくくられる。「そしてその森は 多分きっと―― 少しだけ 君に似ている」。本作は見富拓哉と『アイカツ!』、そしてやがて失っていくであろう季節、森、なにより「君」とのパーソナルな領域に踏み込んだ一作といえる。

 また、本作で女の子が着ているコートは彼岸泥棒時代の作品「斬新すぎるラヴ」やクイック・ジャパンの連載「Bのてほどき」でそれぞれヒロインが着ていたBarbourのオイルドコートとデザインが酷似している。自分、泣いていいすか。

 

【追記】unmade Bed 森へ続く道の途中で(2017年2月)

 芸能人はカードが命!12にて発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。会場限定(在庫状態は不明)。

 見富曰く、「a girl like you volume1.1」*15。芸カ13ではキット販売だったらしく、Tumblra new swimsuit)で製本の手順が指示されている。完成図は以下のリンクのようなイメージ。読めるページの裏側に大きなソレイユの水着イラストが載っている。

「a girl like you」シリーズのナンバリングじたいはこれがはじめてで、同人誌本体にはナンバリングの記載はないものの、表紙のデザインや霧矢あおいちゃんのイラストの背景に言葉たちが並ぶイラストなど、前作からの一貫性を保っている。見富の身辺を彩るアイテムや、あおいちゃんが着ているお鍋のニットへの言及をはじめ、コートがBarbourであることなどが明確に記されており(やっぱりそうだった!)、シリーズの裏話的な側面がつよい。ここで描かれているイラストは、後述のイラスト集への収録が見送られているため、本作でしか見ることができないので貴重である。

 タイトルの「森へ続く道の途中で」は菊地成孔のユニットSPANK HAPPYの同名曲からか。各位できれば歌詞を検索していただきたいところ。

 

「K/M/H/K ILLustrations late 2014 - early 2018(a girl like you 1 3/5)」(2018年3月)

www.melonbooks.co.jp

 芸能人はカードが命!15にて発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。現在入手不可だが、収録イラストの多くはa new swimsuit: Archiveから見ることができる。

 タイトルの通り、カラーイラスト集。すべて無印『アイカツ!』のイラストで構成されており*16、前作「a girl like you」と関連したタイトルからもわかる通り、その大部は霧矢あおいのイラストで占められている。

 見富拓哉の興味・関心が一貫していると感じられるのは霧矢あおいのブルマや下着、水着姿が描かれていることで、その一部は「ワイレア出版の思い出①~③」と題されている。アダルトな出版社のため検索しようと思ったひとは注意。ほかにもサークル名とおなじタイトルの「新しい水着」というスクール水着姿の霧矢あおいなどがあり、見富は彼女をある種のミューズとして捉えていたのではないか、とも勘繰ることもできる。

 同人イラスト本としてはめずらしくレイアウトがかなり凝られており、単純にイラストを切り貼りしたのではない点で目に楽しい、満足度の高い一冊。塀先生の名著「MAISON HEY 2016 Resort」*17と並べてお仏壇に飾ろう。

 

「覚えのない不在票/誤配を待つ怪文書(a girl like you, volume 1.96)」(2018年7月)

 芸能人はカードが命!16にて発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ(見冨拓哉)名義。現在、画像データは20180803/怪文書|けむほこ/見富拓哉|pixivFANBOXで閲覧することができる(aiデータは月額540円~のプラン)。

 アイカツ二次創作の名を借りた見富による怪文書もとい身辺雑記。実質的なお詫びペーパー。文脈的に刊行当時のFANBOXの投稿を見ていないと話題についていけないつくりになっているほか、見富がツイーンピークスリターンズをWOWOWで見つつ、二次創作ではなくオリジナルを描こうとしていることがうかがえる。実質的な見富拓哉カムバックの予告編。これがどういう意味を持つかについては後述する。

 イラスト部分としてはメディキュットを着た「彼女」とサクレが描かれている。

 

 「曖昧な熱帯夜/鮮明な蜃気楼 a girl like you volume.2」(2018年11月)

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 芸能人はカードが命!18で発表。サークル「けむりとほこり」けむほこ名義。現在通販在庫あり(いつまでもあると思うな同人誌)

 けむと「彼女」の交流を描く「a girl like you」の続編。「曖昧な蜃気楼」と「鮮明な熱帯夜」の2話構成で、話のナンバリングも「3」と「4」になっている。各話の前には前作同様、見富による歌詞が並べられている。

 ツインピークスリターンズについて話すふたりからはじまるのが本作における見富のライフワーク的側面を映し出しているものの、(そして祈りは次の段階へと進む)と扉で示されているように、けむと彼女の関係も次第に、曖昧に移ろっていくことが語られる。具体的には「曖昧な熱帯夜」で友人の結婚が話題にのぼり、「鮮明な蜃気楼」では彼女の不在の予感がさらにつよまって終わる。

 2020年現在、「a girl like you」シリーズは本作が最後のナンバリング作品になっているものの、それと入れ替わるように、もうひとつの企画が動き出す。

 トーチ連載『雪が降って嬉しい』。およそ5年ぶりの、見富拓哉の商業誌へのカムバックである。

 

『雪が降って嬉しい』(2019年1月)

to-ti.in

 内容についてはじっさいにいま・ここで触れることができるコンテンツなので、読みましょう。読んでくれ。

 ウェブサイトの煽り文「私たちは、冬になれば夏の暑さなんて全部忘れてしまう生き物だ。」と本編を開いて最初のページに登場する歌詞をみればわかるように、本作はオリジナルでありながら「a girl like you」シリーズのスタイル・思想を踏襲している。0話にあたる「1 3/5月」という表記はカラーイラスト集のナンバリングとおなじであることはいうまでもない。

「何度でも繰り返すことができる ある冬の出来事について」という言葉は「森から出る方法」の歌詞「何度でも繰り返すことが できるあの夏のレプリカと」という部分と呼応している。そこで触れられるのは思い出であり、やがて喪失してしまうなにかに触れることそのものでもある。

「だから私はそれを 書き留めておかなくては いけないと思ったんだ」で締められる言葉の通り、背景の描き込みは見富作品史上、もっとも細密になっている。これまで作者が高めてきた技術と熱が詰められた作品であることは間違いない。見富拓哉ワークスは、ここにきてすべての流れが合わさり、重なっている。『雪が降って嬉しい』とはそういう意味でも集大成的な作品である。

 なにしろ、本編1ページ目にラジオの音声(気象通報)を入れる演出は商業デビュー作「理科室の雪」の1ページでも使われている(!!!)。

 筆者はそれに気づいたとき泣きそうになってしまった。あの、見富拓哉がほんとうに帰ってきたんだと心から思ったからだ。「理科室の雪」について、『エラッタ』の解説では「最初の1頁が描きたかったほぼ全て」と発言していたことから、『雪が降って嬉しい』のこれは往年のファンだけにわかるカムバックの合図としてのセルフ・パロディとしてだけでなく、作者が追い求めてきたイメージを、いわば自己を更新することの宣言にも取れる。作中で楓が着ているコートのデザインも、これまでの見富ヒロインが身に着けていたものから丈が若干短いものへとリファインされている。細かなモチーフすら見逃すことができない。

 本作は不定期連載というかたちであり、2020年現在、2019年1月の0話がウェブ掲載されたのみとなっている。構想はかなり長い年月を費やされていると思われ*18、あとはあらたな見富の代表作の続きを首をながくして待つのみである。

 

おわりに

 以上を以て、彼岸泥棒a.k.a.見富拓哉(不)完全レヴューを終了する。

 わたしたちが追ってきたのは第1期~第3期までの見富拓哉である。しかし、そのあとのことについては、まだだれも知らない。けれど、きっとまだだれも見ていない第4期と呼べる流れがすぐにでも見い出されることとなるだろう。

 だからきっと、いつまでもぼくたちは待つことができるはずだ。

 夏を幾度だってどうにか過ごしてきたように。寒い冬をじっと耐えてきたように。見富の作品がふたたびやってくる瞬間を、ぼくらはきっと思い出せる。

 その再会の場所はきっと約束されたなにかでできていて、

 あの森のすがたによく似ている。

 ぼくたちはあの森へ往く方法を、道を、きっと思い出せる。

 なぜならそれを、予め知っているのだから。

 なぜならあらかじめ言葉が、明白なまでに記されているのだから。

 そこにはこう書かれている。

 そして――

 

(そして祈りは次の手順へと進む)

 

 ぼくたちが森へ向かう準備も、たったいま終わった。そう決まったのだ。

 残っているのはだから、祈りの時間だけだ。

 

補遺

 2019年の見富拓哉のカムバックはコミティアにも影響している。ティアズマガジンの表紙を見富が担当しているからだ。詳細は彼岸泥棒の見富拓哉がティアマガ表紙を執筆、たみふる、ユニのインタビュー掲載 - コミックナタリーに。読めばわかるように「双子座は最下位」の言葉もカムバックしている。

 2020年の見富の近況については、自分たちのコミティア(ドイスボランチ)の通販・購入はメロンブックス | メロンブックスの2p漫画で知ることができる。そこには歯科医姿の霧矢あおいちゃんもいる。要チェック。

 

 【追記】

 予期せぬ(ほんとうに予期していなかった!)情報提供者さまの登場を含め、最終的に2万4千字を超える長大な記事となりました。

 ここまでお付き合いいただき、ほんとうにありがとうございます。この記事を通して漫画家・イラストレーター見富拓哉を知っていただくor再評価していただく機会になれば幸甚です。なお、この記事については各位ご自由に作品目録/レファレンスに使っていただければ大変うれしく思います。それではまたいつかどこかの森でお会いしましょう。「思い出は未来のなかに 探しに行くよ約束」ですからね。

 See you next time!(完)


TVアニメ『アイカツ!』EDテーマ「カレンダーガール」ノンクレジット映像

*1:HDDが逝去するイベントは発生する。

*2:2020年現在だとわかりにくいが、羽海野チカハチミツとクローバー』のパロディになっている。

*3:「自分で読むとパクリに見えたんですが、誰からも指摘されなかったので大丈夫だったみたい。」とask.fmでコメントしているため(見富拓哉 (@kemhok) — Likes | ASKfm)、実話ではないと思われる。

*4:本レヴューでは彼岸泥棒2007年誕生説を取ることにしている。

*5:「樫野先生言行余禄」にも喫茶室ルノアールは登場している。

*6:現ゲンロン友の会

*7:sawabe on Twitter: "ストーリーのジャケで飛んでる雑誌を快楽天にするかLOにするかで見富さんと結構悩んだんですが、よりセーフな方を選んだつもりです"

*8:物品の醸し出す生活感についての模索段階作品として、レアな遺伝子を探せ / Autopoiesis - a new swimsuitをあげることもできるかもしれない。こちらにも「ASAHIKAWA DENKI KIDŌ」の文字が確認できる。世界はつながっている。

*9:けむほこ/見富拓哉 on Twitter: "久しぶりにスカートのCDジャケットを描きました。イラストからデザインまでアートワークをまるっと担当するのはストーリー以来6年(←!?)ぶり?盟友澤部渡がコミティアで密売していた手焼きCDRをまとめた総集編的な1枚です。5月6日コミティア120/う49b、何卒〜!… https://t.co/eJrvNmeSCg"

*10:スカートの澤部渡氏も入浴姿で登場し、冒頭(00:07)の赤帽の前に立っている女の子が来ているニットはのちに刊行される同人誌「a girl like you」に登場するキャラクターが着用している、という見富とも縁深い映像になっている。

*11:Vol.9 映像作家 細金卓矢さん | Adobe Illustrator 30周年記念連載 「Illustrator 30_30」 | Adobe Blog

*12:世界は制服でできている | コミック | アオハルオンライン

*13:星宮いちご、霧矢あおい、紫吹蘭の三人からなるアイドルユニットのこと。

*14:2018年7月にサービス終了。

*15:けむほこ/見富拓哉 on Twitter: "芸カ16で頒布した a girl like you (volume 1.96) 通称『怪文書』ですがこちらは volume 1.1『Unmade Bed』同様イベント頒布限定です。ゲットした人は友達に自慢しよう!中身について何かお気付きの点(新刊だと思って買ったら怪文書だった等)がございましたら暴れちゃってもいいよ… https://t.co/yzxxrnpxsp"

*16:唯一の例外として、イラスト内の雑誌の紙面に『ラブライブ!』の東條希が描かれている。

*17:#アイカツ! 芸カ10 ソ01 霧矢あおい・フルカラーイラスト本 - 塀(H3Y)のイラスト - pixiv

*18:たとえばトーチwebのカラーイラストとおなじ構図がa new swimsuitの2018年5月の投稿にも見出せる。

ミステリ系100冊リストをめぐる冒険

ミステリーのベスト表作りが楽しかったのは、せいぜい二十代の半ばくらいまでだ。その頃までは私的なリスト作りが、自分のミステリー観を他人に伝えるための、有効な表現手段になりうると信じていた。

   ――法月綸太郎「ミステリー通になるための100冊(海外編)」

 ハルヒの新刊が出て、読んで、長門有希の100冊(長門有希の100冊とは (ナガトユキノヒャクサツとは) [単語記事] - ニコニコ大百科))はなんだかんだいって大学時代のミステリとSFの読書の指標にはなっていたんだな、と思い直すなどしました。新本格前後の作品がそれなりにあったし、それをありがたがるくらいにはなにも手掛かりを持たない読者でした。

 では、いまの読者はどこから本を読めばいいのだろう? ネットにあるうろんな情報を鵜呑みにすればよいだろうか? まあ正直それでいいかもしれませんが、選択肢があることに気づける場は有用じゃないですか。

 なので思いつくかぎりリストをあげてみました。みなさんもこれはと思う100冊リストの情報をシェアして完璧な読書ライフを構築していきましょう。ネット世代なんだしぼくたちは集合知に頼るべきだとおもうんですよね。

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非公式アンバサダーの岸辺さんからのコメント(ネットで拾ったコラ画像より)。

 

「東西ミステリーベスト100」

 参考(東西ミステリーベスト100 - Wikipedia

 ミステリ100冊リストといえばこいつ、というくらいには有名。膨大な人数の読者を対象としたアンケート方式なので集合知の力がある。1986年版と2012年版の二種類があり、その両方にランクインしていればだいたいスタンダードで王道なミステリの読書ができるといっても過言ではない。

 アンケート方式のため直近の作品が高ランクに入るかと思いきや、2012年版では保守的な読者が多かったのか、古典の強さが際立っている。

 詳細については企画を文庫化したものがあり、そこで読むことができる。

東西ミステリーベスト100

東西ミステリーベスト100

 

 

「読者が選ぶ海外ミステリ・ベスト100」

 ミステリマガジン1991年6月号誌上で一般読者を対象に投票した結果を集計したもの「東西ミステリー」は投票者が関係者に限られていたが、こちらはまったく関係のない、すなわちより開かれた人たちによるリストになっている。

 詳細については『ミステリ・ハンドブック』で読むことができる。傾向として、サスペンスやハードボイルド作品が何作もランクインしているのが特徴。マイクル・Z・リューインが多い。トレヴェニアンの名前もある。書籍ではランク外の作品について語る鼎談といった企画もある。ハンドブックの名は伊達ではない。

 このリストの更新版である海外ミステリ・ハンドブック (ハヤカワ・ミステリ文庫)では読者投票はおこなわれていなかったはず。

ミステリ・ハンドブック (ハヤカワ・ミステリ文庫)
 

 

「読みだしたら止まらない!」シリーズ

読み出したら止まらない! 海外ミステリー マストリード100 (日経文芸文庫)

読み出したら止まらない! 国内ミステリー マストリード100 (日経文芸文庫)

読み出したら止まらない! 女子ミステリー マストリード100 (日経文芸文庫)

 近年で独自性を出してきたリスト。とりわけ「海外」「国内」は「東西ミステリー」の結果を踏まえてあえての選出をしている。古典らしい古典を読むのがダルい、という(自分のような駄目な)人間にとってはありがたいリスト。もっと名作が読みたい、というよい読者にとってもありがたいリスト。

 これまでになかった、という点では大矢博子による「女子ミステリー」は画期的。いかんせんミステリーという枠組みとして無理があったのでは、という気もしないではないが、単純なリストにはならない点で読みがいがある。

 

東雅夫金原瑞人「ふしぎ文学マスターが薦める100冊」

 参考(ふしぎ文学半島プロジェクト「ふしぎ文学マスターが薦める100冊」|田原市図書館

 愛知県田原市の図書館の企画。東雅夫金原瑞人のふたりのふしぎ文学マスターによる、それぞれ100冊、図書館らしい充実したリストを選出している。ミステリというよりは怪奇・ファンタジーよりだが、東のほうは「新青年傑作選」「怪奇探偵小説集」といった現代のリストではあまり取られにくいミステリも拾っている。

 両リストとも、図書館という施設の持つ利便性・網羅性を最大限まで利用した、本気度がうかがえる顔ぶれになっている。たぶんふつうの書店や出版社の企画ではこうはならないだろう、と思わせてくれる点でよいリスト。

幻想文学1500ブックガイド』は最強のブックガイドのひとつとして知られています。

 

有栖川有栖「有栖が語るミステリ100」

 参考(有栖の乱読

 手堅いミステリーベスト、というなかにSFがしれっと混じっているのが特徴。また平気な顔で「世界短編傑作集」「怪奇小説傑作集」と複数冊のシリーズ本が入っている。入手難易度の低いリストであることは良心的だが、スタミナがないと全制覇は難しい。基礎体力をつけるにもってこいのリスト。

 詳細については『有栖の乱読』で読むことができる。

 また神戸元町の中華街近くにある古書店うみねこ堂書林」では絶版・品切れ中の作品だけを集めた選書リスト「海外ミステリの楽しみ 有栖川有栖 見つけて読みたいミステリ20」という小冊子が販売されている*1。お近くの方はぜひ訪問して手に入れてみよう。

 

北村薫「ミステリー通になるための100冊 (日本編)」

 参考(ミステリー通になるための100冊 (日本編) 北村薫・編 - 本読みのスキャット!

 小説トリッパーの企画より。文庫縛りでありながら、野呂邦暢が冒頭から出てくるあたり渋い。一作家一作のみ、というわけでないのがリストとしては読みでがない部分ではあるものの、時折出てくる北村本人が好きなんだろうな、という気配でじゅうぶんに楽しめる。短編が幾度となくはさまっているのはアンソロジーおじさんとしてのプライドがそうさせるのかもしれない。

 詳細は『読まずにはいられない』で読むことができる。

読まずにはいられない―北村薫のエッセイ

読まずにはいられない―北村薫のエッセイ

  • 作者:北村 薫
  • 発売日: 2012/12/01
  • メディア: 単行本
 

 

法月綸太郎「ミステリー通になるための100冊(海外編)」

 参考なし(ネット上にあるにはあるが、コメントまで転載されている。)。

 小説トリッパーの企画より。こちらも文庫縛りでありながら選出にはかなり気を遣っていて、警察小説、スパイもの、ネオ・ハードボイルドにそれぞれ10作ずつとサブジャンルも適度に拾っている。それでいて謎解きの楽しさ、本格ミステリらしさめいたものが見えてくるのが法月らしい。リストの最後にはボルヘスカルヴィーノ、レム、といったミステリの枠組みから抜け出てくるような作品も入っており、目が楽しい。

 詳細は『複雑な殺人芸術』で読むことができる。なお法月は雑誌『ジャーロ』で「メタ・ハードボイルド全集」なる作品リストもつくっている。

 

野崎六助アメリカを読むミステリ100冊』

 参考なし。

 同名の本より。主著である『北米探偵小説論』(インスクリプト)を圧縮したようなつくりになっていて、リスト単体が効力を発揮するというより、あくまでそれらをどう読むかによって見えてくるものがあるというスタイル。アメリカを知る100冊リストはどこかにあるかもしれないが、ミステリによってそれを見出そうとする試みは野崎だけにしかないかもしれない。エラリー・クイーンが5冊も登場するが、かの作家はアメリカのミステリそのものだからね。

アメリカを読むミステリ100冊

アメリカを読むミステリ100冊

  • 作者:野崎 六助
  • 発売日: 2004/04/01
  • メディア: 単行本
 

 

佳多山大地新本格を識るための100冊」

 参考なし。

 タイトルの通り、新本格ムーヴメントによって生まれてきた作品の潮流を追うことのできるリスト。おおむね90~00年代のミステリから要所を拾ってきてくれているので、比較的最近の日本のミステリの歴史を概観できる。初心者に優しいブックガイド、という点では間違いなく良い。おもしろい日本のミステリのリストない? と聞かれたらまずこれを渡すくらいには良い。おすすめです。

 詳細については『新本格ミステリの話をしよう』で読むことができる。

新本格ミステリの話をしよう

新本格ミステリの話をしよう

 

 

 米澤穂信を作った「100冊の物語」

 参考(バベルの会 | 米澤穂信を作った「100冊の物語」

「最初に断っておきます。これは米澤さんの愛読書のリストでは決してありません。」という断り書きからはじまるあたりが米澤らしい周到さを兼ね備えている。コメントと並行して読むことで、米澤穂信をどうつくりあげたのかが見えてくるリストになっている。

 その一部は古典部シリーズの「折木の本棚」*2にも入っているし、先日のワセダ・ミステリ・クラブの講演*3でも取りあげられたことが記憶にあたらしい。単純におもしろ本の選書リストとして有用。ゲームブックとかがあって、奇をてらいつつすべらないリスト。なんというか漂ってくる読者としての”強さ”を感じますね。フアン・ルルフォを出してくるあたりとか。

 詳細については野生時代2008年7月号で読むことができる。図書館に行こう。

野性時代 第56号  62331-57  KADOKAWA文芸MOOK (KADOKAWA文芸MOOK 57)
 

 

皆川博子になるための136冊の本」

 参考なし。

 作家をつくった本リストシリーズその2。自身の生まれた年代の事情から読書がつくられていく人間はいると思うが、皆川もそういう人間のはずだということが序盤でわかり、しかし読み進めていくうちにその読書が現在進行形で広がり続けていることがわかるという驚異的なリスト。読書人としての底の見えなさは『辺境図書館』のシリーズをはじめ、言っていたら際限がない。

 さらっと書いてある中井英夫全作品は正直いって怖いが、ジョン・ファウルズ『魔術師』『コレクター』も平気で書いてあるのが怖い。皆川博子の選書はセレクトのめちゃくちゃよい古本屋を何件もはしごしてようやくスタートラインに立てるかどうかのレベルで、しかし海外国内の古典ばかり読まず古川日出男も読んだりしているくらいの貪欲さがある。まさしく怪物的。

 詳細は『はじめて話すけど…―小森収インタビュー集』で読むことができる。こちらも図書館へ行こう。 

  さて、名残惜しいですが番組はここでお別れのお時間となりました。なにか足りないと気づいたそこのあなた、載ってないリストあるよ、とこっそり耳打ちしてくれるとうれしいな。はい。それではお送りしますエンディング曲はtokiwa [feat.shully]で「Sticky Love」。

 みんなも最強の100冊リストを手に入れて二学期に差をつけよう! ! 


Tokiwa - Sticky Love (ft. shully)

 

追記

 この記事を書いたあとに以下のサイトの存在を知ったよ。ごめんネ!(ハルヒ驚愕発売延期時の画像)

mysterydata.web.fc2.com

 追記の追記

 放送終了直後から番組に向けて予想外の反響とエアリプをいただいております。以下ではお寄せいただいた情報をもとに追記いたします。ごめんネ!(ハルヒ驚愕発売延期時の画像)

 

伊坂幸太郎をつくった100冊」

伊坂幸太郎---デビュー10年新たなる決意 (文藝別冊)
 

 

森博嗣のルーツミステリィ100」

 参考(森博嗣のルーツ・ミステリィ100

森博嗣のミステリィ工作室 (講談社文庫)

森博嗣のミステリィ工作室 (講談社文庫)

 

 

桜庭一樹「煩悩の108冊ブックリスト」

 参考(桜庭一樹 煩悩の108冊ブックリスト - SSMGの人の日記

桜庭一樹  ~物語る少女と野獣~

桜庭一樹 ~物語る少女と野獣~

  • 作者:桜庭 一樹
  • 発売日: 2008/08/01
  • メディア: 単行本
 

 

 佐藤圭『100冊の徹夜本―海外ミステリーの掘り出し物』

 

 仁賀克雄

 

 現代ミステリー・スタンダード

現代ミステリー・スタンダード

現代ミステリー・スタンダード

  • 発売日: 1997/11/01
  • メディア: 単行本
 

 

瀬戸川猛資『ミステリ・ベスト201』

ミステリ・ベスト201 (ハンドブック・シリーズ)

ミステリ・ベスト201 (ハンドブック・シリーズ)

  • 発売日: 2004/12/01
  • メディア: 単行本
 

 

 池上冬樹『ミステリ・ベスト201』

ミステリ・ベスト201 日本篇 (ハンドブック・シリーズ)

ミステリ・ベスト201 日本篇 (ハンドブック・シリーズ)

  • 発売日: 1997/12/11
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

 本格ミステリベスト100――1975-1994

 

 本格ミステリ・フラッシュバック